八 角 形 に ゅ ー す

2011年7月13日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

「善魔について」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会委員長 牧野

教会委員会報告(6月18日)

第2回共同宣教司牧フォーラム報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宣教部長 岡田 

献堂百年の聖地巡礼の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 辻垣

藤沢ブロック集会(新人歓迎会)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 谷 

「ティエン神父様訪問と教会見学」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 笠島

東日本大震災応援チャリティサマーコンサートのお知らせ

野菜購入にご協力ありがとうございました・・・・・・・・・・・・・・・・・ネットワーク・ともに

東北大震災被災地でのボランティア活動に参加して・・・・・・・鵠沼2区 小藤

「原発事故と今後」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北1 小林

小出裕章氏講演のDVDを観て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 緒方

特別寄稿 明治の宣教師の足跡を訪ねて (7/7)
―横須賀製鉄所とフューレ神父(1)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

手芸部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台センター手芸部一同

がりらや便り

鈴木神父の川柳(続11)

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「善魔について」
教会委員長 牧野

crownあまりなじみがないかもしれませんが、「善魔」という言葉があります。山谷で働かれていたフランシスコ会の中谷功神父のお話で知りましたが、元々は遠藤周作氏の造語のようです。身勝手な善を他人に無理矢理押しつけることで、良い人が良いことをしようとしてはまる罠です。自分の善意はまちがっていない、まちがっているのは相手であると確信してしまい、結果として相手に迷惑をかけてしまうのです。遠藤周作氏の著書の中では、その原因として、相手の心情への配慮が不足していること、自己満足を求めすぎることがあげられています。また、善魔の特徴は、自分以外の世界を認めないこと、自分が絶対であると思い他人を裁くことであるとされています。

「黄金律」という言葉もあります。多くの宗教で同じ趣旨の言葉がありますが、キリスト教では「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイ 7-12)となっています。自分ではなく、相手が何を望んでいるかが大切なことです。自分主体の発想は危険な面があります。「かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』(マタイ7-22〜23)」というような事態にならないようにすべきです。

事を始めるに当たっては、静かに目を閉じて、自分を空にして神の言葉を待つ時間を取りたいと思います。自分がしようとしていることは、神のご意思に沿ったものか、それとも自分だけの意思かを思い巡らす機会を持つように努力したい。上から目線の独善的な使命感に裏打ちされた行動を取っていないか反省したいと思います。四六時中というわけにはいきませんが、聖フランシスコに倣い、できるだけ祈っていたいと思います。「主よ、あなたの業を行うための道具として私をお使い下さい」と。時として悪魔より質の悪い善魔にならないように。慈善が偽善にならないように。



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教会委員会報告(2011年6月18日)

<報告事項>

1.合葬の園(第2回管理委員会)

第1回目に引き続き、6月4日に長期管理計画を話し合った。建物維持管理費は30年間で600万円(年20万円平均)が見込まれる。最初の10年はほとんど掛からないので、その間の管理費は積み立てに回す。次回は7月に半年目の検査を含め、現地で行う

2.財務関係

東日本大震災支援金について、6月12日ミサ終了時点で、220万円となっている(その他に50万円は送金済み)。直接的に早く届けるための手段を検討している

3.営繕 

・ センター3階の水漏れと水道施設の経年劣化などの修理をする。予算21万円。(承認された)
・ 聖堂の瞬間湯沸かし器を交換した。劣化により、着火不全が起きていたため
・ センター厨房のフリーザー故障を修理する
・ ヘルメットは10個追加購入をする
・ コピー機を交換する(カラー中古機への交換)。2色カラーをとることが可能(1枚10円)。フルカラーは40円

4.初聖体

今年はフィリピンコミュニティー(6月19日)と日曜学校(6月26日)の初聖体が行われる

5.震災支援コンサート

6月28日マンドリンと歌をセンターホールで、7月9日大船教会主催による太鼓とギターと歌、7月24日は福祉部主催の「東日本大震災サマーチャリティコンサート」弦楽アンサンブル、マンドリン、ブラスアンサンブルを9時半ミサ後行う

6. 防災訓練

9月11日9時半ミサ後地震発生を想定した防災訓練を行う
9月4日には救急救命講習会

7.その他

・ 現在品川にある共助組合本部事務所を藤沢教会の共助組合事務所内に8月から移設する。平日(月/火)に活動をする。事務局長は大船教会の花川さん
・ ガーデンパーティーは今年も賛否両論有るが開催する方向で検討している。開催するとしたら8月7日(日)(予定)の夕方が候補
・ 聖水盆が欲しいとの要求が多い。衛生的な問題もあるので、何かアイデアがあるか?

<ブロック・活動部>

(鵠沼)パイプ椅子下の荷物置き場をしっかりとしたものにして欲しい

(辻堂)10月16日に開催する予定のバザーに向け、企画委員会を立ち上げて、準備をスタートした

(北1)5月26日宮寺教会などを巡礼してきた
7月2日にイエズス会英神父を指導者に聖園本部修道院にて黙想会を開催する

(北2) 6月15日に新子安と菊名教会を訪問。詳細は八角形ニュースに報告

(宣教部)
共同宣教司牧フォーラム
6月5日にカトリック中央協議会の有村氏による「司祭減少下での共同宣教司牧」をテーマの講演が有り、約70名が参加。藤沢教会でも司祭と共同で働く体制を構築する必要があり、10数年後の司祭減少を見据える必要がある
・ 湘南キリスト教セミナー
6月11日、鍛冶ヶ谷教会にてイエズス孝女会のシスター小野の「愛の伝わるかかわり方」をテーマに講話とロールプレーを行った。日常のコミュニケーションで意思疎通の鍵となる「聞く」ことをテーマにしたロールプレーは好評であった
・ 3部門共同祈り伝え証しする力を育てる連続講座
第4回は7月3日(日)9時半ミサ後聖堂にて「ベテスダの池で祈る  イメージを用いて」
・ 湘南台センター
5月28日にミニマーケットを催した。また6月11日に自然エネルギー・太陽光発電勉強会を開催。6月18日には、湘南台東口商店街のフリーマーケットに参加
・ キリスト教講座担当者会
第5地区講座担当者のための黙想会を8月27日(土)10時より大船教会で久我神父を講師に予定している

