八 角 形 に ゅ ー す

2003年9月7日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

長崎への巡礼―その2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ

多様性の中の一致と平和・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅村司教

バザー企画チームより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 宮内

ガーデンパーティーからのお恵み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 渡辺

「野尻湖少年聖書学校」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中学1年 和田

仏教とキリスト教 (1) ・・つまるところは同じか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

教育部より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 清水

9月の主な行事

葬儀を考える会 Q&A

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長崎への巡礼―その2
マーフィ

 私が長崎の殉教者トマス西について初めて聞いたのは1987年、豊島教会で働いていた時でした。ちょうどトマス西と十五人の殉教者が列聖された年でした。将軍徳川家光の時代、禁教令により彼らは1633年から1637年の間に殉教しました。

 今年の三月、長崎への巡礼旅行で平戸と生月、黒島を訪れたとき、トマス西のことを思い出しました。平戸と生月は全長960メートルの生月大橋でつながれており、この種類の橋としては世界一長いものだそうです。この橋は明るい水色に塗られていますが、マリア様を記念しているためと聞き、驚きました。

 トマス西は本名を西兵次といい、1590年頃生月のキリシタンの家庭に生まれました。トマス西の父、ガスパル西は、キリスト教が平戸から生月に伝えられた少年の頃に洗礼を受けました。トマスは男の子三人と女の子一人の四人兄弟の次男でした。父親に勧められ、トマスは神父になるために有馬のイエズス会神学校に入りました。トマスが神学校に在学中、家族は全員殉教しました。棄教することにより死を免れることもできましたが、あえて殉教することを選んだのでした。家族の殉教の知らせを受け、トマスは悲しみにくれましたが、父のような強い信仰の持ち主になりたいと望みました。キリシタン迫害下、神学校での勉強を続けるためトマスはマニラに行きました。ドミニコ会に入り、神学校を終えた後、司祭に叙階され宣教のため日本に戻りました。それは一六二九年のことで、キリシタン、特に司祭にとっては非常に危険な時期でした。四年後トマスは長崎で捕えられ、拷問を受け、そして1634年11月11日に殉教しました。

 生月出身のシスター小高が生月島の山田教会を案内して下さったときに、このガスパル様とその家族の物語についてお話しして下さいました。シスターは生月島の沖に見える中江ノ島についてもお話しして下さいました。中江ノ島は「天国に一番近い島」と言われています。この島の水はとてもきれいなため、キリシタン迫害の時代にはいろいろな場所で洗礼のための聖水として用いられていたそうです。また、シスターは「だんじく(暖竹)様」にも連れて行って下さいました。細く急な坂道を下りた海岸に「だんじく様」はありました。海岸の岩場の、「だんじく」の茂みの陰にキリシタンの三人家族が隠れて暮らしていましたが、岸辺で遊んでいたその幼い子供が、舟に乗った幕府の役人に見つかってしまい、この家の家族は捕らえられ殉教しました。私達は平戸、生月、またフェリーで訪れた黒島の勇敢で信仰深いキリシタンについて、数々のお話を伺いましたが、最後に神社の話を書きたいと思います。黒崎に行ったとき、神父様がこの神社についてお話しして下さいました。(この神社については八角形にゅーす六月号の平野勝さんの記事でも触れられていました。)枯松神社は迫害の時代、隠れキリシタンの集いの場となっていました。時代が変わり迫害が終わったとき、多くの隠れキリシタンはカトリックになりましたが、中にはカトリックにならなかった人もいました。この人たちは荒廃しかけていた枯松神社に通い続けました。第二バチカン公会議後、黒崎教会のカトリック信者はこの神社の復旧の手助けをしました。近年では年一回この二つの共同体が集い、祈りを捧げているとのことです。これは新しい時代の幕開けとも言えるもので、彼らの上にたくさんのお恵みがあるよう祈らなければなりません。長崎の教会の歴史は大変興味深く、また私たちの霊的な助けともなります。私たちに信仰を伝えていくために、このように苦しんだ殉教者や隠れキリシタンの血と涙により聖化されたこの地に皆さんがいつか訪れることができたら、と思いました。



