八 角 形 に ゅ ー す

2011年6月18日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

断章(7)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

教会委員会報告(5月21日)

合葬の園管理委員会からのお知らせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 高野 

受洗おめでとうございます

神様から託された子供たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 長谷

3部門共同連続講座第3回「レクティオ・ディヴィナ」・・・・・・・・・湘南台 押木

特別寄稿 明治の宣教師の足跡を訪ねて (6/7)
―横浜居留地から神奈川県央への巡回布教 (2)―
・・・・・・鵠沼3区 高木

国際部の紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国際部部長 鶴田

キジト神父様より

テゼ共同体と連帯して開かれている黙想と祈りの集い

結婚セミナー

この大災害におもう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 益満

ガールスカウト入団式

がりらや便り

4/2(土)に予定されていたヴァイオリン&ハープコンサートの演奏者からのメッセージ

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断章(7)
司祭 鈴木

crown神のことばやなさり方は人間にはわからないことが多いが、だから無視するというのと、それでも思い巡らしながら生きるというのでは、やはり違いが出てくる。神を思っていないとまず必ずバランスを崩してしまう。

手で水を汲むためには指を閉じるが、握らない。信仰を生きるのも同じではないか。

人に忠告してもまず聞いてくれないと思った方が良い。ほとんどの場合、自分の不満を言うだけであるし、言われる方も聞く用意が出来ていない。尋ねられたら応えるくらいで丁度良いのではないか。神さまのやり方に近いと思う。

自分のために確保するのは必要なこと。でもそれだけでは幸せになれないと思いませんか?

「情けは人の為ならず」の英語表現は "kindness is never lost"だそうです。愛情は永遠というニュアンスが良く出ていると思います。人が喜んでくれるから情けをかけたり働くが、実はそれが自分の支えになっているという関係は永遠に続くもののようです。

「ようよう自分も自分の作品に責任を感じなくてもよくなった」と棟方志功は晩年言ったそうです。好き勝手にやるというのではない、本当に版画を彫っているのは自分を超えるお方だという自覚です。こんな感じありますか?

不幸なできごと、苦しみが神秘的なのは、それこそが「神しか救えない」と知るしるしになるからでしょう。

義務教育とは、子供に教育を受けさせるという義務を大人(父母)が負うという意味であって、子供に強いる義務ではないとあなたは知っていましたか?



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教会委員会報告(2011年5月21日)

<報告事項>

1.大震災支援

現在までに230万円ほど義援金が集まっている。うち50万円は仙台教区に直接届け済み。また支援コンサートなども続々予定されている。また、支援のためのベルマーク集めを福祉部で検討する

2.合葬の園

管理委員会が8名体制で発足した。まずこれからの仕事内容について5月7日に話し合った。来月継続の話し合いを予定

3.営繕 

センターホール3階の水漏れ対策工事の見積をとっている段階

4.司祭移動

和野神父は無事に佐久教会に着任された

5.受洗者祝賀会

ご復活祭に大人25名、子供2名が受洗され、その祝賀会が24日にセンターホールで行われた

6. 3部門共同「祈り,伝え,証しする」連続講座

5月1日に第3回が開催され、約60名の参加があった。「レクティオ・ディヴィナ」をテーマに、聖書を読んでの分かち合いが行われた

7.幼児洗礼式 

5月1日に行われ、3名のかわいい幼児が受洗した

8.第5地区共同宣教司牧委員会

5月8日藤沢教会で第2回の委員会が開催された。第5地区委員会と小教区の3部門の責任者が相互に理解を深め、その力を育てる手立てを話し合った。3部門の活動を一般信徒にどう広げていくかなどが課題である

9.スカウトバザー

5月15日に行われた

10.湘南キリスト教セミナー 

6月11日(土)13:30より鍛冶ヶ谷教会において、シスター小野恭世による「愛が伝わるかかわり方」と題したセミナーが開催される。特に子育て中のお母様方の参加が望まれる

<ブロック・活動部>

(藤沢)5月29日にブロック集会を開催。その中で新しく洗礼を受けられた方々の歓迎もする

(辻堂)5月22日のブロック集会でミサ勉強会を行う。また5月29日に第1回バザー委員会を行う

(北1)5月26日に巡礼の旅に行く。28名参加で八王子、泉町、川越教会、献堂100年を間近にした宮寺教会などを巡礼する。また、7月2日に聖園本部修道院でイエズス会英神父の黙想会を開催予定。詳細はおって案内する

(北2) 5月14日に新しく受洗された方々の歓迎を兼ねて親睦会を行った。また5月28日には湘南台センター支援のために湘南台センターでミニバザーを予定している

(教育部)
・ 5月29日9:30〜15:00、栄光学園において、第5地区共同で子供たちの運動会を行う 
・ 子供たちの防災訓練について、火事だけでなく地震についても検討する必要があろう

(典礼部) 5月22日にブロック連絡会後ミサ先唱者、朗読者の研修会を予定

(宣教部)6月5日に共同宣教司牧フォーラムを主催する。「司祭減少下での共同宣教司牧」と題して、カトリック中央協議会の有村浩一氏の講話をいただく

(福祉部) 5月8日に行われた福祉バザーには28団体参加した。教会関係者の売り上げから東日本大震災義援金として8万円強を財務へ預託した。またリディアさんの知人から車いす2台の寄付をいただいた

