八 角 形 に ゅ ー す

2003年11月9日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

ゆるしの秘跡と私(3)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハンラティ

教会委員会報告

「司祭給与分担金制度」に関する対応について

横浜教区一粒会大会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 金子

一粒会大会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 石川

壮年部の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 大島

ボーイスカウト藤沢16団 入団・上進式

福祉フォーラムを終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部

福祉フォーラムに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フィリッピン・コミュニティ

仏教とキリスト教 ・神の愛と仏の慈悲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

葬儀を考える会Q&A

11月の主な行事

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ゆるしの秘跡と私(3)
ハンラティ

神様が望まれていることは私たち一人一人が成長することです

 私は「ゆるしの秘跡(2)」で「すべての人は聖人になるよう招かれている」と、書きました。

 これは、どういうことでしょうか。私が申し上げたいことは、人は皆生きていく中で、神様、そして人間同志お互いにより親しく近づくよう招ばれているということです。さらに詳しく言うなら、神様は私たちがより正直になり、信頼を深め合い、感謝の心を持ち、心を開き、寛大にそして勇気を持つ人に成長することを願っていらっしゃるということです。これが、私たちが招かれている人生の旅路です。神様が望まれている旅路は、人それぞれの深い価値観によって自由に選択しながらその招きに応えることです。

 この価値観は人の外面、内面両方から生まれてきます。私たちは、周囲の人々からいろいろなことを学び取って、その後自分自身のものにしていきます。同時に、他人との和合によって平和が生じ、喜びを感じ、正直、感謝、寛容、信頼の心を持ちたいという願望が内面から生じてきます。私たちは絶えずさまざまな状況の下におかれていますが、それぞれの状況の中で自分の価値観に従って判断し、招きに応えます。勿論、しばしば苦しみが伴いますが、最も深い価値観によって「はい」と応えられるときに成長し、「いいえ」のときは成長を遅らせることになるでしょう。

「いいえ」と言う時の私たちは、砂漠の中のイスラエル人に似ているでしょう。彼らは、約束された地に通じる厳しい道を旅することを選ばず、エジプトに戻りたいと思いました。

 私はこのことを簡単に説明しましたが、それはもっと複雑なことです。例えば悪い習慣、外部からの圧力、またはあまりはっきりしない価値観が選択の自由を奪ってしまうかもしれません。しかし私がここで強調したいことは、自分自身の最も深い価値観に引かれて、正直にそして快く「はい」と応えられる人は誰でも、ますます恵み豊かな人になるだろうということです。そしてこのことこそ、父なる神様が私たち一人一人に望んでいらっしゃることです。

 私は、人間は誰でも生まれた時から神様によって蒔かれた種を、心の深い部分に持っていると思っています。それは、神様、そして他人とより深く、より強く結ばれたいと願う種です。すべての人が一つになることは神様の願いに応えることです! しかし、神様はそのことを「外面から」強制するようなことはなさいません。一人一人の「内面から」果たすことを望んでいらっしゃいます。これはその種が最も深い価値観によって神様の頻繁な呼びかけに応え、和合に向けて自由に選択し、成長することです。それは、他人から愛

や信頼や支持を受ければ受けるほど自由に選択できるようになります。そして最も深い価値観によって選択すればするほどより大きな成長を遂げます。

私たちはこのことをすべての人間について話してきました。今度はキリスト者、キリスト共同体、秘跡について考えて見ましょう。

キリスト者とは、父なる神様が人生の旅路をする上で、特別な助けとしてイエス様を送って下さったことを認めている人です。イエス様は人間の生き方の手本だけでなく、生きるための特別な力を与えてくださる方です。 洗礼式のとき、受洗者はキリストご自身とまたキリストと結ばれた人たちと特別の関係を得られる招きを頂きます。受洗者は、聖書の中で弟子たちが言ったように「はい」と言ってキリストと共に歩み始めます。

 福音書を読んでいると招きは一回だけではありませんし、答えも「はい」だけではありません。招きは何回もあり、答えもすべて同じというわけではありません。時には「いいえ」の答えもあり曖昧なこともあります。

 しかし、イエスは絶えず新しい招きを与えて下さいます。例えば、ペトロは船から降りるときには「はい」と言い、次に中庭では「いいえ」と言い、そして他人を助けるときは再び「はい」と言っているのに気づきます。

 これを読むと、キリスト者はゆるしの秘跡がどのようなことか理解することが出来ます。トマスの話、ザアカイの話の中でも気づくでしょう。徴税人のザアカイは、イエス様が彼を友人として招くまで「はい」とはっきり言えず、木の上にいました。福音書には「はい」と「いいえ」の例が沢山書かれています。