(典礼部)
・ 平日のミサのない日には「教会の祈り」を皆で行っている
・ 5月22日先唱と朗読の研修を開催
・ 通夜・葬儀には、共同体の一員をお送りすることなので是非できるだけ多くの方が参加して欲しい
・ 11月には通夜の祈りを信徒だけで出来るやり方を考えていきたい

(教育部)
・ 栄光学園で予定した第5地区共同運動会が大雨警報で中止となった
・ 第5地区夏のキャンプは8月19,20,21日に静岡聖光学園で開催予定

(国際部)
・ 外国人向け救命救急講習については、9月4日の福祉部主催の救急救命講習会に参加する
・ 今年は諸般の事情からフィリピンコミュニティと日曜学校の初聖体が別々に行われたが、今後はできれば共同体として一緒にできないか考えていきたい

(福祉部)
震災支援のためベルマークを集めている。教会事務所に箱を設けている

<話し合い事項>

有村氏の講演を受けて、教会委員会での短期/中期/長期ビジョンの話し合いをスタートした。次回の教会委員会でも引き続き話し合う



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第2回共同宣教司牧フォーラム報告
宣教部長 岡田

6月5日(日)9時半ミサ後、14時30分まで第2回「共同宣教司牧フォーラム」が開催されました。有村浩一氏(カトリック中央協議会 新聞事業部)の講演「司祭減少下での共同宣教司牧」には約70名、分かち合いには約30名が参加いただき、共同宣教司牧に向けた取り組みについて熱心な質疑応答と分かち合いが行われました。また大船教会から伊東委員長にも参加いただきました。

1.有村氏講演

まず、受洗者は80年代以降、2000年大聖年を除き長期低落傾向にあること、2006年時点で外国籍信徒を加えると横浜教区が日本最大の教区であったこと、日本の司祭数は信徒1万人あたり34人と世界で最も恵まれており、これは戦後の中国共産化による外国人司祭の流入、邦人司祭の育成によるものであるが、高齢化は着実に進んでいること等がグラフでわかりやすく説明された。

続いて全国の共同宣教司牧の現状について話された、「共同宣教司牧」(チームミニストリーの初期の訳語「共同司牧」に現状の信徒のお世話に止まってはいけないと「宣教」が付け加わった)の意味が教区によって様々に捉えられている(司祭チームによる司牧、司祭・修道者・信徒の交わり、修道者のスタッフ任命)。しかし、小教区(単数・複数)として福音宣教の使命を果たす上で、計画・実施・評価・見直し(PDCA)プロセス全体を、司牧者チームによって共同で話し合いながら決定し、行うことが基本と考えるべきである。また司牧者不足を「複数司祭の協働」に直結するのでなく、「複数教会司牧」すなわち1人の司祭が複数教会を司牧することを基本に考えるべきである。司祭はこれまで個人商店主、一国一城の主であったが、複数教会司牧に移行するとき司祭は人を使うこととなり、課長・中間管理職の役割をこなさなければならない。

米国では5年以上前から、「複数教会司牧」プロジェクト(Multiple Parish Pastoring Project)が始まっている。これは2000年から07年の間、米国のカトリック人口が8%以上増えた一方で、司祭は8/55%減っていることを背景としており、この傾向は今も継続している。各教区が実際に取っている対応は、
1)小教区閉鎖
2)より大きな小教区の新設
3)修道者・終身助祭等の小教区調整員(Parish Life Coordinator)への任命
4)外国籍奉仕者の任用
5)複数教会司牧へ司祭を任命
の5つである。

この移行期において、識別のために祈ること、予測される変化で影響を受ける人たちを巻き込むこと、彼らの悲しみを受けとめ愛のうちにそれに触れること、典礼を癒しと慰めのための司牧的ツールとして利用すること、司祭・スタッフ・信徒代表らのために養成を行うこと等が考えられた。 また移行にあたって、司祭の役割は当然大きく、祈りの活用、存在感・チームとの協力、コミュニケーション、司牧計画、プロセスの透明性・紛争処理・共同体づくり、権限委譲、管理運営(人事、財政)、自身の時間・ストレス・健康管理をやっていかなければならない。

司牧的ケアチーム(Pastoral Care Team)は、司祭、信徒奉仕者、修道者、終身助祭で構成される。ベストの人選をしなければならない一方、経済的問題もあって有給スタッフでなくボランティアが選択される場合が多い。能力があるから選ばれるよりも、時間があってやりたい人が選ばれることも多い。

いずれにせよ、複数教会司牧への移行期間は、組織の混乱、抵抗、過去の邂逅、先の見えない不安で一杯であり、少なくとも1年半から2年はかかるので、共同体と参加に関する新しいセンスが必要になる。
1)司祭とスタッフのよいコミュニケーション
2)奉仕職の安定性
3)司祭が人と協力する技術・経験のレベル
4)スタッフの養成
5)スタッフの監督
がポイントとなる。スタッフは担当する複数教会のビジョン、司牧の現状を共有する必要がある。

