八 角 形 に ゅ ー す

2011年12月16日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

クリスマスおめでとうございます

皆様、クリスマスおめでとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 三浦

ベトナムでの主のご生誕について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベトナムコミュニティー キム

ミュージックベル、癒し、そして祈り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 平松

私の歩んだ信者への道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 小川

成るように成る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田

ミサ曲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

教会委員会報告(11月19日)

3部門共同連続講座 第7回信徒による「通夜の祈り」・・・・・・葬儀を考える会

"初めて"ブロック集会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 小清水

「三者交流会」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 片桐

七五三祝福式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 竹本

お詫びと訂正

ザビエル祭(神学院祭)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一粒会 鈴木

飯舘村と南相馬を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・卒原発を考える会 川辺

手づくりの会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 広部

2011年バザー報告 最終報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー企画委員会

がりらや便り

鈴木神父の川柳(続13)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集部 編

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クリスマスおめでとうございます

クリスマス

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

マタイ 1章23節

皆様、クリスマスおめでとうございます。
司祭 三浦

12月24日、25日は、世界中の人々が、キリスト信者もそうでない人々も皆、「おめでとう、おめでとう」とお互いにあいさつをしながら、イエス様のご誕生を喜び祝います。とてもうれしい日です。どこの教会でもいろいろな形の馬小屋を造り、その中にお人形の赤ん坊のイエス様や、母マリア様、養父のヨセフ様、その他、馬や牛や羊たちの模型を並べ、電飾をもってきれいに飾ります。それを見て大人も子供たちも微笑み、喜び、イエスが人間となられたことを祝い、感謝をささげます。きっと天国におられるイエス様はもちろん、マリア様も、ヨゼフ様も、すべての人々も、天使たちも皆、大喜びで地上にいる私たちと共に、イエス様のご誕生を、お祝いしておられることでしょう。

しかしイエス様がお生まれになったときの、実際のいろいろな事情や有様を良く考えてみますと、そう簡単に「おめでとう、おめでとう」とは言えない、何か複雑な気持ちになるのです。なぜならイエス様がお生まれになった所は、ベトレヘムの粗末な馬小屋だったからです。馬小屋の模型は、見る人を楽しい気持ちにします。けれども実際の馬小屋は全くみすぼらしく、臭く、汚く、暗い所だったはずです。なぜならそこは動物が住む場所であり、人間が住むところではありませんでしたから。ましてや、神様の御子がお生まれになるには、全くふさわしくない所、全く恐れ多いともいうべ所でした。きっと誰だってこのようなところで、自分の子供を産むようなことはしないでしょう。それなのにイエス様はいろいろな事情があるにしろ、このようなところで、お生まれになったのです。

このような馬小屋の模型を見た人は、なぜ神様は人間となってこの世に来られるのにこんなところでお生まれになったのかと、驚きふしぎに思うことでしょう。なにかやむを得ないいろいろな事情があったでしょうが、全能の神様なら、ご自分の御子を国王や高位高官の立派な御殿のきれいな部屋で、生まれるようになさることもできた筈です。でも、父である神様はそのようにはなさいませんでした。だが一体なぜ父なる神は、そのようなことをなさったのでしょうか。私たち人間の小さな頭では簡単には理解できないことです。でも何かわけがあるのでしょう。

私はその馬小屋こそは、たくさんの罪で汚れている人間の心の象徴のように思えるのです。馬小屋は汚くて、臭くて、暗くて、気持ちが悪くていやなところです。でもそのような人間の心にお出でになられ、その罪の穢れを取り除き、清め、明るくし、心地よい所にし、ご自分が聖霊をもってお住になる場所に、変えてくださるためであったと思えてなりません。また、馬小屋にお生まれになられたイエスのお姿は、神様でありながら人となられたイエスの無限なへりくだり、謙遜の心を示すものです。その謙遜の極みのへりくだりをもって、イエスはアダムとエワが犯した傲慢の罪を、またその子孫である全人類が犯した計り知れない無数の罪を、イエスは償われたのだと思います。

きっとマリア様も、養父のヨセフ様もそのようよなひどいところでしか、おん子を迎えねばならないことを、どんなにか辛く思われたことでしょう。しかし神様への深い信仰と愛の心を持っておられたお二人は、そのようなことに対しても、何も不平や不満られることなく、それが自分たちにとって、また御子イエスに対しての御父のみ旨だと素直に受け止められ、またそこには分からないが、何かの御父のお考えがあるのだと考えられて、むしろ感謝と喜びをもって、謙虚な気持ちで馬小屋でのイエスのご誕生を受け入れられたと思います。粗末な馬小屋で生まれた、そのかわいい赤ん坊をしっかりと抱きしめながら、マリア様はそのひどい貧しさの中にも大きな計り知れない喜びと本当の幸せを、ひしひしと感じておられたことでしょう。なぜならその赤ん坊こそはまことの人であり、真の神様でしたから。またマリア様はこのお方こそが、全人類の救いのために、将来、大いなる御業を果たされる尊いお方であることをも、よく知っておられ、そのために協力できたことを深く感謝しておられたことでしょう。

そのイエス様のご誕生を心から寿ぎ、またそのために真心こめて尽くされた、マリア様のお働きにも心からの感謝と賛美をささげましょう。もう一度皆様に、おめでとうございます、と申し上げます。

三浦功神父(イエズス会司祭)
イエズス会日本殉教者修道院鎌倉黙想の家にて黙想の指導
カトリック藤沢教会にて「聖書の講座」
ホームページ「聖書と心のページ」
著書 「健やかな心と体で生きる知恵」「生と死の彼岸(かなた)にあるもの」その他

クリスマス



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ベトナムでの主のご生誕について
ベトナムコミュニティー キム

