八 角 形 に ゅ ー す

1998年7月5日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

「あなた(がた)は世の光である」・・・・・・・・・・・・・・トーマス・テハン神父

教会委員会報告

心から感謝します・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケルソ神父より

「宣教者について」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父

『ミサと信者の霊性について』を伺って・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤 眉枝

世界の兄弟姉妹が集う会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国際部

“求む”種まく人・・・・・・・・・・・・・・・一粒会第5地区委員 島・桜井・八木

バザー委員会発足・・・・・・・・・・・・・実行委員長 藤沢1区 岡田芳明・友季子

ロザリオの祈りとテーゼのコンサートに参加して・・・・・・・・鵠沼1区 本田 明代

海ほたる・木更津教会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 渡辺 義夫

第2回「共に歩む集い」開催!・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 唐木 邦子

障害「共に歩む集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 安達 陽子

エルダーズの会だより

キジト神父様からのお便り

「ご一緒に歌を」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石川 千恵

7月の主な行事予定

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「あなた(がた)は世の光である」
トーマス・テハン神父

 ある日の朝、『聖堂に酔っ払いが入って』と声がしました。 平日の9時のミサの5分前でしたので、どうしようかと思いながら聖堂に入りました。聖堂の入口近くに座っていた酔っ払いを見ると、サンドイッチと飲物を手に持っていたので、私は『聖堂は食事をする所ではありません』と言いました。彼は『僕は、祈りをするためにここに来た。』と答えました。私は、『では、お祈りをするなら帽子をとってください。』と言いました。彼は、すぐ、帽子を外しました。

 後で考えました。酔っ払いであるかどうか分かりませんが、『僕は祈りをするためにここに来た。』という言葉は、酔っ払いの言葉というよりも、聖霊が導びいてくださったのだと思いました。

 教会に来る人々の中で、自分ではっきりと何を求めているのか分っている人は少ないと思います。暗闇の中で光を探している多勢の人がいます。心の暗闇を通して、心底にある光を見つけたら、その光を人々の前で輝やかしなさい。私たちは、光を輝やかし続けることはできません、必ず暗闇が戻って来ます。その時、誰か話を聞いてくれる人がいれば幸いです。

 皆が神様の光を持って互いに助け合うことは、教会共同体の役割の一つだと思います。 皆さんが世の光でありますようお祈りいたします。



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教会委員会報告

1.分かち合い

  委員会の開始に先立って、静思のひとときを「ルカ福音書第9章18〜24章」までを朗読し、黙想とともに分かち合いが行われた。

2.7月12日に開催される一粒会地区大会について

  第5地区一粒会の島氏(鍛冶ケ谷教会)から、7月12日に当教会で開催される大会についての開催協力と内容などについて打合せがされた。内容については「第5地区一粒会のお知らせ」を参照ください。

3.委員会の組織について

  6月7日の活動部連絡会について報告された。教会委員会の構成について、活動部からメンバーが参加していないのは、教会運営上で問題があるので、各々の活動部を「宣教・典礼・教育・総務・国際・広報・福祉・共助組合」各部に大別し、活動部ワーキング・グループを作ることになった。さらに、「宣教・典礼・教育」・「総務・国際」・「広報」・「福祉・共助組合」から各1名の委員を教会委員会に出席していただくことになった経緯を報告するとともに、今回から出席していただいた。しかし、現在の委員会については、規約などの問題もあるが、当座は今年度いっぱいを試行期間とし、暫定的に行い、結果を見て然るべき時期に規約改正等を行うことにした。またワーキング・グループの集まりは、偶数月第1日曜日11時から開催することになっています。

4.バザー委員会よりの提案

5.ガーデンパーティー進捗状況

6.防災訓練実施計画

  壮年部より提案されていたが、6月21日に藤沢市南消防署から担当職員が、実際に教会の建物、またミサ中の様子などを予備調査をして、具体的な防災計画を作成し、秋に実施訓練を行うことになった。

7.環境問題に関する教会の基本姿勢について

  教会と各家庭において環境問題に取り組む必要性については、充分に理解されていないのではないか。一般的には総論賛成、頭では理解できても、各論では思うように実施されていないのが現状である。そのため早急に当教会にも環境委員会を組織して、より具体的にこの問題に取り組むことになった。

8.その他



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心から感謝します
ケルソ神父より

 5月17日に私の司祭叙階25周年に当たり、教会の皆様から暖かい祝辞を頂きまして、本当にうれしく思いました。ありがとうございました。その後アメリカで家族、友人と一緒に素晴らしい感謝の御ミサとレセプションをして、何年ぶりかにであった人も多くいました。司祭に呼ばれて良かったと思います。

