八 角 形 に ゅ ー す

1997年11月2日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

お父さん、お母さんへ...............主任司祭  ジョン・バーガー

教会委員会報告

教会の未来を考える会報告

湘南台センター3周年記念講演「父と母の信仰」を聴いて....辻堂2区 浅野洋子

永井先生のこと.......................鵠沼3区 平野 勝

『神様の呼びかけに素直に応えよう』.............大庭   八木 彰

「エルダーズの会」のご案内....................発起人一同

ルワンダへ愛をこめてパート2...............辻堂2区 元永けいこ

「ミサにおける聖歌の特徴と聖歌隊の役割」......聖歌隊 藤沢1区 綿貫明宏

バザーに際し.............ケーキコーナー責任者 鵠沼1区 上條 俊

バザー速報とお礼.................バザー実行委員会  清水千明

人類は救い主を待つ......................シスター稗田操子

11月の主な行事予定

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お父さん、お母さんへ

主任司祭  ジョン・バーガー

 11月には七五三のお祝いをします。毎年子供達の笑顔を見ると本当にかわいいと思います。彼らの成長は目を見張るほど早く思われます。子供の成長には、両親の役割が大切です。この間、次のリストを読んだ時、藤沢教会のお父さん、お母さんたちに見せたいと思い、翻訳しました。

 児童心理学の先生が書いたことです。お宅の子供さんからのお願いのリストと呼ばれています。

  1. 僕を甘やかさないでください。僕がお願いしていることをすべて受け入れてもらえないこと位よく分かっています。ただ、お父さんたちを試しているだけです。
  2. 自信をもって私に注意してください。私はその方が安心していられます。
  3. 早いうちに僕の悪い癖を注意してほしいのです。お母さんが注意してくれないと僕は自分でその悪い癖に気がつきません。
  4. 私を「小さい、小さい」と言わないでください。その言葉をきくと変に大人ぶってみたくなるだけです。
  5. まちがった言動をしている時、一方的に僕の肩を持たないでください。つらい体験をしないといろいろ学ぶことができません。
  6. できるなら人の前で、私に注意しないでください。もし、あとで静かに話してくれたら、もっとよくその注意がきけるでしょう。
  7. 僕がまちがえたことを罪だと感じさせないでください。罪の感覚が分からなくなってしまいます。
  8. 「お母さん、きらい!」という時怒らないでください。私がお母さんがきらいなのではなくて、お母さんが自分の思う通りにさせようとするのがいやなのです。
  9. 大したことのない病気に神経質にならないでください。時には仮病のこともありますよ。(次頁へ)
  10. うるさく小言を言わないでください。あまりうるさいと耳が聞こえないふりをしますよ。
  11. その場しのぎの約束をしないでください。約束が守られないと僕は本当にがっかりします。
  12. 私が自分の気持ちを正確に伝えられるほど充分な語彙がないことを忘れないでください。
  13. お父さんたちがあまり厳しいと本当のことが言えなくなります。
  14. 私が質問をする時、うるさがらないでください。いつもうるさがられると何も聞いたり、話したりできなくなります。
  15. 怖がることは馬鹿だと言わないでください。僕にとっては本当に怖いのですから。それを理解してくれれば、僕は勇気が出てきます。
  16. お母さんたちが完全だとか間違いをしないとかいわないでください。そうでないことを知った時、非常にショックをうけます。
  17. 矛盾な言動をしないでください。それは私を混乱させたり、親への信頼を失わせたりします。
  18. 僕に謝っても、お父さん達の威厳が損なわれることはありません。正直に謝ってくださると僕の心はあたたかくなります。
  19. いろいろなことを試すことがこどもは大好きだということをわすれないでください。成長の上で、試行錯誤することが大切ですから、すこしがまんしてね。
  20. 私はどんどん成長しています。この早い成長についていくのは難しいにちがいありません。
  21. お父さんやお母さんのおもいやりがないとよく育つことはできません。もちろん、言うまでもありませんね。



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教会委員会報告

 10月18日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。

1.バザー実行委員会より。
 衣類のためのハンガーの設置も終わり、準備は着々と進んでいる。

2.未来を考える会について。
 12日の全体会については、報告参照。
 今後はブロック集会、家庭集会等でも話し合いのテーマに取り上げて欲しい。それらも反映した提言を来年1、2月ごろまでにまとめ文章化し、4月の信徒総会に報告できるようにしたい。

3.維持費等財政問題について。
 今年の信徒総会でも報告したとおり、一昨年、昨年と2年連続一般会計は赤字となり、今までの積立金の取り崩しでカバーしている状態である。
 この積立金は、将来聖堂、司祭館等の建て直し、又不測の事態が起きた時のためのものであり、その時高額の献金をお願いしなくてはならない事態に陥らないためにも、毎年積み立てておく必要がある。
 祭儀収入の伸びは期待できないので、安定した収入確保のため維持費についてなお一層のご協力をお願いしたい。
維持費納入登録の増加、増額要請、登録済み未納者への呼びかけ等検討していきたい。

4.クリスマスの飾り付けについて。
 クリスマスのための飾り付け(ツリーと聖堂内の馬小屋、湘南台センター)を今年も有志の方々にお願いする。
 又、24日の午後5時の子供と家族のミサは、聖堂内の案内と整理が特に必要なので、ミサ当番の地区以外の方々のご協力もお願いしたい。

