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八 角 形 に ゅ ー す

2006年4月9日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

Yさんの話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

フィリピンの聖週間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フィリピンコミュニティ

イースターエッグひとことメモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 佃

「聖書100週間」

ある少年との対話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田

3月20日 − 聖ヨゼフの祝日に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野

回心の体験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・秦野教会 寺田

教会委員会報告

合同入信志願式の感想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木

「カンボジア福祉基金藤沢」の近況報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・応援する会世話人 小藤

バザーからの寄付に感謝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・NPO法人湘南ライフサポート・きずな

典礼奉仕者養成コース報告 (第9回)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

ティールーム

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Yさんの話
司祭 鈴木

 昨年から寒い日が続いて、地球温暖化(高熱化)といわれているのにおかしいなと思っていたら、やはり高熱化の影響で寒気団の動きが変わったせいらしい。ものごと、あまり単純に考えるといけないよという教訓のようなものですね。

 その寒さのせいか、ずい分お葬式があって忙しかったです。その中に私の絵の仲間でもあったY さんという老人もいらっしゃいました。この方は、定年後油絵を始めたのですが、ゴルフ、旅行、山歩き、テニス、読書など多才な方で、その上、ご自分の子供の世代の私達ともよくつき合われ、ずい分ご馳走してくれたものでした。年齢(とし)をとったら、若い人にご馳走しましょう。

 このYさん、スケッチ旅行グループの常連でしたが、スケッチを終えて宿に着くとすぐ一杯飲りたいほうの人でした。ところが、私たちの師匠は厳しい方でしたので、夕食のときまで、私達若いものは我慢しておりましたが、あるとき、Yさんいつの間にか宿に戻る前に地酒を仕込んできまして、皆がお茶を飲んでいるところで、師匠に「お毒味を」と言ってそれを注いだものですから弟子とはいえ年上のYさんから勧められた師匠は流石に断われず、お受けになりました。それ以来、夕食前にも飲めるようになりました。

 Yさんのお陰であるのは確かですが、これもそう単純ではなく、師匠も年とともに寛容さが増したこと、弟子達の腕前もその人なりに上達し、「ろくな絵も描けないのに酒なんて10年早い」とは言えなくなっていたせいかもしれません。

 さて、そのYさんの癌が見つかったのが一年前で、お医者さんが大の苦手だったこともあって、手術も放射線治療も拒否し、免疫療法だけで、死を迎えたのでした。ご家族の方に後で伺ったところによると、死ぬ前の日まで大好きなお酒を飲まれたそうです。水を飲むとむせることがあっても、お酒はスッと入っていったそうで、良いことを聞いたと思いました。なんだか、Yさんはただ死んだのでなく「死んでみせてくれた」ように思えます。

 イエスの十字架上の死の意味をより深く味わわせてくれるできごとが皆さんにもおありでしょうか。死の謎に迫るとき復活への希望も確かなものになると思うのですが・・・。



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フィリピンの聖週間
フィリピンコミュニティ

 フィリピンの聖週間は、おそらく南米諸国以外では見る事が出来ない程ドラマチックなものです。国中でキリストの最後の7日間 − 受難、死、復活 ― が再現され, 行列、飾りつけ、聖書の再演などは古代アニミズムの伝統とスペイン人により伝えられたキリスト教の伝統がまざり合ったフィリピンならではともいえる独特のものです。

 四旬節の始まる"灰の水曜日"からは食事の量をある程度制限し、金曜日には肉食を避けます。これはキリストの受難を思い起こすためで子供の頃からこの習慣を身につけます。

 枝の祝福で始まる"枝の主日"、この日には "Pabasa" と呼ばれる受難の朗読も始まります。おもに年配の人々が、朝に夜に大きな声で朗読をします。現在ではマイクとアンプを使って町内に朗読を流します。

 聖木曜日、人々は朝早くから7軒の教会を訪問してロザリオを唱えます。この"教会訪問"は午後3時頃までには終わり、その後黙想、祈りの集会などに参加して"洗足式"にそなえます。

 聖金曜日はクライマックスともいえる1日で広場では受難劇が演じられます。ガラスのスパイクのつぃた革ベルトで自分の背中を打つ人、更には、正午頃に自らを十字架に釘付けにする人など、今では観光のアトラクションになったりもしています。この日ミサのあとキリストの最後の7つの御言葉が読まれ、そのあと午後3時頃から受難の行列をします。行列のあと、キリスト像、聖母像、聖人の像などすべての像が黒い布で覆われキリストの死を思い起こします。

