八 角 形 に ゅ ー す

2009年3月8日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

境界を超えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 司祭 岩間

教会委員会報告

2009年信徒総会

典礼研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤沢3区 小澤

辻堂ブロック新年会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 辻堂1区 相原

日曜学校黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日曜学校5・6年担当リーダー 清水

藤沢教会の信者の皆様・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 李 神父

「合葬の園」について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 辻堂2区 魚津

Help続編・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 国際部 鶴田

四旬節・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 典礼部

まず若い人たちの居場所つくり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20・30歳代担当 千古

がりらや便り

お礼とお知らせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 広報部

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境界を超えて ――「私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」(マタイ20:14 )
司祭 岩間

神の救いの計画の手立てとなるように、イエスの弟子たちは名指しで呼ばれる恵みを受けました。主の近くに置かれるということは確かに大きな恵みです。シナイ契約を結んで、旧約の神の民が荒れ野の旅の途中で誕生しました。しかし、この選びはイスラエルが利益と特権を享受することというよりも、神の普遍的救済意思に仕えるためでした。神の選びと恵みはイスラエルを通して拡大していくはずでした。しかし、旧約の民は恵みを分かつことを忘れて自集団中心主義に陥ってしまいました。弟子とされた4人の漁師たちも、イエスをユダヤの民を救う政治的な王となることを期待していました。熱心に神に仕えていると思っていたサウロは、主を迫害していることに気がつきませんでした。神に選ばれた者たちが自分の国家、共同体や民族を救いの中心としていく。そして排他的な集団と化す危険は常にあります。

イエスは救いの実現の場所を社会の中心から門の外、周縁へと移された。旧約の民は異邦人をイスラエルに集め、エルサレム神殿で犠牲を捧げることをもって贖われると信じました。こうして神との交わりが保たれると見なしたのです。神の怒りの鞭から民を救うため、絶えず身代わりのヤギが罪と悪の場とされた荒れ野へ放たれた。つまり、救いは聖なる町の壁の内側、エルサレム神殿に限られていました。イエスの到来によって、救いの実現の場は逆転しました。彼は荒れ野の中で死んだのです。狭いグループ連帯ではなく、誰も排除しない人類全てとの連帯へと向かいます。見捨てられた者、市民権を剥奪された者との共生はその具体化でした。ヘブライ書13:12は「罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられます。しかし、その体は宿営の外で焼かれます。それでイエスもまた、御自分の血で民を神のものとするために、門の外で苦難にあわれたのです。だから私たちはイエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出てそのみもとに行こうではありませんか」と促します。不浄で穢れた場が聖なる場となったのです。キリスト者が向かうべき中心は、今や堅固な都から「闇と死が支配している」場へと大きく変化しました。「あなた方が、この山でもエルサレムでもない所で父を礼拝する時が来る」(ヨハネ4:21)と述べて、イエスは霊と真理による新しい礼拝の到来を宣言します。

イエスは全ての人を救う手立てとするために弟子たちを選び、そばに置かれます。マルコ福音書は「全世界にいって、全ての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:14)というイエスの宣教命令で結んでいます。天を仰いでいた弟子たちは「あの方はあなた方より先にガリラヤ(「周縁」という意味)へ行かれる。かねて言われた通りそこでお目にかかれる」と告げられます。異邦人宣教に呼ばれたパウロの祭司職は福音宣教でした。パウロは世界というスケールの大きな祭壇で、至る所で異邦人を神のものとして捧げていくという祭司職を果たしていきます。「私はギリシャ人にも、未開の人や知恵のある人にもない人にも果たすべき責任があります」(ローマ1:14)。

イエスによる選びは恵みであると同時に、使命と責任を伴っています。教会は聖なる安全な場というより、故郷を離れ旅する寄留の共同体です。アブラハムは約束の地を目指して天幕生活をしています。教会は隔離された城や砦ではなく、「パロキア」(小教区)つまり一時的な住まい、皆を歓待する荒れ野におけるテントなのです。ヘブライ書13章は神が喜ばれる奉仕ディアコニアを語ります。それは各自が持てるものを分かち、正しい生活を送ることを意味します。「兄弟としていつも愛し合いなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。…自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。…金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。…御名を讃える賛美の実、良い行いと分かち合いを忘れないように。このような犠牲こそ神は喜ばれるのです」(ヘブライ13:1-16)。このように旅する教会の姿を描きます。イエスは見捨てられた者への献身と連帯の内に歩まれ、門の外で十字架につけられました。この道に従う時、私たちの礼拝、福音宣教と奉仕は、一層イエスの神の国の宣教に参与する実り多いものとなります。「私について来たい者は十字架を担ってついて来なさい」とはこのような文脈で語られています。私たちは不正と圧迫、裂かれた世という荒れ野を通ります。世を義と自由、幸いの園に変容していく神の再創造の生みの苦しみに与るよう呼ばれたのです。