5.壮年部より。
 11月15日に、懇親のための日帰りバス旅行を計画している。 箱根へ行き、食事と温泉入湯の予定。

6.その他。



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「教会の未来を考える会報告」

 10月12日に開催された「教会の未来を考える会」のご報告をいたします。

 5月25日に開催された第4回「未来を考える会」では4分科会に分かれ話し合いがもたれたが、その後各グループで続けられた話し合いの内容が先ず発表された。(以下は、それぞれの発表者の報告)


1.信徒が築く教会

私達は5回集会をもちました。

 他の集会とかち合って、参加出来ない人が毎回あるようです。教会の活動が盛んなのは結構ですが、かち合わないような方法はないものでしょうか。私達は毎回少ない時は6、7人、多いときは12、3人集まりました。そして活発な話し合いが出来ました。結論として、信徒自分自身が教会をささえるという意識が足りないことがわかってきました。

 司祭を助ける手足的な信徒から、信徒が主体であることの意識を強めるためにはどうしたらよいか、話し合いました。

 信徒は教会共同体及び、社会の人々に奉仕するために神からよばれたのです。この自覚を深めるのには、どうすればいいのでしょうか。それには互いに学び合う必要があります。そこで“教会とはなにか”をテーマに話し合いをもつことしました。テキストは、百瀬文晃神父編集の「教会その本質と課題を学ぶ」という本です。題名がかたくて、むずかしそうですが、内容はそんなことありません。多分1月から始められると思います。その節は大勢いらしゃることを期待します。

 もう一つ、信徒がより親しくなり、活発に働くために、今別々の部の壮年部と婦人部を一つにして、ブロックを強化することが必要であるとの提案があります。

(鵠沼1区 竹田美穂子)


2.社会に開かれた教会

「教会の未来を考える」と言うことは、とりもなおさず「教会」とは何かと言うことを認識することから始まります。

 ミサに参加し典礼を人々と共に深く味わうことができるなら、一人一人を大切にし、信仰豊かに、社会に開かれた信徒の築く教会が実現するのではないでしょうか。

 ミサの最後に「ミサ聖祭を終ります。行きましょう、主の平和のうちに」と祈ります。最近迄「あゝ終ったんだ、これから家に帰ってのんびりしよう」と言う意味に思っておりましたが、実はそうではなく「今ここであなたが体験したことを、さあ社会の中にもって行きなさい。そして、いただいたものを世の兄弟姉妹と分かち合いなさい」という大変驚くべき深い意味をもっていたのに気付きました。

 これは大変なことです。ことばの典礼で伝えられる旧約のことば、新約におけるキリストのことばを、各々の生活の場で、各々のカリスマで廻りの人々と分かち合うことを約束してしまっているのです。

 まず家庭に於て、近隣の人々特にお年寄りや病人を通して、外国の人々と共に「愛」を実践するようにキリストは、ミサを通してみことばを通して教え導いていらっしゃることがうすうす解って来ました。キリストは公生活のたった3年の間、説教だけを繰り返していた訳ではなさそうです。らい病の患者は誰でも近づかないように、首に鈴を付けていたと言いますが、積極的に近づいて行き、清くなさいました。事件が起きるとそれに向かって行きました。私にはとてもそんな勇気がありません。いつも強い者や汚い者から逃げることが多いのです。全てを捨てて従う者にはなれません。卑怯者でしょう。どうしたらキリストに少しでも従う者となるのでしょう。典礼の中のことばの意味を深く味わい、赦しをお願いして、聖霊の恵みを受け、勇気と力をいただく以外にはないように思います。

 神の国の実現のための具体的行動のきっかけは、ブロック活動の活性化でしょう。

いきなり社会だ、仕事場だ、学校だと言っても仲々取組みにくいものです。神から派遣されているのですから、いつも教会へ内向きになることはないでしょう。地元で福音を生きることが大切のようです。毎月のミサを担当ブロックの信徒がこぞって奉仕することもとても大切です。ブロックの存在意義が未だはっきりしない方々も多いようですが、少しずつでも全信徒がブロックの意味を理解できるようにしたいものです。

 最後に、教皇ヨハネスパウロ二世の私の好きなことばがあります「ミサは何よりも大切な社会活動である。すべての人が、お互いと、またキリストとひとつになる最も大切な『時』はミサである。その時、どんな分裂も、どんな階級闘争も不可能となる」

(善行 辻垣 正彦)


3.信仰を深める(豊かにする)教会

 このグループでの話し合いのなかで、二つの問題点が見つかりました。

1.受洗後、1、2年経つと教会から離れてしまう方がいる。

2.ただミサに与かるだけで安心してしまう。豊かな信仰と言えるか。

以下その対策案を簡単に記します。

1.について。

2.について。

 また、このグループのメンバーが中心となって、7月から日曜日の9時半のミサ後に当日のミサについての分かち合いを何度か実施いたしました。今後も不定期ながら、ミサ後の分かち合いを続けて行きたいと思います。聖堂の片隅や祈りの庭、憩いの庭等で集まっているグループを見かけたときは、どうぞ仲間になって下さい。

(藤沢2区 平野和子)


