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八 角 形 に ゅ ー す

2006年3月5日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

典礼において、三位一体のいのちに生きる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横浜教区長 梅村司教

教会委員会報告

よろしくお願いいたします…新しいブロック長の自己紹介

各ブロック新年の集い

三位一体を体験する、神秘体験としての典礼 − 七つの秘跡

バザーからの支援に感謝

小林さんを偲んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 遠藤

3月の主な予定

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典礼において、三位一体のいのちに生きる
横浜教区長 梅村司教

(第25回横浜教区典礼研修会 ミサ説教より)

 今日は25回目ということで特別に感謝のミサを捧げましょうということになりました。今日のこの日のために特別に選んだ箇所ではありませんが、今日たまたま福音の箇所が「四千人に食べ物を与える(マルコ8:1−11)」に当てられていたこの不思議な出来事であります。最後の晩餐のときにイエズス様がパンを取りぶどう酒の満ちた杯を取り、永遠の命の糧を私たちに与えてくださった、そのことを暗示するような不思議な出来事でありました。

 ご聖体を通して神さまの命に与からせて頂くわけであります。昨年の10月世界代表司教会議、シノドスが行われ、わたくしは日本の教会を代表して出席してまいりました。その代表者のうちに、私たちの典礼とは異なる東方典礼の司教様方も大勢出席なさっておられました。今日は「典礼における三位一体のいのち」ということで皆さんフランコ神父様のお話をうかがったようでありますが、その第1講話には入信の秘跡を通して、三位一体の神様のいのちに与る、そのことがテーマとして掲げられていました。入信の秘跡、洗礼と堅信と聖体ということであります。シノドスに参加しておられた東方典礼の司教様方はこぞって、入信の秘跡、洗礼と堅信と聖体の3秘跡が同時に授けられることの大切さを訴えておられました。それは第2バチカン公会議の典礼改革によって主の過ぎ越しを祝う復活徹夜祭の時に、この洗礼の場合に入信の秘跡、3秘跡が皆さんに与られるわけであります。私たちの典礼においては幼児洗礼の場合には別途、堅信、聖体それぞれ別の機会に授けられます。東方典礼の司教様方はその幼児洗礼においても、入信の3秘跡が同時に授けられることの大切さを訴えておられます。そこそこ大きくなったお子さんにあの入信の3秘跡をというのならわかるんですが、生まれたばかりの赤ちゃんにどうしてこのご聖体を授けられるのかなぁとすごく不思議に思ったんですね。食事の時に、ある東方典礼の司教様に伺いました。赤ちゃんの洗礼の時にはどうやってご聖体を授けるのですかと尋ねましたら、スポイトのようなもので御血をちょっと口を無理やりあけさせて拝領させるんだそうです。

 この入信の3秘跡をとおして、十全な形で三位一体の神様のいのちに与ることができるということであります。洗礼を通して神の子とされる、ということです。父である神さまの、神の子とされるということであります。洗礼を通して特に父である神さまとのつながりが言われているのかもしれません。堅信にあっては、第2の聖霊降臨といわれるわけですから、パウロ6世のあの有名な「使徒憲章」の中に第2の聖霊降臨と定義付けられています。堅信を通して聖霊との一致ということだと思います。そして聖体はこの神の御ひとり子、キリストとの一致と、ここに父である神、聖霊、神の御ひとり子キリストこの三位一体が現れてくるわけでありますね。この3つの秘跡を通して私たちは初めて十全な形でこの三位一体の神様のいのちに与らせていただくということだと思います。

 三位一体の神様のいのちに与った者の姿というものはやはり三位一体の神さまの似た者とされたということであります。お互い眺めてみて、そういうところがあるかなぁと。先ほどここお聖堂に入ってきましたら、フランコ神父様が皆様の質問に答えていらっしゃいました。あのルブリオフの有名な三位一体のイコンがしつらえて、整えられていましたけれど、そのことについてはお話があったんでしょう。ルブリオフの三位一体のイコン、日本でも多くの人に愛されて、多くの家庭にあるんじゃないかなと思いますね。羽の生えた天使、3人で、どう数えていいかわかりませんね、天使の場合。とにかく3人の天使がテーブルに置かれた聖体を中心に集っている。でも良く見てみると互いを見つめ合っているんです。そこが不思議なところだなぁと思います。

