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八 角 形 に ゅ ー す

2004年7月4日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

聖霊降臨の力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハンラティ神父

教会委員会報告

バザー準備についてお知らせ

北部ブロックの黙想会のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 鹿野

壮年部新人歓迎会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 里原

「障がい共に歩む集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部

訪問介護員養成研修を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 今子

ウガンダのこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮内

キジト神父からの手紙

図書室たより

仏教とキリスト教(11)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

7月の主な行事

お墓を考える・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葬儀を考える会

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聖霊降臨の力
ハンラティ神父

 私がイエス様のご昇天を考える時、先ず想像することは、弟子たちの気持ちです。彼らは、突然パニック状態になったと思います。彼らは、弟子からリーダーに昇格しました。いろいろなことに影響を及ぼす決定や、行動の責任はすべて彼らにかかってきます! 彼らが、助けを求めて集まり、熱心に祈るのは、この重大な責任を果たさなければならない気持がある時です。

 そして、聖霊が下るのは、この状態になった時です。私たちは、聖書の中で、弟子たちが聖霊によって変わっていく様子、そして、使徒言行録を通して、初代教会の共同体が、どのようにして成長したかを知ることが出来ます。

 この成長は、四本の柱によるものでした。

1.個人的、また、共同体の祈りの精神

「彼らは皆、…心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒言行録1:14)そして、その大部分は賛美の祈り、また、神の声を聴くために待つ祈りでした。

2.信仰を分かち合う精神

これは、キリスト者一人一人が、各自の生活や共同体で神様が働いていらっしゃることに気づいたことを、お互いに分かち合うことです。これによって彼らは信仰を深めました。大きな論争の中 で、例えばキリスト者の割礼について(使徒言行録15章)、お互いの話を聞いたり、共に神様の声を聴きました。

3.周りの社会に向って順応していく精神

 彼らは、神様から頂いた賜物をまだ受けていない人たちに、もっと広く分かち合いたいというイエス様の望みを心に留めていました。和解、一致、そして、霊的にも物質的にもより寛大に分かち合うために働きました。リーダーたちは、この大切な仕事を進めるために、直ちに「"霊"と知恵に満ちた評判の良い人」を選出しました。(使徒言行録6:2) そして、使徒たちもリーダーたちも、貧しい人たち、病人、見捨てられた人たち、外国人たち、サマリア人たちの元にさえも行き、イエス様の望みを実践し続けました。

4.宣教の精神

 彼らは、近隣の人たちと「福音」を分かち合っただけではなく、それを広めるために旅を始めました。彼らは、サマリアへ行き、その後キプロス、トルコ、ギリシアを通って、ローマにまで行ったことを私たちは知っています。彼らは、このことをするよう、聖霊に導かれました! 祈りの精神が、彼らを結び一体にして、刑務所でも、迫害の時も、「福音」を広めるために努力している時も、互いに祈り、支え合いました。

 これらの四本の柱は、ある程度、共通の部分があり、相互に連結し、高め合っています。 どの所でも、聴くことが大変大事なことに気づきます。それは、聖霊が働いていることを表しています。

 私たちは、現在、ここ藤沢で、これらの四本の柱が働いている例を見ることが出来ますか? これらの方法で、聖霊が働いているのが見えませんか? 聖霊が私たちの中で、そして、私たちを通して・・個人的にも全体的にも・・働いているのが見えませんか?

 次の記事の中で、私が見た藤沢で起こっているこれらの四本の柱の例を取り上げるつもりです。

 それまでに、皆様もご自分でリストを作ってみたらいかがでしょうか。そして、私たちの中で働いてくださる聖霊に一緒に感謝いたしましょう。特に、弟子からリーダーに成長している人々のために。



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教会委員会報告(6月19日)

<報告事項>

(1)売店検討チーム

 「八角形にゅーす」4月号で紹介した8名のメンバーによる委員会への報告がなされた。

 他教会(鎌倉雪の下、茅ヶ崎、イグナチオ)を訪問してそれぞれの売店の実状を調査するなど、入念かつ詳細な内容であり、その中で「未来に向かって」の観点から改善すべき事項として

