八 角 形 に ゅ ー す

2000年10月1日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

第二の幼年時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ティム・ムルロイ神父

教会委員会報告

聖書を祈るシリーズ(4)お告げ(ルカ1章26〜38)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父

難民・移住者国際フォーラムに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 川辺克郎

一粒会大会に出席して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 鈴木有一

敬老会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 菅沼フヨ

敬老会のお手伝いをして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 鈴木和子

ブラジルの佐々木神父様からの手紙

「キジト神父様をお迎えして」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田 久子

鎌倉・十二所の黙想の家で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 高橋 久男

10月の主な行事

八角形にゅーすのページに戻る




第二の幼年時代
ティム・ムルロイ神父

この夏、私は1ヶ月の休暇を頂いて、アイルランドの実家に帰りました。家族に再会し、少しの間一緒に過ごせたことは嬉しいことでした。特に甥や姪が成長し、自立してきている姿には目を見張るものがありました。一番年上の中2になる姪は、友達と夜何時まで外出しても良いかと門限時間を、母親に盛んに交渉していました。最年少の姪は、生まれて初めての靴を買ってもらい、自分の足でヨチヨチ歩き出し、周囲を探検し始めていました。甥や姪と一緒に過ごすことは、楽しく元気付けられました。一方、両親、また両親の兄弟姉妹、友人は、年をとり弱ってきていることに気付きました。父は私の帰省中に82歳になり、母も数歳若いだけです。両親、そして彼らの世代の人達は、生活面でも精神面でも他人に頼るようになりつつあります。彼らと一緒に過ごすことは、しばしば大きな忍耐と沢山の努力を要することも解りました。

私は、日本に戻ってからずっと休暇中のことを思い返しておりました。私の体験は、アイルランドだけでなく、日本でも多くの方が体験していることと同じだと思います。しかし、この体験は100年前、1000年前、2000年前に生きていた人々の体験とは異なります。2000年前、イエスの時代の寿命は40歳以下でした。ですから、当時の社会は、老人介護にまつわるいろいろな問題について考える必要も、対処する必要もありませんでした。特別養護の施設の規定、老人ホームに住む人達の寂しさ、孤独感、自宅で老人の世話をする家族の拘束、介護にかかる経済的問題等々、これらの問題はすべて、イエスの説教を聴くために集まったその当時の人達には計り知れないものだったでしょう。ですから、福音の中で現代社会の老人介護に関する問題に直結する教えに、ほとんど触れるこことがないのも不思議ではありません。

しかし、イエスの時代にもそれなりの問題がありました。子供の養育は、どの家庭でも直面する大きな難問の一つでした。ほとんどの人が子供は心優しく可愛らしいと思っている今日とは違って、その頃は一般的に、子供は迷惑なもの、経済的に重荷となるものと考えられていました。保育園、学校、クラブ等はなく、親達は毎日、子供達の世話、管理に明け暮れなければなりませんでした。さらに、生活のために、農業、漁業、狩猟など仕事をする必要もありました。幼い子供達の世話をすることは、大人が自由に働くことを束縛されることになり、その結果、家計のやりくりが大変になりました。まさに、当時の子供達は、厄介者であり、負担になるものでした。

イエスが1人の子供を彼のもとに呼び寄せ、弟子たちに、「子供のようにならなければ、決して天の国に入ることは出来ない。」さらに、「私の名のためにこのような1人の子供を受け入れるものは、私を受け入れるのである。」(マタイ18:4〜5)と言われた時、彼らはどんなにショックだったでしょう。このような教えを受け入れることは大変難しいことで、また、全く馬鹿げた事のように思ったに違いありません。しかし、イエスの御言葉には、後世に繋がる重要な意味が含まれていました。私は、もしイエスが今日私たちに直接話をされることがあるなら、彼は子供ではなく弱い老人に置き換えて、次のように言われたと思います。「弱い老人のようにならなければ決して天の国に入ることは出来ない。」そして、「私の名のためにこのような1人の老人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」これも、受け入れ難く、途方もないと思われる方もいられるかもしれません。どうしてでしょう。それはイエスの世界観と、現実の社会の世界観にまだ大きな開きがあるからです。

これからも、老人にとって、また、彼らの世話をする人達にとって、暗くて長い夜は厳しい時間になるかもしれません。その時、私たちは皆、どんな形であろうと、彼らの話を聞き、彼らと語り、彼らを励まし、助けながら、彼らと共に過ごせるようもう少し努力してみましょう。その時、イエスが子供達を新しい光の中に見たように、私たちも新しい目で、第2の幼年時代ともいえる老人を見ることが出来るでしょう。





目次に戻る


教会委員会報告
(2000年9月16日)