4.一人一人を大切にする教会

 一人一人を大切にするということは、様々な具体例を聞くと結局、一人一人のちがいを大切にすることにつきると思います。

 かつてあり、今あり、またあるであろう神、存在のすべてに結ばれる交わりのなかで、わたしたち一人一人は与えられるその存在の意味とはたらきを異にしており、わたしたちは決して同じではありません。これが、神に結ばれる交わりのなかで、一人一人のちがいが大切にされなければならない理由です。そのように神はわたしたちを互いに引き合わせて居られるのだと思います。

 わたしたちは、互いのちがいを、それぞれの成長に役立てることができ、ひいては共同体の成長に役立てることができるでしょう。

 ところで、わたしたちは今までの体験や知識に支えを求める思いや考えで、人やものごとを比べたり量ったりして選んで生きています。それで、今ここに、その思いや考えを超える神に結ばれる交わりのために、互いに引き合わされているとは殆ど感じて居ないのではないでしょうか。

 今ここに神がわたしたちに必要とされることを、引き合わせをとおしてわたしたちのなかで語っておられるとは思いもしないのです。まして今ここに、わたしたちのなかに、今までの体験や知識を超える交わりがはじまっているなどとは思いもしません。今までの体験や知識で「よい」とわかっていることを選んでしたい。これが、わたしたちのアダムとエワ以来変わらない願望なのです。それなら、今ここにある神に結ばれる交わりは一体どこに行ってしまうのでしょうか。一人一人のちがいを大切にするには、それによって起こる大きなマイナスを引き受けなければならないでしょう。

 しかし、そのマイナスには、わたしたちのこの先に生まれるいのちに結ばれた意味とはたらきとがあります。

 今はまだないが、わたしたちのこの先に必要とされていることのために引き受けるマイナスこそ創造のはたらきになること即ち十字架であろうと思います。また祈りでもあります。組織も制度も、わたしたちのこの先に生まれるいのちのためであって、それ自体が目的になることは決してありません。

 共に生きるわたしたちが、一人一人のちがいをとおして、それぞれが今までしてきたことを見直し問い直してまだしていないことをはじめるなら、わたしたちに神に結ばれる交わりがはじまるでしょう。これは、教会のなかだけでなく、わたしたちの派遣される先、人々のなかでも是非はじめたいものです。今までのところでものごとを終わりにしないで、未知のこの先があると認めるなら、それがすべての人に福音になるでしょう。

 分科会で一番多く出たのは、今わたしたちの教会のなかに、一人一人の抱えている問題を聞いたり話したりする場がないが、そういう場が欲しいという発言でした。おそらく、社会にも家庭にさえもそれを見いだすことのむずかしい時代をわたしたちは生きています。

 誰かがその場を提案してつくらなければなりません。これからあちらでもこちらでもそれがはじまるでしょう。しかし、その気になれば、互いのちがいを認める一人一人のちょっとした心がけで、今までのどんな場でもその場に作り替えることができるでしょう。

 わたしたちのなかで、互いのちがいをとおして語りかけておられるみことばに耳を傾け、わたしたちの欠けている足りない弱いところに気付けば、その必要に応えてわたしたちは今までとは変わらなければならないでしょう。今までの体験や知識で人やものごとを片附けることはできなくなります。未知のこの先に触れるのを感じないような交わりはありません。思いや考えを超える何かが生まれないような交わりもありません。そのような、神に結ばれ交わりがわたしたちに欠けているとしたら、一体何が妨げているのでしょうか。毎日のどんな場でも、その時そこでその妨げに気付けば変わることはできるでしょう。思いや考えを超える神の引き合わせを感じるならば。

(北1 岡村  正)


 4分科会の発表の後、自由に意見交換が行われた。以下は自由意見の中から。

等々。

 今後のこの会の進め方として、各分科会の話し合いを継続すると同時に、それらを基に来年の信徒総会までに、私たちの目指している4つの教会の姿をまとめ、具体策を示すことを確認して散会となった。



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湘南台センター3周年記念講演「父と母の信仰」を聴いて

辻堂2  浅野 洋子

 10月18日(土)永井誠一さんの講演会は、湘南台センターに満員の聴衆を集めて始まりました。藤沢教会の人達だけでは無く、大和や茅ヶ崎教会からも、顔を知らない方々もたくさんいらして下さっていると思いました。

私は、中学生か高校生だった頃、手にした「滅びぬものを」に対する懐かしさ、そのお方のなまの部分に触れられるかも知れない期待などを持って、浦上の聖者永井博士と今、目の前にお座りになっておられる誠一さんを重ねていました。誠一さんは、静かに、感情を抑えて、淡々と謙遜に語って下さいました。

 何故、私がここで、皆様にお話ができるのか…。長崎に原子爆弾が投下された日、国民学校4年生(10才)の夏休みでした…と。6日から、妹さんと長崎の自宅から4キロほど離れた山村のお祖母様のところへで出掛けていらしたこと。もし、夏休みでなかったらと、当時を思い出しておられるかのようでした。そして、永井博士が信仰に導かれていくご様子、お母様との出会い、4回の昏睡状態と三度の病者の秘跡のこと、ご両親の深い愛と信仰を、長崎原爆投下とお母様の死、お父様の闘病と如己堂での生活、お父様の最期のご様子などを、エピソードを交えながら2時間近くもお話し下さったのでした。

 私は、ご両親を信頼し、尊敬し、誇りに思い、ご両親の大切になさったことをご自分も大切にし、ご両親の伝えたかったであろうことを伝えようとして下さっている、そのお心に引きつけられていきました。

