八 角 形 に ゅ ー す

2002年5月5日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

主婦としてのマリア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ神父

堅信式ミサ説教から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅村 司教

堅信をうけて

洗礼式に臨んで、26の“回心”・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 鈴木

皆様のおかげで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 小林

初聖体を迎えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校リーダー 小泉

教会委員会報告

祈りのうちに〔新委員長挨拶〕

壮年の集い報告

カンボジア国トンレサップ湖水上教会の訪問(その1)・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石黒

チャリティーコンサートを終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・グラシアス・アミーゴ 岩沢

5月の主な行事

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主婦としてのマリア
マーフィ神父

 八角形にゅーす5月号の記事を頼まれたとき、私はすぐ、マリア様について書こうと思いました。5月はマリア様の月です。太陽の暖かい日差し、春のいろいろな花々や、自然の美しさを見る時、5月は私達の母マリアに捧げるのにふさわしい月だと感じます。この月のようにマリア様は神様から素晴らしい贈り物を授かりました。

 マリア様が受けた恵みについて黙想するとき、ナザレでの日常生活は私達の生活ととても似ていたことに気付きます。家事をこなしたりいろいろな準備をしたりしました。喜びの日も悲しみの日もあり、困難な時もありました。今日は皆さんでマリア様の普段の生活について少し考えてみましょう。

 イエスの時代、主婦は家庭以外ほとんど影響力を持っていませんでした。女性は男性より劣ると考えられ、少しの権利しか与えられていませんでした。ちょっとした理由で妻の合意なしに夫から離縁されることもありました。それでも聖書の十戒で、母親は父親と同じく尊敬されなければならないと教えられていたため、家庭の中で母親は敬われていました。

 家庭では、小麦を挽くこと、パンを焼くこと、寝具を干すこと、少なくとも18ヶ月までは赤ちゃんに母乳をやること、洗濯、編み物、また、夫の手足を洗うことなども妻の仕事でした。夫は、妻が単なる所有物として扱われないためにも、妻を養う義務がありました。

 これがマリア様が生きた社会です。愛する夫と息子がいましたが、他の主婦と同じように働きました。私がハンラッティ神父に今回の記事のことを話しましたら、「マリア様がめん鶏に毎日餌をやっていたことを話したら。」と言われました。街で生活している私には、マリア様がめん鶏の世話をしていたことなど思いもつかなかったので微笑みました。小さい時、夏に田舎の祖母のところで過ごしたことを思い出しました。私は毎日祖母の手伝いをして、庭のめん鶏に餌をやったものでした。そして、朝には朝食用の卵を集めました。マリア様は田舎の村に住んでいたので、多分めん鶏を飼っていて、これと同じようなことを毎日していたことでしょう。イエス様はきっと手伝っていたと思います。そして彼は、ひよこを育て、世話をするめん鶏を見ていたことでしょう。この経験はたとえ話になっています。「エルサレム、エルサレム、(中略)めん鶏が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか(マタイ23章37節)。」ですからマリア様はめん鶏を飼っていたと思います。

 マリア様の生活は質素で平凡なものでしたが、神様からの召し出しとして生活したため、聖なるものでした。私達の生活ともよく似ていましたが、マリア様の苦しみは私達のものよりずっと深いものでした。イエス様の公的生活において敵意を持つ人が増えていくのを目にし、マリア様はどんなに苦しんだことでしょう。そして、母親にとって、たった一人の子供が十字架につけられ、激しい苦痛の中で死んでいくのを見るほどの苦しみがあるでしょうか。イエス様は母であるマリア様の体と魂を天国に連れていくことで報いました。

 私達と同様に、マリア様の生活にはたくさんの試練がありました。でもマリア様は神様の愛をいつも信じ、最後まで深い信仰を持ち、神様から頂いた召し出しに忠実でした。今月、マリア様に毎日祈るようにしましょう。マリア様は私達の母であり、また、マリア様ご自身の経験を通して人生がどんなに大変なものであるか知っていらっしゃることを思い起こしましょう。私達も、たとえ大きな苦しみの中にいるときでも常に神様に信頼できるよう、マリア様の取次ぎを願いましょう。そして、マリア様のように、私達も人生の終わりの時までいつも深い信仰を保ち、神様から頂いた使命に忠実であるようにしましょう。



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堅信式ミサ説教から
梅村  司教

 復活祭にあたって、福音書ではイエズス様が弟子達の間に現れたその復活した次第を語っています。それと同時に、復活節中第1朗読では使徒達の宣教、使徒言行録がずっと読み継がれます。復活節は確かに主の復活を祝う季節でありますが、同時に復活したイエズス様に出会った人たちが、またさらに聖霊降臨という不思議な救いの出来事を通して力強く宣教し、そして教会が出来上がっていく、そういった意味で復活節は聖霊降臨に向けての準備の季節といってよいかと思います。

 皆さんのこの藤沢教会では聖霊降臨の祝いが一足早く今日訪れたのかもしれません。皆様方のうちから何人かの兄弟姉妹が、その第2の聖霊降臨という救いの出来事に預かることになります。聖霊の賜物をもって生かされている教会については、使徒パウロがコリントに当てた手紙の中でキリストのからだのたとえをもってそのことが語られているので皆さんよく心得ていらっしゃることと思いますが、これに幾分似たような話を読んだことがあります。