1. 静思のひととき

マルコによる福音書8・27〜29について、しばし黙想をおこなった。

2.教会フォーラムについて

フォーラムは準備会を含めて2回行ない、分科会を設けるとかテーマを分けて開催するとかして議論を集中した方が良いということになりました。テーマとしては大きく分けると1.教会運営について2.小教区主義からの脱却3.社会に向けての活動、が考えられる。次回は11月19日(日)に「教会とは」というテーマでフォーラムを開催し、NICEなどを通して今、日本の教会が向かっている方向を再確認し、その後の進め方やテーマについても検討することにした。

このフォーラムに関連して、一致のためにテハン神父様から出された宿題、以前の教会委員会で取り上げながら未処理の問題があれば誠意をもって対処することに関しては逐一教会委員会で取り上げて検討していくことにした。

3. 今後の行事予定及び準備について

(1)大聖年第5地区合同巡礼(10月14日、聖母の園)

藤沢教会では具体的には典礼部、宣教部、教育部が中心になり、準備に参加している。最終計画は来週決まるが、典礼は藤沢教会が中心に行なうことになっており、典礼部から準備の状況を説明してもらった。野外ミサの場所、手話通訳者も決まりました。当日参加する子供たちが1本でも2本でもどんな花でもいいから持って奉納行列に参加できたらいいと考えている。何もかも藤沢教会にお願いするというのでは申し訳ないので、ミサ式次第の印刷は各教会の人が藤沢教会に来て皆でやることにした。続いて、教育部から、2時からの交流会の中に用意されている子供達のゲームについて説明があった。

会場の聖母の園まで4徒歩コースを決めたので、聖堂の前に掲示する。外国人の方にもいずれかのコースで参加するように紹介してください。また、八角形にゅーすにコースの紹介を含めて合同巡礼PR記事を載せることにした。

(2)バザー(10月22日)

明日売り場責任者会議を開く段取りになっている。今年は例年と違うところは、品物を寄付していただく期間を短くしてあり、10月1日〜15日までになっていることである。これに関連して、寄付品の受け取り方について議論した。

(3)湘南短期キリスト教セミナー

パンフレットができ、講師に関する紹介等がなされた。

(4)その他

4.センター集会室内装補修他営繕関係

夏休みの間にセンターの2階と3階の一部を除いた各部屋、廊下、司祭館の事務所と司祭室と応接間等のカーペットの張替え、壁の塗り替えを行なった。

5. ガーデンパーティ

壮年部から次のような報告があった。

細かい反省点は多数あるが、総括すると以下のようになる。

  1. ガーデンパーティの趣旨についてもう一度確認する時期に来ていると思われる。ただし、今後も手間を掛けない簡素なものとしたいという意見が多い。
  2. 国際交流について更に考える必要がある。
  3. 全般に連絡体制が充分でなかったことが反省としてあげられているので、次回に生かしていく。
  4. 次回について中止も含めた意見もあったが、以上の反省点を踏まえ、来年も実行していく方向で今後に引き継ぎたい。

以上に関連して意見交換を行ない、来年も問題点を改良するという立場に立った上でお願いすることにした。毎年、新機軸を提案し、トライしていくことが大事ではないか。

6. 地区割り検討小委員会報告

9月10日に開催した掲記委員会では、前の委員会での話を持ち帰って各ブロックの意見を持ち寄るのと今後どうしていくかという話し合いを行なったが、ここで明らかになった問題点は、司牧的な地区割りを当番のための地区割りと考えているということである。当番が大変ならば当番のやり方を変えれば良いのではないか。そこで各ブロックで地区割りを当番と切り離して考えてきて欲しいとということになった。

7. その他

  1. 回りの教会が次々に50周年を迎え、色々な行事を行なっているが、2005年に藤沢教会も50周年を迎えるが、何かやるかどうか、やるとすれば準備に時間が掛かるものもあるので考えておいて欲しい。
  2. 大和教会が50周年を迎え、9月23日(土)11時から記念ミサが行なわれます。関心がある方はどうぞご参加下さい。
  3. 湘南台センターの賃貸契約の更改がおこなわれます。条件は今まで通りで、問題ないと考えます。
  4. 次回の教会委員会は10月7日に開催します(合同巡礼、バザーのため)。長期の委員会予定では、第3土曜日以外の開催は上記以外に2001年9月8日です。
  5. 神父様は来年のテーマとして1月から12月までの予定で家庭訪問を考えています。新しい神父様が12月3日に来られるのでそれができると考えています。各地区でどのような家庭訪問を希望するか話し合ってまとめておいて下さい。





