八 角 形 に ゅ ー す

1998年3月1日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

新しいいのちを得る・・・・・・・・・・・・・・・・・・トーマス・テハン神父

教会委員会報告

「教会の未来を考える会」の報告

ご協力下さい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

「ベルナデッタ」と私・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 山内恭子

折り紙に祈りをこめて・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台  野中陽子

典礼研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・シスター河内洋子

エルダーズの会だより

藤沢教会の皆様へ感謝を込めてご挨拶・・・・・・・・・・コラソン 関

キジト神父さまからのお便り・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田久子

《教会の未来を考える会》を考える・・・・・・・・・・・北 1  岡村 正

八角形にゅーす(78号)を読んで・・・・・・・・・・・・辻堂2区 本多正昭

教会の改築について・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子俊吉

3月の主な行事予定

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新しいいのちを得る
トーマス・テハン神父

四旬節のはじまりである灰の水曜日に、灰を祝福する時、つぎの祈りをとなえます。

 「全能の神よ、あなたは、罪人の死ではなく回心を望まれます。 わたしたちの祈りをいつくしみ深く聞き入れ、この灰を祝福してください。土から出て土に帰って行くわたしたちが、四旬節の務めに励み、罪のゆるしを受けて新しいいのちを得、復活された御子の姿にあやかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって、アーメン。」

 この祈りは四旬節についての素晴らしい説明だと思います。この祈りをゆっくり、ゆっくり唱えてみてください。

 全能の神がわたしたち一人ひとりに呼びかけ、暗闇の中で迷っているわたしたちを新しい豊かな、いのちへ導いて下さりたいと望んでおられます。

 土に帰って行くと言うのは、毎日夕暮れになると、すべての物の色と形が消えてゆき、翌朝、朝日が昇るとすべてが新しくなります。全能の神の働きは闇夜の月の光のようであり、昼間の太陽の光のようです。

 太陽の光のよってすべての物の色と形が新たになるように、わたしたちも回心して罪のゆるしを受け、全能の神の恵みにより、復活されたイエス・キリストの姿にあやかり、新しいいのちを得るでしょう。皆様ともに心からこの祈りの「アーメン」を唱えましょう。



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教会委員会報告

 2月21日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。

1.維持費等財政問題について。

 ミサ献金の方法について典礼部で話し合いが進められている。献金の籠を準備して奉納に合わせてまわすことに変更するが、実施時期、具体的な方法については典礼委員会で決定する。決定後、説明をする。変更の目的は、献金の意識を持つことであり、収入増が目的ではない。

 先月に引き続き、現在維持費を負担していない世帯に配付する「納入のお願いの文書」の草稿を検討した。3月末までに郵送の予定。

2.教会の未来を考える会の報告。

2月15日の全体会について詳しくは次頁の報告を参照のこと。

 未来を考える会に関連して、教会のリーダーを養成する必要があるが、グリフィン神父様指導で9月10日より毎週木曜日の午後にリーダーシップトレーニングの講座を準備中である。全30回の予定。

