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八 角 形 に ゅ ー す

2007年11月4日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

死者の月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ティエン

教会委員会報告

第5地区共同宣教司牧委員会の現状及び今後の取り組み

国際ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 李

「壮年の集い」の感想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 里原

「湘南台センターフェアー」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細野

ボーイスカウト藤沢16団入団上進式

はじめましてガールスカウトです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 大竹

第40回横浜教区一粒会大会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一粒会 鈴木

川村神父講演ほか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 岡田
大会に参加して
確かに聖霊は働いておられる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 千古

合葬の園

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死者の月
司祭 ティエン

 11月は沢山の記念日があります。諸聖人の祝日に続いて、亡くなられた方々−愛していた人々、親戚、友だち、恩人など−を記念する死者の日があります。私は聖コロンバン会の一員として、聖コロンバンの日も祝います。この日は、特に長年お祈りとご支援を頂いているコロンバン会協力者会の皆様のために、感謝のミサを捧げたいと思っています。また、ベトナムのカトリック教徒として、ベトナムの殉教者たちの記念日に特別の祈りを捧げます。私は彼らの子孫の一人であることを誇りに思い、いつも私たちを守ってくださるよう祈っています。

 今月は死者の月ですから、私たちは先に亡くなられた方々を思い起こして祈ります。彼らのために、特に愛していた人々のために祈るとき、私たちは共に過ごした時のことをいろいろ思い出したり、彼らを失ったときの寂しさを感じたりします。私も1998年に愛する父を亡くしました。父が亡くなる前に体験したことを、皆様に分かち合いたいと思います。

 その時、私は豊島教会にいました。メルボルンにいた管区長のブライアン・ゴア神父から電話があり、父の具合が大変悪いからすぐ帰ってくるようにとのことでした。私はショックで呆然となり、もしかで父が亡くなって二度と会うことが出来なくなるかもしれないという不安と恐怖でいっぱいでした。メルボルンに向かう機内では一睡も出来ず、ひたすら父のことを思い、父のために祈っていました。神様、どうぞ父を助けてください。

 病院にいる父は、私が想像していた以上に、やせ細って衰弱していました。C型肝炎で苦しみ続けていたそうです。私は、母や姉、兄に代わって病院に泊ることにしました。父のベッドの下で横になりましたが、その日は疲れのあまりぐっすり寝込んでしまいました。夜中にふと気が付くと、父が「家・・・家に・・・家に帰ろう!」と言っている声が聞こえました。私は彼に「今は夜中だし、お医者様も許しては下さらないから、無理なことを言わないように」と、説得しました。父が私の話していることを理解したかどうかは分かりませんでしたが、父は「家に・・・家に・・・!私を連れて帰って・・・!」と言い続けていました。私は、同じことを繰り返す父に少々いらいらしながら、しかし、父のために何もすることが出来ず、また、父の願いを叶えてあげることも出来ず、途方にくれていました。

 父の部屋は、10階にありました。外は真っ暗でした。その時、私はふと父が帰りたいと言っている家はどこなのかと考えました。彼は1954年共産主義によるキリスト教迫害の恐怖から逃れるため、北ベトナムの家を離れ、南部に移り住みました。その後、サイゴンにあった第2の家をも出て、オーストラリアに行きました。ベトナムの家は彼の家でしたが、メルボルンの家はそうではありませんでした。私は頭が混乱してきました。父にとっての「家」は、どこのことだろう?その時私は、父が帰りたいと言っている「家」は、「神様の家、すなわち、天国」のことかもしれないと思いました。父は、自分の両親や兄弟姉妹に再会したいのだ!愛していた人々と再び共に過ごしたいというのが、家に帰りたいという大きな理由なのだ!父は大変苦しそうで、そのような姿を見ることは辛いことでした。私は、「神様、父を家に帰らせてください。父の望む本当の家に帰らせてください」と、祈り続けました。1998年聖ヨゼフの祝日、父は永遠の棲家に帰りました。

 11月、私たちは死者のために祈ります。私たちも、いつか神の国、すなわち、私たちの本当の家で、神様と愛していた人々と一つに結ばれますように!お父さん、私のために祈って下さい!