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多様性の中の一致と平和 (8月10日 平和旬間・国際ミサより)
梅村司教

 広島・長崎に原爆が落とされて、五十八年を迎えます。その祈念式の中で当地の市長がいま戦後58年、戦後ではなく戦前に向けて我々は歩み始めているのではないかというような発言もありました。日本の司教団の中には様々な担当部署がありますけれども、社会司教議会は特別に今年の平和旬間にあたって、メッセージを発表しました。「日本の国は一体どこに向かおうとしているのか、それを真剣にみなさん考えてください」という呼びかけであります。日本に起きている様々な平和を阻害する出来事もさることながら、現在世界にあっては、それ以上に大きな問題があります。

 1963年4月11日、聖木曜日にヨハネ23世教皇は「地上の平和」という回勅を発表しました。四十周年を迎える今年、ヨハネ・パウロ二世教皇はこれを受けて、今年、年始の世界平和メッセージにおいて我々の23世教皇が回勅(Pacem in terris)「地上の平和」で示した世界平和への決意を今も変わらぬ決意として私たちが受け止めるよう呼びかけています。回勅(Pacem in terris)が発表される二年前の1961年には、ベルリンの壁が築かれました。そして回勅発表の半年前、第二バチカン公会議が開幕した丁度その時にキューバ危機が起こっています。世界は核戦争勃発の瀬戸際に追い込まれていたという、そのような世界情勢の中で発表されたのが「地上の平和」という回勅であります。回勅は全ての人に向って、私たち全ての者が人類家族に属するということを告げています。そして世界中の人々が抱いている平和への希求、未来への希望をもって平和に穏やかに暮らしたいと言う切望に光が注ぎ込まれています。

 回勅では平和に必要な条件が四つ挙げられています。真理と正義、愛と自由、この四つであります。各個人が誠実に互いに権利と義務を認め合うならば、真理は平和の基礎となり、各個人が他の人の権利を尊重し、他の人に対する自らの義務を果たすならば、正義は平和を築く事になる、そう言われています。人々が他の人の必要を自分のこととして捉え、自分の持っているものを他の人と分かち合うならば、愛は平和を育む。各個人が理性に従い勇気を持って自らの行動に責任を負うならば、自由は平和を育てることになる。そして平和への道は基本的人権の擁護と促進を通して歩まなければならないという事がこの回勅で指摘されています。私たちが他の人の必要を自分のこととして捉えること、そして自分の持っているものを他の人と分かち合うというそうした愛を持って私たちは平和を育んでいくように、そのように呼びかけられています。そして最後に突き詰めて考えてみるならば、平和というのは構造の問題ではなくて人間についての問題であるということが指摘されています。国家あるいはこの世界レベルでの組織、制度そうしたものの問題ではなくて、最終的には私たち人間の問題なのだということであります。法的、政治的あるいは経済的な面での平和のための構造や仕組みは確かに必要とされ、実際に存在していますけれども、こうした仕組み自体が歴史を通して、数え切れないほどの平和のための行動によって積み重ねられてきた知恵と経験から生まれたものだということは、この回勅でも認められているところであります。しかし、突き詰めれば人間の問題というところから考えるならば、何よりも私たち一人一人が平和を育みながら、人々のために生きているということに尽きるのではないかということであります。平和への行動は人々が交わりとしての人生のあり方を深く理解する時に可能となる、そのように教皇は述べております。そして何よりも神への心を開くことと、普遍的な兄弟愛を育み、連帯の文化を促進することこそ肝要である、そう述べられています。神への心を開くこと、そして普遍的な兄弟愛を育み、そしてその事によって連帯の文化を築いていく、このことが一番大切なのだと教皇様はおっしゃっておられます。