 たくしが神学校でギリシア語を習い始めたばっかりのときに、えーっと感心させられたことがあります。ヨハネの福音書の冒頭に「み言葉は神とともにあった」という1句があります。「ホ ロゴス(みことば)エーン プロス トン テオン」というんだそうです。プロスというのは前置詞なんだそうです。そのあとに来ているのがトン テオンといって対格という特別な形がとられていると。対格という不思議なこの特別な形がとられるとこのプロスという前置詞は通常とちがった意味を持つんだよと、そうギリシア語の講義を担当してくださった神父さんがお話くださいました。神とともにあった、プロスという前置詞を「ともに」と訳してあるわけですが、「ともに」のあり方もさまざまであります。皆さんも今日「ともに」なんですけれども、お互い肩を寄せ合いながら「ともに」してらっしゃいます。顔と顔と向き合わせるような形で「ともに」というのがプロストンテオーネになるんだそうです。互いに向きあって互いの顔を見つめ合っていると、そういう形で父である神さまとみことばである御子は永遠におわしますということが、「みことばは神とともにあった」ということだよ、という説明を受けました。なるほどなぁと。言語を知らないとそういうところまでなかなか聖書の深い意味はわからない、少し努力してギリシア語を学んでみようかなとその時思いましたけれども、何十年たった今、まるっきり覚えておりません。残念だなあと思います。とにかくこの三位一体の神さま、それぞれ互いに互いを見つめあいながら、永遠に存在するお方だということだと思います。

 振り返って私たちを、自分のことを反省してみますと、本当にほかの人たちと向き合って見つめあいながら本当に生きているかなあと考えさせられてしまいます。互いに無視しあう場面も多いかなあと。あるいはシカトというんですか、まったく無関心を装って相手にもしないというようなことがあるのかもしれません。さまざまなこの教会の中、教会共同体の中にある人間関係が起因しての問題、訴えられてこられる方、大勢いるんですけれども、よくよくお聞きしてみると何となく自分自身に起因するところが多いんじゃないかなと思う、そういうケースが多々あります。多くの人は他人をみることよりも自分を見ることばかりなんです。子供たちの間でジコチュー、ジコチューと言いますね。自己が中心になって、自分ばかり見つめていると。まあ大人になってもそうかなあと思います。やっぱり自分ばかり見つめていると、そういうことが本当に日常生活のそしてまた教会共同体のその信仰生活の中にあっても多いんじゃないかなと思いますね。

 でも三位一体の神様のいのちの交わりに入れられ、そしてそのいのちの交わりに生きるというのは、このルブリオフのあの三位一体のイコンに描かれているような形で互いを見つめ合って、受け入れあって行くことこそ三位一体の神様のいのちに生きるということではないかなあと思います。そういうことを本当に恵みのうちに可能にしていただく、それがさまざまな秘跡というものだと思います。その秘跡を通して私たちがますます、三位一体の神様のいのちに生きることが出来るように、そして私たちのこの共同体が三位一体の神さまのいのちに生かされたものとして存在することによって、世にあって証を立て、その交わりに一人でも多くの人が加わるようにと願ってなりません。その恵みが与えられますようにこの25回記念式典のミサの中で、皆さんお祈りいたしましょう。



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教会委員会報告(2月18日)

(1) 信徒総会のまとめ

11のグループで行われた分ち合いでの発言が、「ブロック」「ミサ」「若者」など18項目に分類され資料として提示された。2、3未提出のグループもあり、運営委員会で取扱方法を調整したうえで次回委員会で検討する。