成功のための具体的要件としては、
@共通の目標文書(ミッションステートメント)と優先課題
A「私の教会」から「私たちの教会」への変化の励まし
B運営原則としての奉仕者性(賜物を分かち合う、自分の力でなく恵みの自覚)
C小教区の生き残りでなく、成長が目標
D各小教区の必要性とブロック全体の必要性とのバランス
E活力ある奉仕者からいのちを与える奉仕が生まれるので、司祭は適任者に権限を委譲する
F会員でなく弟子となるよう、すべての信徒に積極的参加を呼び掛ける。

成功した取り組みとしては
@司祭の自己ケア(霊的・身体的ケア、生涯養成、賜物は生かし不得意分野は協力する)
A成功例の相互紹介・標準化(人事、会計、ソフト、典礼、小教区報、委員会等運営方針等)
B小教区間のコミュニケーション、協力、共同体の確立(ブロックの命名、共通教会報、合同ウェブサイト、新規行事、新規計画、霊的・信仰養成の機会の共有、行事参加のための自動車の相乗り、会議電話の活用等)
C評議会/委員会が一堂に会して評議会/委員会ナイト、ブロック合同評議会/委員会、ブロック総会
D財政(共同購入や支払いのとりまとめ)
E典礼と秘跡(大祝日の取り扱い・合同か各小教区か、小教区典礼調整員parish liturgy coordinatorの配置と養成、合同聖歌隊、信徒の典礼奉仕者養成、秘跡のための準備講座、共通歌集・典礼ガイド等)
Fその他(司祭の管理運営時間を減らす目的での事務長の雇用、正義・公平・奉仕者性に基づく全体のプロセスの見直し)
G教区による支援(司祭減即スタッフ雇用政策、訓練の提供、司祭相互支援チームの組織化)
が挙げられている。

日本の複数教会司牧への提言として、信徒も含めた「小教区調整員」を教区が任命すること、スタッフとなる修道女・信徒の審査・採用・任命、雇用形態・養成方法など、教区で対応していく必要がある。

藤沢教会への提案として、第5地区は各小教区に司祭がいるので複数教会司牧はまだ先、藤沢は信徒が多いから最後まで司祭はいると思っているかも知れないが、10年後を見据えて、たとえば第5地区にも司祭が二人しかいないとか、住環境のよい教会に司祭が住む可能性があるとか想像してみて
@藤沢教会としての短期・中期・長期のビジョン
A信徒養成を継続し、将来を担う30・40代を巻き込む、奉仕職への理解を深める
B信徒の各活動の連携を深め、司祭が今行っている仕事を共同で担う体制を構築することが必要である
との話があった。

講演後の質疑では、小教区の現状で全くやってないことを共同宣教司牧の名の下にすぐに無理して取り組むことはないとの話や、司祭が複数教会を兼務する場合も各小教区の運営は全く別とすれば連絡会議が増えないのではとの意見があった。

2.小グループの分かち合い

○講演を聞いての気づき

・ 共同宣教司牧の意味の多様性
・ 世界の中で日本は信徒数に対して司祭数がダントツに恵まれている
・ 長い目、広い視野で教会のことを考えられた
・ 教会としての目標・ビジョンを持つことが大事
・ 10年後を見据えていくことは賛成
・ 生き残りより成長が大事
・ 教会の決定に信徒が参加することの大切さ
・ チームで動くことは、藤沢教会でもできる
・ 司祭が信徒にまかせることの重要性
・ 若い世代の養成。奉仕者意識の育成
・ 識別していくための養成
・ 司祭は転勤族、土着民である信徒が役割を果たしていかざるを得ない

○疑問

・ 外国人司祭は司教様の考え方を理解していないのではないか
・ 若い司祭をどのように養成していくのか
・ 司牧者チームはどのようにつくっていくのか
・ ビジョンを誰がどのように決めていくのか
・ 外国籍信徒との共同宣教司牧の進め方がわからない
・ シスターとの共同はむずかしい
・ 高齢化に伴い、活力ある奉仕者が少ない
・ 年寄りが教会を動かしている
・ 今ある問題に目を向けることで十分であり、先のことは解決法が出てくる

○藤沢教会で実現されていること

・ 事務長の雇用
・ 人材、信徒数
・ 信徒養成(各種講座・祈りの会)
・ 活動部・ブロックなど、様々な活動・奉仕
・ 信徒をコントロールしない主任司祭

○足りないこと

・ 危機意識(現状満足に陥っている)
・ 教会としてのビジョン・共通ミッション
・ 地区内の小教区のつながり
・ 信徒の活動の横の連携
・ 若手の活動への参加、役割
・ 外国籍信徒・若い人の養成
・ 社会問題への関心
・ 分かち合い
・ 共に祈ること
・ 新たな方への声かけ
・ ほめあうこと、評価すること
・ 奉仕者の精神性

○私がありたいこと

・ 活動部・ブロック活動に参加する
・ 第5地区の他の小教区との交流
・ 神様を知らない人へのお手伝い、宣教に関心を持つ
・ 神の愛の体験の分かち合い
・ 聖書の分かち合い
・ 若い人の養成
・ 日曜学校の保護者への呼びかけ
・ 若い人にまかせ、年寄りは身をひく
・ 自分の信仰のあり方を模索しながら、置かれた場でできることをする
・ 世俗的成果ではなく、小さいことの実行・積み重ね
・ 聖霊の導きに敏感になる
・ 野に咲く花でいたい
・ 今まで通り、ありのまま
・ まだわからない