 1993年の暮れ、ひとつの本と出会いました。西岡常一(にしおかつねかず)さんという方がお書きになった、口述の形で表された「木のいのち、木のこころ」という本であります。西岡さんは法隆寺の宮大工の棟梁でありました。残念ながらもうお亡くなりになりましたけれども、この分野では初めてのことだったかもしれません、文化功労者として表彰された方であります。

 西岡家は代々法隆寺の宮大工の棟梁を務めてきた家系なので、家にはいろいろな家訓が残されているそうです。そのひとつに「堂塔建立の用材は木を買わずに山を買え」というのがあります。堂を建てるにあたって必要な用材は一本一本買うのではなく山を丸ごと買いなさい。非常に大雑把な言い方をしますと、ここに一山があります。南斜面、北斜面にそれぞれ生えている木はまるっきり違うそうです。陽のよくあたる南斜面の木は幹が太く、北斜面の陽当たりの悪いところに生育した木は幹が細い。しかし、切り出してみると南斜面の太い幹の木は中が柔らかく、厳しい環境に育った北斜面の木の幹は細いけれども中はずっしりと詰まっていて硬いのだそうです。 木はそれぞれ生育環境の違いで異なった性質を持っています。その山で切り出された木を棟梁は一本一本この木はどこに使おうか、お堂や塔のどの部分に使えるかを見極め、識別するのだそうです。これと関係して「木は生育の方位のままに使え」という家訓もあるそうです。癖のある木、性質の異なる木、その癖を見極めて一番よい個所に使うと建物が長持ちし、丈夫になるということだそうです。

 この本の中で西岡さんがひとつ嘆いていることがあります。最近建物を建てるとき、新建材が主に使われますが、日本では近代的な家でもどこかに木が使われています。しかし、もう無垢の木を使うことがなくなり、すべて合板が使われるということなのです。能率・効率を考えるなら合板の方がよいに決まっています。癖がなくなるわけですから使いやすいというわけでしょう。しかし能率・効率を第一に考える社会にあって、その木の本来持っている良さを生かすことが失われてしまっている。そういう嘆きが語られています。

山から切り出したままの用材をそのまま使えば樹齢1千年の木は1千年以上生き延びるそうですが、いったん合板にするとそこそこ何十年しかもたないそうです。せっかくの木のいのちを殺してしまっている。そういうことを嘆いておられました。

 棟梁は一つ一つその木の癖を見極め、上手に使うことによって建物を長持ちさせることを考える。そこからまた別の家訓もあります。「堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め」というのだそうです。棟梁の一番大切な務めがこの言葉に表されているそうです。

樹齢1千年の木云々と申しましたが、木には二つのいのちがある。 切倒されるまでのその樹齢としての年齢と、切倒されてからの用材として使われた後の耐久年齢です。風雪に耐えた樹齢1千年の大木は、切倒されてもな塔やお堂を支えて1千年、それ以上生きるといわれているそうです。確かに世界最古の木造建築、法隆寺も21世紀を迎えたこの時代にあってもきちんとその姿をとどめています。 一度切倒された木は形を変えて息を吹き返し、年とともに深みを増し生きはじめます。西岡さんはその木のいのちを生かしていかなければと訴えています。

 棟梁は木の癖を読み職人達の心をひとつに織り合わせ、祈りにも似た心意気で木を組んでお堂、そして塔を建てていく。「木の癖組は工人たちの心組み」という言葉も残されているそうです。「木のいのち、木のこころ」という本に出会ったとき、あっ、これはまさしくイエズス様のことを語っているのかな、イエズス様が設立なさったこの教会のことを語っているのかなとも思いました。イエズス様はヨゼフの子としてお育ちになりました。ヨゼフは言い伝えによると大工でした。大工の息子であったイエズス様は、復活し、私たちの内にあって今も神の国の建設に棟梁として働いておられます。

 私達はこの西岡さんの言葉を借りれば一つ一つの用材としての木かもしれません。皆それぞれ癖もあり、性質も異なっています。しかし棟梁であるイエズス様は、私達が持っている癖や性質を上手にお使いになりながら、神の国を建てようとなさっているのかもしれません。そうしたとき何一つとして不必要な木はありません。棟梁が必要だからこそお選びになった、そしてお使いになろうとなさっていることであります。木のいのちに二つあるという意味において私達も同じであります。両親からいただいたいのちと、同時に洗礼を通していただいた新たないのちをも生きています。イエズス様はそのいのちを神の国の建設のために、救いの成就のためにお使いになろうとなさっているのだと思います。

 多分新しい洗礼を受けた方、新しく教会という共同体に入った方々は、ひょっとしたらなんと癖のある方が多いところかなと思われるかもしれません。実は私の母は私が神学校に入ってから洗礼を受けました。私がたまたま帰宅したとき言っていました。「忌憚のないところを言わしていただければ、教会って変な人が多いね。」それは本当に率直な感想だったかもしれません。「でも教会はイエズス様がおっしゃっているとおり、正しい人ではなくて罪人を、健康な人ではなくて病気の人を呼んでくださっている。そう言った意味で呼ばれた人たちが集まる場、それが教会というところだ。そしてそうした人たちを通してイエズス様は救いを成就なさろうとしている。 それが私達に問われている信仰というものかもしれない。」と母に言いました。母はどのように受け止めてくれたかわかりません。でも今でも教会に毎日曜日通っているところを見ると、そのように受け止めてくれたのかなとも思っています。