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教会委員会報告(10月20日)

1.2008年度の教会委員、活動部長発表及び信徒総会の日程

 現教会委員の本年12月末任期満了に伴い、来年度以降の委員の選出作業が進められているが、次期教会委員長には浮田氏(辻堂1区)が任命された。副委員長に関しては現在、鋭意折衝中。本委員会の時点で決定している委員及び活動部長は以下のとおり。(敬称略)

委員長:浮田(辻堂1区)

ブロック代表者:(北1)八木、(北2)米谷、(鵠沼)牧野

活動部部長:<典礼>福井、<宣教>鈴木、<総務>沼波、<教育>井出、<国際>興膳

副委員長、財務部長はじめ、まだ決まってないブロック代表者、活動部長も次回委員会(11月17日)までには決定すべく努力中

信徒総会は2008年2月3日(日)9時半ミサ後、行われることになった。

2.湘南台センター作業チームからの報告

 新しい場所も大筋において合意。湘南台駅から徒歩5分の所にあるサンサーラビルの1階の1室を借り受ける。2008年1月より2年間の契約。1月中ごろに引越し予定。新しい運営体制を検討中。スタッフのボランティア募集中。

3.バザー準備状況

 バザーチームより準備状況についての報告がなされた。新しい試みとしては、ウェルカム券の発売、衣類を中心とした売れ残ったものを10月29日から一定期間“ぶどうの木”で販売する。

4.第5地区共同宣教司牧委員会現状報告

 委員である小藤委員長から現状及び今後の取り組みについての報告があった。内容については、別途掲載。各活動部、ブロックの話し合いの中で、この共同宣教司牧委員会で討議・検討した方がよいこと、あるいは要望、提案などがあれば是非、ご連絡下さい。

5.ブロック・活動部報告

@ 北1:

北1ブロックの遠足を、女性の会パスカが実施するバス旅行に便乗して行ないたい。11月15日(木)訪問地は甲府教会、県立山梨美術館、クリスタル美術館、男性も歓迎

A 北2:

湘南台センターのボランティア募集。11月10日締切

B 総務:

前回報告したアスベストを含んだ埃の清掃作業は、気中飛散度0で安定していることから、CPTプロジェクトの結論を待ってから抜本的対策を講ずることで、今回は見送ることとする

C 国際:

渡辺神父の休暇に伴い、第2日曜のミサをティエン神父が担当することになったので、第2朗読を外国語で行ないたいとの申し出があった。従来から行われているブロック担当ミサと重なるが、11月のミサについては了承。その後についてはブロックミサの中で第2朗読を外国籍信徒が行うか、ブロックミサの日程を変更するか典礼部にて検討する

D 宣教

E 教育:

11月23日東京カトリック神学院ザビエル祭を日曜学校の生徒が見学する。当教会にもガールスカウト発足させるための準備会を立ち上げる

F 典礼:

教区の典礼研修会に参加。ミサにおける聖歌の選び方につき勉強したが、小教区によって事情がまちまちで、静岡など外国籍信徒が多い教会では、外国の聖歌を半分ぐらい取り入れているが、なかなか難しいようである

6. その他 



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第5地区共同宣教司牧委員会の現状及び今後の取り組み
(教会委員会資料)

 本年4月に発表された横浜教区の司教教書に基づいて、第5地区ではこれまでの地区福音宣教委員会を地区共同宣教司牧委員会へと移行し、2008年4月からの完全実施に向けて、準備を進めています。その現状及び今後の取り組みについて報告します。

I.規約の制定:

 司教教書にある教区宣教司牧評議会の規約を参考に横浜教区第5地区共同宣教司牧委員会の規約を策定しました。主な点は以下のとおりです。

  • 名称:第5地区共同宣教司牧委員会

  • 目的及び任務:第5地区における共同宣教司牧を推進することを目的とし、その任務は以下のとおり

‐ 地区のヴィジョンを策定し、実施する
‐ 地区内の小教区、修道会相互の連携を図り、協同体制をとる
‐ 「祈る力を育てる」、「信仰を伝える力を育てる」、「神の愛を証しする力を育てる」三つの部門を設け、各部門の課題を遂行、毎年評価を行う
‐ 教区宣教司牧評議会の信徒評議員候補の選出
‐ 教区懇談会に代表を派遣し、教区長、他地区との交わりを図る
  • 委員構成:地区所属の各小教区主任司祭(ただし助任司祭、協力司祭も委員となることができる)、教会委員長、各修道会代表者。現時点では主任司祭 7名、教会委員長 7名、修道会代表者 7名の合計21名となっている

