藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2012年3月10日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

四旬節・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

教会委員会報告(2月18日)

信徒総会報告

ブロック委員を引き受けるに当たって

湘南台センターより

典礼研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 宮崎

釜石でのボランティア活動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 丸山

ボランティアチームを目指して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部

理想の共同体を目指して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野

社会に生きる人の聖書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

神奈川県下に収容された連合国軍の俘虜たち・・・・・・・鵠沼3区 高木

「卒原発を考える会」

<アジア学院 つながる古本市>

2012 年横浜教区合同入信志願式

がりらや便り

4月号原稿募集

鈴木神父の川柳(続14)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集部 編

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四旬節
四旬節典礼部

復活祭の準備期間としての四旬節は灰の水曜日(今年は2月22日)から始まり、主の晩さんの夕べのミサ(聖木曜日)の前まで続きます。「四旬節」の概念は4世紀に形成されたようで、聖書における「40日」の象徴的な意味(創世記7:4、出エジプト記24:18など)、とりわけイエスの荒れ野での40日の断食と試みの出来事に基づいています。第2ヴァチカン公会議の「典礼憲章」によって四旬節の眼目が洗礼の記念および準備、そして回心にあることが再確認されました。これによって主日典礼の充実、入信の秘跡、回心の秘跡の刷新と結びつきながら、キリストの受難と復活の秘儀に迫っていく四旬節主日のミサは、第1主日=誘惑、第2主日=主の変容、第3~5主日=洗礼準備と回心、第6主日=受難をテーマとされ、とりわけ朗読配分の3周期のうちA年は洗礼準備のために編成されています。

四旬節は復活徹夜祭に入信の秘跡を受ける志願者にとっては最後の準備期間で、この期間に入信志願式を行って求道期から入信志願期に入ったことをはっきりさせます。入信志願式は、原則として四旬節第1主日に行われ、横浜教区ではその日にあたる2月26日(日)に梅村司教様の司式により教区内の170名余と代父母が参加して合同入信志願式が行われました。これに続いて教会は志願者を回心に導くため、「清めと照らし」と呼ばれる儀式を上記のテーマに沿って第3~5主日の3回にわたって行います。この中で司祭は「解放を求める祈り」を唱えます。これは洗礼志願者がキリストの力によって強められ、悪に打ち勝つことを願い、神に選ばれた志願者が弱さと傷から癒されて罪と悪の力から解放されるよう求めるものです。復活徹夜祭に洗礼の約束の更新を行う私たちも、志願者とともに歩むことが望まれます。

灰の水曜日に「回心して福音を信じなさい」という荘重な招きのことばが神の民に向けられたように、四旬節はゆるしの秘跡にもっともふさわしい時です。藤沢教会では共同体の一人ひとりが神と兄弟と和解して過越しの神秘を祝うために、四旬節第5主日にあたる3月25日(日)に共同回心式を行います。また教会は、四旬節中の灰の水曜日と聖金曜日(主の受難)を大斎・小斎を守る日と定めて節制を勧めていますが、これは荒れ野でのキリストの40日間の断食の記念とキリストの十字架にあずかるためです。キリストは断食によって十字架による償いの業と過越しの秘儀に備え、こうして悪魔の誘惑を退けることによって死と十字架へと導いた父のみ旨という食物しか取らない、という意思を示しています。教会の伝統の中で断食は福音への回心のしるしであり、祈り、愛徳の実践と組み合わされて大切にされてきました。私たちにおいても断食は神のみ旨を行い生きるために、離れねばならないこと、あるいは放棄すべきこと全てを意味します。四旬節中に何を断食して生きるか考えながら生きることが大切でしょう。

教皇様は2012年四旬節メッセージで「四旬節は、わたしたちがみことばと秘跡に助けられながら、個人として、また共同体として自らの信仰の旅路を刷新するのにふさわしい季節」と述べられ、互いに思いやりを持って愛と善行に励むように勧めています。



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教会委員会報告(2012年2月18日)

<課題>

1.藤沢教会2020年ビジョンについて

活動部連絡会で検討してきた2020年ビジョンについて概要説明と質疑応答そして今後の進め方が話し合われた。

* これまでは活動部でたたき台を作成し、現在は活動部の部分のみができている。これからは、各ブロックは各ブロックの現状を認識し、あるべき姿と具体的な活動を話し合って欲しい。またブロックから見る活動部のあり方についても話し合っていくなかで信徒全員の意見を一つにしていきたい

* 3ヶ月位を一区切りにして一年くらいかけて話し合うが、まず6月に行われる「共同宣教司牧フォーラム」に、経過が出せると良い

* 各ブロックではこうありたい、こう取り組んでいきたいなど自分たちの言葉で表して欲しい

* 基本方針案として挙げた次の4点は、2000年に4つの教会像として生まれ、継続して話し合ってきたものである。言葉にとらわれないで、もう一度ブロックで基本方針を考えてみるのも良いのではないか

  1. 信徒が自ら築く教会
  2. 信仰を豊かに分かち合う教会
  3. 新たな担い手を育てる教会
  4. 一人一人を大切にし、社会に開かれた教会

2.信徒総会のまとめ

*ミサ後の喫煙について

*「もっと楽しい教会へ」(分かち合い)について

<報告>

3.司祭の人事異動について

トゥ神父は復活祭後に雪ノ下教会の助任司祭として転任されます。3月中頃にロバート神父(ウガンダ・トロロ教区)が協力司祭として着任されます。タム助祭がベトナムでの叙階式後に助任司祭として着任されます。

<ブロック・活動部>

各ブロックは2月19日に拡大連絡会

(北1)3月4日にブロック集会

(北2)2月19日にバザー準備会、2月26日にブロック集会

(宣教部)
・ 3月4日に9:30ミサ後、3部門連続講座
・ 結婚講座は大船教会と合同で3月7月11月の3回定期講座を開催
・ 4月14日幼児洗礼
・ 4月22日から半年間、月2回の予定で堅信準備講座を始める

(典礼部)
・ 2月11日の教区典礼研修会の参加者はおよそ500名、藤沢の皆さんにお世話になった
・ 2月26日には「教区合同入信志願式」がある
・ 3月25日は「静修の日」で共同回心式がある
・ ホールのオルガンが不具合になっているので、使っていないオルガンがあれば寄付のお願いをしたい

(教育)
・ 中高生会は藤沢教会と山梨地区合同で3月24〜25日に、藤沢教会で合宿をする
・ 3月11日に卒業感謝ミサを予定しているが震災の1周年と重なったので検討していく