今度、近くにある二宮教会に行きますが、藤沢との交流を是非したいと思います。よろしくお願いします。

一人一人に感謝状をだすべきですが、この挨拶も私の心からの感謝の祈りです。受け取って下さい。



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「宣教者について」
M・ハンラティ神父

 先月号で私はコロンバン会が日本での宣教50周年を祝ったことについて書きました。

 この50年間に起った変化の中で、特に宣教師自身のもの、宣教とは何かという考え方の変化について述べました。今回は私の個人的体験について少々書いてみたいと思います。 41年と少し前に私は初めて日本に参りました。私はもっと冒険に満ちた国で、それにもっと学びやすい言葉の国を望んでいました。それで日本行きのリストに自分の名前を見つけた時、私はがっかりしたのです。でも参りました。あの頃のすべての若い宣教師達と同様に沢山の人々に洗礼を授け、彼等を教会に導く事を夢みて参りました。

 言葉はやはりとても難しく、私は勉強して勉強して、あらゆる種類の人々と話そうと努めましたが上達したとは思えませんでした。聞いてくれる人には誰にでも教理を教えようとしましたが、6年後休暇で帰省した時までに洗礼を授けたのは大人2人と赤ちゃん1人だけでした。その時私の髪はすでに全部白くなっていました。(32歳で!)フィリピンに派遣された級友がもう2万人の司牧をしていると聞いて、私の宣教はどうなるのか?と当惑しました。

 日本での最初の時期はほとんど病院で働きました。休暇後の次の16年間は教区司祭としてまず和歌山で、次に片瀬で働きました。教理を教える事はまだ大変難しかったです。初めの頃の事を今思い出します。夜8時のクラスの準備を朝8時から始めましたが、それでも夜7時には誰も来ないようにと祈っていました。

何をどう説明したらよいのかわからなかったのです。ほんの2、3のクラスを始めただけでしたが、1年後には誰も残っていなかったりで、1年半で1人の洗礼があった位でした。

 もちろん私だけでなく皆もこの程度だったのです。あの頃は大人に教理を教えるのはほとんどすべて司祭がしました。平均して1週間に5つ位の小さなクラスをもっていました。始めるに当たり教える1時間の為に8時間の準備を計画しました。それから4時間に、2時間に、1時間にと減らしていきました。当時若いコロンバン会員が会うとまずは“どうやって教えているのか?”“どんな言葉を使っているのか”等とお互いに聞きあったものです。もちろん信仰、神学、教理に関するあらゆる種類の本も真剣に読みました。

 その間に私の祈り方は大きく変っていきました。私はちがう祈りの方法を習ったり発見したりしていったのです。それは私を大いに助けました。実際私は本当に霊的助けを必要としていたのです。実り多い方法で聖書を祈ることを学んでいきました。それは私を、以前よりもずっとイエズスとのより深い関係へと導いてくれました。祈りの内で静かに聴き聖霊に導かれていく祈り方の小さな始まりでした。

 気が付くと私はキリスト教についてもっと知りたいとやって来る人達に聖書だけを使って教える様になっていました。そして自分達の生活の中で神様が働いて下さったのではないかと少しでも思える事に彼等が気が付いていき分ちあっていく様に励まし始めていました。そして私は、沈黙の内にでも言葉に出してでも、“一緒に祈る事”はこの分かちあいを大いに助けるすばらしい価値あるものだと学んでいきました。

 休暇で1980年に片瀬を去り、次には思いがけずアイルランドでコロンバン会神学生との仕事を与えられました。それは初めの内すごく大変でした。毎朝ひざまずいて「主よ、私は自分からやめる勇気はありませんがどうか首にして下さい」と祈った程です。その頃の一つの事を思い出します。ある高名な方による教理を教える事についての話を聞きに行った時の事です。出席者は皆その話はすばらしい助けになると喜んでいました。でも私は驚きながら独白していたのです。“それらの事はすでに知っている!もっとよい事も二つ三つ知っている!”私はそれらのすべてを読書で、教えようとする私の体験を通して、信仰の旅路を他の人達と分かちあう事を通して、日本ですでに習っていました。

 アイルランドに居る間に私は時々宣教についての話を頼まれました。私は次のように話し始めたものです。「私は日本には行きたくはなかった。私にはふさわしくないと思っていましたから。しかし今は、私にとって行くべき最良の場所だったと思っています。私が自分の信仰に出会ったのはそこだったのです。もちろん私は先ず引き裂かれなければなりませんでした。大変な痛みを伴って調整され、変えられ、浄められてから再び組み立て直されなければなりませんでした。アイルランドに居ながらこのような信仰をもてたとは思えません。実に神様は、神様にもっと近づけるという贈り物を私に下さる為に私を日本に連れて行って下さったのです」と。