 こうして、講演会のことを思い返しながら、今、私は、私自身の回心の旅をしている気がします。ご両親の信仰の深さ、訴えてくる強さに、私は立ち止まってしまいます。

私の信仰は?社交やアクセサリーになっていないだろうか?私の祈りは?神様の為になることをするのに力を添えて下さいと祈っているだろうか?誠一さんのお話の中に、何度か天主の十戒と悪魔の十戒が出てきましたが、講演会の2日前に、その「二つの十戒」を手にしたのも決して偶然ではないと思えます。

 職業病と言われた白血病で、余命3年と宣告され、追い打ちをかけるかのように、原爆が投下され、博士は勤務先の長崎医科大学にて重症、奥様は爆心地から、500メートルの家にて即死。幼い二人の子供を抱えての生活は貧しさそのものであったといえるでしょう。しかし、今、イエス様の山上での説教が聞こえてきます。「貧しいあなたたちは幸せである。神の国はあなたたちのものである」と。もっとも、弱く貧しくされた人を、神様は、愛され抱きしめて下さる。だからこそ、そこから一歩を踏み出す力が出てくるのでしょう。誠一さんのご両親の中で、キリストご自身が生きて、その栄光を私たちに見せてくださった、そして、キリストは、この方の口を通しても、語りかけられたと、感じています。本物のクリスチャンの意味、それを私の心に聴く恵みをいただいたと感謝しています。なお、永井誠一さんの講演会の終わりに、平野さんが「締めくくりの言葉」を添えて下さいました。



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永井先生のこと

鵠沼3区  平野  勝

 永井先生は、50年も前のことだからと、遠慮勝ちに仰言るけれど、今こそ、この様なお話が求められているのだと思います。

 私が佐賀鍋島の駐屯地を発って長崎に入ったのは、原爆投下から3日後でした。死臭と銀蠅を杉の小枝で打ち払いながら通りすぎた浦上天主堂は、石の上に石が残らない惨状でした。この廃墟で、戦後初の野外ミサが行われたのは、11月も末の寒い日でした。浦上信者の有志から連絡があり、私も黒崎から8里の山道を越えて再び浦上に入りました。数百人の信者が集まっていました。半焼けのベビーオルガンの伴奏で、グレゴリアンのレクイエムを歌い死者をとむらいました。

 ミサが終わって私のすぐ近くにいた男子信者が挨拶しました。内容は次の通りでした。「この原爆投下では、マリア様の祝日に備えて心の準備をしていた信者たちが多く死にました。その中に私の妻もいました。真直に天国に天国に行ったことを信じます。

 残された信者、私たちは召される準備が充分でなかった。或は、これからやらなければならない使命を抱いているからでしょう。その使命の一つは、浦上天主堂を再建することだと思います。天主堂は私共の心のより所、魂の支えです。県内外の津々浦々に難をさけている浦上の信者の皆さん、この古里に帰って来て下さい。貧しく辛いことばかりでしょうが、『一緒に生きましょうよ』」程なく大勢の信者が浦上に帰って来ました。焼け跡には掘立小屋が建ち、続いてプレハブに変わり、そして今日の大聖堂が出来上がったのでした。一人の信者の呼びかけ「共に生きよう」が実を結んだのです。この人の名は、あとで分かったのですが、永井隆博士でした。

 あれから50年が経ちました。衣食住に事欠いた時代は遠い昔のこと。今は衣食住の他にレジャーまでも充ち足りて飽食の時代。それにも満たされることなく、目の慾、肉の慾、生活の誉れを追い求め人間の心は忘れられる世相となりました。この湘南台センターに集まった熱心な皆さんを取りまく環境にも、こうした世俗の荒波がおし寄せています。

 このような時、長崎とは縁もゆかりもない湘南の地に、永井隆博士のご長男が現れて「父と母の信仰」と題して、心にひびくお話、魂をゆさぶる感動のお話を拝聴しました。

 私共は神のみ摂理の中で生きています。今日、永井誠一先生と出会い触れ合いをこの湘南の地に計画された神様は、私共に何を語りかけたいのでしょうか。

 カトリック信者に相応しい何か実行的結論を、一つでいい、小さくてもいい、導き出して実行することによって、み摂理の期待に応えようではありませんか。



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『神様の呼びかけに素直に応えよう』
一粒会の原点に立ち返って新たな前進を!

大庭  八木  彰

9月23日秋分の日このようなタイトルで第30回横浜教区一粒会大会が横浜カトリックセンターで開かれた。

一粒会は司祭召命のため祈りと献金で教区の活動を支援してきたが、年々教区神学生が少なくなり現在は僅かに三名だけとなっている。そして司祭の高齢化が進み、今後司祭の一層の減少予想される。このような厳しい状況の中で、一粒会活動の見直し、新たな活動を始めようとの願いからこの大会が開かれた。

藤沢教会からはケルソ神父、上原恭子氏、そして私の三人が参加した。濱尾司教はじめ二十数人の神父、三人の神学生、各教会の方々で二百席の会場は溢れていた。

濱尾司教の基調講話のあと召命について飯野雅彦神父(金沢)鈴木 真神父(二俣川)M・ゴーチェ神父(静岡)、司会・田中氏(本部常任委員)によりパネルディスカッションが行われた。

      終わりに総指導司祭の細井保路神父は『神父は一つの力でなれるものではない。強い共同体の力が支えであり一粒会もその大きな支えの役割を担っている。その上、神父、神学生の家族にとっても一粒会は大きな支えである。』と結ばれた。

最後に濱尾司教、参加司祭による共同司式ミサがあり大会が終了した。

下の表は近隣教会の一粒会の状況です。我が藤沢について皆様は如何お考えでしょうか。
教区邦人司祭召命のために、是非一粒会会員に!!

