藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2013年11月28日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

人生の終わりの日に備えて―死者の月に寄せてー・・・・・・・イエズス会 司祭 三浦 

教会委員会報告(10月19日)

東北ボランティア活動サポートチーム報告

福島の被災地を訪ねるツァーに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 山本

レクチオ・ディヴィナで祈る集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 押木

東京カテドラルのインターナショナルデー

一粒会大会に参加してへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 渡辺

バザーを終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー準備会 辻堂2区 佐々木

南洋群島とカトリック教会の歴史(2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

がりらや便り

 

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人生の終わりの日に備えて
―死者の月に寄せてー

イエズス会 司祭 三浦 

全世界のカトリック教会は11月を死者の月として、亡くなられたすべての人々をしのび、その方々が神の国において永遠の安息と復活の喜びに与られるようにお祈りするのです。私たちも、故人となられた身近な人々や、全世界の亡くなられた方々のために、心から永遠の幸せを祈りましょう。

死者の月に寄せてでも、私たちもいつかは皆その人々のように、この世を去る日が来るのです。ですから、その時には神様が喜んで私たちを迎え入れてくださいますように、いつも心してその日に備えて行きたいと思います。そのためにはどのように準備をしていけばよいでしょうか。難しいことですがご一緒に考えてみましょう。

そのため先ず第一に、私たちがいつも自分の心を絶対的な平安に保って生きることです。なぜなら、神であるイエス様は、私たちがこの世を終えようとも人生の究極的な目的地である天国へ導いてくださり、そこで永遠の命を頂き、天使のようなものにしてくださるからです(マタイ福音書22:30)。そしてまた、想像を絶するような喜びと幸せの内に、永遠に生きる者にしてくださるからです。そのことを思うと、私たちにはもはやこの地上での現実の生活に於いても、また、この世の命を終えて未来の次の世界、神の国、天国へ招かれることになっても、もはや何の心配も不安も恐れもないはずです。それゆえ、毎日この世の命が終わるときまで、大きな平安と喜びと希望を持って、その日の到来を待ちましょう。そのために大切なことは、神であるイエス様への絶対的な信仰と信頼と愛がなければならないのはいうまでもありません。神様は私たちがそのような強い信仰をもって、日々心安らかに生きていることをごらんになられ、大変に喜ばれて祝福してくださり、その信仰に応えてくださるのです。

第二に、私たちがまだこの世に生きている限り、いろいろなものを所有し、それらのものを用いて生活をしなければなりませんが、でも、いつか私たちが突然に、神さまに招かれて天国へ行くようになるかもしれません。もしそういうことになれば、それらのものはどんなに素晴らしく、立派で、また貴重なものであっても、すべてを手放し、何一つ持たずに神さまの所へ行くことになるでしょう。しかし、神様は私たちの天国での新しい生活のために、必要なものを一切整えていてくださるでしょうから、何も心配することはありません。ですから、私たちはもう今から、自分が所有しているこの世のものに対してもはや何も執着することなく、それらのものについては超越した気持ちで生きて行きましょう。そうすると私たちの心から、貪欲とか、ケチとか、利己主義とか、自己中心的とか、虚栄とか、傲慢とかいった醜い考えや気持ちは消えてしまい、私たちは美しく、すがすがしい、きれいな心の人として高められ、神様から受け入れられることでしょう。

死者の月に寄せて第三に、私たちはこの地上で生きながらも、すでに神の子として、天国の民として、生きている者なのです。私の国籍は天にあるのです。ですから、私たちは間もなく(これから10年生きられるとしても、神の国での永遠という時間に比べるとそれは全く一瞬にすぎないものなのです)想像を絶するほどに無限で、広大で、果てしない、そして素晴らしく、美しい世界に迎えていただけるのです。それゆえ、私たちはいつも、神の国のように超宇宙的な広い、大きな心をもって、神の目で自分を見つめ、他の人のことを考え、またあらゆるものを見ていきましょう。そのようにものの見方や考え方ができるなら、もはやこの日常の生活に起きる一切の問題やトラブルや、また他の人からうけた失礼や裏切りなどももう大したことではないとこだわることもなく、容易に忘れ、赦すこともできることでしょう。そしておおらかに、おだやかに、さわやかに、周りの人々との人間関係も保ち、平和に生きていくことが出来るでしょう。ですからそれは、人生の終わりの時を過ごすためにはとてもふさわしい考えであり、生き方ではないでしょうか。