 これらの話は、キリスト者としての私が、現在イエス様と私自身の霊的関係を見る助けとなっていますし、沢山の霊的なお恵みを頂いたことを思い出させてくれます。新しい招きに必ずしも「はい」と言えなかったところも記憶に残っています。ゆるしの秘跡を理解することによって、私は「はい」と言えるよう招いて下さったイエス様の声を聞けるようになりました。ゆるしの秘跡のおかげで、私はイエス様、キリスト共同体、そして私の仲間すべてとの関係を深められるようになりました。



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教会委員会報告
10月18日

<報告事項>

(1) 司祭給与分担金制度について

 前回の委員会でテハン神父が発言された「司祭給与分担金制度の影響を教区へ報告したい」との件につき、9月25日臨時運営会議を開き協議した。その結果が片桐委員長から報告された。(別掲参照)

(2) 財務部報告

1.1〜9月財務報告

 財務部から1〜9月財務状況が報告された。収入は4288万円、支出は3961万円で今のところ327万円の黒字。
 収入の部の「献金」はミサ献金が減少、「寄付金」は昨年シャワールーム献金があったため減少、支出の部「宗教活動」は賄い費が人件費に項目変更、「人件費」は司祭減、「事務運営費」は湘南台センター更新料が隔年のため等、「その他」は昨年シャワールームを設置したことなどが減少の主因。
 9月24日エレベータ修理に110万円掛かり未処理となっているなど月またがりがあり、最終決算はなんともいえない。

2. 平成十六年度予算申請

 各ブロック、活動部に来年度予算を申請するよう要請された。委員変更の時期ではあるが、予算は極力現委員で作成されたい。締切りは11月9日(日)。

(3) 共同宣教司牧アンケート

 各ブロック・活動部からいただいた意見を基に片桐委員長が纏めて共同宣教司牧準備会に回答した。「アンケート提出に当り皆さんからご意見をいただきありがとうございました。それぞれ違った立場でのご意見をいただき、それを踏まえて私見を交え回答させていただいた。いずれ準備委員会から返事があると思うので、その時点で再度皆さんと意見を分ち合いたい。」

 因みにアンケートの質問は

  1. 信徒に独特な使命を果たすためにどのようなことが有効と思われるか。

  2. 信徒のもう一つの使命、司牧者に協力して共同体に奉仕するために何ができるか。

  3. 修道者が独自の使命を果たす中で、司祭に協力して共同体に奉仕するためにどのような役割が担えるか。

  4. 司祭・修道者・信徒が協力するために有 効な工夫は何かあるか。

(4) 来年度教会委員会委員について

任期満了となるブロック委員・活動部長の後任は、既に決まっているところ、調整中のところそれぞれであるが、次回一覧で報告したい。
委員長・副委員長についてはテハン神父から現委員を一つのチームとして推薦したいが各ブロックで検討いただき他に推薦するチームがあれば連絡をお願いしたい旨の提案があった。

(5) その他

1.葬儀を考える会

 11月2日(日)九時半ミサ後フォーラムを予定。今回は墓地のことで話合う。事前にアンケート実施中。

<討議事項>

(1) 福祉活動について

 9月28日に行われた福祉フォーラム及び事前のアンケートを踏まえ、福祉部から左記二点の提案があった。

1.「福祉活動連絡会」の設置

 福祉活動グループが互いに横のつながりを持つために、それぞれの代表者で構成する「福祉活動連絡会」を作りたい。連絡会の内容は
  1. 先のアンケート・フォーラムで出された意見・提案をまとめ、各グループ内での検討を依頼する。
  2. 信徒が自由に活動している福祉活動グル ープの物品販売・チケット販売等は一定の 場所で行うよう調整する。
  3. その利用の受付・調整は連絡会の代表者 が行う。
  4. 「ぶどうの木」利用の提案・調整も図る。

2. 活動内容の識別

 連絡会の調整を円滑に行うため、「教会が直接支援する活動」と「信徒が自由に活動する福祉活動」とを委員会で明確にして欲しい。カリタスジャパンの募金活動・短期キリスト教セミナーの申込み・教会が主催するコンサートチケット販売に加え、恒例となっているボーイスカウトやクリスマスのミニバザー、外国コミュニティの物品販売など。
 というもので、前者については異論がなく、連絡会の機能に期待することになった。後者はその判断基準に種々意見があったものの、宣教活動・教育活動など福祉活動とはもともと主旨が異なり連絡会としては調整が難しくなるであろうことが予想される。従って何等かの線引きを行い、これらの団体には連絡会の主旨に合わせた調整をお願いすることになろう。
 第一回連絡会は11月2日午後1時から。コーディネーターは福祉部長が努める。

