藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2012年10月14日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

「祈り祈る」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部 部長 浮田

教会委員会報告(9月15日)

2012年横浜教区平和旬間行事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宣教部 牧野

イエスによる平和 ―平和のための合同祈祷会報告―・・藤沢市内キリスト教連絡会代表 関

鵠沼ブロック集会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 入江

「敬老の集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 佐藤

ガーデンパーティ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・べトナムコミュニティ キム

2012教会学校サマーキャンプ報告

カトリックスカウトキャンポリー

ガールスカウトキャンプに参加して

東北ボランティア活動サポートチーム報告

石巻ボランティア体験記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 内藤

福島愛育園の子どもたちを迎えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 益満

「希望の灯」 2012カトリック藤沢教会バザー・・・・・・・・・・・2012バザーチーム

甲斐国で育った福者遠山甚太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

教会の現代と典礼の現代への刷新・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

タム神父の横顔

がりらや便り

鈴木神父の川柳(続16)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集部 編

 

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「祈り祈る」
典礼部 部長 浮田

祈り祈るもう何年も前に出た黙想会だが、その時の神父様の講話が忘れられない。

私は、その昔広島にいたことがある。この地が大変気に入っていたので、ずっと居たいと思っていた。ところがある日、突然長崎への異動が命じられてしまった。かなり落胆した私は、少し落ち着こうと静かな山間部にある黙想の家へ行った。一人山を歩いても中々冷静さを取り戻すことができずに、思わず何回もキリストのバカヤローッ!と怒鳴ってしまった。しばらく歩いて建物へ戻ると、シスターが心配そうに私を出迎えてこう言った。「神父様、山の中で変な人に出会いませんでしたか?何でもキリストのバカヤローって、怒鳴って歩いている人がいるんですって・・」。

神父様は、これが本当の祈りだと話された。へぇー、キリストのバカヤローなんて祈っていいの!?私にとって今も消えない新鮮な衝撃だった。確かに、キリストや神様は私のことを全てご存知だ。今更変に気取っても仕方がないのに、神父様のように中々本音で祈れない。実は、自身をさらけ出すのは、そう簡単なことではない・・逆にとても難しい。ある人からのアドバイス、「神やキリストを自分の親友のように思い、親友に話しかけるように祈ればいいのさ。」なる程、自分に関する祈りならそれでなんとかなるかな。でも・・自分以外のことを祈る場合はどうか?例えば、今回の震災で被害に遭い、犠牲になられた方々への祈り。本当に気持ちを込めて祈れているのか、残念ながら自信はない。そんな私にでも、神様はちゃんとお恵みを送って下さる。申し訳ないというか、ごめんなさい。

デンマークの哲学者 キュルケゴールは祈りに関してこう語っている。「最初、祈りというものは話すことだと思っていましたのに、今は、祈りとはただ黙っているのではなく、聴くことであると分かってきました。祈る人は、神の声を聴くまでに静かに待つことなのです」。自分では何も口に出さず、沈黙の中に神の声を聴く・・祈る時、ひとり山や荒れ野へ行き、神のみ言葉を聴いた、正にキリストの祈り。こんな祈りができたらもう最高だ。ローマへ留学中のロバート師がミサの最中踊られたことがある。これは楽しい祈り方。8月に教区の典礼委員会夏合宿で、当別トラピスト修道院で2泊3日を過ごした。修道院の祈りは3時45分読書の祈りに始り17時15分の晩の祈り・寝る前の祈りで終わる。その間、労働、勉学、種々の祈り・・これが毎日繰り返される。パイプオルガンの調べにのって唄うように唱える祈りの美しいこと、まだ耳から離れない。神のみ旨を行なおうとする生活のリズムの中にこそ本当の祈りが育つというが、これが真髄だろう。願い・信条・定型・自分の言葉・歌・踊り・祭り・赦し・感謝・賛美・瞑想・・・祈りの多様性には驚くばかり。パターン化した自分の祈りを見直すのはどうか・・そこに、キリストとの新しい出会いがあるかも知れないと、ひとり呟く日々。

祈りは個人の祈りだけでなく、教会共同体としての祈りがある。ミサ、集会祭儀や葬儀関連(納棺・通夜・告別式・納骨等)、これらの場で私達信徒は、司祭や修道者と共に洗礼と堅信の秘跡をとおして聖霊の賜物を受け、教会の使命に参与していて、その使命を果たすために共同責任を担っている。これが共同宣教司牧の基本的な考え方で、信徒には聖職者・修道者の力に頼らず、自らの力によってその任務を果たしていくことが求められている。具体的には、神父様しかできないミサや秘跡に関わること以外、信徒は自分たちでできる祈りは、自分たちでやりましょうということ。祈る力を育てる部門として典礼部は、教区の典礼委員会と共に信徒自らの力で祈れる教会共同体作りを目標に、各典礼奉仕者養成などこの為の体制を整えてきた。が、これをより強固なものにするには、信徒ひとりひとりの意識改革が是非とも必要でだと思う。10月から第2日曜日9時半ミサ後、小教区内典礼研修会が3回連続で予定されている(来年以降の研修会は未定)。関心がある方は、奮ってご参加下さい。

わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の御心を行う者だけが入るのである(マタイ7:21)。



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教会委員会報告(2012年9月15日)

<審議事項>

1. 教会ビジョンアンケート結果と今後の展開

1年かけて検討してきたが、ひとまず今回のアンケートをもって2012年度のビジョンのまとめとします。98名の方からアンケートの回答をいただいた。いろいろな思いや考えのあることが見えてきた。国際部の意見が入っていないが、新しい意見があれば追加していく。教会委員会として、基本的に2020年ビジョン基本方針を了解した。

・ 近隣小教区との交わりのため 
・ 信徒自ら祈る力を育てるため
・ 信徒自ら伝える力を育てるため 
・ 信徒自ら神の愛を証する力を育てるため 
・ 外国籍信徒との交わりのため 
・ 信徒自ら築く力を育てるため

に担当分野での対応を検討し具体的な取り組みを進める

2. 天主堂献堂150周年記念行事 参加者募集

11月 24日(土) パシフィコ横浜 国立大ホールで横浜天主堂献堂(日本再宣教)150周年記念ミサと記念講演などが行われる。10時30分から講演会、14時20分〜16時の感謝ミサに参加できる方は9月末までにブロックごとに申し込み(幼児も含めます)をまとめてください。日曜学校の子供たちは別途申し込みます。会場の都合で他の弁当・飲物などの持ち込みができません。昼食の必要な方は800円(飲み物付き)を添えて、会場ホテルが用意したサンドイッチ弁当の申し込みをしてください。後程、入場票と弁当の引換券を渡します。車いす席、手話および要約筆記席の用意があります。申し込み時にその旨お申し出ください

3. 3部門共催連続講座の開催日変更

第1日曜日の9:30ミサ後に実施していた連続講座は第2日曜日に変更する。第1日曜日は日曜学校も休みで保護者の参加も難しいし、午後1時からは英語のミサもあり時間の制約もある。また第1日曜日はセンターの各部屋を子供たちが使っていないので、他の集まりに使用することもできる。なお10月・11月・12月は典礼部が担当する。来年、2013年以降に関しては11月の活動部連絡会で検討する

4. 梅村司教様との懇談会について

12月2日(日)堅信式の後、ホールで司教様と受堅者のお祝いパーティーをする。午後は204室で国際部コミュニティーの方々との懇談会をすることになった。国際部は全体で20名くらいになるように人数の調整をする