(ページ数がオーバーしたのでこれをもって筆をおきますが、興味のおありの方は、教会で連続講座をしていますので、そちらへどうぞいらして下さい)

なお、講座の予定は次の通りです。1月18日(土)、2月15日(土)、3月29日(土)すべて2時から3時30分までです。



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教会委員会報告(2013年10月19日)

<分かち合い>

年間第29主日の福音を読んで

<報告事項>

1. 「10年後の藤沢教会を見通す」について

押木財務部長より、6月の教会委員会で出された提言の途中経過の報告があった。「既存のデータの推移」と「10年後のイメージ」を合わせて、10年後を見通し藤沢教会2020年ビジョンの実現に向けていきたい。「既存のデータの推移」とは教会信徒の推移(信徒総数、年齢分布、地区分布、ミサ参加者、受洗者など)、財務データの推移(献金収入と宗教活動や維持管理に係る支出)、教区司祭の推移(年齢や人数)を表したもので、主なものとして外国信徒数の把握は難しいが信徒数は200人くらい減少するだろう。地区分布に関しては藤沢と鵠沼ブロックで50%、辻堂・北1・北2ブロック合わせて50%で5ブロック地区比率の変化は少ないだろう。ミサ参加者数は減少するが外国籍参加者は横ばいと思える。幼児洗礼を除き成人受洗者数は減少傾向が見られる。また「10年後に起きるだろうと思えるイメージ」には各ブロック・活動部から意見が寄せられた。意見は多岐にわたっており集約は困難であるが、あえて纏めると、若い世代に関すること、信者の高齢化、外国コミュニティーに関することになる。

これから、2020年ビジョンの実現にあたって、暫定的ではあるがキーワードとなるのは
・ 信仰を強める
・ 信徒相互の繋がりを強める
・ 次世代を担う若者の養成と若者への布教
・ 高齢者の教会での快適性を向上させる

今後、昨年9月の教会委員会で了承された「2020年ビジョンの基本方針」と合わせながら「2020年ビジョン」の実現に向けた施策を考えていきたい

2. 他教会建設献金について

新潟教区司教館新築計画への協力の他に、横浜教区難民移住移動者委員会から献金の依頼があった。現在は間借り状態であるが今後を考え、末吉町教会の建設に合わせて一部屋を専用の委員会室としたい。二つの依頼に対して藤沢教会は11月24日(日)を「他教会建設の為の献金の日」とし皆さんの協力をお願いしたい

3. その他

教区長公式訪問について、来年度は特にお願いをしない

<ブロック・活動部>

11月は辻堂ブロックの担当になる

(北1)
11月中旬に山梨県へ巡礼予定で準備をしている。
戸田元横浜教区長の殉教を学び祈りを捧げる

(藤沢)
・ 9月22日(日)にブロック集会をし46名の参加があった。
「臨終から葬儀まで」を川辺さん・萩田さんと共に分かち合った
・ 12月1日(日)にブロッククリスマス会をする

(北2)
・ 11月3日(日)にブロック集会をする
・ 連絡網作りに困っている

(宣教)
・ 11月9日(土)14時から湘南台センターでスリランカの子ども達支援のクラリネット演奏とお話しがある
・ 12月14日(土)16時から市内キリスト教連絡会主催の「市民クリスマス」が当教会で開催される。テーマは「心をつなぎ、のぞみをつなぐ」。プレキャロリングは12月7日(土)15時から藤沢駅南口橋上にて行われる
・ 11月17日(日)幼児洗礼式は9時30分のミサ中で行われる
・ 11月23日(土・祝日)日本カトリック神学院ザビエル祭。バス利用者は10月27日(日)より鈴木さんに申し込む
・ 三浦神父の連続講座「人生の終わりを迎える日に備えて」の年内は終了。来年1月18日、2月15日、3月29日の3回の土曜日14時から15時30分を予定している
・ 3部門連続講座は11月10日(日)9時30分ミサ後、「自分の歴史を祈る」をテーマに実施する。6月9日の「エンディングノート」の講演を受けて、自分の人生を7つのステージに分けて考えていく。1回目は導入、2回目は本格的な分かち合いを行いたい
・ 結婚講座は11月2日、11月9日、11月16日、11月23日に藤沢教会で開講

