藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2012年12月13日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

クリスマスおめでとうございます

クリスマスを迎えるということ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 タム

1955年の恩寵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田

藤沢教会の皆様へのクリスマスプレゼント・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区  本多

教会委員会報告(11月17日)

3部門連続講座報告 「葬儀セミナー」・・・・・・・・・・・・・・・・・葬儀を考える会 佐々木

「典礼暦」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部  片桐

北2ブロック集会の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 矢部

七五三祝福式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 高橋

横浜天主堂献堂・日本再宣教150周年・横浜教区創立75周年記念講演会とミサ・・・辻堂1区 牧野

東北ボランティア活動サポートチーム報告

南相馬原町教会に行ってきました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー委員会

カトリック原町教会 信徒会長 高野さまからのお便り

殉死した井手口美代市教区長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

高山右近列福祈願司教団巡礼の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区   萱野

小グループ活動 「司祭と神学生のために祈る集い」

鈴木神父の川柳(続17)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集部 編

マドレーヌの会年間報告 (2011.9 月―2012.7月)・・・・・辻堂1区  津上

がりらや便り

八角形にゅーすのページに戻る




クリスマスおめでとうございます

クリスマスおめでとうございます

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた

(イザヤの予言)

クリスマスと新年の予定

クリスマス

クリスマスを迎えるということ 
司祭 タム

クリスマス早いもので私がこの藤沢教会に着任してほぼ半年になります。もうクリスマスの時期ですので私が持っているクリスマスのイメージについて話そうと思います。

これまでの自分の経験に照らしてみるとこの時期、いつもクリスマスの日を迎えるために心の準備をしてきました。ゆるしの秘跡をうけるとか、その日に温かい心でイエスさまを迎えることを心で準備していました。その期間、準備している間に自分の心もなんとなく温かく感じています。しかし、同時にイエスさまをお客さんのような形で迎え、クリスマスが終わったらもうお客さんが帰るという感じ、自分の心から出て行ってから、もとの自分へと、前の状態に戻っているということはよくあることです。

でもクリスマスの本当の意味はなんでしょうか。イエスさまの受肉(人になること)の意味はイエスさまが私たちのところに来て私たちが変わってほしい、ただ単に生活をするためだけではなく、悪い状態から、弱い状態から人間が変わってほしい、変わるためにイエスさまが私たちのところへ来るということです。私たちが神の子として相応しい人になるためイエスさまが来るということです。だけどその日だけで終わると、ただクリスマスはお祭りみたいに、お祭りが終わったらもうおしまい、後は片付けるということになってしまうのではないかと思っています。

クリスマスを迎えるということは、イエスさまを求め、ずっと私たちのところに宿ってもらう、ずっと一緒にいるということを認識することだと思います。自分がいつもイエスさまと一緒にいるなら、勿論愛をもって生きることでなければなりません。イエスさまの愛の証人として生きなければ、生き続けなければなりません。クリスマスが、今までの自分の生き方を反省して、よりよくより強く生きる、今までと違った、今まで以上にレベルアップされた生き方を悟る時期であればいいと思っています。クリスマスまでは自分も温かい気持ちで生きていて他人とも温かい気持ちで接するけれど、クリスマスを迎えたらその生き方はいったん止めた、片付けた、祭りは終わった、というのでは多分クリスマスの意味はあまりない、本当の意味ではないと思っています。

教会は毎年クリスマスを記念して祝います。その前にいつも心の準備の呼びかけがあります。日本でも一般に年の瀬に当たってこれまでの1年間を思い起こし、反省して新しい決心をして新年を迎えるでしょう。ある意味ではこれと同じかも知れません。悪いことはいったん忘れて、新しい生き方で失敗があってもそれを経験として、新しい自分、新しい道に向かっていく決心をするようなものでしょう。私たちはこの時期、クリスマスを迎えるために心の準備をいたしましょう。そしてその間に感じた温かい気持ち、温かく人に接する気持ちを大切にし、イエスさまとともに愛をもって生き続けていきましょう。それが毎年あるクリスマスを迎えることの意味だと思っています。(談)



目次に戻る



1955年の恩寵 
大庭 池田

晩の7時から勉強会が始まる。参加してもらいたい。君は来ることができるか。アインシャルト神父の顔には幾らかの微笑があったように思えたが、私が主体的に考える自由はなかった。私は観念する。

「来れると思います」
「思いますとは何か?」
「修正!来ます」

若冠30歳になっていた私の挙措動作である。87歳の待降節を迎える今、57年に及ぶ歳月の遡及は可能だろうか。「思いますとはなにか」と言われた時、私の全神経は逆立った。瞬時に軍隊生活に引き戻されたのだった。

軍隊では上官の質問にたいする「答え」は1つである。当時私は千葉県稲毛駐留の戦車部隊にいた。上官の質問に対する「応え」は1つである。私見を述べることは許されない。例えばこうなる。「池田2等兵」「はい」「黄色火薬と貴様の命とは、どちらが大切か」「黄色火薬であります」「よおし、忘れるな」

さてアインシャルト神父はこう訊いた。勉強会に「君は来ることが出来るか」と。私はこんな場合の普通の応じ方として、「来れると思います」と応える。この時、電光石化、神父の声が飛んだのだ。 「思いますとはなにか?」
往時。まだ30歳の私に「思います」とは何かと言われた時、私の神経は逆立った。一瞬軍隊生活に連れ戻されたのである。

その日から半世紀が過ぎる。私はしみじみと思う〜
あのとき神の恩寵が私をくるんだ。そう思って20間坂をふり仰ぐ冬の空に、絢爛と瞬く星の輝きを再生しようとするのだ。

函館の街の情趣は、その合い間をチョコマカと走るチンチン電車の情趣とは切り離せない。そのユーモラスな電車に乗って、いよいよ今晩から公教要理の学習会に出るのだ。
勤めを終え、夕食を済ませて立つ。すると女房が、すすっと私の前に立ち、目線を合わせる。「ついに行く日が来たのね」「まるで早くから知っていたみたいだな」「信じてた、貴方は行くって」信仰では彼女が数年の先輩だった。しかし、彼女は1度も受洗ののための学習に触れなかった。呼ぶのは私じゃない?

