八 角 形 に ゅ ー す

2009年5月13日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

感じとる力が落ちていないか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

教会委員会報告(4月18日)

はじめまして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 和野

受洗おめでとうございます

御聖体の味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 和泉

洗礼を受けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 阿部

洗礼の恵みを受けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 萩原

受洗の喜び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 稲田

辻堂ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 澤田

要介護家族問題の公的相談窓口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部

現地報告会

聖体奉仕者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

(Area Y) 青年会の紹介

小グループ活動紹介 「エルダーズの会」 

Q & A 巡礼ってなに?

Help第4報・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部

がりらや便り

鈴木神父の川柳(続1)

川柳投句の募集

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感じとる力が落ちていないか? 
司祭 鈴木

「聖書を読む会」を続けていて気づくことがいくつかある。多くの人に共通するのだが、読みながら聴きながら「すぐ考えてしまう」。ボンヤリと聴くことがなかなかできないのである。読む前に心を落ちつけるために少し体を動かしたり、姿勢を良くしたり、身体の力を抜いたりして、息を深く吐けるように準備の時間をとるのだが、読み始めるとすぐ考えてしまうのは悪いクセなのではないだろうか。しかも、読んで黙想して感想をきくと、「考えたこと」と「感じたこと」の区別ができていないことが多い。「…と考えました」というのが正確ではないかと思われるところを「…と感じました」と言う人がかなりいらっしゃる。上手な人は「…と思いました」と結ぶことがあるが、それも考えたことなのか感じたことなのか、あいまいにしていなければ良いのだが…。

こんなことにこだわるのは「感じること」を手掛かりに自分の素直な受け止め方を無視していると、信仰を力づくで生きるようになる危険を感じるからである。絵でも頭で描いている絵は図式的でおもしろくない。空は「空色」、雪は「白色」に塗る類である。空だって雪だって青味を感じたり、緑色っぽかったり、紫色がかっていたりするのを感じとって描くとイキイキしてくる。スポーツでも身体のスムーズな反応を無視すると無理に力で補おうとすることになりやすい。自分のフォームの歪みに気づかない。しかし身体の動きを感じとれるように力を抜いて動かしてみると歪みに気づく。

人生も自分のことで忙しいときはまさに「心が亡ぼされている」時で、自分や他人の本当の思いを感じとれないときである。聖書の分かち合いも、「感じる力」を鍛える一つのおもしろい訓練だと思うがいかが?



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教会委員会報告(2009年4月18日)

このたび新しく藤沢教会に着任された和野神父のご挨拶があった。

<報告>

1.復活祭関連

聖なる3日間の典礼への協力に対して典礼部よりお礼

2.緊急支援および物資について

静岡県西部の浜松・磐田・掛川教会からの緊急支援の依頼に対して、4月12日までに段ボール20箱の支援物資が集った。浮田委員長と福祉部の飯田氏が山手教会まで運び、浜松教会の山野内主任司祭に直接お渡しした。集った支援金約35万円のうち25万円を寄付した。残り10万円は、Help!活動の4回にわたるティーサービスで得た10万円弱と合わせて、藤沢教会関連の外国人困窮者のために使われる

3.宮内神学生叙階準備委員会(仮称)

1,000人以上の参加者があると見込まれるので、現在のところ式場は藤沢教会ではなく聖園女子学園を想定している。逗子教会、菊名教会から資料を取り寄せ参考にしていく。準備委員会は5月17日第5地区宣教司牧委員会の後正式に発足する

4.イースター福祉バザー

Help!活動の一環として、4月26日(日)9時半ミサ後に開催。他教会にチラシを配布。26団体が参加し、国際部もフィリピン、ベトナム、ラティノスの各外国コミュニティがお国自慢の料理で参加

5.堅信式

宣教、教育部で準備中。4月16日に対象者600人に案内状を出した。6月14日の堅信式は司教公式訪問なので、式後の全体のお祝い会のあとセンターホールにて司教を囲んでの若い人との交流会を予定している。対象は中高生と手伝いの高校生、大学生。また受堅者の保護者対象の懇談会も別個に計画中