(福祉)
・ 四旬節の冊子「つなぐ」を活動部やブロックで読んで分かち合いをしてほしい
・ 3月10日に「自死と孤独」の学習会が二俣川教会である

<その他>

・ 震災募金の送金報告
1月委員会以降の寄付分を合わせ、桜の聖母学院・仙台及び福島のサポートセンターに各100万円を寄付した。

・ 活動部担当運営委員
今年度の活動部担当委員が下記のように決まりました。

前山:総務部
岡田:宣教部、教育部
浅野:典礼部、広報部
鶴田:国際部、福祉部



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信徒総会報告

2012年2月5日(日)10時35分より、藤沢教会信徒総会が開催された。200名を超える方々が出席され、事前に配付された資料を基に執り行われた。

第1部 教会委員会より

1. 活動報告(牧野前委員長)

・2011年を振り返って

昨年は、何と言っても3月11日に起きた東日本大震災とそれに伴う原発事故の影響を日本全体が大きく受けた年であった。直接的被害が少なかった藤沢教会としては、震災直後から支援のための募金活動をはじめ、チャリティーコンサート開催、被災地でのボランティア活動、支援のためのバザーなどを行ってきた。

教会では、現在のところ350万円ほど募金が集まっている。このうち既に50万円を仙台支援センターに送付済みであったが、残りの300万円を仙台支援センター、福島のサポートセンター、それに福島県の桜の聖母学院にそれぞれ100万円ずつ寄付することにし、送金を行った。しかし、現地の復興はまだ半ばであり、支援活動は今後も継続して続けていく。

教会の運営に関しては、5月の和野神父の佐久教会への転出に伴い、鈴木神父とトゥ神父の2人体制になったのが大きな変化である。それに伴い、平日と主日のミサ回数を減らさざるを得なくなっている。本日発表があったとおり、4月には新たにウガンダからの神父、ベトナムで今春叙階される神父がいらっしゃる予定であるが、トゥ神父が雪の下教会に転出されるので、また3名体制に戻る。

一方で、藤沢教会信徒の少子高齢化は年々進んでおり(2010年平均年齢は50.1才、2011年の平均年齢は50.5才、2012年の平均年齢は51.3才)、今後の活動全般について、改めて見直す時期に来ている。そのため、活動部連絡会を主体に、教会の将来ビジョン作りを進めていて、近く皆様に提案の予定である。共同宣教司牧の基本方針として示されている「祈る力、伝える力、証しする力を育てる」ことを信徒各人が各々の立場で無理なく役割を担えるように進めていきたい。

・共同宣教司牧に関する第5地区の動き

2011年の第5地区共同宣教司牧委員会の「祈り、伝え、証しする」3部門の活動としては、「祈りの部門」では各小教区の祈りの活動を教区内へ水平展開することと、集会祭儀セミナーの開催、「伝える部門」では青少年への信仰継承のため、両親や祖父母の信仰教育にも注力していく事の重要性を確認、「証しする部門」では証しという言葉が福祉だけでなく、社会的活動も含むことの再認識があげられている。

梅村司教様からも10月29日の大船教会での活動報告で、バチカン公会議以降、信徒に任せられた職務(聖体授与、典礼講座指導など)が多くあり、高齢司祭が多くなってきているときに、信徒が自ら力を発揮することが重要であり、育成のための講座を充実し、積極的な参加を期待されているとのお話を頂いた。藤沢教会で行っている毎月はじめの共同宣教司牧講座は大きな成果を上げていると、よい評価を得ている。また、2010年から行われている活動部連絡会は、複数活動部にまたがる活動の調整と効率化に特に寄与し、3部門の活動推進の原動力となっている。

・合葬の園

1昨年9月、聖心の布教姉妹会修道院敷地内に完成した合葬の園納骨堂は、昨年9月の台風で入り口部分に若干被害があったが、修復を完了している。まだ十分余裕があるので、今年には利用のためのキャンペーンを計画したい。

・ブロック活動状況

各ブロックは、通常のミサ・掃除当番以外に、黙想会、巡礼、遠足、クリスマス会、フリーマーケット参加、ブロック集会などを開催し、お互いの信仰と親睦、そして地域との交流を深めてきた。特に、辻堂ブロックは、10月に「東日本大震災復興支援」をテーマに、被災地の物産販売や、マザーテレサ写真展、チャリティ・ファイナル・バザー・フェスタなどの様々な新しい試みを取り入れた教会バザーを開催し、大きな成果を上げることが出来た。

ブロック活動では、信徒の高齢化進行に伴い、ブロックごとのミサ奉仕・掃除当番の人員確保が困難になったという意見を受け、2012年からはミサ奉仕と掃除の当番月を同一にし、当番のみについては、北1と北2ブロックを合わせて1ブロックと数えて、計4ブロックで月ごとに回す新体制へ移行した。

・活動部状況

各活動部ともそれぞれの分野において活動を展開したが、2010年以降、3部門を中心とした活動部連絡会が定期的に開催されるようになり相乗効果が出てきた。その一環としての3部門共同企画による「祈り・伝え・証しする力を育てる」連続講座は昨年3月から毎月第1日曜日に開催されている。特に11月には典礼部が主体となり信徒による「通夜の祈り」の実践研修を行い、司祭不在時も通夜の式を執り行えるよう勉強した。

宣教部では6月にカトリック中央協議会有村浩一氏を迎え、「司祭減少下での共同宣教司牧」のテーマで共同宣教司牧フォーラムを開催し、教会の現状に関する信徒の理解を深めた。

教育部では、夏の第5地区合同日曜学校キャンプ、一粒会大会、東京神学院ザビエル祭などへの参加を通して、子ども達のよい学習と交流がなされた。

福祉部では、バザーなどを通しての東日本大震災被災地支援を行うとともに、第5地区共同宣教司牧委員会証し部門・第5地区福祉懇談会共催の「証し懇談会」における分かち合いで、自分たちがすでに証しを実践していると再認識した。

国際部では外国人としてフィリピンコミュニティーから初めて代表が選出され、教会委員会運営に参加することになったことが特記される。

総務部ではセンター階段手すり設置、聖堂内照明のLED化、聖堂回廊老巧化対策などの工事を行った。冷房設置についても専門委員会で検討したが、見積金額が最低でも1700万円かかることと、大震災に伴う電力不足を考慮してペンディングとしている。今年は中期計画ではアスベスト工事を予定している。今聖堂内では浮遊アスベストは検出されていないが、いずれ行わなければならない工事であるので工法などを再検討している。

信徒総会・教会の将来ビジョン

現在、教会委員会で藤沢教会の将来ビジョンについて検討している。司祭・信徒の高齢化、子供や青年層の教会離れなどから、あまり明るい未来は描けない現状であるが、すべての信徒が心地よく教会に関わることができ、信仰共同体としての道を共に歩めるようなビジョンを作成し、皆様の検討を待ちたい。

