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八 角 形 に ゅ ー す

2006年1月8日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

新しい年を迎えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 渡邉

教会委員会報告

タラントンのたとえ − 教会委員長を引き受けて −・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 小藤

第33回藤沢市民クリスマス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その他 荻野

聖劇「イエス様の御誕生」

クリスマスの洗礼式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬嶋

藤沢ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 今井

典礼奉仕者養成コース報告

バザー収益金の配分について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部 曽根

紺碧の空と真っ赤な大地から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横浜教区司祭 石川

宣教フォーラム

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新しい年を迎えて
司祭 渡邉

 新年、明けましておめでとうございます。

 八ヶ岳の方から湘南海岸の方に移っての今年の冬は、私にとってだいぶ過ごしやすい冬となっています。ふと、昨年は新年早々に、赤道直下の国、アフリカのウガンダに行って来たことを思い出します。去年の冬の厳しさが一段と身にこたえたのはそのためもあったでしょうか。ウガンダへは、そこで横浜教区の同僚の司祭、本柳神父が宣教司牧にあたっており、彼を訪ねて来ました。そこに住む人々の生活は厳しいものでしたが、それは私の目には産みの苦しみのときを生きているもののように映りました。私たちの国はそれに対し、ひとつの時代の終わりのとき、厳しい冬の時代を迎えようとしているように思えます。

 八ヶ岳の方にいたとき私は、現代社会での生活に心身をすり減らし八ヶ岳山麓に来て療養生活をしている幾人かの方々に会いました。その中のひとりの方が、いまも林の中の一軒家でひっそりと暮らしているのですが、こんなことを口にしていたのを思い出します。「窓から外を眺めていて、秋に木々が葉を落としていく様に心打たれます。木々は、春になったら芽吹く新芽の準備をすっかり整えたちょうどそのとき、葉を落とします。ひゅっと吹く風に乗って葉が舞う様子は、まるで荘厳な儀式がなされているようです。大自然は来るべき春の準備をしっかり整えてから、厳しい冬を迎えます。人間だけだ、遊び惚けているのは。」

 その方の話を聞いて私は、幾年か前の感動が甦りました。冬の真っ只中に山の中を散歩していたとき、目の前のすっかり裸になった木肌のぶつぶつしたものが目にとまり、それをひとつ摘まんだとき、中から小さい柔らかいの緑の葉がでてきたのです。こんな冬の真っ只中に既に春になったら芽生える準備はできているのだと。

 その方の語るのを、私は今もときどき味わっています。厳しい冬の時代を迎えようとするこのとき、大きな御摂理の中では、きっと春の訪れの準備はなされたことと信じます。そして私たちの、いま生きるこのことの実りがなかなか目に見えないこの時代にあって、いまここでのお奉げは春の萌芽のためのものと、いまこのときを奉げていく決意を新しい年を迎えるにあたって新たにいたします。

 しかしまた同時に「人間だけだ,遊び惚けているのは」との叫びが、心に突き刺さります。その通りだと思います。



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教会委員会報告
(12月17日)

(1) 次年度教会委員紹介

今回は新旧役員が出席し、はじめに次年度教会委員及び活動部長が紹介された。新メンバーは別表のとおり。

(2) 50周年報告

11月20日の記念ミサを最後にアニバーサリーイヤーが終了した。実施した行事については記念ミサ冊子に掲載してある。多くの方のご協力に改めて感謝したい。

  1. 記念ミサのビデオ及び集合写真を販売する

  2. ご来賓からお祝をいただいた。集合写真とともに礼状をお届けする

  3. 信徒名簿はチェックはすんだが印刷は新年になる

  4. 50周年関係費用がセンターの什器備品を含め約300万円、ほぼ予算内で収まった

(3) アスベスト問題

前回報告したとおり空中、壁材、ほこりの調査を専門機関に依頼した。その結果、空中の飛散度は問題ないが、壁材及び窓枠のほこりにアスベストの一種、クリソタイル(白石綿)が含まれていることが判明した。対策として薬品で固める、完全に除去するなどが考えられるが、費用と時間の関係もあるので必要性も含めて専門業者と検討をしたい。

(4) バザー収益金の配分

バザー収益金からの福祉活動向け150万円の福祉部配分案を承認した。当教会及び信徒がかかわる関係先8箇所。

(5) 信徒総会について

新年度の信徒総会は2月12日(日)9:30ミサ後に行われる。総会のテーマをどうするか意見交換を行った。ここ何年かブロックと活動部の関係についての話合いが行われたが、とくにテーマを設けず信徒の自由な意見を聞いてはどうか等の意見も出された。いずれにしても各ブロック・活動部からの提案を踏まえ、1月運営委員会で協議することとなった。