 聖土曜日は1日静かに過ぎてゆきます。しかし真夜中になると主の復活を知らせる教会の鐘が一斉に鳴り響き、黒い布がすべて取り除かれ、喜びの深夜ミサが捧げられます。

 復活の日の朝、花火が打ち上げられ鐘の音がひびく中"Salubong" と呼ばれるキリストとその母との再会を記念する行列があり、その後盛大なお祝いの準備が始まります。



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イースターエッグひとことメモ
鵠沼1区 佃

 復活祭を美しく彩色されたたまごでお祝いすることは、春を迎える心とあいまって気持ちがわくわくしますね。この彩色卵の風習は古く、キリスト以前、2000年以上前から行われてきました。

 人々は卵に偉大な力を感じていたからです。古代人にとって卵は長くそして幸い冬からの解放と春の訪れの象徴でした。そして新しい希望、新しい生命、そして繁栄を願って卵を美しく飾ったのです。その風習が、キリストの復活の信仰と結びついて広まり、今日に至っています。

 特にウクライナ地方のイースターエッグはピサンキと呼ばれ、独特の模様と美しい彩色がほどこされていることでヨーロッパでは有名です。ウクライナには、このピサンキを自分たちが作り続けている限り、善がこの世から悪を追い払ってくれるという伝説があるそうです。

 ほどこされる模様にもひとつひとつ意味があり、例えば、魚は「神の子キリスト」鹿と馬は「繁栄」、針葉樹は「若さと健康」、小鳥は「多産と願いの成就」、網目の三角は「三位一体」と「人々を漁るキリスト」の象徴です。たまごをぐるっとかこむ帯状の装飾ラインは、初めも終わりもない永遠を意味しているそうです。

 さあ今年の貴方のたまごは?

 最後にウクライナのイースターエッグの作り方を少しだけご紹介しましょう。

 材料:白いたまご、蜜蝋(蜜蜂の作った蝋)、溶かした蜜蝋で模様を描くための特殊なペン、水性の染料、または絵の具、卵がすっぽり入る広口瓶、その他

 まず溶かした蝋で卵に絵や模様を描きます。それを染料の入った瓶につけて染めます。取り出してかわいたらまたその上に蝋で模様を描き足し、また別の色で染めます。この作業を繰り返し、最後にかわかしてから蝋を熟して溶かし去ります。すると何色にも色づけされた模様が浮かび上がります。最後にラッカーで仕上げて出来上がりです。



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「聖書100週間」

聖書100週間とは

 今から30年程前、上野教会のルドールズ師によって、受洗後の信仰の養成のために始められました。これは全聖書を通読するためのプログラムで、学問的に、というよりも聖書を信仰の心で神の言葉として祈りの内に読みます。すでに参加した多くの人々は、神の救いの言葉をより一層深く知り、味わう喜びの体験をしてきました。テキストと共に小グループで分かち合う約3年半の大黙想です。
辻堂1区 森田

聖書100週を学んで

 この講座にお誘われした時、はたして3年半続けられるか、疑問と不安で一杯でした。創世記初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ』 神は光を見て、良しとされた。ここを読んだ時、私は決心しました。神は混沌としている私に、光あれと言葉をかけて下さったのです。それからの私は、難問に出会った受験生のように、理解できない箇所に多々ぶつかり、苦しい時もありました。神の子キリストは、全人類の罪の贖い主として、苦しみを受け、十字架上にわが身を献げて、犠牲をはらって下さったのです。受洗されたあなた方は、神の霊があなた方の内に宿っているのです。とパウロの手紙にあります。私は驚き、とまどいました。それ程立派な覚悟もなく、受洗した我身がはずかしいばかりです。キリストの山上の説教は、砂漠の渇いた砂に、命の水の泉がドクドクと沁みこんでいく様に、素直に受け入れられました。(ヨハネの黙示録3の20)「私は戸口に立って、叩いている。誰か私の声を聞いて、戸を開ける者があれば、その者と共に食事をしよう(7の17)」「玉座の中央におられる小羊が、彼らの牧者となり、命の泉へ導き神が彼らの目から涙をぬぐいさってくださる」心を頑なにせず、いつも目を覚ましていられますように。4年近くの長い旅、沢山のお恵みを戴きました。共に学んだ皆様に感謝します。
鵠沼1区 小笠原

