八 角 形 に ゅ ー す

2011年4月10日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

復活祭に祈る

なごり桜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 和野

聖地巡礼の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野

聖地巡礼に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 大泉

神様みーつけた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 八木

巡礼の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 綿谷

教会と私・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 藤田

募集!囲碁同好会メンバー

窓枠の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

教会委員会報告(3月26日)

入信志願式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・講座担当者会 山崎・福井

3部門共同連続講座 第1回「み言葉で祈る」・・・・・・・講座企画チーム

ミサ時間など変更のお知らせ

日本のカトリック信者の皆様

大震災からの復興に支援の手を!・・・・・・・・・・・・・・・教会委員長 牧野

支援コンサート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部 曽根

祈りの集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青年会 山本・清水

兄弟愛と隣人愛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ユースの会 千古

卒業感謝ミサ

日曜学校お泊り会

特別寄稿 明治の宣教師の足跡をたずねて(4/7)
―小田原の城下町を歩いたテストヴィド神父―
・・・・・・鵠沼3区 高木

がりらや便り

八角形にゅーすのページに戻る




復活祭に祈る

復活祭に祈る

あわれみ深い神さま、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、喜びや悲しみを共にして下さいます。
今回の大震災によって苦しむ人々のためにあなたの助けと励ましを与えて下さい。私たちもその人たちのために犠牲をささげ、祈り続けます。そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。
また、この震災で亡くなられたすべての人々があなたのもとで安らかに憩うことができますように。

母であるマリアさま、どうか私たちのためにお祈りください。
主キリストによって。アーメン



目次に戻る



なごり桜
司祭 和野

4月1日、藤沢教会の桜が咲き始めました。振り返れば、この四週間で日本の現状は大きく変わりました。

藤沢教会聖地巡礼団が日本を離れた後、まもなくあの大地震が発生しました。わたしは聖地巡礼という非日常の時の中で、あの出来事を受け止めきれずにいたように思います。思えば、巡礼中は夢の中にいたようなものなのかもしれません。

そして帰国し、現実の中にいます。出来事を体験していないせいもあり情報について行くのに時間がかかりましたが、メディアを読み返していると「想定外」「予想を超えた」ということばが何度も目に入りました。そして思いました、これは地震や津波を想定できなかったということなのか、それにより明らかにされる現実についてなのか…と。何故なら、自然災害によって受ける被害に重ねて、この国が表に出さなかったもう一つの深刻な危険(放射能汚染)が白日の下にさらされたのですから…。

いま、藤沢市での市民生活はほとんど元に戻っておりますが、元に戻してはいけないこともあるように思っています。それは、私たちの価値観の転換です。 「がんばろう日本」「がんばろう東北」の合い言葉のもと、被災地には多くの援助(物資・義援金・ボランティア)が届けられています。わたしたちも一日も早い復興を願っています。

では、わたしたちはがんばってどんな将来を取り戻そうとしているのでしょうか?。被災地の雄勝町の子供は「将来は、優しい町を作りたい」と復興の決意を口にしました。そう、このためならがんばろう!と思います。

また、Sr.キャサリン(メリノール会)は「今、恐ろしい原子力事故に直面し、私は世界中の人々が、原子力エネルギーを使うことが大きな危険性をはらんでいることを理解するように何かが出来ないかと願っています」と訴えます。これらの希望は、これまでの日本の社会においては、富や快適さを優先する中でかき消されてきた声のように思うのです。

わたしたちはこの災害を通して、キリスト者として神に祈り願っていることの真ん中には何があるのか、もう一度振り返る機会を与えられています。神が第一に大切になさるものは何なのか、キリストはみことばを通してどう諭してくださっているのか。わたしたちは今、まさに「いのちの尊厳」と「隣人になる」という価値観を取り戻す機会を与えられているのだと思うのです。どうか、私たちに回心の恵みが与えられ、キリストが十字架に示された救いを社会に実現していくことが出来ますように…。

さて、2年前の4月、小諸懐古園は満開の桜でした。散る桜に見送られて藤沢教会にやってきました。振り返れば、横浜教区のことは何にも知らないくせに何年も前からいるような顔をして立ってたように思います(笑)。そして、着任の時と同じように、これからもずっといるような顔をして離任しようと思います。またきっと、佐久教会でも同じように立っているでしょうね。4月の末、引っ越しをします。藤沢のなごり桜は終わり、信州の遅い春は満開の桜が咲いていることでしょう。



目次に戻る



聖地巡礼の旅
鵠沼3区 牧野

聖地巡礼1

一巡礼者として3月11日〜22日の間、ローマ・イスラエル巡礼の旅に参加した。図らずも成田空港を離陸した約10分後に東北・関東大震災が発生するという状況下で決行された巡礼であり、終始、後ろめたさに近い気持ちを引きずりながらの旅でもあった。この巡礼は予定ではカイロから出エジプトの道を辿りイスラエル聖地巡礼2に入るはずであったのが、エジプトの革命騒ぎのため、ローマを経てイスラエルに入るルートに変更された経緯があり、企画段階から一抹の不安もあった。

巡礼とは故郷を遠く離れ、寄留の生活、非日常の生活の中で、聖地・霊場を巡り、自らの信仰を確認する旅であり、送り出してくれた共同体の人々の意向を受けた代参の旅でもある。今回はこれらに加えて、大震災の災害を受けた人々のために祈るという意向も加わり、大変に重たい巡礼となった。幸い、巡礼団の中ではご親族やお宅に大きな被害を受けられた方はおられず、旅行中の病気・聖地巡礼3事故もなく、無事巡礼を終えることができた。

巡礼のコースを略記すると、成田からまずローマに入り、ローマと近郊の港町チビタベッキアに行く。ローマではサンピエトロ大聖堂とサンジョバンニ・ラテラノ教会、チビタベッキアでは長谷川画伯の絵のある日本殉教者教会を訪問。その後は、イスラエルへ移動し、ヤッフォ、カイザリア、ナザレ、カナ、ティベリア、至福の山(山上の垂訓)、タブハ、カファルナウム、バニアス(フィリポカイザリア)、ガリラヤ湖、エリコ、エンボケック、マサダ、エルサレムなどの聖書ゆかりの地を歴訪する。エルサレムでは4泊し、ヴィアドロローサ(十字架の道行き)を含め著名なスポットはすべて訪問することができた。移動は主に貸し切りバスで行い、まさに駆け足の旅ではあったが、ガリラヤ湖ではのどかな船の旅を楽しむ機会もあった。死海では聖地巡礼4ホテルの横のビーチで浮遊体験をすることもできた。メンバーの心がけの良さもあってか、天候には恵まれ、イスラエルでは日焼けを気にするほどの好天が続き、花咲く高原と赤茶けた砂漠地帯の両方の眺めを堪能した。