3.信徒総会の議題について。

4月19日の信徒総会の議題を次の通り決定した。

4.福音宣教の方法論について。

 麹町教会のパンフレットの感想等を話し合った。教会委員会が行事等事務的な打ち合わせに終始せず、福音宣教についての分かち合い等をすることの重要性を確認した。

5.静修の日について。

 アトンメント会の平松神父様をお迎えして3月8日に静修の集いを実施する。昼食希望者のみ申込みを必要とする。

6.教会ウェルカミングデスク設置の報告。

 2月1日に教会ウェルカミングデスクを設置したが、当日は5、6名の方が相談にいらした。当分の間、毎月第1日曜9時半のミサ後に相談デスクを設置することを継続する。

7.聖堂利用のための規約について。

 事務局で「聖堂の利用に関する規約」を作成した。聖堂が祈りと典礼の場であることを十分認識した上で、利用することが求められる。

リハーサルには貸さない等、またこれらを守らなかったグループ、団体には今後貸すことを断る等を文書にする。

8.四旬節の予定について。

2月25日の「灰の水曜日」より今年の四旬節が始まるが、以下はその予定。

9.「ブロックの集い」の予定。

藤沢ブロック 3月15日9時半ミサ後、鵠沼ブロック 3月22日



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「教会の未来を考える会」の報告

2月15日(日)に未来の教会のあるべき姿を見つけていくための集いが開催された。

1.最初にバーガー主任司祭の祈りにつづいて、婦人部長から「未来を考える会」に参加できない婦人のために、各ブロック(鵠沼、北、藤沢、辻堂)単位で話し合いの場を設けられた経過と、そこでの報告がなされた。しかし、以下に紹介する意見はすべてではない。すでに各ブロックごとの報告書は纏められているので、必要な方は事務所まで申し出られたいとのこと。主なる意見は以下の如くであった。

2.地区活動の活性化の方法として、具体的に教会連絡網を作成してはどうか。という提案が「未来を考える会」の世話人から出された。

 現在は婦人部の連絡網を使用しているが、信徒の意識をかえるためには、連絡網を整備して、婦人部の仕事ではなく、地区の仕事として位置付ける。勿論、今までの婦人部連絡網を基礎として、婦人部に加入していない男性世帯も記入されることになる。

連絡方法は→教会→ブロック委員→地区連絡員→個人→個人→個人→個人となる。

 これに関しては、全体会として承認された。 なお、地区当番とし、婦人だけではなく、男性も掃除・典礼・敬老会・・・・に積極的に参加してほしいとの希望が出された。

3.「教会の未来を考える会」では既に、4つのグループ(信徒が築く教会・社会に開かれた教会・信仰を豊かにする教会・一人一人が大切にされる教会)に分かれて検討会を重ねているが、それぞれのグループから報告がなされた。基本的には、すでに広報「八角形にゅーす」に掲載されていることと重複するので省略させていただく。

4.その他では、組織の変革を求めるのではなく、個人個人の意識をかえることが最も求められていることを確認し、目で見えることから変革を行なっていく。それが未来に向かっての一つ一つの前進になればよいのないか。始められるところから始める。例えば「教会奉仕の会、教会行事、勉強会・・・」を広報誌に掲載して周知をはかるなど。具体的に実施していくことが、未来につながる。未来という虹は美しいが、それを現実のものにするためには、一人一人が汗を出して「共に」一歩一歩この足で、歩いて行く以外に道はないのですから。

(「教会の未来を考える会」世話人・記録)



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ご協力下さい
典礼部

 忙しい毎日を過ごし、日曜日のひとときを祈りと共にミサに参加されることと思います。祭壇上では司祭と侍者により、それを見守って進めていくのが先唱者、御言葉を伝える役目の朗読者、聖歌隊とオルガン奏者、奉納者など、ミサは皆様の協力で進められていくものです。

=奉納行列について=

現在9時半のミサは地区の方々の協力を得て行なわれています。
朝7時・夜7時のミサは先唱者より依頼されましたらご協力下さい。
又、積極的に奉納をして下さる方は大歓迎です。そのミサの先唱者に申し出て下さい。

