八 角 形 に ゅ ー す

2003年2月2日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

いつも感謝していなさい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ

教会委員会報告

紙上フォーラム・聖なる出来事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

鵠沼ブロック新年会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子

壮年部新年会に出て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 山室

成人式を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 安藤

成人式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 パブロ

成人式の感想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 桜井

藤沢ブロック黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 神谷

「カンボジア福祉基金藤沢」の皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・JLMMカンボジア 鎌田

キジト神父をお援けする会より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田

藤沢のいとこの皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キジト 神父

2月の主な行事

葬儀を考える会 Q&A

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いつも感謝していなさい
マーフィ

 2002年が終わり、クリスマスや新年の行事も終えた今、過ぎ去った年を顧み、私たちの受けた恵みについて考えてみたいと思います。もちろん、苦しみや悲しみのときもありました。でも、「神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。」(ローマ8・28)とあるように、神様はこのような出来事も恵みに変えられると約束して下さっています。

 私にとって2002年は司祭叙階50周年の年であり、喜びと恵みに満ちた年でした。それまで、金祝が特別なこととはわかっていましたが、そのお祝いは、まず私の同窓生と家族とでアイルランドで、それから藤沢教会の方々と質素にしようと考えていました。

 しかし、日本でのお祝いは私が考えていたよりずっと盛大なものとなりました。藤沢では素敵な忘れがたい感謝のミサが捧げられ、その後、とても楽しいティーパーティーがありました。この日、教会の皆様から美しい祭服の贈り物と、一人一人の方からの心のこもったメッセージカードを頂きました。後日、私が以前働いていた東京の豊島教会と千葉市の千葉寺教会に招かれ、お祝いをして頂きました。これらの全てが感動的な経験でした。一人一人の方が私に示して下さった愛と優しさに、感謝の気持ちで一杯になりました。今一度、藤沢教会の方たちにお礼を申し上げたいと思います。ここでのお祝いの思い出はずっと忘れないでしょう。

 このような特別な恵みに加え、去年一年間を通して私たちは皆、神様から常に助けと励ましを頂きました。でも私たちは日頃頂いている「小さな」お恵みを忘れてしまいがちです。

 ここに一つのたとえ話があります。ヨーロッパのある小さな国に、靴がないと言っていつも文句を言っている人がいました。彼はある日、足のない人に会いました。その日から彼は靴がないと不平を言わなくなりました。このようなことは私たちにとってありがちなことかもしれません。私たちは日頃、とてもたくさんのお恵みを頂いていますが感謝の気持ちを忘れています。それを失った時や、ない人を見た時に初めて、自分たちがどんなに恵まれていたかに気付くのです。

 時には私たちが頂いた恵みを数えてみるのもよいでしょう。例えば、私たちの両親、祖父母、子供、孫、先生、司祭、シスター、友人の存在は天の御父からの恵みです。

――天の御父、あなたに感謝いたします。

また、食べ物がたくさんあり清潔な水もある平和な国に住めることも恵みです。

――天の御父、あなたに感謝いたします。

そして私たちは小さな存在でありながらも、信仰の恵みを頂いています。

――天の御父、あなたに感謝いたします。

この信仰により、病気や死を迎えたとしても、それが終わりではないということを知っています。愛する御父が、ご自分の家に私たちの居場所を用意して下さっているのです。

 これらは私たちの受けている恵みのほんの一部です。私たちの頂いている他の恵みも見出すようにし、神様の善と私たちへの愛に感謝しましょう。

 ――御父よ、あなたが下さったこれらの贈り物と他の全てのお恵みに感謝します。特に信仰の恵みに感謝します。御父よ、この信仰を自分だけのものにするのではなく、他の人と分かち合う強さと勇気とをお与え下さい。



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教会委員会報告
(03.1.18)

<報告事項>

(1) 防災訓練等について

1月12日9:30ミサの後壮年部誘導による避難訓練が行われた。例年のことなので混乱なくスムースに進行。その後の消防署救急隊員による「応急手当のABC」にも20名ほどが参加された。前回委託された「大規模災害についての体制整備」は必要なことなのでこれから検討する。