 4年間の学生の仕事の後、日本にもどるように言われました。それを聞いて心穏やかではありませんでした。やっと学生の仕事がうまく出来るようになったのに。それに日本語はすっかり忘れてしまっている。もう一度学び直す苦労が出来るとは思えない。と心は痛みました。でも戻りました。そして次第にここ藤沢でしている仕事に入っていきました。片瀬の時代からグリフィン神父様の「キリスト教入門講座」の続きがあるべきだと思っていました。又私は“もっとよく祈れるようになりたい”と望んでいる沢山の人達に出会っていました。ほんの少しの助けと励ましがあれば彼等は出来るようになると感じてもいました。更に私は、教理を教えたり結婚講座をしている信徒達をみて、いくらかの訓練と励ましを受ければ一般信徒の多くは他の人達への“祈りのよき案内人”になれると信じられました。私は勉強によってではなく、“共に祈ること”“生活の中で神様が働いて下さった事を共に分かちあうこと”によって、私達は共に育ち、キリストの共同体に近づけるのだと更に更に学んでいます。私がこれらの祈りのプログラムを発展させようとした理由はこれです。

 3年半前心臓の病気になった時、私は初めがっかりしました。私にはグループを大きくしてそのプログラムをもっと発展させていく計画がありました。しかしまもなく私は病気になった事はグループにとってとてもよい事だと気付きました。彼等は私なしで進み始めたのです。しかも私が始終ついていたらしようともしない事までし始めたのです。小さなグループでの信仰の分かちあいは深まり、多くの人達は、他の人達を助けることは神様をもっとよく知る事になると気付いていったのです。

 その後私はもう一度病気になりました。今度は胃の進行ガンでした。手術は成功し私はアイルランドの家に帰りました。その時私が何と老けて弱ったことかと沢山の人達がショックを受けたと思います。誰もが私を甘やかしました。お陰様で次第に私は力をつけ再び元気になりました。1年後私は「ついに日本に戻る時が来た」と言いました。誰もが驚いて口々に言いました。「何ですって?それがよい考えだと思うのですか?あなたはやっと元気になったところなのに、それでは又病気になってしまうのではないですか?あまたは日本ではもう充分に働いたではないですか?私達と一緒では楽しくないのですか?」等々です。

 しかし神様のして下さった事についてここで長い間一緒に分かちあってきた人々が私を引き戻したと感じています。そこが私の居るべき場所なのです。コロンバン会は「医者の同意があれば、戻る事はよい事だ」

と言ってくれました。私の家族は「それがあなたの望みなら、私達は今あなたが日本に戻れる程健康になれた事を神様に感謝します」と言ってくれました。それで私は戻って来ました。私にまだ以前のような力はありませんが、まだまだやりたい沢山の計画や想いがあります。私は今、神様が私におさせになりたい事を見つけようと本当に待っています。それがいつか再びアイルランドに帰る事であってもです。

 でも私はここ日本でそれを見つけなければならないと信じています。それは信仰の旅路をずっと一緒に歩いてきたコロンバン会員や信徒達と共に分かちあいながら一緒に決めていく事だと思っています。それはもしかしたら次の41年の始まりかも知れません。今度は言葉が上手になれるのかも知れません!



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『ミサと信者の霊性について』を伺って
佐藤 眉枝

今、心に強く残っているのは、ミサの中心の部分である聖変化について話されたことです。

 即ち、私達はミサの中でキリストの死と復活の神秘と過越、神の働きを祝います。キリストの体をいただく私達が聖霊によって一つになり、そして、聖変化されたキリストの御体と御血をいただく時、私達共同体の聖変化がともなって初めて祝いの頂点となりますと話された事です。

 また、共同体の信仰の有り方によって聖体拝領の恵みの現われ方も違ってくると強調されました。このお話しを聞きながら私は、一人ではなくともに歩む共同体としての信仰の豊かさが求められている事、またミサの時だけではなく毎日の生活の中でも、心の奥の声に耳を傾け聖霊に導かれて活き活きと生活して行かれるよに、ミサに与かり勇気と力をいただき、よろこんでイエスに従い度いと思いをあらたにしました。



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世界の兄弟姉妹が集う会
国際部

 国際部では、当教会共同体を形成するメンバー日本人を含めた国籍の違うすべての兄弟姉妹のはじめての文化交流の集いを計画しています。
 当日はダンスを中心としたアトラクションがあります。参加費は無料。
 大勢の皆様の参加をお待ちしております。