  1. 経費のウエイトが高く、販売利益の大半を消費してしまうこと

  2. 不良在庫の発生につながりかねない在庫が多いこと

  3. 売店設備の改善が必要なこと

  4. 会計処理を財務部に統合した方が良いこと、が挙げられた。

 そもそも売店の位置づけ(宣教の場が収益事業か)をどう考えるかなど、今後委員会で討議していく。

(2)墓地(合葬・納骨堂)用地

 聖心の布教姉妹会の総長からテハン神父に申し入れがあり、墓地の検討を行っていることを「八角形にゅーす」で知ってみそのの土地を一部利用されたらいかがかとの提案がなされた。具体的には敷地内の北東にある10×100bの土地で、裏門に近く善行駅や教育センターバス停からも便利なところ。合葬の場としてばかりでなく納骨堂も可能であり、これまでの対象も含めて、より広い選択の中で検討を進めていく。

(3)湘南台センター

 現在の湘南台センターは

  1. 二階までの階段がお年寄りやハンディを持つ人の利用に厳しいこと

  2. 家賃などの経済的負担が大きいこと

が問題点とされているが、これらを少しでも解消し、かつ外国人などより広い利用が可能となる物件を北ブロックの方々が探してきたが、このたび湘南台駅南口前に有力な候補先をみつけ、検討している。より利用しやすくするための改善などについて交渉する。

(4)ブロック

@鵠沼ブロック

A藤沢ブロック

B辻堂ブロック

D北二ブロック

(5)活動部

@典礼部

A総務部

B宣教部

C福祉部

D教育部

E壮年部

F国際部

(6)その他

@バザー

 10月24日北一・北二ブロック合同で実施。テーマは「50年の歩みに感謝、皆でバザー」で代表は辻垣さん(北一)、今回も賛助金をお願いする。収益金の使途はこれから検討、特に若い人、外国人の参加、協力を期待したい。

Aガーデンパーティー

 8月7日(土)午後5時〜7時
 今回は出来るだけ負担を少なくしたいという意向でテントははらず、椅子とテーブルのみを用意する。
 食べ物はおにぎり、唐揚げ、枝豆をセットで500円で前売りする。
 7月中に三回事前申し込みを行い、申込みが150名未満の場合は中止する。雨天の場合も中止とする。

<討議事項>

(1)50周年

 50周年の「準備チーム」を発足する。メンバーは兼子(F2)をリーダーとし、岡田(F1)、八木(大庭)、小藤(K2),三神(大庭)の5名。個別事項の実施可否やスケジュール調整などを行う。

<その他>

  1. 6月23日に日本山の平和行脚が当教会に泊まる。

  2. 7月25日葬儀を考える会では、納棺、火葬の時の祈りについての研修会を行う。各ブロックの参加をお願いする。

  3. センターの部屋を使用したあとの電気やクーラーの消しわすれのないよう責任者は責任をもってほしい。また聖堂は昼間は蛍光灯のみを点灯し、ダウンライトはつけないこと。



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バザー準備についてお知らせ
北1、北2ブロック担当

○テーマ

 「50年の歩みに感謝」みんなでバザー

○打合せ日程

  7月11日(日) 11時〜13時  聖堂側室
  7月25日(日) 11時〜13時  聖堂側室
  9月 5日(日) 11時〜13時  204号室
  9月26日(日) 11時〜13時  聖堂側室
  10月 3日(日) 11時〜13時  204号室
  10月10日(日) 11時〜13時  聖堂側室
  10月17日(日) 11時〜13時  聖堂側室

○バザー委員長

 バザー委員長は置かないで各係に代表を置き、責任体制を取る。しかし全体の窓口が必要なので辻垣氏に決まる。

○バザー賛助金

 バザーの収益金は当日の飲食費と物品の売上金及び皆様の善意の賛助金(寄付)によるものです。無記名、任意金額とします。普段、教会から離れている方々にも受け入れやすい文、アピールを考えたい。来年50周年に向けて良い働きとなりますように。

○バザー収益金の使用について

 有志のバザーである故、ある程度の意向を強め(使途金の行方)福祉へ分配するか? 教会の修繕費とするか? 宣教の拠点である湘南台センター10周年に使用するか? また教会50周年など、収益金の使用目的はなんらかのテーマで決めたい。