毎年、待降節に入るとみんなで主のご生誕に向けていろいろと準備をしてきました。例えば、主のご生誕を再現した岩窟を紙などを使いみんなで作ったり、クリスマスツリーの飾り付けを自分の家の前に準備しました。教会から呼ばれると、みんなで教会の準備をしに行きました。すべての準備が終わり、クリスマスイブの夜に皆で教会に行きました。ごミサの前には教会のほうが準備をしました。主のご生誕を劇でしてくれました。その後は皆でクリスマスのごミサに与りました。

ごミサの後にはみんな笑顔で手を取り合って「クリスマスおめでとう」とあいさつをして、それぞれの家に帰って朝までパーティーをしました。



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ミュージックベル、癒し、そして祈り
藤沢2区 平松

十数年前の事です。当教会にミユージックベルが寄贈されました。そして、程なく、野沢まりこ先生のもと2〜3人の有志で練習が始まりました。ハンドベルと異なり、小さくて軽いミユージックベルは、誰でも容易に持てて、それぞれのベルがそれぞれの音を一応出すということもあって、段々とメンバーも増えて来ました。音が出るとはいえ、振り方でなかなか良い音は出ません。その上、一人一人の受け持つ音が違うので、間違うとすぐにわかってしまいます。月2回1回1時間ずつの練習では遅々として上達しませんが、皆が、心を一つにして奏でる楽しさ、時として響くベルの澄んだ音色に癒されました。上手く振れず落ち込んだ時には、先生の「お祈りのつもりで!」に励まされました。

乞われるままに、敬老会、あちこちの教会、ホスピタル、デイケアセンター、などの訪問もするようになりました。こわいもの知らずで、鎌倉芸術館の舞台にまで立ったのです。尤も、あるコンサートの合間でしたが。十年の間には、メンバーの出入りも多く、指導される先生にとっては、ドン・キホーテの従士サンチョ・パンサの驢馬ロシナンテを率いる心境だったとお察しします。次第にハーモニーを感じることが出来るようになった2008年、惜しくも諸事情から解散せざるを得なくなりました。残念でした。

それ以後、暫く空白の後、ベルの演奏は、年一度クリスマス.イブのみになりました。一緒に鳴らして頂く方を応募し、今年も呼びかけに応えて新しい方が4名、昨年のメンバーに加わってくださいました。本番までは4回のみの練習ですが、はじめて参加なさった方とも直ぐに打ち解け、楽しみながらの練習が進みます。たとえ、拙い音色でも、祈りの心で!を合言葉に、キヤロリングの際には心を込めて奏でます。広い聖堂では、ささやかなベルの音は消え入り、響くことは難しいのですが、ベルを振る者の背後に、聖霊の助けを感じ、癒され、この祈り届け!と一心に‥‥‥‥。 そして、出来ることなら、また以前のようにミュージックベルのグループが再開されて継続して練習が出来たらと、切望しています。



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私の歩んだ信者への道
辻堂2区 小川

私は1929年東京の深川で生まれ7歳の時田端の芥川龍之介の家(当人は昭和2年没ですがその匂いのする)近くの住宅街に移り住みました。滝野川第1小学校で山田渉という岡倉天心の孫先生に学びの道の遠い事を習いしました。同期は狂言の野村万蔵万作兄弟がおられ6年生のときには国語読本に載っていた"末広がり"をお二人で演じてくださいました。私は小学校では体操と音楽の好きな活発な少女でしたが小学3年の時のクリスマスイヴに母は長女の私を頭に4人の弟をのこして34歳で天に召されました。

母の死後、父は上から3人の子を手元に置き、毎朝仏壇の前に3人座らせて般若心経の一節を唱えるのを習わしとした家でした。昭和16年12月8日、支那事変は太平洋戦争へと突入、米英両国を相手に深刻な世相と成って行きチョコレートはなくなりました。

女学校は昭和17年府立で優秀な方々の多い中、それでも2年までは楽しい夢の多い少女から大人へ。それが3年生に成った途端、学業はおあづけで戦士として工場へ、軍需工場でゴムの防毒マスクの回りを鋏で切り抜く作業をしていました。その作業を半年ぐらい続けていた時、隣で作業していた学友に「こんなことをしていて戦争に勝てるのかしら」とつぶやいたら「父は負けると云っているわ」と、その友達はミッドウェーの海戦で大敗した海軍さんの方でした。

そして昭和20年3月10日、田端の高台から見た辺り一面、空全体が紅色の恐ろしい東京下町大空襲でした。父子家庭の我家では子供3人父の郷里能登へ疎開しました。しかし其処でも私と直ぐ下の弟は輪島に下宿して、飛行機工場で田舎の友達と飛行機の部品検査をしていました。昭和20年8月15日、工場はお盆休みで叔父の家へバスで帰る途中、原子爆弾が広島長崎に投下され終戦の詔勅が下りましたが戦争が終わったらしいと知ったのはその日の夕方でした。

敗戦の夜叔母の家の裏の浜辺の渚に一人立ち皓々とした月を眺めながら「ああ戦争は終わったんだなぁー」と何とも言えない静けさと安らぎを波の音と共にはっきりと眼の奥に心の中にお腹の底に深く感じ生涯忘れられない私の戦争でした。戦後は父も何時までも兄や姉妹のところに子供をあずけて置くわけにもいかず、一面焼け野原の東京の我家で食べるものも着るものも住む家も充分でなかった戦後の生活が始まりました。衣食住の全く助けを求められない苦しい状態も大変でしたがそれにも増して苦しかったのは学問芸術、文化に対する飢えと枯渇は一入でした。東北大震災もまた、様々な事を感じますが人間の社会、時代は繰り返して行くのでしょうか。