<報告事項>

・国際ミサ

7月29日に実施した国際ミサは、多少もたもたしたところもあったが概ね問題はなかった。典礼部・国際部で次回の準備の話し合いをした。事前に譜面の用意ができるなら皆で歌う助けになる。また、教話は次回からは一人とする。国際部から、司祭の説教は絶対に必要と言う要望があった。これらを受けて次回、9月30日の国際ミサはタム師司式、説教もタム師、教話はラテノスで、先唱者が教話の前に内容を紹介する。「回心の祈り」「信仰宣言」「主の祈り」はそれぞれが母国語で唱える。奉納行列で国際部は各国特別奉納の品があるが日本にはその習慣がない。平和の挨拶を各国語で覚えて互いに交わそうということになった。英語「ピース ビー ウィズ ユー」ベトナム語「チュッ ピン ナン」スペイン語「ラパス デル セニョール」

・平和のための合同祈祷会

8月4日(土)に藤沢市内キリスト教連絡会主催の「平和のための合同祈祷会」が日本基督教団藤沢教会で開催された。市内15団体から90名の参加。藤沢教会からは4名の参加だった。12月8日(土)には藤沢教会で「第40回市民クリスマス」がある。区切りの年ということで、ハレルヤコーラスの参加募集がきている

<ブロック・活動部>

(北1/北2)バザーについて
・ 10月21日のバザーに向けて、台所のロッカーに品物を入れたままにしている方は整理をして欲しい。現在10個のうち3個しか使えない
・ 9月20日(木)・21日(金)でセンター台所のゴキブリ駆除をする
・ 「ぶどうの木」に置いたままの品物の片づけを依頼した
・ お手伝い表にはブロックを問わず積極的な記入をお願いしたい

(北1)
・ 8月19日(日)に北1と北2合同ブロック集会をした。「主日のミサとミサの奉仕について」典礼部の方に来ていただき勉強会と分かち合いをした
・ 9月13日(木)「敬老の集い」の準備と手伝いをした。ミサの参加は46名、会食は25名で豊かな時間を過ごした。「コールセシリア」の協力をいただき和やかな会になった。委員長の「お元気で来年もここでお会いしましょう」と言う挨拶がとてもあたたかかった

(福祉)
・ カリタスジャパンから出された「続・自死の現実を見つめて」を読んで、年間30,000人を下らない自死の人のことを考えてほしい
・ 10月7日(日)9時30分ミサ後、被災学生の支援をしている福島「桜の聖母学院」の院長Sr遠藤の話がある
・ 9月2日に3部門連続講座で内藤さんと福島から避難してきている若い母親の話を聞いた。また皆さんからいただいた布や毛糸が品物になって帰ってきている。第2第3日曜日の福祉バザーでも販売したい
・ 11月に救急救命講習会を開催したい

(教育)
夏のキャンプなどが無事に終わりました。
・ 9月16日(日)敬老ミサの後、聖堂入口で手作りのカードをお渡しした
・ 9月22日(土)一粒会大会に日曜学校と中高生会は参加する
・ 10月8日(月)リーダー研修会
・ 8月25日(土)中高生会は片瀬教会と合同で体験学習をした。子供たち同志かかわりを深め、クリスマス会を合同でやりたいと希望が出ている。第5地区にも声をかけて実施したい

(宣教)
・ 湘南キリスト教セミナーを来年5月末ごろ開催、片瀬教会で開催予定
・ 堅信準備講座は7月までに7回終了した。日曜日の講座はミサから続けて出席する人が多い。欠席者は8月に毎土曜日に補習を行った。10月7日(日)にタム師が「まとめの話」と「赦しの秘跡」を行う
・ 結婚準備講座は藤沢教会で11月に4回コースで開催

(広報)
・「八角形にゅーす」原稿締め切り日の厳守をお願いします。



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2012年横浜教区平和旬間行事
宣教部 牧野

2012年横浜教区平和旬間行事8月12日(日)の午後、藤沢教会聖堂にて、2012年横浜教区平和旬間行事として、平和祈願ミサと東大教授高橋哲哉氏の講演「犠牲のシステム〜原発事故と私たち」がありました。炎天下ではありましたが、聖堂の中は比較的涼しく、百数十名の参加者は改めて平和について考えを深める充実した時間を過ごすことができました。

午後1時からの平和祈願ミサは梅村司教様とティエン神父様の共同司式で行われました。説教の中で司教様は次の話をなさいました。「ヨハネパウロ二世来日を機に発足した平和旬間行事であるが、昨年の東日本大震災とそれに伴う原発事故が未だ収束していない現在、平和旬間委員会会長の池永大司教の言葉である『平和の道は生命を尊び大切にする道』を心に留めることが大切。大震災では、自分の生命を犠牲にして、目の前の生命を救った人が多くおられた。ヨハネ6章の生命のパンの箇所では人々の生命のため自らの生命を捧げたイエスが示されている。聖体を受ける私たちはイエスにならって平和の礎を築かねばならない。原発事故が収束したとは言い難い今、大飯原発が再稼働することはまことに遺憾である。原発の問題を人間の生命に関わることと捉えることが、司教団メッセージにある原発の即時廃止ということにつながったことを強く訴えたい」。

午後2時30分からは高橋教授の講演に移りました。教授は日本で明治以来継続する『犠牲のシステム』という概念について哲学者として見解を述べられました。「『犠牲のシステム』とは、ある人々の利益が別の一部の人々の健康・財産・生命・尊厳・希望・環境などの犠牲の上に生み出されることを言う。具体的には、北海道アイヌ民族の迫害・韓国併合・沖縄の切り捨て基地化などがあるが、3.11以降には福島原発も国内植民地主義の現れと考えるようになった。原発事故も『犠牲のシステム』の一つであり、@過酷事故による犠牲、A原発作業者の被曝問題、B海外でのウラン採掘労働者の被曝問題、C放射性廃棄物問題などがその現れである。日本で一番問題なのは原発事故責任のうやむや化であり、太平洋戦争終結時の一億総懺悔論のような国家的無責任体制が見られる。事故に対する民事・刑事上の法的責任、またそれに納まらない責任を含め、きちんと対処すべきである。また、韓国の写真家鄭周河が3.11以降の福島を撮った写真集の中で、日本の植民地時代の詩人李相和の詩『奪われた野にも春は来るか』を引用しながら、かつて自国の土地を奪われた痛みを、今、福島の人々の痛みと連帯したいと言っているのは心を打つ」。

終わりに横浜教区正義と平和協議会の上原神父様から、「今回の催しは原発問題について皆で考える良い機会であったこと、原爆・原発を含めた犠牲が何のための犠牲であったのかをお互いに分かち合い掘り下げたい」という挨拶があり、講演会は終了しました。

日本の近代史が国内外における『犠牲のシステム』をベースとした発展と蹉跌の繰り返しであり、今回の原発震災も同じ禍根から生まれたものであることを高橋教授は指摘されました。この『犠牲のシステム』を認識し、犠牲にされた人々に寄り添いながら、国のあり方を少しでも良い方向に変えていく力になれたらと思わずにはいられませんでした。後日談になりますが、脱原発を叫ぶ大規模な国会周辺集会やパブリックコメントの結果などを受けて、やっと政府が脱原発の方向へ向かう兆しが現れていますが、総選挙を睨んだ単なるリップサービスに終わらないことを願います。


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イエスによる平和 ―平和のための合同祈祷会報告―
藤沢市内キリスト教連絡会代表 関