○出店の希望を募る

 聖堂入口に掲示する。(7月20日締め切) 歓迎 趣味の店、体験教室など。

○みんなで集うバザー

 壮年、婦人は当然ですが、これからは若い人、また外国コミュニティとの積極的参加が2004年北部主催バザーの鍵を握っています。ボーイスカウト、教育部にたいしては浅野さんを通して、各家庭の息子さん、娘さんへの呼びかけをして行きたいと思います。 みそののシスターの当初からの参加もお願いしたいと考えております。 楽しんで共に働きましょう。皆さまのお力をお貸しくださいますよう、よろしくお願いいたします。



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北部ブロックの黙想会のこと
善行 鹿野

 6月6日、夜半からの雨が降りしきる中、国井神父様をお迎えしての黙想会が、聖園マリア幼稚園で行われました。

 トルコから帰国されたばかりの神父様は、お疲れもみせられず、時に笑いを誘い、時にバリトンをホールに響かせ、約60名の参加者を魅了してしまわれました。

 始めに「復活祭は終わりましたが、今日は復活のことを考えたい」といわれました。

 ご自身のトルコ巡礼で、この度改めて強くパウロが三度もかの地を訪れていることを想われたそうです。ファリサイ派の中でも強い権限を持ち、キリスト迫害の先頭に立っていたあのパウロがなぜ、この想像を絶する苦難にみちた旅を繰り返したのか。キリストに呼びかけられ、魂にふれられ、その愛が内から燃える火となって彼をつき動かした。その火にかり立てられ福音をのべ伝えずにいられなくなったパウロ。          また主を三度否んだペテロ。

 マカオへの道で、合わせる顔もない思いでいて主の顔を見分けられなかった弟子たち。「取って読め」(告白録)といわれたアウグスティヌス。みな惨めさを体験している。

 回心と信仰のプロセスは各々異なるが、この二つを切り離すことはできない。

 人は自分で罪を犯すが自分では許すことは出来ない。神だけが人の汚れを浄め、絶望から解放し希望へ向かわせることができる。その働きをする方(イエス・キリスト)が今もなお生きて共に歩んでくださっている。この事実が各人の復活体験である。

 回心と信仰のプロセスは各自異なるが、この二つを切り離すことはできない。

 人間の自己愛は根強くしぶとい、変わるためには恵みが必要である。

 神の招きに応え、神との交わりを深めるために生活の中で必要なこと二つ。

1.朝夕の祈りは時間を決めて必ず行うこと。食事を欠けば空腹を覚えるが、霊魂の飢えは気付きにくい、祈りは決めて行う必要がある。これは自分の言葉で祈るのがよい。

2.よく黙想すること。

祈りの言葉、詩篇、聖句などを徐々に暗記して味わっていくことがすばらしい祈りになる。

 主日のミサにあずかり、その後、信仰の勝負は月曜から土曜までの生活です。

 このようなことを力強く話してくださいました。

 午後2時からのミサは、エマオへの道を想定して通常と異なる形で行われました。

 エマオへ向かった弟子たちと合流された主が、途中の宿でパンをさかれ、そこで参加者一同形色食の聖体拝領をしました。

 講話の中では、新約聖書を気仙語(岩手県沿岸南部の方言)に訳された、イエスが湖上を歩かれた聖書の場面の録音もお聴きしました。皆様との分かち合いの時には、「ケセン語訳聖書」の山浦医師と大学が同窓という藤沢一区の竹内さんのお話もあり、他にも弟子とイエスのマカオへの道で、イエスはなぜもっと早く名乗ってくださらなかったのだろうかという方など、感銘深い中にも和やかな会で終わりました。