(2) ブロック・活動部より

・辻堂

  1. 1月、ミサ当番に当たっていたので奉仕の分担を準備したが子供のミサ・成人の日などとバッティングしてしまった。急遽調整はしたが典礼の窓口がはっきりしていない。(この件につき典礼部から毎月最終木曜日の夜7時から部会を行っているので各ブロックから参加していただき、典礼について一緒に考えていただきたい旨の依頼があり、先ずはミサ当番表をブロック長に届けることになった)

  2. ブロック集会で葬儀に協力していこうということになっているが、「葬儀を考える会」と実際に行う体制との関連がはっきりしない。また、弔電の紹介にしてもやり方が違っているようだが、どこでどのように決まっているか教えて欲しい。(現在、葬儀についてはオルガン・聖歌・司会者を事務所からお願いし、故人の所属地区及び当月の当番地区でサポートしている。今後コーディネーターを募り、協力者の位置付けを明確にするなどの方向で進んでいる)

・教育部

  1. 2月26日(日)日曜学校保護者会

  2. 3月19日(日)卒業感謝ミサ(第4日曜日の子供と共にささげるミサは行わない)

・福祉部

 「心の病」第2回を3月に予定している。

・典礼部

  1. 先唱および朗読マニュアルの叩き台を作ったので関係者の意見を聞き典礼部で検討の上3月から利用したい。

  2. 国際部から9:30ミサで母国語での朗読の希望が出ているので時折担当していただく。

・宣教部

  1. 「沖に漕ぎ出そう」をテーマに行った1月29日(日)の宣教フォーラムには約50名の方に参加いただき、それぞれの思いを分かち合うことができた。今後宣教活動のなかでこの稔りを豊に展開するよう努力していきたい。

  2. 3月5日(日)15時当教会にて教区合同入信志願式、司式は梅村司教。

  3. 堅信式を6月11日(日)に予定しているが、堅信準備講座を4回シリーズで計画している。スタッフ募集を含め3月には詳細を案内する。なお、中高生及び青年の召命を考える集いも検討している。

  4. 湘南台センターの活動について新しいアイデアを募っている。なお、スタッフ4名が交替を希望しているので3月5日の湘南台センター運営委員会で検討する。

注:来月より、会議をスムースに行うため、各ブロック・活動部とも翌月の予定を第2水曜日(運営委員会の前日)までメモで提出し、委員会の資料とする。

(3) その他

  1. 教会行事での写真撮影を依頼するときは費用負担も明確にして1週間前までにお願いしたい。

  2. ミサ時間の変更

 



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よろしくお願いいたします

新しいブロック長の自己紹介

藤沢ブロック 澤内

 何か新しい事にチャレンジする時には、いつも期待と不安が入り交じります。昨秋、藤沢2区の方から私に藤沢ブッロク代表をとの話があり、とても迷っていました。最近、一人では外出しなくなった母が近くに居り、諸々の雑用で忙しい日々を過ごしていました。が、友達に迷っている事を話すと「声がかかった時には引き受けなさい」との一言。信頼している彼女の言葉に動かされ返事をしたものの迷っている自分がいました。待降節の頃に「恐れるな。大いなる喜びをあなたがたに伝える」の福音を思い起こしました。きっと素晴らしい出会いがあることを信じて.・・今までも周りの人々に助けて頂きながら来た自分がいることを。 共同体の一人として「出会い」と「分ち合い」を大切にしたいと思っています。「大丈夫、心配するな。私はお前と共にいる」と云う神様のメッセージとともに。どうぞ、宜しくお願いします。

辻堂ブロック 益満

 ブロック制は、地域的繋がりをベースとして出来ている訳ですから、その最小単位である「トナリ組」が核となり、近隣の連絡、協力、親睦を密にしてこそ、神の体に例えられる共同体全体の機能がより良く発揮出来ると思います。その成果として、防災−災害発生時の安否の確認、特に独居老人などがおられる場合の援助体制や、葬儀に際しての近隣主体のお手伝いなどがスムースに行えるようになれば、お互いに「トナリ組」活動の意義が確認出来るでしょう。