・その他

湘南台センターは、信徒ボランティアによる新体制発足後4年を経過し、順調な運営が続いている。 昨年の信徒総会で提案された聖堂内パイプ椅子の件であるが、その後積極的な変更意見が出て来ず、パイプ椅子の利点もあるので、現状維持と決定した。

・まとめ

現在、横浜教区第5地区でも司祭の高齢化が進み、これから司祭数減少が現実のものとなって来る。司祭・修道者・信徒の3者による共同宣教司牧の意味をきちんととらえ、信徒が自立して教会運営に参加すること、自分たちの小教区内だけでなく近隣の小教区との交わりも深めることを進めながら、将来の複数小教区ブロック運営についても見据えていかなければならない。復興元年の今年、共同体としての新しい一歩を進めていくために信徒皆様のご支援・ご協力を改めてお願いしたい。若い人もお年寄りも、楽しく集い、分かち合える教会になるようお互いのコミュニケーションを深めて行きたい。

2. 財務報告(清水前財務部長)

2011年は、総収入6,691万円、総支出は6,321万円であり、約370万円の黒字となっている。一般会計では約296万円の黒字となった。その内訳では、指定献金収入が増加し、献金収入、寄付金などは減額となった。指定献金収入の増加は東日本大震災募金の分を含むためである。修繕特別会計は、昨年のような高額工事はなかったので、昨年比700万円減少している。また、売店特別会計は173万円の黒字となり、教会に大きく貢献した。湘南台センターの経費は、湘南台センターへの献金収入でほぼまかなうことができている。

なお、教会維持費は低減傾向に歯止めが掛かっていない。2011年の平均献金月額は2,813円となっている。教会維持発展のためには、教会の財政安定化が必要なので、引き続きご理解と協力を頂きたい。

3. 教勢報告(川辺事務局長)

総世帯数2,029(うち不在・不明が403)、平均年齢は51.3歳。これからはベトナム、フィリピンなど外国籍定住者の登録について見えるようにしていきたい。なお、だんだん高齢化してはいるが、一つのよい現象として教会掃除当番の時に男性の出席が増えてきた。

4. 主な質疑

事前質問に対して

・ 敷地内の分煙を望む
→ 喫煙所を指定場所にすることや、灰皿の整理など早速運営委員会で検討し善処する。

・ 今年度の合葬の園特別会計が収支ともに0である理由
→ 今日提示の財務報告は、教区提出のためである。まだ合葬の園が教区に登録されていないので、報告には内容は入っていない。ちなみに、2011年の合葬の園の収入は約700万円、支出は事務費だけなので約10万円であった

・ 教会聖堂内の献金箱盗難対策
→ 過去の盗難等の事件を受けて、現在4つの鍵となっており、献金箱内チェックも複数の財務担当者が同時に行うなどの安全対策をしている

本日の質問・意見

・ 司祭減少に伴い、修道女達がもっと教会活動に関わったらどうか(山内)
→ 修道女の誓願は生涯神に祈ることであり、教会活動は別である。(鈴木神父)

・ 過去の教勢状況も資料に載せたら動向がより見やすいが(古郡)
→ 今後検討をする(委員会)

・ 湘南台センターのミサを復活してほしい。この教会改築の時、北に教会を建てると言うことも考慮の一つであったので、その意向を踏まえ是非お願いしたい(古郡)
→ 教会ではなるべく皆が一つのミサに参加し、一つになって祈ることが望まれている。そのようなわけで、英語ミサの参加者も本当は日本語ミサに出てほしい。ベトナムの方々が大分日本語ミサに出て頂けるようになったのは喜ばしい。今度3名体制と言うことになっても、自動的に前に戻ると言うことは考えないでほしい。また、教会で以前行っていた夕方6時のミサでは、ミサの奉仕者はいつも朝来る信徒がまた来て奉仕してくださっている。夕方来る信徒からの奉仕者がないことも考えなければならない(鈴木神父)

・ 維持費が減ってきているので、経費を効率的にしてほしい。森の幼稚園では、太陽光発電を導入し、年約30万円のリターンが出ている。古郡家でも4KWのものを入れたら、余剰金が3万円ほど出た。教会の屋根は太陽光発電に向いているのではないか。これは一例であるが、効率よい運用を考えてほしい(古郡)
→ 今後検討する(委員会)

・ 共助組合が折角あるのに、利用するのは外国籍の方が殆ど。もっと日本人も利用してほしい。(遠藤)

・ 東北被災地にボランティアをもっと派遣できたらよいが(丸山)
→ 被災地に向け、もっとボランティアを増やす必要があることは福祉部も認識し、実行を計画している。派遣費用の援助とか、他の組織との共同活動も含めて情報を集め、長期支援を考えていく。いずれにせよ、継続的な支援をしていきたい(曽根)

5. その他

新しい教会委員会メンバーが紹介された。八角形にゅーす2月号に掲載済み

第2部 分かち合い

「もっと楽しい教会にするには?」をテーマに数グループに分かれ、分かち合いを行った。12時25分に終了し、閉会に際して出席された小川さんからの指摘に応えて日本26聖人への祈りを捧げた。その後、有志によるおいしい白玉入りのお汁粉をいただいた。



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ブロック委員を引き受けるに当たって

鵠沼ブロック 井上、福井、小藤、清水、牧野

今回地区ブロック委員を5人で引き受けることになりました。昨年12月の鵠沼ブロック集会で「10年後の藤沢教会はどうなっているか?」のテーマで次のようなことが話し合われました。一つは「開かれた教会」についてです。大きな藤沢教会では、大きいためにかえって信徒同志の知り合う機会が少なくなっているという指摘でした。二つ目は「若い人を教会に」についてです。若い人が教会に出てこられる環境づくりを、という指摘でした。更に三つ目の「高齢化の問題」では、気軽にお年寄りが集り、おしゃべりのできる教会にしたいという声がでていました。

これらはいずれも信徒同志の話し合い、交わりを大切にしようということだと思います。通常のミサ、掃除当番以外にブロック集会、種々の勉強会、巡礼などを通して更にお互いの信仰と親睦を深めることができればよいと思います。鵠沼地区は、清水さんが代表として教会委員会に出席しますが、5人の委員が互いのコミュニケーションに意を払いつつ、教会ビジョン達成のための歯車の一つとして役立つべく努力していきたいと思います。皆様のお力添えをお願いいたします。

藤沢ブロック 井上、家田

昨年末まさかのブロック代表のご依頼を受け当惑してお断りしました。でも再びのお声が掛かってしまいました。そしてある方が「必要な力、お恵みは神様が与えて下さるって事信じないの?」と。そして先輩のブロック代表に「二年後にはきっとお仕事して良かったと思うわよ」のお言葉。祈りの中にこれもキリスト者の生き方かなと考えるようになりました。幸い二人制でも良いとの事で私どものコンビでお引き受けする事になりました。