(教育)
・ 11月 3日 (日) ボーイスカウト湘南地区ラリー
・ 11月23日(土)日曜学校ザビエル祭(遠足)
・ 11月24日(日)ボーイスカウト入団式・上進式(日程変更)
・ 12月15日 (日) 日曜学校終業式、ボーイスカウトクリスマス会

(国際)
11月17日(日)カラカサンチャリティー抽選会

(典礼)
・ 9月29日(日)典礼奉仕者養成コース修了者の集いを行った。今後の活動に生かせるようにしたい。典礼に関する「今更聞けないことや疑問に思っていること」などを分かち合う場を設けていきたい
・ 10月28日(月)は藤沢教会の守護聖人聖シモン・聖ユダの祝日。ミサ9時30分

(広報)
11月号は10月20日原稿締切、11月3日(日)発行予定



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東北ボランティア活動サポートチーム報告

ボランティア募集について

10月にサポートチームのメンバーと一緒にボランティアに行く人を募集したところ、福島県南相馬には延べ10名、石巻には6名の申し込みがありました。また釜石には11月17日から1週間(この期間中であれば何日でも)募集中です。

なお、ボランティアに行かれた際の交通費の一部補助を必要とされる方への補助金の上限額をこれまでの実績、今後の見通し、財源を総合的に勘案し以下のように改定しました。

釜石13,000円、米川12,000円、石巻11,000円、南相馬10,000円 (小藤)

岩手県 (釜石ベース)

10月20日(日)にNPO法人カリタス釜石の総会が開かれました。理事の英隆一郎神父から以下の意向で祈っていただけると嬉しいですとの依頼があります

1. NPOカリタス釜石が今後の進むべき方向を見だせるように。特に、行政の復興支援から漏れてしまう人びとに寄り添っていくことができますように。
2. 被災した人びとが違いを受けとめながら心を一つにして、日々の生活や活動を行っていくことができますように。特に苦しい立場におられる人たちが絶望することなく、未来に希望をもって歩めますように
3. 福島の人びとのいのち(健康から生活再建まで)が守られますように。その中でも特に、子どもたちの心身の健康が守れますように
4. 長崎、広島、福島の悲劇を繰り返すことなく、平和を築いていけますように

カリタス釜石とともに、地域の人々に寄り添い、優しい街づくりを一緒に目指しませんか。
NPO法人カリタス釜石会員募集のご案内。
正会員(個人、団体)入会金:2,000円、年会費(個人、団体とも一口10,000円以上)、賛助会員(個人、入会金2,000円、一口3,000円以上) 賛助会員(団体、入会金2,000円、一口5,000円以上)
正会員のみ総会での議決権があります。仔細はホームページをご参照ください。(丸山)

福島県(原町ベース)

10月17〜19日、南相馬の原町ベースに女性4名、男性1名が、小池長沼東・友伸グランド・寺町塚合の仮設住宅の集会所にボランティアに入りました。マッサージ・足湯・お話しなどの支援をしながら皆様と楽しい一時を過ごしました。

今回の訪問で特筆すべき事があります。Sさんのマッサージ師の資格を持っている方の支援でした。希望者の長い列が出来、側に居る人たちの嬉しい悲鳴が上がりました。マッサージを施す人と受ける人とが健康体操の秘訣などを話し合いながらの一時でした。終わった後に「身体が楽になりました」、「肩こりが無くなりました」などすっきりしたお顔が印象的でした。帰る時は「又、来て下さいね」とおしゃって頂きました。Sさんは3ヶ所の仮設住宅のマッサージボランティアでずっと手を動かしておられたので、お疲れにならないかと心配していましたが、「私はこのために来ました」とおしゃって、被災地で大変な思いで過ごされている方々をどれだけ励まされたか、私達の誇りだと思いました。

2日目のホットな出来事を一つご報告します。小池長沼東の仮設住宅での出来事です。1匹の子猫が迷っていました。原町ベースに連れて帰りましたが、里親が見つからず困っていた時に、藤沢教会とも交流がある特養ホームの長寿荘の施設長のNさんが引き受けてくださったのです。藤沢に帰らなければならない私達は小さな命を助ける事が出来たと嬉しくなりました。(曽根)