 終わりになりましたが、聖園マリア幼稚園のシスター山下園長先生に、一同心から感謝しております。幼稚園の可愛いお教室も楽しく、皆しあわせな気持ちでした。

 また、お世話になることが出来ればと係も申しておりました。心からお礼申し上げます。



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壮年部新人歓迎会
大庭 里原

 6月6日(日)11時から壮年部新人歓迎会が行われました。その日は、北一・北二の黙想会も同時に行われていまして、参加者が少ないものと予想していましたが、新人の方9名を含め、38名の方の参加がございました。最初にテハン主任司祭のお言葉をいただきました。その中で協力司祭についてのお話があり、司祭数減に伴って、信徒一人ひとりが担っていく役割が大切になっていくものとあらためて認識致しました。

 高田さんの司会で会は進められ、主任司祭のご挨拶の後に食事をいただきながら歓談に入り、まず参加された新人の方全員から自己紹介のご挨拶をいただきました。それぞれの方がどのようにして藤沢教会と関わるようになったか、日頃の活動について、何よりも一人ひとりのお名前とお顔を知ることができて良かったと思います。その後、これまでの壮年部の活動報告と今後の予定の説明を行いました。特にバザーに関しては力仕事も多く、どうしても男性の人手が必要となりますので、皆様にご協力をお願い致しました。

 参加者の中から、女性の方、ご夫婦での参加を是非呼びかけて欲しいとのご意見がございましたが、そのことについては壮年の方々の中でも様々な考えがあると思いますので、今のところ、そのようなご意見として伺っておきますので、ご理解下さい。新人歓迎会も各ブロックで行っているので、それを含めて壮年部の行事の見直しの意見もあります。ブロック間の連携、ブロックを超えて知り合う、横の繋がりという意味では壮年部の新年会、歓迎会の意義はあると考えています。壮年部の行事などに関して、どんなことでもご意見がございましたら、世話人の方どなたかにお寄せいただけば幸いです。



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「障がい共に歩む集い」に参加して
福祉部

 5月22日(土)カトリック山手教会において、第8回「障がい共に歩む集い」が横浜教区福祉委員会主催で開催され、東京、神奈川、長野、静岡から150名位参加されました。講演には菊名教会主任司祭の石川裕之師が、マルコによる福音書より、「盲人バルティマイをいやす」を引用され、ご自分の聴覚障がいになられた経過をもとに話をしてくださいました。家族だけではなく、街中でふとすれ違う一般の人々も、障がいのある人の日常にかかわる大切なパートナーです。障がいをもつ人と持たない人が共に歩むという重要性を私たちは知る必要があります。

 御ミサは梅村司教さまによる手話ミサが行われ、また分科会は10グループに分かれ、それぞれの分かち合いが行われました。そこで藤沢教会の〇〇さんはお元気ですか? とか□□さんは今日いらっしゃらないですかと動静を聞かれたり、また藤沢教会が活発にホームレス支援をおこなっていることを多くの方がご存じでした。いかに藤沢教会の沢山の方々が教会内外で活動されているか、私たちもその方々に続きたいと思います。

 この手話ミサに集まった多数の方が一緒になり、手話を交えミサに参加された光景を見て、藤沢教会でも試行してみてはどうかと思いました。手話ミサの採用などを含めて典礼がバリアフリーになっていくことによって教会はより地域の障がいを持たれている方々に開かれた場所となっていくのではないでしょうか。         ・・神に感謝 ・・



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訪問介護員養成研修を終えて
辻堂1区 今子

 私は、この研修を受けるまで、援助する側される側というのを余り意識してきませんでしたし、福祉とボランティアの区別もよく分からない状態でした。よって、ホームヘルパーといっても確かな知識があったわけではありません。ただ、祖母と生活し、祖母自身介護を必要としていたので、祖母を介護する母や、ヘルパーの姿を目にしてきました。

 祖母との生活がなければ、恐らく「老い」を迎えるということがどういうことなのか、考えることはなかったと思います。この研修を受ける前、介護を必要とする祖母と共にいる生活は、私自身この状況を理解し受け入れるまでにはいかず、常にどこか違和感があったように思います。よって、自分の老いていく姿を、今の自分の延長線上に置くことは不可能でした。

 研修中、講義を聴いていく中で、理解に苦しむということはあまりありませんでした。もちろん、使われている言葉は初めての言葉ばかりでしたが、話の流れは、祖母のいる生活のおかげですんなりと私の中に入っていきました。そして、経験した事の土台として知識を得ることで、今まで意識することのなかった「老い」ということに対しても、「死」を迎える前段階として、自分の進む道の延長上に置くことができるようになった気がします。