神のあわれみとみことばの力と聖霊と

「聖書100週間の通読は、信仰の土台を固めるための3年近い黙想期間のようなもの」と知った時、何か潔い清々しさを覚えました。結婚と同時に羽仁もと子の友の会に入り聖書へと導かれ、11年前受洗の恵みをえました。そして憧れていた聖書通読に藤沢教会で出会えた偶然に感謝しています。家で聖書を読み祈る時間をとること、毎週出席できるよう毎日の生活の見直しからでした。旧約の民が繰り返す反逆の罪は人間の変わらない原点で、限りない神の愛がそそがれます。とまどっていたミサも、旧約・詩篇・新約の意味が分かってミサにあずかる喜びが増しました。「わたしは命のパンである。わたしのもとにくる者は、決して飢えることがなく決して渇くことがない」(ヨハネ6の35)。その週のみ言葉は不思議にその時の私に語る力です。口の慎み、ペトロの否み、ユダ、胸をつかれ、祈らなくてはと思うことばかり。終わりの3月はヨハネ福音でした。父と子と聖霊について分かり易くのべられています。老ヨハネは若き日をともにしたイエスのご生涯をほとばしる筆で伝え、イエスの言葉をシンプルに「あなたたちを愛したように互いに愛し合いなさい」と。弁護者聖霊が助けて下さる、わたしの名によって父に願いなさいと。
鵠沼2区 笠羽

聖書100週間を終えて

 やっと終わった感じ、ほっとした感じ、まだ続けたい?いろいろ複雑な感じです。すでに3年半たってしまったんですね、長いようで短かかったです。私はカトリックに入信してまだ日が浅いので他の皆さんに追いつきたいと思っていたところ、シスターから「100週」やらない?と誘われ、週1回ならと、二つ返事で申し込みしてもらいました。始まってみると感想や復習の準備は私にとっては思ったより大変で、テレビ、ラジオ、その他外出をひかえ聖書を読む時間に回すようでした。この3年半の間に読んだ聖書の中には解らない事も多く、解らないままでいいのだろうかと思いつつも「解らないところはそのままにし、解るところを受け止めましょう」という聖書100週の勧めで他の人も同じだろうと思うようになりました。あるシスターはもう一度「聖書100週間」に参加すると良く解りますよと言われ、それもそうだと思いました。またこの3年半には個人として2003年の夏休みに巡礼でイスラエル、ヨルダンに行きイエス様が歩かれた地を歩く事ができました。眼前の荒野と砂漠を眺めながら旧約の人々をモーセが導かれたこの地を「乳と蜜の流れる地」という表現が、とても私には考えられませんでした。この時は読んでいる聖書と現実の世界を重ねるとこんなに違うんだという事が体験出来ました。聖書は読み物ではなく、イエス様の教えを生活の中で実行することだと思い、そのように心がけるようにしました。これからも毎日新聞を読むように聖書の御言葉を読みたいと思っています。
これも「聖書100週間」に参加したお陰でしょうか?勉強嫌いな私がこんなに厚い聖書を旧約から新約まで週1回でしたが読ましていただきました。また、人付き合いの悪い私にも沢山の友達ができ、なかにはまた「来週ね」と励ましてくれる方もいました。
神に感謝します。
石川