<討議事項>

パイプ椅子と長いすについて

あえて今のパイプ椅子を長いすに取り替える積極的な意見が出ていない。現在の椅子で基本的に大きな不満はない。当面現状を継続する

<その他>

・ トゥ神父が第5地区の教会学校担当司祭となった
・ このところ、震災被災者支援のコンサートが目白押しである。聖堂を会場にするコンサートについてはある程度制限をしているが、場所を貸すだけのものもあり、今後整理すべき課題がある 
・ 新しい受洗者がよりよく地区に溶け込む方法として、入門式の時からブロック、地区に紹介して、近所の方を紹介したり、行事にお誘いしたり、積極的に働きかけるようにしていく
・ 9月初旬頃防災訓練を予定している。教会委員会と有志で計画していきたい

鈴木神父より
・ ミサ中のマイクの使い方や、音量などのコントロールに課題があるので、工夫が必要である。5月22日の研修会で周知してほしい
・ 教会委員会では報告事項ばかりでなく、皆がより活発に話し合える課題を提案し、意見交換をする場にしていけたらと思う



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合葬の園管理委員会からのお知らせ
藤沢1区 高野 

当教会に待望の「合葬の園」が完成し、既に利用が開始されておりますことは、「八角形にゅーす」でもお知らしておりましたが、運営・管理に当たる委員会が未設置でした。そこで今後の運営・管理を円滑に進めるために、以下のメンバーによる管理委員会が、5月7日に組織されましたのでお知らせいたしますとともに、今後の作業と課題についてご報告いたします。

管理委員会のメンバー
前山(鵠沼2)曽根(藤沢2)高野(藤沢1)辻垣(善行)浅野(善行)田辺(大庭)竹内(大庭)川辺(教会事務局)、片桐(アドバイザー)の各氏です。

今後の作業と課題

・ 長期管理計画の作成 
今後10年、20年間でどのようなメンテナンスが必要かを把握する。

・ 合葬の園の庭の整備 
出来るだけ早く行いたい。そのためには庭の設計が必要である。各自が思い思いの植物を持ってきて植栽するのは理想であるが、それでは乱雑になってしまうので、専門家に依頼して植栽プランを作成していただくことになった。たとえば、それぞれが各家庭から持参した植物を、このA区域にはスズランを植える。B区域にはクリスマスローズを植えるということです。水仙のコーナーもあれば、桜草のコーナーも、バラのコーナーもあるということです。

・ 管理費の徴収
合葬の園の利用権をお求めいただいた方に対して、今年度の管理費1口当たり3000円を利用規約に基づいて徴収いたします。そのためのご案内を近日中に発送の予定です。なお、年度ごとの徴収となりますので、9月末までにお求めいただいた場合には、その年度の管理費を徴収させていただくが、10月以降12月末迄に求めた方にはその年度の徴収は免除し、翌年からの徴収といたします。

なお、前記の要領で、近日中にはご購入いただいている方々に、納入方法等を明記して管理費をお願いする予定です。

管理委員会は当座毎月1回程度開催することとしました。次回は6月4日です。



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受洗おめでとうございます

鵠沼3区 田淵

この度、多くの方々の祈りとご指導に支えられ長年の念願が叶い洗礼を受けることが出来ました。

また沢山の祝福も頂き感謝し信仰の中にお応えして行きたいと思っております。去年の3月よりミサと講座を許され参加致しました。ところが皆様学者揃いで無学に等しい私がこんなに恥をかいたことはありませんでした。何もわからない私が、かえって良いと励まされたことも毎度のことでした。聖書を初めて手にした時は、涙が出る程嬉しく一年間皆様についてまいりました。信仰の深浅こそが我心我姿であることも知ることが出来ました。

里を慕うようで申し訳ありませんが、長崎の平戸はフランシスコ・ザビエルの名も高く聞こえ史跡も多く、その中で特に鎖国を強行し封建制を維持するため、大弾圧で悲惨なことが生まれました。信仰と生命とどれを取るかという二者択一の決定をせまられた時、多くのキリシタン達は神と良心への忠節を守り、精神の尊厳を傷つけないため死をえらんだのです。難を逃れた隠れキリシタンは、今に至るまで450年の間信仰を堅持し続けた跡(又中江島など)があります。

また私が幼い頃父が良く教えてくれたこともありました。パードレ(神父さまのこと)は、神秘な方で知恵のある方で知恵袋の本(聖書のこと)を持ってる方など、またカトリックの友人と同居したりして大変お世話になったことなど印象深く心に留め置きながら、今頃になって洗礼を受け心が痛む思いです。

これからは、キリスト様がくださった教会共同体のご指導を受け、相互愛に努めキリスト者として生きて行きたいと思っておりますので、よろしくお願い致します。

最後に父の教え グラスタ ミチミチタ マリア アーメン
(みんな ゆたかでみちみちております マリアさまのおかげです)

辻堂3区  齋藤

2011年4月23日、ご復活徹夜祭の中で受洗致しました。差し伸べられた神様の手に、自分も手を伸ばしてその御手に触れることが出来たことが、私の中で大きな喜びとなっております。やっと神様の子供になれたと思うと同時に、神様のお導きの中で受洗出来たことを本当に幸せなことと一日一日その思いが強く感じられる毎日です。私がこの日を迎えるまでに、幾度となく受洗をする機会がありました。でもまだその時々では神様に呼ばれてはいなかったのでしょうか・・・。  

母がカトリックの学校を卒業しており、私が幼い時から何かことあるごとに「いつも神様は見守っていて下さるのよ」と言われ育ってきたような思いがあります。常に神様の存在が強く側にありました。いつも神様が一緒という人生の中で、私自身も中高一貫のカトリック校で学び、さらに神様の存在が私の中で深く深くなって行き、喜びに満ち溢れてきました。

念願であったマリア幼稚園の教諭となり、子供たちと生活をする中で神様のお話をするたびに、神様の存在がもっと身近なものとなりました。結婚し二人の娘を授かり、深いご縁で二人とも母校のカトリック校に通うこととなりました。自分が学生時代に教えを受けたような気持ちにあらたに戻りました。子育てをしながら、折に触れて心の中で神様に相談し語りかけておりました。