深堀町の電停にたつ。やがて「巷」の歌に出る松風町、朝市の駅前を過ぎ、十字街の電停で降りる。勾配を上り右折すれば20間坂である。石畳が美しい。上り詰めは往事、北海道庁立函館高女で、わがベターハーフが5年間通った学び舎である。今は道立西高で、歌手の北島三郎氏の母校でもある。西高の前の道は山麓を巡る道で間もなくカトリック元町教会である。中に入り、公教要理と表示された部屋に入る。年齢差、職業差のありそうな10人前後が並んでいたが、意外と明るい雰囲気があって私を喜ばせた。アインシャルト神父が入ってくる。フランスに隣接するバスク人である。

クリスマス「みなさん、今晩は。そうですね今晩は初日ですから、皆さんが持っている常識の水準を、ちよっと試して?この日本語正しいかな〜OKね、ありがと。」
「では、はじめに神について知っていること、連想、読書で、西洋の神と日本の神、想像、とにかく短い言葉をいっぱい、渡されたカードに書いてください」
集計にはいる。学級委員をしている高校生が選ばれ、黒板に集計を3位まで書いた。

その結果は以下の通り。1愛2許す3煉獄3癒し 
この上位4つの語彙は神父を充分に驚かせたに違いない。読むことを禁じられている聖書を読んでいる形跡は明らかだ。私は投票をしなかったが、みんなが聖書を読んでいることに喜悦する。

白い衣を着なさい。あなたの洗礼名は、アウグスチヌス。



目次に戻る



藤沢教会の皆様へのクリスマスプレゼント 
辻堂3区  本多

藤沢教会を愛し、今、永遠のクリスマスを味わう母、本多かほるより皆様への クリスマスプレゼントをお届けいたします。私はこれまでの人生で時々、摂理を感じる不思議な体験をして来ました。心で感じた事は、相手を選んで話す様にしています。これも大事な人にしか話さない事です。教会の皆様は私の大事な方々ですから、そっとお伝えいたします。皆様も大事な人だけにそっと教えて上げて下さい。

先般、病院に胃の薬を貰いに行ったついでに、4カ月ぶりに血液・尿の検査をし ました。何と!10年振りに「全て正常値!!」でした。前回の検査の時は、血圧のために玉葱を食べ始めた父に付き合い玉葱4分の1個分 のスライスを毎朝食べ始めて2週間目でした。2年前に9年間の介護の末に母を帰天させた後、夜になると介護の日々の母との会話やそれ以前の様々な事を思い出して安い赤ワインの量が増えていました。更に相変わらずヒレカツもチャーシュー麺も酢豚も食べていました。しかし、にも拘らず、上がり続けていた中性脂肪がその前の340より下がり250でした。私は糖尿病の母の息子だけに素質があり、かつて中性脂肪1000まで行った事もある上がり易い体質です。その時は医師に「血液がドロドロです!命に関わります!一生お酒を飲んではい けません!」と怒られました。その時は一時的に苦行僧になり正常値にしました。そのまま母の介護期間を含んで11年間禁酒していました。が、禁酒しても好きな物を食べ出すとすぐに数値は上がり出していました。

母が帰天してから「健康のため」のつもりで赤ワインを飲み出しました。グラス2 杯のつもりがすぐに1本になっていました。「ストレスを溜めないため」のつもりのヒレカツもよく食べていました。それまでのペースでまた600位行ってるかなと思っていました。処が250・・・。それで「はてな?」と思い、玉葱効果を確かめると言う大義名分を得て、玉葱を増やして毎日1個食べる代わりに、医師の言いつけを敢えて破り安い赤ワインも増やし週に4〜6本飲んでいました。ヒレカツも食べていました。が、1カ月ごとに1キロ弱体重が減っていました。それで先日、前回高かった数値は低くなり、低かった数値は高くなり、「全て正常値!!」になれたのです!!医師も「同級生では珍しいでしょう」と言います。「赤ワインは多めに飲んでいたのですが、玉葱を毎日食べた効果でしょうか?」と聞くと「それは分かり ません。が、取りあえず今のままの生活で良いです」との事。しかし玉葱の威力と確信しています。玉葱は生涯の秘密兵器です。

玉葱スライスとの出会いは雑誌で作家の椎名誠さんが玉葱で血圧が正常値になったと書いていたので、父に食べさせる事を考えて色々調べた事でした。その後、母の眠る鎌倉カトリック墓地に行く途中でお供えのお茶と饅頭を買う由比ヶ浜通りのコンビニに平塚の農家が野菜を卸し出しました。赤いネットに入った5キロ600円の玉葱を積み上げてありました。それで大量に買い込みバンバン食べ出した訳です。母の墓参の供え物を買う店で売り始めた玉葱で10年振りに見事に「全て正常 値!!」になれたのです。天界の母の助けだと思いました。生活習慣病に苦しんだ母は「父さんにも食べさせて上げて。兄弟やお友達にも食べさせて上げて」と言ってるんだと思います。それで父や親戚達にも食べて貰っています。我が家では玉葱と他の野菜も一緒に食べると健康効果が高まると言うので、毎日トマトも皮ごとスライスして玉葱の回りに並べて黒酢とドレッシング・エキストラバージンオイルをかけて食べています。

普通の茶色の辛みの強い玉葱の効果が高いそうです。スライスして15分以上空 気に晒せば、加熱しても良く、食べにくければスープにすれば食べやすくなります。玉葱の有効成分は水に溶けやすいので水に晒すのは薬効を期待するなら勿体無いです。だからスープにする時も水を少なめにして全部飲める様にするのが良いのです。血圧・血糖値には15分以上空気に晒した生がより良く、中性脂肪・コレステロールには15分以上空気に晒してから加熱した方がより良いと本にはあります。私見ですが、これらの効果はどちらの食べ方でもそれなりには有ると思います。私の場合、手軽な生で中性脂肪が劇的に改善し、低すぎた善玉コリステロールも上がりましたから更に最近知ったのですが、男性ホルモンを増強し筋肉を強くして脂肪を落としやすくするには、皮をむいたら一個そのまま電子レンジ・500Wに2分入れてから冷ましてから切るのが良いそうです。それで最近は、生のスライスと、500Wに2分入れて冷した物のスライスを 混ぜて食べています。

成長ホルモンに似た働きもありたんぱく質やカルシウムも摂れるそうで成長期の子供にも良く、実際、筋肉が付き易くなる気がします。血圧・血糖値・コレステロール・中性脂肪・尿酸値・・色々な物に効くそうです。腎臓にも肝臓にも良く、免疫力もアップするそうです。血液サラサラ効果で脳梗塞・心筋梗塞の予防にもなります。安価でどこにでもあるタマネギの威力には驚くべきものがありますタマネギの人気が出て暴騰すると私が困るので、母からのクリスマスプレゼントは皆様も大事な人にだけそっとお裾分けして上げて下さい。



目次に戻る



教会委員会報告(2012年11月17日)

<行事関連事項>

1. 天主堂献堂150周年記念ミサ・講演会

申込み者への入場票と弁当の引換券は各ブロック・国際部から順調に配布されています。当日は全体で4,000名くらいの参加が予定されている。キャンセルの方もあり藤沢教会の入場票は少し余裕があるので、希望する方は事務所に申し出てください

2. 第40回藤沢市民クリスマス

12月8日(土)16時から藤沢教会を会場に行われる市民クリスマスは、クリスマスの本来の姿を広く市民の方々と分かち合うことを目的とし、藤沢市内キリスト教連絡会(藤沢市内の教会と修道会の教派を超えた連絡会)の主催で開催される。キャロリングは12月1日(土)16時から藤沢駅北口サンパール広場にて、また市民クリスマス当日の12月8日は15時から小田急デパート前でクリスマスキャロルを歌います。
皆さん参加して共に歌いましょう

<報告事項>

1. 各ブロック・活動部来年度の活動計画

(鵠沼)
・ ブロックとして、共同体の中での活動を中心に分かち合っていきたい
・ 1月、5月、9月の当番、ミサ当番などの役割を担う

(藤沢)
・ 新しい方の歓迎会、ブロック集会などを行う
・ 2月、6月、10月の当番月の役割を担う
・ ブロックの現実を見て、福祉部と協力しながら何ができるか考えていきたい