<討議事項>

1.AED設置

レンタル(30万円の簡易型。レンタル料金は月5,000円程度。メンテナンスあり。5年契約)または飲料自動販売機設置が条件の無料提供(メンテナンス無し。自販機の電気代一ヶ月約2,000円は要負担だが売り上げの一部還元があるので黒字になる)の2ケースが討議されたが自販機の設置に反対の意見も出されたため、運営委員会で継続検討事項とした

2.緊急支援の今後の取り組み方

福祉部、国際部が外国人移住労働者のために仕事探しを応援。履歴書作成の手伝い、情報集め、先方と連絡をとり外国人雇用の可能性の確認、必要とされる日本語の能力についての確認などを行う。協力ボランティアを募集し、相談していく

3.合葬の園

保健所に事前協議申請書を書類をそろえて持参し相談したところ90%OKとのことだった。指摘された修正をし、早急に提出したい。提出後90日以内に説明会を開く。聖心の布教姉妹会の聖堂の設計変更があり、図面を書き直して建築確認を取り直すのに時間がかかっているが、8月にはおりる見込み。内部の規則を作った上で正式募集を始める。来年の4月頃の完成が見込まれる

<その他>

(宣教)復活徹夜祭で14人が受洗。翌日の歓迎パーティで各ブロック長に紹介

(福祉)5月9日、障害者と共に歩む教区の集い。藤沢から8名参加予定。6月28日、介護フォーラム

(広報)教会案内パンフレット案(カラー版)を作成。彼岸ミサについての記述、藤沢教会地図を付け加えて修正し最終版とする

(教育)4月19日、日曜学校入学式。5月10日、第5地区教会学校新林公園遠足。5月23,24日、学生会箱根にて親睦会

(総務)5,6月に売店横の掲示板修理

(北2)5月9日、新受洗者5人の歓迎会

(辻堂)復活祭ではお菓子を準備したが、反省点などノートに記し来年への参考とした。4月19日の9時半ミサ後典礼勉強会

(北1)4月25日、聖園修道院にて英神父指導による黙想会

(藤沢)5月3日新入者歓迎会。5月下旬鎌倉遠足予定

(鵠沼)バザー準備に入った。10月18日(第3日曜日)開催を第1候補と考えている。(10月の教会委員会は10月24日)



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はじめまして
司祭 和野

 藤沢教会のみなさん、はじめまして。今年の司祭人事異動により、藤沢教会助任司祭として派遣されました、和野信彦と申します。

藤沢教会の前は、長野県の小諸教会に居住し、上田・小諸教会の協力司祭として働かせていただいておりました。協力司祭というのは、実はわたしは横浜教区に所属する者ではなく、仙台教区教区司祭という立場であるからでした。今も変わりないのですが、これからは助任司祭として働かせていただくことになります。

 わたしは仙台市の出身で、1965年生まれの43歳です。幼児洗礼を受け、カトリックの信仰を持つ家庭で育ちました。父はもう亡くなりましたが、とても信仰に厳しい人でした。おかげで反抗期においても「教会ってなんなんだろう」とか「神父って偉いのか?」という逆らい方でしたので、まんまと教会から離れないで成長したように思います。まるで、神様の思うつぼです。そうして、果たして自分に司祭召命があるのか確かめるような気持ちで神学院に入り、とうとう1996年4月29日に司祭に叙階されました。そして、あっという間にもう13年が過ぎてしまいました。  

さてみなさん、この土地のことも藤沢教会のことも一番何も知らないのは、このわたしです。ですので、皆さんとの関わりの中に立つことしかできません。信頼の心をもって、この新参者をどうぞよろしくお願いします。



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受洗おめでとう
復活祭に17名の方が受洗されました。おめでとうございます。
4名の方に喜びの声を寄せていただきました

 

御聖体の味
鵠沼2区 和泉

「ねえ、御聖体って、どんな味がするの?」「味はあんまりしなくて、ウエハースみたいで、口の中で溶けるのよ。」カトリック学校に通っていた私は、小学校2年の時、ミサで信者だけが頂ける不思議なパンに興味をもって、信者の友人を問い詰めた。ミサで司祭によって、高々と掲げられる白い円盤は、遠目にはろう細工のようにも見え、しかも、神であるキリストの体だといい、その上食べちゃうのだ。私が信者になりたい、と思った最初である。