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福島の被災地を訪ねるツァーに参加して
辻堂1区 山本

「ここが僕の家のあった所です」土台だけになっている場所を指す今野さん。隣近所の家も殆ど無く、平地になっています。今野さんはここ小高地区塚原の行政区長であり、また「NPOつながっぺ南相馬」代表として日夜走り回っていらっしゃり、今回案内をして下さる方です。3世代9人家族で住まわれていたが、今は3箇所で別々に暮らしていらっしゃいます。この辺りは原発と津波の危険もある為、家が建てられないとのことでした。「あの海から高さ15mの壁のような津波が押し寄せてきました」海まで4〜500mでしょうか、今野さんは九死に一生を得たと今では明るく話して下さいましたが、大変な思いをされたことでしょう。今も先の見えない中、頑張っていらっしゃいます。私の場合ボランティアは年齢的に無理ですが、せめて東北に起きたこの大きな災害―地震・津波・原発事故の様子―をテレビの映像でなく、この目で見て実感したいと思っていました。原発を全部なくしたら、現在のような文明の有り難さを享受している私たちの生活や日本の経済が成り立たないのではと、漠然と疑問を感じていました。そうした時にお誘いを受け、10月1日から2日、思い切って参加してみました。

今回は南相馬市小高区と浪江町、鹿島区の仮設住宅そして石上第一小学校の三箇所を主に訪問するという計画でした。今野さんの説明によると相馬野馬追いで有名な南相馬市は平成の大合併で原町市、小高町、鹿島町の一市に二町が合併してできた市だそうです。現在小高町も浪江町も住民はゼロに近い状態とのこと。今野さんの案内で浪江町をバスで通過、この時点で既にマスクを着用、線量計のピーピーという音が響きます。浪江町の家々は半壊した家もしっかり残っている家も全て閉じられ悲しい沈黙の中にあります。車は時折通るものの人影はほとんどありません。田や畑だったところを走りますと"セイタカアワダチソウ"が我が物顔に咲きほこり、美しい黄色い花の波が揺れています。しかし、その所々に寄せ集められたガレキの山。そして船までもそのまま残っていて…。印象に残ったのは常磐線の一部が復旧せず全く機能していない駅があったことです。小高駅と浪江駅の小さなかわいい駅舎が震災時のまま時間がストップしてしまった光景、飲み物が入ったままの自販機、置き去りにされた自転車、その周りには雑草やハルシオンが覆い被さるように伸びている姿に皆で思わずため息をついてしまいました。常磐線で震災のため営業休止中の駅が未だ10駅以上もあるそうです。浪江町の「希望の牧場ふくしま」にも短時間立ち寄ることができました。入り口に牛のされこうべがくくりつけてあり、ぎょっとしました。原発事故後、生き残った牛を殺処分ではなく生かす道を望む約20軒の酪農家が、売り物にならない被爆牛を飼っている牧場です。牧場で働いている吉沢さんを中心に原発事故の惨禍を生き延びた牛(当時は1,000頭、今は300頭以上)を生かし、今後の放射能災害の予防にも役立てられるのではないか、希望へと繋ぎたい、と自身の被爆を顧みず守り続けています。餌の調達にも非常に苦労されているという何とも重たい気持にさせられる牧場でした。

二日目の早朝、原町教会で原町教会の方、ボランティアに来て原町ベースに宿泊している方、二つの修道会のシスター達と共に、ロバート神父様と狩浦神父様によってミサが静かに献げられました。震災で亡くなられた方々と8月に帰天された梅津明生神父様の追悼の意向のミサでした。朝食後、鹿島区の仮設住宅を訪れました。手品、ハーモニカと歌、手芸、折り紙、マッサージのグループに分かれ、仮設住宅に住んでいらっしゃる方々とサロンで交流をしました。手品の小野さんはかなり腕を上げられ、ロバート神父様が磔にされたとか…。飯田さんのハーモニカと歌もバスのなかでの練習の成果もあり本番はバッチリだったそうです。手芸隊や折紙隊も和やかな交わりの時が持て、また酒井さんはゆったりと話しかけながら癒やしのマッサージ、とそれぞれの触れ合いによって仮設住宅で不自由な生活を強いられている皆様の心がいくらかでもほぐれたでしょうか。