(6) ブロック・活動部報告

各ブロックからはここまで係わってきた活動についての反省がなされ、引継ぎの課題が報告された。北1ブロックでは1月28日(土)善行森の幼稚園で餅つきとおでんで新年会を行う。

次回委員会は1/21(土)合同祈祷会の関連もあり16:00からの開催となる。

新年度教会委員および活動部長

<教会委員>
委員長 小藤 (鵠沼B) 新任・運営委員
副委員長 萩田 (藤沢B) 新任・運営委員
浮田 (辻堂B) 新任・運営委員
竹内 (北1B) 新任・運営委員
財務部長 石黒 (鵠沼B) 留任・運営委員
壮年部長 野沢 (藤沢B) 新任・運営委員
事務局長 川辺 (鵠沼B) 留任・運営委員
鵠沼ブロック代表 前山 新任
藤沢ブロック代表 沢内 新任
辻堂ブロック代表 益満 新任
北1ブロック代表 松尾 新任
北2ブロック代表 笠島 新任
<活動部長>
宣教部長 金子 (鵠沼B) 新任
教育部長 清水 (鵠沼B) 留任
広報部長 福井 (鵠沼B) 留任
典礼部長 綿貫 (藤沢B) 留任
総務部長 里原 (北1B) 新任
福祉部長 曽根 (藤沢B) 留任
国際部長 豊田 (鵠沼B) 新任



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タラントンのたとえ − 教会委員長を引き受けて −
鵠沼2区 小藤

 皆様、新年おめでとうございます。

 今年から教会委員長を務めることになりました鵠沼2区の小藤です。自己紹介を兼ねてご挨拶させていただきいと思います。

 昨年10月のバザーを間近に控えたある土曜日の夕方、その日開かれた教会委員会(私は総務部長として委員会に出席していました)が終わり外に出たところ、主任司祭から呼び止められました。「小藤さん、来年から教会委員長をやってくれませんか」と突然言われ、「えっ!私が委員長ですか? 無理ですよ。それに教会委員長だけはやりたくないと思っていましたから」という言葉が咄嗟に出ていました。「いや、できますよ。人間やりたくないことをやったほうがいいですよ。」(??)とのつれないご返事。いずれにせよ、すぐに決められることではないので、「今はバザーのことで精一杯ですから、バザーが終わったらじっくり考えてご返事します。暫し猶予を下さい。」ということでその日は終りました。バザーも無事終わり、そろそろ返事しなければならない、しかし委員長は荷が重過ぎる、他に相応しい人はいるはずだが、やっぱりお断りしようかなどと思い悩んでいました。そんな11月初旬の主日のミサでマタイ福音書のタラントンのたとえの箇所が読まれました。聴いているうちに、委員長をお断りするということは、このたとえの中の1タラントンを地中に隠すしもべと同じことになるかもしれないと思ったのです。そして翌日、主任司祭に教会委員長をお引き受けする旨、伝えたのでした。

 私は1943年横浜の鶴見で生まれ、育ちました。カトリックの家庭ではありませんでした。カトリックの洗礼を受けたのは、入学した中学校が偶々カトリック系であったということで、放課後、学年担当の神父から、それが何なのかもよくわからぬまま、なんとなく公教要理なるものを受け始め、そして1年後の1958年中学3年の5月には周りの仲間も受けるからと、集団で洗礼を受けたのでした。これも神様のお導きだったと言えば、そうかもしれません。そして大学を卒業するまでは一種の義務感みたいなもので教会に通い、同じ年頃の仲間と教会で遊んだりもしていましたが、それほど熱心に教会活動に参加していたわけではありませんでした。社会人になってからは、仕事の関係で海外駐在が何度かあり、そのたびに出たり入ったりで、また仕事にかまけて教会からだんだんと足が遠のいた時期もありました。1979年末、藤沢に移ってきましたが、またすぐに海外駐在となり、再び戻ってきたのは1986年でした。その年のある日曜日ミサに与り家に帰ろうとしていた時、ひとりの信徒から「小藤さんですよね。教会で皆と一緒に汗をかきませんか」と声をかけられました。高校の後輩でもあった今は亡き我妻俊朗さんでした。私が藤沢教会でミサに与る以外のことにも顔を出すようになるきっかけとなったのでした。以来、私はどちらかというと頭脳よりも身体を動かす方で教会活動に参加して今日に至っていますが、これは今後もできる限り続けて行きたいと思っています。