  • 会議: 年4回の定例会議を開催する

U.第5地区の「ヴィジョン」及び「優先課題」

 司教教書で司教様は地区共同宣教司牧委員会で取り組んで欲しい作業のひとつとして、「地区の将来を見据えたヴィジョンを描くこと」を挙げられていますが、第5地区の委員会では「ヴィジョン」という言葉が多義的であるので、敢えて「将来展望」という言葉に置き換えて、議論のキーワードとして使用していきます。従って委員会の課題は、第5地区の地域的特性を前提とした将来展望を描くこと、展望との関連で通り組むべき優先課題を見出し、実践していくことです。将来展望及び課題の基盤は「共同宣教司牧」の推進にあることは言うまでもありませんが、体制や組織を作るだけではなく、自らの力で実施していくという意識化、即ち信徒、修道者、司祭が共に教会の使命を果たそうという気持になること、この意識があってはじめて、具体的な制度作りが実を結ぶでしょう。如何にしてその意識を育てるかが課題ではないでしょうか。

V.3部門の設置:

 司教教書にある3部門は本質的に不可分であり、同じ「信仰の力」そのものが具体化する3つの側面と言えるでしょう。従って3部門の連携が大切であります。またこれを個人のレベルで捉えれば、一人一人が「祈り」「伝え」「証しする」信徒となることが、基盤であり、前提であります。3部門にはそれぞれに司祭、修道者、信徒の三者が入ることとし、全委員がいずれかの部門に属することになりました。今後、各部門でそれぞれの課題、取り組み方法などを検討していくことになります。



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国際ミサ
藤沢1区 李

 秋の寒さを増した雨の日でありましたが、鈴木主任司祭様を始め、テイエン神父様、山田神父様共々の司式で行われた国際ミサは、各国の信者たちが国際色豊かな衣装をまとい普段のミサとは異なる味わい深いミサでした。共同祈願で信者の祈りが国別に唱えられ、分からない言葉でありながら、熱心で真摯な祈りの中に、賑やかな雰囲気がかもし出され、キリストを信じる信者として親しみを強く感じました。

 私は、藤沢教会で、皆様と出会えた事を偶然だとは思いません。この様な出会いは神様からから頂いた大きな賜物であり、いつまでも信頼感を持って大切にしたいと思います。藤沢教会国際コミュニティが、皆様の優しい心配りで文化の違いを乗り越え、人々の間に役立つ一隅を照らすことが出来れば幸いかと思います。

 国際コミュニティでは韓国人が一番少なく、この度は東京に住んでいる孫娘が藤沢教会のサマーキャンプにも2回ほどお世話になっておりましたので、今回の国際ミサの話をしましたら、とても喜んで奉納の奉仕をしてくれました。国際ミサは、キリストを父とする国際家族が一同に集い、共通の信仰を基にして個々の理解の輪を広げていける良い機会ではないかと思います。今回のミサでは各国のクワイアが練習を重ねて、力強くかつ綺麗なハーモニーで歌って下さり、心に深くしみわたり印象的でした。

 神様の慈しみを信じ、どんな状態に落込もうとも感謝の心を忘れずに生きていく事が出来ますようにお祈りします。カムサハムミダ。



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「壮年の集い」の感想
大庭 里原

 10月7日(日)の9:30のミサ後に「壮年の集い」が行われましたが、出席者は18名といつもより少ない人数でした。「壮年の集い」の開催について、事前にお知らせに掲載してどのような内容なのか皆さんに知らせるべきだったと反省しています。最初にバザー壮年部屋台村の内容とお手伝い募集の説明があり、バザー関連の準備作業の協力のお願いがありました。次に壮年部の世話人会の活性化、壮年部のあり方について、自由に意見交換が行われました。

 ここで、藤沢教会へ最近転入された方、また壮年部についてよく分からない方もおられると思いますので、壮年部がどんな組織なのか簡単に説明したいと思います。壮年部の構成員は藤沢教会の壮年の方(既婚者や青年部に所属していない方など)全員で、申込み等の必要はありません。その役割は壮年の方の親睦を図り、横のつながりを大切し、教会行事を運営・サポートすることです。壮年部には世話人会というのがあり、毎月第2日曜日9:30のミサ後に定例会を行い、年間行事の準備、教会委員会報告等を行っています。