1年目は行事を消化するだけで精一杯かも知れませんが・・・、ブロックにおいて、近隣の連絡、協力、親睦がスムーズになれば神様の体に例えられる共同体全体の機能もより良く活性化していく事ができると願い、微力ながらお役を務めさせていただきます。

皆様のご協力とご指導を頂けます事を信頼してのことなのです。どうぞよろしくお願い致します。

辻堂ブロック 佐々木

昔は主日のミサにきちんと与っていれば、信者としての務めを果たしていると思われていました。しかし、現在では信徒使徒職を大前提にした共同宣教司牧が求められています。高齢化の中、私達のブロックも人数は多いのですが実際に動ける方はそう多くはありません。ミサの奉仕や掃除当番も、無理をすればよろこびが無くなり、不満が募ります。ほんの小さな協力を、一人一人が差し出してくださったら嬉しいです。煩わしいこともあるかもしれませんが、共同体の一員で良かった・・と思えるようでありたいと願います。

各ブロックに割り当てられた仕事に対しては、責任を持って遂行できるよう努めたいと思います。また、東日本大震災支援のための地域の物産の販売を引き続き致します。

先輩の方々との分かち合いの中で、体の不調や体力の衰えを良く耳にします。「明日は我が身」と感じますが、心は神としっかり結ばれていて信仰的な生き方を学ばせて頂きます。ブロックの関わりを通して、お互いの信仰を深め、また親睦と交流の場となりますよう、与えられた役目を老化防止の場と考え、働かせて頂きたいと思います。ご協力をよろしくお願いいたします。

北1ブロック 大泉

後期高齢者世界にどっぷりと浸かり、世情との距離も少しづつ離れてしまっている私に、どういうわけか次年度の北1ブロック委員への要請の声が聞こえてきました。何を今更という思いで高をくくっておりましたが、月日が経ち、寒い風が吹く頃、噂が現実のものとして多方面から縛りが入ってきました。きっぱりとお断りしましたものの、その執拗な要請には立ち往生してしまいました藤沢教会のような大所帯で、しかも活発な教会活動では、横浜教区はおろか日本の中でも際立った存在の教会であるはずです。たとえ1ブロックとはいえキャップになる人材が枯渇してしまったのか、それとも世間の通弊に見習って互いに知らぬ振りを決込んででいるのか、いずれにしても大変なことに違いありません。

「教会は、イエス様が待っていてくださる場であり、ミサは私たちが帰るべきところ」という過般の典礼研修会で講話をされた白浜神父様の話が印象的でした。何気なしに教会に行く、ミサに預かるという気持ちが、いつの間にか私たちの心をお客様にしているのでしょう。教会もミサも本来、私たちが帰るべき唯一の家という意識を取り戻すチャンスを与えられたようです。

家の綻びは小さい孔から始まります。それに気付かされた私は、改めて自分の足元を振り返り、神様が今私に何をお望みなのかを熟慮し、くだん件の役をお引き受けせざるを得ないと思いました。よろよろした足取りで、皆様にご迷惑をお掛けすることと思いますが、できる限りの努力をさせていただきます。皆様のお力添えをよろしくお願いします。

北2ブロック 矢部

「皆様のご奉仕には感謝申し上げます。私も定年退職後には教会業務に協力したいと思います」と、アンケートに応えたのはいつだったろうか。その退職からすでに長い年月を経たが、何もしてこなかった。このたび、代表を打診されたときも理屈をこねて逃げ回った。しかしついに、無理しなくてもよいですよという励ましの女性パワーに支えられて大船(おおぶね)に乗ることにした。乗ってみたらば、船はいろいろな考え方を持つ人々の複雑なネットワークで引かれていることがわかってきた。でも、自然界と同じように、多様性に富んでいるほうが安定するはずだ。船の目指すところは一つであると信じている。




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湘南台センターより

主の恵みと皆様の暖かいご支援により、藤沢教会の子供として新湘南台センターが開設されてから、4年が過ぎました。5年目に入った今年、去る1月28日に本年最初のボランティア集会がありました。トゥ神父、牧野宣教部長、センターのオーナー片山様始め、約40名の方々のご出席をいただきました。今回は、当センターで活動してくださっている各グループの責任者にご出席をお願いし、その活動内容を説明していただきました。以下、簡単に、グループのみをご紹介します(括弧内は指導者または責任者のお名前です)。

すべてのグループで、途中参加の方々をお待ちしています。各グループの活動内容の詳細はあまり長くなるので今回は省かせていただきましたが、センターにお問い合わせ下されば、ボランティアスタッフがお答えいたします。


・社会に生きる人の聖書(岡村さん)
・3月より横浜教区エンコム
・横浜の信徒使徒養成講座が始まります。(Sr・ロサリオ、ラティノスのための講座です)
・GAグループ
・スペイン語ミサ


・手作りの会(中村さん)
・寿々芽の会(酒向佳子さん、二期会所属)


・みんなで読む聖書(天ヶ瀬さん )
・主日聖書分かち合い(鈴木神父)、易しい聖歌、賛美歌を楽しく歌う会(2月より始まりました)


・コーラス、リコーダー(野沢さん)
・リフォーム教室(五木田さん)、主日聖書分かち合い(トゥ神父)
・折り紙教室(野中さん、矢部さん)


・トゥ神父Q&A講座(トゥ神父)
・オカリナ教室(松田さん)、声楽グループ(金子カツ子さん)
・NAグループ


・かな書道(中山さん)
・聖書で学ぶ(川辺さん)
・祈りの会(田所さん)、ミサの歌を歌うグループ(片桐さん)
・ビデオ会(笠島さん)
・AAグループ


・第二土曜にミサ

湘南台センターで活動してくださっているグループは以上ですが、空いている時間があります。2,3名の小グループから15名前後のグループまでの利用が可能です。できれば当センターの設立目的である「宣教の場」として、未信者と信者の混成グループが理想ですが、どのような形でも構いません。また、臨時の集会にもご利用いただけますので、どうぞご検討ください。

* センターの当番ボランティアは常時募集中です。当番は、午前中は10時から13時まで、午後は13時より16時までです。お時間のある方、どうぞセンターまでご連絡下さい。お待ちいたしております。



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典礼研修会に参加して
湘南台 宮崎

典礼研修会2月11日(土)第31回横浜教区典礼研修会が当教会で開催されました。寒さにもかかわらず教区全域から455名の方が参加されました。この日のテーマは「ミサを生きる」。講師として日本カトリック神学院で神学生を教えていらっしゃる白浜満神父様とカンペンハウド神父様にお話し頂きました。