(2) 2002年度決算について

昨年度の収支の概要が財務部から報告された。まだ未整理の部分もあるが、収支差引300万円程度。詳しくは信徒総会の資料に掲載する。

(3) 元売店改装について

今日午前中、外壁の汚れを落とす作業を行った。これからペンキを塗り始める。当初予定のとおり外壁から内装へ向かう。3月中には整備が終わり、4月から使用できる予定で動いている。壮年部中心で行っているが、土・日は出られないが平日は手伝いたいという人のために、松尾さん(六会)が世話人となってまとめられている。いわば壮年部の人材活用で、いつもと違った顔ぶれで行われている。

(4) 教会メンテナンス計画プロジェクトの進捗状況

基本的には、建物をできるだけ長く使っていくことで、メンテナンス計画を考えるている。お聖堂20年、センターホール30年以上もたすためにすることを中心に優先課題を決めていきたい。2月総会までにはマスタープランの骨格までは出せるのではないか。

(5) クリスマスのごミサ等について

テハン神父から「皆さまのお陰で大変盛大にできた。典礼部・宣教部などの協力、案内から子供劇・大人劇もよかった。子供・お年寄りにとっても暖かみのある対応ができた。」との評価を頂いた。

<討議事項>

(1) 信徒総会について

1月9日の運営委員会では、1年間の過去の歩みは「八角形にゅーす」でも報告されており、事前の資料配布もあることから簡単に済ませ、会計報告・委員会規約改正の報告にとどめる。今年の総会はテハン神父の意向も踏まえ、特にブロックのこんご向かうべき姿を中心に皆で考える場としたいということになった。ブロックを活動組織というよりも、一層暖かみのある共同体の場としていきたいという主旨を事前に連絡し、各委員から意見を頂いた。
  1. ブロック員それぞれが仕事を分担できるようになっている。

  2. 現状ではうまくいっているのでこれでよいのではないか。

  3. 行事とか当番に追われているのが現状。

  4. 信徒が多数で、誰かやってくれるだろうとの思いがある。

  5. 各自が教会への係りをもっと考えていくことが先決。

  6. 本当に困っている人との係りが難しい。

  7. 委員・連絡員としても家庭の中へはなかなか入り込めず悩んでいる。

  8. これまで福祉面でいろいろ試みたがうまくいかなかった。

  9. ブロックのなかで福祉・典礼等にもっとかかわりを持つ体制がほしい。

  10. ブロック間・地区間でも意識・やっていることにばらつきがある。

  11. ブロック制度も10年を経過し、原点に戻って考える時。

等の意見が出されたが、ブロック制度発足後の社会情勢・家庭状況も変わってきていることでもあり、ブロックをとおして何をチャレンジできるかについて各委員にそれぞれの思いをまとめていただき、総会の資料とすることとなった。できれば意見交換したい項目を事前に提示する。原稿締切りは1月29日、川辺事務局長に提出。資料は1月30日運営委員かで検討、2月2日頃までにまとめたい。

<その他>

(1) 典礼部

1. 教区典礼研修会
「お知らせ」にも掲載されているとおり、2月11日ごぜん10:00〜横浜教区典礼研修会が行われる。講師は南雲師・カンペンハウド師を予定。
2. 当教会典礼研修会
3月9日当教会の典礼研修会「何でも語ろう会」が開催する。

(2) 教育部長の交代

教育部長が風間さんから清水さんに交代した。

(3) ベイル神父の留守

ミャンマー黙想会に引続き、休暇で1月28日〜3月7日留守をする。

(4) あと始末について

お聖堂の脇部屋・ホールの各部屋を使ったあと電気・暖房・戸締りなどがそのままのことがある。資源の無駄遣い、経費の節約にもなるのであと始末に充分留意して欲しい。



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紙上フォーラム・聖なる出来事
善行 岡村

 「2000年前のではなく、2002年12月24日にここ藤沢に生まれるイエス・キリストを迎えよう」というテハン神父の提案に応える聖劇を、その日私たちは見ました。

 神は、私たちの住む囲いの外にいる人たちを通して私たちに語り、まだ知らない新しいいのちを私たちに与えます。

 私たちの思いや考えを超えるそれは聖なる出来事でした。(ミサの中でも、聖なるかな、聖なるかなと私たちが天使たちと共に唱える時、実は私たちの中に聖なる出来事が始まっているのではないでしょうか)