 =奉納の順序=

 1献金
 2奉納したいものがある時
 3ブドー酒
 4ホスチア

 3月8日よりこの順序で奉納行列が出来ますようにご協力下さい。

典礼部では次の要領で典礼に奉仕頂ける方を募集しています。

先唱者・朗読者

 今年は先唱者のための勉強会を予定しております(講師も交渉中)おってご案内いたします。又、ミサ当番表作り、連絡などをして下さる方も募集しています。

聖歌隊

 毎週、日曜日9時30分のミサ、クリスマス、聖週間、御復活等で歌っています。
 練習は原則として9時30分のミサ後です。特に男性募集中です。

オルガン

 今回はお葬儀、結婚式のオルガンを弾いて下さる方、勉強会もする予定です。

お花

 祭壇のお花を生けて下さる方を募集しています。

侍者会

 大人も子供(小学生以上)も男女。
 侍者をしてみたいと思っていらっしゃる方、3月は第4土曜日に11時より侍者会があり練習をいたします。どうぞいらしてください。

結婚式

 是非お手伝いをお願いいたします。
 現在は、1時間前から準備して後片付けの時まで奉仕しています。

お葬儀

 『特に火曜日・水曜日に侍者して下さる方を募集します。』

☆典礼部委員会は、毎月最後の金曜日の夜7時30分より行っています。

 皆様、どうぞいらしてください。

 教会事務所に、申込み一覧表があります。 どうぞ宜しくお願いいたします。



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「ベルナデッタ」と私
藤沢2区 山内恭子

 1月30日カトリック湘南台センターで「ルルドの巡礼」のビデオを見る会がありました。ケルソ神父様はじめ10人の方たちと共に鑑賞の後神父様のたのしいお話と各々分ちあいを致しました。私は今から50年近く昔、白百合のマスールに引率され「ルルドの聖処女」という美しい映画を見たことがありましたがその時の感動がそれから20年後に洗礼の恵みをいただいた時まよわずベルナデッタを霊名にいただく事につながるのです。

 なぜこれ程までにベルナデッタに強くひかれたのかは、不思議な事にその年齢に応じて異なる理由でした。

小学5年のその時は、あの方(マリア様)への全身全霊による信頼のすばらしさでした。マリア様の前にいる時丈、生き生きと輝いていたベルナデッタ。

 それから百年以上の歳月が経ちこの21世紀になろうとする世界中の人々にまだ沢山のメッセージを伝え続けている事実をこの度の映像で知る事が出来ます。ルルドに集う(文字通り世界中から)何百万人の人々の顔があんなにもよろこびに満たされ輝いているのを誰でも不思議に思わないでしょうか。ローソクをそれぞれ灯し アベ・マリアを歌い行進する車椅子の人そしてそれをおしているボランティアの人々、シスターや神父様方は「どんな状況になろうともいつでも神さまは私たちの事を気にかけていて下さる」というメッセージに又、元気に仕事にもどれる力をいただけるのでしょう。

 私も決してあきらめないで待っていれば、そのうちにルルドの巡礼に参加出来る日が来るでしょうと願っています。

 私が大学に入る頃、しきりに頭にうかんだのは、ベルナデッタが公教要理をがんばってもがんばってもおぼえられなくて試験に落ちる場面でした。神さまの前に学歴やこの世の名誉など、何の価値もないのだと思えて仕方がなかったのです。

 私の母は良い人でしたが、その点で少し意見が分かれ悩みましたが、両親の心遣いをいただく事にしました。両親が私共娘三人にカトリック教育をしてくれた事を感謝しなければいけないと今でも思っています。

 昨年12月神のもとに召された母が未信者であった15年程前、聖地巡礼の旅でルルドを訪れた時の事を帰国した母から、楽しそうにいろいろきかせてもらいました。ルルドのお土産と共に。その後母にも洗礼の恵みがあり、ぜひルルドに行くように勧めて本当によかったし確かに私共親子に素晴らしい事がおこったのでした。

 ケルソ神父様はビデオの後、どんなに小さくとも家庭に祈りの場所として祭壇をつくるのは、よい事だとおっしゃいました。母の亡くなった日、母の家で納棺に立会って下さったケルソ神父様が母の小さな祭壇をごらんになっていらして、よかったと思いました。

 たとえルルドに行けなかったにしろこのルルドという歴史的事実は、私たちの糧となり、家の中、そして心の中にルルドをもっている事は力になります。

 大事な事を書き忘れる所でした。ケルソ神父様が近いうちにガダルーペのマリア様の巡礼(メキシコ)を計画なさるそうです。



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折り紙に祈りをこめて
湘南台  野中陽子(日本折紙協会講師)

 湘南台センターの折紙教室は、2月で丁度3周年を迎えました。 2回の無料教室の後、サークルとして正式に発足したのは4月でしたが、以来、15人前後のメンバーで続けており、その中で信者は半数位です。