三つ目の訪問先は石上第一小学校です。「福島の子ども達を湘南に呼ぼう」という企画の招きに応じて、昨年のクリスマスと今年の夏に湘南にいらした百井先生の「今度は福島に来て現状を見てほしい」という招きに応え実現した訪問です。私たちは校長室に案内されました。校長先生、百井先生、白木先生(「それでも私たちは教師だ」の著者)が子ども達の現状を話してくださいました。明治6年開校という歴史のある学校ですが地震・津波・原発事故後半分になった生徒のこと、来年の一年生入学予定者は6人とか・・・。被災後子ども達の体力低下、視力の低下、肥満傾向が見られるなど、これは外で思いっきり体を動かす事のできない結果とも思われます。またくったくのないように見えるこども達も心にストレスを抱えている場合もあり、2人のスクールカウンセラーを依頼しているとのこと。これからは、いつまでも支援に頼っていないで自立していくように育てていきたいと話されました。先生方の未来を担う子ども達への熱い思いと誠実な姿に感動しました。給食用食材放射能検査の検査員がいらっしゃることや放射能教育もされていました。

藤沢への帰り道"までいの里"飯舘村を通りましたが、シーンと静まりかえっております。人影の無い村のあちこちで除染作業が行われていました。「除染ではなく移染ではないか」と誰かの声。大東京を通過する時、数多くのマンションやビルの窓まどにキラキラと灯りが美しい。「あの電気の2割位減らせばこの国の電気事情ももう少し何とかなるのではないか、といつも思うんだけどナ〜」どなたかがポツリ。

これまで卒原発について一歩も二歩も引いて考えていた私ですが、最近起きた汚染水の問題で、しっかり考えねばならないと思い始めました。使用済み燃料の置き場、4~50年かかるという廃炉の問題など頭が痛くなり滅入ります。しかし、化石燃料に頼ると地球温暖化が進み、ここ数年の大型台風や竜巻などのような異常気象にもなりかねないとも聞きます。どうすればいいのでしょう?なるべく節電を心がけ、神の示された自然に近い生き方を求めて、代替えエネルギーを何とかするよう学んでいくことが課題なのでしょうか? 今回のツァーで被災地の様子を、ほんの一部ではありますが肌で感じることができました。



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レクチオ・ディヴィナで祈る集い
湘南台 押木 

レクチオ・ディヴィナ(以降 LDと記述)に出会ったのは、5年ほど前の教区養成講座の「祈りのヘルパー養成講座」でした。その時、LDを繰り返し実践して行くうちに、その素晴らしさに気付きました。何回も読んでいる聖書の箇所も、LDの読み方で読むと今まで全く気に止まらなかったみ言葉が心に留まる場合が多くあります。その意外性に驚き、面白さ、すごさに魅了されました。回を重ねるごとに、今日はどの様なみ言葉との出会いがあるかなとワクワク感すら持つように様になっています。この素晴らしいLDの祈り方で多くの方々と共に祈りたいと思い、「レクチオ・ディヴィナで祈る集い」を1昨年秋より月1回行っています。

「レクチオ・ディヴィナで祈る集い」は第2(火)午前10時から12時までの2時間、最初にロウソクの火を灯し、先ず生活のみ言葉の分かち合いを行い、今日の聖書の箇所を祈ります。朗読、黙読、瞑想、黙想や分かち合いを行った後、生活のみ言葉を決め、ロウソクの火を消して終わります。神様に出会う事が出来る充実した2時間です。「生活の御言葉」は、皆で一つみ言葉を決め、紙に書き自宅に持ち帰ります。日々生活の中でみ言葉を見て、思いを巡らし、祈ります。集いの2時間で味わったみ言葉を生活の中でさらに親しく感ずることが出来、また新たな気付きが得られます。

これからも「レクチオ・ディヴィナで祈る集い」を続けて行きたいと思っています。

LDは、Lectio(レクティオ)= 読む、Divina(ディヴィナ)= 聖なると訳され、聖なる読書と言われ、聖書をまっさらな気持ちで、御言葉を一言一言触る様にゆっくり、行きつ戻りつ何度も読む、そして黙想する。司会進行役の声がけで進むうちに、聖書の言葉が知識でなく自分の出来ごとと結びつき、聖書の言葉を親しみと愛情を持った形で感覚的に分かるようになる。知識ではなく、神の息吹にじかに触れることが出来ます。



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東京カテドラルのインターナショナルデー

中高生会で9月22日(日) 東京カテドラルのインターナショナルデーに行ってきました。活気ある多国籍のミサは子供達にとって、とても新鮮でミサが楽しいと思えた1日になった事と思います。機会があれば、また子供達と一緒に参加したいと思います。