 今日堅信の秘蹟をもって新たに聖霊の賜物を受ける方々はそれぞれその性格も違うでしょう。癖もあるでしょう。欠点もあるでしょう。至らないところもあるでしょう。でもしかし、イエズス様はその一人一人を本当に必要なものとして呼んでくださった、そして必要なものとしてお使いになろうとなさっている、そこにお互いの信頼を寄せたいと思います。そうしたイズスス様と同じような眼差しをもってお互いを見つめあい、助け合いながらこのイエズス様の神の国のために協働していきたいと思います。

2002年4月7日 (文責 K1 井上)



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堅信をうけて

ベトナム共同体 グエン キム

 4月7日の堅信式で、藤沢教会の皆様のおかげで、ベトナム共同体から9人の方が堅信を受けることができました。
 これも藤沢教会のみなさまの力があったからこそだと思います。 本当にありがとうございました。そして堅信をお受けになった皆様ほんとうにおめでとうございます。


マリア・トミドコロ

 4月9日、梅村司教様をお迎えして、堅信式と国際ミサが捧げられました。
 国籍、言葉、人権をこえて多くの兄弟姉妹と共に神様を賛美できたのは素晴らしいことでした。またミサの後、司教様と懇談する機会が設けられ、種々の問題、希望などをお話できました。おかげさまで、14日のスペイン語のミサより、カヴァリエレ神父様がおいでくださることになりました事に感謝です。


藤沢1区 木村

 私は54歳の主婦です。子供の頃から気苦労の多い家庭に育ちました。そんな生活がいやで早く結婚をして、自分なりに描いている家庭生活がしたいと思うようになりました。19歳の時に出会った主人と21歳の時に結婚しました。結婚してからも苦労の連続で心身共に、いつも疲れているような状態でした。いつも虚しさを感じ、何かを求めて来たような気がします。私はいつも前向きに生きてもきましたし、友人たちに支えられてきたのも事実です。

 27年前に私は藤沢に引っ越してきました。そこで知り合いになった友人にキリスト教入門講座を紹介され、5年前にキリスト教入門講座を受講しましたが、仕事の都合で続けられず、中退ということになってしまいました。そして2年前に再び入門講座を受講しました。

 講座に通い始めてから私の心は氷が解けるように解けてゆき、日常生活が充実し、孤独を感じていたものが、いつも私と共にいてくださるイエス様を感じ、イエス様が大好きになりました。恋する乙女のような気持ちになっていくようでした。「私は私らしく生きていけばいい」ということもわかり、気持ちが軽く、明るくなっていく様子が自覚できました。

 最初の頃は洗礼を受けることは考えておりませんでしたが、だんだんと勉強していくうちに洗礼を受けたいと強くおもうようになりました。

 おかげさまで、3月30日の復活徹夜祭に受洗しました。また、受洗して8日目の4月7日に堅信の秘跡をいただくことができました。堅信式の当日は、目覚めた時から喜びと緊張で胸がドキドキしました。堅信式が始まるころは、少し疲れていたような気がします。 喜びの中で堅信式も終り、とても感謝しております。

 今では、本当に生まれてきてよかったと思えるようになりましたし、自分が好きになりました。両肩の荷物も軽くなり、毎日が喜びと感謝の生活に変化しています。生まれ変れた喜びと聖霊の力をいただいて身の引き締る思いでいっぱいです。

 私も教会共同体の一員として、皆様と共に、一つ一つ教えていただきながら、奉仕活動等にお役に立ちたいと思っております。

やっと、イエス様のお手伝いができるようになりました。



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洗礼式に臨んで、26の“回心”
鵠沼1区 鈴木

 いつもの年なら、桜が漸くほころび始める頃なのに、今年は2週間も早く満開となった。

教会前庭の桜も、すでに葉桜が快よい春の夜風に揺れていた。

 復活祭までの聖週間「主の受難」の苦しみには比ぶべくもないが、わたしは抗ガン剤の強烈な副作用にもだえていた。 いままで経験したことのない食欲減退、味覚異常、一日中つづく吐き気、体中の発疹かゆみ、鼻血・・。まさに、のたうつ辛さの連日。 体重が5キロも減った。このままでは、3月30日の洗礼式に、とても参加できないだろうとさえ思えた。

 それが、復活徹夜祭の前日になって、何とすべての苦痛が、嘘のように消え失せたのである。この事実を、どう説明すればいいのだろうか。

 昨年7月、受講していた『キリスト教入門講座』の大泉教室で、夏休みに聖書のマルコ福音書を読み印象を書け、という宿題が出された。その原稿の追記に「これを書いた翌7月11日に、担当医から、胃上部中央の早期ガンと告知される」と書いた記憶がある。そして8月7日に手術、胃を2分の1とる。半年後に今度は大腸ガンが見付かり、抗ガン剤治療。というのが、ことの経緯なのだが。