一粒会 会員数
1997年4月30日現在

教 会 信徒数
一粒会
会員数
割合
藤 沢 3,476 248 7.1
片 瀬 850 102 12.0
茅ヶ崎 1,447 152 10.5
大 船 1,337 207 15.5
雪の下 2,147 1,000 46.6
戸 塚 1,039 175 16.8
金 沢 1,338 432 32.3
藤ケ丘 1,341 757 56.4
磯 子 1,093 300 27.4
山 手 2,350 467 19.9
神奈川県 38,307 7,049 18.4
横浜教区 50,372 9,010 17.9

           



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「エルダーズの会」のご案内

発 起 人 一 同

「エルダーズの会」が誕生しました。

 初冬にかけての日溜りの柔らかく暖かい日差しをみんなで楽しむような、そんな感覚の場所を教会に設けたいというのが「エルダーズの会」の願いです。『エルダーズ』と言っても年齢制限などありません。老いも若きも、男性も女性も、教会員丈でなくお知り合い、ご友人、未信者の方も歓迎です。人恋しくなったとき、悩みを吐き出したいとき、世間話の相手を見つけたいとき、ストレスが溜まってしまったとき、嬉しいとき、悲しいとき、などなど、そんな時にちょっと覗いて見ようかなと思って頂けることになればこんな嬉しいことはありません。今のところ毎週月曜日と木曜日の10時から12時頃迄、場所は聖堂内の向かって右の側室で、茶菓くらいは用意する心づもりでおります。

『当面は来て下さる人数は余り気にせず、「求めている方々が分かち合い、語り合いによって心の安らぎを得る」ことに役立ち、先々それを核に色々な目的のグループが自然発生的に生まれて環が広がって行って欲しい』そういう構想を会の原点にすることに落ち着いたのですが、実は此処に漕ぎ着ける迄が大変でした。

8月下旬から何度となく集まっては侃々諤々、行ったり来たり脱線したりの連続議論を重ね、10月半ばになってやっとこれで行こうという合意に達した次第です。その間神父様方、川辺さんなどから頂いた貴重なご助言や暖かい励ましの言葉が心強いナビゲーターになり、そのお陰で無事に軟着陸することが出来たのだと感謝しております。

 最後に残った問題は会の発足をどうやって皆様に知って頂くかということでした。これぞと言う決め手が無い儘に、『大袈裟な呼び掛けはせず、会に出て良かったと思って下さった方や趣旨を理解し共鳴し、或いは賛同して下さる方々の口コミで知って頂くしかなさそうだ』ということに落ち着き掛けた時、バーガー神父様から『八角形ニュースに載せては』という助け舟とも言えるご助言を頂戴して最後の難問も解決し、これ又感謝でした。

11月5日(水)“こけら落とし”で正式スタートということになります。

 このお知らせをご覧頂くのが2日とのことですので余裕が無くて申し訳ないのですが、下記のプログラムを予定して居りますのでご都合のつく方々は是非ご参加下さいます様お待ち申し上げて居ります。

午前10時   主任司祭のお話
10時20分 神父様への質問やお願いや懇談と茶話会
11時30分 ベネディクション
12時   閉会



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ルワンダへ愛をこめてパート2

辻堂2区 元永けいこ

今年6月より八角形ニュースやお知らせの紙面をお借りして皆様にお願いしてきました「ルワンダへ愛をこめてチャリティーコンサート」まで、あと1か月となりました。このコンサートは、ルワンダで義足製作所をオープンし、義足の提供をしている吉田真美さんを支援するためのものです(過日、テレビ東京系「人間劇場」で放映されました)9月の教会委員会に出席し、正式にご承認をいただきました。簡単なコンサート内容を記載させていただきます。

日時:12月14日(日)午後4時開演

  1. 子供達と青年有志によるステージ関心を持って下さった方が歌の好きな子供たちに声をかけて下さり、手作り楽器等を手に青年と一緒にうたいます。
  2. 縄文笛のステージ藤沢や鎌倉駅でフルートを吹いている柴田毅さんが、縄文笛の世界を創って下さいます。
  3. クラシックのステージうたの好きな方達を公募した結果、50人位の合唱団ができました。また、それぞれ得意な楽器を持ち寄った器楽演奏もあります。
  4. クリスマスソングメドレー皆の歌いたい、聞きたいクリスマスソングを基本に編曲したメドレーをうたいます。

企画当初は国際色豊かなものを計画していましたが、ベトナムはコミュニティのクリスマスコンサートとぶつかってしまいました。フィリピンは滞在の問題があり、外部の宣伝に力を入れた今回の企画に顔を出すのは……ということで、裏で手伝ってくれることになっています。そして、当日は吉田真美さんもいらして下さいます。是非会って下さいね。その他、お菓子づくりの好きな人達が丹精こめてつくった、クッキーの販売等もあります。そちらの方もどうぞよろしくお願いします。