(2) バザー収益配分について

 宮内企画チームリーダーから事前準備の状況が報告された。賛助金・寄付金・お米等例年を下回っているので連絡網で再度呼びかけを行うこととなった。また、収益金は福祉に回すことになっているが、その配分を「地域の人への福祉を重点に」として、国内7割・国外3割(昨年は6対4)にしたいと報告された。

 従来収益金の配分はバザー担当ブロックに一任されているが、信徒全員が参画する行事なので、各ブロックの意見も取りいれるべきとの手続き論も出され、具体的な配分先は少し期間を置いて各ブロックでの意見をも踏まえて福祉部で立案、12月委員会で決定することとした。

<ブロック・活動部報告>

1. 鵠沼ブロック

 11月30日(日)ブロック集会を予定。

2. 藤沢ブロック

 11月9日(日)ブロック集会を予定。

3. 辻堂ブロック

 11月9日(日)ブロック集会を予定。

4. 北一ブロック

 11月2日(日)ブロック集会を予定。

5. 北二ブロック

 11月22日(土)湘南台センターでブロック集会を予定。

6. 宣教部

 10月19日(日)7時ミサで二人の幼児洗 礼式、九時半ミサで入門式(約20名)

7. 教育部

 11月3日(月)山手教会での横浜教区教会学校のための研修会参加
 11月16日(日)日曜学校保護者授業参観及び懇談会を予定

8. 壮年部

 11月8日(土)壮年部・秋の親睦旅行… 異国情緒溢れる横浜へ
 行先:山手教会・山手西洋館・赤レンガなど

9.その他

  1. 来年度の堅信式日程を横浜教区と調整中

  2. この夏来日し、たまたま当教会のミサに与ったアメリカ人の一家族が当教会の様子に 感動し、何かの役に立つようにと毎月寄付(献金)を寄せていただいている。

 以上



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「司祭給与分担金制度」に関する対応について

1.討議の発端

 来年度から導入が予定されている「司祭給与分担金制度」そのものに反対するものではないが、当教会の財務の現状では、教区への負担額が増えると来年度以降単年度では赤字が続き、メガ・チャーチとして現在平日も活発に行われている諸活動への影響が憂慮される。

このままでは活動を縮小せざるを得なくなることも予測されるので、教区に財務並びに活動状況を充分に説明して、負担率の引き下げなどの検討を依頼したい。

2.制度制定の経緯

 この制度の導入自体は横浜教区報 48号記載のとおり、司祭評議会、経済問題評議会からの答申を受け、宗教法人責任役員会にあたる司祭顧問会で検討の結果、2004 年度からの実施が決定したものである。

 梅村司教は、本制度は小教区主義の克服の一環に繋がるものであり、司牧書簡「交わりとしての教会をめざして」に基づく取り組みのひとつと位置づけられている。司教様はこの制度を通してそのお考えの第一歩を実践していかれるのだと思うし、今後この制度によって一層小教区との交わりが計られ、教区のビジョンなどについても要望を出していけると思われる。

3.結論

 藤沢教会としては教区方針に沿って、「司祭給与分担金制度」に基づき、諸活動や財政面では支出状況(支出の大きな比率を占める人件費や湘南台センターの在り方などを含め)と収入状況の見直しを行うなど、新制度を受け入れるための種々の検討と自助努力をしたい。現在の教会活動に齟齬をきたさないよう努力し、教会運営面での支障や、不都合な点については、教区に十分に説明し理解と協力を得るべきである。

 ついては、「意見書」など書面での意見具申ではなく、教区の担当司祭との懇談の場を持ち、藤沢教会の諸活動への理解や考え方を伝えることとした。



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横浜教区一粒会大会
鵠沼2区 金子

 9月15日、今年の横浜教区一粒会大会は志太榛原(したはいばら)地区の担当で静岡県焼津市文化センターにて開催されました。遠方ではありましたが486名の参加者となり、召命について考え祈る恵みの一日を過ごすことができました。そのことを皆様にご報告させていただきます。

 最初は岩間勉神父様の基調講演です。神父様は今年3月21日に出身教会である浜松教会にて司祭叙階され、現在は山梨県甲府、塩山、そして富士吉田教会にて共同宣教司牧をされています。

 神父様の召命についての話は、「人は何によって生きるのかという問いの中で、生ける水の源泉を求めていく旅であった」とのお話しから始まりました。神父様は27歳で受洗され、父親と同じ建築設計の仕事をされていましたが、阪神淡路大震災において、またカルカッタでの死を待つ人々との出会い、その後の山谷を拠点とした八年間の路上生活など、いくつもの貴重な体験と出会いを重ねる中で、イエスの生き方、言葉に共感するようになり、「来なさい」という言葉に惹かれ司祭職へと誘われました。