  日時 7月26日(日)
  時間 午後1時〜4時
  場所 センターホール



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“求む”種まく人
一粒会第5地区委員 島・桜井・八木

 『“自己チュー”この親にこの子供あり』他の人から見ると考えられない様な自己中心の親子が多くなっている事例が最近の新聞に特集されておりました。

 藤沢本町にある聖園ベビーホーム子供の家、子供は激減しているというのにこの施設はいつも満員です。経済的に豊かでも“自己チュー”で育てられ、物理的に親となり、精神的に病んでいる子供を育てられなくなっている人達が激増しているそうです。

 そのような人達に手を差し伸べている組織、そこでは多くのシスター方が献身的に働き、その後ろ姿を見て多くの人達が協力しています。またシスター方の大きな支えとなっている老司祭・外国から来て下さった老司祭、教区内だけでもカトリック系施設は130を越え、皆シスター、司祭、修道者が支えています。

 一方、日本ももはや宣教の地ではなく、宣教者を送り出さなければいけない国なのです。この様な状況にもかかわらず、若いシスター・司祭は少なく、また召命の恵みもほとんど得られません。相変わらず刈り取り専門の国です。10年後、20年後は For-Sale の施設が続出、ゾットします。

 皆さん、自分の子供も含めて見近な人達からの召命を願っていますか?
7月12日はこの様なことを皆で分かち合う集会です。多数のご参加を期待しております。



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バザー委員会発足
実行委員長 藤沢1区 岡田芳明・友季子

 今年は藤沢ブロックがバザー委員会担当ということで、夫婦のどちらかがお手伝いしますと、軽い気持ちで第1回委員会に参加しました。ところが委員長を決める段になって、仕事や家庭のご事情で固辞される方が続き、経験豊かな阿部さんの「未経験の人がやることに教会行事の意義がある、夫婦二人でやれば負担も軽いでしょう。」という突然の提案に皆さんの拍手が集まり、二人で委員長をお引受けすることになりました。

 第2回委員会(5/31)では、昨年の委員会(鵠沼)から引継を受けた後、テーマをh福音宣教i小さくされた人々との連帯j教会建物の維持更新kブロックの交わりl外国人コミュニティとの協働、を原案として検討することとしました。この内、外国人コミュニティとの協働については必要性を感じる委員が多く、各コミュニティからヒアリングすることとしました。

 そこで先日(6/13)、外国人コミュニティと関わっておられる山口さん、ベトナムのボーさん、ラティノスのリディアさんから話を伺い、教会への奉仕の熱意に心打たれた一方、私達日本人信徒が外国人信徒の習慣や思いを十分に理解していないことにも気づかされました。

 鵠沼からの引継ぎの席で、収益を上げることも大切だが、信徒全体が気持ち良く協働してこそ信仰共同体としての意義があるとの指摘があったことや先日の教会委員会でバーガー神父が「教会の様々な活動の中心にいつも祈りの雰囲気があるようにしたい。」と話されたことも、つながることだと思います。 我々は数年前他教区から転入してきて、当教会のバザーの整然とした組織力に驚かされました。その組織力の中心に聖霊が働かれることを常に願って、今回のバザー委員会の歩みを多くの方と共にできればと考えています。

どうぞよろしくお願いします。



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ロザリオの祈りとテーゼのコンサートに参加して
鵠沼1区 本田 明代

 教会での素晴らしいハーモニーに魅せられて、コールセシリアに入会させて頂いたのは昨年の暮れでした。月2回の練習日は本当に楽しみで、声を出すことの喜びをしみじみと感じております。

 そんな折り、ケルソ神父様から「米軍基地内の家族の方と一緒に、6月6日キャンプ内の厚木教会で行われる合同コンサートに参加しませんか」というお話があり、私達コールセシリアから10人の有志が参加することになりました。

 基地内は大変出入りが厳しく、滅多に入れないと言うことで皆も多少緊張しながら、それでも遠足のような浮き浮きした気分でゲートの中に入りました。

 基地の教会は片瀬教会のような日本式建築で、落ち着いた趣きのある教会でした。3時からのリハーサル後、軽食のおもてなしを受け、5時からのミサに参加いたしました。すべて英語で、少々戸惑いを覚えましたが、手をつなぎ合って、そして握手し合って、皆ひとつになった安堵感で思わず顔がほころびました。