中学1年 景彬

楽しみだった2013年9月22日、ついにぼくは中高生会のみんなと藤沢駅から出発した。藤沢駅から聖マリア大聖堂まで一日が終わってしまうのかなーと思うくらい時間が遅く過ぎたように感じた。そして教会に着いた。教会に入るとびっくり!いろんな店があり、着いたばかりなのに、もう何を食べようかと思ったぐらいだった。階段で休んでいると、山本さんの知り合いの方がスタッフで、山本さんにカメラマンという重役を頼んだ(撮影した映像はBS美の巨人で使われた)。そして昼食を選びに行った。ぼくはまず外国人支援ネットワーク亀戸の牛串焼きを食べた。味はシンプルな塩味付けで噛みごたえがあり、肉汁が出てきた。そのあと隣にあった麹町教会・英語センターのBBQを食べた。味は甘くもなく、酸っぱくもなくちょうどよかった。

そしてミサ。ミサは聖堂の中でやった。聖堂は涼しくいろんな国の方々がいた(それぞれの国の方々は民族衣装を着ていた)。ミサが始まった。僕は一番前の席で司祭の顔もはっきり見えた。ミサの中ではいろんな国の朗読、歌があった(栄光の賛歌・英語、第一朗読・スペイン語、第2朗読・ベトナム語、アレルヤ唱・韓国語、共同祈願・インドネシア語・フランス語・英語・フィリピノ語・中国語・ミャンマー語、拝領の歌・韓国語・スペイン語、感謝の賛歌・英語、平和の賛歌・フィリピノ語、等)。ミサは藤沢教会のミサとちょっと違くて楽しかった。ミサが終わって外でパフォーマンスがおこなわれようとしていた。特に面白かったのはインターナショナルダンス四ツ谷国際共同体で、ダンスが会場の人たちを連れてきて一緒に踊っていて面白かった。そのあと帰り道にアイスクリーム屋さんに寄ってアイスをたべた(とちゅうに山本さんにいろんな豆知識を教えてもらった)。ぼくは聖マリア大聖堂に行ってみてこんな綺麗な聖堂があるのか!と思ったし、あといろんな国の人たちとミサをやることって、とてもすばらしいということがよく分かった。これからもこのような機会があったらいって経験を積み重ねていきたい。

高校3年 世鈴

9月22日に、中高生会で関口教会のインターナショナルデーに行って来ました。様々な国や民族の人々が集うこの場所は、とても活気がありわくわく感をおぼえました。イ ンターナショナルデーで、最も私が印象に残っていることはごミサです。それぞれの国や民族の言葉や歌で捧げるごミサは、大きな聖堂に響き、そこにいる全ての 人々が一緒になって喜びを感じていることが実感できたからです。また、1番前の真ん中の席で祭壇全体を眺めながらごミサにあずかることができてとても嬉しかったです。ごミサが終わってからは、各コミュニティーが出しているお店でBBQやバナナ 春巻きなど色々な物を買って食べたり、ダンスや歌などを聞いて楽しみました。とても楽しく、素敵な1日を過ごすことができました。



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一粒会大会に参加して
藤沢1区 渡辺 

あんなに暑かった猛暑の日々がまるで嘘であったかと思わせるような1日でした。爽やかな秋風が吹き抜ける函嶺白百合学園の体育館で、去る9月23日(月)秋分の日、第46回横浜教区一粒会大会が開催されました。神父様方やシスター方をまじえ千人近い方々、そのうち約百名は小中高大学の若い学生さん達とのことでした。

一粒会大会私達は開会直後から晴佐久神父の講話に引き付けられていきました。第1講話は子ども向けに、第2講話は大人向けに展開されていきました。終始一貫してテーマは、「私は"救い"を語りたい」「福音とは何か」「あなたは救われる」「恐れずに一緒に進みましょう」という宣言でした。

若い方々に向けて「司祭職、こんなに楽しい道はない。"神様はあなたを愛しています。あなたは必ず救われます。"と語ることで安心して喜んでいただける。召命において大切なポイントは、神があなたを選びあなたを愛しあなたを使う、ということである」神父は小さい頃からみんなを喜ばせたいなと思い続け、ある時、"それには神父になればいい!"とひらめいたそうです。神父の家は"第2信徒会館"と言われるほどで1年間に千人以上の教会の人々が集まって来るような所だったそうです。みな神に集められた家族、信じあって一緒に居ましょう。ここから出発していきましょう…そんな環境で育ったそうです。