「人の痛みに目を向けること、気づくことは、救いの到来に関わることです。生活の中で人を内側から崩壊させる最大のものは、人としての交わりを断たれることですが、実はその世界はイエスを身近に感じられるところ、神様と出会う恵みの場でもあり、死が身近な問題として現れると人はその本質が見えてきます。

 神はいつも共にいてくださることを、闇の中でその光がよく見えてきます。疎外をはじめ飢え乾き苦しむ人との交わりを深め、御父との交わり、そして人間相互の交わりを結びつけているのはキリストであることをそのころ見いだしていきました。その旅の途上でイエス自身が本当の命をもたらす交わりの泉と気付き、神学校の門を叩くことになったのです。

 私たち人間の共同体が目指すところは、御父と子らとの交わりのある国であり、そこで本当に生きる者とされています。イエスはご自分の体で私たち教会を養い、そしてひとつに結びつけようとされています。

 私たちはこの交わりの橋渡し役へと導かれています。神の国はパン種によく喩えられます。イエスの体が私たちに結ばれてこの世に散らされ、そして他者を活かしていく。自らは壊れていきますがそのような存在に変えられていく。こうしてイエスの望みが実現していくのだと思います。私たちはキリストの体として、世を活かすパン種として派遣されています。

 他者を兄弟として迎え入れながら仲介者イエスと共に旅をしていきます。この旅の中で私たちは古い人から新しい人に変えられながら御父の家へ迎え入れられます。聖書には「行きなさい」という呼びかけが至るところで書かれています。蔵の中に貯えられた小麦はそのままでは腐ってしまう。しかし外に広くばらまかれるなら多くの実りが期待できます。最初の呼びかけから十五年の月日を経て、私は新しい仕方で皆さんと共に新しい家造りに加わることとなりました。

 イエスは互いに仕え合う、許し合うことを身をもって示されます。イエスが最も厳しい態度で臨んでいるのは、共同体の交わりの外へと人を追いやってしまう村八分に対してです。父と子、そして神の子の交わりほどイエスにとって大切なものはありません。交わりから遠ざかるとき人や共同体は内部崩壊をしています。この破れを修復し、神のひとつの家族とするためにイエスは十字架に架けられました。御父との交わりを示す縦木と神に愛されている人間どうしの交わりが分裂崩壊しないように、自らの体でそれをしっかり結びつけるために十字架に上がりました。

 生ける水は御父と子らの交わりの国から湧き出ています。私もこの池の水を飲みながら父と子の親しい交わり、そしてそこから生まれる神の子らの家族の交わりからなる国を主が派遣される場に建設するため、キリストの体に結ばれて微力ながら橋渡しを果たしていきたいと望むようになりました。」

 次に当地区の女子修道会で活躍される七人のシスター方をお招きし、各修道会の方針と生活について、また神様からの呼びかけにどう応えられたか、さらには小教区あるいは司祭に対して望まれることなど楽しい雰囲気の中でお話しいただきました。

 午後は大会に参加された方々からの質問を受け岩間勉神父、鵜飼好一神父、そしてファンディンソン神父によるパネルディスカッションが行われました。

 神学校の仕組みと叙階までの段階について司祭になってみなければ判らないことや休日の過ごされ方、また疲れたとき元気の出る食べ物についてなど身近な質問もありました、この大会に参加された教区司祭が少ないのではという質問に、意識的に弱いところもあるのではとしながらも、今司祭たちはとても疲れている、司祭は司牧よりも教会の管理の仕事も多く、休みも取れない実情があると話されたソン神父のお答えが印象的でした。

 最後に大会ミサでの司教様のお話しからご紹介致します。

 先程神学生が少なくなったと話されましたが、私たちの信仰の持ち方いかんに依るのではないかと思います。司教となりそれまで以上に召命に関心を持つようになり、自ら召命に応える青年に働きかけていかなければと思うようになりましたが、司教として皆さんの求めに応じ牧者を派遣できない辛さをこの5年間感じ続けています。

 大会のテーマとなるサムエルへの主の呼びかけですが、少年サムエルはエリの下で主に仕えていた。そのころ主の言葉は臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。そういう時代の中での主のお召しです。またエリも老いに勝てずその姿が述べられています。主から呼ばれたものとして自ら応えてきたわけですが、自分に続く者をやはり危惧していたのだと思います。それは現代の日本の教会と少なからず同じ状況でしょう。しかしこの聖書では「しかし、まだ神の灯は消えておらず」と語られます。この「まだ」という中に私たちは希望を見いだすべきではないかと思います。この言葉はカナの婚宴の時もそうでした。イエス様はマリア様に、まだ私の時は来ていませんと言いました。それでもマリア様は失望することなく主に信頼をおき、僕に水をいっぱいに入れなさいと言いつけました。マリア様も「まだ」というイエス様の言葉に希望をおいていました。