3.まとめ

有村氏より「これからも共同宣教司牧の多様性は変わらない。各教区・地区で解決法を見出していくしかない。藤沢でできていることは多いと思うが、先駆けとして、ビジョンづくり、識別のための養成、奉仕職の研修等に取り組んでもらいたい」との話があった。

宣教部長より「藤沢教会では若い人の養成・教会運営への参加、外国籍信徒との一層の連携、第5地区では様々なレベルでの交流が課題となると思う」との話があった。

最後に鈴木神父より「顔がつながるとおしゃべりができる。横浜教区は司祭不足と関係なく、共同宣教司牧に取り組む。小教区のビジョンをつくる場合、地区とのつながりを意識したものにしてほしい。みんなの意見を参考にリーダーがまとめていく形がよいだろう」との話があり、聖母マリアへの祈りを共に唱えて終了した。



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献堂百年の聖地巡礼の旅
善行 辻垣

5月26日青葉の武蔵野に教会の歴史の跡を訪ねる旅に参加しました。総勢28名、北1ブロックだけでなく他の地区の方々も参加されました。バスの中での祈りに始まり歴史学者、高木一雄氏の名調子で明治の宣教師の足跡がいかに困難を極めたものであったか、明治6年(1874)布教が自由になり横浜居留地からパリ外国宣教会の神父さん達が「絹の道」を歩いて八王子を中心とした三多摩地方を布教なさったことが話されました。

8時教会出発、10時東京教区八王子教会到着、戦後再建された木造バジリカ様式の美しい教会でした。スータンを召した柳川神父のご挨拶を得て次の泉町教会(旧八王子教会)へ向かいました。20坪ほどの素朴な切り妻の緑青の屋根と鐘楼を備えた玄関が、暖かく迎えてくれました。長崎にある木造教会の雰囲気があり、赤と淡いブルーの色ガラスと創建時のマリア像とヨゼフ像が印象に残りました。

次は本日のハイライト宮寺教会です。この教会と泉町教会は双子のように良く似ています。バスから降りおいしい昼食を頂いたあとに岡を下ると赤い鐘楼の宮寺教会です。ここを本部とする「イエスの小さい姉妹友愛会」のSr.マドレーヌら3人と高木さん夫妻の愛娘のSr.高木(マリアの娘エスコラピアス修道女)と2人のヴェトナム人の修練女が迎えてくれました。浅野さんの先唱でロザリオを1環と東日本大地震で受難された方々のために一同心を込めて祈りました。

宮寺教会

宮寺教会は一見泉町教会と同じ平面であり外観ですが献堂当時のオリジナリティは高く、びっしりと畳が敷かれ、木造真壁構造で杉の腰板、壁は漆喰塗です。天井は杉板竿縁天井で長押しもあり民家の特徴を受け継いだ親しみのある空間です。屋根はいぶし瓦葺きで隣接するかつての伝道所と一体感があります。この伝道所で当初はミサが捧げられたようです。100年前の献堂を当時メーラン神父(パリ外国宣教)はどんな気持ちで迎えられたでしょう。

最後は埼玉教区の川越教会を訪問しました。コンクリートと木造屋根の現代建築でしたが旧聖堂の鐘楼が中央に再現され、小江戸川越のイメージを伝えていました。祭壇の後壁に嵌め込まれたカルパンティエ神父の4枚のステンドグラスが印象的でした。信徒の方々と交流し、その後川越の街を散策して帰路に着きました。

ヨーロッパ石造のゴシック教会の圧倒的高さと威厳とは異なる日本の民家の木造の素朴さと暖かさを改めて感じた巡礼でした。世話役の北1ブロックの役員の方々、八木京子さん本当にハレルヤ!です。



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藤沢ブロック集会(新人歓迎会)
藤沢1区 谷 

5月29日(日)復活節第6主日のごミサのあと、10時40分から藤沢ブロック集会が行われました。この日の集会は今年新たに受洗(転入)したブロックメンバーの歓迎会ということで、私ども新人をご招待いただきました。折からの台風2号接近に伴う雨の降りしきる中、総勢69名の方々が出席され、和やかな会となりました。会場のセンターホールいっぱいに、1区から3区まで、それぞれにきれいに配列されたテーブルには昼食のお弁当やお菓子、デザートまで並べられて、お忙しい中を準備して下さった先輩信者の皆さんの温かいお心づかいの伝わってくるしつらえでした。

司会は古澤さん、ブロック長の萩田さんのご挨拶で始まり、新人一人ひとりの自己紹介へと続きました。それぞれが半分緊張しながら受洗の理由や、いかに受洗の日を待ち望みやっと願いがかなった感激などを、皆さんの前で話されると、会場からは温かい拍手や大きな頷きのしぐさも出て、新人と先輩が一体となって、まさにこれが教会という共同体なのだということを実感しました。手品やフラダンスなど小さいお子さんも含めてみんなが楽しめる企画も用意されていて、もちろんご自身の楽しみでこれらの同好会などをやっておられるのでしょうが、大変お上手で、周りの人を楽しませる技は、教会としての活動のなかでも、病院や老人施設の慰問などにも活躍されていることがうかがえる、楽しいものでした。最後に、会場全員で聖歌や童謡の合唱、東北大震災の被災者支援のお祈りで教会らしく集会の幕を閉じました。