 そのあとの全員参加コーラスでは、厚木教会の工藤さんの指揮のもと、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・バス・ピアノ・オルガンの奏でる中、迫力ある混声大合唱となりました。その間ロザリオの祈りが入り、又マリア様のスライドがスクリーンに映し出され神々しい雰囲気に包まれ思わず、持っていたロザリオを握りしめました。

 単純な覚え易いメロディーの繰り返しの上に、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語のソロが乗せられ、初めて聞くこのテーゼの音楽の素晴らしさに、唯々感動の連続でした。特にドイツ語のソロは、藤沢教会の野沢先生であったことは、私達参加した者にとって誇らしい限りでした。最後にフィリピンの男性の方がシューベルトのアヴェマリアを独唱なさり拍手喝采を浴びました。

 ラウダテドミノ・ベニサンクテスピリティス・マグニフィカト・ ヘイル・メアリーなど、今でも心に沁み通り、自然に口ずさんでしまいます。藤沢教会でもこの曲を皆様とご一緒に歌うことが出来たら、なんて素晴らしいことでしょう。

 このようなチャンスを与えてくださった神様、そしてケルソ神父様、ディアーズ神父様に心から感謝いたします。

なお、参加教会は、厚木、大和、座間、藤沢教会でした。
どうぞ皆様もコールセシリアにおいで頂き、ともに祈り歌い喜びを分かち合えれば幸いと存じます。

  練習日 第2・第3月曜日
  時 間 9時30分〜11時30分



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海ほたる・木更津教会
藤沢1区 渡辺 義夫

 6月11日、婦人同志会の遠足に参加させて頂いてアクアライン、海ほたる、木更津教会に参りました。当日は前日来の雨も上り、曇天ながらまずまずのお天気でした。

 総勢205名(横浜教区全体で)教会前からは湘南地区の約60名がバス1台に乗り8時に出発、テーハン神父様のお祈りに始まり、横浜新道からベイブリッジ、アクアラインに入るとしばらくしてトンネル、海面下57米の車道の下に更に非常用の道路があるとか、まもなく海ほたるです。

 海ほたるからの東京湾は波も静かで、あいにく技術資料館が1ヵ月間の改修工事で休館だったのにはがっかり、せめて甲板にそそり立つトンネルを掘ったときのマシーンの先端部分、巨大なカッターフェイスのモニュメント(直径14・14米)を見て、日本の技術のレベルの高さを改めて認識しました。

 海ほたるで休憩後、橋を通ってすぐ木更津市です。教会は街のはずれの港近くにあり、芝生に白いテーブルとパラソルの庭に小じんまりした聖堂があります。主任司祭の小林神父様、横浜戸部教会のモンデール神父様、そしてテーハン神父様の三人の神父様のミサに預り、小林神父様のお説教は歯切れのよい洒脱なお話で今年は銀祝のお祝いがあったとのこと。昔図書館で受験勉強していた時、偶然出会ったある神父様の著書で歩く宣教者カジャック神父様の生き方に心打たれそれがずっと心に残って神学校に入り、司祭になって今日に至ったことを話されました。

 帰りに小林神父様の著書、「セーヌ河のだるま舟」(主として麻布教会時代のお説教に加筆したもの)を購入し唯一のお土産としました。

 木更津の信者さんの経営する旅館で昼食の後、富津岬へ行き、帰りはアクアライン経由、まっすぐ藤沢へ帰りました。藤沢からの参加者は今回は22名、お世話になった方々に心から感謝申し上げます。



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第2回「共に歩む集い」開催!
藤沢1区 唐木 邦子

 6月13日(土曜)横浜カトリックセンターで「障害を持つ人と持たない人が共に歩みながら教会共同体を建設して行こう」ということを目指す第2回「共に歩む集い」が開催されました。朝から雨の降るあいにくのお天気でしたが、横浜教区の神奈川、静岡、長野から126名という多数の参加者があり、藤沢教会からも10名の方が熱心に参加してくださいました。この集いの内容を、第1回から実行委員を努めた主催者の立場から簡単にご報告いたしたいと思います。

 横浜教区長濱尾司教様の「アジア・シノドスの結果をふまえ、全ての人がともに歩む共同体をめざしましょう」という開会の挨拶に引き続き東京カリタスの家の三好満神父様の基調講演が始まりました。神父様ご自身の「司祭の召命へのジャンプのきっかけは、『自分の弱さ』の意義を気づかせてくれるある人の一言であった」という原体験をもとに、キリスト者の信仰にとっての「弱さを大切にすること」の意義を「体のうちで他よりも弱いと見える部分がむしろずっと重要なのです」(1コリント12章22)などの聖書の言葉を引用されたり、さまざまな事例を紹介なさりながら「全てのキリスト者の信仰と障害」というテーマで約1時間お話になりました。