 教理そのものと直接関係のない教室を、教会でさせて頂くことに、私はずっとためらいを感じながらも、皆様のご理解と励ましに支えられて今日まで参りました。

「いつもここに来るとホッとするんですよ」「折り紙がこんなに奥深く、面白いものとは知りませんでした」等の会員の方の言葉を聞くと、続けて来て良かったと思います。

「いつも拝見するのを楽しみにしています」と、館内に飾ってある作品を見て、声をかけて下さるシスターや信者の方もおられます。

 昨年のクリスマスの集いには、バーガー神父様が子供たちやお母様方に「クリスマスは馬小屋からではなく、この場面から始まりました」と、ピアノの上の折紙作品、大天使と乙女マリアのお告げの場面を指さしながら、お話して下さいました。

 教室に茅ヶ崎から通って来られる高齢のYさんは、この作品を折るとき、入院中の娘さんの看病でお休みでした。そこで鎌倉からいらしてるOさん(男の方ですよ)が、和紙で折ったマリア様をお見舞いにさし上げました。

 数日後、Yさんからの電話によると、病床の娘さんは作品を掌にのせて「ガラシャ様!」と、大変喜ばれたとのこと。有禅風の和紙の模様から、細川ガラシャを連想されたのでしょう。私はそのお話に胸が熱くなりました。

 1つの作品を心込めて折るとき、いつも祈りに似た気持ちになります。何の変哲もない1枚の紙が、命を吹きこまれたかのように、作品となり私たちに語りかけてくるのです。この喜びを、サークル以外の方々とも分かち合えたらと思います。

 鶴はコミュニケーション・ツールです、と創造学会会員の長野耕平氏が言われたように、折紙は国際交流の場でよく利用されています。

 そこで、異文化の香りがして、とかく敬遠されがちなキリスト教(人が人として生きる上で最も大切な愛の教え)が、私たち日本人の心に自然に溶け込んでゆくのに、折紙もお役に立つのではと、改めて思うこの頃です。サークル存在の意義も含めて。

 尚、湘南台センターには、日本折紙協会発行の月刊「おりがみ」 も備えてありますので、ご利用下さいませ。

 お告げの祝日を前に折紙で「マリア様を祈る集い」
 日時 3月24日(火)午後1時半〜3時半
 場所 湘南台センター
 参加費 一人5百円(材料費その他)
 定員 20名(申込みは同センターまで)



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典礼研修会に参加して
シスター河内洋子(聖母訪問会)

 フランコ神父様のていねいな講話をもう一度大切にふりかえってみると、サンテグュジュベリの「星の王子さま」の中に出てくる「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ。」という言葉を思い出しました。

 「父と子と聖霊のみ名によって。」と1日に何度も十字を切って唱えている祈りを考えてみます。私にとって父はこの宇宙を創造し、治められる御方、そして自然界、美しくもあり、人を近付けないきびしい面をもち、その偉大な秩序を通して感じ取ることのできる御方である。子は2千年前に私達の中に存在し、十字架の死を通して人類の救いを成しとげられ、私たちに道を示されたイエス・キリスト様である。では聖霊とは? この方は父と子との愛の交りと聞いていたが、どうもよくわからない方でした。父と子のように見えないのでわかりにくいのです。見えないのですが心で見ることに気付かせていただきましたので、聖なる息吹き、命、愛は、目に見えないがたしかに私たちのまわりをとりまき至る所で自由に息吹いていらしゃいます。

 例えば私たちは父、母、兄弟姉妹、友の愛に支えられ、包まれて生きているのですが、見えないし、当然のように思って、ことさら取り上げずに生活しています。しかし何かの折に愛されていることに気付いた時、喜びがいっぱいになり生活が変わることを経験します。これと同じことでしょう。聖霊−神の愛・神の息吹・父と子の愛の交り、神の命−は見えないのですが私たちの内にも外にも豊かにあふれているのに気付きます。御父は御子イエスが、この世での使命を完成して私たちから見えなくなった後、私たちを導き、助けるために聖霊を遣わされたのです。

 この聖霊は自由に働かれますが、特に神との出会いの場である七つの秘跡の中心で顕著に働いていらしゃることをフランコ神父様の熱意あるお話しでわからせていただき、心の目が開かれた研修会でした。