聖書100週間に参加して

 かねて、聖書を旧約から新約まで読み通したいと思っていました。三年半前、そのチャンスをいただき参加。継続出来るか不安でしたが、回が進むにつれてそれは杞憂で、終わってみれば"あっという間の三年半"でした。何よりも読み通した事の満足感は喩えようもありません。解説書を参考にして、決められた箇所を読み進むのですが、感想をまとめるのが困難な時もあり、心に響く箇所が見つからない時は「パス」する事も出来ます。そんな時は、皆様の感想をより良く聴きます。14人のクラスでしたが、同じ箇所を読んでも感想は各人各様で、"ああ,成る程、そういう視点もあったのか"と気づかされ、毎回頂くものが多いひと時でした。この会は、学問的に勉強する会ではありません。教会共同体の中で"いのち"の言葉として聖書に親しみ、信仰を深め合う会だと思います。毎週のミサ朗読、祈りの聖句は、聖霊に導かれつつこの会で分かち合ったもの、私達の心を捉えて今又、私の心に届けられる大切な大切な宝物となりました。日頃、聖書に真面目に取り組んでいる姿が家族の目に映ったことは、信仰を表したり聖書の話も交わす機会となり、とても良かったと思います。旧約の長い救いの歴史が語り継がれ、新約で預言が成就する様子、イザヤを初め預言者達は、自分から名乗り出たのではなく、常に神の御手が働いておられたこと、彼等が呼びかけに応え最後まで主に忠実だったことを学びました。聖パウロや弟子達の働きで、御教えが今日まで伝えられているお陰を被って、現在キリストに連なる末々席にいる不思議と恵みを感じています。正直申しまして、これ迄の日々は、事が自分の思い通りにならないと悩んだりして、神様中心ではありませんでした。聖書を共に読んでいるうちに養われ、信仰の背骨を太く強くしていただいて、「これでいいのだ。この方(イエス)に従いていくのが一番!安心して委ねてすがって行こう」という確信にあらためて至りました。一生に一度は、聖書を読み通してみたいと思っていらっしゃる方、秋に始まる集いにその一歩を踏み出される事をお薦めします。私達の「聖書100週間」は三月で終了しましたが、これで終わりではありません。私達が、これからどのように神様に従って生きるかの始まりなのです。聖霊によって新たにされ、み言葉に生きる者とされました。
神に感謝。
由比ガ浜教会 川波
藤沢1区   古賀



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ある少年との対話
大庭 池田

 おじさん---。

 ミサが終わった。立ち上がりかける私のジャケットの端を少年の指がつまんでいる。私は少年を返り見、観念して再び腰を下ろす。「今日の典礼のね、聖福音のことなんだけど・・・ねえおじさん。」ベタニアのラザロってさあ・・・結局は2度死ぬんだ」また始まった。この少年、質問そのものは単純なのだが、なぜか一瞬ドキリとさせられる。今もそうだ。私にはラザロは2度死ぬ、という少年の想像力に対応する用意はあったが、死をフィジカルな一面でだけ把らえることの信仰者としての不十分を考え、ここは聖書の言葉を精読させ、答えは自分で判断してもらおう、そう思い直した。

 私は少年に聖書を開かせ、ヨハネ11章の初めから、同27節までの黙読を命じる。ここは今日の典礼を少し遡った箇所である。「読んだね。何か気づいたことは?」「・・・」

 少年には当初の明るさが、すでにない。新しい混迷の中で、思考を収束できないらしい。

「なんか、訊ねたいことが次々に湧いてきちゃって、ですね・・・」「アハハ。<復活>について躓いた?」「先を越さないでよ。そうなんです。人間は復活に与ると、どうなるのか。生物学的に復元するだけなのか。それとも死亡した時点で関与していた血縁的と、そして社会的と、その両方の共同体を認知できるものなのか、どうか・・・これらがみなクリアされるなら、やはりラザロにはもう1度死んでもらわないと・・・」「言ってることは分かった。じゃあ、マルコの12章、23節から25節まで読んでごらん」「はい。『復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです』イエスは言われた。『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ』」「感想は?」「脱帽です。それにしても、おじさん。人は死後どうなるのかって、これはこの世をつましく生きるすべての人が知りたい、そう思っている命題でしょ。その答えがですよ、推測でも憶測でもなくて、神の子イエスの言葉として聖書の中に明快に出ていた?知りませんでした。ぼくにはまだ、おじさんの顔がマジシャンに見えます」「アハ。仕掛けはないよ。ところで君がさっき、新しく湧いた質問と言ったが」「はい。ヨハネ11章の25と26です。ふつうイエス様の言葉は、メタファに満ちてはいるけど簡明です。だから好き。しかしこの部分だけは別。般若心経のように難しい。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』「ねえおじさん。死なないとか、生きるとか、ぼくが知っている生とか死の概念は境界を失って出入り自由、勝手気ままです。センテンスも論理の常識を無視・・・・この文章が理解できるっていう大人を、ぼくは正直言って尊敬しきれない」「理解できる、だって?主イエスは、ご自分の言葉を理解させよう、などとは望んでいない。読み直しなさい」