彼女のプロジェクトは動き始めたばかりです。一人でも多くの方に彼女のことを知ってほしい。そのためには一人一人に、まず話しをしてみる。情報を提供する。そして関心を持って下さったら、協力してみたいと思って下さったら「好きな事は何ですか」と聞いて歩きました。関心を持って下さった方に、無理なく、楽しんで参加してほしかったからです。音楽が苦手でも、お菓子づくりなら、裏方なら、事務的内職なら……みんながそれぞれ、好きなところに顔を出せるようにしたかったのです。教会の人とか職場の人とか、区別無く声をかけてみるよう努力してみました。でも一人の力では限界があります。だから皆さんのお友達に、今回の企画について話しをしてもらうようお願いしてきました。出演申し込み用紙を持ち帰ってもらう。御近所にちらしを配ってもらう。そんなお願いをご理解下さり、お話しして下さった結果、教会外の方々の協力者も増え、出会いの輪が広がりつつあります。皆様の御協力に心より感謝しております。

信者でない方にいきなり聖書を開いて話しをするより、申し込み用紙を、コンサートのちらしを手渡す方が、私には簡単な宣教方法でした。青年部とか婦人部とかはもちろん、どこの教会とか、教会内部とか外部とか、どこに住んでいるとか、日本人とか……。全部とっぱらって一人の地球人として関わるとき、真に「開かれた教会」の第一歩が踏み出せるのではないでしょうか。今回の出会いがこのコンサートだけで終わってしまうのではなく、出発点になることを望んでいます。そして、一人一人がそれぞれの部所に戻って独自の小さな支援方法を考えるきっかけになったら、今回のコンサートは大成功だと思います。皆さん、引き続き応援、そして……お祈りを、どうぞよろしくお願い致します。



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−秋期典礼研修会報告−
「ミサにおける聖歌の特徴と聖歌隊の役割」

聖歌隊 藤沢1区  綿貫 明宏

 10月5日(日)午後、雪の下教会で典礼研修会が行われました。 そこで、講師の国井神父様(御受難修道会・上智大学神学部教授)のお話をお伝えしたいと思います。

祈りは本来歌うものである。典礼の中の音楽は祈りそのものでなければならない。

「よく歌う人は倍祈ることになる。正しく祈る人は正しく生きる」(アウグスチヌス)共同の祈りは歌うのが最も良い、という導入から始まりました。

次いで、キリスト教の典礼はユダヤ教から生まれたという歴史についてお話があり、公会議以後、共同体の復権から、「ミサはキリストの行為であり、参加する人々の行為である。(典礼を行うのは共同体である)」ということを確認し、その中で、聖歌の役割は何かということに絞ってお話しが進みました。

教会音楽は典礼における音楽という意味があり、共同体の祈りの音楽とも言える、ということです。それで、ミサの始めの歌は共同体意識を高める為のものだから、全員が一致して歌うことが大切だと言われました。(「ミサの時の聖歌を歌わないで一人静かに祈るのは相応しくない。ミサの歌は共同体の祈りだから。」ということだからです。)次に、答唱詩編は対話の形で祈るのがよいので、先唱者が詩編を、会衆が答唱を歌うのが、ミサに於ける祈りの形として最もよい。特に「感謝の賛歌」は会衆が直接参加するところだから、全員ではっきり歌う必要がある。「主の祈り」は聖体拝領の準備の為のものという気持ちをもって歌うことが大切だ。聖体拝領は聖歌隊だけで歌える所であるから、それぞれ何を歌うか工夫して欲しい。大体このような内容だったと思います。この後、休憩をはさみ、詩編の歌い方についての指導があり、終了しました。

国井神父様のお話から、思うことを幾つか挙げてみたいと思います。

まず、ミサに参加するということは、ただその席にいるということではなく、ミサを進める為の一員であるという意識を持つことが大切だということです。だから、国井神父様は「ミサに参加するという意識を持つことは大変重要だ。」とおっしゃいました。また「司祭は儀式の進行役となる。」ともおっしゃっていました。ミサの様々な役割は、参加した一人一人に与えられているということです。侍者・先唱者・朗読者・奉納者・オルガン伴奏者・聖歌先唱者等決まった役割がありますが、この人達だけでミサは進みません。先唱者に応える人達、聖歌(祈り)の先唱に応える人達、つまりミサに参加している全ての人達によって進められると思います。その間、司祭はミサの進行係となるのです。ですから、参加者全員が共に応え、共に歌い、共に唱えることが非常に大切なことになると思います。

以上個人的な感想を交えての報告ですが、今後典礼部で話し合って実現していきたいと思っています。



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バザーに際し

ケーキコーナー責任者 鵠沼1区 上條  俊

八角形ニュース第74号でバザー実行委員長清水千明様が述べられておりましたように、今年のバザーの目的は、国内外で私達の援助を求めている兄弟姉妹の為に、そして神様の家である教会の維持管理のためとさせていただき、収益は福祉部を通して役立たせていただきます。来年そして又その次のバザーの目的は変わるかも知れませんが、今の世の中医療、健康、物、食糧、に恵まれている人々又反対の人々がおり後者の為少しでもバザーでの私達のやったことが生かされそして役に立つのならば少しの努力も惜しみません。