今年も恒例の平和のための合同祈祷会が、8月4日(土)14時より15時30分まで、日本基督教団藤沢教会にて開催されました。

藤沢市内の教会や団体が、教派を超えて力を合わせ、湘南・藤沢の人々へ宣教するために活動している「藤沢市内キリスト教連絡会」の主催により、平和への祈りの時として持たれました。当日は暑い盛りであり、また途中からは恵みの雨が降りしきる中でしたが、市内の13教会、1団体から合計90名の参加がありました。

まず、祈祷会の部では、司式を会場教会の日本基督教団藤沢教会の村上実基牧師、奏楽を同教会の相馬惠嗣さんが務め、藤沢ナザレン教会の関谷信生牧師が、ヨハネによる福音書10章7節以下の御言葉を受けて「イエスによる平和」と題した説き明かしをしてくださいました。教派を超えて集められた一人ひとりのうちに、主にある平和が説き明かされ、平和への祈りをともに捧げつつ、また平和のあいさつと分かち合いをすることができました。祈祷会後の茶話会では、参加して下った教会や団体から、それぞれひとことずつ頂きながら、ともに分かち合いの時を持つことができました。

この祈祷会で捧げられた献金76,074円は、会場教会である日本基督教団藤沢教会に委ねられましたが、9月8日の連絡会定例会にて、同教会は全額を教団震災救援募金へと捧げる予定であることが、報告されました。

当日参加のあった教会・団体は以下の通りでした。

カトリック片瀬教会・カトリック藤沢教会・日本基督教団片瀬教会・日本基督教団辻堂教会・日本基督教団藤沢教会・日本聖公会藤沢聖マルコ教会・日本ナザレン教団藤沢ナザレン教会・日本バプテスト連盟湘南台バプテスト教会・日本バプテスト連盟藤沢バプテスト教会・日本ホーリネス教団鵠沼教会・日本ルーテル教団鵠沼めぐみルーテル教会・聖心の布教姉妹会学校修道院・ヨハン藤沢キリスト教会・藤沢YMCA。

教派を超えた平和への祈りが、私たち一人ひとりの心の内に豊かに育まれ、またこの世の中で平和を創り出すものとして遣わされることを、ともに祈り求めてまいりたいと願います。


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鵠沼ブロック集会に参加して
鵠沼2区 入江

私は、今から42年前大磯カトリック教会で、森下神父様から洗礼を受け、ずっとお世話になって参りましたが、主人との死別、子供達の成長独立と色々な時を経て、1人暮らしも10年以上になりました。何時の間にか80歳という年齢をむかえて、自分でもびっくりする程時の経つ早さを感じて居ります。

いよいよ最終段階をむかえて、人生の旅路を振り返ってみると、本当に恵まれた幸運の中、自分の好きな事をしてのんきに生きてきたものだと思います。20年間日曜日ごとの仕事で東京まで通勤しておりましたが、イグナチオ教会のミサにあずかってから仕事場に行けましたので、幸せでした。

今年の3月で仕事も終わりやっと地元の教会でミサにあずかれる様になりましたが、息子が居る藤沢に来ることになりました。年をとってからの引っ越しは大変と聞いておりましたが、なにからなにまで全部息子が引き受けてくれました。息子をはじめ多くの方の善意によって実現したことで、感謝しております。

9月16日(日)の鵠沼ブロック集会に参加して、1番に感じたことは、あふれる様な熱気でした。皆様が楽しそうに活動しているのを拝見して、元気をいただきました。これからの自分の時間で何ができるかわかりませんが小さな事から実現していけたら、いいなと思っております。よろしくお願い申し上げます。


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「敬老の集い」に参加して
藤沢1区 佐藤

9月13日(木)30度を越える猛暑を押して、教会恒例の《敬老の集い》が開かれました。普段、皆さんお体の具合などで、日曜日のミサにいらっしゃれない方々のために、午前11時よりミサと病者の塗油の秘蹟が行われました。受付開始は10時半からでしたが、皆さんご家族やボランティアの方々の車で早々に集まられました。ほどよく冷えたホールで、11時から鈴木神父様とタム神父様の共同司式によるごミサが始まり、聖体拝領と病者の塗油は両神父様が、参加者一人一人のところまで足を運ばれて執り行なわれ、皆様の心に暖かく染み込んでいくようでした。

私は、前日の12日夜、40年余り前に入門講座で一緒に学び、以来、親戚同様のお付き合いをさせていただいている沼田さんの息子さんからお電話を頂きました。「母は、体調を崩してから、しばらく教会に行くことができずにいましたが、明日の敬老の集いにぜひ参加したい。できたら眉枝さんとお会いできたらいいな、と言い出しております。もしもご都合が付くなら、母の願いを聞いていただけますか」という電話です。私は予定していた東京行きを急遽変更して、この集いに参加したのですが、久しくお会いできなかった沼田さんそして息子さんご夫婦や、多くの方々とも再会でき、うれしい喜びの時を共にする機会を与えられ心から感謝いたします。

隣の席におられた土佐さんが「なかなか教会に来られなくて、久しぶりに車でつれて来て頂き、本当に感謝です。」と言われるのを聞きながら、今ここにおられる皆さんもきっと同じ気持ちと思い、神様の豊かなお計らいにこみ上げてくる熱いものを感じました。ごミサ後の食事会は、タム神父様のお祈りに始まり、事前にいろいろと準備されたお弁当や彩りもきれいな手作りのお澄まし、レオの方々が丹精された採りたてのぶどう。加えて、日曜学校の子供たちの折り紙細工に籠められた祈りの花束などなど・・・。その間、コールセシリアの皆様の美しい歌声に耳を傾けながら、暖かい雰囲気の中で夫々お話を交え昼食の時を過ごされました。 最後に、参加者全員で"ふるさと""あめのきさき"を合唱し、聖霊に満たされた豊かなこの日、この時を心に、1時頃には家路に就かれました。ご準備された北1ブロックの方々の暖かいお心配りに厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。


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ガーデンパーティ

ガーデンパーティー例年どおり8月5日に有志主催のガーデンパーティが開かれました。ベトナムコミュニティのキムさんから記事をいただきました。

べトナムコミュニティ キム

8月5日、ベトナム語のミサの後、他の国のコミュニティーや藤沢カトリック教会の協力でガーデンパーティを開いて、大勢の方々や鈴木神父、タム神父が参加してくださいました。おかげさまでパーティがとても楽しいものになりました。

出来る範囲で各国がお料理を用意してくださり、ベトナムブロックは揚げ春巻きや冷たいおぜんざい、ベトナム風の赤飯など提供しました。残暑の中で、皆様が食事をしながら、バンド演奏や、フラダンス、カラオケなどしたり、楽しくリラックス出来たと思います。有意義な一日を過ごしました。

ベトナムブロック代表として、私達のためにご参加してくださった神父達、皆に感謝いたします。いつも、神の幸福が皆にありますように。


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2012教会学校サマーキャンプ報告

8月10日(金)〜12日(日)に山中湖畔にある星美学園山中林間寮をお借りして、第5地区教会学校サマーキャンプに行ってきました。藤沢からの小学生11名、中学生3名とやや少なめでしたが、片瀬、戸塚、中和田、原宿、雪ノ下からも集まって小学生41名、中学生7名、神父様とリーダーを合わせると総勢で68名の規模で実施しました。

はじめは硬かった子どもたちも(リーダーも)時間の経過とともに仲良くなり、おいしいご飯、すてきなログハウス、よいお天気と高原の涼しい空気の中で、恵みを感じながら過ごした2泊3日でした。