最初に白浜神父様が、ぶどう酒の聖別のことばを唱え、その中の「罪のゆるしとなる新しい契約」という言葉を示し、「どうしてミサが罪のゆるしのためといえるのか、新しい契約の血といわれるのはなぜかを一緒に考えていきましよう」と、話し始められました。その主な内容は次のようなものです。人間は神様のいのちを持っていない、神様との親しい関係から離れた状態で生まれてきますがそれでは幸せになれない。そこで神様は私たちが一人も滅びないで永遠のいのちを得るために独り子を人間としてお遣わしになりました。イエス様は父のもとからこの世に来て「友のために自分の命を捨てること、これ以上の大きな愛はない」(ヨハネ15:3)とおっしゃり、それを実行しました。イエス様は「満願のささげもの」(詩編22:26)として十字架上でご自分の命をお献げになったのです。その恵みとして私たちの罪がゆるされ、聖霊をいただき、永遠のいのちに導かれるのです。「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです」(ヘブ9:15)新しい契約の恵みは洗礼から始まり聖体に至る諸秘跡の中で人々に与えられます。ミサは七つの秘跡全体が表そうとしている新しい契約の記念(祝い)です。祝い続けるためにイエス様がお示しになった式です。最後の晩餐の時にイエス様が残された恵みは、パンとぶどう酒という目に見えるしるしだけではありません。それと同時に自ら弟子の足を洗うという行為を通して、新しい愛の掟をお定めになったことにも表されます。イエス様の願いは一人も滅びないで救われること、しかも一人で救われるのではなくて共同体として皆が一緒に救われることです。新しい契約の入り口が洗礼、洗礼の恵みを自分自身が意識しながら永遠のいのちの完成のためにご聖体を頂き、信仰を生きていく。そして、他の人にも伝えていく。これが私たちの使命ですということでした。 典礼研修会


昼食を挟み、午後からのカンペンハウド神父様のお話しは「ミサは聖霊降臨でもあります」というタイトルでした。「ミサは三位一体の交わりである。ミサはイエスさまに対する祈りではなく、御父に対する祈りであると考えたほうがよい。御父と御子を一つにするのは聖霊なのでイエスの死のうちに聖霊は働いています」と前置きされ、ミサについて奉献文を具体的に取り上げ、説明して下さいました。なかでも「奉献文の中心はエピクレーシスです。第一のエピクレーシスは聖霊の力によってパンとぶどう酒はキリストの体と血になるように祈り、第二のエピクレーシスは私たちがイエス様と結ばれ、ふさわしい献げ物となるように祈る」とおっしゃったことが印象に残り、私たちに奉献文の持つ豊かさと素晴しさを教えて下さると共に、ミサの中に見える聖霊の働きを気付かせて下さいました。

研修の最後は、参加された神父様方の共同司式によるミサが行われました。今まで何気なく聞いていた奉献文に注意深く耳を傾け、心をキリストと一緒に御父に向け、聖霊の働きによって私たちは一つになることができたようなきがしました。最後に、お忙しい中、私たちのためにお話し下さった二人の神父様、また、この日のために準備をして下さった方々に感謝いたします。



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釜石でのボランティア活動
鵠沼1区 丸山

2月はじめ一週間ほど釜石で働いてきました。3度目ですが、震災当初と違い市内あちこちにまだ建物の残骸は残っていますが、瓦礫は撤去され、あちこちに平地が目立ちました。道路の交通信号は点き、ダンプカーを含めたくさんの車が行き来していました。歩行者も少なからず目にしました。被災者もほぼ全員仮設住宅や借家にすむようになったようで、ふつうの生活が戻りはじめているように思われました。援助活動も被災者のニーズを反映し、物質的なものから精神的な支援に重点が移ってきています。釜石での具体的な活動は、回収された写真の洗浄と教会敷地内でのお茶っこ、各地の仮設集会所でのお茶っこの運営が主たるものです。教会内ではお茶っこのほか保健士と専門家によるストレッチ体操や子供たちとの学習会などが好評でした。時々社協(社会福祉協議会)を通し、支援物資の配布手伝いや、地元の祭事への参加などもありました。滞在中大雪が降りましたが、すぐ仮設での雪掻きをしました。釜石の支援センターでは、活動の前後朝夕にボランティア・ミーティングがありますが、援助の基本は地元の方々の意向に沿うことが第一であり、我々はそれを援助することであると強調されます。

今援助する側に「心のケア」の大切さが言われ、「傾聴」がブームのようになっています。例えば、お茶っこの場で、ほぼ100%と言っていいくらい被災の体験が話されます。参加者が共感し涙が流されることも稀ではありません。そこに確かに深い癒しが生まれています。

今回のある仮設でのことです。80歳くらいのご婦人が当仮設の友人とお茶っこに参加されました。毛糸を編みながら地震の被災体験を話されました。自分だけ助け出されたこと、一緒にいたほかの人は皆海にのみこまれ亡くなったこと、私だけが生き残れ、いただいた命を大切に生き、これからはゴミ一つ拾うにも、その感謝を表したいと話してました。そしてたくさんの人たちが海で亡くなったが、海はめんこい(可愛い)海とこれからも共に生きていくと言われました。20人ぐらいの方々の多くが泣いていました。シスターのひとりは目を真っ赤にしていました。被災地の方々は自身で立ち上がる力を持っておられるとあらためて感じることができました。その方がさらに皆さんの助け、ボランティアの助けに私たちはどんなにか励まされてきたかとも話され、今後ともよろしくお願いしますと言われました。

今後のことですが、1月21日真生会館で「震災後をどう生きるか」と題する連続公演の第1回で精神科医の野田正彰氏が次のように述べていますが、私の被災地での実感と重なっています。「今しなければいけないことは、まず被災者が生活再建していくことの支援、さらに体験した被害について被災者同士が話し合う場を提供すること」。そのためには、ボランティアが必要ですが、数が足りません。一人でも多くの方が働いてくださるように願っています。カリタスジャパン・仙台に連絡してくだされば面倒なことは何もありません。

ほぼ毎月被災地に出向き働いているシスター・キャスリンの言葉を紹介します。「被災地は初代教会のようです。・・・文字通りすべてを失いようやく今、一歩を踏み出そうとしているところです。互いに手を差し伸べあって、一日一日、精一杯生きています。このような方達と共にいて、ほんのわずかでも一緒に歩むことができることは、一つの恵みであるとさえ思えます・・・」。



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ボランティアチームを目指して
福祉部

昨年の大震災から間もなく1年が過ぎようとしています。藤沢教会では震災支援として、多くの方々がコンサート、物品販売などを通し皆様の想いを東北へ届けて来ました。今、「人に寄り添う」ボランティアがしたいと多くの声が聴こえてきます。「傾聴」「写真の洗浄」「がれき撤去」など始めませんか。私達がまだまだ知らない支援もあるかもしれません。今「毛糸」を集めています。現地に持って行き集会場でおしゃべりをしながら編んでみませんか。出来た物は、こちらで販売しようと思います。仙台教区サポートセンターと連絡を取り合いながら藤沢教会が長く続けられるボランティア活動を探して行きましょう。ただ訪問するだけでも嬉しいと思われる方も必ずいらっしゃいます。参加できる方、事務所にお名前を記入してください。皆様のご協力・ご支援を重ねてお願い申し上げます。