神父からの熱い語りの一部をご紹介しましょう。

「この頃では自分が大きな流れの中で生きているという感じがしている。神に選ばれて遣わされている…ということは、全てはその御業(みわざ)の中で自分を通して神様がなさっているということ…となればすべてを"私は"ではなくて"神は"という主語で始めてみるとしっくりくる。つまりは神様が全て責任をとってくださるということ。神様から選ばれた者という誇りを持って生き、いただいたものを次世代の人々へ伝えていこう。はっきりしておかなければならないことは"100%救われる。これがカトリック教会"。救われたという喜びの中でこの喜びをみんなに分けてあげたいというモチベーションを持って歩んでいきましょう!全ての人々は神の愛に与っている。神様があなたを選んだのだから安心して喜んで永遠の命を感じてほしい。晴佐久の数式とは、受洗者は福音を述べ伝えた人数に正比例する!さあ今日から出発しましょう!」と、力強い宣言でした。

この秋の爽やかな1日、普遍的な神の愛(みんな救われる)の中にいることを改めて感謝し、みな一丸となってこの普遍性を分かち合い、伝えていきたい!と勇気をいただいた一粒会大会でした。

大会開催に力を尽くしてくださった大会役員の方々、又、ボランティアとして一生懸命働いてくださった先生方、生徒のみなさま、ありがとうございました。

1ねん かな

かえりのでんしゃがたのしかった。

1ねん ゆり

こどもプログラムのせいさくがたのしかった。

1ねん のあ

一りゅうかい大かいにいきました。はれさくしんぷさまのおはなしがきけて、よかったです。とてもたのしいおはなしでした。こどもプログラムはせいフランシスコのやまばとのおはなしのビデオをみました、おもしろかったです。またらいねんもいきたいです。

1ねん まりん

9月23日(月) 一りゅうかいの大会でバスにのってはこねのしらゆりがくえんにいきました。20人くらいのしんぷさまがいらして、びっくりしました。こんなにたくさんいるなんてすごいとおもいました。子どもプログラムでは、かみさまについていこう!カードをつくり、たのしかったです。「かみさまだいすき」とかきました。おべんとうをたべ、いちばんまえににすわりごミサにあずかりました。かえりは、でんしゃでかえりました。

3年 健

バスにのって気持ち悪くなった。キャンパスについて、休んでからカードを作ってかみさま大すきと書いて、ミサでおいのりをしました。えきでおかしを食べて電車にのって、ふじさわきょうかいに5:30についてお母さんといっしょに帰った。気持ち悪くてつまらなかった。



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バザーを終えて
バザー準備会 T2 佐々木

2つの大型台風の接近に、ハラハラしながらの準備でした。当日は台風一過のさわやかな秋晴れに恵まれ、心から感謝の中にバザーを迎えることが出来ました。

バザー  バザー

働く人の高齢化で、準備の段階から出来るだけ簡素に・・と考え、設営や夫々の売り場で工夫を重ねました。バザー2週間前からの8日間、寄付品を受け付けました。初日朝から用意した箱に入り切れないほどの品が集まりました。年に1度のバザーは物の整理に欠かせないと今年も実感いたしました。大切な物も思い切って、不要な物でもどなたかが喜んで使って下されば新たな命が吹き込まれ嬉しいことです。

準備期間を通して、多くの方々の応援とご協力によって、有志による企画のバザーを無事に終えることが出来ました。縁の下の力持ちとして設営、ごみ係、会計の方々に支えて頂きました。貴重な収益を上げることが出来、福祉や教会の修繕のために、共同体の方々と共に働き、お金では購いきれない喜びを共に体験したバザーでした。来年に繋げていくことが出来れば嬉しいと思います。ありがとうございました。



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南洋群島とカトリック教会の歴史(2)
鵠沼3区 高木

1559年(永禄2年)9月24日、スペイン国王フェリぺ2世はメキシコ総督ドン・ルイス・ヴェラスコに対してフィリピンの植民地化を命じました。そこで1564年(永禄7年)11月21日、ミゲル・ロペス・デ・レガスピは6隻の船団でメキシコのナヴィダートを出帆し途中グアム島に上陸してスペイン領と宣言しました。そして更に1565年(永禄8年)4月27日、フィリピンのルソン島に上陸し1571年(元亀2年)5月19日、レガスピはルルソン総督に就任しました。

ところが1565年(永禄8年)7月16日、レガスピ艦隊の1隻サン・ルカル号が脱走してしまいました。だが運よく太平洋の黒潮にのり偏西風に煽られ8月9日メキシコのナヴィダ―トに辿り着きました。いわゆるスペイン人による太平洋航路の発見という快挙でした。そのため1577年(天正5年)以来、フランシスコ会士やドミニコ会士、イエズス会士までもがマリアナ諸島、カロリン諸島、フィリピンなどで布教を始めました。