小学校、中学校、高校とキリスト教を学んでゆくうち、私は洗礼を受けたい望みを強く持ち、自分をキリスト教徒と考えるようになっていったけれど、どうしてもその機会に恵まれず、その結果私は2、30年も待つことになってしまった。長い長い間待ち続けた洗礼式、復活徹夜祭の夜。私は、共に受洗する小学生の娘と聖堂の最前列にいた。光の祭儀から始まる美しく長いミサは夢のようだった。久しぶりに歌う栄光の賛歌も、うれしくて、あまりにも高らかに歌ってしまい、周りを驚かせてしまうかしら、と思いつつもどうしても抑えることができなかった。

親子で共にあずかる洗礼式。このために長い時間が必要だったんだろうか。そんな事を、心の中で考えつつ洗礼をさずけて頂いた。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と聖書は語るが、全くそうなのだな、としみじみ実感したのだった。

さて、幼い頃からの疑問であった御聖体の味。鈴木神父さまから御聖体を受け取るとお隣で、テイエン神父さまが、にっこりと微笑まれて言われた。「御血ですよ。」あのパンがミサでキリストの体に変化するのだ、と信じることができたら洗礼を受けてもいいのではないかしら、とおっしゃった恩師のシスター。たとえ、キリスト教が全部まやかしだって僕はいいんだ、信じてる、とおっしゃったアメリカ人の神父様。走馬灯のように思い出がめぐる中、私は御聖体をいただいた。ほんのりとぶどう酒の甘い香りのする、ウエハースのようなかけら。ここまで支えて下さった皆様と、神様に感謝。


洗礼を受けて
藤沢2区 阿部

聖堂内が暗くなり、復活徹夜祭が始まると、次第にいろいろな思いが頭の中を駆け巡った。

「はい、今日は他己紹介を行います」。入門講座の初日、初めて聞いた他己紹介???戸惑いながらも講座は進んで行き、さまざまな気づきと恵み、導きをいただいた。
特にT期での「自分らしく生きる」では、自分が今まで無意識の内に自己中心的になって偽善者のよろいに身を固めて、自分を守っていたことに気づき、たいへんショックでした。U期、V期になると、クラスの仲間が変ってゆく、いや神によって変えられてゆくのを目の当たりにして、イエス様のお導きの偉大さを感じました(自分も変えられていました)。

藤沢に来るようになったきっかけは、十数年前一人暮らしになったころ、腰を痛め、その治療に藤沢の親戚が行っている鍼灸院に通いだしてからだった。ほぼ毎週、仕事の都合がつく限り通い続けた。しかし、治療したところが良くなると別のところが悪くなり、ポンコツな体だなぁと思いながら長年通うこととなった。精神的に疲れてきていた時、親戚の人が紹介してくれたのがキリスト教入門講座だった。

受洗した後、みなさんから祝福されて、本当に嬉しかった。人の愛を素直に受け入れられない自分、何かにつけて斜に構えてしまう自分、・・・こんな自分がキリストと出会い、神の愛を受け、神の子としてキリストに従って生きる。なんとすばらしいことだろう。これからは、共同体の一員として、神のみ旨を見失うことなく歩んでゆきたいと思います。そして、ここまで導いて下さったリーダーに感謝、共に歩んだ仲間に感謝、いろいろと指導して下さった方々に感謝、そして神に感謝いたします。


洗礼の恵みを受けて
藤沢2区 萩原

今年の復活祭で洗礼を受けることができましたことを嬉しく思っています。藤沢教会に初めて足を運んだ時から7年もの時が経っていました。今まで多くの方々に支えられ、励まされてきました。ここまでこられたのも教会の方々一人ひとりのおかげだと感謝しています。講座の担当者の方々は、私たちのためにお祈りし、準備もよくしてくださり、力を尽くしてくださいました。

初めて教会のティールームに顔を出したとき、性別、学歴を超えた心の広い方々と触れ合い、感激したことを昨日のことのように覚えています。それは今までの私の考え方を大きく変えるものでした。その頃はアイルランドの神父様がごミサを捧げていらっしゃいました。今でも、そして今までも神父様たちからたくさんのお恵みをいただき、力をいただいています。私は洗礼を受けずに教会に行っていた期間が長いので、洗礼を受けていない立場から、信徒の方々を見ることができました。その時に感じたのは、一人ひとりが輝きを持っているということでした。具体的に説明するのは難しいのですが、やはりお恵みをいただいているからなのだと思います。私もそのようになりたいと、恥ずかしながら希望しています。皆それぞれ神様との出会い方は違いますが、そのような状況の中で同じ神様を信じていることに不思議さを感じています。神様が私たちを導いてくださったことを深く感じています。