そして青春期、私たちの青春前期は幸せは「山のあなたの空遠く幸い住むもの…」でした。同世代また少し上の男性は戦争に対する矛盾や悩みを持ちながらも祖国日本への愛の中に尊く散華、殉じていらっしゃいました。私達はその方々の魂を背負って生きて居ます。戦後も1年は本当に平和な気持ちでした。年を追って少しづつ物が出回り昭和25年3月音羽護国寺側のお蕎麦屋さんで級友と食した天ぷらそば一杯50円は忘れられない美味でした。世の中は高度経済成長期となりサラリーマンでもまじめに働けば相手を見つけて結婚し家が持てる様になったのが今の若者と異なるところかも知れません。

私は1957年三河島教会で霊名パウラでエンリコ・ブラジオン神父様に洗礼を授けて頂き翌年、未信者の亡夫と結婚(三河島教会)挙式翌年には俊朗を恵まれペテロと、三軒茶屋教会で幼児洗礼させて頂きました。50年前東京から辻堂に住むように成り藤沢教会にお世話になってから50年経ちました。(昭和48年茅ヶ崎転居)この間亡父は未信者でしたが教理の勉強、各地の巡礼に参加し、最後にはザルツブルグのノンベルク修道院でのクリスマス夕べの祈りに参加し今迄の中で一番良かったと云って居りましたが、その5ヶ月後急性胃癌で突然の終止符に用心していない者の悲哀を身にしみて感じました。

藤沢教会ではコロンバン会の神父様方そして日本の神父さんから有難いお導きを頂き、時には神父様方に大変失礼の事も平気で云う人間で本当は顔が上げられないのですが厚かましくもこの頃に成ってやっとミサの中で自分のすべてをお捧げします。そして私の罪を許して下さいと祈れる様に成りました。合掌、感謝。

クリスマス



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成るように成る
大庭 池田

このタイトルは不埒である。成るように成る? 何らかの行為で経過が移っていく訳なのだろうが、その行為者の主体性が見えない。なるほど。その批判は指摘されるだろうと思っていました。むしろ貴方のほうが思想的には健常者です。しかしもし「成るようにしか成らない」と同じ意味だ、とお考えになっておられるのでしたら、今度は声を上げて私は「その処世観は誤りです」と応えるでしょう。後者は逆説でも何でもなく、ただの「怠け者の申し開き」に過ぎないのです。

ところがです。ついさっきから口幅ったいことを言ってきた私自身が、です。なんと、年齢的にも身体機能的にも、先の怠け者が掲げる論理を容認しなくてはならない境遇に置き換えられてしまったのです。年齢こそ今の時代感覚でいうなら〈まだ86歳〉ですが、歩行は2百メートルが(継続的には)限度で、あとは介護者に引き摺られるような屈辱的状態となります。そんなことで、郵便局にも、コンビニにも、市役所大庭支所にも私の足は私を届けてはくれません。

めずらしく我が家に、茨城、大阪、横浜と息子や娘たちが揃いました。横浜(長男)だけがペアでの参加です。

この日は湿度が低く、爽やかな風がリビングのカーテンをゆらしています。
「あんたがたは、だな。俺の余生に大きく関わることになるらしい話を持って来ているのに、先ずママの耳を通す。こういう時の俺の居場所のことを何という」
「つんぼ桟敷・・・」
「よく言うよ、アハハ。で、ママちゃん、あんたの気持ちは?」
「そりゃあ真剣に考えてたわ。で、結局は貴方しだい、ということに」
「ほう。じゃあ今までどおり2人でこの家に住む、という案も生きている、ということね」
すると既に50代に入っている3人の子どもたちの視線が戸惑う。やがて司会者の承諾を目線で得て茨城が口を開く。
「パパとママには現代人としての自由があります」
「よし、明快だ。俺は良い子を持った幸せを感じる。俺にはあと数分の沈黙が必要なのだ。みんなも俺と一緒に祈って欲しい」

―主よ、哀れみ給え。キリスト哀れみ給え。主よ、われらの祈りを聴きいれ給え。
―主であるイエスさま。あなたですね、今日の子どもたちとの家族会議の招集者は。
―主であるイエスさま。なぜ子どもたちは、私を母から分離させようなどと思い切った着想を持つに至ったのでしょう。

私が想像できる理由は2つあります。ひとつは先に触れた、生活機能の半減した私の足です。外よりも家の中のほうが、転倒の確立が事例的に高いそうで、その事への妻の気苦労も並ではないと思います。他の1つについては大阪が、巧みに私たち夫婦の機微を衝いたことで明らかです。 大阪はズバリ言います。
「ママは〈尽くし型〉やから。意味解かる? パパが喜ぶことなら、なんでもやって上げないと気がすまない。これって、命すり減らすんと違う?83歳やで」
彼女は微妙な夫婦のエリヤに、入り込んだのです。私はママの手を握って泣きました。
このとき、少し若いときにマスターしていた、懐かしいみ言葉が蘇ったのです。

『だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。』(マタイ6-34)

私は今、晴れがましく子どもたちの前に立ち、新しい出発の悦びを伝えようとしている。
「パパはね。あなたがたの勧める個室型老人ホームに入居して自立します。入ったが故にどうなる? それは人間の考えるべきことではない。明日のことは明日の主宰者に委ねよう。成るように成るのだ。私たちは主宰者の愛を信じ、安んじて日々を生きよう」