 さて、藤沢教会は昨年創立50周年という節目の年を終え、100周年に向け新たな旅に出発したばかりです。三千数百人という信徒数は横浜教区では最大、日本全国でも4番目に大きな教会です。教会は共同体と言われていますが、三千数百人の信徒は一人一人その姿形はもとより、生まれ育った環境も、性格も、考えも違い、誰一人同じ人はいません。しかしひとつだけ共通するものがあります。それは「キリストの教えに従って生きる」ということで、これ以外全信徒に共通するものはないのです。そしてこのことによって教会が共同体と言えるのではないかと思います。この共通の意識のもと私たち一人一人が夫々神様から預かったタラントンを地中に埋めてしまうことなく、互いに分かち合い、活用していくならば、私たちの共同体は生きたものとなっていくのだろうと思います。ともに未来へ、神の国を証しするため真実と行動をもって、歩んでいきたいと思っています。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。



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第33回藤沢市民クリスマス
その他 荻野

 藤沢市内キリスト教連絡会主催による「藤沢市民クリスマス」が、12月10日(土)に当教会聖堂にて行われました。市民クリスマスは藤沢市内のカトリック、聖公会、プロテスタント各派のキリスト教会が共に主イエス・キリストのご降誕を祝うことを目的として毎年開催されており、今年度で33回目を迎えました。

 市民クリスマスは、4つのプログラムからなり、まず、16時から小田急デパート前での「キャロリング」で始まりました。藤沢福音コールのリードによって、賛美歌を歌い、あわただしく駅前を歩く人々にクリスマスのよろこびを伝えました。次に、「クリスマスの祈り」として、礼拝(ことばの祭儀)が行われました。今年度は日本聖公会藤沢聖マルコ教会の高田司祭の司式、日本キリスト教団藤沢教会の村上牧師の説教で礼拝が守られました。村上牧師は「クリスマスのおどろき」と題する説教の中で、2005年の1年間を振り返り、いろいろな事件、できごとがあったことにふれ、このような世の中に生きる私たちのただ中に来てくださる救い主のことにふれられ、御子の降誕のよろこびとおどろきについてふれられました。教会、教派の枠を超えて、ともに主を賛美し、祈るひとときとなりました。

 第2部は礼拝後、藤沢ナザレン教会ハンドベルクワイアのハンドベルと藤沢福音コールによる合唱のクリスマスコンサートとなりました。両者とも、極めて福音的なコンサートとなりました。コンサート終了後は、「愛餐会」となりました。今年度は「おしるこ」が振る舞われました。寒いなかですが、あたたかいおしるこを食べながら、よきまじわりの場ができました。

 市民クリスマスは、多くの教会の皆様の支えによって33回続けてくることができました。感謝します。



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聖劇「イエス様の御誕生」

 今年も全学年の子ども達約80名が心を一つにしてクリスマスミサの中で福音朗読に代えて無事に聖劇を致しました。今年は日曜学校の行事が練習と重なる事が多く、出だしに不安もありましたが子ども達と神様の働きに助けられました。子ども達が非常に集中し、受け入れ、がんばってくれたからです。23日のリハーサルを終えた時は心静かに感謝する事ができました。子ども達を中心に、支える側のリーダーや手伝ってくださる保護者の方々皆が、教会だから出来る「イエス様誕生」のこのドラマを作り上げていく事の素晴らしさと喜びを味わう事が出来たと思います。保護者の方々の沢山の支えと祈り、共同体の皆様に感謝申し上げます。

 ここに、6年生の子ども達がどんな思いで劇を演じていたのかご紹介致します。   日曜学校 風間

●旧約ナレーター 佐々木

 「み言葉は神であった」主の降誕のミサで語られた福音です。人間が言葉を覚えるのは体験を通してからだと言います。私は『神様』を知っているから、神様という言葉を理解しています。聖劇では旧約のナレーターをして、私は神様を知らない人々に神様を伝えたいと思いました。素晴らしい物すべてを造って下さった神様の偉大さをより多くの人にわかって欲しいと思います。又、皆で取りくんだ劇は楽しかったです。