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教会委員会報告(2009年2月21日)

<報告>

1.信徒総会

2月8日信徒総会が230名以上の参加を得て開かれ、2008年度の教会の動き、合葬の園についての報告がなされた(別項参照)

2.いのちを守るための緊急アピール

日本カトリック司教協議会社会司教委員会より現在の急激な不況下で、「いのちの危機(路上死、自死)」に直面している人々に対して我々は何ができるか、を考え行動することへのアピールが出された。藤沢教会としては、八角形にゅーす2月号「HELP!」の記事でのお願い、3月1日クッキーとお茶の販売、4月26日9時半ミサ後「福祉HELPバザー」開催などをおこなって対応していく。国際部、福祉部が中心となるが、金銭的援助だけでなく、教会としての仕事紹介(求人と求職情報のマッチング)や皆で周囲の困っている人々を心にとめ、声かけなどしていくことをすすめていく

3.教会への寄付について

教区経済問題評議会より、私たちの教会を私たちで支えるため従来の月定献金、ミサ献金のほか財産の寄付(遺贈)という方法も考慮してほしいと通知があった

4.死刑判決に減刑を求める署名協力のお願い

高裁で死刑判決を言い渡された河淵匡由さんはキリスト教と出合い洗礼を受けた。「河淵匡由さんを支える会」は最高裁判所に「生きて罪を償う道を歩み続けられる」よう減刑を求め、署名活動を続けている。署名送付先は聖ペトロ・パウロ労働宣教会
5.第5地区短期キリスト教セミナー
2月8日中和田教会で打ち合わせで、今年度は11月6日、山谷で活動しておられる中谷神父を講師にお招きしてミニセミナーを中和田教会で開催することになったと、新委員牧野氏より報告があった。本格的なセミナーは来年5月戸塚教会にて開催。年2回を予定している

 

<議題>

1.宮内神学生叙階準備委員会の立ち上げ

5月17日の第5地区宣教司牧委員会にて各教会から1名の委員からなる宮内神学生叙階準備会を立ち上げることになった。叙階式は来年5月の予定

2.教会建物修繕計画

今後10年間で約7,600万円かかる見通し。主なものは、聖堂関連5,200万円(うちアスベスト除去1,800万円)、定常的一般修理1,800万円

3.湘南台センター存続

八角形にゅーす2月号にこの1年の活動報告を掲載したが、利用・運営状況は良好で、費用収支も大きく改善し黒字化している。今後の活動予定の都合もあるので、早めに契約延長問題に結論を出したい。皆様のご意見をもっと聞かせてほしい

4.合葬の園

合葬の園は、付帯設備となる聖心の布教姉妹会の修道院聖堂の設計変更のためスケジュールが遅れているが、3月末までに事前審査書類を提出し、6月頃には建築確認申請を行う予定

 

<その他>

(教育)2月14・15日、日曜学校黙想会。小学生8人、中学生4人、リーダー達5人に宮内神学生も加わり、濱田神父指導のもと「弟子」をテーマに、イエズス孝女会葉山修道院にて行われた

(国際)ベトナムコミュニティの世話役がグエン・バン氏に交代。外国人も地区活動に参加していけるように工夫をそれぞれしていただきたい

(典礼)3月1日合同入信志願式。9時半のミサ中志願者を派遣する式を行う。

(宣教)1月24日湘南台センター開所1周年記念ミサとパーティ。1月31日下窄神父講演会。4月12日復活祭9時半ミサ後のパーティのあと、別途受洗者のお祝い会を予定。堅信準備講座を5月に4回の予定で開催。また親を対象に分かち合いを呼びかける。6月14日の堅信式のあと司教さまと若い人との懇親会を予定

(福祉)4月26日(日)9時半ミサ後、福祉HELPバザーを開催。新品の品物の寄付をお願いしたい

(北1)4月25日聖心布教姉妹会にて英神父の指導で黙想会を予定。北1ブロック以外の方々へも参加を呼びかけていく。5月末か6月初旬、高木氏の案内で殉教者のあとをたどり横浜散策予定。これもみなさまに参加をよびかけていく