そのような日々の中で、一昨年からまた改めて聖書の勉強を始め、神様のお導きの中で、この日を待っていたかのように自然に洗礼を受けることとなりました。洗礼を受けることの最大の喜びは、神様から救いの手を伸べられ、それを握り返し、永遠に生きる者とされたこと、そのことを洗礼という事実として受け取ることが出来ることにあるのだと思っています。聖霊の働きが、豊かに注がれている自分がいることを感じ、何よりも神様に愛され包まれている深い喜びを感じています。これからも神様を信じて、すべてをお委ねして前に進んで行きたいと思っております。

藤沢3区 高木

4月23日。復活徹夜祭の夜は、時折暴風雨にもなる、あいにくの空模様でした。自宅をギリギリの時間に出てしまい、走り通しでずぶ濡れの(ある意味洗礼式には相応しい)身なりで到着(!)。その上、席は最前列で洗礼の順番は1番目。洗礼を授かる時に名札を隠してしまい神父様に“お名前は…”と聞かれてしまったり、初聖体の時は先に御血の前に立ってしまったり。席の関係で“奉納”の奉仕もあり、緊張し通しのうちに式が終了しました。

思えば1年前それほどの決心もなく講座に通い始めました。欠席もあまりせず通うことができたのは、ご担当の鈴木さん、浮田さんによる興味深く楽しい講義や、グループの皆さんの素直で温かい雰囲気の分かち合いなどのお陰と思っています。

しかし実は “神様のお導き”は遥か昔の、こんなところにあったのかも知れないのです。私は1985年に、夫が卒業した大学内の聖堂でG神父様(夫の先生)の司式により挙式しました。その後数回しかご挨拶に伺っていないこんな私のことでも、きっと神父様は入信を喜んで下さるはず、と今年に入りご報告の時期を探しておりました。ところが震災後のある日「先生が3月9日に亡くなられ、震災で延期になった葬儀が4月9日に行われます」との電話が突然あったのです。

大変驚きましたが、何かを感じました。後日、夫と共にイグナチオ教会での葬儀に参列した時は、どの方のお話も、先生の個性的で、温かく、偉大なお人柄を偲ばせるものでした。  

思い返せば結婚準備講座も、受ける時間がなく困っていると「大丈夫、問題ないで〜す。私の教え子なら、大丈夫で〜す」と、簡単にして下さいました(で、内容は余り覚えていません…)。先生は晩年、癌と認知症を患っていらしたそうです。実際には面会出来なかったのかもしれません。でも、私が3月9日灰の水曜日の夜に、藤沢教会で額に十字をつけて頂き、神妙な面持ちでいたのを、「ほら、大丈夫でしたね〜」ときっとどこからかご覧になり、旅立たれたのかなとも思います。結婚式のあの時に頂いたチャンスが、時間はかかりましたが、今回の私の受洗につながったのでしょうか。

先日の震災後、日本では未だ大変な状況が続き、また世界各地でも自然災害や諸問題が起こっています。洗礼を受けてこれからまた新たな気持で日々を大切に過ごし、神様の導きのもとで共同体の皆様とともに、世界中の人々のために祈り続けたい、と思っています。わからない事ばかりですが、少しずつ進んでいきますので、どうぞ宜しくお願い致します。

鵠沼3区 金

私の祖母は、熱心ではないが儒教を重視する仏教信者でした。一昨年亡くなった母は熱心なカトリック信者だった。母を見ていて、私は教会は時間に余裕のある人達が通うところだと思っていました。母から誘われた時も「忙しいから」と言い訳をして断っていました。

母は糖尿を病む年寄りでしたが、急に亡くなるとは想像もしていませんでした。いつも変わらず私を待っていると思っていたので、この世に母という存在が無いことが嘘のように思われました。遠く異国の日本に住んでいた私は、最後を看取れず親不孝な娘になってしまったのです。あわてて教会で葬式を出しました。朝の追悼ミサで、神父様は母について色々な事を話して下さった。ミサの後も私に神父様は「あまり悲しまないで下さい。アグネス(母の洗礼名)さんがいつも願っていた事がその通り叶えられたので祝福です。本人の願いが叶えられるという事はなかなかありません。しかも、天国の門が開く11月に亡くなられたというのは、本当に祝福された方です」とおっしゃった。母は、病で他人の世話を受けるのではなく、最後まで健康に暮らして神様の御前に立ちたいといつも願っていたのです。

私は日本に戻ってきて、母がこの世にいないとは思えず、悲しみながらも誰も出ないと分かっていて電話をかけたりしました。親孝行が出来なかった自責の念にとらわれ、何事にも意欲が無く憂鬱な毎日でした。以前父が亡くなってから、男兄弟のいない長女である私と母は、全てを話し合い、頼り合う特別な関係でした。たまに母に会うと、楽しかった事さびしかった事を本心で話していたのですが、当時何となく聞き流してしまった事がいまさらながら重荷になって苦しみました。自責の念から逃れるため心の中で一生懸命言い訳を探しました。「私は遠くに住んでいたのだから・・・」と、独り言を言い自分を慰めていました。そして、母の近くに居たのにと思って妹達を憎みました。それで妹達とも疎遠になり、電話が来ても優しくない声で出たり、調子が悪いと言ったりしました。母の事ばかり思い浮かび眠れなかったり、朝起きてから一日中母の事で頭がいっぱいで苦しい毎日でした。それが続いて心の病が体の病となり、身体が痛くなりました。誰かと一緒に居る時は笑ったり喋ったりしましたが、一人で居る時はつらく感じました。