 「壮年の集い」は4月と10月に行われています。壮年部の総会なので、壮年の方は誰でも自由に出席できます。その日、貴重なご意見を多くいただきました。その中に「全く何も分からないままに教会の仕事を引き受け、最初は戸惑うことが多かった。壮年部や活動部の方々と一緒に活動していくうちに知り合える方も徐々に増え、共同体の中で自分の居場所を見つけることができるようになった」というのがありました。私も同感です。現在、活動されておられる多くの方々も同様ではないでしょうか。また「出席者が少ないからと肩に力を入れずにやっていってもいいのでは」というご意見もあって、ちょっとホッとさせられました。

 壮年部という横のつながりがあるので、教会の行事において協力体制も生まれていくものと思っています。世話人会に関心を持っておられる方は、是非とも世話人会に入っていたければと思います。



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「湘南台センターフェアー」に参加して
細野

 9月22日午後2時の開演に合わせて、続々と皆様お集まりです。私たちリコーダーグループ5名もドキドキしながら発表の時間を待っています。

 思い出せば、このリコーダーグループは10年前に発足しました。はじめはとても出来ないと否定する気持ちと、出来るものなら挑戦して見たいと、野澤先生の強い思いと色々な思いで始まったのです。でも楽譜も読めない私は「ド」の音を出すことすら分かりませんでした。練習日が来ると、胸が痛くなるのです。少ない人数での合奏ですから一人休んでも迷惑になります。出来るだけ休まないように、次回の練習日までに少しでも家でおさらいをと思いながら、2週間おいての練習日はアッと言う間に来てしまいます。こんな事では止めた方が良いのではと、何度思った事でしょう。その度にメンバーの皆さんの顔とただただ私達が楽しく出来るように指導して下さる野澤先生の事を思うと、またやろうと気持ちを切り替えて続けてきました。

 今回フェアーにリコーダー発表すると先生からお話がありました。選曲は来てくださる皆様のなるべく知っている曲で、リコーダーの楽しさが伝わればと「主はここに」「村祭り」等4曲に皆で決めました。しかし練習しても、なかなか満足のいく演奏が出来ません。そんな時テハン神父様がお忙しい中練習に加わって下さり励まして下さいました。その甲斐あって不安だった演奏会も無事終える事が出来ました。

 後日先生から「皆様からおほめの言葉をいただきました」と聞き、とても嬉しく思いました。夢中でやった演奏、ここまで積重ねて来た日々、今では練習が楽しい事、そして支えて来て下さった皆様に対して感謝する気持ちなどで一杯になりました。これからもリコーダーを続けていこうと思います。(リコーダークラスの皆さんは全員信者でない方々です)

湘南台センターフェアーを終えて
湘南台センター スタッフ一同

 9月3日の折り紙講習会から始まったセンターフェアーは、10月13日のクラリネット演奏会をもちまして、お蔭様で無事終了致しました。

 フェアー中多くの皆様をお迎えし、感謝の内に楽しい時を過ごす事が出来ました。その中で“新センターのために”と多くの皆様から温かい励ましの言葉や、献金を頂きました。この事は、来年度新たな活動を歩み出すセンターに大きな勇気と力を与えてくれました。ほんとうにありがとうございました。最後になりましたが、フェアー開催のために快くご協力、ご支援を頂きました皆様に心より感謝を申しあげます。



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ボーイスカウト藤沢16団入団上進式

ボーイスカウト藤沢16団の入団・上進式が10月14日(日)のミサの中で行われました。該当スカウトたちは最初緊張の面持ちでしたが、宣誓を終えると晴れやかで誇らしげな表情に変わりました。これから一年間、各隊ごとに様々な活動に挑戦していきます。今後共、宜しくお願いします。

ビーバースカウト ひかり

 ビーバーたいにはいりました。おにいちゃんが、ボーイスカウトにはいっているので、はいれてうれしいです。ビーバーたいのすきなところは、せいふくがかっこいいところです。せいふくがきれてうれしいです。あたらしいおともだちとあそびました。ちいちゃんとあそびました。りゅうがくんとあそびました。みんなであそべてたのしかったです。こんどはいつかな。ビーバーのひが、たのしみです。

ビーバースカウト ふゆあき

10がつ14にち、にちようび、ぼくはふじさわ16だんビーバーたいににゅうだんしました。しきのとき、きんちょうしたけれどまわれみぎがうまくできてうれしかったです。これからはビッグビーバーとして、みんなとなかよくがんばります。