 中途失聴の聴覚障害をお持ちの方、視覚障害と知的発達障害を併せ持つ高校3年生のお嬢さんのお父様、精神障害をお持ちの方のご家族、車椅子の肢体不自由の方がパネリストとして発言をなさいました。

 それぞれ、「聴覚障害はぱっと見ただけでは理解されにくい障害なので、例えば新しい教会が建堂されるときでも聴覚障害への配慮はなされていないなど、教会内部での取り組みが遅れている障害なので、教会全般のご理解をお願いするとともに、聴覚障害者自身も自分たちのニーズを皆さんに理解されるようにお伝えしていく必要性を感じる」、「重い障害の娘の存在価値について悩んだこともあったが、それは自分自身の『何かができることに価値がある』という効率主義の価値観に基づいた考えであるということに気づき、父親として180度の心の転換を経験した。今はありのままの姿の娘を教会にただ差し出し、教会に受け取っていただきたいと望んでいる」、「精神障害の弟がいて、自分は結婚して弟と離れて暮らしているが地域の精神障害者の作業所でボランティアとして働くという体験をとおして、自分の信仰と弟の精神障害がしっかりつながったように感じる。

 現在は作業所のゆったりした効率優先でない時間の流れのなかに何かとても静かな喜びを感じているが、逆に教会のなかのほうが、『何でもきちんとやらなければならない』という雰囲気が感じられ何か無言のプレッシャーのようなものを感じる時もある」、「自分は外出する時もボランティアの方の手を借りなければならないことが多いが行政などの公的機関は宗教関係の所への外出は援助してくれないので、是非教会の中でボランティア・ネットワークがあればいいと思う。教会の講演会や勉強会に参加して自分自身の信仰も育てていきたいので、ひとつの教会で無理なら例えば横浜教区としてや、地区別などの少し大きな枠でのネットワークを作っていただくようにお願いしたい」とご自分のお立場からの貴重なご提言をいただきました。

 集いに先立ち「単なる打ち上げ花火的行事にならないように」ということで前回の反省会も含めて5回の実行委員会を開いて丁寧に準備を進め、基調講演をなさった三好神父様にもさまざまな現場の声や、障害者や家族などの当事者が教会全体の信仰の実りを豊かにするためにやっていきたいこと、またそのために教区、小教区及び聖職者の司牧的配慮についてお願いしたいことをレポートにまとめて提出いたしました。

 横浜教区福祉委員会の古川神父様が閉会のあいさつで「福祉委員会としてたくさんの課題をいただきました」とおっしゃっていましたが、実行委員としても今後は単なるイベントにとどまらず、教区全体にこの集いに寄せられた多くの声や思いを反映させる役割も果たしていきたいと感じました。最後になりましたが、手話通訳・要約筆記・会場運営・移動介助などの多数のボランティアの方達のご協力に深く感謝したいと思っております。



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障害「共に歩む集い」に参加して
辻堂3区 安達 陽子

 私の娘が重度知的障害を持ち、25年伴に生活して来た立場から、初めて参加させて頂きました。

 親はどうしても自分の子供しか見られない狭い中で悪戦苦闘してしまいがちなのです。三好神父様の講演の中で、特別な資格がなくとも、心と心が通じ合えば、人間として障害の有無に関係なく、交流する事が出来る。

 愛のおしえを実行して欲しいとの言葉に、母でなく一人の人として、娘を見ていきたいと思い、信仰の道に入ったのに、まだまだそのかけらもなかった自分に深く反省させられました。

 午前中の限られた時間にとても大きな問題を処理してしまうのは大変残念で、車椅子の方、目、耳、の不自由な方、その他集まられた方々の熱心な顔々、顔、そのエネルギーは、いつも援助を願う立場からは素晴らしいものに見えました。

 この様な集いが何回も繰り返し催されます様に。そこからきっと具体的な計画が提案され、教会の中だけでも障害者も、障害のない方も、皆平等の社会を造って下さい。カトリック教育の中に障害児を受け入れない矛盾の社会の為にも。