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ミサ曲
典礼部

待降節に入りました。司式司祭のストラが「紫色」になりました。「待降節の祈り」とともに灯された一本目のローソクも紫色です。みなで歌うミサ曲もいままで歌って来た「ミサ曲1」から「ミサ曲4」を歌う予定です。今年は待降節第一主日(11月27日)が子どもミサ、第二主日(12月4日)は第二聖歌隊のご奉仕ですので、実際にミサ曲の変化を感じていただくのは12月11日の待降節第三主日と翌週の18日の2回になります。

ご降誕を祝う12月24日から主のご公現の1月8日までの降誕節にはストラの色は「白」になり「ミサ曲2」を歌う予定です。主日ごとに歌っている「典礼聖歌集」の中にはミサ曲1(203番)からミサ曲7(226番)まであります。いつ、どのミサ曲を歌うかについての決まりはありませんが、典礼暦の移り変わりをミサ曲で感じられたら、と思います。

同様に「灰の水曜日」から始まる「四旬節」にも「ミサ曲4」を、「復活節」にも「ミサ曲2」を,これ以外の「年間の主日」には「ミサ曲1」を歌う予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

注:ストラの色は祭日、殉教者の記念日、祝日等によって変わります



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教会委員会報告(2011年11月19日)

<報告事項>

1.財務関係

各ブロック・活動部予算提出の締切は11月末。震災募金の向け先については、未だ検討中

2.営繕関係

発注した聖堂高天井用の照明器具(LED)は入荷した。聖堂分電盤を更新した。聖堂回廊補修は30日に終了予定で進めている。また、駐車場のカイヅカイブキを一本おきに伐採し、駐車場と通路の夜間の明るさを確保した

3.教会バザー

10月16日のバザー当日を挟んだ2週間の行事を成功裡に終了した。利益金を集計中であり、11月中にまとめたい。支援先は、福祉部と教会と協議中である

4.第5地区 集会祭儀セミナー

10月29日(土)に鍛冶ヶ谷教会で行われた。ミサがないときの集会祭儀についてロールプレーを行った。当教会から8名参加

5.司祭・修道者・信徒3者交流会

11月2,3日に鎌倉十二所の黙想の家で開催された。「なぜ教会に来るの?」「皆さんそれぞれが持っているよいものは何?」をテーマに話し合いがなされた。藤沢教会からは司祭1名、信徒2名が参加した

6. 3部門連続講座

11月6日(日)信徒によるテキストに基づく「通夜の祈り」の実習が行われ50名ほどが参加した。12月4日(日)は外国コミュニティーの「クリスマスの祈り」の予定

7.湘南キリスト教セミナー連絡会

11月6日に連絡会が持たれ、来年5月に藤沢教会で予定している湘南キリスト教セミナーは、六甲教会片柳神父を講師に「マザーテレサの教えを今の日本にどう生かすか(仮題)」と決めた

8.七五三祝福式

11月13日(日)12時から18人の子ども達の七五三祝福式が行われた 

9.第5地区第4回共同宣教司牧委員会

11月13日(日)、大船教会にて、ミサ後開催された第5地区共同宣教司牧委員会で、司教様に今年の活動報告をした。藤沢からは、毎月開催されている3部門連続講座の実績報告をし、司教からお褒めの言葉を頂いた

10.東京神学院祭(ザビエル祭)

11月23日(祝日)ザビエル祭(神学院祭)に藤沢から26名参加予定

11.市民クリスマス

例年通り、12月10日(土)4時から藤沢教会で市内キリスト教会合同の市民クリスマスが開催される

12.当番のやり方

今までミサ当番と掃除・行事当番は別々に回ってきて、わかりにくいということ、また地区によっては人数が少ないということもなどもあり、見直しが求められていた。運営委員会から、ミサ当番と掃除・行事当番を一緒にする、北1・北2は纏めて1ブロックと数え、4つのブロックにより毎月交替で当番を勤めるという提案がなされ、各ブロックで持ち帰り検討することとなった

<ブロック・活動部>

(鵠沼)11月27日にブロック集会を予定。次年度体制についての確認をする予定

(北1・北2) 12月2日、初金のあと、合同のクリスマス会を開催予定

(宣教部)
・ 湘南台センターは10月29日のフリーマーケットでの売り上げが12万円、1月から10月までの献金は93万円であった
・ 湘南台センターの休みは、12月22日から1月7日まで
・ 幼児洗礼は12月25日(日)に予定

(典礼部)
・ ストラの色とミサ曲で典礼暦を感じて欲しいので、当面、待降節、四旬節は紫でミサ曲4、そして降誕節と復活節は白でミサ曲2、それ以外は緑でミサ曲1を使う。詳細別項参照
・ 典礼奉仕者養成コースの修了者が核となり、小教区内で典礼奉仕者講習会を計画していきたい
・ 11月23日(祝)に、2012年に教区75周年、再宣教150周年となるのを祝う1年間の祈りのスタートのミサが山手教会で行われる

(教育部) 12月24日(土)5時のミサ中に行う聖劇の準備をしている

(国際部) 11月20日(日)にカラカサン(フィリピン移動女性の支援活動)への支援パーティーが行われる

(福祉部) 11月11日に震災支援対象に考えている「桜の聖母」学院を訪問し、実情調査をした。学院によると、当初計画していた里親制度は、対象となる児童が集まらないので、支援対象を短大生への学資支援としたいとの提案を貰った。短大生の中には、多くの被災者が含まれていて、震災支援の効果があろうと福祉部では判断した

<その他>

・ 来期教会委員長人選、主任司祭が選任し、前山茂雄さん(鵠沼2区)が受諾した
・ 信徒総会、来年2月5日(日)に開催予定。第2部の分かち合いテーマを募集している
・ 藤沢教会の将来ビジョンについての話し合い、活動部が中心となって、ビジョンのたたき台が出来たので、これをもとに更に討議を重ねていきたい。来年3月頃までに纏めたい。