●大天使ガブリエル 伊藤

 ガブリエル役をやって感じた事は、マリアに大切な知らせを伝える役だから、この役はすごい大事だと思いました。なぜこの役を希望したのかは昔からあこがれていたからです。セリフや大きい羽をつけたりするのは大変だったけど、6年最後として、この役が出来て良かったです。

●ヨゼフ 野口

 私はイエス様のお父様であるヨゼフ様の役をやらせていただいてとても嬉しかったです。ヨゼフ様がどんな気持ちで宿を探したのか、どんな気持ちでイエス様をだいているマリア様をながめていたのか、そういう事を考えながらセリフを言いました。またマリア様とイエス様を守っていこうと決心した時の場面などは強い気持ちを持って演じました。最後の聖劇でヨゼフ様ができてとても良かったです。

●博士1 グェン

 博士達はイエス様に会えるまで長い旅をして来て、やっとイエス様に会えて嬉しかったと思う。緊張したけど楽しかった。

●博士2 船津

 イエス様に会うために、博士達はお金を全部出して遠い東の国から星をたよりに来たので、すごく大変だったと思う。でもイエス様に会えた時は、疲れもきえて喜びいっぱいの心になって「私たちは本当に幸せものだ。」と感じたと思います。

●博士3 堀田

博士の役は前からやりたかったので、演じる事ができてすごく嬉しかったです。本番で練習の成果が出せて、一生懸命やって良かったなぁ、と思いました。

●マリア 岩佐

 私は小さい頃からマリアの役にあこがれていました。その時は、ただ衣装がきれいだからとか、目立つからという理由でやりたいと思っていたのですが、いざマリアになると大変でした。私は本当のマリア様みたいに心を清くして、美しく静かに演じたいと思いました。思ったより動作もセリフも少なく、気持ちを表すのが難しかったけれど、終わった時の達成感は最高でした。でも、私だけががんばったのではありません。1年生の羊、2年生の聖歌隊、3年生の旅人、4・5・6年生。皆でがんばったからこの劇は出来たのです。



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クリスマスの洗礼式
馬嶋(4年生)

 2005年12月24日、私は洗礼を受けました。きっかけは、私が3才のころ、しょう南台カトリックセンターに行き、カトリックセンターにいらしたシスターと遊んでいたことです。その時は神様のことをよく知らなかったので、楽しく遊んでいたという感じでした。シスターは、「シスターとよ原」というシスターです。シスターとよ原は、私にとてもやさしくして下さり、私はとてもうれしかったです。何をしても喜んで下さったり、ほめて下さったりしました。シスターとよ原は今、入院しておられます。一日もはやくお元気になっていただきたいとおいのりしています。次にようち園の時、シスター山下に出会いました。シスター山下は、私が泣いていてもやさしくして下さり、いつもマリア様のごぞうの前まで連れて行って下さいました。そして小学生になり今度は、シスター山路、シスター藤本に出会いました。一年生のころシスター山路が、信者さんの中で神様のことを教えて下さいました。とても分かりやすく説明して下さり、私達と同じ気持ちで教えて下さいました。三年生のころ、シスター藤本が、洗礼を受けるじゅんびをして下さいました。色々なことをくわしくお話しして下さいました。このように私は、たくさんのシスターと出会い、おうえんしていただいたので洗礼を受けることができました。私の洗礼名は「マリア・アグネス」です。なぜかというと、アグネスのように勇気があり、どんなことがあっても心から神様を愛せる人になりたいからです。「羊のように」は、私がこの洗礼名をつけるきっかけになった歌です。  

 ♪  羊のように さまようわれら
     あなたの愛に あこがれる
     信じるものの ひとつの望み
     憩わせ給え その手のなかに
     よわき子らに おん目をとめて
     正しき道を 歩ませ給え

 洗礼式ではすごくきんちょうしていました。でも受けると、すごくうれしかったです。神様の子どもになれたこと、そしてたくさんの方が、私といっしょに喜んで下さいました。心から神様に感しゃします。クリスマスに洗礼を受けられるようにめんどうをみて下さった高野神父様、シスター藤本、シスターはまざき、大原さん、清水さん、本当にありがとうございました。



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藤沢ブロック集会報告
藤沢3区 今井

 待降節を迎えて、12月3日(土)この日は聖フランシスコ・ザビエルの祝日の日で、急に寒さが押し寄せてきたような1日でした。前回より少なく42名の参加者でした。このブロック会は、教会内で行われている色々な運営部門の経過報告を伝達した形で行われました。