 少年は頬を紅潮させ、慌てて聖書をめくる。私が、ふと彼の視線をたどると、なんと思いがけない箇所に進んでいるではないか。「おじさん、恥ずかしい。ぼくが誤りの道に踏み込んだのを教えてくれているのが、なんと、次に続くマルタの応答でした。『このことを信じるか』と言うイエス様に対して、彼女は即座にこう応えるのです」<はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております>「おじさん、これはマルタの信仰宣言なのですよね。『わたしは復活であり、命である』と主イエスがご身分を明かします。それに応えるマルタにはこの信仰宣言しかなかった。それなのにぼくは、命とは、復活とは、死とは・・・延々、無益な哲学のエリアをさまよっていたのです。無信仰者にはマルタの返事は、的はずれでしょうが、彼女のリアクションは100%、主イエスを満足させたに違いないと、ぼくは思っています」「う〜ん。凄いところに行き着いたね。今君に聖霊が宿った。」



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3月20日 − 聖ヨゼフの祝日に
鵠沼3区 平野

 その昔、教会の庭仕事に汗を流したレオの人たちは教会と家族の柱でしたから、聖家族の柱、ヨゼフ様への信心を大事にしました。彼らは聖堂の裏に聖ヨゼフ像のある庭を造りました。「学びの庭」がそれです。多くの人が、そこで祈る姿がみられました。十年以上も前の話です。

 今では、この事を知らない人も多く、訪れる人も少なくなりましたが、ヨゼフ像は依然、ツルバラのアーチで飾られ、足許には、当時の人たちが後輩に書き残したメッセージが、カプセルに入れて埋められています。

 適当な機会に取出して公開したら良いと思います。この事を次世代の人たちにも覚えていて欲しいので、聖ヨゼフの祝日にあたり、ここに更めて皆様にお知らせして申し送りをしたことに致します。



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回心の体験
秦野教会 寺田

〔回心のきっかけ〕学生の頃、近所にミシン職人が来て作業していた。彼は救世軍の信徒でした。詳しくは覚えていないがいろいろと教会の話をし始めた。軍隊のような階級組織など興味をそそる話に、友人と共に教会を訪問することになった。場所を知っている筈の友人の道案内で連れて行かれたところは救世軍の教会ではなくカトリック教会であった。そこで、カトリックの青年達に暖かく迎えられ、そのまま居座ってしまった。カトリック要理問答集に書かれていた『神の存在、天国の存在』に衝撃を受け、勉強を始めた。

〔回心の体験その1〕受洗は1957年の聖土曜日その年の暮れに堅信も受けた。今年で49年になる。カトリックの入信生活は楽しかった。自分のうちに神の子になったとの意識を胸に秘めつつ、一方で神を求めながら、信徒使徒職JOC,SVPなどに入って熱心に活動した。

〔回心の体験その2〕1980年の春、「聖霊による生活刷新セミナー」に参加し「聖霊の満たし」を受けました。その時から私の生活のあらゆる面で新しくされていきました。主と出会ったとの豊かな意識、大きな喜びの体験、いきいきとした信仰生活、聖書や霊的書物を読み続けることによって、「聖霊の満たし」で体験したことを吟味したり追認したり新しい知識を吸収しつつ確信へと導かれました。そして聖書に示される「霊の法則(ローマの教会への手紙8章)」によって生きる素晴らしい生きかたがすべての人に等しく恵みとして与えられていることを学んでいます。神に感謝。



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教会委員会報告(3月18日)

(1)信徒総会 分かち合い意見総括―今後の取り組みー

  1. ブロック ブロック制度のあり方・活動について、ブロック長の集まりで話し合いをする。

  2. 外国コミュニティ さらなる交流など、国際部中心に話し合う。

  3. 聖堂の施設 パイプ椅子に各人が聖歌集、リーフレットなどを置けるよう、総務部で検討する。

  4. 活動 一人一役に再度挑戦。多くの信徒に活動に関わってもらうために、活動部をPRして、信徒一人一人が参加したいと思えるようにすることが必要。

  5. 若者 若者が教会に足を向けるための対策について。教育部、宣教部で、具体的にできることを考える。教会全体の問題として信徒全体も関わっていく必要がある。

 