普段やさしい家庭の中で育ってきている子どもたちにとって、自分のことは自分でして、友だちと協力しながらの生活することにより、たくましさを身につけた子どもも多かったのではないでしょうか。色々な体験を通じて感じ取った子どもの作文と、特に中学生に対して貴重なアドバイスや気づきを与えてくださった下瀬神学生のメッセージをご紹介します。


2012教会学校サマーキャンプ

Aはん(青空はん)3年 ひでき

ぼくはサマーキャンプに行って、楽しかった事は、山中このスイカわりと、そのスイカわりの後の、スイカを食べて、たねとばしです。 出しものも、題名が、がんばれモーセくんで、おもしろかったです。ぼくがアロンで、みじんこが、十字かを作ってくれました。

Bはん(おおきな星☆)2年 ようたろう

ぼくはキャンプにいきました でうみにいきました ですいかわりを やりました。

C班(なかよC班)5年 海璃

1日目の夜、森の中で花火を探すゲームで、すごい真っ暗いから、ちょっと怖かった。花火をやったときは最高だった。

2日目、湖へ遊びに行ったら、ちょっときたなかった。はじめてすいかわりをやりました。あたったからうれしかったです。夜、ベッドでねっころがっていたら、男の子達が「ドンドン」うるさくて、あまりねられなかった。「幸せの鐘」をならしてねがいは、大人になったら恐竜発掘にでるというねがい。

3日目、「はなかっぱ」の劇をやったら、みんな多笑いしてたから、めちゃくちゃきんちょうしてたから、セリフをまちがえちゃってなんかくやしかった。

ベネディクト会 Br.下瀬 OSB (抜粋)

第5地区のサマーキャンプは、これまでの中で、内容においておいても規模においても実に大掛かりでしたから、どんな感じになるのか全く予想がついていませんでした。けれども経験と知恵によって本当にすばらしいキャンプになったと思います。

普段は違う小教区の教会に属していて顔を合わせることがなくても、同じ地域に同じ信仰をもつ仲間や友人がいるということは、とても力強いことです。こういった仲間を大切にし、地区や教区を越えて日本全体、世界全体へと広がったとき、本当の意味での教会共同体としてひとつになっていくことでしょう。

私たちの信仰は「自分だけのため」にではなく、教会という共同体に与えられたもの。一人ひとりは長所も持っていれば短所も持っています。けれども神さまは、良いところもあまり良くないと思われるところも『すべてよし』とされ、ともに祈り、ともに共同体として歩むよう導いてくださっています。

その意味でこのキャンプは、教会共同体の信仰の美しさや素晴らしさをあらわす、目に見えるしるしだったのではないかと思います。ますます沢山の子どもたちが集まってくれる、さらに素晴らしいキャンプとして続いてくように祈っています。



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カトリックスカウトキャンポリー

8月に「第10回全国カトリックスカウトキャンポリー」が富山の国立立山青少年自然の家で開かれ、藤沢教会のスカウトも参加しました。4年ぶりの大会には北海道から広島までのボーイスカウト・ガールスカウトに、韓国、マカオからの参加者を含め千人を超えるスカウト・指導者が集まりました。今回のテーマは「きずな わたしたちは大勢でも一つの体です」。期間中は天候に大変恵まれ、スカウトたちは大自然の中、仲間と共に有意義な時間を過ごしました。

カトリックスカウトキャンポリー

カブ隊 涼輔

ぼくは、八月二日から五日間、全国カトリックスカウトキャンポリーに行きました。
特に心に残ったのは、山登りのハイクです。
と中くさりをつかまなければいけない所もありましたし、がけにそって行かなければならない所もありました。その時はこわいと思いましたが、後からふり返ってみるととてもドキドキして楽しいハイクだったと思います。山の上はどんどん太陽に近づくのでとても暑かったけれど景色がとてもきれいでした。
このキャンプを通して、自然はとてもきれいで、時にはきけんなことにもなると知りました。またスカウトのみんなでキャンプに行きたいです。

カブ隊 涼華

わたしは、八月二日から六日まで富山の立山へ夏キャンプに行きました。 このキャンプでは、いろいろな人とふれあうことができました。特に、マカオや韓国や北海道のスカウトなど藤沢から遠い所のスカウトともふれあえて楽しかったです。わたしが考えていた以上に世界にはたくさんのスカウトがいるのだと思いました。このようなキャンポリーがあったからこそ知ることができたと思います。
このキャンポリーはたくさんの人ときれいな美しい自然とふれあうことができたりしてとてもいい思い出になりました。

ボーイ隊 真智

4年に一度開かれるJCCSキャンポリー(立山)に参加した。70リットルのザックはコンパクトに荷物をつめたはずだったのに、なぜかパンパン。どうせ毎日入浴はできないだろうけど、夏のキャンプだからとしっかり持った着替えがかさ張ったかなあ等と思いながら、器材を両手に持って、駐車場からキャンプサイトまでひたすら歩いた。2日目に登った雄山(立山)は標高3003m。本格的な登山はしたことがなかったから少し不安だったが登ることができた。途中の景色も、山頂からの景色も最高!!だった。天気がよすぎて耳や頬は日焼けでジリジリ、でも足元には万年雪と不思議な感じがした。キャンポリーの感想は「疲れた!」の一言ともいえるけど、3日目に行われたパイオニアリングやキャンポリー全体を通して色々な教会のスカウトと知り合えた事は自分にとって、とても大きな収穫だった。

ベンチャー隊 望

8月のキャンプは初めて裏方役…初のユース隊として参加しました。キャンプの運営に少しでも携われた事は良い経験となりました。またミサの中で梅村司教さまから宗教章を頂く事が出来ました。昨年からの宗教章の取り組みのまとめとして春休みに南三陸町に行って来ました。実際に被災地で実践出来た事はささいな事でしたが、災害から一年以上経過した現地を自分の目で見て、現地の方から話を聞く事が出来た事は大きな経験となりました。

また、今年で僕はボーイスカウトを始めて11年目になります。今回のJCCSは今までで一番楽しいJCCSキャンプでした。何故なら…僕は今回宗教章をもらっただけではなく、もっと大切な物を手に入れることができたからです。ユース隊は大阪、横浜、広島、福島、マカオなど各地から派遣された高校生たちで組織されています。総勢約70人の高校生たちが心を一つにし、仕事に励みました。その中で培った友情…これこそが個人的にJCCSで一番の大切な物です。この大切な物を継続しながら次の大会まで頑張ってVS隊で活動していこうと思います。

ベンチャー隊 嵩史

今回のキャンポリーは寝不足から始まった。前日の夜に藤沢駅を出発、狭い夜行列車、続くトラブル…お昼に立山青少年自然の家に着いたときにはみんなゲッソリしていた。

しかし、既に到着していたスカウトやリーダーには、最初こそぎこちなかったものの、温かく迎えられ、とても良い雰囲気でスタートすることができた。

僕たちベンチャースカウトはユース隊のメンバーとして参加した。ユース隊は基本的にカブスカウトやボーイスカウトの活動の手助けをするような隊で、遊ぶのが好きな自分としてはあまり気が進まなかった。しかし、いざ行ってみると、ユースは同世代のスカウトで構成されているため友達もたくさん増え、また、ユース単独の活動もあったため、とても楽しむことが出来た。