洗礼を受けたばかりで、これからの歩みの中、お世話になることがたくさんあると思います。これから藤沢教会の共同体の一員として、どうぞよろしくお願いいたします。


受洗の喜び
善行 稲田

主のご復活おめでとうございます。この度、神様の愛と皆様の祈りに支えられ、待ち望んでいた洗礼の恵みをいただくことができました。私にとって洗礼とは、真に古い自分がキリストと共に、十字架につけられて亡ぼされ、キリストによって、新しい生命にあずからせていただけたような体験でした。洗礼式の間も、先のことばの典礼の中で聴いたパウロ書簡の一節一節が思い出され、今までどれほど多くの人々が、この洗礼により神様の救いにあずかってきたのだろうと思いをはせながら、私もその救いにあずかる恵みをいただけたことに感無量の気持ちとなりました。生まれてこなければよかったなんて、今まで何度となく思ってしまった私ですが、この世に生まれて本当によかったなあとつくづく思いました。また、もう一度人生やりなおせたらなあと事あるごとに思っていた私ですが、神様から抱きしめられ、これはお前の新しいチャンスだよとやさしくささやかれているように思いました。神様から愛されているという確信に満たされ、大きな喜びと感謝の念が湧き上がり、涙を止めることができませんでした。未熟でつたない私の愛ですが、私の精一杯の愛をもって、神様にお応えしていきたい、そんな気持ちになりました。

洗礼が近づくにつれ心の揺れる私に微笑みかけ、やさしい言葉で励まして下さったティエン神父、快く私の代父を引き受け、洗礼のその時も共にいて下さった丸山さん、キリストに触れる喜びを教えて下さった岡田さんご夫妻、共に歩んだ講座の仲間達、祈りと祝福で私を支え、受け入れてくださった教会共同体の皆様、そして私を愛し、赦し、慈しみ、愛の乏しい私に愛を教えて下さった神様、本当にありがとうございました。皆様からいただいたご親切を決して忘れません。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



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辻堂ブロック集会報告
辻堂3区 澤田

4月19日9:30のごミサの後、典礼の勉強会ということで川辺さんにお話をしていただきました。

典礼とは、祈りの儀式であり、その意味は頭で勉強したり教わったりするのではなく身体に体験していくためのもの、ごミサは「私たちと共にイエス様がいてくださる」という体験をするものということでした。典礼にはひとりひとり役割があります。ごミサのときには、司祭がいて、朗読・侍者・奉納・聖歌隊…そして目に見える役割のない私たち会衆にも「歌う・応唱する・共に祈る」という大切な仕事があります。一番の基本は、「私も共に参加して作っていく」という意識を持つことであり、そうするとミサの内容がわかってきて典礼は豊かなものとなりよりよい体験ができるとのことでした。

こんな大事な基本も知らずに、何も意識せずただ流れに任せていた自分を思い、これからは、新たな気持ちで積極的に御ミサに臨もうと思いました。30名程の参加をいただきましたが、お話のあとさっそくミサ当番のお手伝いを申し出て下さる方がいて感激致しました。最も基本となる大切なことを学ぶことができました。ありがとうございました。



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要介護家族問題の公的相談窓口
福祉部

福祉部では、「愛の証し」の一端として社会問題でもあり、又、信徒の方々にとっても避けることの出来ない「介護問題」をテーマに取り上げ、08年に介護現場に携わっている方々のご協力のもとに2度の「介護フォーラム」を開催しました。

その後、多くの方々より「教会に介護についての相談窓口が欲しい」と言うご要望が寄せられ、今後どのような形でそれを実践していくのか「介護相談システムの設置」が福祉部に与えられた課題で、部内で検討中です。今回はフォーラムを通じて判明している介護、保健、福祉施設などについての藤沢市内所在の「公的相談窓口」を以下に紹介しますのでご参考にしてください。