(2)湘南台センターの在り方検討小委員会発足について

湘南台センターが発足して12年目、北部宣教の拠点としての役割を再検討する。6名からなる小委員会を作り、検討。メンバーは教会運営委員会、宣教部、北部(北1,2)、南部(鵠沼、藤沢、辻堂)、国際部、センタースタッフから各一名の6人で構成。4月から3〜6ヶ月かけて検討。

(3)神奈川県共同宣教司牧推進委員会 2006年研修・養成コース(春季募集)

信徒・修道者・司祭の三者合同宿泊研修会、入門講座指導者養成コース、入門講座指導者養成中級コース、聖書の分かち合いリーダー養成コース、管理・運営奉仕者要請コース、いずれも定員少ないため、意欲のある人を教会より派遣する。

(4)アスベスト問題

アスベスト対策につき総務部が見積りをとった。対策内容、業者により800万〜1900万円の幅がある。さらに総務部中心に検討し、答申する。

(5)ブロック、活動部

福祉部

地域における一人暮らしの高齢者への支援について。一人でも安心して地域で暮らしていけるように隣組を活用し、ブロック、地区で声かけをしていく。

国際部 

典礼部 

先唱者・朗読者のマニュアルを作成中。4月中には完成予定。



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合同入信志願式の感想
鈴木

 とうとう神様に招かれたと思うと、今はただ喜びでいっぱいです。

 初めて藤沢教会を訪れたのは、13年前のクリスマス。わけもわからず涙があふれ、とても感動的だったことを覚えています。にもかかわらず、それから長い年月を経て、去年ひょんなことからキリスト教入門講座を受けることになりました。洗礼を受けたいと思ったからでなく、キリスト教を学びたいと思ったからでもありません。自分と出会いたかったからです。今までずっと自分を、そして自分が生まれてきた意味を探し続けていました。その答えが見つかるかもしれないと。「第1期 自分との出会い」では、ついに探し求めていた自分と出会うことができました。それだけでなく、「第2期 キリストとの出会い」、「第3期 キリスト共同体との出会い」の中でその先にある神様の深い愛に気づかされました。こうして、自分と出会うことで神様と出会い希望の光を見つけることになりました。

 私をここに導いてくださったことに心から感謝し、これから神様と共に歩む信仰生活を大切にしていきたいと思います。



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「カンボジア福祉基金藤沢」の近況報告
応援する会世話人 小藤

 2001年の教会バザーの収益を元に発足した「カンボジア福祉基金藤沢」の支援活動も4年を経過しました。その間、この基金を応援してくださる皆様からの定期的な賛助金、例年の教会バザー収益分配金、手打ちそばの販売収益等で、基金の拡充を図りつつ、日本カトリック信徒宣教者会(JLMM)のカンボジアにおける活動に対する支援を継続しています。皆様のご協力深謝します。資金は全てJLMMカンボジアにて米ドルで管理・運用されており、2005年の収支は以下の通りです。

金額(US$)
2004年繰越基金残高
2005年運用収入
     基金収入
     収入合計
2005年活動費支出
2005年末基金残高
30,528
852
1,824
2,676
2,782
30,422

(2005年のバザー収益分配金は2006年度分に算入されます。)

 2005年の主な活動内容としては、

1.保健衛生プログラム(子供の水浴び、母子保健、病人緊急支援、ホームケア、栄養改善)

2.教育プログラム(識字教育、そのための教師のトレーニング)

3.その他 (青年活動、家庭訪問など)

などがありますが、中でも教育プログラム、青年のグループ活動への支援が充実してきたようです。2005年10月には識字教室から16人の児童を公立小学校へ入学させることができたとのこと。2004年度も23人入学しましたが、3ヶ月も経たないうちに全員やめてしまいました。今回は今も頑張って通学しているとのことです。

 2006年の活動については、プログラムの見直し、一部休止が必要になろうとのこと。2004年8月から現地で活動しているJLMMの平さんが今年6月には任期を終え、日本に帰国予定。後任の高橋真也さんが既にカンボジア入りして現在語学研修中です。これまで平さんと一緒に活動して来ていた現地のナショナルスタッフ(女性)が昨年末で退職したため、新たに今度は男性のナショナルスタッフを採用する必要がありますが、(JLMM派遣員と水上村の教会で寝食をともにするため同性の要あり)これがそう簡単ではなさそうです。従って、新しいナショナルスタッフが見つかるまでは、一部のプログラムの休止は止むを得ないでしょう。しかし単に休止するだけではなく、村人でできることはJLMM主体から村人主体に移行させて行くことも指向。さらに、コンポンルアン水上教会が所属するバッタンバン教区の担当司祭ヘルナン神父との協力関係も強化したいとのことです。JLMMカンボジアでは今後のコンポンルアンでの活動を継続可能でより良いものにするために、一度、これまでの活動の見直しと整理を行い、これからに繋げて行きたいとのことですので、私たちも応援を継続していきたいと思っています。