目次に戻る


聖書を祈るシリーズ(4)お告げ(ルカ1章26〜38)
M・ハンラティ神父

私はよくこの箇所を思い巡らし、祈ります。今ここでの私の生活に、確かに神様が働いていらっしゃると思えるようになります。今日の出来事、私の置かれている状況、人間関係、また私の力、失敗などすべての背後で、神様が静かに働いていらっしゃって世界を新たにし、よい事をもたらして下さっている事を確信できます。

また、神様は私の中でも働いていらっしゃると気付きます。神様が私の心を開いて下さって、すべての人を救うという神様の仕事に私も協力するように、という招きが聞こえてくるようになります。神様は私がよく聞けるように、寛大に、勇敢に神様にゆだねるように助けて下さりながら、私を変えていかれます。

☆ルカ1章26〜38

先ず最初にどの位の時間をかけてここを祈るかを決めます。それからこの箇所を見つめ続け、聖霊に導かれるのを待ちます。何かが私の心を打ったり、意識に浮かび上ってくるまで、長い間この箇所を見つめているだけです。その結果、新たな目で物が見えてきたり、新たな感情や望みが湧き上がってくる事に気付いたり、何かよい事をする招きを感じたり、どの事が起こります。

☆神が“遣わす”

すべての人を救おうと常に働いていらっしゃる神様 ・この箇所を見つめていて、先ず注目させられるのは“遣わす”という言葉です。“遣わす・遣わす・神が遣わす・神・神・神が遣わす・”等のように、その言葉を変化をつけて繰り返し続けていきます。こうして思い巡らしていくうちに、神様のみ心をちらりと見せていただくと感じます。神様のお望みをもっとよく知るようになります。神様は救いたい!神様は救い主を与えたい! 神の望み!神の望み!

私は突然悟ります。ここナザレトでだけの事ではない。神様はいつも救おうと働き続けていらっしゃるのだ!たとえ私達が気が付かなくても、神様は常に救おうと働き続けていらっしゃるのだ!ガブリエルの名前が私にこう気付かせます。ガブリエルを遣わされたのはこれが初めてではありません。ザカリアとエリザベトにも遣わされました。それは救い主の到来の準備の一環でした。です。さらにダビデの名前は私をもっと古い時代に引き戻します。神様がダビデになさった事をしばし思っているうちに、神様がイスラエルの為になさった他の事も、もう一度見るように導かれます。即ちこの出来事を、静かに働き続けられる神様の遠大なご計画の一環として見ます。ヨゼフ様とマリア様を婚約させられた事も感心して眺めます。これもまた準備の一つ!

私は突然悟ります。これが神様のなさり方なのだ。神様は今ここにいる私の周りでも、同じように働いていらっしゃる!私はこの事を忘れがちだ。今ここで生きている私への、世界中のすべての人への神様の態度について、ここでさらに学びます。神様はこの事を私に気付いてほしいのです。時々この真実に心うばわれ、もっとよく悟りたい、私の深い所に落ちていってほしい、と望み続けます。

(祈り終えてその日の仕事をしている間に、周りの状況や人々、出来事にたいしていつもより大きな忍耐が持てたのは、この祈りの時間のお陰だったと気が付きます。どんな状況にあっても神様がいつも救おうと静かに働いていらっしゃる事を悟ると、私の心構えが変わります。「最近ここを祈っている時に、砂漠を静かに力強く流れる大きな川のイメージが浮かんできました。今まで私の目には隠れてれていたけれど、これが世界中で働いていらっしゃる神様の力なのだと悟り。大発見をした子供のように驚き喜びました」このシンボルは私にすごく大きな慰めと平和を与えてくれます。

☆特別に重要なメッセージ

“神様がメッセージを託してガブリエルを遣わされた”というくだりに導かれる時もあります。そこに心奪われ思い巡らします。何回もそこを繰り返しながら、何か特別な事を私に言ってくれるのを待ちます。そして“神はガブリエルを遣わされた”の言葉は、このメッセージが正に非常に重要なメッセージであることを示しているのだと悟ります。神様は単に、心を動かすとか夢の中でとか他の人を通してなどの方法でメッセージを送ったのではありません。そうではないのです。普通ではない方法、はっきりと耳に聞こえ、記憶にも残る具体的な形のある方法をとられたのです。正に特別なメッセージに違いない!よく聞かなければ、と駆りたてられます。

☆神が遣わされた場所は?