(辻堂)
・ 当番月の役割を担い、新年会とブロック集会を行う
・ ミサ勉強会を実施する

(北2)
・ 当番月の役割(主日ミサ、初金ミサ、葬儀、掃除など)を担う
・ ブロック集会を4月と5月に行う
・ 遠足・黙想会
・ 湘南台センター5周年への協力

(宣教)
・ 共同宣教司牧への取り組み
 3部門共同連続講座、共同宣教フォーラムの継続開催により、共同宣教司牧の定着を図る
・ リーダー養成
 サポートチーム神奈川主催各講座への派遣、講座担当者黙想会などにより新たなリーダーを養成する
・ 活動部連絡会での連携
・ 2010年度ビジョンに基づき、各活動部が連携して教会の活性化を図る
・ 諸活動の見直し
 受洗後フォローアップ講座、幼児洗礼保護者会・堅信準備講座の強化を図る

(典礼)司祭・修道者・信徒が一致したうえで、より豊かな典礼を目指す
・ 典礼奉仕を通して、各人の教会共同体意識を強める
・ 祭儀の工夫、改善、その為の学習
・ 教区典礼委員会との連携推進
・ 典礼に係わる活動のための人材養成
・ 他の活動部、ブロックとの関係強化
・ 藤沢教会としての国際ミサのあり方を模索

(教育)
・ 子供の時から共同体に交わり活動に参加できるように、ミサの奉仕など育成する
・ 保護者の家庭での信仰教育の手伝い

(広報)
・ 毎月の八角形ニュースの発行を速やかにする
・ 記録のために、今までの八角形ニュースをまとめる

(福祉)
・ 東北支援一辺倒だった活動の見直しをする
・ 自死と「命の電話」の勉強会

2. 各種養成コース参加者・修了者の調査・報告

2011年までの参加者・修了者のリストはできているので、今年度分を宣教部を中心に12月中にまとめてください。
参加して学んだことを小教区で生かし教会活動を豊かにして行けるように、教会委員会としても協力していきたい

<ブロック・活動部>

(鵠沼) 来年1月は月当番なので12月中に連絡会とミニクリスマス会をやりたい

(辻堂) 11月18日にブロック集会をした

(北1) バザーへの協力に感謝します。最終集計は未だです。来年度の活動計画は、新しい連絡員を交えて考えたい
(北2)
・ 11月4日にブロック集会をし新役員の選出をした
・ 連絡網にメールを使うか検討中。メールの使えない人のことも考えながら連絡網の充実を図りたい

(藤沢)
・ 10月28日にブロック集会をし、当番月と連絡網の確認と来年度の役員選出をした
・ 障子貼りの協力に感謝。両日とも20名の参加があった
・ 11月17日に七五三の祝福式が行われ7名が参加された
・ 一人暮らしのお年寄りが増えてきたので、福祉部と協力しながら何ができるかを話し合った

(広報) 通常は第1日曜日に発行予定ですが、12月号はクリスマス号になるので、市民クリスマス 12/8(土)に発行する

(宣教)
・ 12月開講の入門講座ヘルパー養成コースには3名の方の応募があった
・ 売店は今年の売り上げが減少傾向にある。クリスマス・年末を期待している
・ 11月23日(金)10時〜14時、日本神学院でザビエル祭。第5地区として一粒会でバスを用意する。大船10名、片瀬14名、藤沢10名が参加予定
・ 幼児洗礼は12月23日(日)9時30分のミサの中で行うが12月9日(日)に事前準備を行う。希望者は事務所まで

<その他>

・ 2013年2月11日(横浜教区典礼研修会)と2月17日(合同入信志願式)に梅村司教様が来られる
・ 2013年3月31日(復活祭)は第5日曜日にあたっているので、国際ミサをするかどうか検討する
・ 四旬節の静修の日を3月10日、卒業感謝ミサを3月17日で検討する。静修の日講師の希望があれば11月中に川辺さんまで。3月は日曜日に行事が集中するので調整をしてほしい
・ 献堂150周年ミサの中で歌われる「静かに流れる水のように」を皆で歌い閉会とした

教会委員会報告

目次に戻る



3部門連続講座報告 「葬儀セミナー」
葬儀を考える会 佐々木

11月11日9時半のミサ後に、連続講座の一環として葬儀セミナーが開催されました。死者の月恒例のセミナーです。70名近い方が参加されました。2000年に「臨終から葬儀まで」の小冊子が作られ10年余り経ちますので、見直しをしようと企画しました。配られたたたき台に添って、川辺さんが丁寧に解説され実情を話して下さいました。

この小冊子の目的は「葬儀」に対しての事務的な手続きだけではなく、誰でもが迎える最期の時にふさわしい心構えをしておくためのものです。「どのように死ぬか」は「どう生きるか」に関係しているもので、「死」は悲しみだけではなく、復活の希望に通じるものです。死者だけではなく、遺された家族を支え繋がりの中で関わりを通して生きるための感謝の時でもあることを、伝えています。

身近に迫った死に対して、教会は喜んで対応したい(病者の塗油など)と願っています。本人の意識がはっきりしている中に、お早めに教会にご連絡ください。病院で無くなる場合もありますが、自宅の場合、急な死、夜中に亡くなった場合など夫々の場合で異なった対応が必要になります。いずれにしても元気な時に葬儀に対する希望などを話し合っておくことは、あわてないために大切な事です。葬儀の日時の決定などは、教会に連絡下されば「葬儀を考える会」のメンバーなどが対応いたします。葬儀社に連絡する前に連絡下さると良いです。

「通夜」はしなくてはならない儀式ではありません。亡くなられた方も身内の方も高齢な場合、ご遺体を囲んで祈る時間を持てば充分です。前もって「通夜」をするかどうか、話し合っておくと良いでしょう。

「納骨」をいつすれば良いかとの質問を良くされます。決まりはありません。本来カトリックは土葬なので、告別式が終わるとそのまま墓地に行き埋葬します。ですから、火葬場から直接納骨することも可能です。親族が遠方から来られる場合など良いのではないでしょうか。尚、藤沢教会には聖園に「合葬の園」があります。現在300件の申込みがあり、約100体の納骨がされています。720体の収容が可能ですので、ご希望の方は教会事務所までお申し込み下さい。

亡くなられた方の法要に関して、教会としての決まりはありません。藤沢教会では毎年春と秋のお彼岸10時より合同追悼ミサを捧げています。合葬の園でも11月初めにミサを捧げますので、ご一緒に祈りましょう。

葬儀費用や教会への謝礼に関するお問い合わせも、良くあります。簡素な形式の葬儀が増えています。ご家族で選び決めますが、教会としては簡素なものをお勧めしています。飲食を含まない場合、30〜50万円で充分です。また、夫々のご家族に応じて、また教会との関わりを考えて献金という形で感謝の気持ちを表して頂けたら、有り難いと思います。