移動日を除いてほぼ毎日ごミサがあり、様々な聖堂で素晴らしい時間を過ごすことができた。聖地を訪問し、聖書に書かれた現地に身を置くということは、聖書の聖地巡礼5言葉を理解するための助けとなるが、その土地・建物に刻まれた何百年・何千年という長い歴史を追体験できたことも大きな収穫であった。まさに「百聞は一見に如かず」である。

聖地巡礼6今、巡礼を終えて思うこと。自分は何を見たか、何を感じ、何を得たか。ただの物見遊山でなかったか。ある人は言う、「聖地は1cmたりとも動かない」と。しかし、それは原理主義者の幻想・妄想に過ぎず、古来、聖地エルサレム争奪の歴史となっている。聖地は聖地とされているが故に、宗教の壁を越えて人を引き寄せる力を持つが、超越者・聖なる者は、本来、時空を越えて人に働きかけるはずである。たしかに聖地巡礼は分かりやすい信仰の拠り所を与えてくれるし、併せて精神的パワーも与えてくれるが、神に会うためにわざわざ聖地に行く必要があるのだろうか。今回の巡礼でいただいた恵みは多かったが、これからは、日常の中で神に出会うことを大切にしたいとつくづく思う。



目次に戻る



聖地巡礼に参加して
六会 大泉

聖地巡礼7四旬節の大切な祈りのときに、聖地巡礼に出かける機会に恵まれたことは、本当に意義深いものでした。その昔イスラエルの民が過越しの祭りを祝うためにエルサレムの神殿に各地から集まったように、私たちもイエス・キリストの死と復活の意義を追体験するために、エルサレムを訪れました。

巡礼史上画期的な出来事は、325年コンスタンティヌス大帝の母ヘレナがエルサレムを訪れ、主イエスの死にまつわる各種の遺品を発見し、そこに聖墳墓教会を建立されたことです。しかし、その教会も幾多の戦火に見舞われ、破壊と略奪の中で、漸く1808年に再建され、カルワリオの丘での磔刑の地(ゴルゴタ)と墓の二つの聖地を一つの教会に収めたものが現在のものと伝えられています。しかし、その教会もカトリック、アルメニア、コプト、ギリシャ正教などの各派が管理しております。このように聖地の色々な建造物は、歴史の荒波の中で翻弄され、当時の姿のままで可視できる物は殆どなく、地下深く埋没し、今も発掘調査の最中にあります。

聖地巡礼8さて、イエスはガリラヤへ行き「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1:15)」と言われました。このイエスのみ言葉は、イエスの全説教の要約のようなもので、イエスご自身によるものではなく、御父によって予定されていた最後の時代が到来したことと共に、新しい時代が始まったこと、そして各人に決断と献身の必要性を宣言されたものです。この意味を時代背景と共に考えてみたいと思います。

海抜マイナス800mの死海のほとりの西岸の中ほどに位置するソドム山地の一角を占めるマサダは、標高500mの急峻な岩山の要塞として構築されていたものを、ヘロデ大王(BC 37〜AD 4)が補強増築し、豪華な冬の宮殿に建替えたものです。巨大な貯水槽、食料庫、サウナ設備、西の宮殿、北の宮殿など当時の栄華を彷彿させ聖地巡礼9るものです。一方、ユダヤ人にとってこの地は、決して忘れられない地です。AD 70年ローマ軍のエルサレム攻撃の時、熱心党員が最後まで戦いを続け、立てこもった地がこのマサダであり、1万人に及ぶローマ軍に対し、2年に及ぶ抵抗の末、最後の967人の内、7人の女子供を残して全員自決したと言う事実です。そこから、ユダヤの民の2000年に亘る離散の歴史が始まったわけです。権力と圧制による富の集中によって、このような栄華を築き、一方、悲惨な生活を強いられる民衆の心の乖離は抜き差しならない状況に達していたのでしょう。イエスは神殿の崩壊を予告され「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない(マルコ13:2)」と言われました。

この度の聖地巡礼に参加して、人間の愚かさと主の贖いの意味を改めて心に 納める機会を得ました。神に感謝!

 

 



目次に戻る



神様みーつけた
大庭 八木

聖地巡礼10テルアビブに到着しホテルに着いたとたん、バルコニーから地中海の夕日を見つけた。皆、夕日の前にたたずむ、3、4分夕日が雄大な地中海にゆったりと沈んでいくのを見る、ここは江の島海岸ではない。地中海。偶然に出会えたこのパノラマ大スクリーン。神様の招きに皆感謝。 神様みーつけた!!

3月15日(火)巡礼5日目、山上の垂訓教会、聖ペトロの家の跡、パンと魚の奇跡の教会、聖ペトロ召命教会、新約時代のフィリッポ・カイザリア、ヨルダン川の源流、と巡礼する場がいっぱい。朝晩は涼しいのだが、日中は25度を超える中、至福の山へ。9時より野外ミサ。山上の垂訓教会で野外ミサとは、何と幸せなことだろう。至福の山といわれるのに相応しく、幾組かの巡礼団があちこちと日差しを避けてミサをしている。尊い。藤沢教会巡礼団一同も全員が丁度良く座れるほどの場所で、ごミサに与る。緑の多いこの山は、深緑の木々で覆われ、あちこちにかわいい花も見つけた。ミサが始まる頃、甘〜い薫りと共に風が通り抜けた。ほほにそっと手を置くと心地よいつめたさ。和野神父様のミサが、まるで荘厳ミサのようだ。小鳥が行き交いながら、かわいらしい歌声を響かせた。ふと見上げると、オリーブの枝をくわえた鳩が通り過ぎた。至福の山に身をゆだね、神様を仰ぎ見た時、神様みーつけた!!

巡礼中、神様の恵みをたっぷり受けたい。自分の弱さを受け入れ、まっすぐな心で。この山上の垂訓教会は8ツの幸いの垂訓を記念して、八角形に出来ているフランシスコ会管理の教会とのこと。ミサの後、豊かな自然の中に、ぽかっと心を置いてみる。「信仰は神様からの一方的な恵み。私達はこの神様に出会った(藤沢教会での和野神父ミサ説教より)」。心はあたらしい夢に向かい、その先に 神様みーつけた!!