信じ難い所です! 神様がガブリエルを遣わされた場所に私は驚嘆してしまいます。先づ“ガリレアへ! ”です。これは私を驚かせます。ガリレアはイスラエル人のあらゆる生活の中心であるエルサレムから遠く離れています。ダビデの町ベトレヘムからも、エリザベトの家からも遠く離れています。ひどい田舎なのです。ガリレア人は町の人々から粗野な無法者、不出来なイスラエル人と見なされていました。

“ナザレトへ!”ここで益々驚いてしまいます。ガリレアの中でもナザレトは更に見下げられていた所なのです。不毛の丘の斜面で2本の道が交差した所にある人口150人位の村にすぎないのです。貧しくて、遅れていて、見込みもない事のシンボルとされていました。人に笑われる場所。

“乙女に”ただの小娘にすぎないマリア様、若すぎてそんなに小さな共同体に於いてでさえ何の地位もありません。誰かの妻でもないし、男性の母でもありません。(男性が重要と見なされていた社会でした)マリア様はこの貧しくて重要でもない村の小娘にすぎないのです。確かに神様は奇妙な選択をなさる!時に私は一人言を言います。“神様はこの私にはそのような事をなさらなくて、助かった!”でもそのすぐ後に次の恐ろしい考えが浮かんできます“たぶん神様はなさっているのに、私が聞いていないのだ!”

☆しかもそのメッセージがまた信じ難い!

そのメッセージの内容が!すごい驚きの連続です!

先づ、長い間待ちこがれていた預言者を、神様は今遣わして下さる、というメッセージ。

最後の預言者以来400年もの長きにわたって待ってきました。その時が今だ!というのは本当ですか?今が喜びと感謝で興奮する時なのですか?

第2に、アリア様がこの預言者の母となるべく招かれている!彼女の地位で!この場所から!この年齢で!

第3に、人々はただの預言者ではない特別な預言者をいただく! 彼はイスラエルを救う。ダビデをしのいではるかに多くの事をしてくれる。“その王国は終わる事がない”受け入れ難い事です。

“恐れるな”の言葉を聞くと私は抗議の叫びをあげたくなります。 いくら“恐れるな”と言われても、予想をはるかに越えたこのメッセージの偉大さに圧倒されて“恐れて当り前ではないか”と感じてしまうのです。でも私の現状、私の神様との関係が思い出されると、むしろ反対に“恐れるな”と何回でも聞かせてほしい、と望み始めます。

第4に、その上マリア様はユニークな方法での妊娠を受け入れるように頼まれています。

マリア様は、今始まる受胎を受け入れるように頼まれていると悟られます。これはもう一つのすごい驚きです。普通の妊娠の仕方ではありません。理解する事も信じる事もさらに難しい。結婚式もまだですし、ヨゼフの家にも行っていないのです。今だかつて人類が経験した事のないことに受諾を求められています。マリア様は神様に向って正直に自分の当惑を表明します。“どうしてそのような事があり得ましょうか?私は処女なのです”

☆マリア様は心を開いてそのメッセージを聞きます

“心が騒いでいる”マリア様をしばらくの間見つめます。驚く程の近さで神様に触れて、マリア様は深い畏敬の念を抱かれていらっしゃいます。神様の前に自分が本当に小さいと感じていらっしゃいます。その私が何故特別に選ばれたのか分からない。自然に起る反応は“間違いに違いない”と叫びます。

混乱した気持を抱えながら、それでも聞き続けます。(ルカは非常に短時間のうちに起ったかのように描いていますが、彼女の心騒ぐ苦悩の時間はもっとずっと長かったのではないでしょうか)

このように混乱した気持ちを抱えたままでいるマリア様に神様の力が働きはじめます。マリア様は神様を近くに感じます。神様が一緒にいて下さっている事を思い出します。そこで、すばらしい恵みとして下さった道がもう一度示されます。

マリア様は、この偉大なご計画のすべては神様の力によるもので、自分に起因するものは何もない。という根本的事実の上に立っています。喜んで完全に、その計画その力に協力するように頼まれます。 彼女のうちで神様の力が完璧に働ける為には、自分を完全に空っぽにすることだと悟ります。それは自分のもつすべての心積もり、望み、期待だけではなく、周囲の人々からの自分への期待までも、すべて空にする事を意味しています。近々大工であるヨゼフの妻となり、それなりに普通の村暮らしをするのだと思っていました。けれど今どうなるのかまるで分かりません。予想の立たない将来に完全に身を明け渡すよう頼まれています。それは想像する事も理解することも出来ない将来なのです。

☆マリア様は信頼して身を任せ、ゆだねます。

依然として私は、神様の力に信頼するこのすばらしい行為、神様のご計画に完全に身を任せるに至るマリア様を見ています。マリア様はおっしゃいます。“あなたのお望みのままに、この身になさって下さい”“私は完全に主のしもべです!お望みのままに私をお使い下さい”全く、私はマリア様のすばらしい勇気、信頼、そして寛大さに目を見張ります。 新しいレベルで、神様にすばらしく近づいて行かれるマリア様の始まりをたたえます。