昔は洗礼を受けていないと天国に入れないと思われていましたが、洗礼は決して天国への切符ではありません。洗礼はキリスト者として生きるための秘跡です。本人の意思や希望が洗礼の大前提になりますので、元気な時に本人に確認しておきましょう。教会共同体との交流が大切ですので、早めの洗礼をお勧めいたします

今回の小冊子には「備忘録」は添付されています。皆様も良く目を通され、何か良い案、ご意見があれば「葬儀を考える会」までお申し出ください。いざと云う時にパニック状態にならないための大切な準備です。来春イースターには改定版を出したいと思いますので、皆様のご協力をお願いいたします。尚、今回このセミナーに参加されない方でも「臨終から葬儀まで」のたたき台のプリントを事務所に用意してありますので、関心のある方はお読みになって下さい。


目次に戻る



「典礼暦」
典礼部  片桐

教会カレンダーの流れ典礼暦の1年の締めくくりの日である「王であるキリスト」の祭日を迎えた11月25日のミサ後、宣教部・福祉部・典礼部の3部門が連続して行っている講座の一つとして「典礼暦」をテーマに、典礼部メンバーであり、教区典礼委員でもある福井さんにお話をしていただいた。その一部をご紹介します。

「典礼暦とはキリストの生涯の出来事を1年を周期として記念するために、キリスト者の間に形成された教会の暦」であり、教会の典礼を通して、キリストが今もなお、私たちのために救いの業を続けておられることを感じることができる。 私たちは典礼暦年を丸い円の形で表しているものをよく目にするが、この典礼暦は1年の中に、固有な特質を備えた「待降節(約4週間)」・「降誕節(約2週間)」・「四旬節(約40日)」・「復活節(約50日)」とキリストの神秘の種々の面を取り立てて祝わない「年間(33ないし34週)」とがある。 例えば今日11月25日は、円の頂点の12時を新しい1年の始まりの待降節第一主日とすると、その少し手前、1年のほぼ締めくくりの所になる。1年の始まりは約4週間の待降節とそれに続く約2週間の降誕節、その後、2013年は「年間」と呼ばれる週が5週続いた後、2月13日には四旬節の始まりである「灰の水曜日」を迎える。 四旬節第5主日の翌週、3月23日から聖週間となり、その週の木曜日からは、キリストの受難・死・復活を1年のうちで,もっとも荘厳に記念する「聖なる過ぎ越しの三日間・聖木曜日(木曜日の日没から金曜日の日没)・聖金曜日(金曜日の日没から土曜日の日没)聖土曜日(土曜日の日没から日曜日の日没)」を迎える。この三日間が典礼暦年全体の頂点に位置づけられており,このうち「聖土曜日」には復活徹夜祭が行われ、このミサ中に,洗礼志願者が入信の秘跡(洗礼・堅信・聖体)を受ける。翌日が「復活の主日」であり,この日から聖霊降臨の主日間での50日間が「復活節」である。この季節には特に「アレルヤ」が歌われる。復活節は「聖霊降臨の主日」をもって終了する。

来週から始まる「待降節」は二重の特質を持つ。一つは神の子の第1の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり,同時にその追憶を通して,終末におけるキリストの第2の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。この2つの理由から,待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であることが明らかになってくる(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」39)。この2つの特質は12月17日を境に,前半と後半の叙唱にも表されている。さらに、典礼の中の朗読も待降節中の主日の朗読がA年B年C年それぞれに特徴づけられている。司祭がミサ中に着用する祭服は典礼によって色が変わるが,待降節中は救い主の誕生への期待をこめて神に心を向け、静かに主の降誕を待ち望む心を表して「紫」を着用する。但し、待降節第3主日は「喜びの主日(ガウデーテの主日)」と呼ばれ、バラ色の祭服の着用が認められている所もある。藤沢教会では「待降節の祈り」を共に唱える時に灯されるローソクが第3主日はピンクである。

私たちは日々の信仰生活と祈りの中で、意識する、しないに関わらず「典礼暦」を生きている、と言える。キリストの死と救いの道程を典礼暦と共に、毎年繰り返しながら、救いの完成を目指して一歩一歩旅をしている、という意識を持っていきたい。


目次に戻る



北2ブロック集会の報告
長後 矢部

北2ブロックでは、バザー後の整理がまだ終わらない11月4日(10:45〜12:30)に、27名が参加者して軽食付きで集会を開きました。転入された方の紹介、来年度の委員の選出、行事計画、連絡網の見直しなどについて検討するためです。これらの議題は短時間のうちにすべてスムーズに進み、自由な話し合いや交流の時間がたっぷり持てたように思えます。その成功の裏には役員立候補への勧誘から食事作りまで、女性たちの力強い働きがありました。

転入者は、被災地福島から避難された方でした。いろいろとご苦労が多いことでしょう。ブロック内でも連絡を密に取り合って、仲間として協力できれば幸いです。連絡網については、トラブルを少しでも減らそうと、遅ればせながら従来の電話・ファックスのほかに電子メールの利用を加えました。電子メールはBCC(ブラインドカーボンコピー)方式で発送しますので、各個人のアドレスは公表されません。電子メール利用者はまだ少数ですが、もっと普及すればずいぶん便利になるはずです。現在連絡を希望されていない方たちも、受け入れてくれるようになるかもしれません。

今年はバザーの当番でしたので、それにかまけて他の行事については不行き届きが多くなってしまいました。来年の行事としてはとりあえず新年会や自然散策などが提案されました。小規模であっても多彩な行事を行うことで、ブロック内の方たちとの心の交流が図れればよいと思います。

なお、今年はブロックに所属する2名の方が、ちょうどバザーの行われた10月に帰天されました。集会ではご遺族から丁重なごあいさつを受け、一同は改めて故人の言動やお姿に思いをはせました。


目次に戻る



七五三祝福式
藤沢3区 高橋

11月11日(日)7名の子ども達が七五三の祝福を受けました。
タム神父様から「いい子になってね。」と声をかけられ、おメダイと千歳飴をいただきました。子ども達は笑顔でとてもうれしそうでした。ご両親はじめ、皆で健やかな成長をお祈りしました。

七五三祝福式

1年 ここな

11月11日に七五三しゅくふくしきをしてもらいました。わたくしは7さいです。おしきでは、きょうどうきがんのおいのりをていねいにしました。とくべつなおメダイとちとせあめをいただきました。うれしい1日でした。ありがとうございます。

藤沢1区 佐藤

11月の穏やかな天気の中で、七五三祝福式に参加させていただきました。大勢の方の中で名前を呼ばれて、前に出ていくということが初めてだったので、緊張してそれを見守る両親と兄妹、心の中はドキドキ・ハラハラでした。が、こちらの心配をよそに本人は笑顔で神父様におメダイを頂き、千歳飴も頂きました。祖父も参列し、孫の姿に大喜びでした。祖父は数日後に心臓の大きな手術を控えており、孫の成長した姿をみて手術への励みになったそうです。七五三の本来の意味として旧暦の鬼の出歩かない日に何事をするにも吉であり、収穫を終えてその実りを神に感謝する月であったと聞いています。神の恵みに感謝して、我が子をこれからも見守り、健やかに成長させていただける神に感謝します。そして、神父様、携わっていただいた多くの皆様に感謝いたします。