 こう書くと、わたしの回心への契機は、恰もガンを病んだことのようだが、実はそうではない。それは30数年も昔に溯ることになる。

 当時、片瀬教会の司祭だったグリフィン神父や、コロンバン会のカテキスタ吉田礼子さんとの出会い。さらにその頃、聖心愛子会で今、聖心の布教姉妹会のシスター聖園イグナチア、石本知子さん、ハンラティ神父。それから時を経て、現在、沖永良部の離島にいるシスター我妻志づ枝さんなどと、数えきれない多くの方々から戴いた祈りと祝福の励ましが、わたしの回心に至る、大きな力となっているのだ。

 かてて加えて、1年半に及ぶ『キリスト教入門講座』の大泉仁さんから受けた多くの説話も、そのいざないになっている。

 2002年(平成14年)3月30日、復活徹夜祭で、藤沢カトリック教会に23名の受洗者が誕生し、プロテスタントから3名の人たちが移ってきた。わたしも、この時、洗礼を授かったうちの一人である。妻の洗礼に遅れること8年になろうか。

 併せて、26人のこの新しい信者には、いうまでもなく、それぞれ回心の軌跡があったはずである。なろうことなら、一人一人にそのことをじっくり聴いてみたい。新しく、信仰の道を辿り始めたこの26人は、藤沢カトリック教会という、共同体へ参加することになる。

 藤沢カトリック教会には、およそ3千名の先輩信者がいるとか。 この共同体の老若男女の仲間は、どんなに素晴しい人々なのだろうか。きっと、優しい信者、近寄りがたい信者、あたたかい信者、厳しい信者、親切な信者と、いろいろいるに違いない。折々に、それらの人たちとの出会いを、語らいを、楽しみとすることにしたい。

追記:この原稿を書いた2日後の4月5日から、抗ガン剤TC443(25ミリ錠)の服用が、また始まった。28日間、朝夕2回、2カプセル飲みつづけるのだ。その副作用の苦痛の中から、神を見付けるには、どうすればいいのだろう。



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皆様のおかげで
善行 小林

 洗礼志願式の日、「まだ洗礼受けられてなかったんですか?」・いったい何人の人に言われたことでしょう。「あなた達はミサにも慣れていて、ちっとも初々しくないわ」・・そんなに大きな顔をしていましたか?

 私達がこの教会にはじめて来たのは大聖年ジュビリー・ソングが歌われていました。はじめの数ヵ月は二人でただミサにでるだけでしたが、おもいきって第2聖歌隊に参加し、少しずつ皆様の仲間に入れていただいたような気がします。それからは神父様方をはじめ本当に多くの方々に励まされながらキリスト教講座の仲間と共に、やっと、やっと洗礼、堅信を受けることができました。

 この感激を忘れずに「星の王子様」のように目には見えない大切なものを心で感じ、共同体の一員として少しでもお役に立てたらと思っています。

 今はまだ、聖体拝領の時、習慣で「祝福を・」と頭を下げないようにとても緊張して並んでいる二人です。   神に感謝



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初聖体を迎えて
日曜学校リーダー 小泉

 子供たちの待ちに待った初聖体拝領が、4月21日9時30分ミサ中に、共同体の皆様から祝福されつつ行われました。初聖体クラスではこれに先立ち、3月10日にティム神父様のご指導で「子供と家族の共同回心式・黙想会」と「初ゆるしの秘跡」を行いました。 子供たちは初聖体を迎える準備を家族と共にしてきました。初聖体ミサで、大好きな家族に囲まれて一緒にいただいたイエス様のお体は、子供の心に力強い大きな喜びを残したことでしょう。おメダイと証書授与の際、子供たち一人一人の輝いた顔は、その喜びを物語っているようでした。

初聖体のかんそう

3年 脇本

 今日、はつ聖体がありました。今まで、いただきたくてしょうがなかった。イエスさまのお体を毎週いただけるのが、うれしいです。
 食べてみた時の、あじは、「とろーりおもちにしおをかけたあじ」でした。本当にそうしたことはないけれど、「そんなかんじだなー」と思っただけです。

鵠沼2区 脇本

 小さい頃からいただくのが夢だったご聖体をいただく日がとうとうやって来ました。この1年間心の準備をしてくださった神父様、リーダーの皆様ありがとうございました。特に共同回心式では、子どもの心の成長を感じることが出来て、思い出深いひと時となりました。
 これからもイエズス様の限りない愛を感じて“ありがとう”の気持ちを分かち合える子供に成長して欲しいとおもいます。

3年 松井

 とても楽しかったです。おめだいと初聖体証明書をいただく時、むねがどっきん、どっきんと音をたてました。これからも、神さまといっしょに、人生を歩んで行こうと思います。イエスさまのお体は、あまり味がしなかったです。

鵠沼2区 松井

 4月21日は、初聖体でした。幼児洗礼を授かったときから多くの方々に、温かく見守られ、健やかに成長し、この日を迎えられたことを深く感謝いたします。
 初聖体を受ける子供達の衣装は、今まで何度か遠くから見てきましたが、実際にわが子が着るのを見て、改めて心から嬉しく思いました。ごミサでは、子供と共に私共もたくさんのお恵みを頂くことができました。
 お世話になりました神父様、リーダーの方々に心から感謝いたします。