 そうした教皇様の言葉を見ますと、思い出すのは21世紀の幕開けであると同時に新たな千年紀の幕開けでもありました二〇〇〇年の「世界平和の日」に出されたメッセージ、「文化間の対話、愛と平和の文明にむけて」を思い起こします。ヨハネ23世教皇が発表された回勅(Pacem in terris)「地上の平和」を表した時代は、イデオロギーの対立によって世界の平和が脅かされている世界状況の中で出された回勅であります。それでは現代はというと、各民族のアイデンティティーの基盤をなす文化間の軋轢によって平和の実現が危ぶまれているのかもしれません。そういった意味では、21世紀の幕開けそして新しい千年紀の幕開けであった二〇〇一年に、現教皇であるヨハネ・パウロ二世教皇が出された「文化間の対話、愛と平和の文明に向けて」というこのメッセージは非常に大きな意味をもっていると同時に、非常に時機にかなったメッセージだったかなと思います。このメッセージの中で現教皇は、普遍的な兄弟愛という理想を分かち合う事なしに平和を実現する事はできません、そのように表現しています。

 こういうことは、大聖年の開幕にあたっても言われていました。キリスト教信仰の中心の日が二千年目を迎え、キリスト降誕二千年を祝ったその大聖年でありましたけれども、それを和解への歩みとして、キリストとその教会を見つめる全ての人の真の希望の印として生きてください。人間社会は、キリストのうちに新たにされ、神の家族に変わらなければならないのです。大聖年教皇の大勅書「受肉の秘儀」の冒頭で言われている事です。良い意味でも悪い意味でも世界はグローバリゼーションの流れの中にあるからこそ、普遍的な兄弟愛、神の家族、という理想が求められている、そのように言われているように思います。世界の文化は実に多様であること、そしてそれらの多様な文化をまず冷静に偏見を取り除いて知る事の大切さが訴えられています。個人は他の人を受け入れるおおらかさによって、そして寛容に自らを差し出す事を通して成熟するものです。それは文化も同じことで、人類家族の根源的、そして基本的な一致に基づいた対話と交わりによって完全なものとされなければならないのです。互いに愛し合いなさい、イエズス様が遺言のように私たちに残されたその言葉、そうした相互の愛は個人のレベルだけではなくて、世界のレベル、世界の様々な文化のレベルでも求められる、そのようなことであります。対話は多様性を認めることにつながり、人類家族の一致への基本的な召命によって求められる相互の受容と本当の協力へと心を開くものです。文化間の対話は多様性の中の一致をもたらすものであって、それはまた人類家族の一致へと人々を導くものであり、このような一致と交わりという概念はキリスト教の啓示に基づくものであって、三位一体の神に求める事ができると言われています。そして、教皇様の結びの言葉として次のような呼びかけがあります。「福音は父と子と聖霊の神を源とする人類家族の最初の一致をもう一度築きあげるようあなた方を招いています。」

 私の司教就任の時に掲げたモットー、"Communio Communionum"もまさにこのことを目指しての事であります。特に多国籍化する日本の教会にあって、私たち一人一人の他者へのあり方、かかわり方、他の国々の人々に対する私たちのあり方が、世界平和への実現へとつながっていることを私たちは認識すべきではないかと思います。日々の生活の中でそうした平和への努力を惜しまぬ決意を今日新たにしたいと思います。

 今日の国際ミサ、平和旬間にあっての国際ミサは、神奈川第六地区の方々が準備して下さいました。その中で準備して下さった方々が選んで下さったのが、この多様性の中の一致を目指して平和を実現していこうということです。これは今私が述べました、教皇様が21世紀そして千年紀を迎えるにあたって掲げられた理想であって、そして私たち一人一人に対する呼びかけに通ずるものだと思います。そして今日、このテーマに掲げられたことをみなさん一人一人受け止めて頂ければと思います。そして日々の生活の中で多様性の中の一致、私たちの人間関係の中にあって日本人同士だけではなくて、他の国の人々の間にあってもそうした姿勢を大切にしながら生きていく事こそ平和の実現につながるのだということをここに述べ、それに向けて努力して参りたいと思います。



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バザー企画チームより
辻堂2区 宮内

 10月26日のバザーまで残すところ二ヶ月弱となりました。これまでにバザー企画チームで決定したことをご報告いたします。

 まず、今年も昨年同様、バザー賛助金を入れていただく袋を各地区の方々の協力を通じて、みなさんにお配りいたします。七月にご報告いたしました通り、今年のバザーでは賛助金は全額教会の建物維持(教会メンテナンスプロジェクトチームの報告の拠れば、2030年までに修繕補修費として二億円が必要とのことです)のために充てることになっておりますので、どうぞ倍旧のご協力をお願いいたします。また、今年は賛助金袋がバザー当日に行われる抽選の券を兼ねております。賛助金袋に地区、氏名、電話番号を書いていただくことになりますので、よろしくお願いいたします。