 高野神父様のお祈りで始められ、その後ご自身のご挨拶の中で、今までの司祭が全員一度に変わられたところに赴任され、その際の戸惑いと、現在も中和田教会と掛け持ちである事。藤沢教会の大勢の信者の交わりの中で「一時を大切に、過ごしましょう」との言葉と、ご自身は恥ずかしがり屋であり、外でお会いしても積極的に声をかける事が出来ないかもしれないので、どうぞよろしくとの言葉にその場の皆さんのにこやかな笑い声が、とても和やかな雰囲気となり、そのまま最後まで良き会合となりました。高野神父様が最後まで参加してくださり心強いものがありました。

〜伝達事項〜

1.教会の動き (篠沢副委員長)

2.50周年委員会 企画立案担当より

3.ブロックの活動・反省(安田 ブロック長)

4.各区の報告

5.各活動部より 

    ・・昼食をとりながら懇親会・・

食後の歓談の席を一人、一人にご挨拶をして廻る高野神父様のお姿があった。

      〜昼食時間終了後〜

6.新体制の紹介

7.聖歌「主は水辺に立った」を、神父様のお祈りと共に心をこめて歌い、安田さんの最後の閉会の言葉で予定の午後2時終了。

※この会に直接陰の力としてお世話して下さった皆様本当にご苦労様でした。

 教会を維持する事に付いて、数多くの問題を抱えている事を強く思い、皆で如何に支えていくべきかを再確認し一方的な報告でしたが、有意義な会が持てました。



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典礼奉仕者養成コース報告(第7回)
典礼部

1.「死者の典礼」(南雲師)

 教会の葬儀においては「キリスト信者の死の過越の性格を、より明らかに表現する」(典81)

 この刷新の精神をもとに葬儀典礼は改訂された。葬儀全般にわたり復活信仰を宣言すると同時に、教会が復活への信仰を新たにするときでもある。

死はキリスト者にとって究極的な過越の時である。 教会は地上の共同体から勝利の共同体への故人の「過越」を厳粛に受け止めている。それはかつて、兄弟が共同体の見守る中に古い自分に死に、新しい人として生きるために入信の秘跡をもって教会の一員とされたときと同じであり、死による過越は、その完成の時といえるからだ。

1) 葬儀典礼の変遷

 7〜16世紀には、ミサは外観のみが大切にされ本質を見失っていた。「死者への執り成し」が重要な事とされ、そのため司祭は沢山のお金をもらっては死者のためのミサに時間を費やしていた。この為、教皇ピオ5世はミサの本来性を追及しようとしたその頃ルターによる宗教改革がなされた。

 中世には、死の過越の意味は殆ど無視され、死者を弔うよりも罪からの救いのみを、死の典礼に求めた。地獄や悪魔からの嘲笑、罪とその責め苦からの救いのみを求め、暗いイメージに覆われていた。ミサは、全て死者への取り成しであるかのように捧げられていた。主の過越は、死から復活への過越であり、将来の栄光の姿であり、私たちも又復活の喜びに与るとの約束が、忘れ去られていた。

 葬儀の祭服の色も、初代教会では白であり、復活の喜びと希望を表していた。しかし、中世には罪、苦しみを表す黒に変えられ、第2バチカン公会議まで続くことになる。

 現代では、通夜も葬儀も教会で執り行うのが当たり前になっているが、本来、死者儀礼はその家や地域社会でなされていた。その折、死者の家に司祭が招かれることもあった。葬送儀礼も、教会が大きくなれば良くも悪くも組織化され、ルールが生じるようになる。死者が出ると、その個人の家で通夜を行い、司祭が死者を迎えに行って、修道院や教会に遺体を置いて、詩篇を歌い死者を神の手に委ねた。兄弟姉妹の霊を地上から天上の棲家に移す(過越)ための儀礼である。葬儀ミサの折には、今日を最後に主の食卓(祭壇)を囲むことになる。通夜は本来は死者を悼み、遺族を慰めるために行われるのだが、現代では、仕事などで忙しく、通夜のみへの参列が多くなっている事を考えて、現在の日本の秘跡書では、通夜の中にも葬儀ミサで表す復活の要素も取り入れるようにしている。

 葬儀典礼の中で、第1の葬送は遺体を教会の中に運び入れるものであり、第2の葬送は地上の教会から天上の教会に送る出棺になる。悲しみの中にあっても、聖体によりひとつの体として結ばれた兄弟姉妹は、いづれ天上の教会で再会するとの喜びがあり、それ故死は天国への凱旋を意味している。