目次に戻る



横浜天主堂献堂・日本再宣教150周年・横浜教区創立75周年記念講演会とミサ
辻堂1区 牧野

11月24日(土)午前10時30分から、パシフィコ横浜国立大ホールで開催された横浜天主堂献堂・日本再宣教150周年、横浜教区創立75周年記念講演会と感謝ミサに参加した。主司式は横浜教区長ラファエル梅村司教、主な列席者は教皇大使ジョゼフ・チェノットゥ大司教、パリ外国宣教会日本管区長シェガレ・オリビエ司祭、韓国のイ・キボン司教、イエズス会管区長梶山司祭、東京教区岡田大司教始め日本のすべての教区司教、多くの司祭であった。また修道会を含めた約4,000名の一般参加者で会場は静かな熱気にあふれた。

まず飯野神父から、1549年のザビエル到来より日本における福音宣教が続いてきたが、約200年の中断後この横浜の地で宣教が再開されてから150周年を迎え、神の業が続いてきたことに感謝する旨の開会挨拶があった。続いて中島昭子先生から「横浜天主堂と日本再宣教」と題し、大変分かりやすく、興味深いお話を頂いた。先生は、現在捜真女学校中等部教頭でおられ、更に早稲田大学東アジア法研究所、関東学院大学キリスト教と文化研究所に所属され、日本再宣教、近代日本のカトリック歴史研究論文を多数発表されておられる。

中島先生の講演要旨

中世において宣教をすることで国家にその地域を植民地化することを許諾していた歴史があったが、教皇は布教聖省を設置して、自ら宣教を主導するようになった。それに呼応するようにフランス革命後のフランスで、フランス人司祭パリューがパリ外国宣教会を設置して、献身的な宣教が始まった。それより前に、日本ではイエズス会士フランシスコ・ザビエル神父がカトリック宣教を開始していたが、1644年に最後の司祭小西マンショ神父が殉教して以来、宣教活動は停止されていた。

その後、パリ外国宣教会が教皇の命を受けてアジアに司祭を派遣したが、日本再宣教の意向もあった。その時には、パリ外国宣教会のフォルカード師は、日本再宣教を目指して琉球において日本語を習得し、1846年日本代牧区長に叙階された。フォルカード司教は幕末の日本に上陸を目指したが、長崎を見ながら果たすことができなかった。フォルカード師は帰国後も日本のために祈り続けていた。これに影響されフランス片田舎の人口わずか550人のディーニャ村で、ロバン神父が日本の改宗のために祈る会を創立した。フォルカード師はそれに宛てて「日本のために祈って、祈って、祈っていて下さい」と3回も「祈って」を繰り返した書簡を送った。最初の会員は450名であったが、3年後には1,800人、そして新聞にも紹介され、イタリアやベルギーでも会員が生まれ、横浜天主堂献堂前には3,000人を超えていた。そしてロバン神父は6体の聖母像を作ったが、今確認されているのは京都河原町教会の「都の聖母」像のみである。京都の大塚司教が渡仏される際、その聖母像のレプリカを作りディーニャ村に贈られた。

フォルカード師のあとを継いだジラール神父が1859年に日本上陸を果たし、早速横浜の地に土地を確保して天主堂建設に取りかかった。天主堂は1861年暮に完成し1862年1月に献堂式が執り行われた。当時はまだキリシタン禁令の最中であったが、幕府の反対にも拘わらず、あえてその入口の上に「天主堂」の看板が掲げられた。早速評判になり、日本人も訪れ始めた。なんと最初の日本人への宣教は献堂2週間後であったとのことである。その後、この天主堂を訪れた日本人55名は幕府に拘束されてしまった。これが横浜天主堂事件として伝わっている。隠れキリシタンの発見も横浜天主堂に続く浦上天主堂建設の後であった。1865年3月17日浦上天主堂のプティジャン神父を訪ねた日本人が信仰を告白、隠れキリシタンの発見となった。この喜ぶべき知らせは、早速香港経由でパリ外国宣教会本部に報告された。

宣教先では日本人信徒に対する迫害は続いていた。時にはひどい場合もあった。局面が変わったのは、1858年欧米5カ国と修好通商条約が締結されたことからであった。フランス政府がきわめて強く日本幕府にキリスト教禁令を解くように迫ったことで、街の中にあった禁令の高札が1873年2月におろされた。時はもう明治であった。3月14日には逮捕者も釈放された。宣教師たちはそのよろこびのニュースを早速本国に伝えた。そして日本各地にも宣教が始まった。宣教師たちははじめの頃皆横浜を経由していった。すなわち、横浜は宣教の拠点と位置づけられていた訳である。

日本は最初一つの代牧教区であったが、1876年には早くも2つに区分された。1882年には最初の日本人司祭も誕生した。そして、今から丁度75年前の1937年に横浜教区が東京教区から分かれて独立した。

この様に日本再宣教は教皇始め特にフランスからの篤い信仰と祈りが、神の篤い取り計らいで成し遂げられ、我々日本人のカトリックが今あるのである。

昼食後、献堂150周年についての映像上映があった。

感謝ミサ

入祭の挨拶に立たれた梅村司教から今日のミサは、一年掛けて祈って準備してきた横浜天主堂献堂150周年の完了となると宣言された。そして、教皇様からもメッセージを頂いたこと、今日のミサはフォルカード司教のカリスとパテナを用いることで、今我々が有るのは先人の犠牲と祈りの恵みであることに、深い感謝を表すためと述べられた。

それに続いて、教皇ベネディクト16世のメッセージを教皇大使チェノットゥ大司教が代読された。それには、この10月から始まった信仰年と合わせ、日本の再宣教開始150周年を迎えるのは大変意義深いことであり、兄弟愛の浸透を期待していると述べられた。

感謝ミサ

梅村司教の説教の要旨

横浜天主堂献堂150周年にあたり「交わりとしての教会をめざして」を標語としてきた。私が言いたかったことはすべて本日のパンフレットに記されている。これらの詳細は今日午前中に中島先生が講演された。教皇は宣教庁を設立し、日本宣教をパリ外国宣教会に一任した。そして、彼らの献身的な努力により今我々がここにあるのである。中でも、フォルカード師は本国に戻ったあとも毎月1日に日本再宣教のためにミサを献げていたとの事である。なお、今日使うカリスには、フォルカード師の紋章が記されている

今年9月、私は公式巡礼でフォルカード司教の足跡を辿った(参考:横浜天主堂献堂150周年便り 司教館発行)。ヌヴェール教区で、フォルカード大司教の足跡を確認したが、現地には、フォルカード大司教や、ジラール師が日本のために働いたことを知る人はいなかった。又、この巡礼では、ジラール師の出身であるサン・ローラン教会を訪問したが、前に相模原教会主任で今はこの教会に勤めるドゥビオンヌ師に再会したことも奇遇であった。この公式巡礼でもフランスの教会関係者の方々に聞いたが、フォルカード師がここまで日本について祈って下さっていたことを知る方は居られなかったし、京都の大塚司教がディーニャ村でロバン神父の墓の場所を聞いたが最初は分からなく、教会で表面の土をきれいにしてやっとその所在が分かったというように、忘れられてしまった宣教師たちのはかなさに接し、これが宣教師の背負う悲哀かと思い、改めて感謝の思いを深くした。この様に、一般信徒を含めて人々の大きな祈りと犠牲のおかげで今の我々がある。その尽力に自ら応えていければと思う。