(鵠沼)2月22日ブロック集会。バザーについて話し合う



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2009年信徒総会

2月8日(日)11時より、200人を越える出席のもと、藤沢教会2009年度信徒総会が開催された。最初に鈴木主任司祭がご挨拶で、共同体の一致のための日頃の教会委員会の活動に感謝を述べられた。次に昨年及び以前に帰天された方々へ感謝の黙祷が捧げられ、その後荒井副委員長の進行で議事が進められた。
先ず浮田委員長から、次のように2008年度の振り返りがあった。(詳細は2009年信徒総会資料[以下総会資料]参照)「旅する教会」の言葉通り、08年には山田、渡邊両神父の転出、岩間神父新任という変化があったこと、続いて

などの説明があり、最後に2010年の宮内神学生の叙階式の準備を09年に喜びを持って行いたい」と結ばれた。

続いて財務報告については篠澤財務部長から次のように説明があった(詳細は総会資料参照)。2008年の総合収支は大きな修繕費(770万円)の発生があったが、41万円の黒字であった。収入の減少要因としては祭儀献金の減が大きいが、一方でがりらや売店の黒字が貢献している。次に川辺事務局長から教会教勢報告があり(データは総会資料参照)、全体の平均年齢が着実に1歳近く増え、若年層の構成が減っている(0〜19歳、10%、20〜39歳7%)。幼児洗礼を受ける半数近くは外国人であるなどの傾向が説明された。

第2部では川辺さんから合葬の園について、これまでの経緯と現状についての説明があり、今年中に建設が見込まれ、近く申し込みを再開する予定とのことであった。また不足資金を教会から貸し付ける案が説明された。

最後に、主な質疑応答は次の通り(名前は質問者、敬称略)。



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典礼研修会に参加して
藤沢3区 小澤

2月11日(水)恒例の横浜教区典礼研修会が当教会で開催されました。寒さにも拘わらず、教区全域から約450名の方々が参加されました。この日のテーマは「典礼とカテケーシス」でした。講師として、カンペンハウド神父、静岡教会の濱田神父、そして山手教会の高野神父にお話し頂きました。「カテケーシス」という言葉は、ラテン語の「カテキゾー」に由来し、「教え導く、育てる」つまりここでは「信仰教育」ということでした。

まず始めはカンペンハウド神父に「カテケーシスは典礼に導き、典礼は信仰を育てる」というタイトルでお話し頂きました。その主な内容です。第2バチカン公会議以後、それ以前の信仰教育が「知識を授けること」が中心だったのに対し、「信仰を育てる」ことへと変わっていきました。つまり、教会共同体の中で生きるための「手ほどき」をしながら、キリストとの出会いによって「回心」するよう導くことです。そこで、このカテケーシスの目標として次の6つを挙げられました。

  (1) 知識の養成(イエス・キリストについて知る)
  (2) 典礼の養成(典礼に親しんで、典礼の参加の仕方を学ぶ
  (3) 日々の生活の養成(生きた信仰の証しとなる生活を送る)
  (4) 祈りの養成(祈りになる信仰)
  (5) 共同体のメンバーとしての養成(共同体の一員として人と共有する信仰)
  (6) 宣教への養成(共同体の使命を共にし伝える信仰)

 

教えの核心は「キリストの過ぎ越しの神秘」、つまりキリストの「死と復活」です。それは復活徹夜祭の典礼の中に明らかに示されており、カテケーシスのモデルにされています。それを次のように説明されました。

  (1) 暗い社会の中にいる私達にとってキリストは光である。私達はキリストの弟子として世の光になる。
  (2) 神のことばは生きている。創造から初代教会に至る救いの歴史を学ぶ。アブラハムの信仰、モーセと真の自由、預言者が与える希望、聖パウロの初代教会の体験、福音書の中のイエス。
  (3) イエスにとらえられる。洗礼によってキリストの死と復活に結ばれて、三位一体のいのちに与る。悪を棄てる意思、信仰の表明、共同体の支えを体験する。また堅信の秘跡について学び、イエスの使命に与るため聖霊の力を願い求める
  (4) 祭壇は典礼の中心となる。キリストと共に自分をささげる。キリストのいのちに与り、またキリストの体(聖体)(神秘体)をつくる。信者はキリストの体(パン)を分かち合うことによって互いに結ばれる。