その活動の中の立山縦走というプログラムに自分は参加した。これは早朝から昼過ぎにかけて立山連峰を歩くという企画なのだが、内容は個人的には少し物足りなく、もっと歩きたかったなぁ、と。しかしこの日は、全体的に天気に恵まれたキャンポリー期間の中でも特に晴れ、途中では富士山が見えるほど。サポートをお願いした登山ガイドさんが「こんなにはっきり見えたのは初めて」とおっしゃるほどで、とても綺麗だった。また帰りのバスに向かう途中では2羽のライチョウを近くで見ることができ、貴重な体験となった。

今回のキャンポリーで得たものはたくさんあったが、一番嬉しかったのは友達だった。一緒に事を成せたのが大きかったのかもしれない。今回作りあげた輪をこれからも大切にしていけたら、と思う。

BVS隊副長 岡田

8月2日から6日、4泊5日で富山県の立山青少年自然の家で日本カトリックスカウト協議会が4年に1回開催する「全国カトリックスカウトキャンポリー」に参加しました。全国のボーイ、ガール、海外スカウト合わせて約千人が集まり、藤沢16団からは、カブ隊、ボーイ隊、ベンチャー隊、リーダー計34名が参加しました。

私はボーイ隊6名のリーダーとして、テント設営、毎日の食事作り、登山などを指導しました。最初は動きが鈍かったスカウト達が、日を追うごとに班長の指示のもと、きびきびと活動するようになりました。また登山は、立山連峰の麓、室堂2450mから雄山3015mを目指しましたが、スカウト達のペースが予想以上に早く、1時間半くらいで頂上に立つことができ、晴天に恵まれて、近くの剣岳や黒部湖、さらに北・南アルプス、富士山まで、雄大なパノラマを望むことができました。

毎朝立山をバックに野外ミサに与り、大自然の中で神様を賛美し、また4日目には参加者全体で主日ミサに与り、司式の梅村司教様から当団の内田正人、大森望スカウトがキリスト教章を頂いたことは大変うれしく思いました。その後の全体交流会では、藤沢教会所属の当団とガール105団のスカウト全員で「あたりまえ体操」の替え歌を披露し、優秀賞を頂きました。

私自身、スカウトからリーダーとなって初めての長期キャンプでしたが、スカウト達にケガもなく、技能・精神両面での進歩をサポートできたことを感謝しています。

私達はスカウト活動と奉仕を通して、信徒であるなしを問わずスカウト達にキリストの価値観を伝えています。11月11日(日)9時半ミサにおいてボーイの入団上進式を予定しています。幼稚園年長児以上のお子さんの入団を随時受付けていますので、よろしくお願いします



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ガールスカウトキャンプに参加して

ガールスカウトキャンプ

ガールスカウト105団 りれい

8月2日〜8月6日まで私たちは、4年に1度の全国カトリックスカウト・キャンポリーにいきました。「国立立山青少年自然の家」へバスに8時間ぐらい乗って行きました。緑がたくさんあってきれいな所です。着いたら荷物を運びました。重くて大変でした。それから夜ごはんを作りました。みんなおいしそうに食べていました。でもお腹がいっぱいでごはんやおかずを残してしまいました。その後、開会式を行いました。

2日目は、立山ハイキングに行きました。いっぱい歩いたので、みんな疲れました。それからお昼ごはんをたべました。すごく量が多かったです。その後、温泉に入りました。でも熱くてみんなは入れませんでした。

3日目は、他の団とゲームをしました。まず、もうじゅうがりでチーム分けをして、パズル、伝言ゲームやしっぽとりをしました。それからお昼を食べて、昨日行った立山のことを勉強しました。

4日目は、立山フェスティバルがありました。チーフリングや紙ねん土でキーホルダーなどを作りました。アイスを食べてジュースも飲みました。その日には、閉会式が行われました。

5日目は、泊まったところのそうじをして、荷物を運びました。それからまた、8時間くらいバスに乗って、帰りました。帰りのバスでは、ドラえもんの映画のビデオを2つ見ました。おもしろかったけれど、途中でつかれてねてしまいました。

キャンプで、野外料理を作るのは、むずかしかったけれど、楽しかったです。


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東北ボランティア活動サポートチーム報告

東日本大震災へのボランティアサポートも次第に実績を上げ始めております。8月からの状況を報告致します。

岩手県

カリタス釜石は8月、9月は学生を中心にボランティアの参加がありましたが、10月は非常に少なくなっているのでご協力をお願いしたいとのことです活動は主として仮設での「おっ茶っこ」を通して現地の人々との交流と心のケアーとのことで、ご婦人やご高齢の方々でもできますとのことです。(丸山 展生)

宮城県石巻ベース

女性のボランティアを募集しています。仮設住宅で暮らす被災者の方々とのお茶会に参加するなどの役割もあります。また短期間でも結構です。9月に藤沢教会からの女性のボラティアが現地に入りました。10月にも入ります。徐々に増えて行くといいですね。(小藤 晃)

福島原町ベース

8月22〜23日に原町ベースに行って来ました。南相馬市の仮設住宅で生活している人達を訪問し、藤沢教会からお届けてしている物資(毛糸・生地など)がどのように活用されているか、他に要望はないかなどのお話しを伺いました。新しい企画でネクタイの再利用の小物作りも始まり、その作品が徐徐に戻って来ており、第2・3日曜日に「福祉コーナー」で販売していますので、是非、皆様のご支援をお願い致します。

また、警戒区域が解除された小高地区に入りました。津波の爪痕がそのままで、住民の方が家の前で佇んでおられる姿に何も出来ない私達の無力をしみじみと感じました。

8月21日「愛育園」の子供達が「保養」に藤沢に来ました。交流会では藤沢教会が食事作りに約30名の方のご協力を頂き、子供達と楽しいひとときを過ごしました。「保養」の冬休み・春休みと継続の支援が出来ればと考えています。(曽根 和子)

被災地物産品販売支援チームより

毎月第2,3日曜日の福祉コーナーでは、宮城県石巻の仙台味噌などの醸造品や、福島県の農産物販売をしております。お陰様で8月と9月で24万円強の売り上げをすることが出来ました。石巻の味噌・醤油や酢などをひいき(贔屓)にしてくださる方々もだんだんと増えてきたように感じております。また、福島産の桃、ブドウなどの果物も人気が出ております。これからもいっそうご協力をお願い致します。

なお、福島農産物販売については、雪の下教会の山口神父様の声かけで、湘南地方の横須賀大津、三笠、逗子、雪の下、由比ヶ浜の各教会と藤沢で協力しながら進めることになりました。(牧野 進一)



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石巻ボランティア体験記
善行 内藤

皆さん、今日は。私はこの夏より藤沢教会にお世話になっています内藤千早と申します。今後ともよろしくお願いいたします。

さて、今回、私は7月11日から20日までの10日間、宮城県は石巻市内にあるカリタス石巻ボランティアベースにてボランティア活動を行いました。その報告をさせて頂きます。 未曾有の被害を出した東日本大震災から早いもので一年半が経ちました。テレビ等の報道も徐々に少なくなっています。関東に暮らす私達にはともするともうあの災害は過去のものとさえ思えるようです。しかし、今回私は現地に足を運び「震災は決して終わっていない!」との思いを強く持ちました。 初めて石巻市内に入った時、街中の損害はあまり感じず意外にも平和な印象を受けました。建物は比較的原型を留めており街中は大分片付いていました。しかし、街の中にある日和山から見ると海側に面した部分が まるで爆撃を受けたように何もかもなくなっていました。そして町外れには山のように高い瓦礫の山々が見えました。瓦礫については全国の瓦礫の受け入れ拒否が強いため処理は進んでいない状況です。宮城県ではこれからかなりの時間をかけて新しい処理場をいくつか建設して自分たちで処理をしていく方針のようです。全国の自治体が積極的に受け入れを行っていればもっと早くに解決できる問題なのに残念な思いです。