☆“はい”と受諾なさってからのマリア様の日常生活

読み進んでいくと“そしてみ使いは彼女から離れていった”とあります。このくだりにくると私の心は必ず反応します。私は次のように解釈し憤慨するのです。み使いは何の助けも与えず、詳細も語らず去ってしまった!それでは残酷過ぎませんか?ヨゼフに何と言ったらよいのか?両親には?他の人には?自分の評判はどうなるのか?等何も教えられていないのです。この特別な子供をどう育てたらよいのか、どう教育したらよいのかについての助言も何一つ与えられていません。このような誕生は今だかつて起こった事がないのですから、習慣に従ってとか経験者に助けられて等の安心のすべをマリア様はもたないのです。私だったら、とても怖いことです。

私のうちに起こるこの強い反応は、神様への私の信頼の小ささから来ていると思います。これからの神様の招きに対してマリア様のように寛大に応える為に、私は神様の力を、神様がすべて面倒を見て下さる事をもっと信頼する必要があります。

さらに祈り続けます。私の心は未知の世界に踏み込む時のマリア様の勇気と寛大さに感動します。自分の歩みのどの一歩にも何らかの方法で神様が共にいて下さっているという信頼のもとに暮らす生活が始まります。たとえその時には、そこに神様が働いていらっしゃるとはとても思えなくてもです。それは即ち、個々の出来事に於いて、神様の霊がどこに導いて下さりたいのかが分かるまで待ち続けること、そしてその招きに対して“はい”と答えて従うこと、この連続を意味します。マリア様は今答えた“はい”を、今後体験する事になる沢山の困難の度に何回でも繰り返して言い続けなければならなかった、と私は悟ります。

ここを度々祈り続けると、マリア様に一層近づきたいという望みが強くなってきます。神様の招きを聞き、実行に移すために、マリア様が私のコーチ、ガイドになって下さい、と願います。、マリア様に強めていただいて、常に働き続けていらっしゃる神様の仕事に信頼して協力するように招かれている事に、もっと気が付けるようになりたいのです。

以上は私の祈りの中で起こった事のうちのいくつかです。その時その時で違います。時には死んだ祈りのように思える時もありますが、後になってその効果を私の日常生活の中に見つけます。私はいつも自分が決めた時間の最後まで祈りに留まります。この箇所を度々祈ります。この短い記事からでさえ、この箇所にはそれは沢山の宝があるとおわかりでしょう。度々祈ったらご自分で沢山の発見をするでしょう。





目次に戻る


難民・移住者国際フォーラムに参加して
鵠沼2区 川辺克郎

9月15日にイグナチオ教会で国際協力委員会主催の難民・移住者国際フォーラムという集いがありました。ローマから濱尾大司教、東チモールからベロ司教が来て話をしてくれました。

濱尾司教は現在の仕事について話してくれました。移住・移動者司牧評議会の仕事は大変幅が広く、難民、移住労働者はもちろんのこと、海員、パイロット、スチュワーデスなどの常に移動する仕事の人、ロマ(ジプシー)のような流浪の民、サーカスなどの旅芸人、etc、要するにどこかの小教区に恒常的に属せない人はすべて対象になるとのことでした。司教は近年多国籍かがすすんでいるが、その中で多くの問題も抱えている日本の教会についてや、他民族化がすすむヨーロッパで、同時に民族、国家主義的な動きが台頭してきていることにふれ、「教会にとってよそ者はいない」との言葉を用い、神の国の道具である教会は、民族、言語、文化、身分、宗教の違いを越えて、誰にとっても憩いの場となっていくように召されていると話されました。

ベロ司教は東チモールの現状と今後への希望を語られました。武力によるインドネシア併合という歴史から、昨年の住民投票、そしてそれに続くインドネシアと民兵による破壊、治安がある程度戻った今も解決が見えない難民問題。長い苦難の歩んできて、今も歩み続けている東チモールにあって、教会はいつも人々に希望を与え、忍耐と和解を呼びかけ続けてきたことが伝わってきました。現在でも西チモールで続けられている民兵の難民帰還への妨害についても、政治的解決を求めつつ、民兵も含めて東チモール人すべての帰還を受け入れ、犯された犯罪に対して正義に基づく裁きの必要性を認めつつも、人々の和解を教会が率先して行っていきたいとの姿勢を示されました。ベロ司教は、日本の教会にまず何よりも東チモールのための祈りを求めました。そして経済的援助、技術指導などを含めた人的援助をしてほしいと語られました。

二人のお話の後、濱尾、ベロ、池永、松浦、大塚の5人の司教と数十人の司祭による共同司式の国際ミサが行われました。東京教区の多くの若者達の協力で、とてもすばらしい、元気と希望が与えられるミサでした。