この希望をエリ自身見いだしていたのかもしれません。この難しい現代社会にあって教皇様は司祭職そして司祭召命について書簡を出されました。そのタイトルにはエレミヤ書から「あなた方に牧者を与えよう」「私はあなたたちに心にかなう者を与える」という言葉が引用されました。私たちはこの「まだ」という言葉、そして預言者エレミヤによって与えられた主の約束の言葉に信頼を置きたいと思います。

 福音は金持ちの青年の話でした。「貧しい人に施しなさい。それから私に従いなさい。彼は気を落とし悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたためである。」そう記されています。この話から否定的な形ではありますが召命とは自由に基づくものだということが判ります。召命は私たちの自由が尊重される中で主御自身が呼んでおられること。自分自身の自由意志を持って自ら進んでいくとき、私たちが喜んで何かをするときのことを考えてみたらいいと思います。

 私たちは一回限りの人生の中で価値ある事に向かっています。自らがこれは価値ある事だと判断したが故に自ら進んでそれを成し遂げようとするのでしょう。しかしそこには妨げもあります。この青年の場合には財産でした。今、召命に対しても妨げる様々な事があると思います。それを思うとき、私たち自身真に信仰を持って価値あるものは何なのかということを、若い人に本当に示しているかということがこの召命に関わっています。キリストを信じる私たちキリスト者の物の見方が問われています。キリスト者としての物の見方を真のあるべき方向に回復することこそ、この召命につながる大切な肝要な事と言えるのではないでしょうか。

 キリスト者の物の見方、それはやはりキリスト御自身を見つめる中で言うことができます。イエス様は自ら進んでご自分のすべてを他の人々のために与え続けられました。無償の奉仕の意義、或いは犠牲の価値、完全な自己奉献の真価を私たちは真に認めることこそ大切なことと思います。見返りを求めることなく喜んで人のために働くことの価値、自分を犠牲にして献身的に他者のために働くことの素晴らしさ、大切さを私たち自身が示しているかどうかということがこの召命にも大きく関わっているのです。本当に私たちがその真価を認めそれを日々の生活の中で表しているのならば、その中から若い人は司祭の道へ或いは修道者の道へという選択も自由の内になされるのではないかと思います。

 サムエル記でエリはサムエルの導き手の役割を果たしています。私たちはイエス様を知っています。イエス様がどこにいるかも知っています。そういう意味で良き導き・ルビ・手にもなりうると思います。私たち自身もエリのように、若い人を、イエス様の後に続く人を一人でも多く導いていけることができるよう祈りたいと思います。

 イエス様御自身が共にいてくださる。そしてイエス様を通して神様が私たちの心からの願いを聞いてくだされないことがあろうか。そういう力強い信仰と希望を持って日々の自らの自己献身をもち召命のために祈りたいと思います。今日私たちが一粒会の会員として与えられている使命を確認しながら、共にまた希望を持って歩んでいくことができるように祈ってまいりましょう。



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一粒会大会に参加して
藤沢1区 石川

 皆さん“ショウメイ”ってご存知ですか?ライトを当てることじゃありませんよ。“ショウメイ”とは“召命”と書きます。何のことだか皆さんご存知ですか? 実は私も“ショウメイ”というものがどういうものかぜんぜんわかっていませんでした。最初“ショウメイ”と聞いたとき私は“ライト”と思いました。だから私はその時ある信者さんに「ライトを当てることですか?」と聞きました。そうしたらある信者さんは私にこう言ったのです。「バカ! ライトを当てることじゃないよ!!」って笑いながらいうのです。私はその時頭の中で「はっ!!」って思いました。馬鹿だから私は頭の中で“ライト”しか浮かび上がらなかったのです。本当に馬鹿ですね。そのときは“ショウメイ”ということは私の中では謎に終わりました。

あるとき、ある人から「一粒会の召命の集いに出ない」って誘われました。それを聞いたとき私は謎が解けると思いもちろんOKしました。そして私はこの大会に出て“召命”の話を聞きました。聞くと、確かに“ライト”を当てることじゃないのです。何人かの神父様やシスターが出てきて自分たちが神父やシスターになるまでのことを話してくれました。神父様たちは皆こういうのです「神父やシスターになる気はなかった。でも、最終的には神父やシスターになってしまった」と言いました。私はそれを聞いて召命とは“神様が授けてくれた人生の道”と思いました。それは、自分が一つのものに一生懸命に努力するものではなく、自然的に人生の道が決まることだと思います。