 この研修には、講義を聴くだけでなく実習もあります。視覚障害者のガイドヘルプや、実際に福祉の現場に行き、体を使った学習も行いました。そこで得られたものは、知識として以上に大切なものを得たように思います。社会の中で生きていく以上、人との関わりは大切なものだと思います。研修を受ける以前は、人との関わりに対し、無意識にコミュニケーションを取ってきました。しかし、今回の研修で、意識しなければできないコミュニケーションの仕方があるということを知りました。言葉で言うなら、受容、フィードバック。援助する側、される側という場において、これは非常に大切なことだと思います。相手が必要なことは何か、そして、それに対し自分は何をすべきか、出来るのか。一方向のみのやり取りでは成立しない場が、福祉の現場なのかと考えました。もちろん、これは普段の生活や、福祉以外の他の分野でも大いに必要なことだと思います。ただ、必要以上に、この「受容」という言葉の持つ意味を考えさせられました。

 研修を終えた今、普段何気なく通り過ぎていく人の流れなの中で、高齢者、障害者の姿をしっかり目に捉えるようになりました。そして、この方達以上に、たくさんの方が、在宅で、また病院等におられるということを意識します。この研修で身につけたことを忘れず、生かしながら、これからも社会と関わっていこうと考えております。



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ウガンダのこと
宮内

 5月の半ば頃、キジト神父様からお便りをいただきました。また、お手紙と一緒に以前私がお尋ねした、ウガンダでの物価に関するいくつかの質問にもお答えくださいました。

 まず、キジト神父様の近況ですが、復活祭後は本当にお忙しかったようです。というのも5月1日に、キャングワリ難民居住区内(キジト神父様がチャプレンをなさっているところ)に現在建設中の聖パトリック教会を、ホイマ教区(キジト神父様の教区)のビャバザイレ司教様が訪問なさることになっていたので、その準備をしなければならなかったからだそうです。

 聖パトリック教会は、完成すれば難民居住区内の活動拠点になる予定であり、キジト神父様のリーダーシップのもと、昨年から難民の方達を中心に建設が進められてきました。そして、建設資金は日本のコロンバン会の教会から受けたご寄付でまかなわれてきました(聖パトリックの名がついているのはそのためです)。昨年私が初めて建設現場を訪れた時は土台しかなかったのに、今回神父様が送ってくださった写真では、もう完成間近という雰囲気でした。三万人近い難民の方達のためにも、彼らのために働かれている神父様のためにも一刻も早い完成が望まれます。

 キジト神父様への質問とお答えは以下の通りです。参考までにウガンダの一人あたりの国民総生産は330米ドル(1997年。インドやバングラディシュよりも低い)です。私がウガンダにいた時も感じたことですが、貧富の差が激しい上に物価が高いため、ほとんどの人々は厳しい生活を強いられていることが、神父様のお答えからよくわかります。

Q1.一般のウガンダ人が、最低限必要なものを手に入れながら、1ヶ月生活していくにはどのくらいかかりますか? また、1家庭の1ヶ月の食費を教えてください。

A.それは、その人が住んでいる地域により ます。県によってはとても高くかかります。だいたい田舎では130米ドル、都会では 150米ドルぐらいです。ウガンダでは平均的な家庭は10人家族かそれ以上です。ですから、食費は約350ドルかかります。

Q2.公務員の平均年収を教えてください。

A.大学を卒業している教職員ならば、勤務先の学校にもよりますが、1,250米ドル ぐらいです。(注:ウガンダでは学校の格差が激しく、その分、教職員の収入の格差も激しいようです。)

Q3.1/10/100米ドルでそれぞれ何が出来るか教えてください。

A.1米ドルなら、小さな雄鶏1羽かパイナップル2個を買えます。あるいは石油1リットルを買うことが出来ます。10米ドルだと、シャツ1着かズボン1本を買うことが出来ます。100米ドルなら、ごくありふれた自転車を1台購入することが出来ます。