 人の休む宿屋にはマリアとヨセフの泊まる場所はなかった。また人々が休む夜も荒野に野宿して夜通し働く羊飼いたちに、新しいいのちが生まれたとの最初の知らせがあった。

 今の時代に置き換えるとそれは、どういうことになるのでしょうか。皆さんも考えてみてください。それは、今ここで私たちの中で語られる、いのちの言葉を聴くことになると思います。

 私たちのために神から遣わされた人。主なる神の名(はたらき)によって遣わされた者をほめたたえよう。私たちの中に立って見知らぬその人は、今ここで私たちの中に聖なる出来事が始まっていると身をもって私たちに示します。

 その方は聖霊によって私たちに洗礼を授ける、と洗者ヨハネの言う通りにです。

 しかし私たちは、2000年前も今もその思いや考えで、知っていることを求め、知っていること待ち望み、支えにしてきたもので充分であり満足し、それらをあえて囲いの外にいる人たちを通して、見直し問い直ししようとはしないものかも知れません。

 私たち一人ひとりの心の中に、放置してきた荒野即ち、囲いの外があるように思います。それが見える形で、聖堂の中央に何も無い空間としてあり、それを私たちが囲んでいるのだと思います。

 あるいはそれをガリラヤ湖と考えることも出来るかも知れません。

 主の歩まれる道を整えよ、とはまさにその荒野なのです。そこで始まっている主なる神のみわざに心を向けること、それが回心であり祈りであろうと考えます。

 そして、そのみわざに一つになることが、聖体になる即ち、神のはたらきに一つになることではないでしょうか。「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。」ヨハネ10: 3-4



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鵠沼ブロック新年会
鵠沼1区 八子

 1月25日の土曜日、夕方四時から鵠沼ブロックの新年会が行われました。古い方はもちろん新しい方、若い方を含め60名以上の方が集まり広いホールも一杯でした。4つのテーブルには丹精込めて作られた梅やバラの盆栽が置かれ新春の香りでいっぱいです。お料理は、男性達を中心に午前11時頃より準備して得意の腕を振るいました。お刺身、手打ちそば、ちゃんこ鍋が作られテーブルにはたくさんのご馳走が並べられました。

 清水ブロック委員より挨拶そして年間活動予定の報告、新しい地区連絡員の紹介があり、乾杯の音頭と続き会食が始まりました。初対面の方々も皆楽しそうに話しています。3人の神父様も途中から加わりユーモアあふれる挨拶をいただきました。

 新年会も盛り上がった頃、お待ちかねのコンサートが始まりました。上田夫妻、小藤とみ子さんらによる弦楽四重奏と独唱です。モーツアルトの歌と演奏が行われ、静かに聴き入った後、われんばかりの大拍手でした。楽しいひとときはあっという間に過ぎ名残り惜しい中、手締めの音頭となり今年の新年会も終わりとなりました。

 毎年恒例の新年会ですが、交わりとして大変意義のあることだと思いました。これからも鵠沼ブロックのみならず他のブロックの方々やそして藤沢教会の外にも向かって行く交流であって欲しいと願っています。



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壮年部新年会に出て
鵠沼1区 山室

 高校の後輩である高田氏の勧めで今年初めて壮年部の新年会に出てみることにしました。幼児洗礼を受けてから今年で58年もカトリック信者をしているはずなのに、その間、何回か教会から疎遠になっていたためなのか、今は親しくお話の出来る方の数が随分と少なくなったように思われました。

 片瀬教会から山の上の教会に移ってきた時私はまだ小学生で、侍者(ミサ答えと言った方が私には馴染みがあります)をやる以外はいたずらばかりで、神父様や大人たちを随分と悩ませたものでした。そんな私を、時には優しく時には厳しく叱って下さった方達はもうほとんどお見かけ出来ません。それもそのはず、今、私があの頃の大人の年齢になっているのですから。日曜日に教会に来てミサにあずかり、そして帰る。顔見知りの方に会えば会釈をするけれど特に話をすることもない。中にはお名前すら忘れてしまっている方も居られる。

 折角、何回目かの教会復帰なのに、教会との関わりがこんなに希薄でいいのだろうかと考えていた時なので、高田君の新年会への誘いは渡りに舟でした。教会のイベントに参加すれば何かが、私の疑問に答える何かがあるかも知れないと思ったからでした。

 1月11日午後5時にセンターホールに入った瞬間“アッ、ちょっと違ったかな? ”と思いました。お

顔もお名前も存じ上げない方々が一杯で、人見知りはあまりしない私がちょっとたじろぎました。でも、結局はいろいろな方と,色々なおはなしが出来て、三時間はアッと言う間に過ぎてしまいました。何人かの方のお名前も新しく憶えました。

 これからは積極的にイベントに参加して、もっともっと皆さんのことを知りたいと思いました。新年会の次はお花見かな? それとも納涼パーティかな?