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エルダーズの会だより

 先にご案内致しましたように今年から毎月第4月曜日の集まりにはお昼を用意することになりまして1月26日がその第1回、平野勝さんを囲んでのお話しやマザー・テレサのビデオの後食事になり、5人の神父様、カテキスタ小林さん、事務所の川辺さん、それに他の用件で教会に見えていた方々も加わって下さって1時過ぎ迄お昼を頂きながら賑やかに楽しく歓談しました。メニューはTさん、Kさんが腕を振るって下さったチキンカレーにSさん手作りの卵焼き、とても美味しいと大好評でしたし、収支ではほんの少し足が

出たのですが、丁度それと同じ位の金額が落ちていて拾わせて頂いたとか??神様がちょつぴり悪戯をなさったのでしょうか?

 3月23日(月)の集会をジョンストン神父様は[皆さんと『祈り』について学び、その上でご一緒に『祈り』を体験する]、そういう家庭的な集まりにしたいので“黙想の日”と呼んで欲しいと言われました。

 2月のこの欄で丸山さんが紹介して下さいましたように神父様と遠藤周作さんとの関係は「沈黙」の英訳をされた方という以上に、カトリックに東洋的な瞑想を取り入れること、言い方を変えると[仏教とキリスト教の出会い]が日本人のキリストへの信仰に役立つという点で共感されたということがあるようで、その意味でのご親交がとても深かったと伺っております。

 当日のスケジュールは、神父様が特に力を入れて居られます[『黙想=祈り』にこそ信仰の核心がある]という主題に沿って次のようにさせて頂くことに致しました。

10時    『祈り』についてのお話し  40分『祈り』の実践
11時   質疑応答
12時   昼食
13時   分かち合い・懇談
14時40分ベネディクション
15時   解散

 神父様から各自聖書をご持参下さるようにとのことで御座いました。

 尚昼食代その他として参加費1名500円頂戴致します。

 今年に入って参加して下さる方が段々増えて来て2月2日の集まりは急遽204号室に移るなど嬉しい悲鳴を挙げました。男性のほか若い女性達も参加協力して下さるようになり、一同[発足時に描いたエルダーズのイメージに段々近付いて来る][平均年齢が下がって花が咲き賑やかになる]などと大喜びで、この分では引き続き204号室に腰を据えさせて頂くことになりそうです。スペースが広いので、2〜3人の小グループで語り合ったり、絵を描いたり、トランプをしたり、コーヒーを飲んだりなどなどが可能で、もともとそんな集まりになることこそ念願ですので、都合のつく方はどしどしアイデァを持ち寄り交わりの環を拡げて行って頂きたいと思っています。

 先の先の話ですが10月3日(土)に吉川久子さんの[日本の叙情を主題にしたコンサート]を聖堂で開くことが決まりました。ハープ伴奏によるフルートの演奏で、間違いなく“素晴らしい”と感動して頂けると確信しております。詳細は秋口になりましてからお知らせしますがこの日は今から是非確保して置いて下さい。



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藤沢教会の皆様へ感謝を込めてご挨拶
コラソン 関

「光陰矢のごとし」と言うように、私が日本に居た15年以上の時間は、違う文化や言葉、それに日本の料理を学び、また心の広く、親切な、理解深い心の方々と出会い、日本の方々、私をこの「日出ずる所」と呼ぶにふさわしい場所に慣れ親しめる様導いて下さった他国の方々、などなど、私の生涯の中でも、あっという間に過ぎ去った最も強く思い出に刻まれた日々でした。

特に思い起こすのは、混乱した経済的事情で大学に行きたいと思っていても行けないフィリピンの学生と、日本の方で、人々のために援助をしたいと思っておられる方をお引き合わせして、とても有効な結果を得ることができたことです。

それは、1991年に日本に戻る途中に我が祖国のフィリピンで短期間滞在した時に、およそ20年間会わなかった高校の友達に飛行場で偶然にばったり会って、長い時間話をしました。その年はまさに銀祝の年であったように思います。

A われわれ同窓生の25周年に合わせてバッチ1966年同窓会協会を作りました。
B 優秀で資格のある生徒や同窓生やその親類の子達に、彼らがストリート・チルドレンになったり麻薬に染まらない様に、奨学金を用意する委員会を開設しました。