このように、カテケーシスにおいて典礼は欠くことの出来ない第一の泉であり、頂点であります。典礼に与ることによって、信者は色々な力を頂くことが出来るのです。また、求道者を養成するために必要な共同体の役割りについて、典礼の時だけの共同体でなく、受け入れる共同体、礼拝する共同体、活動する共同体として、信者が求道者を支え導いていく必要があるのです。そして、この成人のカテケーシスがベースとなり、子どものカテケーシスも行なわれなければならない、とのお話しでした。

次に、「子どものカテケーシスにおける典礼の役割り」というタイトルで濱田神父と高野神父のお話しがありました。濱田神父のお話し・・・子どものカテケーシスの目的は単にイエス・キリストを紹介するだけでなく、イエスとの人格的出会いまで導くことです。そのためにはイエスが弟子達に示された模範が大切です。子どもたちがイエス・キリストとの出会いを深めていくためには、「信仰の遺産」である聖書に出来るだけ多く触れることです。典礼の中で述べられる神のみ言葉を聞き、生活の中でそれを生かすように目指すことが大切です。典礼暦の一年を周期として、福音の朗読を通してキリストの神秘を知ることができます。家庭においても、両親と子どもが主日の福音朗読を読み、祈りを深めることができるとよいでしょう。

最後に高野神父のお話から・・・カテケーシスの目的はイエスがこの世にもたらした福音(良い知らせ)を響かせること。そして、それをなさるのは神ご自身で、私達の役割りは相手を神との出会いに導くことです。子どものいのちの成長を育むもの、それはミサ、つまりキリストの食卓です。ミサはキリストに出会う場であると同時に、キリストそのものと言えるかもしれません。ミサの中で子どもたちが体験する1つ1つの「しるし」に意味をもたせること、救いのみわざに繋げることが大切です。また、神父様はこのようにもおっしゃいました。子どもたちに望むこと、それは死を過ぎ越して復活されたキリストの「いのち」「光」によって、力強く光り輝くことです。

研修の最後は参加された神父様方の合同司式でミサが行なわれました。参加された沢山の方々と共にキリストの命に与り、その恵を分かち合えることを感謝致しました。今回始めて典礼研修会に参加して、私達信者一人一人の使命の大きさを改めて感じました。はたしてどれだけ「世の光」となっているでしょうか?どれだけ子どもたちに「み言葉」を伝えることが出来たでしょうか?共同体の一員としてのこれからの生き方を考えるとてもよい機会となりました。



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辻堂ブロック新年会
辻堂1区 相原

辻堂ブロックの新年会は、1月25日9時30分のミサ後に、センターホールで行われました。司会を伴さんにお願いして前半は教会委員長の浮田さんと、辻堂ブロック委員の宮崎さんの1年間の報告と、今年度の予定などの説明がありました。その後途中から鈴木神父様が参加され、絵画の制作活動との出会いのお話を、皆、興味深く伺いました。昼食は、前日から魚津さんと福山さんが準備してくださったちゃんこ鍋を、おいしく頂きました。ちゃんこの言葉の意味と鍋を皆で囲む意味を教えていただき、全員で納得し、ますます暖かいお腹になりました。

昼食後は新旧の連絡員の紹介があり、中国から来日している、3人の若者の(辻堂新町在住)の紹介が場を盛り上げました。前から教会に興味を持っていたのに今までそのチャンスがなかったとのこと、この出会いを大切にしたいと思いました。その後このうちの一人の青年は教会の日本語教室に来ているそうです。それから、お楽しみの時間が始まりました。久保さんのピアノ伴奏で、生田さんのバイオリン演奏は、春が待ちどおしい日にふさわしい「早春譜」でした。また、久慈さんが祈りの歌を披露してくださり、身も心もいっぱいになったところで、ゲームを兼ねたプレゼント交換。手にしたお土産を持って浜辺の歌と早春譜を大合唱し、盛り沢山の新年会は、今日の感謝と、来年もまた元気で集えることを願って海老原さんのお祈りで幕を閉じました。



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日曜学校黙想会
日曜学校5・6年担当リーダー 清水

日曜学校5・6年と中学1年生、12名で葉山のイエズス孝女会をお借りして今回で3回目になる黙想会を1泊2日で行いました。土曜日の午後から濱田神父の指導で、ルカの福音書を読みながら今年の黙想テーマ「弟子」についてお話を伺いました。途中、聖歌やゲームのような2人での分かち合いをしながら、濱田神父のテンポある、そして人を引き付けるお話でみんなが楽しんで学ぶことができました。夕食後ゆるしの秘跡、そして心静かにベネディクションに臨み聖体賛美をして1日目は終えました。2日目は逗子教会のごミサに参加し、藤沢へと帰ってまいりました。他の教会のごミサに教会学校として参加する機会が今まではなかったので、よい機会になったと思います。お忙しい中を黙想指導してくださった濱田師、そしていつもお手伝いくださる宮内神学生に感謝いたします。