  最後にこの大会に参加して、私はカトリックの信者としてとても勉強になった一日でした。



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壮年部の集い
藤沢3区 大島

 10月5日のミサ後11時より、聖堂側室に壮年部20数名が集い、神父様のお祈りから始まった。神父様よりこの度司教座より示された、教区全体での司祭給与分担金制度の当教会への影響のご説明があり協力を求められた。

 続いて壮年部長より、その場で配布された教会委員会の資料にそって、今年四月より毎月の報告事項と討議事項の説明があった。四月の聖堂天井裏の点検、福祉諸団体の販売・募金活動の報告に始まり、五月には金庫盗難保険の加入、現在のブロック活動についての討議、六月には聖コロンバン会協力者会のコンサートの報告、夏のガーデンパーティー、秋の教会バザーの準備、防災体制、信徒傷害見舞金制度の討議がなされた。七月にはシャワールーム利用状況、県内の共同宣教司牧についての報告があり、九月は福祉フォーラム、バザーの準備状況、来年度の教会委員について討議がなされたとのことです。

 日曜日にしか(しかも毎週ともいかず)この教会活動に参加できない私などには、これだけの諸活動を行い、共同体を動かしていらっしゃるスタッフ、各委員会の皆様の大変なご苦労が伝わってきました。特に、教会入口の右側の元売店の活用の具体化を壮年部の方々が中心になって推進し、自分たちの手で改修、再利用できるようになったと聞き、本当に頭の下がる思いです。私も仕事に余裕ができたなら、いつかこれらの活動に参加させていただければとも願っています。今年で任期が終わる現部長より、次期部長には若手へのバトンタッチが提案され参加者の賛同も得られました。最後にバザー準備、壮年部主催の親睦小旅行、クリスマス飾りつけの予定と参加の呼びかけがあり、小一時間の集いは終了しました。

 なお、これらの壮年部の定例の世話人会は原則毎月第二日曜日九時半ミサ後行われているので、世話人に限らず、多くの方々の飛び入り参加もお待ちしているとのことです。皆様もどうぞ。



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ボーイスカウト藤沢16団 入団・上進式

 10月12日の九時半ミサにおいて、ボーイスカウト藤沢十六団の入団・上進式が行われました。ビーバー15名、カブ6名が入団し、カブへ3名、ボーイへ2名、ベンチャーへ3名が上進しました。ますます盛んな当教会のスカウト活動に一層のご理解、ご支援をお願いします。

ボーイスカウトがんばります!
ビーバース・カウト とりう

 ぼくはかたせきょうかいの土よう学校に、はいっています。土よう学校のおともだちのれいくんがごミサのときにボーイスカウトのせいふくをきていたので、「かっこいいなあ」とおもいました。そして「ぼくもはいってみたいな」とおもいました。

 ボーイスカウトにはいってせいふくをきてうれしかったです。あたらしいおともだちもできました。キャンプとかにいくのがたのしみです。いっしょうけんめいがんばります。

カブ隊上進式
カブスカウト2組 大森

 ぼくは、ビーバーたいからカブたいへ上進しました。

 しんぷさまから、ミサの中で新しい黄色いチーフをもらいました。とてもうれしかったです。

 11月には金とき山へのぼるので、たいへんそうだけど、ちょう上までのぼりたいです。カブたいになったので、いろいろなことをしらべてチャレンジしょうをたくさんとりたいので、がんばります。

上進式のこと
長田

 10月12日とうとうきん張していた上進式の日がきた。ぼくはリハーサルもやっていないし、さらに奉納係もやることになっていたので、とてもきん張してしていた。でも平山副長がやらなくていいといってくれたので少し安心した。ついにちかいを言う時がきた。ぼくは言えるか心配で何度も唱えていた。となりにいる岩木君が言いおわった。そしてぼくがちかいを言った。何とか言うことができたのでほっとした。無事に上進することができてよかった。



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福祉フォーラムを終えて
福祉部

 9月28日、先の福祉部アンケートの結果を踏まえて、福祉フォーラムを開催しました。主任司祭の話に続いて、アンケート結果のまとめと解説、続いてグループに分かれての話し合いを行いました。皆様には活発にご意見の交換していただき、また多くの知恵を出していただきました。大変有り難うございました。

 先に寄せていただきましたアンケートやフォーラムでのご意見、日ごろ感じておられる反省や不満点、今後に対する提案や課題を真摯に受け止め、具体的にアクションプランを早急に検討し、福祉部としての提案を出していきたいと考えております。

 福祉部に貴重なご意見をお寄せいただきました皆様に感謝とご報告を申し上げます。



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福祉フォーラムに参加して
フィリッピン・コミュニティ(FUFILCOM)