 次に、バザーのパンフレットについてですが、賛助金袋と一緒に皆さんにお配りいたします。今年は各世帯一部ずつ配布となりますが、どうかご近所の方々もお誘い下さい。

 なお、八月より聖堂入口にバザーのお手伝い募集を貼り出しました。どなたでもお気軽に出来る範囲でご協力をお願いいたします。

 また、昨年に引き続きまして、今年も趣味の作品展を行うことになりました。今年は作品の展示だけではなく、即売も可能ならば実施の予定です。実施の場合、収益の十%以上のご寄付をお願いします。もちろん展示だけの方も大歓迎です。お問い合わせはバザー企画チームの藤城さん(辻堂三区、0466−33−3571)までお願いいたします。

 最後になりましたが、売場の現場責任者会議を9月21日(日)の午前11時からセンターホールにて行います。各売場の責任者をお願いしている皆さんは必ずご出席下さい。どうしてもご出席が難しい場合には、代理の方のご出席をお願いいたします。

 お願いばかりで恐縮ですが、共同体の皆さんのご協力なしではバザーの成功はありえません。みんなでワッショイ!助け合いながら、楽しくバザーに向けて進んでいきましょう!



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ガーデンパーティーからのお恵み
鵠沼2区 渡辺

 六月の初めのことでした。

「実行委員になりませんか」とお声が掛かりお引き受けしてはみたものの、長年に渡って教会で活躍なさっている実力派の方々に混ざって、果たして何かお役に立てることがあるのだろうか・・と、とても不安でした。

 第一回目の企画会議に出席させていただくと、もう二回目以降がとても楽しみに待たれました。それは、これまでにあまり関わらせていただいたことのない世代の皆様と同じ仕事に携わることができ、とても新鮮な感じがして嬉しかったからです。企画会議を重ねるうち、今年のガーデンパーティーは懇親を深めることを目的にシンプルに行きましょう、ということになりました。初めての試みとして、親子で楽しめるゲームコーナーを設けることとなり、義姉と私とでその担当をさせていただくことになりました。

 いくつか案を出した中から、しゃぼん玉、的あて、割ばしダーツ、と三種の遊びコーナーを設けることになりました。私たちがどんなことをどんなイメージでやりたいと考えているのか・・ということに、実行委員の方々が耳を傾けてくださり、意見を尊重し、親身になって相談にのってくださったこともあり順調に準備は進んでいきました。

 四回の実行委員会を経て迎えた当日、梅雨明け宣言と共に、晴れやかな夏空のもと、朝の十時から設営や食品の準備に沢山の方々が集まってくださいました。ゲームコーナーの準備中、時折、「どう? 困ったことはない?」と様子を見に来てくださったり、試しにひとつゲームでも、と遊んで行ってくださったりとお心遣いが嬉しかったです。次々とテントが設営され、メニューも焼きそば、おにぎり、唐揚げ、枝豆、ベトナム春巻き、冷奴、ポップコーンにアイスクリーム、ドリンク類と着々と用意されていきました。有志の方々が午前中早々から打ってくださった日本そばなどシンプルですが心尽くしの品々が揃いいよいよ四時。パーティー開幕です。いらした方々全員が名札のシールを付け、ブロック毎のテーブルでは手作りの名刺の交換も行われました。

 ゲームコーナーは? といえば、最も目立つ最高の場所をいただけたこともあり30人以上の子供たちや大人の方々までもが、入れ替わり立ち替わり「あら? 結構難しいじゃない」などと言いながら楽しんでくださいました。中高生会や有志の方々ベトナムの方のお手伝い、本当に助かりました。ありがとうございました。最後に皆で心をひとつにしてフォークダンスを楽しみました。