6年 治洪

黙想会に来たのはこれで2回目です。今年の神父様は日本で4番目に若い濱田神父様でした。去年は山田神父様から「秘跡」について教えてもらいましたが、今年は「弟子」というテーマでした。ゲームで楽しみながら教えてもらったり、聖書で教えてもらったりしました。講話が終わったら「ゆるしの秘跡」をして罪をゆるしてもらいました。他にも自由時間にサッカーをしたりギターをひいたりしました。楽しかったです。来年は中高生会で来たいです。

6年 虹恵

私は今年、2回目の黙想会に参加しました。去年のお題は「秘跡」でしたが、今年は「弟子」でした。濱田神父様から「弟子」についてお話を聞いたり、相談したりしました。目の前にある幼稚園の庭で、おもいっきり遊んだりしました。夕飯は前回と同じハヤシライス(私がカレーがきらいなので)でした。いっしょに料理したり、楽しかったです。

6年 あゆみ

私は、黙想会に参加するのは今回で2回目です。泊まった所は、お城みたいにとてもきれいでステキでした。ご飯はみんなで協力して作りました。とてもおいしかったです。みんなで作ったからよけいにおいしかったんだと思います。濱田神父様と聖書を引いて勉強して、前よりも聖書が好きになりました。とても分かりやすく教えていただいて、よく分かりました。(濱田神父様はとても面白い方でした!)また来年も来たいです。

中学1年 馬嶋

1日目、まず夕食のしたくをしてから神父様のお話を聞きました。イエス様が私達に教えて下さったことをみんなで聖書を見ながらわかちあいました。そして、いよいよ夕食です。みんなでつくった食事は、とてもおいしかったです。夕食を食べ終わってからゆるしの秘跡をしていただきました。今日の神父様のお話のとおり、私が今までしてしまった罪をゆるしていただけたような気がしました。この黙想会では、神様のことをより多く知ることができたと思います。色々準備をして下さったリーダー、シスター、神父様、宮内神学生、ありがとうございました。

中学1年 小比賀

今年も黙想会に参加しました。今年は濱田神父様から「弟子」についてお話してもらいました。濱田神父様のお話を聞いたあとゆるしの秘跡をおこないました。私はゆるしの秘跡で悪い事をゆるしてもらえてよかったです。今回の黙想会でイエス様のこと、弟子のことをいろいろ知ることができました。イエス様の優しさをあらためて感じました。来年も参加したいです。



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藤沢教会の信者の皆様
李 神父

私にとって素晴らしく楽しい再会でした。特に新年会のごミサを一緒に立てることができて涙が出るほど嬉しく思いました。ごミサ後、食事も一緒に頂きましてありがとうございました。新年会はさすが藤沢教会ねと言うほど素晴らしいものでした。踊りや歌や演奏など心に響きました。私も名司会者の八木様に誘われて一緒にいたうちのスタッフと歌うことができ、皆様ともっと身近くなったと感じました。

韓国のお正月を利用して私が働いているミッションセンターのスタッフと一緒に日本に行きました。3人とも日本は初めてでしたので日本のいろんなことを見て感動を受けたようです。コロンバン会のミッションセンターの館長として働いて2年目になります。
主な仕事は海外に宣教師として派遣されるシスター、信者,司祭のための講座をやっています。4週間コースで宣教の精神などについて教育をしています。今のところは年2回やっています。今年の参加者は2回合わせて53名でした。その他は一般信者や地域の住民のためにいろんな講座をやっています。それから私はカウンセリングセンターを運営しながら勉強にも励んでいます。

今回はミッションセンターのスタッフと一緒でしたので、東京の神学校や小教区も訪ねました。勿論、富士山も見ましたし、箱根の温泉にも行けました。5泊6日の短い旅でしたけれども、藤沢教会の素晴らしさや美しさにも触れて良かったと思います。特に一緒にいたスタッフは私のために平野様が植えてくださった「むくげ」を見て感動を受けたそうです。

9年ぶりに藤沢の方々に会えることができて本当に嬉しかったです。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。