ここに至るまで約1年間の入門講座で、ご担当の鈴木さん、浮田さんからいろいろ教えていただきながら、妻と娘と私の3人、そしてクラスメートのかたがたとの毎週の分かち合いなど楽しく、時には苦しい?時間を過ごさせていただきました。今回親子3人で受洗させていただきましたが、その講座の中で私が学んだことのひとつは「大切なことは、キリストとともに歩むこと。教会とは建物のことではなく共同体のこと。したがって信者となることは、イエス・キリストをまんなかにいただきながら共同体の皆さんと手をとりあって歩んでいくことである」ということでした。この日はまさにその共同体のうちでも、まずは最も近い地域のブロックの皆さんとの初めての交流で、私ども新人にとって、とても温かく、また意義のあるものとなりました。これから教会の皆さんと手を取り合って、キリストとともに歩んでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。神に感謝。そして皆様に感謝。



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「ティエン神父様訪問と教会見学」
湘南台 笠島

以前から北2の皆さんのご要望があったティエン神父様訪問の小旅行が、6月15日に実現しました。今回は新子安教会という近い場所でもあり、電車で行き、時間がありますので、帰りに菊名教会訪問という計画をブロック委員の方たちが立てて下さいました。

当日は梅雨のさなかでしたが、幸いお天気にも恵まれ、楽しい一日でした。湘南台地下鉄駅9時集合、総勢18人、元気に出発しました。新子安駅で下車、駅前の「もくれん公園」のオリーブの木々の中の小道をぬけると、直ぐ目の前に新子安教会がありました。司祭館のベルを鳴らすと、ティエン神父様が満面の笑みを浮かべて私たちを迎えてくださいました。聖堂は2階にあり、1階は小ホールです。ホールの壁には新子安教会創立(1930年)初代からの主任司祭の写真が飾ってあり、なんと、1代目のパリ外国宣教会のアントワーヌ神父様は和服姿です。ティエン神父様は14代目、新子安教会はパリ外国宣教会の後、聖フランシスコ贖罪会、アトンメント会、そしてコロンバン会に引き継がれて今日に至っているそうです。

先ずは聖堂へとの神父様のお声で、一同2階に登りますと祭壇の両側には聖霊降臨を祝って、炎の形の赤い飾りが下がっていました。祭壇の下には、木彫りの見事な最後の晩餐の彫刻が置かれています。木彫りのテーブルの上にはパンや燭台、テーブルの下には、こぼれて来るパンくずを食べているらしい犬まで彫ってありました。

やがて、びっくりしたことに、祭服に着替えられた神父様によるみことばの祭儀が始まりました。15日の福音、説教、主祷文と続き、ご聖体をいただきました。そして「皆さん、少し黙想してください」と神父様の言葉です。後でブロック委員に聞きましたら、新子安教会の平日のミサにあずかりたいが間に合うようには出られないとブロック委員が申し上げて置いたので、神父様がご用意くださったみことばの祭儀であったとのことです。

そして階下のホールにいきますと、テーブルの上にはきれいなアジサイのお花が活けてあり、麦茶も用意されていました。ピアノもあり、久しぶりにティエン神父様のお歌をと一同が言い出し、ダニーボーイの演奏、イエスタデイのお歌と続き、最後に皆で「ガリラヤの風」の聖歌を歌いました。

お昼ごはんの時間になり、一同、また「もくれん公園」の道を通り、公園の続きにあるファミリーレストランでの食事会となりました。お部屋の予約は受け付けないとのことで、委員さんおふたりが席を確保するために色々ご苦労いただき、有難いことでした。

菊名教会へ行く時間となり、名残惜しい思いで神父様とお別れし、菊名に向けて電車にのり、教会に着きました。素敵な教会で、以前藤沢教会で働いておられたケルソ神父様が出て来てくださり、いろいろお話を聞かせてくださいました。菊名教会は旧約の幕屋をイメージしてつくられたとのこと、イグナチオ教会と同じ設計者による教会だそうです。聖堂の上の十字架の下にあるステンドグラスからの光が、太陽の位置でちょうど祭壇の十字架にあたるととても美しいとお話しくださいました。印象深い教会見学でした。夕方のラッシュにかからないようにと、菊名の駅で散会となりました。



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東日本大震災応援チャリティサマーコンサートのお知らせ

7月24日(日)9時半ミサ後(10時45分より)聖堂にてチャリティコンサートを行います。藤沢教会プリエ・アンサンブルによる弦楽合奏、湘南マンドリンアンサンブルによるマンドリン合奏、ブラスアンサンブル湘南台によるブラス合奏をお楽しみください。皆さまに親しみやすい曲の数々を用意しました。最後に全員で「ふるさと」を合唱しましょう。どうぞご参加ください(カンパの箱をおかせていただきます。)

サマーコンサート事務局



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野菜購入にご協力ありがとうございました
ネットワーク・ともに

6月5日と19日、玉ねぎをそしてじゃが芋と赤玉ねぎを販売させていただき、皆さまにお買い上げ頂きました。生産者のご意向で、売上はすべて東日本震災義援金に入れさせていただきました。