 真夏の夜のひととき、私はこのパーティーに参加させていただけたことで、今まで言葉を交わしたことのない沢山の方々と『お友達』になれたことが何より嬉しく、大きなお恵みでした。至らない私たちを温かく見守り、力を貸してくださった皆様方に心から感謝いたします。



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「野尻湖少年聖書学校」に参加して
中学1年 和田

 野尻湖に行って私が一番楽しく、心に残ったのは水泳とロザリオでした。

 水泳は浅いと思っていましたが、以外と深かったりしました。そして本当は湖の上で舟に乗り、ロザリオを唱えるはずだったのですが、あいにく天候が悪く、桟橋に座りロザリオを唱えることになりました。

 私達が、今年野尻湖で勉強してきた多くは、放蕩息子の話についてでした。そして皆との最後の夜に、一グループずつそれを発表しました。私達のグループは、放蕩息子の話をもとにシナリオを考えて違う形で劇にしました。私達が放蕩息子の話をもとに分かったことは、天の父がやさしく、すばらしい、心の広い方だと言うこともあらためて知りました。

 夕方の野尻湖は、それはもう、すばらしい景色でした。今にも向こうからイエス様が水の上を歩いて来そうなそんな景色でした。

 新しく出来た友達の中には、シスターになりたいという子もいました。サレジアンシスターズのシスター達はとてもにぎやかで明るく、楽しいシスター達でした。

 帰る前に皆でアンケートを書きました。その時、皆、来年は六泊七日にしてほしいと、もっとここにいたいと書いていました。みんな仲がいい一つの家族になったようでした。皆、こういう機会がなければ、野尻湖に行けることなどありません。もっともっと様々な人達に参加してもらいたいと思いました。



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仏教とキリスト教 (1)・・・つまるところは同じか
藤沢2区 兼子

学生時代の夏休みだったと思う。東慶寺の庭で草引きをしていた時だ。ご住職の井上禅定師(現閑棲和尚)がいつのまにか・・・私の知るところ優れた禅家の行動には時空を超越するかの如き遍在の印象がある。つまりいま法堂で看経をされていたかと思うと、次には庭の草引きに汗を流し、そのまた次の瞬間には、もう涼しい顔で車中の客になっておられる・・ 隣で草をひきながら私に尋ねられた。

「ところでおまえは耶蘇だそうだな」

「はい」すると続けて言われた。「耶蘇も仏も、つまるところは同じだな」

「はい! 」即座に私は答えた。この時の気合が大事だ。そのとき、もしも「いえ、同じではありません。キリスト教は宗教ですが、(釈尊の説かれた) 仏教は哲学です」とか、「仏教には聖浄二門(自己の能力をたよりにしてこの世で悟りを得ようとする聖道門とひたすら弥陀の誓願を信じ、それにすがって死後、浄土に悟りを得んとする浄土門)ありますが、キリスト教には他力しかありません」というような返答をしていたら、たちどころに一喝を食らったに違いない。そういう時に「はい!」と間髪をいれず答えることこそ禅の極意に通じる。

実際、ひとくちに仏教と言っても、仏教は時代や地域によってじつに多様な展開を見せる。ここで「キリスト教だって多種多様だ」と異を唱える人は、およそ学問に毒された気の毒な人だ。では根底において、両者は同じだという、その意味は何か。

 先ず第一にどちらの宗教(大乗仏教もキリスト教) も衆生を済度することに究極の目標をおく点で同じだと言えるのではないか。例えば、歴史上受肉されたイエスの地上での使命とは十字架上で己の生命を捨てて、衆生を済度する道を拓くことに尽きる。釈尊の使命もまた法ダルマの化身として歴史上のある時期に人(ゴータマ・シッタッタ)の形を取られた訳で、多くの弟子をもち衆生を済度する道を残されたのではなかったか。仮に釈尊の説かれた仏教は小乗で今日の仏教の如きものではなかったという人がいても、釈尊なくして大乗仏教の「弥陀の本願」・・ 仏になる以前、即ち阿弥陀仏が法蔵菩薩だった頃に、すべての人を救済するまで自分は仏にならないという願をたてられ、いま、既に仏になられているのだから、すべての衆生は救われている筈だという浄土系の救済観・・の思想があり得たであろうか。