日本に帰って、私は藤沢カトリック教会の一員として、そしてフィリピン共同体(FUFILCOM)メンバーとして、同窓会協会の誓いを実現しようとがんばりました。そして協会はビンゴや富くじゲームをも通して、学生たちが必要な資金を確保できる基金集めをしなければならないと言いました。

その活動の結果、

A 教会の恒例のバザーで収益を上げる。
B 魚津靖太郎氏から一人の学生に資金提供を受ける。

私と夫のヒロが日本を離れてここフィリピンに移り住んでから7ヶ月が経過しました。1月のある日、聞きなれた声の電話を頂きました。そう、それは我々の恩人、魚津さんでした。彼は、仕事で同じ町に寄られたとのことでした。それで協会の事務局に会うアレンジをしました。

彼の援助を受けている学生のバネッサ・バーガスはこの4月にフィリピン大学と同じように多くの高い資格と称賛に値する学生を生み出している市立のPamantasan ng Lungsod ng Maynila大学で生物学の学位を取得する予定であります。この母のいない少女は7人兄弟姉妹で、父親は私たちの母校であるClaro M.Recto高校で門衛として働いていますが、大学教育を受けると言う夢を実現することができるのです。

私たちはフランク魚津靖太郎氏のような日本のビジネスマンに心からの感謝を致します。親切な心の方、度量の大きな方、そして本当に良きサマリア人です。

魚津さんへ MARAMING SALAMAT PO(本当にありがとう)



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キジト神父さまからのお便り
辻堂1区 浮田久子

 主にあって私たちのいとこである藤沢教会の皆さまへ

イギリスでの13ヶ月間の勉強を終えて−これで私の休暇も終りました。帰国までの短い時間を利用して皆さまにクリスマスのご挨拶を認めているところです。

来たる12月4日に終了式が行なわれます。そのあとロンドン近郊にあるホワイトファーザースハウスに移って帰国の準備を整えてウガンダのみんなと一緒にクリスマスがお祝いできるように帰るつもりでおります。

私の今回の休暇は、本当に例外的はお恵みでありました。聖アンセルムスでのヒューマンデベロプメントやカウンセリングのコース、ホークストンホール・パストラルセンターで学んだ司牧宣教に於ける聖書の再発見に関わるコースは、イエズスと彼のひとびとに私をより近く引きよせてくれるものとなりました。この研修によって私は、今後もずっと続く荒野の中での聖なる勤めにむけて成長と決断と覚悟とを与えられました。私の心も体も新たにされたのです。

このときに当たり、みなさま方すべてに、私が頂いた大きなご援助についてこころから御礼を申し上げたいと思います。お陰さまで私の研修も休暇もこのように興味深く、成功裡に終えることができました。ここに改めて皆様の友情と支援、お祈り、そして経済的な御援助に感謝いたします。私も今年46歳叙階20年の年を迎えようとしております。何卒今後も今まで以上の御援助を実はお願いしたいのです。新たにされた心身で帰ってきたアフリカですが、以前にも増して一触即発の過酷な情況のもとにあります。難民の流入、おびただしい数のエイズの犠牲者、増大する一方の孤児達、そして云うまでもないことですが、伝統的に貧しいアフリカの経済構造。アフリカは苦しんでいます!

 実り多き待降節と佳きクリスマスとお幸せな新年をお祈りしつつ‥これからもお互いに連絡を取り合いましょう。
待降節第1の主日

 ジョセマリー・キジト神父神父さまのお便りのお取り次ぎが大変遅れましたことをお詫び申しあげます。(浮田)



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《教会の未来を考える会》を考える
北1  岡村 正

 もしも、「教会を、福音を実現する場と考え、今ある教会の制度や組織を、教会を目指すすべてのはたらきの部分である。」と考えることが許されるなら、4つの分科会のテーマはすべて「福音」を目指す一つに結ばれた活動と見えるでしょう。