石巻ベースでの活動は私の場合半分以上は毎朝車で約1時間移動した南三陸町で同じカリタスの米川ベースの人達と合流し南三陸町で漁業支援や瓦礫処理を行いました。今回の被害で漁師の人々の道具や漁具(網等) もみな流されてしまいました。道具等は全国からの寄付で何とか揃いつつありますが、それを自分達の海に合うように網を切ったり調整をしなければなりません。また繁忙期はとても人手が要るのですが、震災を機に漁師を廃業する人が多く人手が足りません。人を雇うにもその元手もありません。そこでボランティアが網切りや牡蠣の種付け、ホタテ漁の片付け等を手伝います。町育ちの自分にとってはとても面白く、ぶっきらぼうだけど話すととても温かい漁師さん達との交流は印象深いものになりました。また、残りの日々は石巻市内外にある仮設住宅への訪問もシスターに連れて行って頂きました。私が行った所は野蒜地区から避難されてきた方々の住宅です。カリタスではこういう仮設住宅を定期的に回り、ビーズ細工の教室を開いたりして交流を深めています。この催しは仮設の女性の方中心に大変人気で多くの方々がいらっしゃってました。こういう催しは普段孤立しがちな仮設の方々の貴重な交流の場になっていると実感できました。

カリタスの基本姿勢は「共にそこにある(いる)」です。カリタス石巻のシスター杉田はこう話しました。「何か特別なことを行うのではなく傷ついた人々にそっと手を差し伸べてそばにいてあげる、それがその人にとって明日の一歩を踏み出す力になることもある」。私は今回この体験を通じて今まで遠いものだった被災地を身近に感じることができました。またこんな私でも必要としてくれる人々がたくさんいるということが実感できました。大変貴重な体験となりました。今回、交通費の助成をしてくださった藤沢教会の東北ボランティア活動サポートチームの方々ありがとうございました。



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福島愛育園の子どもたちを迎えて
辻堂2区 益満

子どもたちを迎えて福島愛育園の子どもたち55名と付き添い職員25名計80名が、8月20〜24日、藤沢と寒川、愛川(キャンプ場)を訪れた。この児童養護園は福島市の東の放射線量の高い処にある。避難もままならず自由に外で遊べない環境の中で、年何回かの静養・リフレッシュが必要とされており、こちらの呼びかけで今回の滞在が実現した。藤沢教会も藤沢市、寒川町などとともに後援メンバーとして、21日の歓迎夕食会を担当、「サポートチーム」の曽根さんと「卒原発を考える会」の浅野さんの下、当教会のほか外部ボランティアー計約45名で220人分の食事を作り、好評であった。宿泊は白浜養護学校と高砂小学校のほか、浮田久子さん(辻堂2区)宅に幼児4名が職員とともに泊まった。

残念だったのは、予定した子ども同士の交流が不十分であったことである。斉藤愛育園園長も「子どもたちは疲れも忘れて楽しんでいました。交流は今後の課題ですね」と話しておられた。今回の福島第1原発事故で一番大きな被害を受け、それが今後も長く続くのは罪の無い子どもたちである。福島の思春期の少女は「私はお嫁にいけるのか?子どもを生んで良いのか?」など深刻な悩みを持っていた。この状況を他地域の子どもも理解し、絆を持てればと今回の交流は企画された。子どもたちは守られなければならない。例えば、当教会で販売している二本松の野菜は専らお年寄りが食して、子どもには食べさせない方が良いと私は思う。何故かと思う方は、先に当教会でも上映した映画「内部被ばくを生き抜く」を見ていただきたい。この問題は自分で学び、考え、自分で決めなければならないことである。

この映画の中で、子どもを守ろうとする母親たちのパワーの台頭が言われているが、確かに反原発デモに行くと子どもをつれた若いお母さんたちの参加が目立っている。子どもを守るために自ら国の在り方を変えていこうという力、これは脱原発のうねりとなって多くの人の共感を呼んでいる。近く行われる総選挙こそ、我々が持つ権利で国を変える最大の機会だ。「卒原発を考える会」では立候補者とその政党の卒原発への政見を質し、皆さまに情報を提供して行きたいと考えています。是非この機会に「カトリック司教団メッセージ」の志向している原発廃絶のために、我々の力を結集していこうではありませんか。

ガールスカウト105団 花鈴

私は8月21日に福島の子どもたちと地引あみや、すいかわりをしました。その日は大漁で、水の中にいるときは黒くて陸に上がると銀色になる珍しい魚などがつれました。スイカ割りでは3回まわって進んだから、目がまわってよろよろしました。次の日の新聞を見るとこのことがのっていました。そこには、福島の子どもたちは、原発のせいで1日2時間しか外で遊べないとかいていました。それにくらべて私たちは、いつでも外で遊べるので幸せです。早く福島の子どもたちが外で遊べるようになってほしいです。

中3 世理花

子どもたちを迎えて私の祖母がクリスマスに「愛育園」へ行って一緒に過ごしたのがきっかけです。8月21日愛育園の人たちが、この湘南の海で地引網をすると聞いて、友達2人をさそって参加しました。私にとってこれは初めての経験だったので楽しみでした。捕れた魚は、アジ、キス、しらす、(クラゲ)など思ったよりも沢山でした。漁師さんがすぐにお刺身にして私たちに食べさせて下さいました。愛育園の人たちは、海を見てとてもはしゃいでいました。夕食は白浜養護学校で、教会のボランティアさんが作ってくれた色とりどりのごちそうに、私と友達は大はしゃぎでした。きっと愛育園の人たちも同じ気持ちだったと思います。夕食を食べながら、鎌倉のおなりよさこいキッズの踊りをみて、みんなご飯を食べるのを止めて見いっていました。そして3人の人たちが、原発事故について話しました。

私は3月11日は、まだ大阪に住んでいました。友達と遊んでいると、電話が掛かってきて、東日本大震災があったことを知りました。私はその話を聞いていて、改めて地震は遠い場所で起こったけど、身近にあるんだと感じました。愛育園の人たちは見えない放射能で脅かされて、外にあまり出歩けないし、海やプールで私達みたいにのびのびとはできないと思うので今回の企画は愛育園の人たちにとってとてもいい経験になったと思うし、私たちもその日1日は存分に楽しみました。そして私が一番心に残ったのは、愛育園の人たちが歌をすごい大きな声で歌って、私の心がほんわかしたことです。



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「希望の灯」 2012カトリック藤沢教会バザー
2012バザーチーム

前回の記事の中で、「希望の灯」を今年のバザーのテーマソングとして使わせて頂くことによって、小さな願いかもしれないが、仙台教区の方々一人ひとりと、ひいては被害に遭われた方々とも連帯し、歌うことによって一つになろう励ましをと、お声をかけてバザーの準備を進めて参りたいと、お伝え申し上げました。そうして、被害に遭われた方々のお心の中にも、藤沢教会の皆さまのお心の中にも「希望の灯」が明るく燃え続けますようにと強く願い、祈って…、皆さまご一緒に歌いましょうとお声をかけさせて頂きました。 

バザーの時までもう半月もなくなった今…。 何よりも皆様がたにお礼と感謝を申し上げなければならないと思いますが、まさに藤沢教会の皆さまのお心の中に「希望の灯、愛の灯」は燃え続けております。 お力添えとお祈りを感謝しながら、この輝きを増していくために、私たちバザーチームは努力を重ねたいと願っております。