 前任ブロック長のご努力で軌道に乗りつつあるこの活動を、引続き地道に具体的に掘り起こして、先ず足元を固めることによって、ブロック制の更なる活性化に努めて行きたいと思いますので、皆さまのご協力をお願い致します。

北一ブロック 松尾

 私が北一ブロック長の松尾です。1935年神戸で生れました。当年71歳になります。神戸の中山手教会(現神戸中央教会)で受洗しました。夫の転勤がつづき藤沢に定住し、藤沢教会に転入したのは昭和53年頃です。私は横浜教区女性の会パスカ(旧婦人同志会)、教区カテキスタ会、日本カトリック女性団体連盟の三つの会を手伝っています。私は、「誰とも明るく笑顔で挨拶が交わせる社会」の実現を希望しています。私達のブロックからこの芽を育てて行こうと思っています。

北二ブロック 笠島

 私は昭和一桁生まれ、年齢相応の呆けに悩まされ、へまばかり致しております。一体これからの2年間どうして行ったらよいかと、頭の痛い日々でございましたが、北二ブロック委員の方々を始め、北二の皆様方が優しく私の欠点をカバーしてくださることを実感いたし、少し元気になりました。今後の抱負と致しましては、私たちは、主であるキリストのぶどうの木の枝の一つであることを一層心に留め、主において結ばれていること、特に北二ブロックの皆様方お一人お一人と、もっと親しくお付き合いさせていただき、顔が違い、性格が違っていても、優しい羊飼いであるイエスに従って生きている羊の群れであることを実感したい、と申しますより、実感させていただいて過ごしたいと存じます。



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各ブロック新年の集い

鵠沼ブロック新年会
鵠沼1区  八子

 恒例の鵠沼ブロック新年会が1月22日(日)11時よりセンターホールにて行われました。60数名の方が集まり楽しい新年会でした。料理は10名以上の有志の方が、前日より準備をしておむすび、トン汁、揚げ物等おいしく作っていただきました。

 前山新ブロック委員の挨拶があり、今年の抱負が述べられ新連絡員の紹介、旧連絡員への感謝の言葉がありました。平野様より乾杯の辞をいただき楽しく食事が始まりました。今年は2年に一度の教会委員の交代の年です。斉藤様より旧委員長の片桐福子様に感謝の言葉、新委員長の小藤様に歓迎の言葉が述べられ皆様、感謝と期待と応援の心強い拍手がありました。途中から高野、渡辺両神父様がお忙しい中、駆けつけていただき会食を共にしました。

 例年行われている音楽演奏が今年は無く少しさびしかったですが、その分皆様会話を楽しまれたのでよかったのではと思います。最後に倉橋様より閉会のあいさつをいただき楽しい新年会を終えました。

第1回 藤沢ブロック集会を終えて
藤沢1区  古武

 立春とは名ばかりの寒い2月5日(日)9時半のごミサの後、11時から藤沢ブロック集会がセンターホールで開かれました。前日のちらついた雪がまだ残る中、60名を超える大勢の方のご参加があり、みんなで「ガリラヤの風薫る丘で」を歌って始まりました。

 最初に渡邉神父様のお話がありました。渡邉神父様はどうして司祭になられたのですか?の質問に対して人と人とのめぐり合いに運ばれて司祭になられたこと等を、お話になられました。次にブロック長の沢内様は「出会いと分かち合いのある楽しいブロックにしていけたらいいなあと思っています」と熱っぽく語られました。2006年度の連絡員の紹介では、良かった事をたくさん見つけられるようにとの、自己紹介もありました。

 2006年度のブロック行事予定と説明では、当番月のこと、役割などが話されました。バザーについての話し合いでは。バザーをする、しないの決定権を投げかけるという事はどういうことなのか?という質問に対して。篠沢様の方から明快なお答えがありまして、バザーはやりましょうという事になりました。藤沢地区が中心でやっていく、自分のもっている力を発揮していくなどのご意見が出されました。その他、篠沢様から財務の事、合葬の園の事、アスベストの問題等のお話がありました。