イエスの「十字架上の贖い」と「阿弥陀仏の本願」とはいずれも、己を捨てて先ず人間(衆生)を愛し、救済されんとする究極の宗教的使命においてまったく同一と考えられるのではないか。

 さらに阿弥陀仏の「浄土(理想国家)」とは極楽に他ならぬが、イエスの説く「神の国(支配) 」とは何であろうか。イエスはパリサイ派の「神の国はいつ到来するか」という問いに答えて「神の国はここにあるとかあそこにあるとか、言えるものではなく、じつに神の国はあなた方の間にある」と言われた。パリサイ派の「いつくるか」と言う問いにイエスはそれは「既にあなたがたの間に始まっている」と答えられた。つまり人々の間で愛が十全に実践される社会とは空間的にその所在と始まりとを「いつ、どこに」と特定できるようなものではなく、それを実践する人々の間において既に現前しつつあると言われたのだ。イエスは理想国家を時・空のうちに物理的に出現するものとしてではなく、現実の世の中における人間同士の愛の実践的関係において成立するとみておられるのだ。

実はこれと殆ど同じことを曹洞宗の始祖道元は(「正法眼蔵」仏性で)次のように表現している。「一切衆生悉有仏性」、「欲知仏性義、当観時節因縁。時節若至、仏性現前」すべての存在に仏性がある(すべての存在が仏性そのもの)。もし仏性の義を知ろうとすれば、まさに時節因縁を観ずべし。時節もし至れば仏性現前す。この「仏性は既に現前している」という答え方はイエスの返答と次の意味でまったく同じである。即ち仏性とは時間的にいつあらわれると言えるものではなく、すべての存在のなかに既に現れていると。じつに宗教的真理というものは地上で支配的な物理的法則にはしばられないのだ。これらは私の体験的理解による解釈なので、うまく言葉で説明し尽くせない。

次に違いを述べよう。どのような宗教であれ、来世あるいは死後の世界のことを説かない宗教はない。キリスト教では人が死ぬと肉体と霊魂は分離し、肉体は朽ちるけれども霊魂は滅びずに残ると説く。そして終末の日に来臨したキリストによって最後の審判が下され、復活した霊魂は再び肉体をとって最終的に天国か地獄かに振り分けらる。キリスト教には人間が生まれる前の人生という考え方はない。すべては人の誕生から死、復活へと直線的に進む。しかし仏教では来世ばかりでなく、人がこの世に生まれる以前の前世(過去世)をも考える。言い換えると仏教の来世は有限で、人は未来永劫、生まれ変わり死に変わりする。これが輪廻転生である。人も人以外の生き物も五趣あるいは六道(天、人、畜生、餓鬼、地獄、修羅)の世界の生死を永遠に繰り返す。そこから逃れるには悟りを開いて解脱し仏陀になるしかない。イエスはみずからの死と復活を生前に弟子たちに語り、約束を履行された。イエスを信じれば彼にあやかり彼の再臨のときに私たちも復活する。この点で私にはどうも仏教は哲学で、キリスト教は宗教だという気がするのだ。



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教育部
鵠沼3区 清水

教会学校

 藤沢教会の教会学校として現在、信者の子には日曜学校が、そして未信者の子に土曜学校があります。

 日曜学校に在籍している子は130名程。第二〜四までの日曜日に毎回70名程の子が9時30分からのセンターホールでの子供ミサにあずかり、その後各教室に分かれ各クラス2名の学年担当リーダーと共に授業を受けています。日曜学校最大のイベントとしてクリスマスミサでの聖劇があります。一年生から六年生までの子が11月より練習を重ね当日を迎えます。子供達にとってこの劇が、初聖体と共に日曜学校の思い出となるようです。 土曜学校は、第一と第三土曜日の午後に聖書の話しと遊びを中心に行っています。毎回出席者は20名程です。春には遠足を、そして夏には片瀬教会と合同でサマーキャンプを行い楽しい一日を過ごしています。今後も各御家庭での信仰教育のお手伝いをしていきたいと思っております。