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3部門共同連続講座 第7回 信徒による「通夜の祈り」
葬儀を考える会

通夜の祈り11月6日(日)9時半ミサ後、3部門共同連続講座の1つとして、聖堂にて信徒による「通夜の祈り」の実践を行いました。臨終から埋葬まで続く死者の儀礼は、亡くなられた方のための祈りであると同時に、家族を始めとして亡くなられた方との関わりを持つ人々が故人を偲び集い、亡くなられたことを社会的に受け入れることによって、家族が新たに始める歩みを支えていくものです。キリスト教では特に死んで復活されたキリストに結ばれる者が、キリストとともに死を通って新たな永遠の生命に移されることの希望のうちに、死者の儀礼を執り行います。「通夜の祈り」を信徒によって執り行う事を考えていこうというきっかけは、過去十数年続けてきた葬儀を考える会で、信徒がより積極的に葬儀全般に関わっていこうという中から出てきたものでした。もちろんその中の要因の1つとして近い将来に司祭数が減っていくだろうし、高齢化社会の中で葬儀の回数も増加するであろうという事もありますが、通夜は元来身近な方々が故人を囲みながら偲ぶと言う、私的な側面の強い集いであり、教会共同体の仲間が家族と共に棺を囲み、故人を偲びながら祈りを捧げるという形が、よりふさわしいという考えに基づくものです。

当日は、葬儀を考える会のメンバーによる 模擬演習が行われました。4名の方々が、祈願する、詩篇を先導する、聖書を朗読する、式の進行を案内するなどの役割を分担しました。その式は暖かな雰囲気のうちにも厳かに進行し、教会らしい集いになりました。その後、参加した希望者によって、実践も行われました。

今後、今回の演習をベースに、それぞれの場に合った変更を加えながら工夫をしていけば、より良い祈りの場が作られていくことと思います。それと同時に、一人ひとりの「でも私の時には司祭に来てほしい。」と言う意識を、少しづつ変えていく必要も感じています。今回のセミナーがそのひとつのきっかけになればと思っています。



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"初めて"ブロック集会に参加して
辻堂2区 小清水

表題に"初めて"と冠したのは、私は本年(2011年)4月に受洗させて戴いた故です。今年はバザーの担当が辻堂ブロックだという事で、少々バザーのお手伝いをさせて戴いたながれのなかで、10月30日のブロック集会に参加させて戴きました。

参加させて戴き、皆様、お勤めや家事の多忙の中、積極的に教会の活動をなさっているご様子を拝見し、一種の感動を禁じ得ませんでした。また一方で、教会に籠るという事でなく直接教会に関係のない地域の方々と親密に交流されているという事に気付かされました。

例えばバザーに使用する野菜全般を、青果店のご主人より常々無償で提供戴いているという事実。またバザーの品物を受け付けておりました時も、老婦人が少々不本意なご様子のお身体でありながら、「夫の遺品ですが、クリーニングしてありますが、如何でしょうか」とお持ちになられました。等々の事実。繰り返すようですが、私は今回辻堂ブロック集会に参加させて戴き、年齢層の違い、性別、はたまた経歴の違いを超え、教会のみならず地域の方々の中に交っておられる姿(もちろん、他のブロックの方々も同様と推察致しますが)を拝見し今迄、永年"子育て"等、家庭中心のどちらかといいますと心が孤立しがちな生活から多くの人々と交わる事の幸せを感じる生活に脱皮したいと思います。

朝の祈りの最後のフレーズ"まわりの人たちの事を考えて生きる喜びを見いださせて下さい"をブロック活動の中で見いだした思いです。私が"神の食卓"に招かれたのは人生の秋季ですが、今後諸先輩の皆様にご教示を受け"主イエス・キリストのご計画"に従い、生活して参りたいと存じます。



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「三者交流会」に参加して
鵠沼1区 片桐

共同宣教司牧サポートチーム神奈川主催の信徒修道者司祭の宿泊交流会に参加し、11月2日夕刻から3日午後まで鎌倉十二所のイエズス会日本殉教者修道院で横浜教区の司祭信徒25名の方々と共に過ごした。

夕食をともにすることからからはじまった会は、首から下げた名札でお互いの氏名と小教区を知り、食後のオリエンテーションでの自己紹介でさらに気持ちも打ち解け、3つのグループに分かれて第1セッション「あなたはなぜ教会へ来るのですか」というテーマのもとで話し合った。できるだけ心をからっぽにして、メンバーの話されることに耳を傾ける時間は、夜の静けさと落ち着きの中で、印象深いものとなった。

翌朝は十二所の自然に恵まれた静かな場所を、ひととき小鳥のさえずりや落ち葉を踏む音、参加者との語らいを楽しみながら思い思いに散策をする貴重な時から始まった。ゆったりした朝食の後、第2セッションに入ったが、昨夜とは異なるメンバーとの分かち合いが新鮮に感じられ「司祭が持っている良いもの、修道者が持っている良いもの、信徒が持っている良いもの」をテーマに分かち合いをした。それぞれのイメージにギャップがあること、お互いが支えを必要としていることが窺え、興味深かった。ティータイムを告げられたときには分かち合いを終えるのが勿体ないような雰囲気だった。

その後「共同宣教司牧についてのサポートチームからの提言と全体での話し合い」となった。共同宣教司牧は司祭不足解消のためではなく、教会が元気になるためであること。三者に共通した恵みをベースにすること。年齢や国籍、小教区といった垣根を越えて多くの人々と出会い,信仰の共感を得る。などの気付きが語られた。また、今まで足りなかった部分を開拓すると何か動きだすかも。いろいろなアプローチがあるはず。沢山の失敗をすることも必要。結果を早く求めない。心が動いた所を大切に。他の人がすることを温かく見守る。など多くの貴重なヒントをいただいた。