3年 大原

 わたしは、初せい体のごミサがはじまる少し前はドキドキしていたのに、ごミサがはじまり、いよいよという時になると、きんちょうがなくなり、きんちょうというよりも、楽しみになってきたのでふしぎでした。
 ごせい体を手にのせると、ひょう面がつるつるで、少し光っていました。口の中に入れ、少しまってから、口の中のごせい体をしたでおさえていると、ごせい体がジワーっと、とけてくるようなかんじがしました。
 この、ごせい体が毎週いただけると思うと、とてもうれしいです。

長 後 大原

 恵みの雨が降りしきる中、待ちに待った初聖体の日を迎えました。小さい頃、私がいただくご聖体を、「ちょっとだけさわらせて」「どんな味?」と、いつも色々と思い描いていたことでしょう。そのご聖体を今日初めていただいて、どんなことを感じたのでしょうか。
 最初で最後、人生で一回きりの初聖体。自分の内に初めて迎え入れた主の体。その時の思いをいつまでも忘れずに、神様と共に、増々力強く歩んで行ってほしいと願います。
 子供の初聖体によって、私自身の初聖体のときの感動を思い起こし、また新たに歩み出す良い機会となりましたことを、神様に感謝いたします。

3年 岩佐

 わたしは男の子はいいなあと思いました。だって男の子はかぶるだけだけど、女の子はレースがあるから、きがえがたいへん。
 ごせいたいはやわらかいクラッカーのようなあじだった。

鵠沼1区 岩佐

 娘に、初告解って何?と尋ねてみたら、「あのね、しん父様がかみさまのかわりで、悪いことをしちゃったことをあやまって、おんなじことをくり返さないように人生をすごすんだよ」との返事。うーん、そうかぁ。人生を過ごすときたか。よく解ってるねぇ。きっと皆でたくさん勉強してきたんだね。当日、リーダーや神父様の説明を聞いたり、ドキドキしながら告解の順番を待ったり、終えてからマリア様にお祈りしている子供達はみんな真剣そのもの。ひつじを塗ったり、十字架に切手をはったり、作業もがんばりました。
特に告解を終えて部屋から出てくる子供の、やり遂げた喜びの笑顔は印象的でした。
 リーダーに、子供には聞いてはいけないと言われていたのに思わず聞いてしまったこの質問。それで何を神父様とお話したの?「あのね、なにをお話したかは、ひ・み・つ!」
 リーダーの皆さんと神父様に感謝。



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教会委員会報告

3月委員会(3月16日)

 本日の委員会には典礼部長、宣教部長、教育部長(代理)、次期副委員長内定者、次期地区委員内定者もオブザーブ参加をした。

1.静思のひととき

心身をリラックスさせるエクササイズの後、詩編(130・1+2、5+6、7a+8)について、しばし黙想した。

2.信徒総会への検討事項

信徒総会(4月14日)で用いる「2002年信徒総会資料」の素案が提案された。各項目について検討し、一部修正の上承認された。

3.来期計画について追加討議

ガーデンパーティーについて、片瀬教会との共催案なども含めて、どのように開催するかは4月の地区委員会で検討することにした。

4.シャワールーム設置検討グループの具体的推進状況

シャワールームのための寄付は3月16日現在で156件、838,500円である。早速、工事を開始し、シャワールームの発注、司祭館裏の設置場所作りを行った。18日(月)から基礎工事が始まり、3月中に完成する予定である。(4月4日完成済み)
今後も、運営経費が必要なので引き続き寄付をお願いすることにして、袋はそのまま聖堂に置いておくことにした。

5.聖堂配置について、今後どうするか

昨年のバザー以来続けている聖堂内配置を囲む形にする試行期間が4月14日の信徒総会で終了するので、終了後の配置について検討した。
まず、典礼部長から前回の典礼フォーラムの結果をまとめた資料(八角形にゅーす・復活祭特集号に掲載)が配布され、報告があった。資料を読みながら、各ブロック、各活動部、壮年部の意見を賛成意見、反対意見を含めて述べてもらった。
全体としては囲む形に賛成の意見が多いが、反対の意見も根強く、反対の理由とその対応を中心に長時間にわたり議論を重ねた。夏が過ぎるまで半年くらい試行期間を延長するという意見もあったが、それはただ結論を先送りするのに過ぎないので、2回フォーラムを開いて皆の意見も聞いたので、ここで結論を出すべきであるということになった。
結論としては、囲む形は共同体として皆の参加する典礼となること、また、この形に賛成する意見や、この形に慣れてきたという意見も多いことから、今後はこの聖堂配置をもとにして行くことにした。旅する教会として、更に多くの方々の改善提案や懸念等の意見を聞きながら改良し、より良い方向を目指して進めて行くということである。
この件は皆の関心が高いので、決定事項を取りあえず3月17日(日)のミサの時に口頭で説明し、詳細は別途、文書で報告することにした。

6.各活動部より

財務部  前回もお話しましたように、ペイオフ解禁対策として藤沢教会から横浜教区に運用預け金として拠出する資金は全資金から教会運転資金と教区に対する分担金を除いた金額を予定している。