2) 葬儀典礼に関る上での心得と課題

 典礼とは、ある人への固有のものではなく、教会の祭儀、教会のからだ全体のものであるので、共同体全体からの協調性が求められる。また、遺族などに対する司牧的配慮「暖かい心遣いをもって配慮する」ことが大切である。第2バチカン公会議以降、祭服が黒から白へ、また復活の蝋燭を灯したりアレルヤ唱が唱えられるようになった。

 教会の葬儀は、本来ひとりのためのものであったが、車の事故により一家全員が亡くなったり、天災(地震、津波など)テロ、戦争などで、同時に沢山の方が亡くなるケースも多くなっている現代、このような状況に対して教会に何が出来るのかが、現在の課題になっている。

3) 実践上、信徒はどのように関るのか

 司祭が不在の時には、ミサを除いて助祭や信徒も司式することが出来ると儀式書にはある。信徒も各人の分に応じた関り方で共同体と関わり、また常に学ぶ姿勢が大切である。公会議以降、多くの門戸が開かれたとは言え、大切なことはしっかり理解し学んだ上で、共同体に奉仕することが大切である。

2.「信徒が主体的に関わる葬儀をめざして」(川辺氏)

 この項の内容は11月に当教会で行われた「葬儀を考える会」フォーラムをもとにしていますので、八角形にゅーす12月号掲載の「葬儀を考える会」フォーラム報告を参照して下さい。



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バザー収益金の配分について
福祉部 曽根

 今年のバザー収益金のうち150万円をバザー企画準備チームより、福祉活動の支援にと使わせていただくことができました。福祉部例会において検討し、12月17日の教会委員会にてご了解をいただきましたので下の表の通り結果をご報告いたします。

配分先 金額 備考
カラカサン 30万円 フィリピンコミニュティーのSrマーガレットが中心に様々な暴力や差別を受ける女性達のグループを支援します。
アジア学院 20万円 発展途上国から農業研修参加の渡航費用の一部を支援します。
ミカエラ寮 30万円 ドメスティック・バイオレンスのために年間10,000人以上の人々が利用している施設(日本人、外国人含)現在スタッフが7名いるが、県および横浜市からの補助金が減額され運営がたいへん厳しい状況なので支援します。
カンボジア福祉基金藤沢 20万円 信徒宣教者会のカンボジアプロジェクトを継続して支援します。
地に平和 5万円 パレスチナ女性達の自立支援のため。
NPOきずな 21万円 生活支援を行ないます。
火曜パトロール 6万円 月1回の炊き出しに@5,000円×12ケ月を支援します。
ホームレス支援 18万円 月に30,000円位のラーメン代の半額程度を支援します。
合計 150万円  

 国の福祉行政の実情は、支援金のカットなどに見られるように自己解決の方向が明らかになり行政からの支援の限界を感じています。 今年はそういう状況の中で広範囲に活動している団体への支援を行ないました。

 ひとりひとりの大きな力を、さまざまな分野で愛の奉仕に励んでいる方々に、これからも支援、協力をしながら「平和こそ最高の福祉」を目指したいと考えております。



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紺碧の空と真っ赤な大地から
横浜教区司祭 ベルナルド 石川

(横浜教区から昨年ブラジルに派遣された石川神父様よりお便りが届きました。)

 愛する皆さま、主のご降誕と2006年明けましておめでとうございます。

 大変ご無沙汰しております。私は相変らず大地のエネルギーに抱かれて元気一杯です。

 早いものでご降誕が近づいてきました。今だから言えることですが、昨年の今頃は、ほぼブラジル行きが決まりつつあったので、これが菊名での最後のクリスマスになるのかと一人感傷にふけっていたのをよく覚えております。

 私は今、パラナ州(南ブラジル)の佐々木師がおられるフマニタスのあるコルネリオ教区におります。12月2日からカテドラルでNatal(クリスマス)まで実習しております。そして、27日には佐々木師の司祭叙階50周年記念ミサとお祝いがフマニタスで行われます。この日には2002年のフマニタス25周年より大勢の人が集まるそうで今から楽しみです。よって、年末年始はフマニタスにいる予定です。さらに来年早々次の実習地、日系人の多いマリンガ大教区へ行き、それぞれ1ヶ月づつ滞在する予定です。実習中の住所はフマニタスにしておきます。それぞれ80キロ、100何キロと離れていますが、ここでは隣りと言う感覚なようです。