聖地巡礼11

パンと魚の奇跡の教会、聖ペトロ召命教会、遊覧船でガリラヤ湖を渡る。キラキラ光る神秘的なエメラルドブルーの湖は、まぶしさの中に神々しささえ覚えた。神様の心がわかるように、イエス様の心がわかるように、神様を一生懸命愛したい、そんな気持ちに浸る。その夜、ガリラヤ湖に山吹色の満月が浮かぶ。 神様みーつけた!!

「見よイエスは両手を広げ、私達を抱きしめられようとしていらっしゃる。とどまれイエスの腕の中に。私の心がこらえがたい恐れにとざされている時、どうぞ私から離れないでください。お姿を示して下さい。私達は涙してひざまずき、あなたに祈ります(マタイ受難曲)」 巡礼中和野神父様の捧げてくださるミサで、神様の慈しみに出会い、神様と一緒にいられる幸せを実感、素晴らしい。出発前、旅行者の説明会に参加なさり、「鈴木神父様もいらっしゃるのですか?」との問いに「説明を聞いて行ったつもり」とおっしゃった鈴木神父様のさりげないやさしさ。弱者によりやさしい団長の川辺さん、同行し、巡礼を導いて下さった和野神父様、アンナ教会でアヴェ・マリアを歌って下さった片桐さんと萩田さん、その美しいうた声は、巡礼をしている間、私の心を潤して下さいました。 やさしさをいっぱい下さった仲間達、物静かな添乗員さんの一生懸命さ。強引な程に見事な仕事ぶりのガイドさん、大型バスを降りるとき、いつも手をかして下さったドライバーさん。やっぱり、神様みーつけた!!

2010年2月7日灰の水曜日の和野神父様のお説教を思い出します。 「神様の差しのべてくださった手に手を重ねよう。神様は私達を思い続けてくださる」

全てに感謝。



目次に戻る



巡礼の旅
長後 綿谷

藤沢教会の巡礼団に参加し、初めて聖地へ赴きました。聖書の中にあるガリラヤ、イエス様が歩き、弟子たちに呼びかけ、人々を教えられた場所はどのようなところなのだろうと、その地を歩くのを楽しみにガリラヤに向かいました。聖地巡礼12


雨季の終わりでもあり、ガリラヤは想像していたよりも緑が多くてのどかな湖畔の里といった感じでした。 良い天気に恵まれ、明るい青空と太陽のもと、菜の花に似た黄色いからし菜の花がゆるやかな丘や斜面をおおい、赤いブーゲンビリアの花も見られ、湖の水面は青くきらきらと光っていて、空気に豊かさや満ち足りた喜びを感じました。鳥のさえずりが聞こえ、教会の軒下にはツバメが巣を作っています。このような光景を眺めると、まるで雅歌の世界のようだと思いました。

ガリラヤ湖周辺では山上の説教の教会で野外ミサに与り、パンと魚の奇跡の教会、聖ペトロの召命(教皇首位権)の教会、カファルナウムの会堂跡などを訪ねました。それぞれの場所で、それぞれのみ言葉に触れると、弟子のひとりになったような、イエス様や弟子たちが私のすぐそばにいて、今、目の前で起こっている出来事のような気がしました。遊覧船に乗って湖上に出ると、イエス様や弟子たちも一緒に船に乗っているような気持ちになりました。イエス様が伝道を始められ、また、復活して弟子たちにご自身を現わされた美しいガリラヤは神様の手の中のようでした。私は神様が両手ですくった水の中で泳ぐ魚のようなものかもしれないと思いました。

出発直後に東北・関東の大きな地震と津波が発生しました。その時日本におらず、気楽に旅を続けていることには聖地巡礼13後ろめたさを感じましたが、巡礼に行く先々ですれ違ういろいろな国の人達は、私たちが日本人とわかるとお見舞いや励ましの言葉をかけてくれました。多くの人たちが日本での出来事に心を向けてくれることに感謝し、人の心の深い連帯を感じました。

振り返ると、神様が私たちとともに歩んでくれた旅路だったように思います。夢のようなと言うにはもったいない、でもいつも外側から見ていた(読んでいた)聖書の世界の内側に、藤沢教会という日常がすっぽり入りこんで、内側と外側がひっくり返ってしまったような不思議さを味わった12日間でした。最年少!?ということで、ほんの少しの緊張もありながらの参加でしたが、和野神父様、川辺さんをはじめ、添乗員さん、現地ガイドさん方を含めて本当に良き旅の仲間に恵まれました。つい群れから遅れ、迷い羊になりそうな私をいつも誰かが待っていてくださり、迷うことなく最後まで元気に巡礼の旅路を歩むことができました。 また、巡礼のためにお祈りくださった教会の皆さまにも感謝いたします。ありがとうございました。この巡礼で見て、聞こえて、感じた聖書の世界を、私の内側におさめてこれからの日々を歩みたいと思います。



目次に戻る


教会と私
藤沢1区 藤田

私の育った母の実家はプロテスタントだった。だから七五三も結婚式もプロテスタントの教会で挙げた。そんな私がカトリックに興味を持ったのは娘が入れて頂いた鹿児島のザビエル教会でである。園児達は登園するとまず御堂で祈り、それから園舎へはいる。御堂の前では優しいシスターが朝の挨拶をして下さる。私は娘を毎日送り迎えし、空いた時間に神父様からカトリックの話をしていただき、シスターとグループで話し合う会にも参加させていただいた。娘が年長組になった5月、私の身にとんでもない事件がおこった。まだ若かった私はその問題にどうしたら良いのかわからず途方にくれ、ある日御堂の中で泣いていた。そこにシスターが聖書のページを開いて私の膝の上に置いて下さった。忘れもしないイザヤ書の「恐れるな。あなたを贖ったのはわたしだ」という部分であった。それを読んだ時、私は真暗闇だった私のところに天から光が射し、私の重い肩の荷を誰方かが私のかわりに背負って下さったと感じた。その時以来私は心の底からイエスキリストの存在を信じるようになった。神父様から公教要理を聞きカトリックの信者になろうと思った。