目次に戻る


一粒会大会に出席して
湘南台 鈴木有一

第33回横浜教区一粒会大会が、晴天に恵まれた9月15日に、秦野上智短期大学で開催されました。

参加者約550名のうち、藤沢教会から約60名の老若男女あらゆる年代の参加者が、藤沢教会のご好意により提供された1台のバスと各自の車で行きました。バスには、磯子教会の池田神父様も同乗され、戦前にミンダナオ島地区の司祭になるつもりだったと、早くも珍らしい召命された頃のお話を伺いました。

大山を近くに眺める岡の上のキャンパスに到着すると、小学生以下の子供達は、別の会場のみことばをきく会へと別れました。

会場では、開会式の15分前から、歌と演奏があり、参加者も一緒に歌って、雰囲気が盛り上がりました。今大会のテーマは、『神の国はキリストの言葉を聴くことによって始まる』でした。

開会式で本部委員長から、昨年度4、795万円の献金があったこと、現在の教区神学生は三名と減少傾向にあることが話されました。基調講演は、澤田神父様の『今、青少年を呼ぶ声』でした。青年は何を考えるか、何になりたいかということから最近の状況を話されました。そして、人はパンのみによって生きるものではないこと、大事なことは、あらゆる人が共にひとつになってゆくことであると説かれました。教会は、父と子と聖霊のなかに入ってゆくもの(in ではなく into)、一致であり三位一体がその大元であると感銘深いお話がありました。

講演のあとは、楽団演奏でスピリッツソングをみんなで歌ってから、『私の召命体験』を若い二人の司祭からお聴きしました。

市岡神父様は、幼稚園時代の教会との関わりがその後離れて、大学生の時再び教会へintoし、22歳で受洗、釜が崎の体験、インドの神学校を経て、1年半前に叙階されました。キリストの言葉には、キリストのわざがあり、人それぞれの召命があって、司祭の召命だけではないのだと話されたことが、印象に残りました。

保久神父様は、最も新しく未だ3カ月です。

銀行員としての仕事に、何か足りないものを感じておられた由、ユーモアをまじえたお話でした。仲間、共同体にひかれ大事にすることを教えられました。

昼食後、梅村司教様から祈りをもって大会に参加しますとメッセージが代読されました。

ついで、カンペンハウド神父さまから、司祭について、現状と考え方が変わってきているとお話がありました。共同体のための司祭であり、共同体は神様の言葉を聴いて、お互いに助け合い、ゆるし合って、励ましあってゆくものだ。責任は司祭だけではなく、お互いすべての人にある。司祭対信徒ではなく、共同体と奉仕者となる。 この奉仕者のなかに司祭がある。責任の持ち方は少し違い特別の役割もあるが、司祭は皆さんの仲間であると説かれました。

ここで休憩に入り、子供達がミサに参加するため入場し、全員で主のみ名をたたえあがめるミサ前奏を歌いました。

大会記念ミサは、20数名の司祭とともに始まり、マタイによる福音(4章18〜22)の朗読およびこのことについてのお説教を拝聴しました。

荘厳なミサの後、閉会の挨拶で、大会実行委員長から、藤沢教会の青年会は、聖歌と演奏だけでなく第6地区の人々と共に地区を越えた活動ができ、一つになった素晴らしさを語られました。

私は初めて大会に参加して、今まで関心が薄かった事が恥ずかしくなり、これから入会して、ほんの一粒の協力をさせていただきたいと思います。お陰さまで、今日は有意義なパワーをいただいた一日でした。





目次に戻る


敬老会に参加して
辻堂3区 菅沼フヨ

今年も同窓会のつもりで伺いました。昔のお仲間に会えることが嬉しくて、会えた方とお互いに年寄りになったねと笑いもだせる程です。自分だけが老いたのではないと、ひそかになぐさめているのです。病気になられた方のことを聞くと胸が痛みます。日々をみ心のままにと、生活する私どもにまた祈りも多くなります。

幸いに私は口と手が達者なので老いの生き甲斐を見つけました。 70歳で覚えた「エッグアート」を楽しんでいます。小さいタマゴに大きな喜びを貰っています。歩行困難の部分で介護家事支援を頂いているので時間はあります。病院へ行く日、マッサージに行く日と生活のリズムが自分なりに出来て楽しんでいます。

老いて現至福の時かなと思います。

教会も変わりましたね。シルバーシートが出来て座ったままで、聖体をいただけるとは感謝一杯です。立ちくらみの心配もないし、1ヵ月に1回位は行けるネとは主人の助言です。

老人に対する思いやりに心からお礼を申し上げます。ゴスペルミサは青年たちのさわやかな歌声に元気が出て来ます。また参加したいと思っています。

思いわずらうこともなく、周囲の方々の親切が身にしみて有り難うの毎日です。「マリア様、いまも臨終のときもお祈り下さい」と1日が終わります。

困った事が1つありました。新しくなったお祈りが仲々覚えられません・・。

「夫から一言」私は信者ではありませんが、妻の若い時からの教会に対する姿を見ていて、自分も何かしら、洗脳されているように思われます。本人が月に一回は参りたいといっていますので、多少の無理もおさえて参ることでしょう。今後もよろしくお願い申し上げます。