 さて、ここコルネリオは涼しい日もありますが、最近少し暑く、透き通る空の下で私は心躍らせてお手伝いさせていただいております。当たり前ですが、ずっと半袖なんですけれども、考えたら厳寒の日本はオーバーが必要なのですね。12月に半袖というのを私は気に入っています。うーん、やはり世界は広いですね。ですからクリスマスという実感がわかないです。

 おかげさまでブラジリアでの宣教師対象のポ語研修は11月11日を持って無事卒業、終了することができました。立派に証書までいただき、3ヶ月の長さにしては貴重な出会いと内容のある語学研修、宣教師としての養成を受けることができました。そして何より、一生付き合って行かれるような仲間に恵まれたことは何より今後の大きな財産です。その後でサンパウロのPANIB(日伯司牧協会、 私をブラジルへ宣教師として受け入れてくださった団体)会長のレオナルド松尾神父(コンベンツアル・フランシスコ会)の聖マキシミリアノ・コルベ教会でご挨拶といろいろ用事を済ます意味で1週間滞在し、11月18日に3番目の目的地パラナのフマニタスの佐々木神父さんのところに来ました。ここは23年前の学生時代も、フマニタス25周年の2002年も来た所ですので自分にとっては家庭みたいなところです。また一緒に働かれている長崎純心聖母会のシスター方も今年ブラジル宣教25周年を迎え、10月に総長様も迎えてお祝いしたばかりのようでした。25年という時間の長さを思う時、喜びも悲しみもすべて主に仕えるものとして捧げてこられたシスター方に改めて敬意を表します。

<ポルトガル語を学んで>

 日本でイエズス会のある宣教師が日本語は悪魔の言語みたいに難解だけれども、この言語を習得できるのだったら私は気が変になってもかまわない、と言い切った覚悟は見習うべきですね。 ポ語の3ヶ月の研修中気づいたのは、どれだけ動詞とその変化を覚え、身につけるかにかかるような気がします。もう大分慣れたでしょう、日語よりポ語の方が自由に話せるでしょうとか多くの方に言われますが、簡単な会話はともかく説教やゆるしの秘跡や日常会話など、いろいろな言い回しを聞いたり、読んだりして、まだまだだとその道のりの長さを思う時、落ち込んでしまうこともしばしばです。さらに英語の単語とも似ているものも多く、すぐ覚えるのにはいいのですが、ただその分今度は英語のスペルをポ語とはいくらか違うので間違えそうで困ります。何でもそれぞれをシステマティックに学んでいかないとだめですね。濱尾枢機卿さんが「何歳になっても語学はセンスさえあれば大丈夫だよ」とおっしゃっていた言葉が今、身に沁みます。

<日系人の多い二つの町 -Assai と Urai->

 11月27日待降節第1主日に「Assai」と言う町にミサに行きましたが、ここはもともと「朝日」と言う名前だそうで、また12月19日には佐々木神父さんの金祝50周年祝いで今度は「Urai」という町へ行きました。どちらも日系人の多いところです。もとはインディオの名にも由来しているようですが、朝日があるのでその裏ということで「Urai」という町名になったそうです。どちらでも日本語のミサを捧げ、それだけでは十分でないのでポ語も加えると言った感じでした。Assaiでは私が3ヶ月ぶりに日語で司式させていただきました。そして終わると宴会と言うか寄り合いみたいのが始まるわけですが、皆さんどちらかと言うとポ語の方が自由だと言う方がほとんどでした。ここが大きなポイントのように思います。つまり今までは少なくとも私が始めてブラジルへ行った23年前はまだ1世が多く、日本語はしっかりとしていたような感じでしたが、現在は亡くなった方も多く、主流はだんだん2世、3世に移りつつあります。2世と言ってもご高齢の方も多いし、1世と言っても3歳とか5歳のときに親と一緒にブラジルに来たと言う方が多いようです。よって、これから日系人と関わる時もポ語もできなければコミュニケーションは難しいと言うことができます。両方できないと司牧には難しいようです。Uraiで日語の説教を佐々木師の代わりにさせていただきましたが、コルネリオの日系の方々と帰りの車中「説教はわかりましたか?」と聞いたら「Nada(全然)」と返ってきて、あれれ?とガッカリしました。本当に時代が変わっていることを強く実感いたしました。