その時教会へ行くと決心し、キリスト教入門講座に入りました。「祈りは人間に与えられた最後の資産だ。理性と知性で何も出来ない時、人間は祈りを通して救われる」と、心を込めて祈りました。「全能なる神様、私から憎しみを取り除いて下さい」。そして、4月23日復活祭の日、待ち続けた洗礼を受けました。洗礼式、堅心式、初聖体の全てが私には感動で、胸がいっぱいになりました。次の日から母がやっていた通り、家の中で一番良い所にイエス像を置いてお祈りするようにしました。

朝起きたらイエスの前でお祈りをし、イエス像を見るだけで胸がいっぱいになり、夜寝る前にお祈りをすると、私を守って下さる気がして熟睡するようになりました。地震に対する不安も無くなりました。

神様を信じる事がこんなに幸せなものなんだと考えると、母も今の私のように幸せだったんだろうと思います。母の葬儀の時、「万人の母であった」と神父様がおっしゃいました。私も母のようになりたい。

インドの国父ガンジーは、「私はイエスを愛する。しかし、クリスチャンは愛していない。なぜなら彼等はイエスに似てないからだ」と言った。私はこれが何を意味するかがわかる。行いを伴う事が、どれほど難しいかもわかる。私に出来るだろうかと疑問もあるが、母のようになりたい。遅れたけれど、母との約束を守った。天国で母に会えると信じる。今の私の心は、平和であり幸せです。妹達に電話をかけたら、「姉ちゃん洗礼を受けてから元気になったね。声も明るくていいね」と喜んでくれました。

久しぶりに夜空を見上げると星は輝いている。青いのは水星だろう。星はこれほど綺麗だったのかと思いながら、今このように生きていることを感謝しました。「この世の全ての創造物を愛し、隣人を愛することが出来るような人にして下さい」と、神様に祈りを捧げます。1年間お世話になった教会に感謝します。また毎週木曜日に横浜から藤沢まで同行してくれた主人、ヒエロニムス中村智三に感謝し、もっと愛することを誓います。私の中で信仰と愛が続きますように。アーメン

湘南台 松尾

いつか読んでみたいと願っていた聖書でしたが、その機会を得たのが今から9年前のことでした。毎回教わりながら少しずつ、しみ込むように読み進んでゆくのは何と楽しく充実したひとときであったことでしょう。帰り道はいつも清々しく、穏やかな気持ちに満たされたものでした。

「神はわたしのよりどころ、わたしの砦、わたしの救い、わたしは決してゆるがない」と聖書にありますが、私にもいわば精神の錨ともいうべき確固たるものがどうしても必要でした。何故ならこの先、生涯の後半で直面するであろう避けることのできない困難や苦しみを思うと、とても自分には耐えられそうにないと考えたからでした。そんな時にふと、前から気になっていた聖書がそれらを乗り越えるよすがとなってくれるかもしれないと思い出したのです。もうひとつ。誰しもそんなことがあるでしょうが、私も幾度か人生の岐路に立たされた時、目に見えない何かに手を引かれるようにして道を示してもらったことがありました。その時々、私は神様が行く手を照らして下さっているような気がしてなりませんでした。今振り返ると、このような出来事を通して私は次第に神様に近付いて行ったのかもしれません。ここまでたどりついたのは、いつも傍らにいて見守って下さる存在をずっと感じていたから、と思うのです。

長い道のりをこれまで導いて下さった神様に感謝し、誰ひとり知己のなかった藤沢教会で私を温かく迎え入れ、次々と手を差しのべて受洗に力を貸して下さいました全ての方に心から御礼申し上げます。そしてこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

久光

うす暗い聖堂で光の祭儀が始まり賛歌が歌われると、手にしたローソクも輝き、光の子となった思いで気持ちが高揚してきました。二年前、教会の扉をそっと叩いた私を暖かく迎えてくれた湘南台センターの方、共に歩きましょうと言って下さった藤沢教会の共同体に感謝の気持ちで一杯です。

受洗前に巡礼の旅でイエス様が歩かれた道を巡るお恵みをいただいたことで、信仰を強める事が出来ました。本当に有り難うございました。

代母を引き受けて下さった方、入門講座の担からは、愛と祈りを言葉だけでなく全体で教えていただきました。これからも祈りの道を歩いて参りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。  

2年 こうだい

ぼくは、せんれいをうけるとき、ドキドキしたけど、たのしかったです。あといちばんたのしかったのは、シャシンです。だって、おおぜいの人がぼくをおいわいしてくれたからです。かみさまのみこころにかなういいこになって、はやくパンをいただけるようになりたいです。 



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神様から託された子供たち
長後 長谷

5月1日、主のいつくしみの主日のミサの中で、我が家の次女(6カ月)が無事、幼児洗礼を受けることができました。当日は、最前列の席で親のほうが緊張していると、次女はミサ中「キャーキャー」と奇声をあげるは、長女(2歳)は「私もお水じゃー(洗礼)して!」とぐずるはで、何か感慨に浸るというよりはあたふたしているうちに終わってしまった感じです。皆様には温かく見守って頂き感謝しています。

今回は次女ということであり、迷わず幼児洗礼を選びましたが、洗礼に先立って行われた勉強会で、「なぜ赤ちゃんに洗礼を授けることを望むのですか?」という問いかけがあり、改めて幼児洗礼がどういうものなのか、洗礼そのものの意味などを考える機会を与えていただきました。我が家は夫婦ともに信者であるため2年前長女を授かった時に、子供を授かれば当然幼児洗礼をと考えていました。なので、この「なぜ?」という問いに対してなかなか答えが出ないのと同時に、洗礼の時期についても、記憶に残らない今でよいのか、もう少し物事を理解できるようになる年齢を選んだほうがよいのか、それとも子供が自ら洗礼を受けたいという意思を持つまで待ったほうがよいのか、夫婦で悩みました。結果、これから子育てをするなかで信仰を大事にしていきたいことや、普段の生活の中でも祈る習慣を作り自分たちの信仰も育てていきたいという思いから、赤ちゃんである今を選びました。きっとこの答えはイエス様が導いてくださったのだと思います。