しかし翌年から私は実家のある藤沢に帰り、またその翌年から教師として勤務するようになった。近くにカトリックの教会がなかったこと、勤務が大変で日曜日は家事をする唯一の日になってしまった事から教会とは暫く離れざるを得なくなった。しかし信仰の念は捨て難く、土曜日の午後井上洋治神父様のカトリック聖書を読む会などに出席させていただいていた。

平成19年教師の職を定年で終り、折良く父母の住む藤沢に転居してきて、やっと私は自分の信仰に従って教会に通う事ができるようになった。藤沢カトリック教会のミサに与り、カトリック入門講座に参加させていただいて平成21年のクリスマスに洗礼を受けさせていただいた。代母の佐藤眉枝さん、岡田さんご夫妻、皆々様に感謝している。今までの間2度ほど身体を壊し、グエン神父様や和野神父様には家や病院に来ていただきお世話になった。毎日曜日欠かさずミサに預るようにしている。でも趣味としている俳句の吟行が稀に日曜日と重なってしまう事があり、その時だけは失礼させていただいている。

カトリックの信徒になってからは、やはり日々が充実しており、朝に晩に小さなマリア様の像を胸に祈る。毎日生かして下さる神様ありがとう。おはようございます。おやすみなさい。今晩も神の手の中で快い眠りをお願いします。神様は私を背負って歩いていて下さる。鹿児島での事件以来、私はずっと神様に背負っていただいていると実感している。日々神に感謝。私を信仰に導いて下さった方々に感謝。

最後に俳句です。

神の背に負われて生きる春うらら
祈りもて幸せいっぱい春の朝
病得ても神に委ねて春の夜



目次に戻る



募集!囲碁同好会メンバー

囲碁

みんなで囲碁を楽しみませんか!「着眼大局 着手小局」、頭の体操になりますよ。

老若男女、上級者、初級者を問わずどなたでもどーぞ(入門者指導も行います)。賛同者は教会事務所または辻堂2区 益満・藤沢1区 李へご連絡下さい。



目次に戻る



窓枠の話
善行 岡村 

今になっても、C・V神父の印象的なことばをしばしば想い出します。「窓枠は景色を見せるためで、それが目立ってはいけません。」人は何のために生きているのだろうかと、わたしは度々景色を眺めながらかんがえました。建築の設計に携わりながらもそのことが気になります。

わたしの話し方は断定的のものの云いようだと、人からしばしば云われます。体験したことに子供のように夢中で、問われる前に伝えたくてそうなり、つい相手の気持ちの考慮が欠けてしまうからです。幼いころから一人遊びが常で、仲間と一緒に行動するのは苦手でした。学校の授業について行くことが出来なくてついに、中学校時代からドロップアウトしました。しかし物事に対する関心は大きくて、これはどういうことか、なぜそうなのか、に夢中で、どのようにして、になかなか移れないで居たのです。一つのことに結びつく他のことにも関心があって、果てしなく拡がり、互いの結びつきかたに興味があるのです。一つのことを切り取って、それに関心を集中する努力にわたしは欠けています。あるものが、その周りとどのように結ばれてあるのかの方に興味がある、と云えばよいでしょう。

比べ量り選ぶことに意味はない、とそのもの自体に意味があり価値があるとする人々に反対してきたのも、わたしが、いのちのはたらきに異常な関心があるからです。先の、窓枠の話しで、景色を見せるためにある、という言葉に感動したのは、私の関心に結ばれてでした。

わたしの生きている世界で、同じ時、同じところで生まれはじまっていることに触れ、身体で知りたいので、わたしは常に、見えなくて分からないその先に結ばれて、選べない引き合せに応えようとします。見えていてわかるものは、すべてそのためにあると考えています。わたしの体験を振り返ってみると、そのようにして与えられた必要なものばかりです。音楽・映画・美術・文学・歴史・社会・哲学そして宗教も、今、ここにあることに結ばれてあるそれです。それらは、すべて景色と云ってよいでしょう。比べ量り選ぶのは、一体何に必要とされてでしょうか。

生まれはじまるのはすべて、私たちと常に共にある「いのちの交わり」によってです。



目次に戻る



教会委員会報告(2011年3月26日)

<報告事項>

1.第5地区共同宣教司牧委員会

第1回が藤沢教会にて2月27日に開催された。年4回開催予定。昨年に引き続き、7教会の司祭、修道者、信徒の代表者が、新たなメンバーで3つの力を育てる施策を考えることになった

2.3部門共同「祈り・伝え・証しする力を育てる」連続講座

第1回が3月6日「み言葉で祈る」をテーマとして開催された。150名ほど出席した。なお、第2回は4月3日9時半のミサ後ハンラティ神父の「良かったことの祈り」を用いた講話を予定(宣教部)

3.ローマ・イスラエル巡礼

3月11日から22日まで行われ24名参加し、無事に帰国。「八角形にゅーす」に報告

4.教区合同入信志願式

3月13日に34教会から約200名の志願者(藤沢からは27名のうち22名)が出席。、巡礼に同行された志願者の方もおられた

5.東日本大震災支援

3月20日に湘南台センター支援のコンサートを急遽東日本大震災支援コンサートとして開催。支援募金を行い、25万円ほど集まった。また、カリタスジャパンからの呼びかけもあり20日から支援の募金を始めた。特別献金箱は四旬節中用意し、その後は募金袋を用意して献金箱に入れてもらう。これは数ヵ月行う。湘南台センターにも献金箱を置く

6.彼岸のミサ

例年通り3月21日に行われた

7.四旬節静修の日

3月27日に、伊藤淳神父(目黒教会)指導で行われる。なお、当日の昼食はベトナムのフォーとおにぎりを無料で提供頂き、募金を集めて東日本大震災募金に充てる

8.司祭送別会

和野神父の送別会は4月24日9時半ミサ後に行う。なお、4月10日と17日の両ミサで餞別を集める

9.バザー日程

辻堂ブロックから今年のバザーは10月16日に開催すると報告あり、了承された。これに伴い10月の教会委員会は10月22日に変更。なお、今後のバザー開催は原則として10月第3日曜日とする

10.ミサ時間などの変更

復活祭後司祭が2名になるのでミサ時間など変更あり(詳細はこちら)