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成人式を終えて
藤沢3区 安藤

 「自分が他者のために犠牲になる事で、自分の幸せを見出せるのが大人」

 この言葉を聞いたときハッとしました。イエス・キリストは私達の為に、犠牲になられ、私達の現在の幸せを導いて下さっています。何故、キリストを信じ、神の言葉に耳を向けようとしている私はこの事に気がつかなかったのか・・・自身の事に精一杯で、まわりが見えていなかった自分が恥かしくなりました。

 私は、教会での成人式の翌日、『成人の日』は静岡での演奏会に出演の為、「市」の成人には行く事が出来ませんでした。しかし、この日は、他者の犠牲の上に自分の幸せがある、という事を実感しました。演奏会で、脚光を浴びるのはいつも演奏家(出演者)のみですが、その裏には、多くの人々の善意と苦労が存在するのです。

 ミサの中での「音楽」は、大学で声楽を専攻している私にとって大きな道しるべです。聖書の言葉や、ミサの典礼文などから、多くのすばらしい宗教曲が作曲されてきました。それらの宗教曲は作曲家、それぞれが感じていた、神への感謝を「音」であらわした物であり、それを自身の声で表現する際には、精神的な気持ちの持ち方だけではなく、技術的な部分も問題にしなければなりません。そこで起きる全ての葛藤に、投げ出したくなるときもあります。しかし、自分自身が苦労をしても、そこから、一つの音楽、すなわち、祈りが生まれれば、その「音楽」は生きることになると思います。私のために犠牲になってくださった方々に、実際の行動だけでなく、歌を通して、幸せを届けられたら・・・と思っています。

 最後になりましたが、成人式の御祝いをしてくださった全ての方々にこの場をかりて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。

成人式
長後 パブロ

この間の成人式に参加しましたパブ ロという者です。 とは言ったものの実はバイトの為ミサに間に合わなかったんですよね。なんかその後の食事会の為に教会行った感じになってしまって最初は少し気まずかったですね。食事会では色々な方々と知り合えて本当に良かったです。それにしても新成人になったというのにどうしょうもないくらい子供っぽい文になってしまいました。やはり急には変われないものですね。でも社会的に見れば自分はもう大人なのでそうも甘えてられませんね。これからは今までの甘え、だらけきっていた自分に終止符を打ち、自立した責任感のある人間になり、夢の実現や目標の達成へ向けて頑張りたいです。

成人式の感想
大庭 桜井

僕は今横浜に住んでいて、最近は藤沢教会には行かなくなってしまったので、12日は久しぶりに教会に行きました。

もともとあまり教会に行くほうではなかったので、知っている人はほとんどいなかったのですが、ミサ後にはわざわざお祝いまでしてもらい、行くことにしてよかったと本当に思いました。

その時に話した人の中には、おなじ20歳でも将来やりたいな、と思うことを見つけている人もいて、うらやましく思ったり自分を情けなく思ったりしました。僕はまだそういうものを見つけられていないので、まああせらず1日1日を無駄にしないように過ごしていこうかな、なんてことを思ったりしました。



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藤沢ブロック黙想会に参加して
鵠沼1区 神谷

 ハンラティ神父さまご指導による黙想会に何年ぶりかで参加させていただきました。

 午前中はお話と御ミサでした。ルカの福音書から3個所選ばれたみことばをゆたかにいただいた後、感謝の祭儀へと移っていきました。御聖体とカリスとを順に回しあううちに個人的な思いがいつの間にか薄れて、私は、深いところで皆一つになっていることを実感し、やがてそれは穏やかに喜びとなって体全体を満たしました。

 午後は「ゆるしの秘跡」のお話でした。私たち一人ひとりの内には「恵みの神」によって播かれたタネがあり、そのタネを恐れずに成長させて欲しいと、神が私たちに願っておられること、また、自分の霊的旅路の目的地はどこなのかをしっかりと見極めて、日々希望を持って歩んで欲しいということを、神父さまは力強く語られました。

 私は、神からいただいている「選びの自由」を感謝すると同時に、その重みをも感じながら「一日の終わりに、自分がどのように良く変わったかを見るように」という宿題を胸に家路につきました。

神に感謝



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「カンボジア福祉基金藤沢」の皆様へ
JLMMカンボジア 鎌田

 はじめに―

チョムリアップスー!!そしてスーサダイ・ボンノエル(クリスマスおめでとうございます)!!そしてスーサダイ・チョールチュナムタマイ(あけましておめでとうございます)!!