今回交わりとしての教会を目指して、神の民となって入信したすべてのキリスト教信者は全員が福音宣教の使命をゆだねられて、その責を担うことを願っている。次の新1000年期に向かって、歴史の海の沖へこぎ出すことを願っている。1人残らず人々は福音宣教の使命を担っている。神は「宣教」という愚かな手段を選ばれた(コリント1:18-25)。実りを期待して、種をまいていくが、現代社会は、効率や能率が第一としており、カトリックへの理解が難しいなかで、福音宣教を進めていけるように、み言葉を述べ伝えて行かなければならない。

ミサの最後に、岡田大司教とパリ外国宣教会管区長シェガレ師から祝辞を頂いた。

岡田大司教の祝辞

献堂150周年のお祝いの言葉に加えて、横浜教区は東京教区から75年前に生まれたのであるから、今後より一層協力を深めていきたいとお話をされた。

パリ外国宣教会管区長 シェガレ神父の祝辞

最初に、パリ外国宣教会総長コロン神父からのメッセージを代読された。総長からは、横浜天主堂献堂150周年は同時にバチカン公会議50年であり、生き生きとした細胞を育て、交わりの場、分かち合いの場になるようになって欲しい。

横浜天主堂献堂における一つのエピソードとして、横浜天主堂献堂2週間後1人の日本人の男が祭壇にひざまずいていたそうである。ジラール師が声を掛けた。「ここはなんだか分かりますか?」男は「分かりません」と答えた。重ねて神父は、「知りたいですか?」と問うと、「はい知りたいです」と答えがあった。この男は続けて3日間教理を聞きに来たそうで、この人が日本再宣教第1号となった。残念ながらその後投獄されたそうである。大浦天主堂でも迫害が続いたが、困難にも拘わらず宣教任務を続けた結果、今のいしずえが築かれた。これからも、明日迫害が有るかも知れないという気構えで強い揺るぎのない信仰が与えられるよう祈ると締めくくられた。

ミサの終わりに梅村司教から、改めて司教団、司祭団、修道会、そして信徒に心からのお礼を述べられ、出席された司教様方を紹介された。それには、聖公会の三鍋主教も含まれていた。そして最後に、本日の内容も含めて、歴史に残るような書物にすると言われた。

派遣の祝福を頂き、ミサは終わった。当初予定の午後4時をはるかに過ぎ、もう5時に近くなっていた。あたりはすっかり暗くなり、港にきれいな明かりがともるのを見ながらすがすがしい気持ちで帰途についた。


目次に戻る



東北ボランティア活動サポートチーム報告

岩手県(釜石ベース)

12月9日釜石市内で例年慣例の行事があります。8日ステージ設営、9日ステージ撤去、両日とも体力仕事です。そして両日ともボランティアが大変少ない状況です。釜石市の皆様にとって良い思い出になりますようどうかお力をお貸しくださいと釜石ベースからのお願いです。7日から10日までどなたか丸山と同行しませんか。

年末から正月にかけて石巻(12/26-1/4),米川(12/28-1/4)は休みですが、釜石は通常通り活動してます。東北関係の情報サイトとして「3.11復興支援情報サイト 助け合いジャパン 復興庁連携プロジェクト」http://tasukeaijapan.jp をぜひご覧ください (丸山)

宮城県(石巻ベース)

被災地にも厳しい寒さの季節がやってきました。ボランティアに行く人も徐々に減ってくることでしょう。一人で行くのはちょっと不安なので、もし一緒に行く仲間がいれば是非行ってみたいと思っている方がおられましたら、ご希望の行先(岩手、宮城、福島)と日取りをサポートチームにお申し出下さい。(小藤)

福島県(原町ベース)

皆さまからご協力頂きました「お雛様」、「兜」、「五月人形」を南相馬市にあります「長寿荘」、「福寿園」、「厚寿苑」、「グル−プホーム田園」にお届け致しました。3.11当時の地震・津波・原発のお話しを伺い、入居者の健康状態が落ちてしまっている大変の状況をお話しされました。私達のささやかな贈り物が入居者の心を和ませることが出来ましたら大きな喜びです。お雛様・兜・五月人形を提供されました皆様にお礼申し上げます。引き続き仮設住宅の女性の手作りのための材料支援をお願い致します。これから冬に向かい、家にこもる事の無いように支援をして行きたいと考えます。教会で「さるぼぼ」作りを始めました。関心がありましたらお出かけください。

南相馬の仮設訪問のボランティアも募集しています。皆さんご一緒しませんか?(曽根)

被災地の物産販売

11月も定例の仙台味噌などの醸造製品、それに二本松中心の野菜販売を行いました。お陰様で、今月は併せて9万円ほどの売り上げになりました。冬に向かい、これからの果物や野菜は品数が減少することもありますが、支えていければと思っております。また南相馬から「食べてみっぺ!そうまの米!」の声かけで、平成24年秋に収穫を迎えた新地・相馬産のお米の宅配注文販売の用紙配布を次の野菜販売から行います。(http://www.ja-soma.or.jp/info/upfile/20121017_095316.pdf)全量放射性物質検査済みですので安全・安心です。震災に負けず、地元農家が一生懸命、丹誠込めて作った「相馬のお米」是非ご賞味下さい。新品種の"天のつぶ"福島県オリジナル品種もありますので、是非お試し下さい。

近隣の横須賀大津、三笠、逗子、雪の下、由比ヶ浜教会も、それぞれ定期的に二本松農産物販売を進めておりますので、重ねてお礼とご報告を致します。(牧野)



目次に戻る


南相馬原町教会に行ってきました
バザー委員会

小さな小さな原町教会では狩浦神父様、信徒会会長高野様・CTVCスタッフ池上様たちが待っていてくださいました。吉川久子フルートコンサートに参加して下さった沢山の方々の復興応援へのお気持ちを伝えながら、50万円をお渡し致しました。

狩浦神父様は「私たちは災害によって全て水に流され、重ねて原発の被害を受け、何もなくなりました。しかし、私たちの信仰は長崎から守りつがれ、東北へと広がり、この信仰のあり方を原点に、今、福島からたちあがろうとしています。すべての方々と教区や教会を超えて、一つのつながりが出来ればよいと思います」と力強く語られました。そして「ゼロから出発することを見せてくれるのが南相馬です。12人の弟子のコミュニティーから出発したように、日本の教会の『しるし』になるような気がします。私たちは元に戻れない人々に、より身近にあって『命の光』にならなければならない。ここは『命の光』の場です」と大切なお気持ちを聞かせてくださいました。