また、通夜などについては、ミサではないので共同体で皆で送り出すということを考えて行きたい

・ これにともない、司祭の担当活動部を次のように変更する

鈴木神父:宣教部、福祉部、
トゥ神父: 教育部,典礼部,国際部,湘南台センター

<ブロック・活動部>

(辻堂)ブロック集会を2月20日に行い、バザー開催について討議し、推進することに決定した

(鵠沼)4月3日にブロック集会を予定。ここでは災害と防災について話し合う予定

(北1)5月25日に「武蔵野古聖堂巡り」を予定している

(宣教部)
・ 受洗者のお祝いパーティーを4月24日復活祭の日に予定
・ 共同宣教司牧フォーラムを6月5日にカトリック中央協議会の有村氏を講師に当教会にて予定している。これは上記の3部門共同連続講話の代わりに開催予定 ・ 湘南キリスト教セミナーを6月11日2時より鍛冶ヶ谷教会で、シスター小野恭世(イエズス孝女会)を講師に招いて「親と子の関わり」をテーマに開催予定。会費300円
・ 今回の大震災について、中央協議会のメッセージを入り口掲示板に掲載する予定

(教育部)
・ 3月27日、静修の日終了後3時からカトリック青年有志が全国の教会の皆とともに呼びかけている「東北地方太平洋沖地震被災者の方々のために捧げる祈りの集い」を行う。運営は青年たちであるが、参加者の年齢は問わない
・ ガールスカウトの入団式を5月8日に開催。2名入団予定

(広報)大震災に関する教会からのメッセージを「八角形にゅーす」にまとめて掲載する

(国際部)震災の被災情報について、外国コミュニティー同士の連絡も始まっている。また、外国語での情報を得られるサイトが増えていることの紹介もあった

(典礼部)聖週間の典礼は通常夜行われるが、今年は計画停電に当たる心配もある。しかし、今年も典礼は例年通り開催することに決定した。聖木曜日、金曜日は午後7時30分より、聖土曜日は午後8時からとする

(福祉部)5月8日に福祉バザー開催予定

(鈴木神父)横浜教区では今回の大震災にあたり、ふるさとを離れてきた方々の住居問題への協力や、心のケアをするボランティアが望まれている。今後当教会でも検討を進めていきたい

<討議事項>

(冷房設置検討)

冷房設置検討委員会からの答申が出た。最低でも1700万円以上の初期投資と年8万円以上のランニングコストが掛かる提案になっている。この額は思ったより少ない額になっていて、検討委員会の努力があらわれている。しかしながら、今、大震災の発生に伴う電力供給不足が恒常化することなども鑑み、実施の優先順位を下げざるを得ないので、今年の設置を見送りとすることに決定した



目次に戻る



入信志願式
講座担当者会 山崎・福井

四旬節第1主日の3月13日(日)午後3時から横浜教区合同入信志願式が梅村司教様の司式によって藤沢教会で行われました。神奈川、静岡の30余の教会から約200名の求道者が参加し、これらの方々に加えて代父母、各教会の司祭、ご家族や共同体の方など500人ほどの大集会となりました。藤沢教会からは23名の求道者が参加しましたが、当日9時半の主日のミサの中でこれらの方々が志願式に参加するのにふさわしいと共同体が推薦して派遣する「派遣式」に参加されました。

入信志願式は、求道者が神から選ばれた者であることを教会が宣言し、次の復活祭に入信の秘跡を受けることを承認する式です。この宣言を受けて「求道者」はこの日から「入信志願者」と呼ばれて入信準備期に入り、四旬節を通してキリストに従う決心が一層固められてゆきます。式の中で2つの聖書の箇所が読まれました。「・・・生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい・・・」という主の言葉に従って旅立ったアブラハム(創世記12:1〜4)、「来なさい。そうすれば分る」といわれてイエスについていった2人の最初の弟子(ヨハネ1:35〜39)、いずれもこの式にふさわしいものでした。

梅村司教様は説教の中で2つのたとえを話され、回心して新しい価値観に生きることを強調されました。1つは、週日を施設に預けられているある子どもに、「一番大きなお金は何ですか」と聞いたところ、「10円」と答えたそうです。それは500円でも100円でも50円でもない10円です。なぜならば「お母さんと電話で話せるから・・・」。もう1つは、アッシジの聖フランシスコの「平和を求める祈り」から“慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを求めますように”の紹介でした。

式は続いて、司祭(教区典礼委員長)から“この方がたを神の民である教会が受け入れてくださるように推薦します”という推薦があり、これを受けて司教は代父母に求道者について質問し、最後に志願者に入信の秘跡を心から望んでいるかを確認し、“みなさんが、復活祭に入信の秘跡を受ける人として神から選ばれたことを喜びをもって宣言します”と結ばれました。このしるしとして志願者は入信志願書に署名し、この入信志願書は「レデンプトリスチン修道院」のシスターに預けられて日々祈っていただきます。その後、入信の秘跡を受ける日まで神の力をいただくために志願者一人ひとりが塗油を受けました。

新しい入信志願者が代父母とともに、共同体のみなさまとともに回心と祈りのうちに四旬節をすごせますようにお祈りください。



目次に戻る



3部門共同連続講座 第1回「み言葉で祈る」
講座企画チーム

祈り、伝え、証する3部門共同連続講座第1回は3月6日(日)、鈴木神父をガイドに「み言葉で祈る」をテーマに、約150名の参加をいただき、聖書を使った祈り方を学びました。

鈴木神父から共同宣教司牧のために、信徒・修道者・司祭が信仰による交わりを育てていくことが大事だが、そのためにまず聖書をともに読み、そして神の呼びかけを受けとめること、分かち合うことを大事にしたいとの話がありました。

続いて祈り方について以下の通り説明がありました。

1. 祈りを始める前に、なるべくボンヤリとして、自分を空っぽにする、例えば「ポカーン」と心の中で言ってみてもよい。深く息を吐き出すことを2〜3回やるとよい

2. 最初の祈りも言葉を多くせず、十字を切るだけでもよい

3. 誰か一人が朗読し他の人は聞く。目で文字を読まずに、聞きながら「感じる」ことを鮮明にするようにする。目で追うと頭で「考える」ようになり、神様を思う気持ちが薄くなりがち。聖書の解釈を考えるのではなく、今日神様が私に気づかせてくれることを受け止めることが大事

4. それから「神様から自分への手紙」のつもりで黙読して、10分ほど感じることに浸り、だんだんと言葉が産まれてくるのを待つ。はじめは何も聞こえなくてもいい。人には時がある。積み重ねていくうちに「私の大事な神様からの呼びかけ」が聞こえるようになる