しかし今を選んだからには、神様から親として子供の信仰をしっかりと導いていく使命をかせられました。神父様もおっしゃられたように、洗礼をうけてそれでおしまいにならないようにするにはどうしたらよいのか。とりあえず可能な限り、毎週、幼い娘たちを連れて教会に行くことにしました。現在2歳の長女は、ミサ中聖堂の周りを歩き回ったり、庭で遊んだりと、ゆっくり祈りをささげる状況とは程遠いですが、娘は毎週教会に行くことが楽しいようです。

子供を通じて教会には娘たちと同年代の子供たちがたくさんいることに気づきました。同じ信仰をもって子育てしている仲間の存在は心強いです。せっかく集っているのですから、お互い声を掛け合えたらと思います。子供たちも自分と同じ信仰をもつ友達がいることで、教会に足を運びやすくなるのではないでしょうか。騒いだり迷惑をかけたりすることもあるかと思いますが、どうか温かく見守ってください。そして時には大勢いらっしゃる子育ての先輩方からアドバイスいただけたら嬉しいです。神様から託された子供たちを、親として精一杯育てていきます。子供たちがいつもイエス様とともに歩んでいけますように。



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3部門共同連続講座第3回「レクティオ・ディヴィナ」
湘南台 押木

3部門共同連続講座第3回は「レクティオ・ディヴィナ」をテーマに5月1日(日)に60名を超える参加をいただき、「レクティオ・ディヴィナ」概要、祈りの進め方などの説明のあと、7〜8名の8グループに分かれて、ヨハネによる福音20章19節〜23節を用いてエクササイズおよび分かち合いを行いました。グループでの祈りの進行は、由比が浜教会や片瀬教会の信徒の方々や聖母訪問会のシスターにもお手伝いをお願いしました。司会進行役の先導によって参加の皆さまが素晴らしい聖書とまた神様との出会いのひと時を過ごすことが出来ました。

I.「レクティオ・ディヴィナ」概要

1.「レクティオ・ディヴィナ」は、キリスト者の霊的形成のために、古代から用いられてきた祈りの方法で、Lectio(レクティオ)= 読む、Divina(ディヴィナ)= 聖なる の意味で、聖なる読書とか LDと言われています。

2.神様に出会うために聖書をゆっくり、繰り返し行きつ戻りつ、一言づつ丁寧に触るように読みます。み言葉を、レクティオ(読む)、メディタティオ(思い巡らす)、オラティオ(神に語りかける)、コンテンプラティオ(神の前にとどまる)という4つのステップで、御言葉を深く味わいます。

3.やさしく静かな神の臨在の中に私たちが招き入れられ、自分の内なるものを見つめ、思いめぐらしながら神と共に語りあいます。

II.祈りの進め方

1.準備する物:同じ聖書(人数分)、ローソクとライター(グループ数分)

2.準備する事:司会進行役、朗読者2名、点灯係1名 を事前に決める

3.祈り方:司会進行役が、初めから終わりまで参加者をガイドする。

@ グループの心を静める(2〜3分)、初めの祈り、点灯係がローソクに火を点ける

A 朗読者1に聖書箇所を初めから結びまでゆっくりと朗読してもらう

B 参加者は、前半だけをゆっくり黙読する

C 朗読者2に聖書箇所を初めから結びまでゆっくりと朗読してもらう

D 参加者は、後半だけをゆっくり黙読する

E 心に一番印象深く感じた箇所(ことば、句または行)を心に留める

F 参加者一人一人、その箇所を三度繰りかえし唱える、3分間沈黙して自分の唱えたみ言葉をゆっくり味わう

G 参加者一人一人、沈黙で味わった神様のメッセージなどを分かち合う

H 6〜7分沈黙し、み言葉を引き続き味わう 

I 終わりの祈り、点灯係がローソクの火を消す、何かあれば分かち合う

III.エクササイズおよび分かち合い

グループに分かれて、司会進行役の先導で祈りをスタート。スムーズに進行し、和やかな雰囲気で分かち合いも行われました。ローソクの火が消えた後の分かち合いでは、参加された方々から、「あのように聖書を読んだことがないのでとても良かった」「いつも読んでいる箇所だったけれども新たな発見があった」などの感想を聞くことができました。ご協力いただきました皆様に感謝、神に感謝。

「レクティオ・ディヴィナ」のグループは現在開設されておりませんが、本年秋頃より開設の準備を進めています。なお、3部門共同連続講座第4回は7月3日に開催されます。



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特別寄稿 明治の宣教師の足跡をたずねて(6/7)
―横浜居留地から神奈川県央への巡回布教 (2) ―

鵠沼3区 高木 

近世中期、相模国のほぼ中央にある荻野川の北、愛甲郡中荻野村に天明4年(1784)以来83年間、荻野山中藩(大久保家1万3千石)がありました。陣屋跡には現在も「荻野山中城蹟」の碑があります同じく愛甲郡上荻野村周辺には享保13年(1728)以来139年間、下野国烏山藩(3万石)大久保家の飛地1万石がありました。陣屋は厚木宿にありました。現在の厚木神社の北隣りでした。