この野菜を丹精してくださったのはルイス藤本さん(ペルー・藤沢教会信徒)です。ルイスさんの夢は「いつの日か畑で野菜を作り、それをお世話になった方々に差し上げて小さなご恩返しをしたい」ということでした。幸いにも昨年ある方が土地を提供して下さることになりました。畑ではなく林でしたが、毎日夜勤後帰宅し睡眠を少しとり、その後また自転車で畑へ、木の伐採から始まり土地を耕し、作付けできる畑になりました。そして今年、長年の念願と苦労が実って玉ねぎ、じゃが芋などが沢山収穫できました。ペルーから来日して20余年厳しい生活を乗り越えて得た汗と涙の結晶です。ルイスさんはこの度の大震災に心を痛め、お世話になった日本の方々のために少しでも役に立ちたいと、沢山の野菜を下さり、私たちは販売のお手伝いをさせて頂きました。

皆さまから「美味しかった!」と好評を頂き、ルイスさんはこれからも美味しい野菜を作ってお世話になった方々に食べて頂きたいと話してくださいました。その節は皆様よろしくお願いいたします。日本は大震災に遭い多大な被害を蒙りましたが、世界中の方々が心を向けて温かい言葉、支援を下さり感謝の気持ちで胸が熱くなります。今回のルイスさんに対しても同じ思いでした。



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東北大震災被災地でのボランティア活動に参加して
鵠沼2区 小藤 

あの日3月11日以降の新聞・テレビなどの報道によって被害の大きさが明らかになってくるにつれて、これは自分も被災地へ行ってできることを何かしなければ、と言う思いが日増しに強くなっていった。そんなある日ドイツに40年近く在住している中・高校時代の友人から日本へ来て被災地でのボランティア活動に参加したいから一緒に行かないかとのメールがきた。これぞ神の計らい!と、もう1人の友人と大学生1人を加えた4人で5月23日から26日まで宮城県塩釜市に行くことになった。先日、日曜日ミサ後に報告会を開かせていただきましたが、お出でになれなかった方もおられると思いますので、この紙面をお借りして簡単に報告させていただきます。

我々一行は最初に連絡をとった仙台教区サポートセンター(仙台教区とカリタスジャパンが共同で運営)に立ち寄り、簡単なオリエンテーションを受けた。仙台教区サポートセンターは仙台のほかに塩釜、石巻、米川、釜石の各教会を活動のベースとして設置している。我々は予め塩釜に宿泊施設を確保していた関係で、活動場所に塩釜ベース(カトリック塩釜教会)を希望したが、各ベースは宿泊可能であり、食事も提供される。我々も寝るとき以外は朝から晩まで塩釜ベースで他のボランティアの方々と行動をともにしてきた。ベースには我々を含め20名ほどのボランティアが滞在していたが、男女ほぼ半々、年齢も大学生から70歳代まで広範囲、全国津々浦々から集まっていた。私の友人のほかにも海外から一時帰国した日本人の親子連れもいた。1泊で帰る人もいれば、1週間以上滞在する人もいた。

一日の活動を振り返ってみよう。朝7時起床、各自自分のお弁当(おにぎり)を作り、7:30朝食、8:30ベース出発、9:00 塩釜港からその日の活動場所である桂島へ船で向かう。10:00 現地での活動開始(なお、現地での活動は社会福祉協議会の支援センターからの指示をもらう。初日は地震で家屋が全壊した民宿の家具運び出し、瓦礫の片付けなど)15:00 終了。16:00 ベースへ帰還。18:00 夕食、19:30〜 ミーティング(その日の振り返り、翌日の予定など)。ベースに司祭が訪れているときは朝ミサもあった。我々は滞在した3日間とも島に渡り、高齢者の住む民家での後片付けを手伝ってきた。何もなかったかのように静かで、青い海が目の前に広がっているが、島のいたるところに倒壊した家屋や、瓦礫の山が横たわり、被害の大きさを物語っていた。海辺の家では地震による地盤陥没のために、毎日満潮時になると船着場から海水が家の床下まで流れ込んでくる。養殖用のいかだは壊され、漁船も流され、生活の糧を得る術を失った老漁師、夏の宿泊客を受入れることができなくなった民宿の人達、そんな逆境の中でも明るく笑顔で我々と接してくれている島の人達の姿を見ると、本当に心が痛む。このような人達が元のような、平和で静かな島の生活を取り戻すことができるのだろうか。時間はかかるかもしれないが、きっとできる!Yes We Can! そのために我々が少しでも力になれるなら、そうしたい、そういう思いで塩釜をあとにした。

被災地の人達はまだまだ助けを必要としています。力仕事ができなくとも、やることはたくさんあります。一人でも多くの方がボランティア活動に参加できればいいな、と思います。まずは、仙台教区サポートセンター(TEL 090-1217-3233/080-6003-8647)に聞いてみてください。



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「原発事故と今後」に参加して
北1 小林

5月29日、ミサのお知らせで13:30より有志による「原発事故と今後」と題した集いが持たれることを知り参加しました。10名ほどの参加があり、303号室で5月23日の参議院行政監視委員会での参考人証言の映像を見た後話し合われました。

・ 原発で生み出されるエネルギーの3分の2は熱交換器を通して温廃水として海に放出され、周辺の海水温を上昇させる。原発は言わば「海温め装置」である。
・ 地球の地震活動の10%以上が集中している日本では他国のものとは違い、より危険度の高い「地震つき原発」である。
・ 原発は核分裂現象そのものではCO2を生まないが、原発を動かすさまざまな工程でCO2を放出し、しかも原発は稼動させることによって「死の灰」を生む。
・ 放射能のごみ「死の灰」は、日本だけですでに広島原爆の80万〜120万倍もあると見られている。高レベル放射性廃棄物は1万年とも100万年とも言われる長い間、隔離しなければならないが、そのための最終処分場の場所も方法も今だに決まっていない。
・ 原発は事故の時だけではなく、平常時の点検検査の時にでさえ、作業員に多くの被爆を受けさせる。それらの中の危険を伴う作業の多くは、協力会社の下請けが集めた身寄りのない日雇い労働者や不法滞在の外国人労働者などによって、十分に周知や安全管理も行われない中で行われてきた歴史もある。