5. 「何を感じたか」を話したいと思ったら話す。自分自身のありのままを受け止め、人のありのままを受け止める訓練を続けると、神様にまかせることが育ってくる

6. 「何に気づいたか」を話したいと思ったら話す

7. 人の話に触発されて気づいたことを話す時間をとるのもよい

8. ともに心の中のことを分かち合うのだから、うわさ話の種にしない、信頼を裏切ることもしない

9. 継続すると面白さが増し、交わりが深まる。マンネリ化することもあるので、1年を一区切りにするのもよい

説明の後、当日の福音の箇所を使って祈る体験を約5分しました。ぼんやりした人、考えてしまった人、どちらでもない人など様々でしたが、鈴木神父からは「感じることが基本。人の心は測りがたい。信仰を深めるのに決まった道はない。自分なりの祈りのスタイルを持つようにすればよい。祈りの大事なことは、神様に聞く、神様に委ねる心を整えることです。」との励ましの言葉がありました。

「み言葉で祈る」を深めたい方には、鈴木神父の第2金曜日の会や小藤さんの会をお勧めします。

第2回は4月3日(日)9時半ミサ後、「良かったことの祈り」です。第3回以降も「神に聴く祈り」、「体を使った祈り」、「五感を使った祈り」などを予定しています。それぞれのグループも紹介しますので、自分に合うと感じた祈り方を継続して深めていただければと願っています。3部門一同、皆様の参加をお待ちしております。



目次に戻る



ミサ時間など変更のお知らせ

復活祭後、次の通りミサ時間などの変更をいたします。


1.日曜日主日のミサ

・ 日曜日は7:00と9:30のみとします(18:00のミサはありません)
・ ベトナム語ミサは 第1日曜日15:30 → 16:00 に変更となります
・ 聖心の布教姉妹会修道院 第1・3土曜日 18:15
・ 湘南台センター 第2土曜日 17:00


2.平日のミサ

・ 火・木・金曜日 9:00(初金例会のある時は 9:30)
・ 聖心の布教姉妹会支部修道院 月・水・金曜日 6:30
・ 聖心の布教姉妹会本部修道院 火・木・土曜日 6:40

但し、司祭不在の折はこれらの日でもミサのないことがあります。


3.土曜日の「ゆるしの秘跡」

・ 第2・第4土曜日 16:00〜17:00
・ 第1・第5土曜日には司祭が居れば「ゆるしの秘跡」を受けることができます。事務所までお尋ね下さい
・ 第3土曜日は教会委員会があるため「ゆるしの秘跡」はありません 

 



目次に戻る



日本のカトリック信者の皆様
日本カトリック司教協議会会長  大阪大司教 レオ 池長

東北関東大震災発生から一週間がたちました。私たちは毎日、テレビや新聞の報道に接して、その惨状を目の当たりにし、ますます深く、災難に遭われた方の痛みに悲しみを覚えます。福島原子力発電所の事故も重なって、今も、不自由な避難生活を続けておられ、中には家族を失われたり、その安否もわからずに過ごしていらっしゃる方々が大勢おられることも、いたたまれない思いを持って見つめています。

このような惨状の中から、再生と復興に向かう動きも出て参りました。しかし、食料や必要な物資を供給するという第一の緊急事態にさえ、障害が多く、対応できないでいるのも事実です。行政からボランティアセンターも立ち上げられましたし、カトリック教会でも、仙台教区のサポートセンターも始まり、カリタスジャパンと、やはり仙台教区による募金要請も皆様に届けられました。私たちに出来る範囲で具体的に支援をする事が望まれます。

被災者のための祈りや犠牲も必要です。皆様と一致して祈るため、次のような祈りを作りましたので、唱えてくだされば幸いです。 (祈りはこちら

「今、困難な状態に置かれているすべての被災者の方々に寄り添うことを約束します。亡くなった方々のために祈り、悲しみのうちにあるそのご家族と友人の皆様を神が祝福し、力と慰めを与えてくださいますように」とメッセージを送って下さった教皇様に心を合わせて、私たちも一致して祈りと支援に励みましょう。

2011年3月18日

日本カトリック司教協議会会長  大阪大司教 レオ 池長



目次に戻る



大震災からの復興に支援の手を!
教会委員長 牧野

未曾有の東日本大震災発生から3週間以上たちましたが、被災された地域の皆様、関係される皆様には、改めて心からお見舞い申しあげます。

被災地の一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。すでに、行政をはじめとして、各種団体やボランティアグループが避難所確保や医療・生活に関する支援活動をスタートしていますが、カトリック教会もカリタスジャパンや被害の中心地である仙台教区を始めとして支援のための募金活動を進めています。

当藤沢教会も3月20日から募金活動に入り、当面期限を切らずに続けていく予定です。物流がスムースでない現在、物資よりも募金による支援が最も効果的と考え皆様にご協力をお願いする次第です。また、可能な範囲での、被災者の緊急避難所としての教会関連施設提供も横浜教区から要請されています。

本件に関し情報提供やお手伝いいただける方は教会事務所までお申し出下さい。

一日も早い復興のために、共に祈り、力を合わせてできることから進めていきましょう。HELP !



目次に戻る



支援コンサート
福祉部 曽根

3月20日(日)9時30分ミサ後、藤沢教会センターホールでピアニストの安達朋博氏と長後地区の声楽家、金子カツ子さんをお迎えしてコンサートを開催致しました。

当初は湘南台センター支援のためのコンサートでしたが、急遽大震災支援となりました。90人程の音楽好きの方々に集まっていただき、安達さんと金子さんの素晴らしい演奏と歌声に耳を傾けました。被災地への応援歌になったと思います。

この支援が地震および津波に打ち勝つ温かい愛の波のように広まりますように。

皆さまの温かいご協力、本当にありがとうございました。



目次に戻る



祈りの集い
青年会 山本・清水

被災地の皆様には、お見舞い申し上げます。

今もなお、援助物資が足りないとこや、放射能の影響で救助の手が届かない所も数多くあるようです。 私たちも、普段通りとは言えないものの、毎日テレビを見て呆然としたり、安否情報に安堵したりしています。 いま、私たちができること・・・それは、みんなで心合わせて祈ること。