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「合葬の園」について
辻堂2区 魚津

"皆さん"の声の危うさ
(信徒総会に出席してみて)「合葬の園」も二転三転しているうちに、いつの間にか引き返すことのできないところまで作業が進んでいるのには驚いてしまった。「合葬の園」に関する計画の提案というよりむしろ発表に近い形だったからである。総会では建設費用の不足分について、"皆さんの"声もあるので、教会の預貯金から約4〜5000万円を一時拠出し立て替えるとの説明があった。"皆さん"の声、この"皆さん"とは一体何を指して皆さんと言っているのだろうか? 湘南台センターの閉鎖〜移転の時も思ったのだが、"皆さん"の定義があいまいで、いまだによくわからない。聖堂の献堂後、30年余に亘る先人達の献金を含め積み立ててきた教会の資産を、いとも簡単に"皆さん"の声ということで安易に拠出していいものだろうか、と疑問に感じたのは私一人ではないようだ。納骨堂のような施設は本来、利用者(受益者)が負担するのが原則であろう。ましてや、これからアスベスト対策や聖堂庇防水工事などその他大きな工事が見込まれその総額も不確定(信徒総会資料)といわれる中で、教会委員会はあまりにも気前が良すぎませんか。実は、私も2年前に家族3人で仮申し込みをした一人だ。しかしこのままのペースで4〜5千万円もの多額の浄財を一時的にせよ拠出してもらうのでは、畏れ多く、ぬくぬくお世話になるのでは気がとがめてしまう。

ちょっと待って、もっと工夫を
問題点はいろいろあるが、先ず建設費用と負担について考えてみたい。2年前に仮申し込みを募った際、約150名の申し込みがあったようだ。1口10万円であったから1500万円、計画が具体化してきたので仮に200名の申し込みが期待できるとして計算すれば2000万円。例えば、これを1口15万円で募集すると3000万円、20万円にすれば4000万円、このように発想していくのが本来の考え方だと思うのだが・・・。(経済的弱者の救済は別に考えるとする)一方、建設費用を抑えることはできないのだろうか。信徒総会資料の「合葬の園」完成予想図で見ると、先ず目に付いたのが納骨堂の予定地は斜面になっていたことだ。このような傾斜地では平坦地に比べ基礎工事など付帯する工事費用はかさむのは目に見えている。資料に示された納骨堂のデザインも、もう少しシンプルにすれば費用を抑えることはできると思うのだが。端的に言うと、平坦地に単純な四角、長方形の建築物の方が費用は少なくてすむと言われている。また、建築プランの一つとして、第1期工事で300基規模の納骨堂を建て、その後の推移により増設を図るという考え方もある。多少割高になると思うが初期の立替費用は抑えることができる。ご好意で提供していただく敷地ゆえ難しいことは承知だが、立地条件、建築プランの再検討が必要だ。今の聖堂やセンターホールを建設してから、これほどの大事業、先の教区センター化問題のように広く情報を開示する必要もあろう。教会委員会と「合葬の園」建設委員会の英知と勇気で、それこそより多くの"皆さん"の理解を得られるような事業計画の提案を期待している。



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続編
国際部 鶴田

2月の「八角形ニュース」でお願いしましたように、昨年来の未曾有の金融危機は日本人だけでなく、外国人の生活をも直撃しています。いえ、むしろ外国人こそ、真っ先にこの危機の犠牲になりやすい状況にあるといってよいでしょう。教会で私の聞いた範囲でも、まず殆どの外国人が出勤の日数が減っています。かなり日本語が上手で、日本の社会に適応していると思われる若い人たちでもそうです。勿論解雇された人もいます。当然収入は大幅に減る、または無くなってしまいます。保険料等を今まで会社と折半していたものが、すべて自分で支払わなければならない人もおり、倍の負担となります。やがて保険料が払えなければ、保険の加入資格も失い、病気になっても病院にかかることも出来なくなる心配もあります。出産の予定のある人もいます。無事赤ちゃんが産めるでしょうか・・。さらに深刻なのは家賃です。かれらの多くは賃貸住宅に住んでいますが、収入が減るまたは無くなるとすぐ家賃の支払いが難しくなります。かといって転居するにはもともと外国人が家を借りるのが難しい状態で、家族で住めるようなアパートやマンションを、彼らの払える金額で借りることは非常に難しいことです。引っ越しの費用もばかになりません。「母国に帰る」道を選ぶ人もいますが、その費用も問題ですしまた多くの人はすでに日本に生活の基盤が出来ていて、母国で生活していくことは困難です(殊にこども達)。また母国の政治、経済の状況の問題で帰れないこともあります。