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理想の共同体を目指して
鵠沼3区 平野

私の、子供のころの公教要理には「善とは神様を喜ばせる行いをいいます。徳とは善を行う習慣をいいます」とありましたが、私たちの藤沢教会には善を積み重ねている徳の人が大勢いらっしゃるようです。

教会事務所には現在70名の病気の人たちが登録されています。この病気の人たちに、ご聖体を運んで下さる目立たない聖体奉仕者の方たちがいます。火曜日の炊き出し以外にも、毎日、食べ物を求めて教会に来る大勢の人たちに、気持ちよく一杯のラーメンを作る方たちがいます。初めてごミサに見えた人たちに優しく声を掛ける方たちがいます。余人を以っては替えがたい大事な教会の仕事に、永年黙々と取り組んでいる方たちがいます。人の嫌がるきたない・きつい・きけんな仕事に汗を流して、この教会を支えている裏方さんのレオの人たちがいます。他にも、売店がりらやの加勢、福祉のためのソバ打ちやケーキ作り、祭壇の生け花、香部屋のアイロン掛け、司祭館の手伝いなど、私が知るだけでも枚挙に暇がない程です。

この方たちの働きはすべて、教会は神様の住まい、共同体は私たちの家族という、信仰の精神と家庭愛から出たものでありましょう。それも、にこにこいそいそ、遅れず休まず働く姿には頭が下がります。「言葉は人を感動させるに留まるが模範は人を引っ張る」と云いますから、このような働きの模範が教会全体に及んで、今の素敵な共同体があるのでしょう。

私は、藤沢教会は理想に近い共同体だと感じています。それは、先程申し上げた個々の善意の働き手が多いことに加えて、いくつかの思い当たることがあるからです。例えば、理想の共同体は主任司祭と信者たちの間、信者同志の間がしっくり行っている所に育つと聞きましたが、それは正しく実感でしょう。またこの教会には日曜日のごミサの他に、週日の朝のごミサにも、大勢の方が与るよい習わしがあります。思い出しますその昔、長崎のキリシタンの里の教会でもそうでした。子供たちが学校に間に合うように、ごミサはあさ6時。同じ心の人たちは、椅子もない、祈り台もない板張りの床の祭壇の近くに、肩を寄せあい、大きな声で祈っていました。懐かしいです。

「藤沢教会は頼りになります」と、横浜教区からお言葉を戴いて久しくなりますが、その横浜教区に管理が移されました。コロンバン会から横浜教区への移管は、大きな関心事でしたが、今では話題にもならないようですから、この移管の件は誰も気付かないくらい、ごく自然な流れの中に完了していたということでしょうか。お見事でしたの一言です。教会の組織活動の信心・研修・福祉・教会学校などは、優れたリーダーや世話人たちにも恵まれて、極めて順調に活発に機能していると感じています。特に喜ぶべきは、教会の使命でもあり生命でもある、洗礼を授かる人たちが年々増え続けていることです。又、私たちの藤沢教会は、多くの国、多くの民族の人たちで構成されている、3,800人の大きな寄り合い所帯です。国が違います。言葉が違います。生活習慣が違います。生まれも育ちも違い、互いに欠点もある他人の集まりです。この、多事多難な事態が予測される厳しい環境の中にあって、今まで長い間平穏無事に過ごされてきました。これは私達みんなが一つの家族のように別け隔てなく、親しみ交わってきたからだと思います。具体的には、前にこの教会におられたハンラティ神父様のご指導に沿って、理想の共同体を目指して互いに祈り合い、互いに赦し合い、互いに助け合い支え合ってきたからでありましょう。そこには或いはお互いの間の絶え間ない目配り、気配り、思いやり、忍耐の支え合いが必要な時もありましたでしょう。

私は昨年の外国人コミュニティの集まりで「私達は藤沢教会に居られて本当に幸せです」の声を耳にしました。外国人コミュニティの方たちは永い間、慣れないこの藤沢の地で、難しい言葉の壁にも苦労しながら、リーダーを中心に信心業にも催し事にも積極的に参加して、すっかり藤沢教会に溶け込んでいるようです。今では、その一番小さな国、一番小さな民族の一人に至るまで、皆が、ここに自分の居場所があると私は信じています。また、是非そうあって欲しいと心から願っています。

以上のような事柄はすべて、私たちの共同体の中で起きていることです。私たちの共同体が産み出したものです。このような共同体は理想に近いと云えるのではないでしょうか。「現状維持は退化を意味する」とも云います。私たちは、折角のこの素敵な共同体を退化させないためには、絶えず、時の流れや環境の変化に留意して、適切に対応していく必要がありましょう。

例えば、レオのグループで云えば、働き頭であった我妻さん、田辺さん、窪田さんは、若くして天国へ召されました。グループは歳をとりました。人数は少なくなりました。このような窮状を思いやってでしょうか、有志の方々から申し出がありました。それは「お御堂の、あの高い天井の34箇の電球が切れるとすぐに取り替える、レオでなければ出来ない仕事はレオに任せて、整理整頓や教会庭の美化作業などは出来る人たちだけででもやれるように、そのためのシステムが欲しい」ということでした。良い対応策だと思います。

次の日曜日は信徒総会です。ご記憶でしょうか。数年前の信徒総会で、興膳美保子さんが提案されたことがありました。「教会は私たちの家庭です。教会には誰にでも出来る仕事が沢山あります。信者の数も多くなりましたから、一人一役を目標に、自分に出来ることで、教会に役立つことをしませんか」という呼び掛けでした。重い十字架は大勢で担げば軽くなりましょう。沢山の十字架もみんなで分ければ少なくて済むでしょう。この呼びかけに対して、私達は素直に受け止めて、適切に対応してきたと思います。これには、信仰の精神と家庭愛の実践が必要でした。このような経験を重ねながら、藤沢教会は、理想の共同体に近づいているのでしょう。

「共同体は私たちの家族です」と云います。家族はお互いをよく知っているでしょう。実は、私自身はこの3,800人の家族の中で、顔と名前が一致する方が余りにも少ないのを、何時も恥ずかしく思っています。皆さんは如何でしょうか。お互いを知る機会は多くあるのにです。例えば日曜日、ごミサが終わると必ず、教会の庭に出て信者を待っている司祭たちの姿があります。修道院で理想の共同体を現実に生きておられるシスターたちも見えています。教会活動のリーダーや世話人たち、腕章を付けた案内係の皆さんも大勢おられます。この方たちは、私達の方から話し掛ければ、きっと喜んで対応して下さるでしょう。とは申しましても、初めての人に、こちらから声をかけるには、なかなかに勇気のいることではあります。