カブスカウト ゆうすけ

カブたいのせいふくにあこがれていたので、カブたいにはいってせいふくをきることができてうれしかったです。はやくかつどうをしたいです。大人になるまでボーイスカウトをつづけてたいちょうになります。せかいジャンボリーにもいきたいです。

カブスカウト 真理恵

10月14日、わたしは、カブたいに上しんしました。

早くきてみたかった青くてかっこいいせいふくをきて、カブたいのちかいをしました。神父様に黄色いチーフをかけてもらった時、「今日からわたしはカブスカウトなんだ」と思ったら、すごくうれしかったです。

ボーイスカウト 真帆

今年私は、カブ隊からボーイ隊に上進しました。上進入団式はミサの中で行われます。ミサが始まってしばらくは緊張しませんでしたが、司会の人が、『次はボーイスカウトの上進入団式です』と言ったので少し緊張してきました。上進入団式には、ビーバー隊、カブ隊、私のでるボーイ隊、ベンチャー隊が出ます。ボーイ隊に上進する人は5人いて、それぞれ3つのちかいをたてます。私がちかいをたてるのは5番目でした。一番初めの人からちかいを立ててチーフをもらいます。私より前の人たちが言い終わり、いよいよ私の番です。少しつっかえたけれども、うまく言うことができました。カブ隊とはまた少し違う、ボーイ隊の新しい活動が楽しみです。

ボーイスカウト 隆太

ぼくは、リハーサル前日、きんちょうしていました。

リハーサルの日の練習では、もうきんちょうしてなかったけど、まだ本番でちゃんと、三指がいえるかどうかが心配でした。そしてリハーサルで、3、4回練習して、うまくできるようになって、本番をむかえる準備ができました。その次の日本番をむかえて、すごくきんちょうしていました。けど、ちゃんと三指を言えて、ちゃんと声がでました。ボーイ隊に上進したので、これからはその三指を実行したいと思います。

ベンチャースカウト 裕次郎

ぼくは去年ボーイ隊として入団しました。はじめのころは何をするのかわからずみんなの足をひっぱってめいわくをかけていました。でもボーイ隊の活動になれてくると、テントの張りかたや火の起こしかたなども、おぼえていきました。これからはベンチャー隊として、ボーイ隊でのけいけんなどでがんばっていきたいと思います。



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はじめましてガールスカウトです
鵠沼1区 大竹

 皆さん、ガールスカウトってご存知ですか?ガールスカウトとはボーイスカウト運動が始まった3年後にボーイスカウトを作ったイギリスのロバート・ベーデン・パウエル(B−P)卿により設立された少女と若い女性のためのスカウト運動組織です。B−Pは男の子と女の子にはそれぞれに合った活動のしかたがあり、少女の活動は女性に任せたほうがよいと考えたので、ボーイスカウトとは別の組織としてガールスカウト(英国ではガールガイドという)を作りました。したがって組織は別であっても運動の中心となる考え方=「神へのつとめ」、「他人へのつとめ」、「自分へのつとめ」はどちらも同じものであり、そのことからボーイスカウトとガールスカウトが共にある形がスカウト運動の理想ではないかと私は考えるようになりました。

 現在、神奈川県内のカトリック教会では8つのカトリックスカウト団がありますが、同じ教会のもとボーイとガールが活動しているのは山手教会のみに留まっており、藤沢教会にも長い間ボーイスカウトのみが置かれています。私は小学生の時から約10年間、東京の大森教会でガールスカウトとして活動し、同じ教会のもとボーイとガールがあることの楽しさを知り、またその活動を通じて神様と出会うことができました。よって藤沢教会にもガールスカウトを作り、多くの少女にその活動を通して神さまとの出会いのチャンスを広げていけたらと思っています。そのようなことから現在はガールスカウトとしての活動を再開し、藤沢教会のボーイスカウト=藤沢16団の中から3名の方と共にガールスカウト発団準備会を作り発団への道をスタートしたばかりです。

 そこで、ガールスカウトになりたいと思う小学生以上の女子と、活動をお手伝いいただける18歳以上の女性・男性を大募集しております。日曜日の9時半のミサに制服で出席している時は、ミサ後に遠慮なくお声をおかけください。その時にも詳しくお話させていただきます。