「希望の灯」をより一層輝かせるために、小さな「灯」でもよろしいですから、あらためて更なるご協力くださいますようお願い申し上げます。 お子さまの献げてくださる「灯」、お心を尽くしてお届けくださる「灯」、それがたとえどんなに小さな「灯」であっても一段高い「燭台」の上に置いて頂いて、皆さま方と一つになって、大切なお心のこもった「灯」を輝かせ届けさせて頂きたいのです。

9月に入りましてから各ご家庭にお届けいたしました、「バザーのしおり」で次のようにお願いを申し上げましたが、あらためてご覧を頂きよろしくお願い申し上げます。『衣料品・日用品・食品・手芸品など、ご寄付のご協力をよろしくお願いいたします。なお、ビンゴの賞品として各種金券(商品券・図書カード・旅行券クオカードなど)のご提供をお待ちしております。賛助金は、お渡しした賛助金袋をご利用の上、毎主日は聖堂内の献金箱に、その他の日は教会事務所までお願いいたします。バザー当日もお受けいたします。ご家族やご友人、お知り合いの方々をバザーにご招待くださる際にお役立て頂くために、今年も「ウエルカム券」をご用意いたしました』。

ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。(マタイ福音書)から


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甲斐国で育った福者遠山甚太郎
鵠沼3区 高木

2008年11月24日、長崎市で日本人殉教者188名が列福されました。その中、横浜教区に関係した人物は下総国出身のヨハネ原主水正胤信と甲斐国出身のフランシスコ遠山甚太郎信政の二人だけでした。

すなわち原主水正は現在の千葉県佐倉市臼井台町の臼井城主原胤義の嫡男でした。そして遠山甚太郎はフランシスコ・デ・サン・アンドレス神父の報告書によると「栄ある殉教者フランシスコ遠山は日本人で遠山という由緒ある貴族の生まれであった」とあります。いわゆる治承4年(1180)源頼朝が伊豆国で挙兵して以来の名門で興国4年(1344)には信州伊那谷で栄えた一族でした。

・遠山七人衆

天文23年(1554)7月、甲斐国武田信玄が織田信長 徳川家康に攻められた時、武田方に屈服し、のち甲斐国郡内領の小山田信茂に属しました。ところが天正元年(1573)4月12日武田信玄が信濃国駒場で病死してしまいました。

続いて天正10年(1582)3月11日に甲斐国武田一族が天目山で滅びてしまいました。そこで3月29日織田信長は家臣の河尻秀隆に甲斐国四郡と信濃国諏訪郡を与えました。ところが6月2日織田信長が京の本能寺で殺されると6月15日には河尻秀隆も殺されてしまいました。

・徳川家康の入封

天正10年(1582)7月9日、徳川家康が甲斐国領主となりました。その時も遠山三十六人衆が徳川家康に服従して敵対する相模国小田原の北条方に対して接点である吉田城(富士吉田市新屋)と猪丸城(上野原市棡原)に辺境武士団として配置されました。

天正18年(1590)7月13日、豊臣秀吉は関東の北条一族を滅ぼすと徳川家康に論功として関東五ヶ国と伊豆国を与えました。そして代わりに天正19年(1591)4月に加藤光泰を甲斐国に入れました。その時支城となった郡内谷村城へは婿養子である加藤光吉を入れました。だが間もない文禄二年(1593)8月29日、加藤光泰は朝鮮出兵中亡くなってしまいました。

・浅野家の入封

文禄2年(1593)11月20日、若狭国小浜城から浅野長政・幸長父子が22万5000石で甲斐国に入りました。その時遠山一族も浅野家に仕官しましたが遠山甚太郎の父は支城である郡内領谷村勝山城に入った家老浅野佐衛門佐氏次に仕えたようでした。

慶長5年(1600)、遠山甚太郎が生まれました。その地は文禄3年(1594)川棚村の八幡山に築かれた勝山城下の周辺と思われます。現在の都留市川棚字城山です。

・紀州和歌山へ移封

慶長5年(1600)10月、浅野幸長は関ヶ原の陣の論功行賞で和歌山37万6000石城主となりました。それは実に15万石の加増であり多くの関ヶ原牢人を召し抱えることになりました。その時も遠山一族が扈従しました。浅野家の侍?によると「遠山勘太郎 400石」とあります。恐らく甚太郎の父の事であったでしょう。

当時の和歌山城下は高野山などの仏教勢力が強く大坂や堺にいたイエズス会士も容易に和歌山城下へは来ませんでした。

・和歌山のキリシタン寺

慶長10年(1605)、藩主浅野幸長は悪性の病気のため伏見で徳川家康に接見した後、フランシスコ会士が経営する施療院でセビリア修道士から治してもらいました。その時、修道院長ルイス・ソテロ神父に和歌山城下での施療院開設を願いました。

慶長12年(1607)ソテロ神父は和歌山城下に聖ヨゼフ教会と施療院を設立しました。そして浅野幸長自身ペトロ・デ・アスンシオン神父から洗礼を受けましたが間もない8月25日亡くなってしまいました。38歳の時でした。それに翌慶長19年(1614)には和歌山城下でもキリシタンが禁止されたため教会も施療院も閉鎖されてしまいました。

・遠山甚太郎の受洗

元和2年(1616)、遠山甚太郎は巡回中のフランシスコ会アポリナリオ・フランコ神父から洗礼を受けました。16歳の時でした。史料によると彼の家は宣教師の隠れ家のようでしたとあります。

元和5年(1619)9月 15日、藩主浅野長晟は安芸国広島へ移封させられました。勿論、遠山八家も扈従しましたが、その中に遠山甚太郎もいました。

元和9年(1623)7月27日、第三代将軍に徳川家光が就任しました。彼は諸大名に対し口頭で領内のキリシタンの処刑を命じました。そのため12月28日(1624 年2月 16日)遠山甚太郎は広島城下の彼の屋敷で斬首されました。24歳の時でした。

・ローマに残る奉答書

元和4年(1619)12 月24日、ローマ教皇パウルス5世は迫害に苦しむ日本人信徒に慰問文を贈ってくれました。それに対して元和7年(1622)11月26日付で中国・四国の信徒代表20名が奉答書を捧げています。その中に「遠山甚太郎ふらんしすこ信政」の名が記されています


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教会の現代と典礼の現代への刷新
善行 岡村

第二バチカン公会議で何がどのように刷新されたのでしょうか。

1962年から65年まで開かれた公会議から今年は50年になります。その当時、新しい典礼のために聖堂内の配置はどのように変えなければならないかと、日本全国から問い合わせがつぎつぎに、ドミニコ会の典礼専門の神父にきていました。

たまたまフランシスコ会の神父に紹介されて訪問したわたしは、建築家でした。そこで典礼美術専門のドミニコ会神父に協力することになり、15年間神父に従って、北海道から九州までまわって歩きました。その間わたしは、典礼とはどういうことかを問い考えてきました。公会議文書は勿論、聖堂建築や典礼の歴史もしらべました。しかし、そこに刷新の参考になるものはありません。私たちの生きている現代に必要とされることは、それに応えて、はじめて私たちに生まれはじまるのではないでしょうか。

パウロの書簡は、初代教会のすがたが見えて教会の現代を問い考えるのに支えになりました。また、ヨハネによる福音書は、キリストは何者なのかを問い考えるのにふさわしいきわめて意味深い資料です。