 最後にもう一つ、うれしいお知らせがあります。ウガンダの会からのご支援によって神学校で勉強されていたジョアキム助祭(当時)が、6月19日にホイマ教区司祭に叙階されました。キジト神父様のもとで過ごされたことが多かった方なので、神父様にとって大変な喜びであろうと思います。昨年私がウガンダに行った際にもとても親切にしていただきました。どうかジョアキム新司祭のためにお祈りください。



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キジト神父からの手紙

 藤沢のいとこ達へ

 先日浮田さんにお電話ができてよかったです。あの日は健康診断で首都(カンパラ)に出かけていました。

 おかげさまで私の健康状態は上々です。右手の親指の怪我も順調によくなっています。お祈りとご寄付による皆様の変わりないサポートに心から感謝いたします。

 イースターに、CORR神父様を通して20万円のご寄付を受け取りました。本当にありがとう。難民の人達には特別ありがたいことです。

 また、栃木のアジア学院に留学しているジャン・ピエールさんのスポンサーになっていただき感謝の気持ちは言葉では言い表せません。彼が勉強を終えて帰ってくれば。私たちの大きな力になってくれるでしょう。

 5月も末になりこちらは非常に暑く乾燥しています。雨が期待されていたのですが、全く降っていません。作物も干からび始めています。難民キャンプの食糧難が心配されます。

 今年はとても忙しい四旬節でした。ジャン・ピエールさんのビザのためにほとんど毎日のようにカンパラの日本大使館に行きました。ビザの取得は非常に難しかったですが、それでも最後には神様の助けをいただいて発行してもらうことができました。

 そしてすぐに今度はホイマから司教様をお迎する準備にとりかかりました。司教様は4月27、28、29日の3日間滞在され、私たちの手で建てた聖パトリック難民司牧センターの祝福をいただきました。私を通して寄せられる皆様からのご寄付のほとんどがこのプロジェクトのために使われました。私を通して寄せられる皆様からの大きな支援に、司教様は深い印象を受けられたようでした。皆本当に感謝しています。

 最後に、今年のバザーのためにご希望の品、了解しました。もうすでに準備にとりかかっています。その都度、浮田さんから情報がいくことになります。

 ホイマのいとこ達に、惜しみない愛と心遣いをくださる皆様一人ひとりに、神様の恵みが豊かにありますように。

          さようなら キジト



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図書室たより

「9・11ジェネレーション」・・米国留学中の女子高生が学んだ「戦争」 岡崎 玲子著

 あの日から、米国はイラク戦争へ。

歴史的事件を留学中に肌で感じた女子高生がアメリカの本質と日本の未来を問い平和への願いを綴った新書です。中高生ぜひ読んでもらいたい一冊です。

「神の慈しみの島 東ティモール」   亀崎 善江著

 動乱と貧しさの中で、信仰深くけなげに生きる東ティモールの村人たち、荻野吟子賞を受賞した女医であるシスターが10年間の奉仕を通して、その生きざまを描いた感動の記録。

(講演集)

「第二バチカン公会議と私たちの歩む道」   粕谷甲一 南雲正晴 シェガル 雨宮慧

 第二バチカン公会議の精神を私たち信徒はどのくらいきちんと理解し、自分のものにしているのでしょうか。この講演集は第二バチカン公会議の理念をきっちりと見直しておこうという切なる願いによって企画された実りです。

「世界の礼拝」

 シンフォニア エキュメニカ式文集       神田健次 監修

 各地の固有の文化、伝統を生かしつつもそれを超えて共にささげる礼拝。

 キリスト教の中にある分裂を癒し、主にあって一つとなり、平和や正義の実現のために結び合わされることへと導き。礼拝を豊かにする一冊です。

「ウオークインザライト・・暮らしの中にある聖書」のご紹介

 北一ブロック池田孝さんが右記の本を出版されました。

「なにげない日々の中にも、神様の愛があふれています」という言葉にひかれてページを繰ったらいつのまにか引き込まれておりました。

「聖書を介して私の何かを気づかせてくださった〈神の愛〉が、具体的な日々の暮らしの中でどのように働いているのかその愛に気づいた感動を独りじめにしたくない、より多くの人たちと共有したい本書はそんな願いから書かれたものです」という池田さんのお言葉に私も気づきのチャンスをいただきました。毎日出会う聖書の御言葉が私のこれまでの人生の一場面一場面を照らし出してくれるようになったのです。