カンボジア便りを書かないでいたら、挨拶の種類が増えてしまいました。でもカンボジアの新年は4月です。何しろ暑い国ですし、日本のようなお正月の雰囲気はありません。普通カンボジアはクリスマスを祝う習慣もありません。私たちはキリスト教の団体ですので、気合を入れてクリスマスカードを送ったり、門にリースを飾ったりして張り切っています。

*改めて・コンポンルアンのこと

コンポンルアンはカンボジアの中心部にあるトンレサップ湖の南部に浮かぶ水上村です。約1600世帯の住民がそこで生活しています。不思議なトンレサップ湖。乾季には約2,700平方キロメートルの表面積が、雨季には12,000平方キロメートルにも広がるのです。そのときにはカンボジアの全面積の7%を占めることになります。なぜこんなに大きく湖の面積が変化するのか?それはトンレサップ湖がトンレサップ河を通じてメコン河につながっていることにあります。雨季に入った6月頃メコン河の水位がどんどん上がっていき、メコン河に向かって流れている水の流れが湖に向かって逆流し始めるのです。そして湖はどんどん大きくなって、乾季の時は道路になっているところも湖になってしまいます。コンポンルアンに住んでいると雨季の増水期には一日で驚くほど水かさが増えている時があります。その点船の家はただ浮かんでいるだけなのでとても便利です。場所が固定される普通の家は増水期に備えて高床式の家にしておかなければなりません。増水期には高床式の家にたどり着くまでの階段もすっぽりと水をかぶり、船から直接家に上がれるほどになります。

トンレサップ湖は世界でも有名なほど魚が沢山捕れるところだといいます。200種類以上の魚が生息し、その中で80種類程の魚が定期的によく捕れます。雨季が終わり(12月頃)湖の水が引き始めた頃から漁業のハイシーズンになります。村人のほとんどは6月の初旬頃まで、夜中から夕方まで漁業に精を出します。

コンポンルアンの人々は水のある場所、しかし限りなく陸に近い所に好んで住んでいます。ですから水位と漁業の具合によって、常に彼らは家と共に移動しつづけています。

彼ら、特にベトナム人のコミュニティのほとんどは公立の学校に行った経験を持たず、読み書きが十分にできません。カンボジア語も得意ではありません。

私がこのようなコンポンルアンで生活をはじめた7ヶ月前、そして今も私は無力です。静かにただ彼らの生活を見ていて、一日一日がのんびりと過ぎていく彼らの生活を知り、その中で彼らの笑顔や涙、輝きを見ているうちにいつしか彼らの当たり前の生活を当たり前のように受け入れようとしている自分に気がつきました。それはそれで素敵なことではあるけれど、受け入れようと努力する一方、彼らに対する怒りの気持ちや、不可解な気持ちもやはり同時にある訳です。その両方の気持ちがあって初めて、誰が何と言おうと彼らを愛さずにいられない気持ちが生まれてきたように思います。彼らを愛する気持ちが生まれてきて、やはり思い直すと、彼らの生活がやっぱりこのままであってはいけないのだ、とも同時に感じています。

* 飢えているということ

ある日のことです。その日は朝早くから葬儀のミサが教会であって、大人たちは全て陸に埋葬に出かけてしまいました。私はその日体調が思わしくなかったので、教会で待機していました。ナレット先生が私に質素なお昼ご飯を作ってくれました。私がそのご飯を食べ終わった時、沢山の子どもたちが喜んで下膳してくれました。「ありがとう、ありがとう」と私は気持ちよくなって、しばらくして炊事場に足を踏み入れた途端、びっくり!!子どもたちが5〜6人群がって貪るように手づかみで私の残ったご飯を食べていました。鍋に入っているご飯も何もかも皿も何も使わずに手で争うように奪い合いながら、でも嬉しそうな顔で食べているのです。私は叱りたい気持ちが沸いてきたけれど、彼らを叱ることができませんでした。朝5時に起きて今の12時まで彼らは何一つ食事を用意されずに過ごしていたことがわかるからです。それと彼らの食べている姿が人間らしくなく、まるで動物のように食べていたのです。正直言って怖くて声も出なかったことも一つです。