最後に、私こと88歳。末期高齢者のためにもお祈り下さい。お願いして話を終わります。(1月29日の教話より)



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社会に生きる人の聖書
善行 岡村

社会に生きる人とは、信徒を含む全ての人です。信徒とだけではなく信徒でない人とも聖書を読みたい、そこに制度的な差別があってはならないと思います。福音をのべ伝えるイエスに何らその差別はありません。

聖書や福音書で用いられる言葉は、日常の手段にする言葉とは異なり、言葉自体にその意味とはたらきがあるのではなく、交わりのはたらきとしてあります。その言葉がさまざまな場面で、どのように用いられているかをしらべ、確かめながら私たちは用いなければなりません。たとえば、ミサの中で「主の平和」と唱えるのは、その前後に私たちになにが起こり、またはじまっているでしょうか。その意味とはたらきは、その交わりのなかで受け止めなければならないでしょう。

ヨハネによる福音20章で、復活したキリストがいいます。「あなたたちに平和があるように。父が私を遣わしたように、わたしもあなたたちを遣わす」そして弟子たちに息を吹きかけて云われた。「聖霊を受けなさい。あなたたちがゆるせば、だれの罪でもゆるされ、ゆるさないで留めおけば、ゆるされないままに残る」と。



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神奈川県下に収容された連合国軍の俘虜たち
鵠沼3区 高木

1.大森俘虜収容所大船分所

昭和17年(1942)の初め、新田丸がウエーキ島から連合国軍の俘虜を乗せ横浜に入港しました。その時、20名の俘虜を引き取り山下町のボート・クラブに収容し、のちライジング・サン社の社宅に移しました。当時連合国軍の俘虜の取り扱いは日本陸軍の監視下であり徐々に大森収容所へと送られていました。ところが海軍の艦船でも多くの俘虜を乗せ横須賀周辺に入港するようになりました。そこで「俘虜仮収容所規則」により横須賀鎮守府司令長官の命令で大船に仮収容所(2,000坪)を設置することになりました。管理は横須賀海軍警備隊司令官が行い所長に海軍大尉大内信太郎を任命し警備兵15人を配置しました。

そもそも大船の地(鎌倉郡植木村)は比較的世間から疎く交通の便も良いため、且敵の空襲からも安全な地ということでした。現在の栄光学園のグランドの下にある竜宝寺の前にあった某会社の社員寮でした。当初は収容人員100名として手続き次第大森収容所に送る計画でした。その中、内地で空襲も激しくなり大森収容所も移転する予定でしたので大船仮収容所も満杯になりました。ある日、全身火傷の俘虜がリヤカーで運ばれてきました。間もなく死んだそうですが収容所には軍医の海軍大佐秋田仁郎が治療にあたっていました。そして戦争が終わるまで6人の死者が出たそうです。何れも竜宝寺の門前にある山裾に葬られたということですが、現在は竜宝寺トンネルの工事で跡形もないとのことです。

死亡した将校の名前は次の通りです。

海軍中尉ウイリアム・ズイマ
マネル・ナンシュトン・ブリ
イメル・イーマン・ウエスレー
リチャード・エンファルト・ジュ二ア
アネス・エフ・ベンショウ
諾機関長アントン・ミンザイズ

昭和20年(1945)8月15日、日本軍は連合国に対して無条件降伏しました。そこで俘虜収容所の機能も停止したわけです。その時の収容所長は海軍特務少尉飯田角蔵でした。同年8月30日、連合国軍総司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に来ました。その時9月1日には正式な手続きもなく英濠兵5名とアメリカ兵98名が強引に逃亡してしまいました。その後埋葬された6人の遺骸は掘り返され本国に運ばれたということです。それ以来、竜宝寺の住職が毎年盆の頃には供養して境内に新しい卒塔婆を6本立ててくれていました。現在、収容所跡は住宅地となり面影はありませんがただ監視塔の土台がいくつか民家の庭に残されています。(大船フラワーセンター方面へ)

2.神奈川第2抑留所

昭和17年(1942)1月23日、日本軍がビスマルク諸島ニューブリテン島ラバウルに上陸しました。そして日本軍とオーストラリア軍と激戦になりましたが2月28日には民間病院も閉鎖されてしまいました。その時何人かのオーストラリア軍陸軍所属の従軍看護婦が捕まってしまいました。続く7月5日オーストラリア軍従軍看護婦18名が鳴門丸でラバウルを出港し7月14日俘虜60人余と共に横浜に入港しました。翌7月15日彼女たちは中区山下町のバンド・ホテルに収容されましたが8月5日にはヨット・クラブに移されてしまいました。勿論彼女たちは非戦闘員でもあり約2年間に亘り軟禁されてしまいました。そのことは国際法違反のため赤十字国際委員会日本代表部に知らされませんでした。その代表部は横浜市中区山下町254番地にありました。

昭和19年(1944)7月9日、彼女たち19名は横浜市内が空襲の危険に晒されるようになったため郊外の戸塚区中和田にあった木造平屋建ての避病院跡に移されました。そこは曾て鎌倉郡中和田村と言い辺鄙な場所でした。そして時々箱根強羅に疎開中のローマ教皇庁使節パウロ・マレラ大司教が慰問に訪れていたようでした。現在は横浜市泉区となり賑わいのある街になっています。(相模鉄道いずみ野線いずみ中央駅下車)

昭和20年(1945)8月15日、日本は敗戦を迎えました。そして8月30日には連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場到着。翌8月31日横浜のGHQへ向かう米軍の隊列のジープに彼女たちは訴え出て救出されました。

以上は連合国俘虜やオーストラリア軍従軍看護婦の中にもカトリック信者がいたと思われますので記しました。



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「卒原発を考える会」

あの東日本大震災・福島原発事故から1年が経ちますが、多くの深刻な問題が山積しています。原発事故の処理と被災者救済がいかに進むのか、原発の再稼動が始まってしまうのか、再生エネルギー法案が骨抜きにされないかなど今年は日本の原発問題の将来を決める重要な年となるでしょう。

当会はメンバーを決めて活動するというのではなく、藤沢教会の全ての皆さん(外部の方でも結構です)が卒原発について勉強し、考え、行動するための場を提供する集まりです。昨年9月11日スタート以来、講演会、DVD上映、話し合いやデモ参加、署名活動などを行ってきました。春には福島バス旅行を企画中ですので皆さん是非参加して下さい(この事故の深刻さ、悲惨さそして真実を知るには現地を見ることが一番です)。当会のブログ(http://sotsugenpatsu.blogspot.com/)も是非ご覧下さい。