祈りの集い3月27日15時から、全国各地のカトリック青年有志主催による「祈りの集い」を藤沢教会でも行いました。約1時間のお祈りに青年・中高生だけでなく、教会信徒の皆様、神父様、近隣修道院のシスター方が70名ほど集まってくださいました。日本だけでなく海外でも多くの場所で「祈りの集い」は行われ「同じ意向を持ってみんなで祈る」ことを大切にし、被災地に伝えていけたと信じています。なお、当日集まった義援金130,315円は28日にカリタスジャパンを通して被災地へ送らせていただきました。ご協力ありがとうございました。

今回、藤沢教会で「祈りの集い」を行うきっかけとなったのは中高生です。一週間前の21日に中高生・青年で集まり、「今、私たちにできることは何だろう」と話し合いました。その際に、中高生から「お祈りをしたい」という声があがったからです。

ちょうど同じ頃、インターネット(mixi)を通して全国のカトリック青年たちがプロジェクトチームを立ち上げていました。「東北地方太平洋沖地震被災者の方々のために捧げる祈りの集い」と題し、全国の人たちが一同に介してお祈りする事は難しいので、多くの青年に呼びかけて、各地で同じ日に可能なところで、キリスト者である私たちが共に祈ることの大切さを伝え、被災された皆さまのために祈るという趣旨で企画されていました。突然の企画ではありましたが、藤沢教会でも参加しよう!とその場で決まりました。当日は、静修の日で時間的に厳しかったのですが、典礼部を始め多くのの方々のご厚意もあり、実現に至ることができました。

神様を通して被災地の方たちとひとつになれるよう、この祈りを通じて私たち自身も勇気を、力を頂けたのではないかと思います。私たち、カトリック信者において「祈る」という事が、誰もが出来る一番身近なものであり、大切なことであると改めて実感する事ができました。日本国内だけでなく世界中の方々と心をひとつにして祈る機会を与えてくださり、皆様と一緒に祈りができたことを感謝いたします。



目次に戻る



兄弟愛と隣人愛
ユースの会 千古

あの恐ろしい東日本大震災が起きる少し前の3月6日、ユースの会の中での分かち合いでは、「目の前で困っている人への手助け」について色々と話し合う機会が与えられました。その時の結論のひとつは、困っている人を手助けするにしてもそこに「愛」がなければ、神様の目から見て全く意味がないということでした。

私たちはよく、テレビや教会のお知らせなどで、アフリカや各地の難民キャンプでの悲惨な出来事を耳にします。そして、「可哀そうだから援助しなきゃ」と思われるかもしれません、しかしそこには、「恵まれた日本に住んでいるのだから、貧しい人は助けないといけない」という義務感みたいなものがどこかにないでしょうか?確かにそういう考えは正しいし、そこに「愛」がない訳ではありません。

さて、3月11日に起きた、東日本大震災は現地の被災者のみならず、神奈川にいる私達にも大きなショックを与え、また多くの方が苦しみと悲しみの中にある現地被災者の方々に対して心を痛めているのではないでしょうか。私自身、テレビを通して、両親に会えず泣いている子供や、目の前で家族が津波にのみ込まれた老人が呆然と瓦礫の中で佇んでいる姿を見て、他人事でない様な、身を引き裂かれる思いになり、また復興に向け懸命に生きようとしている被災地の人々の姿に涙しました。そして今、同じ様に被災者を案じている日本じゅうの人々が東北の同胞(兄弟)を助けるために立ち上がろうとしています。この「共に痛みを分かち合い、手を差し伸べ共に立ち上がる」これこそが「手助け」の原点ではないでしょうか。福音書の中の主イエスの姿がまさにそれだと思います。

いま、日本中が兄弟愛に燃えています。それは本当に素晴らしいことです。しかし私たち日本人がこの大震災という試練を乗り越えた後、今度は困難のうちにある多くの「隣人」に、今回と同じ「愛」を示すことができるかが、試されているような気がします。

―わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。―(聖書)



目次に戻る



卒業感謝ミサ

3月13日卒業感謝ミサが行われました。幼稚園卒園、小、中、高、大学等卒業を迎えた子供たちおよそ30名がミサの中で祝福を受けました。

幼稚園卒園 拓真

(ミサ中の)うたがおもしろくて、たのしかった。えほんがもらえて、うれしかった。

小学校卒業 詢子

私は2年生くらいから日曜学校に行っています。その中で一番印象に残っているのは、初聖体です。日曜学校では楽しいキャンプやゆるしの秘跡など色々な事がありました。サマーキャンプでは、宮内神父さまにおどかされたり、遠足では和野神父さまと楽しんだりしました。中学生になっても、この事を忘れないでいたいです。この4年間元気でいれた事、神様ありがとうございます。

中学校卒業 幸

前回卒業感謝ミサに預かってから、早3年。この3年間、健康でとても充実した中学校生活を送ることができました。世界では、飢餓や戦争に苦しむ人達がたくさんいる中で、何不自由ない生活を送ってこられたことこそ、神様からのお恵みだと思います。これからは、世界全体が幸せに満たされるよう祈りつつ、少しでも神様に奉仕できるよう努めていきたいと思います。

高校卒業 清美

私は幼児洗礼でした。小さい頃は教会へ行く意味など考えた事はなく、ただ家族が行くから行くといった感じでした。小学生になり、日曜学校に通うようになってからは、遠足があり、クリスマスの劇の練習があり、様々なイベントを通して友情の輪は広まっていきました。そして、私にとって教会は楽しい場所となりました。これから、教会を楽しみながら、神様の教えを学び、自分自身も成長できたらいいなと思っています。



目次に戻る



日曜学校お泊り会

日曜学校では、5・6年生を対象に(中高生にも参加を呼びかけ)年1回、1泊2日をかけて、聖書を学び、祈り、共に食事をするお泊り会を行っています。今回2月26日、27日藤沢教会泊にて「十戒」をテーマにし、小学生4名、中学生2名が参加いたしました。少人数でしたが、実り多い時間を過ごす事ができました。

5年 莉帆

昨日、今日とお泊り会をやりました。最初は3人しかいなくてビックリしました。そして、モーセのあゆんだ道の地図を描きました。紙が大きいので大変だったけど、完成したときはうれしかったです。ゆるしのひせきもうけてよかったです。休けいのときは、みんなで問題をやりました。なかなかとけなかったし、むずかしかったです。夕食後は、トゥ神父様のお話がありました。十戒の中で一番心に残ったのは、「父、母をうやまいなさい」です。夜は、けいたいとかをやって楽しかったです。来年も行きたいと思いました。