いずれにしても中荻野村、上荻野村には小田原藩主大久保家の分家がありました。いわゆる、それら2村は大山道、中原道、矢倉沢往還道が交差していて交通の要衝でした。勿論安政5ケ国条約による横浜居留地外国人遊歩規程範囲内であったため明治8年(1875)11月2日から外国人の旅籠屋への宿泊も自由になりました。従って横浜居留地の外国人宣教師が巡回しないわけはありませんでした。

その時代、荻野村、厚木宿、秦野周辺には次のような信者がいました。

明治17.1.17 愛甲郡荻野村
  霊名不詳 スゲウオ ウタ   
  霊名不詳 スゲウオ ヒデタカ  
  霊名不詳 スゲウオ ワト  
明治18.8.10   大住郡西田原村
  霊名不詳 石渡 清吉  
明治18.10.11 大住郡西田原村
  マリア 村井 ミツ (24歳)
  霊名不詳 北島 徳次郎 (年齢不詳)
明治18.10.12   愛甲郡荻野村
  ヤコブ 山口 勝太郎 (6歳)
  ヨハネ 山口 鉄次郎 (3歳)
  ヨゼフ 山口 信太郎 (20歳)
  マリア 山口 サダ (20歳)
明治19.3.16 愛甲郡荻野村
  霊名不詳 山口 花冶 (年齢不詳)
明治20.7.9 大住郡(現 伊勢原市中尾)
  霊名不詳 関口 久太郎     
  霊名不詳 関口 庄之助  
  霊名不詳 関口 佐七郎  
  霊名不詳 関口 アイキ  

その頃、厚木仲町にメソヂスト教会がありました。言い伝えによると明治30年(1897)頃相模川での洗礼式で1人の子供が亡くなったということでした。そこで教会を閉鎖したためカトリック教会が受け継いだということです。その後教会はガード下から厚木町2633番地へ移った様ですが、余り発展しないまま閉鎖されたようでした。

その時代、宣教師の日記や記録によると用田、遠藤、大庭、羽鳥、俣野、藤沢、小和田、彌勒寺、片瀬、鎌倉などにカトリック信者がいました。明治5年(1872)2月から人民の戸籍簿に宗旨が記載されました。その記載が明治17年(1884)10月に廃止されました。いわゆる壬申戸籍簿と言われるものであり僅か13年間の記録でした。それらは現在全国の市町村役場に保管してありますが、昭和43年(1968)3月4日法務省通達により閲覧禁止となっています。ですから以上は個人情報ではなく外国人居留地の歴史と研究の一環として記したまでのことです。



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国際部の紹介
国際部部長 鶴田

国際部はトゥ神父様のご指導のもと、現在 ベトナム、フィリッピン、南米 韓国のコミュニティの方たちで形成され、何人かの日本人も参加しています。

第2日曜11時からミーティングを開き、教会活動の打ち合わせの他、時に国を超えて賑やか、かつ、感動的な分かち合いも行われます。それぞれ文化やことばは勿論、コミュニティーのあり方も違い、外国人とひと括りには出来ませんが、確かなことはいまや外国人信徒はよそ者でなく、私たちと「ともに生きる仲間」です。支援も必要ですが、日本人が学ぶところ、助けられることも多いのです。それぞれの文化とことばの尊重と日本への適応のバランスをとりつつ、もっと教会の活動に入り込んで、ともに共同体を造っていくことが願いです。

最後に「国際部は英語が出来ないとだめ」という風評被害?に悩まされています。英語を話されるのはフィリピインの方だけで、「公用語」は日本語です。どうぞお気軽にお立ち寄りください。

外国人コミュニティー紹介(今後シリーズで掲載する予定です)

フィリッピン・コミュニティー

・ 人数は、月2回の英語ミサに出席する120〜150名。聖歌隊は20名ほど。バザーなどの行事参加の中心となる人達は約10名

・ 使用言語は、タガログ語、英語そして日本語。特に集中している居住地区はない

・ 典礼・教会行事への参加は、英語ミサ主体で、主日のミサ(聖歌、朗読なども)、バザー、福祉バザー、ガーデンパーティーなど

・ お国料理は、バーべキュー、マハブランカ(甘いコーンスターチにココナツミルク)、サンミゲルビール

・ 藤沢教会について(複数の方に聞いてみました)

(1) 外国人信徒の疎外感もよそ者扱いもなくなってきて日本人信徒と良い関係にあると思う。しかし、もっと日本人とコミュニケーションを取りたい

(2) 日本人の信徒でミサの時、聖体拝領だけもらう人がいるが、フィリッピンでは許されないことで驚いた

(3) 聖堂は昔の木の椅子が良い。ひざまずけるともっと良い

(4) 現在仕事などで教会に来ていないフィリッピンの人々が、もっと教会で親睦を深め合い、ミサの大切さに気付いてほしい

・ コミュニティーのリーダーの方々を紹介します(敬称略)

* エリザベス(通称ミヤ):88来日、直ぐ当教会のメンバーに。91結婚
* マリフィー(通称マリ):89結婚、来日。93より当教会メンバー
* エレーナ:87来日。89当教会メンバーに。94結婚
この3人とも日本人と結婚、ともに3人づつお子さんがいらっしゃるそうです

* エドウィン:97来日。98鎌倉雪ノ下教会から藤沢教会に移籍。奥様は日本人です

Outline of the International Department in Fujisawa Catholic Church

International Dept. Mitsuko Tsuruta

The International department in Fujisawa Catholic Church is formed by the Communities of Vietnamese, Philippines, Latin Americans ,Koreans and some Japanese ,under the guidance of Fr.Tu. We have the meeting at 11:00 AM every 2nd Sunday to talk about the activities in the parish and share the experiences and feelings of everyone. in Japanese life.