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第40回横浜教区一粒会大会
一粒会 鈴木

 第5地区の7つの教会が力を合わせ1年間かけて準備した今年の一粒会大会が無事に終了しました。10月21日付カトリック新聞(5面)には写真入り記事が掲載されたので、お読み戴いた方も大勢いらっしゃることと思います。藤沢教会からは沢山の方がご協力、ご参加下さりありがとうございました。

 今年の一粒会大会に参加した子供の数は約140名とのこと、今までの大会の記録となる人数が集まりました。第5地区の教会学校のリーダー方が1年間かけて準備して下さった手作りのプログラムは素晴らしいもので、子供たちがとても楽しんで参加していたようで嬉しいことでした。色々な立場で大会に関わって下さった方々が、講演やプログラムの内容について、又初めて大会に参加した感想等を書いて下さいました。子供たちも大勢の友だちと過ごした1日の感想を書いてくれました。一粒会大会をきっかけに、地区としての交わりが、今後大人も子供もますます活発になれば、と思っております。

 11月23日の東京カトリック神学院「ザビエル祭」には、今年も第5地区の多くの皆様とご一緒にバスで参加したいと願っております。(東京カトリック神学院には藤沢出身の宮内神学生が在籍しています)これからも司祭召命のため、神学生のため、司祭の成聖のため、お祈りと献金をお願い申し上げます。



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一粒会大会 川村神父講演ほか
藤沢1区 岡田

 第40回横浜教区一粒会大会が去る10月8日(祝)に聖園女学院において挙行された。全体で800名の参加とのことで、今年度は第5地区担当のため、当教会の山田神父様をはじめ、日曜学校、壮年部、ブロック関係者他がスタッフ、係員、一般参加者として参加した。テーマは「あなたがたが私を選んだのではない、私があなたがたを選んだのである」であった。

 午前中は、上智大学准教授の川村信三師(イエズス会)の講演「召出し・家庭・ペトロ岐部」が行なわれた。まず、今年列福が決定された188殉教者を加えた日本の聖人・福者は合計435名、しかも全員殉教者で、殉教者総数は万単位と考えられること、このような国はローマ帝国以外にないという事実が指摘された。そして今回の188殉教者列福は、日本の教会が初めてイニシアティブをとったこと、ほとんど信徒であることが指摘され、来年11月の列福式に向けて、信徒再生の動きの盛り上がりを期待するとの話があった。

 次に師自身の感想として、188殉教者は、新渡戸稲造の『武士道』にある「勇気」すなわち「恐るべきものと恐れる必要のないものとをわきまえること」を実践した人々であるとの捉え方が示された。当時流布していた『マルチリオのしおり』において、殉教の要件は、@死ぬことA死を甘んじて受けること(無抵抗)Bキリストの教えに基づくこととされ、心構えとしてのへりくだり・謙遜の重要性と、殉教は自力ではできない、最後に与えられる決断の恵みであると考えられていたことが強調された。

 そして、ペトロ岐部について、当時のイエズス会管区がポルトガル人宣教師によって占められ、ラテン語ができない日本人に対する偏見、不当評価が蔓延し、司祭になる道が閉ざされていたため、ポルトガル人の航海ルートでない陸路のアラビア、聖地を経て、インターナショナルなローマで大歓迎を受け、叙階が認められたこと。すぐに日本宣教を志し、難破の苦難を何度も経験しながら禁教下の日本に戻ったこと。9年間仙台藩に潜伏しながら司牧にあたり、密告により逮捕され、1639年江戸小伝馬町牢にて穴吊りの刑を受けながらも同志を励ましたため、斬首されたことが幕府宗門奉行の記録に残っていること。遠藤周作が『銃と十字架』において、キリスト教をヨーロッパのものでなく、より普遍的なものとして生きた最初の日本人キリスト者だったと評価していること等が紹介された。

 最後に召出し・家庭の話となった。ペトロ岐部の両親は熱心な信者で、その姿がいつも支えとなっていたという。召出しの要は親の信仰であり、信仰は口先で伝わるのでなく、幼い時から親の祈る姿を見て育まれるものである。バラバラで「信仰の雰囲気」の無い家庭から召出しが出るはずがない、また日常の身の丈にあった「信仰の工夫」がないと信仰は育たないとの厳しい言葉があった。

 午後の講演は、マリアの宣教者フランシスコ修道会の中村寛子シスターから、派遣されたアンゴラで反政府ゲリラに誘拐され4ヶ月間野営地を引き回された体験を経て、確信を持って「神の選びの御手の中での冒険は価値がある」と言える。「神の声を感じるなら恐れず沖に漕ぎ出し、網を下ろして下さい」との力強い内的体験の分かち合いがあった。