1) 市役所関係相談窓口(高齢者に関する相談)
 高齢福祉課、在宅福祉サービスセンター、福祉保健総合相談室(すべて市役所内)
2) 地域包括支援センター(介護全般についての相談窓口・・・重要)
 藤沢市内を8地域に分け、各地域に8ヵ所の地域包括支援センターが所在
3) 地区相談窓口(福祉の相談や手続き)
 各地区市民センター、藤沢市に12ヵ所所在
4)在宅介護支援センター
藤沢市に11施設所在

以上4点の詳しい情報は、藤沢市発行の情報誌「高齢者のための安心べんり帳〜健康・長寿をめざして〜」を参照してください。教会事務所福祉部引き出しに一部保管しています。またご希望の方は、市役所、地域包括支援センター、各市民センターにて入手可能です。



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現地報告会
「2007年パプアニューギニアとソロモン諸島を襲ったサイクロンと津波の現地報告会」のお知らせ

早いものでここカトリック藤沢教会で、「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」の旗揚げをしてから16年経ちました。会は小さいですが粘り強く運動を続けております。この間地球環境は決して良くなっておりません。2007年4月ソロモン諸島を襲った地震、津波はギゾ島、チョイソル島、レオナ島で家屋倒壊・流失3,156棟・死者62名を出し、同11月にはパプアニューギニアのオロ州をサイクロンが襲い「森を守る会」と関わってきたウイアク村などが強烈に被災しました。「森を守る会」は3ヶ月後に調査に赴き、昨年(2008年)2回支援調査を行って参りました。この調査の状況を今回ご報告致します。支援のカウンターパートは長年地道な活動を重ねてきたドミニコ会修道院(代表マリー・トーラさん)です。皆様ご参加下さい。

お話しとスライド 清水靖子(メルセス会修道院)
と き 5月31日(日)11:00〜12:45
ところ カトリック藤沢教会センターホール
参加費 500円
主 催 パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会



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聖体奉仕者
典礼部

1994年12月の定例司教総会において、それまで一般的に使われていた「特別聖体奉仕者」という総称が役割の内容に応じた個別の名称に区別されることになり、主日や祭日に集会祭儀を司式する奉仕者を「集会司式者」、ミサや集会の聖体授与と病者の聖体授与の奉仕者を「聖体奉仕者」と呼ぶことに決定されました。

これによって「聖体奉仕者」は@司祭、助祭、祭壇奉仕者が不在の場合、Aまた彼らが他の司牧上の務め、あるいは病気や老齢のために聖体を授けることができない場合、Bそして拝領者が大勢のため、ミサ内外での聖体拝領があまりにも長くかかる場合に、聖体を授与するという奉仕職を行います。

「聖体奉仕者」は、聖体授与の通常の奉仕者である司教、司祭および助祭とは違って臨時の奉仕者であって、先の3つ(のいずれか)に該当してその必要性があると認められる場合にのみ任命され得るものです。横浜教区における臨時の奉仕者である「聖体奉仕者」の任命は、各々の小教区の主任司祭の推薦を受けて教区司教が任命することになっています。当該小教区に限っての奉仕職であり、他の小教区や他の教区において「聖体奉仕者」の務めを果たすことはできません。

私たちは、主の死と復活を記念するために主日に集い、共同体としてミサをささげ、聖体をいただき、派遣されていきます。しかし、私たちの共同体には、病気や高齢などのために教会に来られない兄弟がいます。この方々に聖体を持ってゆくことができるのは司祭、助祭そして任命された聖体奉仕者です。ただし、ミサに来られない方が近親者の場合、その方のために、司教は主任司祭に家族の中の適任者を臨時に聖体奉仕者に任命する許可を与えています。

ところで、洗礼と堅信の秘跡によってキリストの祭司職にあずかっている信徒は、司教・司祭による祝福とは別にいろいろな場合に祝福を与えることができます。聖体奉仕者はミサの中で、また、病床にある方を訪問して司祭の協力者として聖体奉仕をするときに祝福を与えることができます。祝福は、人間ではなく、祝福の源である神ご自身からくるものだからです。祝福に際して心すべきことは、「キリストの祝福がありますように」といった祝福の言葉をはっきり述べることです。