そこで皆様にお願いです。どうぞ力を貸して下さい。
お金やものは緊急時にはとても役に立たちますが、やはり生活をささえるためには「仕事」と「住まい」です。求人に関する情報があれば事務所までお知らせ下さい。それもなるべく具体的に(募集の乗っているチラシをお持ち下さるか、せめて連絡先を)ある方はバスの中で清掃の求人募集のチラシをめざとく見つけて持ち帰って下さいました。このような動きはありがたいですね。住まいについても同じです。また求人があっても、かれらはそのお知らせを読むことが出来ず、またハローワークにいっても、言葉の問題のため充分な情報を得られません。私の友人の通訳の話では通訳を希望する人が1日何十人も来て、とても対応出来ないそうです。(そこで教会ではかれらの求職活動にもう少しきめ細かなお手伝いしなければならいかと思っています。その節には。ご協力をお願いするかと思います。よろしくお願いいたします。)いうまでもなくこれは「日本人はどうでもよい」というのではありません。国籍、人種関係なく危機にある方にはお手伝いしなければなりませんし、この状況を「自己責任」と思う人はもはやいないでしょうし、「明日は我が身」かもしれません。「助ける」というのではなく一緒にこの日本の危機に立ち向かっていきたいと思います。殊に、時に命の危険にさらされながら来日し、ことばや文化の違いの中で、苦労して真面目に働き、日本の社会、教会に貢献してくださった多くの外国人の方達をこのような目にあわせることは、日本の恥だと思います。

最後に、ある外国人の方のことばです。「藤沢教会のように外国人によくしてくださる教会は他にない。とても感謝している、私達も外国人だけで固まらず、もっと日本人信徒にとけこんでいきたい。この危機にあって私達が一番ほしいもの、それはモノやお金でなく気にかけてくださること。そしてそれを示してくださること。『どう?元気?大丈夫?』のひとことが何よりも支えになるのです」

どうぞみなさまよろしくお願いいたします。


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四旬節
典礼部

復活祭の準備期間としての四旬節は灰の水曜日(今年は2月25日)から始まり、主の晩さんの夕べのミサ(聖木曜日)の前まで続きます。「四旬節」の概念は4世紀に形成されたようで、聖書における「40日」の象徴的な意味(創世記7:4、出エジプト記24:18など)、とりわけイエスの荒れ野での40日の断食と試みの出来事に基づいています。ただ、「40日」の意味を持つこの季節をいつからいつまでにするかという点ではいろいろの設定がされたようですが、四旬節第1主日前の水曜日(灰の水曜日)が四旬節の開始日となったのは、断食すべきでない主日を除く40日間を正確に算入(この場合聖土曜日まで)したためと考えられています。 そして第2ヴァチカン公会議後の典礼改定(「典礼暦年に関する一般原則」)によって、四旬節の終わりを救いの歴史の頂点である過越の神秘の3日間と区別するために聖木曜日のミサ前までとされました。

第2ヴァチカン公会議の「典礼憲章」によって四旬節の眼目が洗礼の記念および準備、そして回心にあることが再確認されました。これによって主日典礼の充実、入信の秘跡、回心の秘跡の刷新と結びつきながら、キリストの受難と復活の秘儀に迫っていく四旬節主日のミサは、第1主日=誘惑、第2主日=主の変容、第3〜5主日=洗礼準備と回心、第6主日=受難をテーマとされ、とりわけ、朗読配分の3周期のうち、A年は洗礼準備のために編成されています。

四旬節は復活徹夜祭に入信の秘跡を受ける志願者にとっては最後の準備期間で、この期間に入信志願式を行って求道期から入信志願期に入ったことをはっきりさせます。そして教会は志願者を回心に導くため、「清めと照らし」と呼ばれる儀式を上記のテーマに沿って第3〜5主日の3回にわたって行います。この中で司祭は「解放を求める祈り」を唱えます。これは洗礼志願者がキリストの力によって強められ、悪に打ち勝つことを願い、神に選ばれた志願者が弱さと傷から癒されて罪と悪の力から解放されるよう求めるものです。復活徹夜祭に洗礼の約束の更新を行う私たちも、志願者とともに歩むことが望まれます。