なお、2006年2月末現在「カンボジア福祉基金藤沢」を応援する会に登録してくださっている

方々は55名となっています。関心ある方は、福祉コーナーにお立ち寄り下さい。(カトリック新聞4月2日号をご覧ください)



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バザーからの寄付に感謝
NPO法人湘南ライフサポート・きずな

 このたびはNPO法人湘南ライフサポート・きずなにご寄付をいただきありがとうございました。

 「湘南ライフサポート・きずな」は、1995年から藤沢地域で野宿生活者の夜間訪問活動をしている「藤沢火曜パトロールの会」が中心となり、カトリック藤沢教会の人々との連携で、生活困窮者が社会的・経済的・人間的きずなを取り戻す支援を行うという趣旨のもと、設立されました。野宿生活者のニーズに応える形で2002年8月「ポルト湘南・茅ヶ崎」という名称の自立支援宿泊施設を開設し、同年9月には神奈川県からNPO法人認可を受けました。

 同じ2002年8月には「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が施行され、国の基本方針にもとづき04年8月には神奈川県の実施計画が発表されました。県下各市においても少しずつ野宿者に対する施策が取り組まれて来ましたが、主にはすでに野宿状態にある人を「ポルト湘南・茅ヶ崎」のような民間の宿泊施設を利用し、居所を定めるというものでした。しかしただ居所を定めるというだけでなく、社会的・経済的・人間的きずなを取り戻すために、総合的な施策をどう行っていくかが地域社会の課題となっているように感じます。

 私たちの住んでいる湘南地方には、過去の調査でも藤沢市63名・茅ヶ崎市42名・平塚市112名で合計217名の野宿生活者がいます。野宿者が野宿状況に至った背景には、失業・多重債務・高齢・傷病・DV等、様々な問題があります。また、野宿あるいは不安定居住から生じる問題も多くあります。そのために私たちはこれまでの宿泊施設運営に加え、湘南地域を中心に、前記問題の解決の一助として、野宿者・野宿になりそうな人を対象とする総合相談所(出張相談・電話相談を含む)を設立することにしました。それに付随し、緊急避難的なシェルターも運営し、これまでの宿泊施設も活用しながら長期的視野にたった支援を行おうと思っています。

 この新規事業は、神奈川県との協働事業として数年間の助成金が付く予定ですが、人材や施設を維持し継続するために十分とは言えません。今後も人的や財政的なご支援をいただけますよう、よろしくお願いいたします。



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典礼奉仕者養成コース報告  (第9回)
典礼部

外国籍信徒の司牧のための典礼

<カンペンハウド師>

 梅村司教は司牧書簡「交わりとしての教会をめざして」のなかで日本の教会の多国籍化

という交わりについて次のように述べている。

「人種や民族、言葉や生活習慣の違いを乗り越えて、互いの交わりと一致を深め、共に手を携えて教会の使命を果たして行くことが大切です」「人は自分の社会を守るためにさまざまな壁を作ってしまいます。たとえば、人種や民族の壁、言葉の壁、宗教の壁、身分や貧富の壁などです。そういう人々にとって隣人は、壁の中にいる人々だけなのです」「わたしたちが互いに兄弟姉妹として、自らあらゆる壁を取り除いて、キリストの心を心として人類家族に奉仕して行くことができるよう心から願い、祈ります」

 外国籍信徒との交わりをとおして教会には壁がないということを証しすることができる。また小教区の壁をとりはらうチャンスでもある。"家庭的"は自分だけを考えることで"兄弟的"教会を作っていく必要がある。横浜教区の外国籍信徒は日本人の倍以上いる。神奈川県内44の小教区のうち外国人のためのミサを行っているのは15教会ある。外国人をうけいれてはいるが客として迎えているところが多い。たとえば聖堂や信徒会館を私たちが使わない時に使ってくださいといっている。