7.行事確認

4月7日の堅信式のお茶とお菓子は当番ブロックにお願いする。また、堅信式の後で司教様と外国コミュニティー代表との懇談を予定している。

8.その他

4月委員会(4月13日)

教会委員会が信徒総会の前日、13日(土)16:30から約1時間開催された。内容は総会運営・引継事項・連絡事項等であったので、必要事項を簡単に報告させていただく。終了後新旧役員の慰労と激励の懇談が行われた。

(1) 総会の運営に関して

司会・報告者等の確認および手順・時間配分等について打合せ
一部委員から「教会の会計監査」についての質問があった。回答下記のとおり。
  1. 教会の年間決算を教区に提出、教区では各小教区の内容をチェックし、宗教法人横浜司教区としてまとめて会計監査を受けている
  2. 当教会では財務でまとめたものを教区提出前に主任司祭と委員長に提出、サインをいただいている
  3. 教会フォーラムでも検討事項となっているが、現状でいいかどうかは財務としても問題意識を持っている

(2) 引継事項

1) 「教会のメンテナンス計画作成」プロジェクトの発足をすること
中期的な教会の保守・補修計画の立案(配線更新、聖堂の照明などを含む)専門知識を要すことでもあり、人選に苦慮しているところ。
2) 教会委員会規約の見直しをすること
教会委員会規約にある婦人部長の取扱い・地区委員会という名称など現状運営に見合う方向付けが望まれる。
3) 小教区の枠を超えて他の小教区と共同で行える可能性について検討すること
たとえば
@4/28のスポーツ大会
A8/11第5地区の責任で行う平和旬間の行事
Bガーデンパーティ など

(3) その他

1. 司教書簡の具体的取組みについて
一昨年クリスマスに出された梅村司教書簡「交わりとしての教会をめざして」は「諸教会の交わり」「聖職位階にある人々の交わり」「全ての信者の交わり」を呼びかけている。500部ほど配布したものの内容が抽象的でもあり、当教会ではあまり学習していない。その具体化のために委員会として話合い(研究会ではなく対話的アプローチ)をはじめてはどうだろうか。
2. 今後の教会委員会について
1) 地区委員会
これまではリーダー養成講座の関係で毎月第3土曜日16:30から開催していたが、5月からは15:00開催とする。次回は5月18日(土)15:00〜
2) 運営委員会
従来どおり地区委員会開催前の木曜日19:30〜
教会活動を円滑にするため新委員の活動部担当を決めた。ブロック長集会にも交代で参加したい。
3) 「元売店」について
その活用について委員会の議題として考えていきたい。
3. キリスト教連絡会メンバー
河野さん(継続)、浅野ご夫妻、梅沢ご夫妻の5名
4. 雪ノ下教会叙階式
5月6日(月) 13:00〜  レデンプトール会三輪ブラザーが司祭に
5. 横須賀大津教会創立50周年記念式典
5月12日(日)13:30〜 委員長代理で松田さん列席予定
6. 教区平和旬間行事
8月11日(日) 午前:ごミサ 午後:「ガラスのうさぎ」(朗読と歌)
カトリックだけではなく他宗派にも呼びかける。お手伝いが多数必要なのでご協力を請う。
7. シャワールーム
先週完成、一人でも多くの方が利用されることを願っている。運営・管理担当を募集中。



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祈りのうちに〔新委員長挨拶〕

 そこはよく手入れされた木々が葉を茂らせ、可愛い花々が咲き、庭は美しく掃除されています。たくさんのゴミは数種にきちんと分別され、運び出されるのを待っています。センターのお部屋ではさまざまな集いが開かれ、歌声も聞こえてきます。日曜日にはいっそう多くの人が共に祈りを捧げます。通りがかりの人が、ふと、その歩みを教会に向けます。心地よいお聖堂で、静かな、おだやかなひとときを過ごして、その人は帰っていきます。明日、また、必ず来よう、と心に決めて。

 私達は2002年度の教会委員会委員長・副委員長として主任司祭のテハン神父さまより任命されました。どうぞよろしくお願いいたします。

 昨年秋に各ブロックからの推薦、という新しい形、またピラミッド形の組織ではなく、チームという和と輪のイメージでやってみてはどうですか、との主任司祭のお言葉に新鮮さと温かさを感じ、自分の非力さをも顧みずお引受けすることになりました。スタートを迎えた今は、弱いところ、足りないところにこそ神さまはいっそう力を送ってくださる、と確信しております。

 委員会は「ともに、明るく、楽しく、祈りつつ」をモットーに、どのようにブロック、活動部また各グループそれぞれの自主的な活動をサポートしていけるのか、また、私達信徒一人一人の教会とのかかわり、地区でのかかわりを深めていくためにどのようなお手伝いができるのか、を一方通行ではない、相互のコミュニケーションを図りながら考えていきたいと思います。

 フォーラムや、小さな場での分かち合いを大切にして、ひとつひとつの問題をていねいにとらえ、よく話しあい、聴きあい、お互いの考えを尊重しあいながら共同体の意識を深めていけるように願っております。「小教区の枠をこえて」をキーワードに、他の教会との交わりにつきましても、すでに築かれている関係を土台に、さらに少しずつでも具体的な取り組みをしていきたいと思います。また、私達信徒のことだけではなく、この教会を一度尋ねてみようと思っている方、ちょっと入ってみたい、と思っている方々のことも皆で考えていきたいと思います。