昼食後は聖書の一節の分かち合い。自分にいただいた手紙のつもりで読む、という体験をした。

静かな時間を共にすることからはじまり、分かち合いのためのヒントに助けられ、聴いてもらえていることに勇気を得、充実した豊かな時間を共にすることができた。「ないものを探すのではなく、あるものの恵み」を十分に感じることのできた2日間であった。

分かち合いや食事の準備や片付けなどの時間を通して、知らず知らずのうちに打ち解けられる雰囲気に、準備してくださった方々の細やかな配慮が感じられた。難しい講義や意見交換といったかたちではなく、小教区や立場を超えて自由に語り合い、分かち合い、聴き合うことで、「共同宣教司牧」という言葉の持つ印象が少し柔らかくなり、教会の中の特別な場,特別な人にではなく、私たちの生活のさまざまな時と所にその萌芽があることを感じさせていただいた。



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七五三祝福式
辻堂3区 竹本

11月13日(日)穏やかなお天気のもと、男児7名、女児13名の子ども達が七五三の祝福を受けました。トゥ神父様に聖家族のおメダイを首にかけて頂き、千歳飴も頂きました。ご両親、おじい様、おばあ様、多数の大人達が見守る中で、ちょっぴり恥ずかしげながらも、凛々しく、可愛い姿が微笑ましく、健やかな成長をお祈りする事ができました。

七五三

7才 のりこ

きょうは、きょうかいで七五三のしゅくふくをしていただきました。しんぷさまのおはなしで、おとうさんとおかあさんがいたからわたしがうまれたということがわかりました。ありがとう かみさまとおかあさんとおとうさんとともだちにいつもありがとうのきもちをもっていたいとおもいます。 おめだいをもらったのがうれしかったです。

7才 みのり

わたしは、七五三をとてもたのしみにしていました。 13日は、きものをきて、きれいにおけしょうをしてもらったので、うれしかったし、とてもたのしかったです。
きょうかいでは、しんぷさまが、「おいわいしてくれるかぞく、おともだち、まわりのひとたち、そして、かみさまにかんしゃしましょう!」とおはなししてくださいました。 まいにち、ありがとう!というきもちをわすれないでいたいとおもいました。 しんぷさまが、おめだいや、ちとせあめをくださってうれしかったです。



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お詫びと訂正

先月号の「ボーイスカウト入団上進式」記事内「ボーイスカウトに上進して」の鈴木琳太郎さんの学年が間違っておりました、小学3年ではなく小学5年が「正」でした、ここに謹んでお詫びして訂正いたします。(広報部)



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ザビエル祭(神学院祭)
一粒会 鈴木

11月23日、今年も第5地区の4教会が、日本カトリック神学院東京キャンパスの神学院祭(ザビエル祭)に1台のバスに乗り合わせて行って来ました。藤沢からはトゥ神父様、日曜学校の子どもたち14名、大人が17名の計32名、片瀬からはマリオ神父様もご一緒して下さり、大船、片瀬、原宿、藤沢の4教会から総勢61名が秋の一日を楽しんで来ました。今回は大船、片瀬からも子どもたちと教会学校リーダー、保護者の参加があり、より多くの方々が少しずつ神学生、神学院に関心を持って下さる様になって来たのではないかと思っております。

当日は10時からの開式ミサに始まり、説教と大人向けの講演は仙台教区事務局長の小松史朗神父様。子どもたちはおばけやしきや広いグラウンドでのスポーツ企画に。神学院の一画では、祈りや赦しの秘跡、霊的相談のコーナーが設けられていました。院内ツアーでは、敷地内の林の中に70年前から存在し、横を流れる石神井川の工事のため、現在の姿は今年で最後かもしれないというルルドへの案内がありました。戦争中の神学院の歴史についての展示、神学生と司祭が東日本大震災被災地へのボランティアに行った時の動画や写真の記録など、時間が足りない程の内容だったと思います。閉会式では神学生全員の紹介があり、最後に司祭団と助祭団からの祝福がありました。

東京キャンパスでは、哲学科1年11名、2年4名と神学科4年(助祭の学年)の12名の計27名の神学生が生活し学んでいます。うち3名が横浜教区の神学生です。(福岡には横浜教区から2名が在籍)司祭召命のためにそして神学生のために、引続き皆様のお祈りとご支援をお願い致します。

ザビエル祭

1年 理久翔

しん学校にいきました。さいしょは、おばけやしきにいきました。おばけやしきはめいろみたいでした。そしてさいごのほうでおにいちゃんがおばけにはなしかけました。おにいちゃんはこういいました。「ゴールはどこだ?」おばけは、こうこたえました。「まっすぐです。」と、こたえました。
つぎにグラウンドで、やきゅうのボールでするストラックアウトを、五回くらいしました。一回ボールが三こで、三ぱつぜんぶあたるとおかしのうまいぼう一こと、ラムネ一こがもらえます。

2年 空保

はじめてさんかした遠足でしたが、とても楽しかったです。その中で一番楽しかったことは、ダンボールでお友だちときょうりょくしてソリを作って、すべったことです。

3年 海璃

藤沢教会で集ごうしてバスまでいどうしました。バスの中でおかしをもらいました。しばらく走ると日本カトリック神学院に着きました。藤沢教会と同じで歌とせいしょを読みました。終わってザビエルさいがはじまりました。
一番さいしょにわたしが行った所は、おばけやしきでした。こわかったけどさいごは楽しかったです。そのあと草の山の下で子どもスポーツの所に行きました。バスケットボール、なげるゲーム、サッカーボールで木にはってある数字の紙をボールでけったりするゲームもありました。草の山でダンボールをもらってダンボールの上にのっかったり、すわったり、たってすべったりして遊びました。そしてたくさんおかしをもらいました。
帰りのバスの中でドラえもんのビデオを見ました。