皆様にもぜひお読みいただきたいご本です。    (碧天舎1,050円)・



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仏教とキリスト教(11)キリスト教的霊性、その3「主の祈り」
藤沢2区 兼子

 キリスト者の祈りのなかで最もよく知られミサや礼拝のなかで必ず唱えられる祈りがこの「主の祈り」である。福音書ではイエスの弟子の一人が「主よ、洗礼者ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えて下さい」(ルカ11:1) とイエスに乞う。文脈から察すると、この出来事はイエスが何人かの弟子とともに、それまで属していた兄貴分の洗礼者ヨハネの所を出て独自の分派活動を始めた頃のことと思われる。

史的にはパリサイ派の敬虔主義ハシディームのラビ(ユダヤ教教師) だったイエスは、代々ユダヤ教に伝わる最も大事な祈りのエッセンスをルカやマタイの福音書にみるような形で弟子たちに教えられたのだろう。その「主の祈り」を我々はどう祈るべきか。

そもそも祈りには四つの要素があり、それを英語の頭文字アクロニムでいうと次の四つになる。即ちACTS:Aはアドミレーションで主の賛美、Cは懺悔コンフェッション(尤もこの英語の語義は信仰などを証しすることである。英国史にエドワード懺悔王と呼ばれる王様がいるが正しくは神の証誓王というべきであろう) 、Tはサンクスギヴィング感謝そしてSはサプリケーション懇願である。これを念頭に今、主イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」を考えてみよう。

「天におられる私たちの父よ」これはイエスが自分を遣わされた天の父なる神に対してする親愛にみちた呼びかけだ。神の子である主イエスをとおして、我々もまた天なる父(神)の子と呼ばれ得るのだ。「み名が聖とされますように」は神のみ名(古代においては名は実体そのものと考えられた)が人々に相応しい尊崇の対象として崇められるように。言い換えると人々が聖なるもの、神のものとなるようにという意味である。「み国が来ますように」の「み国」とは神の国(敬虔なユダヤ人キリスト者であったマタイによると天国)、神の支配バジレイア・セウであるが、これは我々が死後に行く天国のことではなく、現実の人間社会の只中で人間が人間として扱われること。隣人愛に貫かれた関係が現実社会の中に行き渡りますようにという意味だ。現実を見てみると、当時も今も人は人にとって狼であるし、多くの他人の存在は搾取の対象や無人格の労働力でしかない。それは個人と個人との関係においても同じである。何故なら現代人の多くは、例えば異性との関係を考えてみれば、殆どの場合、男女とも異性を単なる欲望充足の対象と見ているのではないか。はたして恋人(または配偶者)を人格的な存在愛の対象とみているだろうか。多くは人格ではなく肉体をもつ物的存在と見なしているのではないか。イエスは無論、死後などどうでもいいとは仰らなかったが、大事なことは現世の対人関係において我々が他人を人格的存在として捉え、単なる物としてみないこと。それをイエスは教えておられるのではなかろうか。だからこそ、別な箇所でイエスは「神の国はいつ来るか」という問いに対して神の国は何時とかどこにとかいうように、時空にその所在を問うべきものではなく、イエスの愛の教えを実践する人々の間において既に始まっていると仰っているのだ。

「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」。これに関して言えば、上の「み名が聖とされますように」からこの「みこころが・地にも行われますように」までは実は同じことを言っておられるのだ。つまりこれら三つの祈りはすべて愛にみちた社会をこの日常世界において実現するようにという懇願であり、神の賛美でもある。

「わたしたちの日毎の糧をきょうもお与え下さい」。この日毎の糧という言葉はイエスの弟子たちには「出エジプト記16」中のマナの奇跡(モーゼの祈りに応えて、毎日、その日に食べる分の食物だけが与えられた故事) を想起させたであろう。また古代のパレスチナにおいて、この祈りは本当に切実な心からの祈りだったに違いない。現代においてすら地球上の略25%の人は毎日、満足に食べていない。だからもし先進国に住む我々がこの祈りを口にするときは、地球上の兄弟たちが、毎日、その日の食物はせめて食べられるようにと神に祈り願わなくてはならぬし、翻って自分たちは恵みによって毎日の糧が確実に与えられていることを神に感謝すべきだ。だからこれは懇願であるし感謝でもある。