 余興で、「恵みあふれる聖マリア」の合唱が有志の方の手話を交えて歌われました。皆様、よく短い時間で手話を覚えられたと感心いたしました。最後に、皆で「恵みあふれる聖マリア」を歌って第1回目の藤沢ブロック集会を終わりました。今年がブロックの方たち、共同体の方達の助け合い、支え合い、神様からのお恵みによって、より好い一年になりますように!神に感謝。

辻堂ブロックの新年会
辻堂2区 大瀧

 1月28日、センターホールでブロックの新年の集りがありました。会の前半は新年度を迎えてのブロック集会、後半は食事とビンゴのお楽しみ会でした。出席人数は約60名でした。会は、1月から新発足の役員の方々により進められました。山崎様の司会で、鈴木神父様のご挨拶に始まり、ブロック長 益満様の新年度へ向けてのお話と地区役員の御紹介、前ブロック長 浮田様の隣組の話、佐々木様の「葬儀を考える会」の報告がありました。

 後半の会に入り、世話人、連絡員が準備して下さったお弁当、茶菓の昼食会となり、ご寄付によるワイン等で賑やかに座も柔らぎ、のびやかな雰囲気になった処でビンゴが始まりました。予め会員のお宅に眠っている品が賞品として集められ「ビンゴ」になった方が順次お好みのものを取られました。私も二つ程頂き、楽しい一時でした。

 この会に出席しまして考えることがありました。先日「聖書百週間」のグループで読みました「ヨハネの手紙」にあった「互いに愛し合いなさい」と言うみ言葉です。頭では理解できても現実には、人は中々複雑で簡単には仲よくなれません。個人の友達づきあいは偶然出遭い、共感点を認め合い、信頼が醸成されますが、矢張り糸を紡ぐような心配りが必要です。まして三千名を越す人々が、同じ信仰のもと似たような価値観を持って集うとしても、共同体の人間関係を固めるのは大変なことです。ブロックの存在やこの日のような催しが、とても大きなことと改めて思い至りました。

 私は今、横浜の住人ですが、教会と地区の諒承を得て、旧住所の辻堂2区に籍を置いて頂いております。新年会でも2区の方々の中に座っておりますと、心が安らぎます。日曜の御ミサの朝、2区の方々の笑顔を頂くと、本当に嬉しいのです。役員の皆様、お骨折り有難うございました。

北一ブロック集会報告
六会 松尾

1月28日(土)北一ブロックの集会を開催し、新旧連絡委員の紹介、ご尽力を感謝し、ミサ勉強会など行いました。

 開催に当たっては、「善行の森幼稚園」園長古郡さんのご好意で、幼稚園で開催することが出来ました。広々としたホール・皆が楽しんだ餅つきの道具一式など全てを提供下さって、お陰様で笑顔・笑顔の集会となりました。当日は冬には珍しく風もなく穏やかな陽光が降り注ぎ、神の恵みを実感する日となりました。

10時30分から主の来られるのを望み「マラナタ」を全員で歌い祈りを捧げ、新旧連絡委員のご苦労に感謝申し上げ、本年のブロックの目標を「明るく、にこやかに」とすることとしました。「ミサ勉強会」は大泉さんのご指導で、2月第2週のミサに読まれる第一朗読、第二朗読、福音を皆で読んで、その後6つのグループにわかれ、わかち合い討論を行うなど充実した勉強会でした。続いて葬儀のコーディネータについて説明を受け、今後教会にとって大事なことだと認識いたしました。