3年 太遥

ぼくは、11月23日に、ザビエルさいに行きました。おばけやしきは、さいしょは、すこしもこわくなかったけど、さいごはこわかったのできぜつしそうになりました。ストラックアウトのけるばんで、さいしょ一ばんにあたったとき、「すごいシュートだね。」といわれてうれしかったです。
さいごにチヂミを二こかって一こはバスの中で食べて、二こめはおみやげでママにあげました。 また行きたいです。



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飯舘村と南相馬を訪ねて
卒原発を考える会 川辺

11月29日、会の有志7名で被災地の現状を実際に見てこようということで、日帰りで福島県の飯舘村と南相馬市に出かけました。東京方面へのラッシュを避けるため朝5時過ぎに出発したため、渋滞もなくスムーズに進み一路東北道へ。持参したガイガーカウンターは栃木県の那須高原に差し掛かる頃から警報を出し始めました。放射線量は藤沢の5倍を超えています。福島県に入り郡山に近づくころから線量はさらに上がり、車内で藤沢の10倍近い値を示す場所も出てきました。二本松で東北道を降り、川俣町に近づくと不思議と放射線量は下がり始め、ガイガーカウンターの警報が消える場所も多くなって来ました。そこから峠道を越え飯舘村に向かいます。峠の頂上を超えた瞬間放射線量はみるみる上がり始め、二本松の3倍、藤沢の30倍ほどまであっという間に跳ね上がりました。見た目にはなんでもない、美しい山村が放射能汚染された現実がそこにはありました。福島の中通りと浜通りを結ぶ街道はそれなりの交通量がありましたが、家々にはカーテンや雨戸が締まり、村の中に人影は見当たりませんでした。側道に入りあたりを散策しよう車を停めました。試しに地表近くの放射線量を測ると、普通の所で藤沢の50倍以上、雨水の溜まりそうな箇所では100倍以上の線量、あまりの高さに言葉もありませんでした。

飯舘村あたりをふと見ると、道端に小さな馬がつながれています。どうしてだろうと考えているところへ軽トラックが近づいて来ました。降りてこられた方が馬の持ち主さんのようです。お話を聞くと、村で牧場をやっていらっしゃる方で、今でもただ一人この集落に残り、避難していった方々の依頼もあり、取り残された馬や牛の世話を自費や義援金でやられているそうです。村のことを尋ねると、「もうお終いだな、偉い人達がこの前チェルノブイリ見てきたらしいけど、25年経っても全然ダメだってびっくりして帰ってきた。除染に1世帯あたり1億2千万以上もかかるらしいし、やってもどこまでできるのか。1軒づつに1億2千万もくれれば、それでみんな新しい生活ができるのにな」と言われてました。世話をしている何十頭もの馬や牛の餌やりに同行させてもらい、その後一緒にいらしたお友達の案内で南相馬に向かいました。飯舘村

 

案内されたその方の自宅は、南相馬の山側に位置する古い農家で、千坪ほどの敷地の中に家族のための数軒の家が立っていました。3世代8人で暮らしていたのだが、事故後石川県に避難。でもなれない土地の生活よりも良いと、子供や孫をおいて夫婦二人で帰ってきたそうです。南相馬でも汚染の高い地域で、放射線量は飯舘村とあまり変わりません。帰宅後、庭の土をほとんど全部剥ぎとり入れ替えて、やっと暮らせるような線量まで下げたそうです。それまで手広くやっていた農業も畜産も出来なくなったため、東京電力に1300万あまりの賠償請求を出したそうです。その後何の音沙汰も無いので、東電本社まで出向き賠償の窓口で一日がかりで話し合った結果が、280万円で了承してもらえれば支払いますとのことだったと。もちろん承諾はして来なかったと怒っていました。孫が正月に来られるように、明日からやっていない所の除染を自費で始めると言っていた言葉に、改めて放射線汚染の深刻さを考えさせられました。

原町教会その後、南相馬市内に向かい原町教会を訪ねました。司祭不在だった教会は、震災後は被災地の教会には司祭を派遣するという方針のもと、梅津神父様がいらっしゃったそうです。お話しを伺うと、以前70名程いた教会付属幼稚園の子供たちは10数名になってしまったそうです。教会を出て海の方へ向かうと、まだ市の中心部でも閉めている店が目立ちました。中心部から海よりは驚くほど放射線量が低く、原発から20キロの警戒区域に近づいても藤沢の2倍くらいの値を示しています。しかしその代わり、海辺の家並みは津波によって根こそぎにされたようで、地図上では商店や事務所、住宅などが立ち並ぶ一帯は、瓦礫の撤去が済んだ後は、土台のコンクリートのみを残して広大な荒野になっていました。

南相馬

ほんの駆け足の旅でしたが、思いもかけぬ出会いもあり、予期しなかった充実した1日を与えられました。地震、津波、そして原発災害に見舞われたこの地の方々のために祈り続け、これからの日々に向けて、ともに歩んでいきたいとの思いを新たにし、帰路につきました。



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手づくりの会
湘南台 広部 

さあ、今年のバザーのために何をつくりましょう・・・?!4月より、教会の方々から寄付していただいた布や毛糸をどのような作品にしていこうかと話し合って来ました。袋物、エプロン、ブローチ、レッグウォーマー、ソックスカバー、パッチワーク、クロスステッチ、刺繍等々、それぞれに出来る事を生かしながら作業し、信者でない友人がミシン縫いをしてくれたお陰で、次々と作品に仕上がっていきました。