 教会に集う私共スクラムをくんだ共同体が今の言葉でいうボランティア、奉仕として手を差しのべてゆくことの素晴しさ、美しさは誰も否定できないといっても過言ではないと思います。ケーキコーナーについていえば、皆様御家庭の主婦の方々が、如何にも店で売っているようなケーキと同じように苦労しおつくりになり持ってきてくれます。パウンドケーキ、マドレーヌ、バナナケーキ、チーズケーキ、紅茶ケーキ、シフォンケーキ、アップルケーキ、チョコレートケーキと書けばきりがありません。誠に有難い限りこの上もありません。

 私は男のくせに料理やケーキをつくるのが好きです。プリン、スィートポテト、マロンパイ、アップルパイ、苺のショートケーキ。料理ではビーフストロガノフ、ステーキアカプルコ風、栗御飯、茶わんむし、フライ、天ぷら等 自分で汗水流し試行錯誤しつくった物が「とっても美味しいわ」といわれた時が最大の喜びでございます。自分が本当に好きでないと本当にこれだけはできないものだと思います。10月26日藤沢教会バザーに際し数多くの御苦労をされておられるバザー実行委員長清水様、財務の前山茂雄様その他の方々担当責任者、シスター、皆様大変有難うございます。私共スクラムをくんだ共同体で今年のバザーも又大成功させたいと思います。

皆様どうかよろしく御願いいたします。



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バザー速報とお礼

バザー実行委員会  清水 千明

 10月26日に行われました今年のバザーは、好天にも恵まれ、無事に盛況のうちに終了することができました。これは申すまでもなく、沢山のご寄付をいただきました皆様方をはじめ、この間、準備に、当日のお世話にご尽力頂きました皆様方、そしてバザーの為にお祈り頂きました皆様方のご協力のお蔭と深く感謝いたしております。

 この稿はバザー終了直後に書いておりますため、速報ベースではございますが、あがりました収益は450万円強でありました事を取り敢えずご報告させて頂きます。収益金の使途につきましては、本年度は福祉部を通して活用させて頂きます。いずれご報告があると思いますが、皆様方のご理解と多大なご協力により、バザーの目的が達せられました事を喜びと存じます。

 準備に、作業に携わって頂きました方々、バザー実行委員会の皆様、お祈りと色々な面でバック・アップして下さいました神父様方、事務局の皆様に厚く御礼申し上げます。

 簡単ではございますが、今年のバザーが皆様の絶大なるご協力により無事終了いたしました事をご報告し、御礼とさせて頂きます。



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人類は救い主を待つ
…東方教会の典礼を考えながら…

シスター稗田 操子(十字架のイエス・ベネディクト修道会)

この内容は、10月10日(金・体育の日)藤沢教会センターホールで講演された原稿の一部です。

1.「どこにいるのか?」

「その日、風の吹くころ主なる神が園を歩く音が聞こえてきた。 アダムと女が主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか?」(創世記3.8〜9)

 神はこの質問はアダムが見つからないという意味ではありません。 それは地理的に神から離れたという意味ではなく、私たちが神から遠ざかっていること、私たちの罪の状態を表わしています。神はアダムをお見棄てにならず、彼の名を呼びながら捜されます。しかし、アダムは神の憐れみに答えるかわりに自己正当化のための言訳を捜します。

 まず、自分が「裸であること」を自覚します。それから、責任を他に負わせます。アダムはエヴァに、エヴァは蛇に…。

 そこで神は制裁をくだされます。それは神の気まぐれな決定ではなく、人間が犯した過ちの、避けることのできない結果です。蛇が言ったとおり、アダムの眼は開け、今後は生きるために労苦しなければならなくなりました。

 神は蛇に向かっては「このようなことをしたお前はのろわれたものとなった。… おまえと女、おまえの子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意をおく。彼はおまえの頭を砕き、おまえは彼のかかとを砕く」(創3.15)と言われます。

 教会教父たちは、聖書のこの句の中に、悪魔に対するイエスの勝利、新しいエヴァであるマリアによって実現するイエスの勝利の預言的告知を読みとっています。

 さて、楽園の扉は閉ざされました。善悪を知る木の実を味わったあと、もしも人間が楽園にとどまって、万一生命の木の実までも味わってしまったら、人間は永遠に死んでしまうからです。

 そういうわけで、楽園の扉が閉められたということは、悪に対する救済の道−つまり命への道−が残されているということを意味します。アダムとエヴァの犯した過ちが、永遠の死とならないためなのです。今後、命の木はケルビムと彼の剣の光っているやいばによって十分に警備されることになりました。

2.カインの罪

 聖書の冒頭には、天地創造の物語りのすぐあとに、人祖の二つの過ちの物語りが記されています。一つはアダムとエヴァの過ち、もう一つはカインの兄弟アベルを殺した物語りです。(創4)

 これらの物語りの中には、いつの時代、現代にも共通な深い真理が示されています。それは失墜したアダムの状態であり、また流浪者カインの状態であります。それは、また、根源的に罪びとである私たち人間の状態でもあります。

 パウロはローマの信徒への手紙の中でつぎのように書いています。 「このようなわけで、一人の人によって罪がこの世に入り、罪によって死が入りこんだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」(ロマ 5.12)

 しかし私たちには救いの希望があります。命の木の方へ帰る希望があります。なぜなら、新しいアダムであるキリストは多くの兄弟の長兄となり、私たちがそのあとに従うことができるように、地上に来られたからです。