中高生会

 中高生会は、教会における中高生の"場"です。

 活動としては月に二、三回教会に数人が集まってコーヒーショップをしたり、その月に生まれた人のお誕生祝いをしたり、あるいはただおしゃべりをしたりしています。バザーやガーデンパーティーでの出店など年に数回、教会行事にも参加しています。また、春休みや夏休みには合宿をすることもあります。最近は藤沢教会以外の行事にも時々参加するようになりました。

 これからもよりよい"場"を目指して、中高生と共に活動していきたいと思っています。

青年会

 青年会の主な活動の一つは教会行事での奉仕です。具体的にはバザーでの放送担当や、新成人の招待・成人式を迎える人とその家族とともにミサやお祝いの会、祝福式などの準備、第二聖歌隊とクリスマスの深夜ミサなどが挙げられます。

 また、青年を対象とした活動への参加もしています。毎週土曜日の分かち合いや召命を考える集いなど、それぞれが自分のニーズに合ったものに足を運んでいます。

 これらの活動のうち多くは、片瀬教会や茅ヶ崎教会の青年と一緒になって行われています。そして藤沢の青年達はしばしば片瀬や茅ヶ崎を訪れます。こうした青年の輪をもっともっと大きくしていきたいと思っています。

ボーイスカウト藤沢十六団

 ビーバー(幼稚園年長秋〜12名)、カブ(小二秋〜20名)、ボーイ(小五秋〜14名)、ベンチャー(中三秋〜2名)計48名(内女子3名)のスカウトが、リーダー16名、団委員12名の支援のもと、カトリックスカウト団として、各年代に応じた技能習得、野外活動(ハイキング、キャンプ)、奉仕活動(募金、清掃)を通して、神様・他者・自分へのつとめを全うするため、体と心と徳を養っています。

教育部グループと代表者
日曜学校 100名 清水(K3)
土曜学校 25名 川辺克郎(K2)
中高生会 25名 宮内(T2)森田(F1)
青年会 20名 浅野(善行)上原(善行)
ボーイスカウト 48名 団長 平岡(F3)、副団長 清水(K1)、平井(F2)

     



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9月の主な行事

5(金)初金ミサ・例会
6(土)鵠沼ブロック黙想会10時〜15時  鵠沼松が岡アトメント会黙想の家
12(金)敬老会 ミサ11時  解散 午後2時の予定です
14(日)ボーイスカウト説明会  センターホールにて11時〜12時
23(火)秋分の日 彼岸ミサ10時、 一粒会大会 静岡焼津文化センター
28(日)福祉部フォーラム 聖堂にて10時45分〜12時45分



葬儀を考える会 Q&A

Q.家に仏壇があるのですが、どうしたらよいでしょうか?また家庭祭壇についてカトリックの考えを教えてください。

A.最初に、仏壇について考えてみましょう。仏壇とは、本来はお寺のお堂にある須弥壇のことです。ご本尊をおまつりし、仏さまにお供え物などをお供えするための壇なのです。その仏壇が、『日本書紀』の時代にはお寺以外に地方の豪族の家にも置かれるようになったと記録されています。

 一般庶民が各家に仏壇をもつようになったのは、江戸幕府の切支丹禁制政策による「檀家制度、仏壇改め」によるもののようです。仏壇のある家はキリスト教信者ではないという証にもなりました。ですから以前は、親元から分家するとき、必ず仏壇をつくって持って出たものなのです。このように、家庭に仏壇を置くという伝統は、信仰というよりも徳川幕府による管理政策によるもののようです。

 しかし、ご家族にキリスト教信者ではない方がおられ、仏壇を大切にされている場合にはそれを尊重されるのがよいと思います。

 家庭祭壇は、家の一角に十字架やご像など目に見えるシンボルを置き、日常の中に祈りの雰囲気をもたらすコーナーがあればよいと思います。そこには当然、亡くなられた家族の写真などをおくのもよいでしょう。家族全員がキリスト教信者の場合で、仏壇がある場合には、仏壇に十字架などを置き、家庭祭壇のように利用されるのも一案かと思います。

次回は位牌についてです。



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