Each community has different language ,and culture different from Japanese. But now in the churches in Japan , the immigrants are not “foreigners” but they are a company who live together. Of course, the immigrants need help to live in Japan, but they give Japanese so many things. We hope the immigrants join the Japanese community more and form a Christian Community together, balancing the respect of the cultures of each communities and the adaptation of Japanese life.

Introducing International Communities in Fujisawa Catholic Church (we introduce other communities in subsequent issues).

Philippine Community

Number of the community members: 120〜150 who attend English mass including 20 Chorus members and about 10 leaders who work at Bazaar and other church events.

Spoken language: Tagalog, English and some Japanese.

* Church events:They mainly attend English mass. Also mass on Sunday and church events as bazaar, garden party.

* Home country dish: barbecue, majablanca (sweet cornstarch with coconut milk), San Miguel beer

* Their comments about this Church

(1)The Japanese parish members are kind to immigrant members who, however, would like to have more communications with Japanese members.

(2)It is surprising that some Japanese parish members attend mass only at Communion that is never allowed in Philippine.

(3)Hope to have wooden chairs with kneeling-down in the Chapel.

(4)More Philippines hopefully attend mass and join the community to promote our friendship

*Community leaders

* Elizabeth (Mia) : Came to Japan and became member of this Church in ’88. Got married in ’91
* Mrifi (Mari) : Got married and came to Japan in ’89. Became member of this Church in ’89
* Elena : Came to Japan in ’87.Became member of this Church in ’89. Got married in ’94
All the three ladies get married with Japanese and have three children each.

* Villa : Came to Japan in '97. Moved to this church from Kamakura Yukinosita church in '98. His wife is Japanese



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キジト神父様より
(以下カードの文面です)

浮田様と友人の皆さま

日本に起こったことに対してお見舞い申し上げます。浮田様と関係者のみなさまにお見舞いのメッセージをお送りします。もっと早くお手紙をしなかったことをお詫びいたします。長引く乾期のために非常に忙しくしておりました。たくさんの草木が燃え、水源がみな干上がりました。多くの子供たちが脱水と栄養不良で死の危機に瀕しています。今やっと雨季が始まりました。マラリアとコレラが例年のように襲って来ないように祈ります。

ヘンリーは法学部の最終学年です。今彼は大学で、私は避難民居留地で、遠く離れておりますので彼のメッセージを同封できません。が、すぐに彼からも連絡があるでしょう。

あなた方の愛、配慮を本当に有難うございます。私たちへの寄付金のおかげで私たちはお話ししたような苦しみを乗り越えられるのです。皆様に最高のイースターを!

(以下4月4日付け手紙の文面です)

深い哀悼の気持ちと大きな衝撃を抱きながら、私たちは東日本のそして福島を襲ったこの壊滅的な地震と津波の知らせに接しています。日本がそして日本の人々がこのようなひどい大災害を経験しなければならないとは本当に遺憾なことです。

しかし皆様のこのたびの苦しみが私たち自身の苦しみであることを信じてほしいです。私たちの愛と祈りは日本の皆さまと共にあります。特にこの四旬節、ご復活祭の聖なる季節に!イースターが信仰と希望のうちに新たな生活と共に心の落ち着きが一刻も早く取り戻せますように。



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テゼ共同体と連帯して開かれている黙想と祈りの集い

テゼ共同体は、ブラザーロジェによって1940年にフランスのテゼという小さな村で始められたカトリックとプロテスタントを出身者とする観想男子修道会です。

1950年代後半からヨーロッパをはじめ、アジア、アフリカそして世界中から青年達がテゼを訪問するようになりました。言葉、文化。習慣の異なる青年達と、どうしたら共に祈れるかということを模索し生まれたのが、詩篇や福音のなかの短い言葉を繰り返し歌うという祈りのスタイルでした。分裂した世界と教会の一致のため、また困難な状況にある国々のために祈り働いておられるブラザーたちと連帯している祈りの集いが日本にもたくさんひらかれています。

集いでは、音符の読めない人や子供たちも祈りに参加できるように、基本的に楽譜はなくリードする人のあとについて歌います。歌を挟みながら詩篇や福音を聴き、そして短い沈黙、共同祈願を捧げます。

湘南方面の集いは、2006年の1月から藤沢教会、片瀬教会、藤沢聖マルコ(聖公会)この3つの教会で月に一度順番に開かれ20〜30人が集まっています。カトリック、プロテスタントの教派を超えた祈りの場は本当にめぐみだと感じます。集いの後のお茶の時間では、典礼のこと、教会で起きていることなど分かち合う機会もあり、お互いの伝統を知り、大切にできることを感謝しています。

毎年テゼのブラザーが日本を訪れてくださり各地で黙想や祈りの集いが行われます。昨年11月には藤沢教会でもブラザーとともに祈る集いがおこなわれました。テゼの祈り歌は短い言葉を繰り返し歌います。何回も何回も繰り返すうちに、自分の内側の深みへと降りてゆきます。そこにはあまり意識したくない傷ついた闇の部分かもしれません。「こんなわたしなんです」そう言って神様の御前に自分を差し出す時、一筋の光が見えてくるそんな祈りの時です。



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結婚セミナー

結婚をお考えのカップルの皆様。

お二人の結婚生活がより豊かになる事を願い、結婚セミナーでは全5回のプログラムを用意しています。対話の練習や先輩ご夫婦の体験談などを通して楽しく学んでいただけますように準備しておりますので、是非ご参加ください。

次回は9月3日(土)からを予定しています。尚、お申し込みは2週間前までにお願いいたします。お問い合わせは教会事務所まで。



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この大災害におもう
辻堂2区 益満

東日本大災害から2カ月が過ぎたが、原発事故レベル(INES)は7のままであり、この大地震と大津波の惨状はひときわ凄まじいものであった。仙台に友人を見舞い、そして被災地・避難所を訪れたが、そこでお会いした被災者の方々は明るく力強く、その気丈さに感動を覚えた。通過した福島県内の駅は心なしか閑散としていた。