「福音」は、イエスがナザレの会堂に立たれたとき、手渡されたイザヤ書を開いて読まれた個所に示されていること、即ち、「生きられなくなっている人が生きられるようになること。」とまとめることができるでしょう。

 人が生きるのは、引き合わされるそのまわりとの交わりによってであり、その交わりによって人のいのちが生まれます。

 何らかの妨げでその交わりができなくなるのが、生きられなくなるという状態でしょう。どんな場合でも、妨げは人とそのまわりの両方にあると考えられます。

 生きるための交わりを妨げるのは何かと考えることは、「福音」 はどのようにわたしたちに実現するかを考えることになります。「教会をつくる。」とは、「福音」を実現する場をつくると言うことです。「外に向って開かれる」のは何か、と言えば「外」に対する「内」の他にありません。

 「福音」を実現するのになぜ開かれなけれはならないのでしょうか。たとえば、「内」をよくわかっている自分とし、「外」を未知の他者としたらどうでしょうか。

 人の生きるのが、引き合わされるそのまわりつまり、他者との交わりによってであるとは「外に向って開かれる」が、未知の他者に触れてよくわかっていると思っていた自分が問い直され、知ろうとしなかった未知の自分を発見することになるでしょう。

 神は、わたしたちにとって常に未知のものとして現われ、わたしたちは神に向って開かれます。「神は、わたしの耳を開かれた。」とあるように、「聞く耳」とは、神に向って開かれた耳のことです。

 人が神に出会うのは、「福音」においての他にありません。としたら、何によって信仰は育つのかはもはや明らかです。

 「よい」とわかっていることをするのに信仰は必要でしょうか。 「あなたはなぜ<よい>と言うのか」と問われて答えられなかった青年に欠けているのは何でしょうか。それが必要とされていると感じて応えるとき、<よい>も<よくない>も超えています。その時信じているのは何でしょうか。

 「福音」の実現する場こそ、神との交わりの場です。典礼は、わたしたちにどのようにして神との交わりが実現するのかをあらわしています。

 生きるための交わりを妨げることはすべて、「福音」の妨げとなります。その妨げに気付き、それを人前に明らかにし、妨げから離れると、わたしたちに神との交わりがはじまります。

 全身全霊を神に向って開くことが回心です。よくわかっている、と思いこんで自分にとどまって居るのが、神から離れ隠れている状態です。<よい>と思うものを選んで<よく>なりたいのがわたしたちの心情ですが、それは、「外」に向って閉じているのではないでしょうか。引き合わされるまわりとの交わりがそこに欠けているのです。無関心は、生きられない状態と言ってよいでしょう。

 「一人ひとりを大切にする」のは、引き合わされる一人ひとりのちがいを認め互いに受けいれることで、共に生きるように結ばれているいのち、「今ここにある」いのちが、どんないのちなのか明らかになるからです。このことが、神との交わりであるのは確かです。

 わたしが与えられたいのちは、唯一のいのちに結ばれて他者に引き合わされていて、そのわたしの位置付けは誰とも交換できません。わたしにとって「今ここにある」いのちは、唯一1回切りのいのちです。このことは、誰にとっても真実であり普遍のことです。

 もしもわたしが、互いのちがいを認めず受けいれないなら、わたしは、わたしを認めず受けいれないことになり、神との交わりは、わたしにありません。

 互いのちがいを知り、自分に与えられたいのちの位置づけを感じて、その交わりに必要とされている固有のはたらきになるのが、自分になる、ということでしょう。自分になることは、1回1回新たな、神との交わりのなかにしかないと信じます。

 互いのちがいに対する無関心と無責任が、わたしたちのなかに様々な問題を引き起すにちがいありません。他者を自分と同じものにしようとする同化は、交わりを妨げます。創造のはたらきになるのも妨げます。「今ここにある」いのちを知りたいと思わないからです。生きようとしないからです。ここにも、生きられなくなっている人が居ります。

 唯一のいのちをわたしたちは頒ちあっているから、わたしたちに互いのちがいがあるのです。そのちがいによって未知の自分を知り、唯一のいのちに結ばれた、かけがえのない自分になるように招かれているのです。