聖体奉仕者は常に「仕える者」として働き、深い崇敬の心をもって聖体を運び、式次第に従って聖体を授けることが求められます。



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(Area Y) 青年会の紹介 

藤沢教会の若い信徒の活動の場の一つとして、20代を中心とした青年会が昨年から活動しています。青年会の前身である学生会では不定期に活動を行っていましたが、青年会では定期的に集会をもち、信仰、自分の将来等について分かちあうことで、教会の一員としての自覚を持つことを目指しています。現在は、毎月第3日曜日の9:30ミサ後に、その日の福音の箇所の分かちあいを軸とした例会をぶどうの木で行っており、4月からはティエン神父様に代わり和野神父様にお越しいただいています。

 青年会では、中高生会、日曜学校といった教育部の各活動との交流も図っており、教育部内の縦のつながりづくりに協力することを目指しています。またより多くの青年と交流する機会を得るため、第5地区の他の小教区の青年との交流会を企画しています。第1回の第5地区青年交流会は、5月23、24日に聖パウロ修道会箱根修行所で行う予定です。

 次回の青年会例会は5月17日に行われます。より多くの青年に参加していただき、個々人が幅広い考えにふれることで、キリストの道をともに歩んでいくことができたら幸いです。どうぞお気軽にご参加下さい。

青年会世話人 岡田


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小グループ活動紹介 「エルダーズの会」

教会の中に、少し年を重ねた人たちの集まりがあってもいい、ということから、何人かで声をかけ合いこの会が生まれました。会の名前はどうしましょうかと悩んでいたところ、「エルダーズの会」(年輩者の会)はどう?とのバーガー神父様の一声で直ちにきまり、今に至って居ります。今年の秋で丸12年になります。

週1回月曜日の10時から12時までセンター204号室に集い、お祈りからはじまって後は、当日集まった方々から出て来た話題で、何となく、或いはどんどん話が広がって行きます。もちろん聴いているだけでもよいのですが、大抵何かしゃべりたくなります。男女を問わず、勿論メンバーも固定しているわけでもなく、年齢も何歳以上とか以下とか制限もなく、いつからでも出入り自由。会費は50円でお菓子を頂きつつ、話し合い分かち合いの後、最後にお祈りをして終わります。(毎回10名から15名位)何といってもエルダーズですから、病気や怪我でお休みの方もありますが、回復されれば又参加されますし、既に天国で先輩として待っていらっしゃる方々も居られます。

大庭のお料理グループの応援で、年4回位のお食事会は、会費200円で楽しい家庭的な昼食を頂きます。(約50名位の参加)この会が始まった頃は、会主催で皆様に呼びかけて、聖堂での音楽会や、その他黙想会・学習会なども行いましたが今は、余り大きな行事よりも無理をせずゆったりと気楽に言いたいことを言えるお仲間としての会を続けています。時節柄、暗い話、重い話題にもぶつかりますし、政治論議も出ますが、意見はそれぞれを尊重して話題に制限はありません。教会のことでわからないことが出てきますと、やはり川辺さんに伺いましょうということになり、川辺さんもご都合のつく限り出席してくださいます。時には皆で思いつき車に分乗してお花見に出掛けたり、エルダーズ主催の巡礼旅行なども、何回か実現しました。これからも、ゆるやかな連帯で、友人として支え合う輪が広がって行くよう願う集いです。どうぞ、どなたでもお気軽にいらしてみてくださいませ。

なお、財政面では少ない会費ですが、金品のご寄付もあり、ミニバザー等の収益もあって何とか黒字でやってきました。

(文責 岡村)


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Q & A

★巡礼ってなに?

☆「カトリック百科事典」によると巡礼とは信心業の一つとして聖なる場所に旅行することとされています。キリストや聖人ゆかりの地に参拝し、祈り、助力を求め、感謝を捧げ贖罪をする行為のことです。

キリストの生涯にゆかりのあるエルサレム、使徒ペトロやパウロをはじめ多くの殉教者の聖遺物を保有しているローマ、使徒ヤコブの聖遺物のあるイベリア半島のサンティアゴ・デ・コンポステラが3大巡礼地といわれます。もともと日常生活を中断し、聖地を訪問するという行為そのものに苦行や贖罪といった宗教的な意味があるとされ、パウロ年(〜2009年6月29日)での特別免償の一つとしてローマ城壁外にある聖パウロ大聖堂に巡礼するキリスト信者は、ゆるしの秘跡で罪が赦されていれば罰に対して全免償の恵みを受けることができます。