教会は四旬節中の灰の水曜日と聖金曜日(主の受難)を大斎・小斎を守る日と定めて節制を勧めています。これは荒れ野でのキリストの40日間の断食の記念とキリストの十字架にあずかるためです。キリストは断食によって十字架による償いの業と過越しの秘儀に備え、こうして悪魔の誘惑を退けることによって死と十字架へと導いた父のみ旨という食物しかとらない、という意志を示しています。教会の伝統の中で断食は福音への回心のしるしであり、祈り、愛徳の実践と組み合わされて大切にされてきました。私たちにおいても断食は神のみ旨を行い生きるために、離れねばならないこと、あるいは放棄すべきこと全てを意味します。四旬節中に何を断食して生きるか考えながら生きることが大切でしょう。



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まず若い人たちの居場所つくり
20・30歳代担当 千古

去年の12月から今年1月にかけて、プロジェクト(20後半〜30歳代)では、主に教会から離れている同世代の方々に対し、アンケート調査を行いました。目的としては、現在教会から遠ざかっている人々が、教会に対しどのような思いを持っているのか、また教会に対し何か期待を持っているのかを知ることと、プロジェクトとしてこれからの方向性をもっていく上での大事な手掛かりを得るためでした。現在、藤沢教会に登録されている20〜30歳代独身者は250名以上おられます(ただし結婚・移転を教会に報告していない方が多く含まれます)。その全員にアンケートをお送りし、その1/10にあたる22通と数は少ないですが、貴重な意見を得ることができました。

そこで今回判ったことは、少なくない若い世代の人たちが、教会に一定の希望と期待を持っていながら、「知り合いがいない」「同世代の信者がいない」などの理由で、教会内での「自分の居場所」を見出せなくなり、一人また一人と教会から足が遠のいている実態が明らかになりました。また、3000人以上(内青年250人以上)の大教会でいながら、青年会すらなかった事や、来るもの拒まず出る人「追わず」の教会全体の姿勢などが今日の教会の若い世代減少に至ったのではないでしょうか。

これらの事を踏まえて、プロジェクトでは、まず「若い世代の居場所」つくりを去年から少しずつ進めています。高卒以上の学生及び20代前半の社会人からなる「青年会」が去年秋から20代後半〜30代社会人のための「ユースの会」が去年春からスタートし、試行錯誤しながら現在「居場所」つくりを進めています。またその上で、共同体全体の現状認識と協力は不可欠です。離れてしまった若者に対し、「去る者は追わず」「いずれ戻って来る」などの消極的姿勢ではなく、少しは「追って」みる事です。確かにストーカーの様にしつこく「追う」のは逆効果ですが、復活祭やクリスマスなど招きやすい教会行事の時に、案内を送ってみたり軽く声を掛けてるだけでもいいのです。「教会は(神様は)あなたの事をいつも忘れていないよ」というメッセージを送り続ける事が重要なのです。離れて行った人たちがいつでも気楽に帰って来れる環境を整えることです。とにかく現在離れてしまった若者250人の中には、環境さえ整えば、教会に足を向ける人たちがかなりいるのです。「一度離れた信者を呼び戻すのは、新たな信者を増やすよりも難しい」と言われますが、共同体全体の協力と、何より一致した祈りによって、不可能を可能にしてくださる聖霊の働きにより、より活気ある教会(共同体)をつくっていこうではありませんか。

(追記)中高生会リーダーのサポーターとして、中高生の保護者にも協力願うための集まりを、3月15日(日)9時半ミサ後、聖堂側室で行いますので、よろしくご参集下さい。
(これはユースからの寄稿欄で、今後継続的に掲載する予定です。−編集部)



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がりらや便り

今年もイースターカード、イースターエッグのチョコレートなど復活祭に向けての品々が入荷いたしました。お早めにお寄りください。新着本もございます。

「みことばを祈る」―聖なる読書の手引き―
エンゾ・ビアンキ著  
オリエンス宗教研究所 1,260円
長いこと品切れでしたが、今回重版されました。ボーゼ共同体創立者による神の言葉の受け取り方、聖なる読書力養成の手引きです。付録として観想生活についての手紙付

「松井 直のすすめる50の絵本」 
―大人のための絵本入門―
松井 直著    教文社 1,365円
「ぐりとぐら」や「うさこちゃん」を世に送り出した松井 直が、子供たちに絵本を読み語った自分の経験をふまえて贈るお父さん、お母さんへのメッセージ



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お礼とお知らせ
広報部

200号発刊に当たってはアンケートを通して、皆さまから多くの貴重なご意見、ご提案を頂き誠に有難うございました。その後、座談会や他教会へのアンケートも行い、八角形にゅーすをより充実するための検討を行ってきました。そこで広報部として次の企画を立案し、可能な範囲で実施することにいたしましたので、引き続き皆さまのご協力をお願いいたします。



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