 皆さんの楽しみは餅つき大会です。勉強会の終わるころには古郡さんのお子さんの手で準備もすっかりでき上がり、蒸し器から白い蒸気が立ちのぼっています。タイミング良く渡辺神父様も到着されました。皆さん腕まくりして2つの臼を取り囲み、子供も奥様方も神父様も一緒になって、それ!それ!と元気なかけ声が響きます。かけ声とは裏腹にふらつく腰、あがらない杵、しかし荒井さんの見事な手さばきで5臼の餅がつきあがり、待ち受けた女性群によって、あっという間に、きな粉餅、あんこ餅、からみ餅になってゆきます。テーブルには前日から材料を吟味し仕込み煮込んだ「おでん」も一緒に並べられ、珍しい漬物などもあって、それは豪華な祝宴になりました。

 普段教会であまりお合い出来ない方にもお目にかかることが出来ましたし、北一ブロックの皆様方の力強さをつくづく感じることが出来た集会でした。沢山の方のご協力とご寄付を頂きました。本当に有り難うございました。参加者 大人64名 子供10名でした。

北二ブロック新年のつどい
湘南台 伊藤

 去る1月28日(土)午後1時半より北二ブロックの新年のつどいが湘南台センターで開かれました。テゼの祈りから始まり新ブロック委員の笠島さんより旧委員の皆様にお礼の品、感謝の言葉が述べられました。本当に長い間ありがとうございました。記念にと笠島さんが昨年シスター・ロレット(エスコラピアス会)と共訳の「クラウディア・バロスの生涯・生きることの喜び」の本を出席者全員にプレゼントして下さいました。感謝です。

 新たな年を迎え今年は「親睦を深めお互いもっと知りあいましょう」をテーマに前半は自己紹介を含め近況や受洗のきっかけ、思い出、趣味など語りあうことになりました。テーブルにはお手作りのケーキ各種他、旅行のおみやげ等美味なる品々が並び盛りあげてくれました。一同おいしく頂きながら語られる人生悲喜こもごも、神様との出会い、感動的な体験談にシーンとなり涙ぐむ場面もありました。途中渡辺神父様が出席して下さり、皆様の要望で「アヴェヴェールム・コルプス」を口笛で聴かせて下さいました。口笛のひときわ透明な音色がセンターに響き渡り一同うっとり聴き入り、そして大きな拍手でした。始終和やかな文字通り親睦を深めるよいひとときでした。後半にうつり、今年度の行事計画が立案され、黙想会、ハイキング、バザー作品作りの日程等、当番月の奉仕協力、葬儀に関する件、湘南台センターボランティアの件、その他4時迄話しあわれました。

 最後に新たな出発に祈りをこめてシスター山本の「流れ」の歌を共に聴きました。北2ブロック全員がこの歌のようにひとすじ−愛はとどまることなくあらゆる壁をこえて美しい流れとなって行きますように。



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三位一体を体験する、神秘体験としての典礼− 七つの秘跡
善行 岡村

(2月11日第25回横浜教区典礼研修会フランコ神父の講話より)

 神はいのち、いのちは三位一体のはたらき、私たちは三位一体を生きる、三位一体を生きる私たちが聖体、典礼は私たちが三位一体の神に出会う神秘体験ですというのが、その日、フランコ神父の私たちに伝えたことです。聖書と、第二バチカン公会議の教会憲章と典礼憲章を引用して三位一体のはたらきを、フランコ神父は私たちに語られました。

 目に見えるしるしの後ろに隠れている神を、み言葉を聴き、こころで味わって知ると、私たちは喜びに満たされるでしょう、見えるしるし(儀式)を強調するだけでは足りないのです。目に見えるしるしに意味とはたらきを与えるのは、み言葉です。(マテリアとフォルマ)いのちを与えることによってあられる方、いのちの源である御父。永遠に生まれる神は、ご自分のすべてをお与えになります。御父に向い御父のために生きる御子。その食べものは、父のみこころを行うことです。そして、互いに生きること、神の愛が聖霊で、この唯一、限りない永遠の、「愛の踊り」のなかにはいって私たちは生きるのです。(聖霊の交わりのなかで) 御父は、イエス・キリストに聖霊を注がれ私たちに遣わされ、キリストは私たちの間で人となられ、ことばと行いによって自分のためではなく相手のために生きる神の愛を私たちに現されました。