日本でもお遍路で馴染みの四国八十八ヵ所巡り、西国三十三ヵ所・坂東三十三ヵ所・秩父三十四ヵ所の観音霊場巡りなどがありますが、こちらは文字通り「巡礼」です。最近は福者に列せられたペトロ岐部と187殉教者の遺跡巡りが盛んでしたが、テーマをもった教会巡りも意味のあることなのでしょう。



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第4報
福祉部

4月26日イースター福祉バザーは、皆様の沢山のお祈りとご協力の中、好天に恵まれ無事終る事が出来ました。心より感謝申し上げます。当日の詳しい報告は、来月号に譲りますが、復活節に相応しい一日でした。神に感謝!

未曾有の不況社会と云われている今、当教会でも弱い立場の人々と"共に"と云う思いを、何とか形にしたいと模索しています。日常化しているホームレスへのラーメン提供、火曜パトロール、野宿生活者へのアメニティーグッズの配布等、草の根的活動がなされています。更に何か出来ないでしょうか?

私たちはこのバザーで人が生きるという事と助け合うことの大切さを学びました。知恵を出し合い、出来る事をさがし、助け合っていく事が出来るはずだと思います。



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がりらや便り

柔らかな緑に包まれ、ご復活のよろこびの中で、今月の新刊をご紹介いたします。


「聖パウロ」
教皇ベネディクト十六世  カトリック中央協議会 630円

「使徒―教会の起源」「教父」に続く一般謁見連続講和集。パウロの生きた時代状況とその生涯とを解説し、その思想を詳細に考察します。宗教改革論争の中心となったテーマである「義認」理解についての解説は、プロテスタント教会との間で得られた合意を背景としつつ、いっそう本質的な理解へと読者を導きます。ペトロ文庫の最新刊です


「ミサを祝う」―最後の晩餐から現在まで
国井 健宏 著  オリエンス宗教研究所  2,310円

あらゆる教会活動の源泉であるミサの歴史と本質を理解し、キリストの神秘をいきいきと祝うための一冊です。第1部は最後の晩餐を起点に初代教会が成長し、感謝の祭儀がいかに形成され、変遷を経て刷新に向かうまでの過程を追い、第2部では現在のミサとその意味を掘り下げます



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鈴木神父の川柳(続1)
編集部編

皆さまから多くのご要望がありましたので、鈴木神父にお願いして、その後詠まれた川柳の掲載を今後不定期に行います。今回はB年(2008-09年)のその1です。

2008年

11/30
もったいない神さま来たらどうしよう
(待降節第1主日)「マルコ13・33-37」
(気をつけて、目を覚ましていなさい)

12/7
告白もできないほどのケチじゃなし
(待降節第2主日)「マルコ1・1-8」
(罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた)

12/14
聞こえるかい心の荒野に呼ぶ声が
(待降節第3主日)「ヨハネ1・6-8、19-28」
(わたしは荒れ野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と)

12/21
まかせれば楽と知りつつ つい力む
(待降節第4主日)「ルカ1・26-38」
(わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように)

12/24
君だって赤ちゃんのときあったはず
(主の降誕・クリスマス夜半ミサ)「ルカ2・1-14」

12/25
そばに居てくれるだけでもいいんだよ
(クリスマス日中ミサ)「ヨハネ1・1-18」
 (恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである)

(文責 益満)



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川柳投句の募集
広報部

皆さんも川柳をつくってみませんか?
先の鈴木神父さまのメッセージにもあった「投句会 」を次の要領で行います。皆さま振るってご応募下さい。

・ 題  材 福音。引用した福音書の箇所と"みことば"または簡単な説明をつけて下さい
・ 応  募 1人2句までとします。柳号(雅号)での発表も可。但し、必ず名前と地区をお書き下さい
・ 締め切り 6月7日(日)までに事務所内棚の広報部引き出しに入れて下さい
・ 選  者 鈴木神父他若干名(有志の方は広報部 益満までお申し出下さい)
・ 発  表 本誌7月号上の予定
・ 賞  品 特選の方1名に下の鈴木神父の絵を差し上げます


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