 私たちは言葉の問題で、フォーラムとか公式の会議には自信が無かったのですが、フィリピン・コミュニティは3人で参加しました。参加しようと思った理由は国際部の斉藤さんから熱心に誘われたのと、もう一つは6月にフィリピンの独立記念パーティーにあわせて「フィリピンの恵まれない子供のためのミニ・バザー」を計画したところ、神父様の意向でバザーなどのやり方を福祉部で検討するから当分やっては駄目だといわれたので、関心があったからです。

 フォーラムは周りの人たちに助けられながらの話し合いでしたが少しは自分たちの考えを話すことができました。でも終わってみるとなんでこのような集まりがわざわざ開かれたのか私たちにはよく分からないというのが正直な感想です。せっかく参加しましたが、このようなアンケート調査をしていることを私たちには通知してもらえなかったのが残念です。英語のミサには百人以上のフィリピン人がいるので、英語のアンケートも準備してほしかったですね。

 フォーラムが終わってから国際部のスタッフとランチを食べながら感想を話し合い、またアンケート調査のレポートから外国人コミュニティに関係ある次の意見を訳してもらいました。

「海外援助より身近の貧しい人を助けたほうがよい」「日本よりカトリック国のブラジルフィリピン、ボリビアの信者には金持ちが大勢いるから、その国のことはその国で解決したらよい」個人の意見はそれぞれ自由だと思いますが、皆さんはこの意見を聞いてどう思いますか。

 私たちは驚いたというか本当に悲しくなってしまいました。日本なら森ビルや西部の会長さんにお願いすればいいということでしょうか。

 藤沢のフィリピン・コミュニティのメンバーもここ数年でだいぶ変わりました。出稼ぎの労働者は減り、日本人と結婚してパーマネントビザをもっているメンバーが中心になっています。これからは子供の育児や教育などの悩みや問題が出てくると思います。

 皆さんこれからも共同体の一員として私たちフィリピン・コミュニティをよろしくお願いします。



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仏教とキリスト教 ・神の愛と仏の慈悲
藤沢2区 兼子

「愛より憂いと虞れが生ず。愛を離れたる人には憂いも虞もなし」法句経二一二 。仏教では愛を否定する。愛は欲愛であり渇愛であり、所詮は解脱を妨げるところの執着だから。でもこの仏教でいうところの愛はすべて自己愛に発すると考える点でキリスト教的な愛(主としてアガペー)とは本質的に異なる。自己を捨て他者のために行う無償の愛は、根底において少しも自己愛を含まない。なるほど異性愛(エロース)には、根底に自己愛が潜んでいるとしても、福音書やパウロの書簡に説かれるキリスト教的愛は自己愛とは無縁だ。そう言う意味でアガペーは独特である。私はエロースとアガペーの違いを説明するとき、A・ニーグレンの有名な対比も援用するが、もっと俗っぽく次のように違いを述べる。つまりエロース(勿論、プラトン的な意味ではない) というのは「いつでも可愛さ余って憎さ百倍」になる。数々の名場面、耳に谺する旋律(ハバネラ、乾杯の歌)で有名な歌劇『カルメン』。私は最後の場面でドン・ホセがカルメンを刺す所にギリシャ悲劇をみているような感動を覚える。あれは極限の愛(エロース)の表現だ。あれ程までに男が女を愛せるだろうか。あれ程までに現代人は情熱に突き動かされることがあるだろうか。それに対してアガペーは忍耐強い。現代においてキリストの愛を実践したマザー・テレサが、もしインドで狂信者から殺害されたら(勿論、現実にはそうでなかったのだが)、彼女は臨終に際してこう呟いたことだろう。「主よ、どうか、この人をお許し下さい。この人は自分のしたことが判・っていないのですから」と。