多くの方にこれらの「真実」を知っていただきたいと思いました。今だ収束どころか手におえなくなってきている福島原発がこれ以上暴れないよう祈りながら…



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小出裕章氏講演のDVDを観て
藤沢1区 緒方

6月11日10時より「福島原発で何が起こっているか」のテーマで小出裕章氏講演のDVD上映を観る会が催されました。生憎の大雨で藤沢教会からの参加者が少なかったこともありご報告させて頂きます。

日本の54基もあるという原発について私を含めて多くの人々が余り関心を持っていなかったように思います。今度の東日本大震災による福島原発の爆発事故により、日本の人々ばかりでなく世界中の人々が恐れと驚きを持って深い関心を寄せました。歴史上希な地震と津波による原発事故は、まさしく神さまの警告のように思われてなりません。神を畏れない人間のおごりと、科学至上主義の考えを正す機会を与えて下さったのではないでしょうか。

40年も前から原子力の研究に従事しその危険性を告発し続けて来たが、異端者として退けられ安全神話説推進者達から遠ざけられてしまった小出裕章氏の説明を映像で観て本当に原発の危険性が理解出来ました。運転中は勿論のこと、中止しても莫大な使用済みの核燃料の処理だけでも想像を絶する困難を伴う未開発技術なのだそうです。浮田久子さんのお話もありましたが、25年前のチェルノブイリ事故の直後から原発について勉強し、早くから原発を止めるようにと平和の叫びと共に警告して来られたことを知り、あらためてその先見の明には心から感心致しました。

6月7日の朝日新聞に池沢夏樹氏が「原子力優遇策が再生可能エネルギーの開発と実用化を阻んできた。環境省は風力や地熱、水力発電など再生可能エネルギーは、現行の発電量を上回る潜在力があるとする調査を発表した。高度に工業化された国がその気になればエネルギーの風景は大きく変わり得る」と述べております。危険で不安な便利性よりも、子供達の安全な未来を守るために自然エネルギーに転換して平和な祈りが広まってゆくように、この災害を契機としたいものです。

八角形ニュース6月号の益満雅晴さんのご意見に共感しながら筆をとりました。



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特別寄稿 明治の宣教師の足跡をたずねて(7/7)
――横須賀製鉄所とフューレ神父(1) ―

鵠沼3区 高木 

ルイ・テオドール・フューレ神父は1816年11月25日フランス西部のマイエンヌ県に生まれました。やがて成長して1837年サルト県のル・マン大神学校に学び1839年5月25日司祭に叙階されました。そしてサルト県のプレシニェ小神学校で教鞭をとり、のち1845年から1847年の2年間パリに滞在していました。

1852年1月23日、東洋布教を志してパリ外国宣教会に入会しました。36歳の時でした。そして間もない4月19日にフランスを出発して10月末に香港へ上陸しました。丁度その頃、布教地清国では太平天国の乱が起こり清国での布教を断念しました。それに代わって1854年3月31日隣の日本ではアメリカ合衆国と「日米和親条約」を結び開国されました。そこで急遽1855年2月11日フューレ神父はジラール神父、メルメ神父と商船リオン号で香港を出発して3月2日琉球王国那覇に上陸しました。それは将来日本への布教のため日本語の方言を学ぶためでした。

1855年5月フューレ神父はフランス国軍艦シビル号に搭乗し長崎沖から箱館へむかいました。その頃フランスはクリミヤ戦争に加担していたためフューレ神父は従軍司祭として1856年4月から8月にかけて千島、樺太、沿海州、オホーツク海などをゆうよくしていました。そして途中、5月21日には箱館に上陸して実行寺に収容中のフランス兵が亡くなったため埋葬をしています。その後10月26日には再び那覇に上陸しています。

安政6年(1859)8月15日、日本が開国されたためジラール神父が江戸に上陸し、メルメ神父も10月17日箱館に上陸しました。そしてフューレ神父は香港と那覇の間を往来していました。ところが長崎と箱館へ赴任する予定だった若いセシェー神父、ジェール神父、ソネ神父の3人が1860年7月25日東支那海で遭難死してしまいました。そのため1862年9月那覇にいたフューレ神父とプチジャン神父が横浜に上陸しました。

1863年1月22日(文久2年12月3日)フューレ神父は横浜から長崎に上陸し大徳寺に仮寓しました。そして文久2年12月26日大浦に用地を入手し、翌年6月には司祭館を完成させました。そこで6月21日にはプチジャン神父が横浜からきて手伝うようになりました。続いて文久4年(1864)正月5日には下り松に天主堂用地を入手しました。そして元治元年(1864)3月には天主堂の工事に着工しました。ところが9月4日フューレ神父は工事をプチジャン神父に任せ一時帰国しました。そこで9月30日にはロケ−ニュ神父が横浜からきています。

元治元年(1864)12月1日、大浦に天主堂が完成しました。そして元治2年(1865)正月10日に献堂式を予定しましたが、ジラール教区長の都合で正月24日に盛大な献堂式を挙げました。それから間もない2月20日浦上村から10数人のキリシタンの子孫たちがあらわれ信仰を打ち明けました。いわゆる隠れキリシタンの発見でした。そのことは直ちにフランスにいるフューレ神父にも知らされました。