 十字架の死と復活、「過ぎ越しの神秘」は、三位一体の最高の啓示です。私たちはその神秘を典礼のなかでありありと目にし味わうでしょう。そして日々の生活の中でも私たちは、三位一体に支えられるよろこびのうちに「過ぎ越しの神秘」を実現します。それが信仰の道を歩むことになります。私たちが集まるのは、キリストに集められているからで三位一体のはたらきにささえられて神と出会うことが出来るのです。司祭はそのことを私たちに示しています。すべての典礼は、三位一体のはたらきによって行われています。祝福は、十字架を通して私たちに現れた三位一体のはたらきによって与えられます。天が開け聖霊が降り、神の声が聞こえる、三位一体の中に居るよろこび。地上の典礼においても私たちは、天上の神のみ前で、神の内にあることを前もって味わい、それに参加しているのです。栄唱:キリストによってキリストとともにキリストのうちに、聖霊の交わりの中で全能の神、父であるあなたに、すべてのほまれと栄光は、世々に至るまでアーメン。キリストに一つになるのは、三位一体のいのちにはいることです。バブテスマ(水に沈める)洗礼は、三位一体のはたらきに私たちを沈めることです。

 「堅信と初聖体」は洗礼と一つのものです(東方典礼)。西方教会は司牧の仕方に違いがあります。「堅信と聖体」とは、三位一体のいのちに預かる恵みの結果として、互いに相手に仕え、いのちを与えるために三位一体から派遣される「人」(おとな)になることです。600年前ルブリヨフによって措かれたイコンを見ると、互いに見つめあい「父」は行きなさいと、「子」は行きますと、「聖霊」も行きますという手のサインをしています。父である神の外に出るというこのダイナミズム(動き)すべては神から出て神に帰るのです。マムレの、樫の木のところで神はアブラハムに現れる話が元になって描かれました。

 「聖体」は、神がご自分のいのちをもって(パンを裂いて)私たちをもてなして下さるのです。私たちはみ言葉を聴いて、手で触れるものの意味を悟ります。神からの賜物を知り、その恵みに応えて仕える者になります。聖体の中心になるのは「犠牲」で、神がキリストを通していのちを私たちに与えるということです。秘跡はすべて、目に見えるしるしを通してその後ろの見えない神と出会い、そのはたらきに変えられることです。

 「罪の赦し」は、御父のあわれみから生まれる愛のみわざで、私たちに贈られたキリストの死と復活に一つである聖霊のはたらきによって与えられます。御父は私たちと共にあるキリストを通して、離れている私たちをご自分に引き戻されるのです。私たちは常に、生ける秘跡である共同体の中で「キリスト」を体験しています。

 「按手と病者の塗油」の意味。按手は、出エジプト記でイスラエルの民と共に移動し導いた雲=聖霊をあらわすシンボル、塗油は身体を癒し支えるので、心を癒す神のはたらきをあらわすシンボルです。神の造られた心は、身体と一つになっているのです。私たちの苦しみには意味があり、キリストの受難に結ばれてそれは聖霊を与えられるので、三位一体の神が私たちと共に居られます。

 「叙階」は、「いと高き方の力が貴方を包み新しい人が生まれる」その人をキリストは、相手のために燃える火=(愛)によって、ご自分の生けるしるしとなさいます。キリストはご自分が神から出てきて、また神に帰ることを思い、弟子たちの足を洗われます、その姿は人となられた神を私たちに示しています。

 「結婚」は、「聖霊が二人の上に注がれますように」とあるとおり、愛することは神から出るもので、互いに相手の道具になります。夫は妻に御父をあらわし、妻は夫に御父の愛をあらわし、こうして二人はキリストに結ばれ社会の中で「愛の奉仕者」になります。

 この集まりの最後に、わたしは皆さんに二つの贈りものをします。一つは、小さな者、素晴らしいものを大事にしましよう、ということ。もう一つは、カルメル会に入り16歳で亡くなった修道女、三位一体のエリザベットの「あなたの中に生きることができますように」という祈りです。