3.喪失から希望へ。ヨブ

 人間は神のイメージとして永遠に生き、ますます創り主に似たものとなるために創られたのですが、最初の人間から、すでに喪失と死を知ることになってしまいました。

 しかし、ヨハネが第1の手紙の中で「私たちは神に似た者となることを知っています」(Iヨハネ3.2) と言っているように、神の現存によるしるしが私たちに残されています。人間には、たえず満たされない感情があって、常にもっと多く持ちたい、もっとよくなりたい…とのぞみます。

 それは失われた楽園へのノスタルジーではないでしょうか。この渇き、この虚無感は神の不在感が人の心に深い傷あととして残されている証拠ではないかと思われます。神のイメージの美しさは曇ってしまいました。神の賜物である知性、意志、創造性などは進路を踏みはずして、悪の手下となることがよくあります。

 たとえば、愛は嫉妬となり、よりよくなろうという正しい大望は野心、支配欲に変り、永遠の善への探求は所有欲へと変身し、誘惑者である悪はこの世に君臨しています。悪魔の王国では、怖れ、憎しみ、病気、苦しみ、死などが人間を支配するようにと仕向けます。

 しかし神はご自分の被造物をお見棄てになりません。人々の間から預言者を立てて、み声をご自分の民に聞かせました。また、ヨブのような、徹底的に悪に抵抗する忠実な僕を通して、試練に対する忍耐の模範を示されました。

 ヨブの物語りはいろいろな試練に打ちひしがれている現代人の心にも希望を起こさせます。アダムとエヴァの罪、カインの罪、さらに私たちの個人的罪によって人の内奥に刻みつけられている神のイメージにひびが入ってしまったとはいえ、ヨブは私たちに「誰か」が来てくださることを希望させてくれます。その「誰か」とは御自らは正しいにもかかわらず苦しむ方、忍耐によって最終的に勝利をおさめる方、悪の襲撃に堅忍と勇気をもって抵抗し、ついに失ってしまった神の現存を人間に取り戻させ、人間に神のイメージの本来の美しさを回復させるために、悪に対して勝利をおさめてくださる方です。ヨブの物語りは、そのような方の到来の希望を私たちの心に起こさせてくれます。

 このような目的を達成するために、神は、みことばそのものを人々の間に遣わされます。

 その方は「神の栄光の反映であり、神の本性の完全な現われであって、万物をご自分の力あることばによって支えておられます」(ヘブライ3.1)。その方が新しいアダム、完全な人間、神の輝かしいイメージを回復するために人性をとられるのです。神学者たちはこのことを神の受肉と名づけています。この神の受肉が神の使いガブリエルのマリアへの受胎告知に対してマリアがFiat! と答えた時に実現したものです。

(次号へつづく)



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11月の主な行事予定

1(土)諸聖人
2(日)死者の日、活動部連絡会
5(水)エルダーズの会  午前10時
     ベネディクション午前11時30分
7(金)初金ミサ・婦人部例会
             午前9時30分
9(日)結婚講座OB会
    七五三祝福式   午後1時
12(水)13(木)障子はり
15(土)22(土)29(土)
    短期キリスト教セミナー午後3時
15(土)ケア・セミナー  午前10時
15(土)壮年部日帰り懇親旅行
16(日)コロンバン会献金・聖堂大掃除
17(月)子連れで集まろう 午前10時
22(土)北2ブロック集会  ミサと山口神父様の講演
    (於・湘南台センター)
23(日)王であるキリスト
    子供と家族のミサ 午前9時30分
30(日)待降節第1主日
    洗礼志願式 午前9時30分ミサ中



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八角形にゅーすの12月号の原稿〆切
は11月24日(月)です。
教会報クリスマス号の原稿〆切は
11月10日です。特集は「愛」です。

 編集後記
▼おかえりなさい。ハンラティ神父様!
 ハンラティ神父様が10月17日にお元気でお帰りになりました。ま
たどうぞよろしくお願いいたします。     (教会一同)



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第5回スピリットソングフェスティバル
1997年11月16日(日)14:30〜

調布グリーンホールにて
入場料 1500円(当日精算券 1200円)

作詞・作曲したオリジナルな祈りの歌のコンテストです。

全国から集まった青年が心の祈りを自ら歌います。

今回は、藤沢教会からも私(酒井和明)が作った曲が選ばれたので、
青年有志で“歌うたい隊”を結成して参加することになりました。

歌うのは、“日々の贈り物”という曲で教会のホールで
8/24(日)北朝鮮のためのチャリティコンサートでも歌った曲です。

私、自身とても気に入っている曲です。
皆さん応援よろしくお願い致します。
お問い合わせは、SSF実行委員会 0428−22−4895
もしくは 酒井和明まで。


湘南アマデウス合奏団&合唱団
チャリティコンサート

交響曲第1番K.16
交響曲第31番K.297「パリ」
セレナーデ11 K.375
木管8重奏
オッフェルトリウム「インテルナートス ムリエルム」 K.72
モテット「レジナチェリ(天の元后)」 K.127
ベスプレ「ラウダテ・ドミニ」 K.339


指 揮

中島良能   堀部隆二

ソプラノ鈴木慶江   小島三恵子

1997年11月24日(月/祝)

14:00開場14:30開演

会場:藤沢カトリック教会

入場料:1000円

チケットは教会事務所へ


97年4月以降のhtml版バックナンバーがございます。ご希望の方は、メールにてお申し込みください。



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