以前にも良くよその子どもが(いいえ大人もです)いろいろな家でご飯を食べているのを見かけたことがありました。それは皆の交わりの豊かさを感じて、微笑ましいものです。しかし今こうして改めて考えると、彼ら家族同士の無関心さも感じないわけではありません。家族の誰々が外でご飯を食べて帰ってきてよかった…。という考えもあるのでしょう。親が忙しければ子どもは外をうろついて何か食べて帰ってくるしかありません。食べ物が何もないわけではありません。あるけれど、生活に余裕がない、ここは小さなものが優先される社会ではないのです。いつも何か食べているけれど、いつもおなかがすいているのです。

* さてさて、グループの名前は…?

コンポンルアンの若者によるボランティア活動が発足したお話を以前にいたしました。)彼らのグループに素敵な名前をつけてほしい…。というのが私の希望だったけれど、今まだできないでいます。彼らは「本当に名前をつけてみたい、でも自分たちではさっぱり決められない。」というのです。それもそのはず、彼らのほとんどは幼稚園にも学校にも通った経験がなく、みんなで集まってミーティングをするのも今回が初めてのことなのでしょう。ああ、本当に難しい。どこから手をつけていいのやら。一人ぼっちの私は再びしばし立ち止まってしまいました。まず自分たちの生活を振り返ってみることも必要でしょう。その中から自分たちが目指すものもみえてくるかもしれません。そのための祈りの中からグループの名前が生まれたら素敵だな―と思いました。

そんなことをするためには、ふさわしい助け手が必要です。

おわりに―

 最近は仕事の都合があって、プノンペンとコンポンルアンを往復する回数が増えてきました。カンボジアのタクシーを使って移動します。様々なハプニングがあって、大変だし楽しいです。次回はカンボジアのタクシー事情について少しお知らせしたいなあと思っています。

 またすぐにお会いしましょう! チョムリアップリア!

◇  ◇  ◇  ◇

※「カンボジア福祉基金藤沢」を応援する会事務局より。

 この基金は2001年度バザーの収益をJLMMカンボジアに寄贈し設立された基金です。この基金を「応援する会」は機会あるごとにカンボジア王国コンポンルアン水上村教会でのプロジェクトの動向、基金の運用状況をご報告致します。

現地に駐在する鎌田さんと、水上村でホームケアに参加するボランティアの若者達を応援して下さい。(石黒、小藤)

カンボジアで

500円あれば:1人の子供が教会の識字教室に半年通えます

1,000円あれば:1人の村人が診察に行く往復の交通費になります。
(病院の町まで100km以上あるんです)

3,000円あれば:1人の妊婦の産婆さん費用が賄えます。

5,000円あれば:一家が一ヶ月、栄養のある食事を摂れます。

(村の福祉活動/ホームケア等に安心して参加できます)



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キジト神父をお援けする会より
辻堂1区 浮田

 ここに同封したのは、12月9日発信、キジト神父からのお便りです。このお便りでは私が、バザー後に投函した報告は、まだ読んでおられないようです。ウガンダからの民芸品は、多くの方の共感を得て売り上げ好調でした。それを知られたらさぞ喜ばれるだろうと思います。皆様のご好意に心からお礼申し上げます。追って会計報告をさせていただきます。お蔭様で、福祉部からのご寄付もあわせクリスマスに35万円をご送金することが出来ました。