 この集いの最後は、皆が手をつなぎ、大きな輪になり、歌、ダンス?楽しんだら、もっと見近かに、心と心がかよい合えたのではないでしょうか。



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エルダーズの会だより

 〔エルダーズの会の顔が見えない〕という声があると聞き、当然のことだと思っています。と申しますのは、私たちにも実はどんな顔になって行くのか、それが何時頃はっきりするのか全く判って居ないからです。会の発足に当たって私たちは「ご一緒に日向ボッコの気分で参加しませんか」という表現で呼び掛けましたが、当時から会のイメージとして漠然と考えていましたのは〔大きな白い紙を用意してそれに皆で絵を描こう。道具は水彩でも油彩でもクレヨンでも岩絵具でも色鉛筆でも良い。自由な発想で好きなように描いて貰えば良い。絵が苦手な人は評論家でも構わない。デッサンも無ければルールも無い。ただ「画題」出来ることなら『キリストのいる風景』とでも言えるようなものにして置きたい。〕ということでした。この構想は今も変わっていません。誰もキリストを見たことが無いですから下書きなど出来る筈もないし、絵そのものが果たして完成するのかどうかも判りません。でも私たちはそれで良いのだと思って居ます。

 『4月からバチカンで開かれたアジア特別代表司教会議で21世紀に向けた信仰の在り方について“多くの宗教が混在するアジアでは他宗教への理解と対話がとりわけ大切”という異例のメッセージが採択された』と聞きました。それに関連してですが、単一民族が育んだ日本固有の文化が多民族国家の人達に理解され難いのと同じ意味合いで、国民の殆どがキリスト教徒である人達に多宗教の中に生きる日本のカトリック信者の抱える悩みが判らないのも無理は無いということを感じますと共に、エルダーズの会での会話の中にもそれに繋がる問題、〔夫が無信仰〕〔親が仏教〕とかによる教会と家庭、信仰と生活のギャップの悩みなどはその典型でしょうが、いろいろあったのだということに気付かされました。

 或る日の集まりでは〔何の為に信仰を持つようになったの?〕願い事を叶えて欲しいから?いや天国への入場券を確保して置きたいだけ!とか〔カトリックを選んだのは何故?〕色々な宗教を勉強した上で選んだ?たまたま飛び込んだのがカトリックだっただけ!と言うような話になりました。普段余り考えたことの無いテーマの序でに話は臨死体験や死後の世界の有無、果てはルルドの水の効果を信じる?にまで及び、結局“何も分かっていない”ことだけ判ってお開きになったのですが、最近の遺伝子レベルでの科学の凄まじい発展が、動植物と同じ感覚で『人の生命』を操作しても差し支えないのだと主張する学者さえ現れて来ているというのに、それに対応する精神の科学ー哲学、倫理、宗教などが軽視されていることへの不安、不満、その一端を担っている筈の私たち信者に何かできることは無いだろうかという思いを残して散会しました。

 5月25日の昼食の〔うどん〕がとても好評だったようで、ガーデン・パーティーにうどん屋を出したらと勧めて下さった方まであったとか、味が良かったのは調理を担当して下さった方々の腕が飛び切り上等だったせいでエルダーズはただ丼を運んだだけなのですが、それにしても〔うどん〕赤字にならないで済む唯一の献立なのでこの評価にスタッフは大喜びで「これからは何時も〔うどん〕にしようか」と言う提案が出る始末、それはどうなるか分かりませんが、次回も大勢の方が賞味して下さることを願っています。

 「10月3日は明けて置いて下さい」と前にご案内しました〔フルートによるチャペル・コンサート〕の詳細が固まってきました。もともとはスタッフの1人が吉川さんの演奏を聴いてすっかり惚れ込んで、どうしても教会の皆さんに聞いて頂く機会を作りたいと言い出したのが切っ掛けでスタートしたものですが、それから半年、細腕の素人集団がイベントを纏めることの難しさを痛感しながら、それでもどうやら決定まで漕ぎ着けました。エルダーズの会の1歳の誕生日記念行事ということにもなりますことから曲目の選定、伴奏にハープを使うことなど考えられる限り欲張った素敵な演奏にすることを心掛けました。きっと満足頂けると確信していますのでご家族、ご友人などをお誘い合わせお出掛け下さい。 7月頃から切符を売らせて頂く予定です。

連絡先 岡村 0466(82)4243 宮井 0467(47)5634 松尾 0466(82)1214



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キジト神父様からのお便り

 この3日間、私は前便でお伝えした3つの難民キャンプ(ルワンダのフツ族のため、コンゴのコンゴ人のため、スーダンからの人々のため)を司牧のため、また救援物資の補給のために回ってきました。

 今私はこの人々が、自ら選択の余地もなく、この恐ろしい状況に置かれていることを思い、なにか打ちのめされた気分になっています。

 自分のベットに座って、これから何をしようかと思いましたら、すぐに藤沢のいとこたちのことが浮かびました。そこで蝋燭を灯し、この短いが友愛の心をこめたお便りをしたためています。