6年 良太

今回のお泊り会は、来たら1時間くらいモーセのことをべんきょうしたあと、モーセのあるいた所やモーセがのぼった山などを大きい紙に書きました。その後、ゆるしのひせきをうけました。とてもスッキリしました。ごはんのじゅんびの時にやっとみんな集まりました。その後ねました。目がさえてねむれませんでした。とても楽しい1日でした。

中学1年 千裕

私は今回、日曜学校のお泊り会に中学生として参加させてもらいました。初めは中学生が2人しかいないと聞いて不安がありました。けれど今は多くの人と色々な事をして仲良くなれたと思います。私が教会に着いた後に、モーセの出エジプトについて勉強しました。その後、モーセのたどった地域を地図に表し、そこでおきた出来事などをかきました。私はそこで初めて十戒を知りました。十戒という言葉は聞いた事がありましたが、実際にちゃんと内容を聞いた事がありませんでした。十戒の中で私の心の中に一番残ったのは、「父、母を敬いなさい」です。やはり父や母がいなければ、今の私はないなと思ったからです。その後、ゆるしの秘せきを受け、夕食を作ったり、トゥ神父様のお話を聞いたり・・本当に色々つまった1日でした。今回のこのお泊り会に行けた事、本当に良かったなと思います。これからも今回教わった事を心にとめていきたいです。このお泊り会を支えてくれたリーダー、導いてくれた神様に本当に感謝します。有難うございました。



目次に戻る



特別寄稿 明治の宣教師の足跡をたずねて(4/7)
―小田原の城下町を歩いたテストヴィド神父 ―

鵠沼3区 高木 

明治6年(1873)2月24日、明治新政府は諸外国の圧力に屈し永いこと村々、宿々に立てられていた切支丹禁制高札を曖昧な文言で撤去しました。そこで安政5年(1858)の五ケ国条約に従い外国人居留地で日本再布教の準備をしていたパリ外国宣教会司祭の代表者であるプチジャン司教は香港に居る会計部長オズーフ神父あてパリ神学校長に15名の宣教師の派遣を要請しました。その頃、日本には幕末期から18名の司祭が横浜、長崎、函館、神戸、大阪、新潟、東京などの居留地にいました。明治6年(1873)7月に第1陣として4名が来日、9月には第2陣として7名が横浜に上陸しました。とりわけ第2陣として来日したテストヴィド神父は横浜天主堂に滞在して居留フランス人の世話をしたり横須賀製鉄所でフランス人技師の司牧にあたったりして日本語の勉強をしていました。ところが明治8年(1875)11月から外国人は遊歩規程内の旅籠屋に宿泊できるようになりました。そこで十里四方の町々、村々を巡回布教するようになりました。

明治12年(1879)1月テストヴィド神父は、中世からの城下町である足柄下郡小田原の十字町にある内田足袋店の2階を借りて集会所としました。それには元浦賀奉行所与力であった細渕重教伝道士と妻とらの手伝いがありました。当時の小田原といえば鉄道もなく馬車鉄道が走っていたに過ぎませんでした。

明治12年(1879)4月27日、信者第1号として14名の洗礼がありました。

トマス 香川吉五郎 (8歳)
ヨゼフ 薮田貞次郎 (12歳)
ヨハネ 木曽 吉次 (11歳)
パウロ 大塚長太郎 (13歳)
フランシスコ 池田専太郎 (11歳)
ベルナルド 杉本長太郎 (11歳)
パウロ 内山 萬吉 (17歳)
ペトロ 鈴木 春吉 (17歳)
ペトロ 杉浦嘉平次 (45歳)
ヨハネ 渡辺喜三郎 (31歳)
ペトロ 杉本達次郎 (34歳)
パウロ 香川 五郎 (42歳)
アンドレア 鈴木五兵衛 (33歳)
マリア 里見 トク (69歳)

明治15年(1882)10月17日、小田原町緑町に聖ヨゼフ教会が献堂されました。続いて明治17年(1884)にも16人の洗礼がありました。唯、その中で細谷一家4人はロシア正教会からの改宗者ということでした。それというのも明治5年(1872)頃から函館居留地にいたニコライ大主教が東京へ出て関東一円で布教を始めていたからでした。その時代、御殿場方面でもロシア正教会の布教が盛んに行われていましたが今でも深沢村大雲院の墓地には幾つかの十字架の墓があります。

明治20年(1887)春、テストヴィド神父は駿東郡御厨村の北方に1軒の家を借り癩患者6人を収容していました。しかし村人の反対にあい明治21年(1888)こんどは御厨村の南方富士岡村の神山に土地を購入し明治22年(1889)6月29日「癩病人救助病院」を設立しました。ところが明治24年(1891)4月テストヴィド神父は体調の変化に気付き6月2日香港にあるべタニア療養所に移ってしまいました。そして間もない8月4日帰らぬ人となってしまいました。42歳でした。病名は胃がんでした。明治8年(1875)以来、神奈川県、山梨県、静岡県、を隈なく布教してくれたテストヴィド神父の最後のミサは亡くなる直前の6月5日でした。昭和59年(1984)11月に静岡宣教100年祭が行われた時、テストヴィド神父一族の子孫がフランスから招かれて静岡の地へ来たそうです。平成10年(1998)6月5日テストヴィド神父の遺骨が香港の納骨堂からルノー神父の手によって神山の地に帰ってきました。それは実に107年ぶりの出来事でした。



目次に戻る





がりらや便り

この度の震災で被災された方々のために、がりらや一同お祈り申し上げております。


「イエス・キリストの履歴」    
岩島忠彦著 オリエンス宗教研究所 2,100円

日本屈指の神学者でイエズス会司祭の著者が、聖書の記述はフィクションではないかという懐疑を超えてイエスの姿に限りなく迫り、キリストと神の教理確定の道筋を考察する


「主の憐れみを叫び求めて」 
ヘンリ・ナウエン著 あめんどう発行 1,680円

世界的なキリスト教霊性の著作で知られるナウエン司祭による唯一の祈祷集。四旬節に始まり、復活祭、昇天祭に沿って記録された魂の言葉


「聖母とともにする 十字架の道行き」  
ファン・ナンヨン文 女子パウロ会発行 315円

「十字架の道行き」関連の本は他にもドン・ボスコ社「絵でみる十字架の道行」「聖母マリアとともに歩む十字架の道行」、女子パウロ社「黙想と祈りによる十字架の道行」ベネディクト16世著等取り揃えております




目次に戻る




1