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バザーからの支援に感謝

カラカサン
Sr マーガレット ラクソン

 この度は、私達が行っている事業に対して、多大な寄付と励ましを頂き厚くお礼を申し上げます。有効に使わせていただきます。

「カラカサン」はフィリピンのタガログ語で「ちから」という意味です。

ガラカサン・・移住女性のためのエンパワメントセンターは、様々な暴力や差別を受ける中で内在する「ちから」を奪われた移住女性たちが、相互にエンパワメントしあう中で、内なるちからと尊厳を回復することをめざして、2002年12月に設立されました。

移住女性への相談・カウンセリング、暴力被害女性へのフォローアップケア、教育、参加型調査、ネットワーク、行政への提言活動などに取り組んでいます。

 私達は、皆様から寄せられた信頼に応える価値ある存在であるよう常に努力しています。

これからも「カラカサン」活動を支えてください。

NGO地に平和 兎の会

この度はNGO「地に平和」パレスチナ難民支援の活動に御寄付いただきまして誠に有難うございました。私どもはエルサレム近郊のデヘェシェ難民キャンプを対象としております。

1.女性自立支援

キャンプ内が失業、無収入に喘ぐ中パレスチナの女性によって伝統の刺繍を小物にアレンジし、製品化し日本各地のバザー等で販売することによって、彼らの重要な収入源となっています。(約340万円 年間支援)

2.ミルク・プロジェクト

キャンプ内の栄養失調児(1歳〜5歳)125人に毎日、強化ミルクを年間通して配付しております。子供達はミルクが楽しみで休まずやって来るそうです。(支援額 約80万円)

頂いたお金は会の代表者が年数回パレスチナに赴き直接各担当者に手渡ししております。現地の状勢は日々流動的で、真の平和が何時訪れるかわかりませんが、少しでも貢献する活動であります様、今後ともどうぞ御支援下さいます様によろしくお願い申し上げます。



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小林さんを偲んで
辻堂2区 遠藤

 元教会委員長小林氏(元鵠沼1区)が、去る2月6日帰天されました。同氏は81年4月より4年間ガラハ主任司祭の下で教会委員長を務められ、この間カトリックセンターの建設に多大な功績を挙げられました。

 またオサリバン主任神父様の時代、丘の上から現在の聖堂に変わるとき、設立準備が進められていた共助組合を70年に発足させ、初代の理事長に就かれました。84年からは全国に共助組合普及を目指した、当時の日本共助組合連合会の第4代理事長としても長年指導力を発揮されました。

 奥様を亡くされお独りになっていた96年には、藤沢を離れご長女ご家族の住む世田谷区三軒茶屋に移られ、その後上用賀のフランシスコ・ヴィラに暮らしておられました。散歩の途中近くの聖コロンバン会本部の神父様方にお会いすることも度々だったと聞きます。

 昨年4月体調を崩され一時入院されたものの7月にはヴィラに戻られ介護室での療養が続いていましたが、容態が急変し残念な結果となってしまいました。公私とも最も御世話になったものの一人として、その2日前にお見舞いに行けたのがせめてもの慰めとなってしまいました。享年90歳でした。

謹んで永遠の安らぎをお祈りいたします。合掌。



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3月の主な予定

 1日(水)灰の水曜日ミサ:9:30,夜7:00

 3日(金)初金ミサ,例会

 5日(日)四旬節第1主日、横浜教区入信志願式

19日(日)卒業感謝ミサ9:30

21日(火)春分の日彼岸ミサ10:00

26日(日)静修の日・共同回心式

中高生会

3月25日〜26日に聖母の園研修の家で「春季合宿」を行います。新中1の皆さんの歓迎と中高生会を卒業する皆さんのお祝いも兼ねています。近隣の教会の中高生会にも呼びかけます。高野神父様とリーダー達が一緒に参加します。参加費は5000円。申込は教会事務所またはリーダーの山本までお願いします。

JOC(青年会)



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