<小教区で>

 この頃は待降節なのでいくつかの教会でゆるしの秘跡を手伝いに行きます。待降節最初の月曜日はここカテドラルだったのですが、何と9人の司祭で2時間弱かかりましたから「すごい」と言ったら「雨のせいで今日は少ない方だよ」と言われ、拍子抜けしました。何から何まで日本とは違います。毎日なのでなかなか大変ですが、喜んでお手伝いさせていただいています。人々の神さまに対するひたむきな姿勢を垣間見て感動しつつ待降節の意味をかみしめております。こちらもミサには必ず聖体奉仕者がおり、一つの配慮か、初聖体前の子どもには普通のパン(皆こっちの方がおいしそうと言ってます。)が配られます。また聖歌隊が組織されていますが、ロック調やサンバ調もあり、手拍子を取りながら聖歌を歌う事も多く、何から何まで日本と違いますね。とにかく賑やかです。ミサが生きていますね!また先日は10件くらい病者の方々を日系の聖体奉仕者と一緒に回り、祈りと主日のみ言葉を分かち合いました。やはりカトリック国だけあって、田舎町でも数も回数も人数もすべて日本とは違います。

<ブラジルに来て恥ずかしかったこと>

 ブラジリアで親しくなった韓国の青年が「神父さん、これからマーケットに買い物に行きますが、何か欲しいものありますか?」と聞かれ、何も無いけどと答え、帰ったら「プレセントです。」と手渡されました。開けたら何と「電球付きルーペ」でした。「神父さんはいつも夜一緒に勉強している時、辞書が見えない見えないというのでこれは良いと思って買ってきました。」嬉しいやら悲しいやらちょっとショックで複雑な気持ちでした。

 研修始まって3週間足らずでミサをあげるようになりましたが、冷や汗をたらしながらミサをするというのを叙階後初めて経験しました。ミサーレを日語は読むというより、見るという方が正確かもしれません。慣れないポ語の単語が多い中でつっかえてしまうこともしばしばです。みんな聞きづらくて申し訳ないなーと思いつつ進めるのですけど終わると汗びっしょりです。今まで何度もミサそのものはあげていても言語が違うとこんなにも変わるものなのかと、改めて日本で当たり前のように日語を話している宣教師たちに頭が下がりました。それでも人々はほめたり、祝福してくれたり、何と暖かい、愛に満ちた人々だろうと思いっきり励まされています。

 ゆるしの秘跡であの日本人神父のところに行けばすぐに赦しをもらえるとちょっと評判になったこと。こっちは必死に聞いているのに!すすめを与える余裕がまだ無いからなのに。

 こちらで日系の方からもブラジル人からも「本当に日本人ですか?」と何回か聞かれたこと。ブラジリアである4歳くらいの子どもに「神父さんはどこから来たの?」と聞かれ、「(会話は夜でした)空を指し、あそこの月からだよ!」「えー?ほんと?すごーい!」と言って信じて行ってしまったこと。それを聞く親は何と思うだろうか?

 ブラジル事情などまだ分かち合いたいこともたくさんありますが、長くなりましたので今回はこのくらいにします。皆さま2006年も実り豊かな年でありますように祈ります。

 2005年は何と引越しの多い年だったでしょう。

菊名教会(4月3日)→横浜司教館(8月11日)→出国、ブラジリアCCM(11月12日)→ フマニタス(12月2日)→コルネリオ・カテドラル (12月25日)

いやーー、ふー、やれやれ・・・!



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宣教フォーラム
「沖に漕ぎ出そう」

 カトリック藤沢教会50周年も、去る11月20日の梅村司教様司式のミサで幕を閉じました。皆様それぞれ、この一年間ゆっくりと50周年を振り返り、新たな船出をなさったことでしょう。宣教部では、「ともに未来へ」と新たな50年に向けて、梅村司教様の基本方針である「交わりの教会をめざして」スタートしたいと思っております。

 そこで宣教ということに焦点を当てて、考えてみようと思います。「宣教って、いったい何?」「一口に宣教と言っても・・」けれども一人一人、日常生活を振り返って見ると「あっ、あれはまさに宣教だったんだ。」という体験をお持ちと思います。人々の体験談、イメージを聞きながら、心に留まったことを、分かち合い、共感し、共有する集いに致しましょう。

 軽食をとりながらの気軽な分かち合いです。この分かち合いを通して、宣教について自分、あるいは親しい仲間と深めるための手掛かりをつかんで頂ければ幸いです。

日時:2006年1月29日(日)11:00〜13:00
場所:カトリック藤沢教会 センター
会費:500円(サンドイッチ、マドレーヌ、飲み物)



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