南洋群島1662年(寛文2年)、イエズス会ルイス・デ・メディナ神父など6名がルソン島へ向かう途中グアム島に寄りました。その後1668年(寛文8年)6月16日からルソン島にいるイエズス会士7名がマリアナ諸島で布教を始めました。そこで1669年(寛文9年)2月2日、グアム島のバガニアに最初のカトリック教会が建立されサン・ファン・デ・ラテラン学院も併設されました。

1670年(寛文10年)1月27日、イエズス会士12名(司祭10名、修道士2名)がサイパン島、グアム島、テニヤン島など11の島々で布教を始めました。とりわけメディナ神父がグアム島からテニヤン島へ来て数百人に洗礼を授けました。ところがある時ラウラウ村で子供に洗礼を授けた時、突然赤子が泣きました。その時一人の中国人が子供に毒を飲ませたとしてチャモロ族30余人が竹槍で反乱を起こしました。そこでメディナ神父は丸木舟でサイパンへ逃れましたが、それ以来他の島々でも反乱が起こり14名のイエズス会士が殺されてしまいました。名前は次の通りです。

1670/1/29 ルイス・デ・メディナ神父(33歳)サイパン島
1672/4/2 ディエゴ・サンピトレス神父(45歳)グアム島
1674/2/2 フランシスコ・エスケルラ神父(30歳)グアム島
1675/12/8 ペトロ・ディアス神父(年齢不詳)グアム島
1676/1/12 アントニオ・サンバシリオ神父(33歳)グアム島
1676/9/6 セバスチャン・デ・モンロ神父(27歳)グアム島
1684/7/24 マニエル・ソロダ神父(35歳)グアム島
1684/7/24 ティフォロ・デ・アンデリス神父(32歳)グアム島
1684/7/24 バルタザール・デュポン神父(30歳)グアム島
1684/8 アウグスチン・ストロバッハ神父(38歳)テニヤン島
1684/9/24 カール・フォン・ホランド神父(44歳)ロタ島
1685/7 ピエール・マーマンス神父(47歳)サイパン島
1710/12 ヤコブ・デユペソ神父(36歳)メンソーレ島
1710/12 ヨゼフ・マルケス神父(35歳)メンソーレ島

その後、1695年(元禄8年)以来、イエズス会士たちはマリアナ諸島での布教を断念しましたが、1767年(明和4年)には、カロリン諸島やフィリピンでの布教も中断してしまいました。そして1780年(安永9年)には、スペイン人アウグスチノ会士5名が来たものの同じく殉教してしまいました。

因に1672年(寛文12年)マリアナ諸島ではフィリピン人の少年カテキスタ、ペトロ・カルソン他7名が殉教しました。それから340年たった2012年10月21日、彼等少年たちは教皇ベネディクト16世により福者に列せられました。

1717年(享保2年)7月3日、教皇クレメンス14世はイエズス会に解散を命じましたが、1814年(文化11年)8月7日、教皇ピオ9世によって再興されました。現在、イエズス会士はマリアナ諸島を中心に布教しています。



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がりらや便り

大島の台風被害に心がいたみます。お祈りいたします。

『心だけは』永遠━ヘルマン・ホイヴェルス神父の言葉
土井健郎、森田明著 ドンボスコ社 660円

ヘルマン・ホイヴェルス神父1923年来日。以来上智大教授としてわが国のカトリック思想界に多大な影響を与えた。1977年6月上智大SJハウスにて帰天。神父の手で洗礼を授けられた者は50余年の間に3,000人以上にのぼった。"信仰は私たちから創るものではない。神のプレゼントです。だからあまり考えなくっていい。神がなつかしくなればいい"(本書より)  


「ゆるしへの道━ルワンダ虐殺から射してくる、ひとすじの光」 
イマキュレー・イリバキサ、スティーブン・アーウィン著 女子パウロ会 1,400円

ルワンダのフツ族による80万人のツチ族大虐殺はまだ記憶に新しいことだと思います。家族を殺され筆舌に尽くしがたい苦難を経て、ひとり奇跡的に生き延びたツチ族の若き女性がフツ族を許すに至る道。それは何故か、果たして可能なのか、そして「ゆるし」とは。 





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