 なお最近不思議なことが起きました。ある日、全く見ず知らずの方からお電話がありました。「私は、なぜか飲料水がなくて困っているアフリカの人々に水をあげたい、そのための井戸水を掘ってあげたいという止むにやまれないうねがしをこころに受けつづけていた。そして、たまたま藤沢教会でウガンダのために働いているグループのことを聞いたので、私の手持ちのお金をあなたに託すから、よろしくお願いしたい」というのです。その額100万円。それもその方にとって有り余っているお金ではなく、本当に貴重なものであることも分かりました。年末のある日曜日、彼女は藤沢教会でミサを受けられ私に1万ドルを手渡してくださったのです。感謝してこれをいただきいつものルートを通してウガンダへ送金させていただきました。また一つ、私たちの日常に小さな奇跡が起きたと私はひそかに思いました。神様ありがとうございます。そして貴重な、貴重なお金を惜しみなくお捧げくださった方に感謝。その方は匿名をつよく希望されたのでそのお気持ちに添いたいと思います。彼女のたったひとつの希望は、その井戸が「絶えざる御助けの聖母マリア」に捧げられますようにとのことでした。この朗報は早速キジト神父様に手紙でお知らせしましたから、お目を通されたならさぞ喜び神に感謝なさることでしょう。

藤沢のいとこの皆様へ
キジト 神父

 ご無沙汰いたしました。北部からの難民の受入れに多忙を極めておりました。しかし、浮田さんからバザーのことなど色々お知らせいただいており多くの感謝と祈りをお捧げしている次第です。

 この小教区で、わたしは2万8千人を超える信徒と、ルワンダ、コンゴ、ブルンジ、スーダンからの1万人に加えて成人だけで1万2千人からの難民を1人でお世話しています。人数が増えれば当然仕事の量も増えます。そのようなわけで皆様のいとこたちの数も増えたことになります。それでも、私たちは孤立してこの難局に当たっているのではない、皆様のような小さなグループが私たちを支えてくださっていることを知って慰められます。

 雨が降りだしました。どこも濡れそぼち道はドロドロでも小規模農業にはよい季節です。私たちは国民も難民も含めて種子や小規模農業を買う援助をしています。西側世界からの食糧援助はこれだけの人数には到底足りませんから、自給しなければいけません。ここで私が、先年皆様の助けで身につけた有機農法の広範な知識を役立てることができています。いうまでもなく、そのほかの基本的なニーズ、薬剤、飲料水、教育などは私たち特に悲惨な状況にある難民コミュニティーにとって重大な問題なのです。また雨期に入って蚊が大発生しているのでマラリヤの蔓延も気掛かりです。

 こういう時に、教会や皆様のチャリティをお取次ぎできて幸せです。最後にここのみんなと、ともによきクリスマスと新年をお祈り申し上げます。



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2月の主な行事

7(金)初金ミサ・例会

11(火)教区典礼研修会

16(日)藤沢教会信徒総会

23(日)北1ブロック集会



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葬儀を考える会 Q&A

Q 臨終に際してどうすればよいでしょうか。

A 亡くなられたとき、司祭が立ち会っていない場合、夜でも教会に連絡して下さい。

 病院で亡くなられたときは、ご遺体が病院から出るまで2、3時間かかります。医師による死亡診断書の作成、死後の処置などがあるからです。その間に遺族の方は教会に連絡を取ったり、葬儀社に依頼したりするとよいでしょう。

 葬儀社は、教会から紹介してもらうのが賢明です。カトリックの典礼に基づいて、式を滞りなくすることができます。葬儀社に連絡がいくと寝台車を手配してくれますから、遺体はそれで自宅に帰ることも、教会に直接移すこともできます。死亡診断書は必ず受け取って下さい。埋葬許可書を住民登録している役所から受け取るのに必要です。

 自宅で亡くなられたときは、まず医者を呼び死亡診断書を書いてもらいます。同時に教会に連絡して、司祭に死亡直後の祈りをしてもらいます。

 臨終から火葬を終えて自宅に戻るまでという一連の葬儀の準備は、短い時間に多くのことをしなければなりませんので多くの方の協力が必要です。遺族も身内の方を亡くして精神的に苦しんでいますので、遺族に代わって中心となって進行していただく方がいるとよいでしょう。葬儀の日取りは、一般的には、死亡翌日が通夜、次の日が葬儀、告別式となります。日取りは遺族の希望が優先されますが、火葬場の都合にも合わせる必要がありますし、教会にも典礼暦、各種行事のために、執り行うことができない日もありますので、それによる調整も必要です。

 葬儀の費用や祭壇の等級は、20万円位からあります。祭壇についての写真などの例が教会事務所に置いてありますので参考にされるとよいと思います。葬儀社には、カトリック教会と契約している事例をと言っていただくとよいでしょう。

 次回は通夜から埋葬までになります。



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