1月には横浜で開かれた「脱原発世界大会」にも手分けして参加しました(梅村司教もメッセージを寄せられました)。ここでドイツ人の講演者から2つの指摘がありました。その1は「日本人は原発についてもっと勉強すべきだ。ドイツの人達は政府の発表、マスコミの報道を鵜呑みにせず、自分で真実を知る努力をし、これが市民活動の原動力となっている」。2つめは「ドイツ政府が原発の是非を検討したのは倫理委員会である。日本は倫理面からの声が弱いのではないか」です。

日本カトリック司教団の声明――「これ(原発問題)を倫理的な問題として考え、原発の即時廃止のため、我々は生き方を改め・行動をすべきである――がかえり見られていなのです。これは我々の責任です。今こそ、みんな一緒に勉強し、考え、行動しようではありませんか。

(辻堂2区 益満 )



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<アジア学院 つながる古本市>

3月17日(土)〜20日(火)まで
おうちに眠っている古本はありませんか?
どうぞアジア学院までお送りください。
※受け取りは3月16日まで

[送っていただく際のご注意}

  1. 読む方の立場になって、汚れ、破れ、日焼け、書き込みがあるものはご遠慮ください。
  2. 本のジャンルは基本的に問いません。(絵本・マンガ・洋書も可)
  3. 雑誌(週刊誌・月刊誌・情報誌等)、教科書、参考書、コンピューター解説書、文学全集、百科事典などはお断りいたします。
  4. 環境や農業、エコやスローライフなどに関する本、大歓迎です。

※ この古本市の利益は、アジアやアフリカの農村リーダー研修の奨学金となります。

送り先:
〒329-2703学校法人アジア学院
栃木県那須塩原市槻沢442-1 TEL:0287-36-3111



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2012 年横浜教区合同入信志願式

合同入信志願式合同入信志願式2 月26 日(四旬節第1 主日) 藤沢教会で横浜教区の合同入信志願式が、梅村司教様の司式で行われました。当日は32 教会より163 名の志願者が集まり決意表明を行い、塗油と祝福を受けました。

藤沢教会からの志願者は下記の方々です。
石塚さん、山川さん、伊藤さん、出口さん、水野さん、堤さん、下里さん、三好さん、米山さん

どうぞ志願者の皆さんのためにお祈り下さい。

 

 

 


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がりらや便り

寒さの中の四旬節に、聞き慣れないがなぜか懐かしい言葉で訳された福音を味わってみては如何でしょか?声を出してお読みください。先月号巻頭言で前山氏も触れておられましたが、山浦氏の著書2冊を新刊と共にご紹介いたします。

「石が叫ぶ福音―喪失と汚染の大地から―」
林 尚志著 岩波書店 2,625円

社会を変える力は、今を生きる人々の発信するものと地道な営みを通したつながり、それをバネとして湧き上がる行動から汲み上げるしかないと、基地の沖縄に、3・11後の東北に、東ティモールに・・現場を走り続ける焼け跡派の神父。原発で再び現出した廃墟のがれきの中から希望を紡ぎだすための戦後日本の記録


「イエスの言葉 ケセン語訳」
山浦玄嗣著 文藝春秋社 819円


「ガリラヤのイェシユー 日本語訳新約聖書四福音書」
山浦玄嗣著 イー・ピックス出版 2,520円




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4月号原稿募集

「八角形にゅーす」4月号(復活祭特集号)は4月8日(日)に発行を予定しています。復活祭にちなんで、出会い、思いで、体験、意見などなんでも結構ですのでご寄稿ください。またトゥ神父の送別にあたって、思いで、感謝などの原稿も募集いたします。よろしくお願いいたします。  

締切:  3月25日(日)  
字数:  1600字以内  
応募::  e-mail の場合  広報部:hakkakukei@gmail.com または  教会:cathoric@cityfujisawa.ne.jp まで
書面の場合は教会事務所までお持ちください



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鈴木神父の川柳(続14)
編集部編

今回はA年その5とB年その1です。( )内は鈴木神父の注記です。

2011年

11/6
天の国いつの日来るか想定外
(年間第32主日)「マタイ25:1〜13」
(世の終わりのことを忘れていたり心配しすぎたりしているならちょっと調整)

11/13
厳しいと思えば神はそれなりに
(年間第33主日)「マタイ25:14〜30」
(神さまから沢山の恵みをいただいていると思えないと
1タラントン預かった人のように神様が見えてくるのでは・・・)

11/20
神さまが愛する者なら裁けるの?
(王であるキリスト)「マタイ25:31〜46」
(愛そのものである神様の裁きって何だろう
神の愛に絶望しない限り救われるということかなあ?)

待降節に入りB年その1です。

11/27
神さまは遠きにありて思うもの
(待降節第1主日)「マルコ13:33〜37」
(神に見放されたような思いの中で神の愛に気づくことがある)

12/4
つまらないものでよいのだわかるかな?
(待降節第2主日)「マルコ1:1〜8」
(自分のつまらなさに気づくとき不思議に主の偉大さにふれる)

12/11
召し出しは思わぬ人にやってくる
(待降節第3主日)「ヨハネ1:6〜8、19〜28」
(神の召し出しは人間の予想とは違うが召し出された人は
履物のひもを解く資格もないと思えば大丈夫)

12/18
君だっていつかマリアになるんだよ
(待降節第4主日)「ルカ1:26〜38」
(思いがけない神のお呼びに応える恵みが与えられる日がいつか来る)

12/24
想定外だから人生おもしろい
(クリスマス夜半)「ルカ1:67〜79」
(今年印象に残ったことば思えば神のわざは結構想定外)

12/25
思い出せ言葉の力がそのしるし
(クリスマス日中)「ヨハネ1:1〜5、9〜14」

2012年

1/1
変わるもよし変わらぬもよし去年今年
(神の母)「ルカ2:16〜21」
(祝福があると信じて大きくゆったり構えられるかな)

1/8
やきもちは食べるぐらいにしておけば
(主の公現)「マタイ2:1〜12」
(神の民以外に救いの手が広げられていることを信じる心は
ねたみや心配から産まれる不思議)

1/15
信頼が産まれるために信頼が
(年間第2主日)「ヨハネ1:35〜42」
(エリとサムエル洗礼者ヨハネとアンドレの間にあった信頼関係が
主への信頼に向かわせた)

1/22
呼ばれたらついて行くけど今はだめ
(年間第3主日)「マルコ1:14〜20」
(人生には何度か神さまに呼ばれる時があるようだが
準備ができていないこともしばしばあるなあ)

1/29
悪いのは自分と言える神のわざ
(年間第4主日)「マルコ1:21〜28」
(悪いのは自分ではないと言いたいことが多いのに
自分が悪いといえるのは悪霊を追い出す力のある神さまの働きでしょう)



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