 教会が社会のなかで誰もが自然に自由にかかわれる場所となりますように。新しい船出のときを迎えた私達の教会が、聖霊の導きによって、正しい方向に進んでいくことができますよう、お一人お一人のお祈りとご協力を心からお願いいたします。

祈りのうちに。



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壮年の集い報告

去る3月17日(日)に本年度最後の壮年の集いがセンターホールで開催され、30名の壮年の方々(お二人は奥様と共に)が参加されました。冒頭にテハン神父よりご挨拶があり、その中で今回検討をしている聖堂内の配置について、前日の教会委員会で、「今後は、現在試行中の配置をもとにして更に検討していくこと」が決定されたことについてお話がありました。

テハン神父のお話要旨:「この典礼配置の問題は、賛成の方、反対の方がおられ、簡単な問題ではない。又、賛成、反対の意見の裏にあるその方々の心を理解する事が大切で、対話的に進めていきたいと考えていたが、今までのプロセスの中で、足りないところもあったことはお詫び致します。共同体全体のためには典礼を中心に考えていく必要があり、今、私たちの共同体で典礼を現代的にどう活かすかが大切だと考えている。第2バチカン公会議以降、初代教会の精神に基づいた典礼と教会建物についての試みが繰り返されている。イグナチオ教会などもその一つの例である。私たちもこの藤沢教会の建物を活かした典礼をこれからも考えて行く必要があり、今回の結論だけでもう終わりということではない。これからも皆さんの意見を聞きながらよりよい典礼を目指して行きたい。個人でも、意見のある方、話をしたい方がおられれば是非直接会ってお話をして行きたいと考えている。どうぞ協力を御願いします」

 テハン神父のご挨拶に引き続き、「壮年の集い」のプログラムに入りました。今回は2年間の壮年部長任期の満了時期にあたり、現部長(K1窪田)からの活動報告および、去る1月の壮年の集い(新年会)で承認された来年度からの新部長(T1浮田氏)による「今後の壮年部に期待するもの」を中心に、話し合いが進められました。また、この1年に受洗、転入などにより新たに壮年の集いに参加された方々、また久々に参加された方5名よりお話を頂きました。

今回は紙面の都合もあり、新部長の今後に向けての抱負および参加された皆様からの壮年部に対するご意見などを中心に紹介します。


浮田氏コメント要旨:壮年部の役割は何か。これについて書かれたものはないが、教会に来る人々の居場所を作ることであるという話を聞いてなるほどと思った。自分も転勤から戻り、再び藤沢教会に来たところで壮年部からお誘いがあり、教会に於ける素晴らしい居場所を作っていただき感謝している。これからの抱負は、本当に温かい、居心地の良い壮年部を作っていきたいという一点に尽きると思う。温かいということは熱が必要であり、その熱をどのようにおこしていくのか、またどういう方にお届けするのか、さらに教会の外の人達にもこの壮年部の熱を伝える事が出来たなら本当に素晴らしいと思う。また、これからは婦人の方々との共生も真剣に考えていかなくてはならないと思う。この温かい壮年部を作っていくために皆様のご協力を御願いしたい。(短い文章にまとめ、固くなってしまいましたが、ご本人はユーモアたっぷりにお話されました)

これからの壮年部に対する皆様からのコメント:


壮年の集いは、F1篠澤氏の司会により和やかな雰囲気の中で多くの皆様のお話を頂き、今後に向けての新たな息吹を感じながら閉会致しました。

(K1 窪田)



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カンボジア国トンレサップ湖水上教会の訪問 (その1)
鵠沼2区 石黒

主の平安

 昨年度バザーの収益金を藤沢教会信徒一同より「カンボジア福祉基金藤沢」に寄贈致しましたが、その目的地『水上教会』を訪問することが出来ました。内戦の傷痕を癒すべく復興に励むカンボジア国。日本と同じく長い歴史と文化を持つ王国。そして現在は我国の終戦後を思わせる世界最貧国。過去にフランスの植民地支配を背負うカトリック教会の再生努力。日本信徒宣教者会スタディツアーはこの複雑な背景を、現地で活躍される方々と交流することでよく理解させて頂きました。

 御受難の月曜日から御復活の水曜日に掛けての10日間をJLMMの山口神父、漆原氏が引率、参加者にシスターがお二人、教員お二人、私と更に現地スタッフ2名が同行下さいました。受難の国への聖週間/御復活祭に赴くことは正に「復活」 を象徴するスタディツアーであったと思います。