「ことばの典礼」と「感謝の典礼」には、それぞれに祭壇があります。二つの時の間になにがあったのでしょうか。キリストの逮捕と十字架の道行です。5年前に藤沢カトリック教会で試みられた聖堂内配置の試みにおいて、私たちの前に演じられた人となられたキリストの二つの祭壇の間の移動は、それを表していました。そしてキリストの体が生まれる「感謝の典礼」の祭壇は、十字架刑の行われたところ、エルサレムの入り口に置かれました。そこから弟子たちはキリストによって全世界に派遣されたのです。「わたしの記念として行いなさい」とは、昔あったことを記念するのではなく、キリストによる派遣というはたらきが今、ここでも生きていて絶えず続いているということなのです。聖体拝領のとき、これはキリストのからだです、と言われ「アーメン」と応えるのは、そのことが今、ここでも生きている、と応えるのです。


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タム神父の横顔

7月号にタム神父のプロフィールが紹介されています。聖堂に司祭叙階の記念カードが置いてありますが、それによるとフルネームは Gioan.B (洗礼者聖ヨハネ)Mai Tam,MF(信仰の宣教会)。もう少し素顔に近づきたいと真夏の暑い日の午後お尋ねし、一問一答を試みました。

どのような趣味をお持ちですか

趣味といえるかどうかわかりませんが、物を作ったり直したりすることが好きです。高校卒業する時には電気関係の仕事をやりたかった。司祭にならなかったら多分その方面に進んでいたでしょう。今でもものを直すことは好きです。

タム神父スポーツはいかがですか

なんでもやります。もともと誰かと一緒に遊ぶのが好きで、サッカー・卓球など よく参加していました。子供たちと一緒になって遊ぶことも大好きです。

好きな食べ物は?

なんでも食べますが特に果物が好きです。修道院にいたとき同僚と二人、昼ご飯を取らずに果物だけで過ごしたこともありました。日本の果物は何でも好きです。

ご自分の長所欠点について

時間がいつもぎりぎりになることです。修道院でもレポート提出がいつもぎりぎりでした。その前に十分時間があっても書けない。直そうと思っているがいまだに駄目です。私は時計を使いません。持っているがかけたくない。時間に縛られたくないせいでしょうか。(長所については言及がありませんでした)

ごミサの説教が原稿なしのようですが

これまでは勉強のためにと原稿を書き誰かに見てもらっていました。しかし、原稿を読むと自分の理解、解釈で書いた原稿になんとなく縛られる。話の対象がどなたでも同じメッセージになってしまいます。キーワードは生きる福音です。人によってそのキーワードが違う。すこし甘えだがその場での聖霊のはたらきを信じたい。その場で伝えたいことがあるのではないかと思っています。もちろん事前に準備はします。言葉の限界がありますが、伝えるべきことは伝えられるよう努力していきたいと思っています。

信徒の皆さんに

自分はまだ未熟です。日本語も十分ではありません。解らないとき、間違った時には遠慮なく訂正してください。司祭としてもできていないので成長するよう指導してください。

タム神父は10月13日で38歳、長期にわたったインドシナ戦争が終わって新しいベトナムが生まれようとしているときに成長しました。司祭叙階までの道のりには紆余曲折があったようですが、別の機会に改めて語っていただきましょう。


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がりらや便り

厳しい残暑、年々激しさを増しているように思えます。温暖化を防げない環境に雪崩を打っているのでしょうか。七草も遅れ気味とか。それでも秋の夜長、読書には最適な季節です。

「置かれた場所で美しく咲きなさい」 
渡辺和子 幻冬舎 1,000円 B6変形版159頁

時間の使い方は、そのままいのちの使い方。置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。「こんなはずじゃなかった」と思う時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです(新刊紹介文)。
著者はご存じ学校法人ノートルダム清心学園の理事長、85歳現役の教育者です。若くして学長となり困難に直面した際、ある宣教師に手渡された英詩「Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)」。著者いわく「境遇は選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」、そして「どうしても咲けない時は、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです」。人生を変える言葉としてNHKでも取り上げられるなど話題のベストセラー。


「傷つけられた世界を癒すために」 
イエズス会社会司牧センター編 教友社 1,365円 A5版255頁

副題は「3・11後に日本で環境・原発問題について考える」。3・11以後の世界において、カトリック信徒はその信仰からどのような展望をもったらよいのだろうか。そのための資料として、エコロジーに関するカトリック教会内のおもだった公式文書を厳選収録し、原発を理解するための基本的なデータや現場の声などを掲載。環境・原発問題に関するカトリック教会の主な考え方を知るための一冊。





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鈴木神父の川柳(続16)
編集部編

今回はB年その3です。( )内は鈴木神父の注記です。

2012年

5/6
五十年手応えはない それでよし 
(復活節第5主日)「ヨハネ15:1-8」
(ぶどうの木につながって50年
これといって実を結んだ手応えがないのは
ボールを芯でとらえた時に似てよいことなのだと思えるでしょうか)

5/13
近頃はわたしゃ小さな愛でよい 
(復活節第6主日)「ヨハネ15:9-17」
(命を捨てるほど大変なことはイエス様だけで十分
その方から友と呼ばれあなたを選んだといわれているのだから大丈夫)

5/20
いつまでもそばにいるため別れましょ 
(主の昇天)「マルコ16:15-20」
(天に昇られた主は
また同時に弟子たちとともにおられるという神秘は
愛する者にはわかる真実)

5/27
君だって耳を澄ませばほらそこに 
(聖霊降臨の主日)「ヨハネ20:19-23」
(聖霊の働きは私達が気づかなくともしっかり支えてくれている)

6/3
わからないことばかりだが大丈夫 
(三位一体の主日)「マタイ28:16-200」
(人生の不思議の経験を聖霊の働きとわかれば三位一体の神のこともわかるが
わたしたちが気づかなくても聖霊は働いていらっしゃるから・・・)

6/10
たかがパンされどパンだね 主の体
(キリストの聖体)「マルコ14:12-6」
(ただでいただくこのパンは ただのパンではないのですねえ)

6/17
それじゃだめということもない神の国 
(年間第11主日)「マルコ4:26-34」
(人間の眼には変わらないようにみえたり
ダメだと思うことがあっても神の国は知らぬ間に・・・)

6/24
エリザベト ヨハネばかりかザカリアも 
(洗礼者聖ヨハネの誕生)「ルカ1:57-66」
(人の目は優秀な人ばかりに向くが
失敗したザカリアも立派に救いの歴史の一つの役割を担い 証している)

7/1
ただ信じられる人は幸せか? 
(年間第13主日)「マルコ5:21-4」
(信じる恵みは与えられても
それは人間に都合の良いことばかりではないのですね)

7/8
絵は描けないといいながら化粧する 
(年間第14主日)「マルコ6:1-6」
(思い込みと逆のことを結構やっている矛盾が
思い込み脱出の鍵となるか?)

7/15
おまかせも せざるをえずでやっとでき 
(年間第15主日)「マルコ6:7-13」
(神さまにまかせるのが信仰というものだとわかっていてもね
つい力が・・・)

7/22
神さまはどこで嘆くの 子の不幸 
(年間第16主日)「マルコ6:30-34」
(人の親になっても親の思いがわかるようなわからないような・・・)

7/29
こんな奴とつき合えるのは神のわざ 
(年間第17主日)「ヨハネ6:1-15」
(人間が人間とつき合えるのは
人間の自分で身につけた力なのだろうか・・・)



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