 3分の2の教会になぜ外国人がいないか。行けないのか、来れないのか。理由は?長野県では外国人がいてもいなくても外国人のために献金を行っているが、自分の教会に外国人が来なくとも関係がないということではなく、暖かい心を持つ必要がある。外国人コミュニティーを担当するモデラトールとして4名の司祭が任命されている。

 フィリピン   ブランチフィールド神父(平塚教会)

 中南米     ウンベルト神父(大和教会)

 ベトナム    春山神父(大和教会)

 韓国      パク神父(末吉町教会)

 横浜教区では2006年8月の教区司祭大会に外国籍信徒への司牧方針についての提案を行い、教区全体で同じ扱いとする方向にある。また、宗教言葉の辞書を作っており、英語、スペイン語、ブラジル語のものは近々できる。外国籍信徒については特に子供の信仰教育

が大切で、日曜学校に来られるように考える必要がある。

 教会は各コミュニティーの違いを認めると同時に全ては一つにまとまるという証明をしなければならない。

<川口薫師>(東京教区)

1. 教会の現状と課題

 神奈川県内の外国人登録者数は14万7000人(2005年末)で、フィリピン、ブラジル、ペルーで全体の26%を占める。その他未登録の人も多くいる。また、同じ時点での横浜教

区の信徒数は17万2000人で、日本人は5万3000人(31%)、外国人は11万9000人(69%

―推定数、全てが登録者ではない)となっている。横浜教区は信徒数でみて日本最大の教区であり、このことは大きな可能性、愛をあたえてくれると同時に一緒に集うことで軋轢が生じるなど大きなチャレンジでもある。

 教会に集う外国人は信徒であるとともに移住移動者であると考えることが大切である。彼らは痛み、悲しみなど重い現実を背負ってやってくることを承知すべきである。教会はこれをどう受けとめているかを教皇メッセージでみると「移住者は・・交わりを築くことによって成り立っている諸教会の普遍性を確認する機会を提供している。教会における民族と文化の多様性は一時的なものではなく、教会を構成する要素の一つである」(ヨハネ・パウロ2世)、「移住移動は今日における重要な時の印の一つであり、これに対して特別の注意を払う必要がある」(ベネディクト16世)。

2. 外国籍信徒の司牧のための典礼

 「日曜日のミサが外国人の現実問題、困難、喜びとつながっていない」「主日の典礼は機械的でよく準備されていない」といった二つの側面からミサが日本人でない共同体のニーズにあまり適合していないということがある。外国人を客としてではなく、教会の本質を構成する要員、メンバー、家族として受け入れることが大切である。

 彼らが日常的に経験する不寛容、差別からくる孤独、疎外感が典礼をとおして慰め、癒しがえられて希望につながるということにコミットできる典礼奉仕が必要である。

3. 外国籍信徒と共に祝う典礼

 コミュニティーによって文化の違いが物の見方、考え方の違いにつながるように、信仰、典礼への感じ方もまた違う。神の恵みをいただく祝いの場、共同体の自己表現、自己実現の機会として互いの信頼と受け入れあい、協力関係を準備することが必要である。

 教会には日常生活では出会えない歓迎と暖かさと理解を期待し、子どものときから心に刻まれた愛と信頼のイメージ、神の救いのわざの記念、共同体に属している喜び、平和、希望に生きるエネルギーを得られるところとしてそれぞれの考え方、感じ方があり、特別な祝いや祭りがある。



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ティールーム

春の柔らかな陽ざしを受けて、共同体の皆様のお力添えを頂きながら、何気なくティールームに参加した若い芽が3本(3人)仲良くなり、まっすぐ成長をして花を咲かせようとしています。

学校に行く前、仕事に行く前、朝のミサに来て祈り・ティールームでおしゃべりをして元気に一日の出発をして行きます。

これが、ティールームの役目(役目と思わずに言ってしまう)なのでしょうか?

どうぞ復活祭に受洗します Hさん ・ Kさん ・ Tさんに受洗の歓びと、その後のあたたかい見守りをお願い申し上げます。

どうぞ皆様、ティールームにも、朝ミサのあとお立ち寄りくださいませ。

  収    入 支    出
(単位  円) 材料費等 教会献金
前記繰越金 2,777          
参加費・寄付 50,257
小   計 53,034 38,897 12,000
次期繰越金        2,137
合   計 53,034 53,034



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