原町教会の皆様は、1万人いると言われている仮設住宅に住む方々のために、教会外での活動、教会内でできることを精一杯なさっています。原発30キロ圏外に25か所ある仮設住宅のうち4つの仮設の方たち447世帯、それは不便な場所にあり買い物に行くのも難しい方たちの所に、1軒1軒回って声をかけ、かかわりを持ちながら「野菜ばたけ(二本松)さん」のお野菜を週に一度配ったり、仮設住宅でのお茶のためにケーキを焼いたり、また教会内の仕事ととして手紙を書く、荷物の仕分けをするなど10人たらずのメンバーがすべてを手弁当でなさっています。時間もお金もお一人お一人大変な負担と思いました。私たちのお届けしたアフターバザーの収益金は原町教会の信徒の皆様の関わるこんなところにも使われることになると思います。

長期につながっていくために、長期の情報が欲しいとお願いをしてきました。


目次に戻る



カトリック原町教会 信徒会長 高野さまからのお便り

今日は、本当に遠方よりおいでくださいまして、ありがとうございました。また多くの支援金もありがとうございました。有効に使わせていただきます。皆様に、どうぞよろしくお伝えください。(2012.11.19)

こんにちは。
鹿島区というところの牛河内第一仮設140軒に野菜配布が終わりました。ここの入居者は、鹿島区の海の方で津波に遭い、家を失った方々が入っています。若い人が多く、大半は日中働きに出ていて、留守宅が多い仮設です。でも在宅者は、「まあ、又来てくれたの。新鮮な野菜がうれしい!ありがとう」と受け取ってくれました。ここは、春から初めて4回目です。これは、昨日話したように、二本松の「野菜ばたけさん」から送られてきた野菜を我々地元ボランテアが配布するものです。これによって、農家と仮設住宅住民と両方救えます。何故、1軒1軒配るの?仮設の集会場にどーんと置いてきて配布は仮設に任せたらいいではないか という意見もあります。でも、私達は、食べる人の顔を見てお渡ししたいということもあり、そしてそこに絆もできるしと考えて配っています。それに、自治会がよく機能していない仮設では、野菜をどーんと降ろされても、今度は自治会長さんが配布に困るわけです。いろいろ仮設によって多様です。

「野菜が不足し、野菜ジュースで補っているけど、飲む?」と3パックくださったおうちがありました。留守でも、第一玄関は鍵をかけないような約束なので、玄関先に趣旨を印刷した紙と共においてきました。高台に新しい家を建てて仮設を去る家庭、なるべく故郷に近くにと入居する家庭と同時に見ました。借り上げ住宅からの移動でしょうか仮設入居者が300番待ちとか、あるお母さんが言っていました。
では、では。 (2012.11.21.)


目次に戻る


殉死した井手口美代市教区長
鵠沼3区 高木

昭和16年(1941)12月8日、日本はアメリカ合衆国、イギリス国に対して宣戦布告をしました。それと同時に日本軍はフィリピン、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスなどを順次に攻略してゆきました。ところがそれらに先だち日本政府は11月20日、「占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実務シ・・・」として陸軍の担当区域を香港、フィリピン、マレー、スマトラ、ジャワ、英領ボルネオとし、海軍の担当区域を蘭領ボルネオ、セレベス、モルッカ諸島、小スンダ群島、ニューギニア、ビスマルク諸島、グアム島などとしました。

昭和17年(1942)1月、東条首相は衆議院で南方諸民族の宗教と風習は尊重すると言明しました。そこで2月9日、宗教家懇談協議会において大東亜共栄圏での宗教工作について開陳されましたが、3月14日占領地の「統治要項」の中では占領地の宗教に関しては干渉しないとされました。いわゆる宗教行政は現状のままとされたわけでした。

一方、陸海軍においては6月29日以来、「南方占領地統治要綱」なるものが検討されましたが、10月13日東条首相は宗教対策について訓示しました。すなわち陸軍側は占領地に対して積極的に軍政を施すことに決めたわけでした。そこで作成された「南方占領地宗教宣撫活動」によると日本人キリスト教宣教師も協力させられることになってしまいました。とりわけ南方占領地にはカトリック教徒が多数いたからでした。

昭和18年(1943)7月20日、占領地宣撫のため文部省は東京都芝区白金三光町の聖心女子学院に司祭、修道士、修道女120名を集め錬成会を開きました。それも当初カトリック側は修道女の派遣に対して躊躇していましたが、結局は自発的な応募として約20名が参加することになりました。

昭和18年(1943)9月、横浜教区長井手口美代市神父様とシャルトル聖パウロ会西田キチ修道女、荻島礼子修道女が陸軍嘱託として徴用されました。そして香港へ赴く途中11月23日東支那海で、乗船がアメリカ海軍の潜水艦によって魚雷攻撃を受け沈没してしまいました。そのことは軍事機密とされましたが、昭和19年(1944)1月5日になってカトリック教会側に知らされました。そのため10月1日東京関口教会において葬儀が行われましたが、12月17日遺骨というものが帰されてきました。

結局、戦争中約30名の司祭、修道士、修道女が南方占領地へ派遣されましたが、その中7名のものが亡くなってしまいました。

次に井手口教区長の年譜を説明いたしましょう。

明治35年(1902)8月18日長崎市に生まれる。
大正9年(1920)東京暁星中学校卒業
昭和3年(1928)パリ、サン・スルピス大神学校卒業して帰国
昭和3年(1928)9月22日、東京関口教会において叙階式、のち本郷教会、大森教会、甲府教会、浜松教会で司牧
昭和15年(1940)12月5日、横浜教区臨時管理者任命
昭和16年(1941)1月20日、着座式
昭和16年(1941)11月20日、南洋教区臨時管理者任命
昭和18年(1943)9月、陸軍宣撫班として徴用
昭和18年(1943)11月23日、殉死(41歳)

因に横浜教区からは昭和18年(1943)8月、久野茂神父様が海軍嘱託としてフローレス島へ派遣され昭和19年(1944)には谷口賢治神父様が同じく海軍嘱託としてマカッサルへ派遣されました。何れも戦後無事帰国して茅ヶ崎教会、戸塚教会などで司牧して下さいました。

十字架

目次に戻る


高山右近列福祈願司教団巡礼の旅
鵠沼2区   萱野

安土桃山時代のキリシタン大名であり、摂津国高槻城主でもある高山右近は本能寺の変後に豊臣秀吉による禁教令によってマニラに追放され病死した。この死を悼み当時の教皇様は長崎で処刑されたキリスト教宣教師、信徒26聖人と共に高山右近にも日本最初の殉教者として1862年聖徒の尊称を贈られた。今年は贈られてから150年にあたります。特にゆかりの深い関西、長崎を中心とした大司教様、司教様、神父様たちが企画され、全国から約60人が参加した巡礼です。

毎日朝早くから夜遅くまで超過密スケジュールのもと、バチカンの大聖堂、美術館、ローマ市内の7大聖堂など、またマルセイユ市内の高い丘の上にそびえる、地中海の旧港が見える聖堂、エクスアンプロバンスの教会、パリ市内の大寺院など、ヌベールの修道院、そしてルルドの聖域内の大聖堂、恵の水をいただく等など中身の濃い充実した8日間の巡礼の旅となりました。