 「パンを裂く」のは、その招きをあらわしていると感じます。その招きに対しての無関心と無責任とが引き起す十字架上の死は、「福音」の実現の過程として輝き、わたしたちの心に永遠に生きつづけるでしょう。



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八角形にゅーすを読んで
辻堂2区  本多 正昭

 八角形にゅーす(78号)3ページの教会委員会報告の11番に「教会の施設を貸す基準をつくる事」に付いて記されています。

 あまり、教会の事を知らない信者の要望ですが、「教会の施設を使う時の基準」も明確にして、文書で分かる様にして頂きたいと思います。(文書があるなら分かる所に置いて下さい。)

 例えば、センターや聖堂脇の台所で湯を使ってよいのかどうか。 学びの庭で弁当を食べて良いのかどうか。

 又、司祭館へ入る時は、防犯の意味からも、必ず大声で挨拶すべきなのかどうか。事務室が無人で鍵が開いている時は、カウンターの上の配布物を見る為でも入るべきではないのかどうか。

 出身地方も、更には母国も様々で、文化的背景・常識・習慣も異なる人々が出入りする教会ですから、「暗黙の約束事」はなるべく少なくして、「慣習」の存在が明確なら、早い内にそれを成文化としてトラブルの発生を未然に防いで戴きたいと思うものであります。



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教会の改築について
鵠沼1区  八子 俊吉

 八角形にゅーすの2月号に載っていた「藤沢教会の老朽化にともなう建築について」を拝読致しました。

 教会委員会では出来るだけ早く改築の計画の作業に入りたいとの事ですが、私はこの考えには反対です。この藤沢教会を出来るだけ長く大切に使っていきたいと思っています。 今、この教会は堅牢な建物として立派に目的を果たしています。人間に例えるならば、青年期か壮年期に当たると思います。改築の計画の準備の必要はないと思います。

 先輩達の努力によって建てられたこの教会には、私達の思い出がたくさん込められています。そして長い間大切に使われ維持管理されてきました。これからも今までと同じように大切に使うことは私達の使命ではないでしょうか。

 又、地球環境保護の点からも、再建には反対です。新しい教会を建てるにはたくさんの資源やエネルギーを必要とします。これらはほとんどが南の外国から運ばれてきます。そのために南の人達の生活が奪われ自然が破壊されています。又この教会を壊すことによってたくさんのガレキが発生します。これらは燃えるものは有害なダイオキシンを発生し、燃えないものは山中にすてられ自然を破壊します。

 いつかこの教会も老朽化する時が来ます。その時始めて再建の計画を議論しても良いのではないでしょうか。老朽化してからも建物として10年や15年は十分に機能すると思います。



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3月の主な行事予定

1(日)四旬節第1主日 入信志願式
2(月)16(月)子連れで集まろう 午前10時
2(月)9(月)16(月)23(月)30(月) エルダーズの会 午前10時
6(金)初金ミサ・婦人部例会 午前9時半
8(日)静修の日 午前9時半ミサより
14(土)ケア・セミナー  午前10時
15(日)卒業感謝ミサ  午前9時半
    藤沢ブロックの集い 9時半ミサ後
21(土)春分の日彼岸ミサ  午前10時
22(日)鵠沼ブロックの集い 9時半ミサ後
23(月)講演会とベネディクションと食事
    エルダーズの会主催 午前10時
28(土)福祉部例会       午前11時

十字架の道行・・・四旬節中毎週
  火曜日 午後7時30分
  金曜日 午前9時(ミサ中)
ただし初金の日は午前9時8分ミサ中



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一粒会からのお知らせ

召命について考えるミサ

日時 3月22日(日)9時半

司式 バーガー神父

話  保久 要 神学生(菊名出身)

ミサ後ホールで神学生を囲んで話しあい。12時頃まで。

藤沢教会で召命について考え、祈るミサが行われます。神の呼びかけに どうしたら素直に応えられるか 祈りましょう。 日曜学校、中高生会、青年会、保護者会の皆様の多数参加をお待ちしています。
尚、当日一粒会入会へのキャンペーンをさせて頂きます。よろしくお願いします。



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