 最後に梅村司教以下司祭24名の共同司式ミサがあり、子供プログラムで作られた「祈りの木」が奉納された。司教、司祭と横浜教区4県から来た老若男女の信徒がともにミサをささげ、教区の一体感を感じることができた。あえて言うなら外国人信徒がもっと参加できればさらによいものとなるだろうし、舞台の上と下に分かれるのではなく、新しい麹町教会のような祭壇を囲む大聖堂であればさらに信仰の一体感を感じることができただろう。



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一粒会大会に参加して

日曜学校引率リーダー 井出

 私は初めて参加するこの大会の、子供プログラムの企画・実行に、第5地区の戸塚・原宿、片瀬、大船、鍛冶ヶ谷、中和田の各教会学校リーダーと共に携わりました。

 今年の2月「一粒会の集まりに出てください」という事で、どんな事をするのかもわからないまま、センターの一室へ入ると、ほとんど初対面の方々ばかりで、戸惑いと不安を感じた事が思い出されます。しかし今、大会を終えて私の心のなかには神さまからのごほうびがあるのです。それは一つの事に心を一つにして取り組んだあとにいただいた仲間との一体感です。

 初めのうちは混沌として先がみえませんでしたが“子供たちにどうやってペトロ岐部神父の事を伝えようか”に焦点が定まると、5月には骨組み(導入ゲーム・神父の生涯を辿る紙芝居とオリエンテーリング・ミサで奉納する祈りの木製作)が決まり、そうすると不思議とそれぞれの教会の得意分野に仕事が分担され、アイデアも次々と形になっていきました。大会当日が楽しみでわくわくしながら作業が進みました。

 一方、最後まで悩まされた事は参加人数が増え続けて、前日ぎりぎりまで作業しなければならなかった事。でも、それは神さまの呼びかけに沢山の子供が応えた結果と喜ぶべき事でしょう。予想外の120数名という参加にもかかわらず、時間ぴったりに進行しました。子供たちに感心したことは、中・高生がお兄さん・お姉さんとしてしっかり手伝ってくれた事、また短い練習時間だけで立派にミサ奉仕ができた事です。

 最後に、プログラムが円滑に実行されるようにハード・ソフト両面にわたり惜しみなく協力してくださった聖園女学院と佐藤先生に心から感謝いたします。そして神に感謝!

日曜学校3年 知歩

一粒会大会へ行きました。午前中はゲームがあり、もうじゅうゲームやペトロきべの紙しばいを見て、スタンプラリーをしたりしました。午後は祈りの木の葉っぱをネットにはって、ミサのほうのうの時それをつるし、板がみきになって祈りの木になりました。この日はとても楽しかったです。

日曜学校4年 千裕

一粒会にわたしは、はじめて参加しました。はじめはなかなかなじめなかったけど、藤沢教会だけかと思ったけど、横浜地区全体からいろいろきていたのでおどろきました。みんなで祈りの木を書いたときに思ったことは、ここにきているみんなの願いがとどきますように、それだけでした。来年はまた行こう、そう心にきめました。楽しみにしています。

日曜学校保護者 智佐子

「お母さんも一緒に行こうよ」と娘に誘われ、初めて参加いたしました。日本の殉教者についての上智大学川村先生のお話、アフリカの地で神様の御心に忠実であろうとなさるSr.中村の佇まい共に深く心にきざまれました。広々と緑豊かな聖園の空気の中、ぴかぴかのマリアホールで司教様、神父様、リーダーの皆々様方にたっぷりお相手して頂き大満足の娘と2人「素敵な一日だったね」と手をつないで帰途に着きました。ありがとうございました。

日曜学校引率リーダー 上原

 今回の一粒会大会には藤沢教会の日曜学校から14名(&リーダー4名)、中高生会から2名が参加しました。子供プログラムには梅村司教様、高野神父様、山田神父様、そして5月に叙階されたばかりの濱田神父様も参加して下さいました。始めに簡単なグループ分けゲームをして、ペトロ・カスイ岐部神父の生涯を題材にした紙芝居を見た後、それにちなんだオリエンテーリングを行いました。各ポイントで、出されたクイズに正解すると神父様お手製のカードを貰えて、次に進んでいくというものでした。昼食は各教会から集まってきた参加者と一緒に頂きました。午後のプログラムでは葉っぱの形の色紙に思い思いの祈りのメッセージを書き、それを(あらかじめ準備されていた)大きな木に張り合わせて、それを大会ミサの中で奉納しました。

 今年はちょうど運動会の時期とも重なって、子供たちがあまり集まらないのではと心配しましたが、予想以上の参加があり、今大会のテーマの通り!?神様からの呼びかけがあったからこそ成功できた大会だったのかなと感じさせられた日でもありました。早くから準備をされてきた担当者のみなさま、ありがとうございました!