教皇様謁見ではサンピエトロ大広場に世界各国から巡礼の人々が1万数千人が集う中、高山右近列福祈願巡礼と言うこともあり教皇様のご好意と大司教様、司教様のご尽力によりなんと最前列から7列目にかけて席を与えられ、大感激、大興奮しました。大司教様、司教様によると巡礼団の人数も多くかつてない待遇をあたえられたとのことで、この様なことは初めてだそうです。教皇様からは遠い日本から大勢の巡礼団がバチカンを訪問され有難い事ですとのメッセージをいただきました。我々巡礼団はバチカンの国旗と日本の国旗を大いにふり、返答しました。

今回の巡礼では、巨大な古代建築の建物そして大聖堂内部はすばらしく美しく、音響効果の素晴らしさ等の連続でまざまざと見せつけられました。キリスト教の歴史やルルドでの本場十字架の道行等を実際に体験出来たことに感動しました。ミサは8日間毎日捧げ、祈願しました。



目次に戻る


小グループ活動 「司祭と神学生のために祈る集い」

毎月第4日曜日の朝9時半のミサ後に、小聖堂でお祈りをお捧げしています。主への賛美で始まる「司祭と神学生のための祈り」と「教会の祈り」を。「教会の祈り」は伝統的な美しい旋律で歌いながら、テゼの祈りで歌われる歌も織り交ぜて祈ります。全世界の司祭の保護者、聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の祝日や、司教様と横浜教区の多くの司祭の叙階記念日には、特別なお祈りをお捧げしています。

司祭は主イエズス・キリストさまがそこにいらっしゃる秘跡と言われています。"キリストは神であるのに、十字架の死に至るまで、ご自身を低くして従うものとなった。それゆえ神はキリストを高く上げ、全てにまさる名をお与えになった。"(フィリピ2:6−9)

私たちの祈りの原点は、ご自身を捧げ、私たちを主の命へと招き入れてくださった主への賛美と感謝です。日々主イエズスさまに代わりミサを捧げてくださる司祭、復活し今生きていらっしゃる主がくださる命を養ってくださる尊い秘跡を授けてくださる司祭。祈りの集いでは、お一人お一人の司祭のことを思いながら祈るとともに、誰よりもまず私たちを天の食卓へと招き入れ、主の命をくださる大司祭イエズスさまを讃えて、お祈りをお捧げしています。

イエズスさまが大好きな方、司祭のために祈りたい方、歌って祈りたい方、誰かのために祈りたい方・・・どなたでもどうぞご参加ください。



目次に戻る




鈴木神父の川柳(続17)
編集部編

今回はB年その4です。( )内は鈴木神父の注記です。

2012年

8/5
悩むのは見えないものが見えぬとき
 (年間第18主日)「ヨハネ6:24-35」
(目に見えないところで働かれる神が見えるとき、信じられるという究極の救いを味わう)

8/12
人間の思いは神に近づけず
(年間第19主日)「ヨハネ6:41-51」
(神の思いは私の思いとは違うだろうぐらいに思っている方がよいのでは・・・)

8/15
祝福が都合良いとは限らない 
(聖母被昇天)「ルカ1:39-56」
(祝福は十字架を担い復活の生命を生きるためのもの)

8/19
浅はかで意志弱くても望みあり
(年間第20主日)「ヨハネ6:51-5」
(永遠の命のパンは、誰が食べられるのでしょう)

8/26
福島の子供に会えば君だって
(年間第21主日)「ヨハネ6:60-69」
(心が動くという不思議な体験はしたことのない人には説明が難しいが・・・)

9/2
偽善者と云われるまでもない私
(年間第22主日)「マルコ7:1-8」
(皆偽善者だから人に向って云うのは無駄。
神様の救いの意思におまかせ出来れば福音)

9/9
無理だよな というくらいの主の救い
(年間第23主日)「マルコ7:31-37」
(神の救いは、私達の想像をはるかに越える力強さであり、
それが少しわかるのは弱い立場に立ったとき)

9/16
十字架をかつげばわかるその軽さ
(年間第24主日)「マルコ8:27-35」
(喜こんでかつげば十字架も軽いものらしいが、さて無心にかつげるか・・・)

9/23
この人生 いつまで生きればわかるやら
(年間第25主日)「マルコ9:30-37」
(人に仕えようとすると人生の大事なことが色々見えるようになるが、わかったとはいえない)

9/30
誰のこと?神より恐いキリスト者
(年間第26主日)「マルコ9:38-43」
(王様より王党派といわれることをわがことに思えるのは恵み、他人から言われてもなかなか・・・)

10/7
年とれば わがままになる我がママも
(年間第27主日)「マルコ10:2-16」
(神さまが合わせてくださったと思って踏みとどまれれば・・・)

10/14
見てみたい 愛と未練の境目を
(年間第28主日)「マルコ10:17-30」
(いつ恵みによって未練を断ち切れるのか不思議)

10/21
君だって誰かのための身代金 
(年間第29主日)「マルコ10:35-45」
(自分の人生をこんな風に見られるかしら・・・)

10/28
憐れみを乞う素直さをもう少し
(年間第30主日)「マルコ10:46-52」
(「主よあわれみたまえ」の祈りを、どんな風に唱えてきたのだろうか)



目次に戻る


マドレーヌの会年間報告 (2011.9 月―2012.7月)
辻堂1区  津上

東ティモールこの1年は東北大震災被災地支援がみなにとって大きな課題でしたが、その間にも東ティモールの子供達のための支援にご協力いただき有り難うございました。年間を通じ、マドレーヌ、ママレード、花布巾などの手作り品の販売の純益は256.300円でした。昨年12月のクリスマスチャリティコンサートの募金129.500円、繰越金をあわせ40万円を清泉侍女修道会"ラファエラ東ティモール子供募金"に送金させていただきました。皆様のご協力を感謝いたします。

建国10周年を祝った東ティモールですが庶民の生活は苦しく、いまだに1日に1食しか食事が取れない人々が数多くいるそうです。私達はこれからもささやかな活動ですが、現地の子供達の生活向上を願い、祈りを込めてマドレーヌを焼いてまいりますのでよろしくお願いいたします。



目次に戻る


がりらや便り

この秋の紅葉狩りはいかがでしたか、早いもので今年のカレンダーもあと一枚を残すのみとなりました。ただでさえ慌ただしい師走に29年振りの年末衆議院選挙、世間の喧騒の中にあっても自らを見つめる憩いのひと時を持ちたいものです。

「いのちより大切なもの」星野富弘詩画集
 いのちのことば社 1,260円 B5変型判 96頁

画と詩のコラボで心を打つ作品に加えて「いのちより大切なもの」についてのエッセイとインタビュー、そのうえ「単行本で未発表の詩画や絵を多数収録」とあっては富弘ファンには垂涎の1冊。


「十字を切る」 
晴佐久昌英著 女子パウロ会 1,365円 四六版 224頁

「カトリックの司祭になってから今年で25年になります。節目の年に、もっとも自分らしい本が出せたと思っています。」
多くの著作を手掛けた神父の言。「父と子と聖霊のみ名によって」で始まる祈りの解説、指導書。

クリスマス

目次に戻る