目次に戻る


敬老会のお手伝いをして
辻堂3区 鈴木和子

当日は曇り日で涼しく、お見えになられた方達は三々五々お聖堂に入られました。

11時からテハン神父様、ハンラティ神父様、ティム神父様によるごミサ、塗油の秘跡がありました。朗読、共同祈願、奉納を会員の方がなさいました。

記念写真撮影のあと、ホールで祝賀のパーティ。なごやかさと華やかさで、私達も胸一杯うれしくなりました。

うれしいことにステージの出演申込みが、会員の方、またそのほかから沢山ありました。しかし、残念ながら時間の制約もあって、一部の方々のご希望に沿えませんでしたこと、心苦しく思いますが、何とぞご理解下さいますようお願い致します。

そのほか反省として、市の敬老会と日が重なったこと、前日ホールが使用されていたので準備が当日になったことなどがありました。 初秋の一日、おいで下さった皆さまが来年もまた、ここにお集まり下さるよう一同願っております。私達も心を合わせてお手伝いさせていただき、ご一緒に過ごせました楽しい一日でした。神さまと皆さまに感謝申し上げます。





目次に戻る


ブラジルの佐々木神父様からの手紙

藤沢教会の皆様

昨年11月にお送り頂いたファイバードラム缶の衣類を、漸く8月24日に頂き、一昨日、その全部を開封することができました。 本当に有り難うございました。

あの書類が足らない、この書類を追加せよ、など最後には荷物全部を消毒しなければならないと言って、消毒料として5万円も取られましたが、こちらに着いた荷物を調べてみましたら、19本しか蓋が開けられておらず、21本は無傷でした。その19本も中身には全然手が触れていないで、サントス港を利用し始めてから、初めて皆様からお送り頂いたものそのままを頂くことができました。 ただ何故8カ月も港の倉庫に放置され、倉庫代をむさぼるのか、腹が立ってし方ありませんでしたので、していない消毒ついて訴えてみましたら、奇跡的に5万円は返してくれました。ブラジル官憲は一体何を考えているのでしょうか。一部の人が悪いだけでしょうが。

今年の日本の夏は猛暑だそうですが、こちらは何十年ぶりの寒さと何回もの大霜で農作物に大きな被害がでました。人間が狂ってくると天気まで狂うのですね。“時のしるし”でしょう。それでも近ごろは春らしくなり、フマニタスの庭も花で一杯ですし、畑にも若者たちが600・ものフェジョン(豆)を蒔き、緑の芽が出揃い綺麗になりました。大霜のあった年は豊年と言われますので希望を膨らませています。

新聞によりますと、古着の輸入をもっと厳しく取り締まるそうです。これから一体どうなるのでしょうか。ブラジルの貧しい人たちの生活がどんどん悪くなるというのに。

希望のないところに希望をつくることは難しいことですが、ブラジル人の楽天的すばらしい性格に習い、明るく陽気に頑張っていきたいと思っています。

ブラジルではブラジル司教協議会が中心になって、ブラジル政府の経済政策について意見を求める国民投票を実施しています。IMF によって牛耳られた現在の政策が続く限り、永遠にブラジル国民は貧しくされ、人間らしい品位も保てないでしょう。 国民の叫びがこの投票に反映され、思ったよりすごい反響があり、13日の投票結果が楽しみです。

お元気で活躍のほどを

200年9月6日





目次に戻る


「キジト神父様をお迎えして」
辻堂1区 浮田 久子

ウガンダのキジト神父様が4月以来、西那須野町のアジア学院で農業指導者養成の研修に参加しておられることは知っていました。 けれども夫の病状が悪化する一方のころでしたので、皆さまに報告する余裕がなかったことをお詫びいたします。

7月になって学院の遠藤抱一さんから「神父さまに1週間の夏休みがとれた。その間を何とか藤沢で過ごさせてあげたいのでよろしく」とのご依頼がありました。早速「お援けする会」のメンバーや日頃関心を寄せて下さる方々にご相談し、箱根、鎌倉、葉山へのエクスカージョン、モンタナ修院や山中湖など静かな環境での各1泊、教会での懇談会などを含む日程を急きょ組むことができした。これも日頃多忙をきわめていらっしゃる方々が色々の面で快くご協力くださったればこそで、ここに改めて厚くお礼申し上げます。