慶応元年(1865)12月29日、フューレ神父はクザン神父を伴いフランスを出発しました。そして慶応2年(1866)3月23日長崎に上陸しました。ところが6月2日にはプチジャン神父が旧信徒発見の功績により日本教区長に任命されました。もう長崎にはフューレ神父の居場所はありませんでした。そこで横須賀製鉄所のチャプレンとして転勤になったわけです。そのことは後輩であるプチジャン司教の日記には「苦汁の選択」としていますが、フューレ神父自身も「長崎との別れは辛い」としていました。



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手芸部
湘南台センター手芸部一同

2006年4月湘南台センターにて発足。昔なさっていた人、新しく習いたい人、8名が集まり手持ちの材料を持ち寄り、作品を教えたり教えられたり和気あいあい。毎月第2、第4の月曜日午後1:30〜4:00、参加費300円(会場費200円、材料費積立100円)。

7月頃になると、教会バザーの協力作品づくりに入り、手芸はチョット休み。布を使ってエプロン、袋物。毛糸を使ってレッグウオーマー、ソックスカバー、手袋、船員さんへの帽子。レース糸でレース編み。

バザー作品づくりは、北2ブロック電話連絡、集まった人で手づくりが始まり、家に持ち帰って作ってくる人、皆さんの協力で今日まで続いています。

・ 会場があり皆が集まりやすい
・ 習い事にお金がかからない
・ 仲間で教えたり、習ったり
・ 布地、毛糸等寄付があり作品に生かす

一人の小さな手、何も出来ないけど、みんなの手と手が集まれば何か出来る!!何か出来る!!



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がりらや便り

緑あふれる教会の庭にアガパンサスの青が涼しさを誘います。もうすぐ夏休み。子供たちの歓声で溢れるでしょう。節電の今年の夏を何とか乗り越えましょう。


「回勅 真理に根ざした愛」
教皇ベネディクト十六世著 マイケル・シーゲル訳 カトリック中央協議会 1,050円  

教会の社会教説の軸となる原理として「真理に根ざした愛」を説く現教皇初の社会回勅。現代社会において、人類の真の発展を支える主要な推進力である真理によって照らされた愛の実践を促しています


「キリスト教入信」
国井健宏著 オリエンス宗教研究所 1,050円

信仰を求める人がどのような段階を経て信者になるのか。神学者として有名な国井神父が、求道者になる前の時期から、入門式を受けて求道者になる期間、洗礼志願式を経て洗礼の準備へと進む段階、そして洗礼を受けて堅信、聖体拝領を受ける日までを丁寧に説明します






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鈴木神父の川柳(続11)
編集部編

今回はA年その2です。 ( )内は鈴木神父の注記です。

2011年

2/6
塩味も薄味濃い味 家の味 
(年間第5主日) 「マタイ5:13-16」
(あなたがたは地の塩なのだ)

2/13
せこく生き勝ったつもりが危ないの
(年間第6主日) 「マタイ5:17-37」
(このくらいは大丈夫と自分で決めてやっていると人の心も離れていく。
愛こそ消えない生命なのだから)

2/20
忘れるなあいつのためにも陽は昇る
(年間第7主日) 「マタイ5:38-48」
(みんな神の子なのだということを せめて思い出しましょう)

2/27
しるしはね 小さなものに隠されて
(年間第8主日) 「マタイ6:24-34」
(野の花空の鳥を見て神の愛を感じとれるかが鍵)

3/6
まちがいがないというのがまちがいよ
(年間第9主日) 「マタイ7:21-27」
(救われる資格があると思うのはまちがい)

3/13
五十年ただ主に仕えた思いなく
(四旬節第1主日) 「マタイ4:1-11」
(何事をなすにも主の思し召しに従うことを見失うと迷い混乱するものだが)

3/20
地震来て心の鏡晴れるかな
(四旬節第2主日) 「マタイ17:1-9」
(本当に良いものは光り輝くが、それを映し出す鏡が曇っていては・・)

3/21
あるのかな ゆるせばわかるお年頃
(彼岸ミサ) 「ルカ6:36-38」
(ゆるせば見える世界があるようだが なかなかゆるせないもの。
でも歳を重ねるとそんな心境に近づけるならいいなあ)

3/27
救い主とわかっているのか おれたちは
(四旬節第3主日) 「ヨハネ4:5-42」
(イエス・キリストを信じているけれど どれほどわかっているのか。
ふりかえると新しいことに気づくことがある)

4/3
苦しみが真の出会いの母となり
(四旬節第4主日) 「ヨハネ9:1-38」
(洗礼による神の選びも幸せと思えることばかりではない。
新しい十字架があるが それは神との出会いを深くするもの)

4/10
神様を信じられずによくやるねえ
(四旬節第5主日) 「ヨハネ11:3-45」
(私たちも世の人々も神の救いを信じきれないのによく生きているものだなあ)

4/17
十字架の姿の奥に何を見る
(受難の主日) 「マタイ27:11-54」
(悲しむ者は 不思議にも悲しみの奥に光を見る)

4/23
まかせれば逆転がある 人生は
(聖土曜日)
(十字架を通して復活があることを 自分の人生で体験せねば)

4/24
木にかかり殺されたから 気にかかる
(復活の主日) 「ヨハネ20:1-9」
(神の子を十字架にかけるようなわたしたちの所業も 
キリストに心を向けさせる不思議)



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