「わたしたちの罪をおゆるし下さい。私たちもひとをゆるします」。これは祈りの中に仏教でもキリスト教でも必ず入っている懺悔と言える。罪と言う言葉の元の意味は負債である(古代のユダヤ人は毎年、年の終わりに負債を整理し、7年毎に他人の負債を免除し返せない負債のため奴隷奉公していた同胞を無償で贖い、・組み方向・50・年に一度のヨベルの年には借金のかたに取られていた土地を返還したという) 。私たちが神様に対して負っている負債、罪を懺悔して許して戴くことがここで教えられている。だからこの祈りは罪人として神の前に許しを乞うとともに(古代のユダヤ人は他の民族よりも、この点においては特にすぐれていた)愛を行う妨げになる他人に対する蟠りを捨てなさいという教えなのだ。

「私たちを誘惑に陥らせず悪からお救い下さい」人間は弱いものであるから神に守って戴かなくては誘惑にはかてない。菩薩行の只中にさえ悪魔の誘惑はやってくる。日常生活の中では善悪不二(善悪が判然と分かたれてはいない)である。祈りの最中にさえ悪への誘いがおこる。悪魔の声を神の声と聞き間違うことさえある。それにはただ真剣に懇願するしかない「私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」と。「ア−メン」とはすべてにかかる結びの文句でそのとおりとか、そうあって欲しいとの懇願である。



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7月の主な行事

2(金)初金ミサ・例会
4(日)鵠沼ブロック集会 11時よりセンターホールにて
11(日)映画の日 9時30分ミサ後センターホールにて
24(土)25(日) 日曜学校キャンプ
25(日)葬儀を考える会「納棺と火葬場」 9時30分ミサ後
31(土)リーダー養成講座修了者のための黙想会

7月の中高生会の予定

 夏の間 冷たい飲み物を9時30のミサ後に販売します。

4(日)コーヒーショップと中高生会  堅信を受けた友達のお祝い会をします
11(日)コーヒーショップ
18(日)片瀬教会でバーベキュー    片瀬教会中高生会からのご招待
25(日)コーヒーショップ
26(月)〜28(水)箱根でサマーキャンプ

7月の青年会の予定

 7月24日(土)川崎JOCの方達と共に分かち合い
 毎月、第四土曜日の19時〜21時に、センター・203号室で集会をしています。
 中和田教会のジャック神父様が、協力司祭として、参加してくださっています。仕事のこと、関わりのこと、一人で悩まないで、共にあゆみませんか?



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お墓を考える
葬儀を考える会

八角形にゅーす4月号と5月号のこのコーナーで合葬の場のことについて現状をお知らせしてまいりました。その後、わたしたちがそのような計画を考えていることをお読みになった聖心の布教姉妹会のシスター方より、もし利用できるなら「みその」の土地の一部をそのために使っていただいてもいいですよとのお申し出をいただきました。

 場所は「みその」の敷地内の一番北東寄りのところで、「子供の家」のグランドに隣接した、善行側の出入り口から入ってすぐの土地です。間口は10mほどですが、100m近い奥行きがある広い土地ですので、今までの教会内に造るといったイメージからは発想を変えた考えが必要です。

しかし、交通の便も良い場所ですし、またと無いお申し出ですので、そこを使わせていただくとすればどのようなことが出来るか、前向きに検討してみたいと考えています。近隣の住民の方にも配慮したかたちで、こんな事はどうだろうというようなたたき台の案を、近日中に作る予定です。どうか、この件に関する皆さまのご意見を、葬儀を考える会または教会事務所までお知らせ願えればと思っています。

 お知らせ:「八角形にゅーす」6月号のQ&Aでふれました、納棺と火葬場での祈りの研修を7月25日(日)9時30ミサ後に行います。関心のある方はどうぞご参加下さい。



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