8月の夏休み中にも集まり、誰とはなしに、おかず、漬物、果物などを持ち寄り豪華な(?)昼食をはさみながら和気あいあい!おまけに楽しい会話付き。そして今年のバザーでは、ふんわり子、手作りネックレス、個人が作ってきて下さった作品と共に、バザーの売り上げに貢献しました。

また10月29日には、残った品を湘南台フリーマーケットで販売し3万円程売上げることも出来ました。(これは湘南台センター会計を通して教会へ納入しました)湘南台の小さな伝道の場が、地域の方々の交流、人々との和となりそれぞれの小さな働きが共に出来ることに感謝しています。



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2011年バザー報告 最終報告
バザー企画委員会

2011年バザー(東日本大震災復興支援のためのバザー)について、前月に続いてその最終会計報告を致します。

売り上げの最終結果は、二本松農園の出張販売(約24万円)を入れないで、合計3,294,766円でした。内訳は、賛助金1,553,720円、売り上げ1,617,650円とファイナル・バザー・フェスタで123,396円でした。

thank youこれから経費を差し引いた利益金は、3,146,998円となりました。皆様のご協力のお陰で、300万円を超えることができました。

この収益の配分は、次のように致しました。

地域福祉のため 1,370,000円 (配分は福祉部に一任)
震災遺児のための支援  1,776,998 円 (教会と調整中)

最終結果に若干の時間が掛かりましたが、12月4日の最終企画委員会をもちまして、2011年バザー企画委員会のすべての作業を終えました。 皆様、重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。



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がりらや便り

待降節に祈ることの重すぎる2011年も過ぎようとしています。このような年ですからなおさら、主のご降誕を心から喜びたいと思います。がりらやではドン・ボスコ社のクリスマス小冊子「いのちのおとずれ クリスマス」「クリスマス 本当のはなし」「わたしの中のクリスマス」「クリスマス 神さまからのたまもの」(各150円)やたくさんのクリスマス絵本、カード、クッキー、グッズを用意しております。

「聖書」
フランシスコ会聖書研究所 訳注 サンパウロ発行 8,400円

フランシスコ会聖書研究所が1956年の設立以来、実に55年の歳月をかけ、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、シリア語などの訳本から、聖書の元来の読み方を複合的に研究、評価、決定しながらより神のみことばに近い聖書を実現すべく原文校訂しました。旧約・新約の全編を網羅し、理解を助ける注訳、地図、イラストも適時収録されています。なおがりらやにては12月末まで特別価格7,000円(税込)にて販売しております


「カトリック教会情報ハンドブック 2012」 
カトリック中央協議会発行 500円

2012年の教会暦や、教会、修道院をはじめ海外主要日本人教会・グループの最新住所録、手話、外国語ミサの案内等。キリシタン史跡を巡る連続企画の巻頭特集は今回関東編。東京、神奈川の史跡を紹介しています


「教会歴と聖書朗読」 
カトリック中央協議会編 日本カトリック典礼委員会監修 840円

日本の教会のために毎年編集されている典礼歴。2014年までの典礼歴や、主日とおもな祝祭日の聖歌案も収録されています






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鈴木神父の川柳(続13)
編集部編

今回はA年その4です。 ( )内は鈴木神父の注記です。

2011年

8/7
このぼくが信じているのが奇跡だね
(年間第19主日)「マタイ14:22-33」
(信仰は努力より恵みと思う)

8/14
まかせずに祈りつづけるわが矛盾
(年間第20主日)「マタイ15:21-28」
(パン屑では満足しないのに キリスト者と名乗っているのですよね)

8/21
人生は気をまぎらわせてりゃうまくいく
(年間第21主日)「マタイ16:13-20」
(大事なことをなさるのは天の父なのだ)

8/28
頑張らずおまかせできりゃ超一流
(年間第22主日)「マタイ16:21-27」
(信じようとして信じきれない君も私も)

9/4
独りでは生きているのか いないのか
(年間第23主日)「マタイ18:15-20」
(神からいただいた命は
ともに生きるためのものと思うことが大切)
 ゴルフさえ二人以上でプレイする

9/11
怒るほど小さく見えるわが心
(年間第24主日)「マタイ18:21-35」
(怒ると後味悪いもの 怒り過ぎてはいけないよ
こんなところからも神の偉大さが見えるかな?)

9/18
これくらい? いやもっともっと大きいの
(年間第25主日 敬老) 「マタイ20:1-16」
(神の思い 愛情は人の思いをはるかに越える)

9/25
心から言えないときは気をつけて
(年間第26主日 国際ミサ)「マタイ21:28-32」
(ハイ イイエを心から言わずに口先で適当に言っていると
神の働きを受けとめられなくなる)

10/2
忠告は無駄と思うがしたくなる
(年間第27主日)「マタイ21:33-43」
(イエス様の忠告も実らなかったように見えるが・・・)

10/9
何事も思い通りにならないなあ
(年間第28主日)「マタイ22:1-14」
(上に立つ人ほど思い通りになると思いがち
神様のことを忘れると大変)

10/16
こだわりが神の働き忘れさせ
(年間第29主日)「マタイ22:15-21」
(大事にしているものが
時として神からお預かりしていることを忘れさせ間違いを起こす)

10/23
問い方にその人自身が見え隠れ
(年間第30主日)「マタイ22:34-40」
(愛が最も大切だが難しい
どのような疑問を出すかでその人の本心や答えが見えてくる)

10/30
神の子のイラつく姿にホットして
(年間第31主日)「マタイ23:1-12」
(イエス様もこういう奴にはイライラするのだと思うとなぜかホッとする)



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