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一粒会大会 確かに聖霊は働いておられる
長後 千古

 当日、案内誘導係として藤沢本町駅に立っていると「想定外」の人の多さにびっくり、会場内に入るとその人数はさらに倍!(いや、もっとか・・)。聞くところによると、800人以上の方々が来られたそうです。さて、今大会で最も興味深かったのは、川村信三神父様(イエズス会)が話された、私が好きな「歴史モノ」、ペトロ岐部神父様他187名の殉教者についてのお話でした。と言うわけで、当時のキリスト者の壮絶な生涯をお聞きして、私が感じたことをチョットだけお分かちしたいと思います。

 戦国時代から江戸初期までに日本のキリシタン人口は、ピーク時には50万〜80万人いたとされています。これは当時の日本の人口の2〜5%とされ、現在の1%(プロテスタント含)に比べれば、もの凄い勢いです。しかも弾圧が激しくなるほどその数を増したというのですから、本当に凄いです。これは当時の信者一人一人に確実に聖霊が働いておられ、厳しい状況下でも耐え抜く力が与えられていたのでしょう。いずれにしてもこの数字から、数十万の人達が弾圧を受け、恐らく万を数える人たちが信仰に殉じたと思われます。川村神父様も「この数以上の殉教者を出した国は、初代教会時代のローマ帝国以外ない」とお話しされていたように、世界的に見ても日本のキリシタン弾圧は、キリスト教会史上の重大な出来事なのだと言えます。

 では現在の日本のキリスト者はどうでしょうか。神父様は「この中で信仰に殉じることができる人はいますか?」と質問されました。平和な時代を長く生きた今の日本人信者で信仰に殉じる人など・・・私自身、全くあり得ない話だ・・・しかし神父様は「当時の人々だって自分が殉教できる人間だとは思っていなかった」と言われます。では当時の人々をそこまで変えさせたのは何なのでしょうか?厳しい迫害に耐え切れず死んで逃げようとした?周りが殉教したので自分も殉教した?名を惜しんで命を惜しまなかった?否!これは聖霊の働きとしか考えられません。神の計らいにより一人一人が召し出され、その一人一人が聖霊の導きに忠実に素直に生きた結果なのだと私は思います。そして、これらの殉教者の一人一人の死、そして生き残って隠れキリシタンとなって信仰を守り通した人々の小さな一粒一粒が300年後再びこの国にキリスト教が息を吹き返すための礎になったに違いないのでしょう。

 司祭やシスターになることは、一般の人よりその人生を神に捧げて生きて行くことになります。恐らく聖職者になりたいと早くから思ってなった方は、あまりおられないと思います。しかしその方々一人一人に聖霊が臨まれ、将来無限に実を結ぶ小さな「からし種」の一粒として召し出され、これを受けた方々が素直に応えられているということなのだなぁ〜と、川村神父様の話を聞きながら、勝手に考えておりました。



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合葬の園

広大な「みその」の敷地内の中央近く、藤沢修道院の聖堂にほど近い森の中につくられる「合葬の園」の計画がいよいよ動き始めました。建設予定地の測量と分筆登記も終わり、今月には建物の基本設計も出来る予定です。その後は建設に関わる行政への諸手続をすませ、来年春の着工に向けて進みたいと思います。現在、仮の申込を受け付けておりますが、基本設計と行政との事前協議が終わり次第、説明会や現地見学会、正式の申込の受付開始も予定いたします。藤沢に残された貴重な自然環境と修道院の祈りの雰囲気の中につくられる「合葬の園」のご利用をぜひ検討していただきたいと思います。建設費用は利用される皆さまの利用負担金によってまかなわれますので、ご利用を予定されていらっしゃる方は、ぜひ建設の際にお申込みくださいますようお願いいたします。



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