数人の青年たちが神父様を鎌倉などに案内され、楽しい1日を過ごさせて下さったことにも感謝いたします。普段は接する機会の少ないアフリカの司祭と、あのような環境の中での司牧、また内戦のもたらす悲惨と不毛について親しく語り合うことがおできになったとすれば、すばらしいことでした。そこ迄いかずとも只、その素朴なお人柄にふれるだけでも大きなお恵みをいただけたことでしょう。 私自身もそのような交流から多く学び、またカトリック教会がいかに懐の深い広やかな場であることを心に銘ずることができたのです。

スケジュールの最後に懇談会を設けました。いつも私達を「藤沢のいとこたち」と呼ばれる神父さまです。まだ夏休みの中の暑さの中を20人ほどが集まり、和やかな雰囲気の中で話がはずみ、また援助について忌憚のない意見交換もおこなわれました。一昨年でしたか、ウガンダについての勉強会を催したとき講師をしてくださった佐倉洋さんがおいでくださって神父さまと掛け合いで現地の状況を説明していただけたのも有り難いことでした。感謝いたします。

なお当日の神父様のお話のなかで殖えつづける困難のなか、ウガンダの教会では神学生を育てるのが急務となっている「どうか、有志の方、神学生の里親になって下さい」との訴えをなさいました。 これについて後日「私が」と申し出て下さった方があったことをお伝えいたします。また今回協力してくださった方々のなかから、若い方を含めて2人が来年ホイマを訪ねたいと申し出られ、神父様をお喜ばせしました。

アジア学院に戻られたキジト神父様からは「かつて過ごしたことのないすばらしい温かい夏休みを有り難う。それを可能にしてくださったみなさまひとりびとりに心から深く感謝いたします」とのお礼状が届いております。





目次に戻る


鎌倉・十二所の黙想の家で
長後 高橋 久男

9月16日、雨もようで雷鳴が聞こえる鎌倉十二所のイエズス会黙想の家で、20数名の方々と「キリスト者の祈り」というテーマの黙想の一日を過ごしました。私は予定の集合時間より少し遅れて黙想の家に着きました。久しぶりの訪問です。イバニエス神父様が和やかな笑顔で迎えてくださり、握手したその手のぬくもりはとても温かでした。

祈りについて、主イエスがどのように祈られているかを午前中と午後にわたり聖書の中から、ひとつづつ採りだされてユーモアを交えて説明されてゆかれました。いつ、どこで、どのように、と内容のある中身ででした。

イバニエス神父様は、あるキリスト者の言葉から祈りには二つの祈りがあることを説明されました。一つは安っぽい祈り、もう一つは、高価な祈りがあるという内容でした。安っぽい祈りとは自己中心的な恵みを願う祈りであり、高価な祈りとはキリスト者として神の望み(み旨)を生きることを願い、その恵みを祈ることにあると説明されました。この二つの祈りのありかたを伺いながら、自分のこれまでの祈りを顧みなければなりませんでした。

私のこれまでの日々の歩みの中で、主イエスとの出会いを味わえたという体験の恵みもありましたが、反面、主イエスが弟子たちに「からし種一粒の信仰があれば」と嘆かれたその、からし種一粒の信仰も自分はまったく無いという体験もして来ました。このような私が高価な祈りを主イエスに願いその恵みを祈り続けることが、できるだろうかと弱い自分を味わっています。幸せな人生を歩んで行きたいと願っている私は聖パウロの弱さを誇れるという言葉は、このような私に向けられているのだろうと味わっているところです。 午後からのメッセージは、日々の生活の中で大事なこと、自分にとって決断をしなければならない大切な出来事に出合う時、識別する祈りが必要であると話されました。自分は今この出来事を神の望みに適うように選ぼうとしているのか、それとも自己中心的な結論を出そうとしているのか、キリスト者として、生きていくということは、どういうことなのか、識別する祈りをと強調されました。

この識別をするということの具体的な事例を、イバニエス神父様とお母様とのお話から話されました。司祭としての生き方をどのように識別され、決断したかというお話でした。今日1日の黙想の中身を味わいながら和室の聖堂に座ってみました。正面床の間には信望愛の額があり、その意味を思いながらこの黙想を通して出された宿題を考えてみました。短い時間でしたが落ち着いた気持ちを味わえたひとときで、神に感謝の1日でした。





目次に戻る


10月の主な行事

6(金)初金・例会

8(日)壮年の集い スカウト入団・上進式

14(土)横浜教区第5地区巡礼

15(日)幼児洗礼

22(日)教会バザー

28(土)藤沢教会保護聖人聖シモン・ユダの祝日

29(日)入門式 国際ハローウインパーティ

広報部からのお知らせ

広報部では「八角形にゅーす」の編集をお手伝いして下さる方を募集しています。一緒に、楽しい「八角形にゅーす」を編集してみませんか。





目次に戻る