仏教では愛の代わりに慈悲を説く。慈悲の慈はサンスクリットのマイトレーアで、その意味はすべての人間に対する共感、深い理解。悲はカルナー苦しみだ。それ故、慈悲とは他者をその根底から理解し苦しみを抜く行為。私たちの苦しみを己が苦しみとして抜き取って下さる方が菩薩なのだ。このような仏教の慈悲の意味を知れば、あの北森嘉蔵師の『神の痛みの神学』や遠藤周作の『同伴者イエス』がなぜ日本の宗教的土壌の中から生まれたのか理解できるだろう。遠藤の『沈黙』という作品のなかで神がロドリゴに「踏むがいい、お前の足の痛みは私がいちばんよく知っている」と言う箇所がある。実際はそう語ったというより、ロドリゴの回想の中で神がそう語ったような気がしたのだが・・。たいへん感動したという人もあれば、最後まで神に沈黙を守って欲しかった。もし沈黙を破るのなら、我に従えとのみ言って欲しかったとか人々の反応は様々だ。司祭として踏絵を踏むべきでないという当為と他人の苦痛を見捨てられぬという人間としての憐憫による葛藤。あそこではあっさり憐憫が勝つ。小説作法から言えば、神が沈黙を破るにいたるプロセスの心理描写が必ずしも十分とは言えず、所謂「ため」がないのだが、あそこで遠藤が神に沈黙を破らせたこと自体はたいへんな快挙だ。何故ならロドリゴは自分の苦痛を免れるため(自利)ではなく、穴吊るしにあって苦しんでいる農民を苦痛から解放するため、全くの憐憫の情(他利)から踏むのだから。無辜の農民の苦しみを見捨てることによって手に入れられる殉教者の栄光。そんな栄光になんの価値があるのか。遠藤はそう言いたかったのだ。むしろ殉教の栄光もすべての名誉も奪われ女犯の罪さえ犯す、そのような惨めな境遇に落ちた己れを自嘲することなく、なお周囲の人々にキリストの愛を説く転び司祭ロドリゴ。そこに差し込む冬の日溜まりのようなしみじみとした神の愛。それは転び者でなければ判らぬ。遠藤はそれを見事に描いたのである。愛の一種である憐憫の行為が当為に勝さる。私はここに遠藤の文学者としての賭をみる。ここには遠藤が尊敬する芥川の『杜子春』が影響しているかも知れない。もっと明確なのは遠藤が小説を書く上で参考にしたグレアム・グリーンだ。『事件の核心』の中で、グリーンは妻と若い愛人に対する憐憫の板挟みから逃れるため自殺の大罪を侵すスコービーという主人公を描く。自殺や犯罪がらみのうさんくさい背景にもかかわらず、神父の口からスコービーは自殺を選んだけれども誰よりも神を愛していたことが述べられる。勿論、スコービーが神をより多く愛したが故にその罪は許されたことが暗示されている。

 石丸晶子氏の編訳『法然の手紙』(人文書院)のなかに上人が室津の遊女に示された言葉がある。遊女は自分の身すぎの罪深さを自覚して地獄に落ちなければならぬことを恐れる。それに対し上人は「遊女をしている貴女の罪障は軽くない。それは過去世からの因縁であるが、現在のあなたの罪障がまた未来の災いの種になるだろう。もし遊女以外の生活の手段があり、またそれを厭う気持ちが身命を省みぬくらい強ければ、この仕事から足を洗いなさい。しかし身命を捨てる気迄はないのなら、今のままでよいからひたすら念仏を唱えなさい。そうすれば阿弥陀如来は必ずあなたを極楽往生させて下さる。如来はあなたのような罪ふかい女性の往生のために願をたてられたのだから」と答える。それを聞いて遊女は安堵の涙を流して帰っていった。法然のなんという優しさか。

 イエスの頃に不幸な境遇の女性の職業は限られていた。義人として律法を犯す罪人を断罪することはたやすい。しかし神の眼からみれば人間はすべて罪人である。一人として罪を免れている者はない。流石にユダヤ人はこのことを深く自覚していた。だからイエスは「このなかで罪を犯したことのない者が先ず石を投げよ」と言われ、辺りに一人もいなくなると「私もあなたを罪にさだめない。今後は罪を犯さないように」と諭されたのだった。



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葬儀を考える会Q&A

Q.先日、葬儀ミサに参列したとき、司式をした司祭の祭服が「白」でした。祭服はこれまで「黒」だとばかり思っていたのですが、何故「白」なのか教えてください。

A.第二バチカン公会議以前は黒い祭服が主に用いられていましたが、公会議以後は、典礼的には、帰天された方の新たないのちへの過ぎ越と復活を表す白い祭服の仕様がすすめられています。しかし、日本では葬儀には黒を着用するとの習慣が一般的で、カトリック信者でない方が多い参列者のことを考えると、必ずしもその考え方が受け入れられるとは限りません。そこで司式者は信者でない参列者が多い場合などには、参列者の気持ちなどに配慮して「黒」や「紫」を選ぶことが多くなります。

 仕様祭服の色は、以上のように特別な希望がなければ司式者が決めますが、遺族側から希望がありましたらお申し出ください。



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11月の主な行事

1(土)諸聖人

2(日)死者の日 葬儀フォーラム・北一ブロック集会

7(金)初金

8(土)壮年部親睦旅行

9(日)七五三祝福式12時より 辻堂ブロック・藤沢ブロック集会

15(土)短期キリスト教セミナー

16(日)日曜学校授業参観・懇談会

22(土)短期キリスト教セミナー

23(日)王であるキリスト 静修の集い

29(土)短期キリスト教セミナー

30(日)待降節第一主日 入信志願式