 私の目的地であるトンレサップ湖・コンポンルアン沖の水上村へはプノンペン市から無舗装の凸凹道を4時間の移動でした。車からの風景は我国終戦後の田舎を見る想いでした。地雷の警告看板さえなければも少しのどかでしょうに。気になったのは栄養失調気味の子供達を各地で見かけることでした。成長期なのに心配です。トンレサップ湖は100km×20kmの大湖、雨季には水を溜め込み乾季の約3倍になるそうです。昨秋の写真で水中に建つ学校や診療所が丘の上、水位が7〜8m下がっていました。運河の岸から川舟で水上村教会へ向かいます。対岸は水平線しか見えず海に漕ぎ出す気分でした。 やがて超貧しい家々(舟)が現れ、その中に十字架を高く掲げた水上村教会の建物(舟)が見えて来ました。教会の近くには屋根に十字架を掲げた家(舟形、筏形)が多数見られ、翌朝に何軒かを訪問することが出来ました。戦乱中に教会は全部破壊され司祭は全て殺されたそうですが、最近は教会が復活したことを耳にし、何週間も掛けて教会の近くへ移動(舟形ですから)して来る家族が増えたそうで日本の切支丹発見を想い出します。教会に着くと神父様・教会委員長を始め大勢の笑顔に迎えられ皆さんからのメッセージをお届けすることが出来ました。

 ソファール神父様は48歳、初めての現地出身の神父様です。 現在バタンバン市で主任神父、5箇所の教会を巡回されます。水上教会では巡回の都合で一日早く御受難の聖木曜日の典礼が行われました。ここ水上村は8割がベトナム人、2割がカンボジア人です。 この国では歴史的背景から両者の折り合いが悪いのですが、カトリック教会は積極的に両者の融和に努力され、市民権を持つ農民に対し水上に住む漁民同士の意識で良い方向にあるとのことです。この教会でもベトナムの子供達にカンボジア人先生による国語の「読み書き教室」が行われていました。住む国の文字を知ることで文化・ 歴史を知り民族の融和に繋がる、と教えられました。

 強い日差しの下ですが水上の聖堂は涼しく静寂です。祈りに立ち寄られる方も多く、そのお顔は平和そのものでした。日没までの時間、水上村を一巡出来ました。信者宅(舟)には手作りですが部屋の正面に素敵な祭壇が掲げられて居り、お互い天の国を目指す者として感動致しました。夕食後、お隣の家(舟)に席を移し皆さんと懇談しました。教会の話、仕事の話、しかし漁獲水揚げ後は陸上のカンボジア人が販売権を持ち実入りは少ないとか。社会保障制度は未だ有りませんので働き手が怪我とか病気になると極貧を強いられる模様です。でも兎に角明るい人々、頑張って欲しいと思いました。満月の下、聖堂内で私には懐かしい蚊帳を吊っての就寝、実りある一日を神に感謝致しました。(次号に続く)



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チャリティーコンサートを終えて
グラシアス・アミーゴ 岩沢

 4月20日(土)、教会の聖堂をお借りしてグラシアス・アミーゴのチャリティーコンサートを開かせていだだきました。「アモール エ パス(愛と平和)」のタイトルにふさわしく、おだやかな天気に恵まれ、快くボランティアでご出演下さった演奏者の方々を始め、ご来場の方々、教会関係者の方々、そして、たくさんの協力者の方々の愛に包まれたコンサートになりました。

 演奏は、サンバ・ボサノヴァ音楽の専門家、加々美淳氏とヴォーカルの末広サラ(シューシャ改め)さんに、ヴァイオリンの佐藤桃子さん、ピアノの今井亮太郎君、ウッドベースの谷口尚弘君の若手3人が加わり、ボサノヴァの名曲とオリジナル曲。フィルムケースに米粒を入れたミニマラカスが配られて「皆で演奏」の1曲もあり、加々美氏のアドリブが楽しい「ブラジル」で前半を終え、ティータイム。「世界の希望」の方々が用意下さったペルーのアニス茶と、藤沢公民館サークルフレンドの方々が昨年に続いて手作り下さったおいしいクッキーが好評をいただきました。

 後半では、リクエストされた曲に因み、誕生日の近い観客が中央に招かれて一人ずつ祝福されるという、楽しいハプニングもありました。熱演に時の経つのも忘れ、「翼をください」の熱唱で幕を閉じたのは、予定をかなり過ぎていました。

 毎年、聖堂を使わせていただいて開くチャリティーコンサートが、グラシアス・アミーゴの活動の源となってきました。今年もお蔭さまで、380人の方がチケットを買って下さいました。活動へのご協力や里親のお申し出も数件いただきました。

 会場の後準備と片付けなど、教会の多数の方々にご協力をいただきました。また、「救急の会」でリディアさんがお世話をしたペルー人のマリオ氏も、川崎からかけつけて、朝から夕方まで精力的に働き、聖堂入口のガラスなど上の方までピカピカになりました。

 朝からリハーサルにみえた演奏者の方々のお昼は、リディアさんの心づくしのペルー料理でしたが、やはり「救急の会」のペルー人イリスさんが黙々と手伝いました。

 本当にたくさんの方々の愛に包まれたコンサートでした。スタッフ一同心から感謝しております。今年度は41名の義務教育の子供と、15名の里親による17名の学生の学費を支援いたします。 ありがとうございました。



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5月の主な行事

10日(金)初金ミサ・例会

12日(日)主の昇天  鵠沼ブロック集会

19日(日)聖霊降臨  聖体奉仕者派遣式、日曜学校保護者会

26日(日)壮年部歓迎会、共助組合総会 



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