ハンラッティー神父の「良かったことの祈り」を学んで以降、人が悪いと思うことにも何か神の良い啓示があるのではないかと考えることにしている。

今回は2つのことを思った。1つはこの大災害以降「人をおもう心」が急速に広まっていったことである。災害を受けた方々のために何かしたいと、みなさんも義援箱にそっと手をのばしたかのではないだろうか。これは世界的な広がりをみせ、これを機に国の異なる人々の相互理解が深まるかもしれないという識者もいる。「愛」が国境を越えた広がりをみせるとすればキリスト者としてはうれしいことである。―イエスの言う「愛」とは、悲しみを知ること、仏教の「慈悲」と同じく悲しみを共有し、悲しみにおいて連帯すること(山形孝夫教授)―それから計画停電を機に節電→節約→質素という忘れかけたことばが復活しているようだ。学者は経済に良くないなどと言うが、贅沢を止め、物欲を押さえて生きることは神の教えに従うことだろう。

2つ目は福島原発事故についてである。ちなみに日本に於ける地震による原発事故の危険性について、当教会のメンバーである浮田久子さんは25年まえのチェルノブイリ事故発生の直後に、その論文(「平和の叫び・原発をやめよ!」)の中で明確に警告しておられる。その慧眼は誠に敬服に値する。これまで人は排ガスにより自然環境を破壊してきた。核の灰でこれ以上地球を汚して良いのだろうか。「想定外」の一言でこのような悲惨な人災を再び起こして欲しくない。これを機に科学の行く方向、原子エネルギーへの過度の依存の見直しが行われ、自然エネルギーの利用が進めば良いと思う。ようやく国にも方向転換の兆しが見えてきたが、これを我々の力で押し進め、更に核兵器廃絶への道につながることを望む。この災害を機に我々の「平和の祈り」が少しでも通じることになれば、これぞ神の計らいの深遠さと言えるだろう。

―神の心に結ばれて生きようとする信仰者が、困難の中にいる人を支え助けようとするのは当然のこと。そこに止まらずその社会の制度や仕組みに向って声をあげ、人々の良心に訴え、その変革を求めていくことも大事なことである(森一弘師)―

この大災害を通じ、神の教えについて一人ひとりが改めて考え、世界中で「平和への祈り」が少しでも強まれば良いと、信心浅き私でさえも願う今日この頃である。



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ガールスカウト入団式

5月8日(日曜日)9時半ミサにおいて、ガールスカウト神奈川県第105団の入団式が行われました。

シンボルのチーフを祝福して頂いてから、2名の新ブラウニーが「やくそく」を元気に唱えました。カトリック藤沢教会共同体の皆さんの大きな拍手の中でのあたらしいガールスカウトの誕生は大きなよろこびです。お姉さんブラウニー2名とともに、楽しい活動をしますので温かくお見守りください。

またガールスカウト活動に興味や関心がおありの方はいつでもご連絡ください。



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がりらや便り

恵みの雨の季節が近づいてまいりました。心静かに祈るには最適でしょうか?先日列福された前教皇ヨハネ・パウロ二世のポストカード、クリアファイルなど列福記念商品が届いております。また好評のサンパウロのセラピーシリーズに新たに「結婚生活セラピー」「健康回復セラピー」が加わりました。お立ち寄りください。 


「これからの教会のありようを考える」
森 一弘 著   女子パウロ会 1,260円  

第二バチカン公会議から現代の教会までの歩みをたどり、今の日本で政治とかかわるヒント、社会における宗教の役割など今私たちがとまどい悩む問題に、森司教の深い示唆が与えられます。キリスト者として教会の中で、この社会の中でしっかりとした確信をもって生きていくうえで是非読みたい一冊です


「平和の使徒ヨハネ・パウロ二世 希望と愛をたずさえて」
中井俊巳 著  ドン・ボスコ社 777円

積極的に世界各国を歴訪し、戦争や暴力に勇気ある反対の声を上げ、すべての人間の尊厳と人権の尊重を訴え続けた前教皇。その生い立ち、世界中で伝え続けた愛と勇気の言葉を通してその人間的な魅力と信仰の強さを伝えます


「までいの力」
「までい」編成チーム編  SEEDS出版  2,500円

福島県の小さな美しい村「飯舘村」が自分たちのモットーである「までい」(手間ひま惜しまず、丁寧に、つつましく)な村の生き方を紹介した本。本の発行直前に震災に見舞われ、原発事故の影響で避難を余儀なくされた村の方々の支援にもなります。






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4/2(土)に予定されていたヴァイオリン&ハープコンサートの演奏者からのメッセージ

4/2(土)に予定されていたヴァイオリン&ハープコンサートの演奏者から次のようなメッセージが届きましたので報告します。

藤沢教会の皆様へ

4月2日、藤沢教会で開催予定のコンサートを中止したことは真に残念で心からお詫び申し上げます。 私たちは3月31日に日本に向かう予定にしていましたが、大使館そして航空会社から日本への渡航はしないように忠告され断念せざるをえませんでした。

私の大好きな叔父、ビード・クレアリー神父(聖コロンバン会司祭、2005年帰天)が50年以上もの間奉職していた日本を訪ねることは私たちにとって特別意義深いことでしたし、皆様と一緒に復活祭を祝えることも楽しみにしていました。

またいつの日か日本を訪ね、皆様にお会いできることを願っています。 

最後に私たちのコンサートの準備にかかわってくださった方々に厚く御礼申し上げます。

ダビデ・モンティ
マリア・クレアリー



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