 アルバート湖畔から平和と愛をこめたご挨拶、そして皆様の上に沢山のご恩寵をお祈りいたします。私自身は教区の果てのこのへんぴな土地で至極健康で幸せにしております。

 前便でお知らせした豪雨は過ぎましたのでホイマの郵便局まで行けるようになりました。もっとも、此処から75マイル離れているので1日2日の行程になります。途中7マイルの密林をぬけるのですが、道はいつも湿っていて滑りやすいので楽ではありません。たまたま四輪車があればラッキーなのですが。

 コレラは今年1月から多くの犠牲者を出していてまだ終わらず、ほかの病気も殖えているそのうえに隣国で残忍な戦いがつづいているのです。このような状況のなかで、さきにみなさまが造ってくださった35万円が奇跡の役割を果たしているのです。本当にありがとうございます。

みなさまきっと素晴らしいイースターをお迎えになられたでしょうね。

  感謝をこめて    キジト神父



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「ご一緒に歌を」
鵠沼2区 石川 千恵

 教会では、ほとんど毎週の土曜、また時々日曜日に結婚式が行われます。信徒の方、または信徒以外の方々、皆将来に希望をもって、結婚式係の方々が立派に、そして荘重に準備された聖堂で結婚式が挙行されます。

 私共女性コーラスグループ(コール・セシリア)は結婚式に奉仕するために生まれたコーラスグループと聞いておりますが、私共は結婚式の度に出席させて頂き、聖歌を奉唱し、新郎新婦が末永くお幸せになられますようにお祈り致しております。

 私自身、何もお役に立つことはできませんが、結婚式に聖歌を奉唱できること、この上なく幸せに思っております。

そこで一つお願いを申し上げます。

 結婚式の時間に教会に来られた方、何方でも(男女の別なく)私共と一緒に歌って、私共を励まし、また、コーラスをもっと豊かにして頂けたらと願っております。どうぞ私共を励まして下さいませ。



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7月の主な行事予定

3(金)初金ミサ・例会
6(月)13(月)27(月)エルダーズの会 ( 27日 食事会)
12(日)子供と家族のミサ 一粒会第5地区集会
18(土)ケア・セミナー
19(日)〜21(月)小学生キャンプ
25(土)福祉部例会 午前10時〜
26(日)国際部ダンスフェスティバル
26(日)〜28(月)中高生キャンプ

        

 ▼八角形にゅーす8月号の原稿締切りは7月20日です。



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遠藤文学を読む

講師 横浜女子短大教授
兼子 盾夫氏

毎月(第3木曜日)13:30〜15:30

初めての方も、どうぞご参加下さい。

会費1回1000円

お問い合わせは、湘南台センターまで
0466-43-2265

〜遠藤文学に与えた外国文学の影響〜

 6月J・グリーン 『モイラ』
 7月G・グリーン 『情事の終わり』
           『事件の核心』
 8月  休み
 9月G・ベルナノス『田舎司祭の日記』
     〃   『悪魔の陽の下で』
 10月ドフトエスキー『罪と罰』
 11月   〃   『悪霊』
 12月遠藤作品を読む『沈黙』
 1月   〃   『侍』
 2月   〃   『おばかさん』
 3月   〃   『イエスの生涯』
          『死海のほとり』

ガーデンパーティへのお誘い

8月1日(土)4時30分ミサより恒例のガーデンパーティーを行います。信徒間のコミュニケーションを計り国際的な交流の場にもなりますように御家族の皆様、御近所の方、知り合いの方ぜひお誘い合わせの上御参加下さい。

☆心のこもった手作り料理
(日本、ベトナム、ラティーノス他)

☆魅力あふれるアトラクション

真夏の夜の1時をお楽しみ下さい!!

尚当日、飲物・食べ物 すべて現金販売です。

ご案内

在日ベトナム・カトリック信徒共同体
ラ・ヴァンの聖母の集い実行委員会

 ベトナムのカトリック教会は日本と同様に、長い迫害の歴史を経験してきました。現在も試練は続いていますが、聖母マリアが共に歩んでくださったことは紛れもない事実です。 グェン王朝の最も厳しい迫害が行われた18世紀末に、聖母はたびたび出現され、信徒たちを慰め、力づけてくださいました。ラ・ヴァンにおける聖母に御出現の出来事は今年で200年目を迎えます。ベトナムのカトリック教会では、1998年8月13日から15日にかけて、フェー教区に属する当地ラ・ヴァンにおいて、聖母の御出現を記念する200年祭が開催されます。

 そこで、私たち在日ベトナム・カトリック信徒一同も祖国の教会と心を一つにして聖母に感謝し、三位一体の神の栄光を賛美する時と場を計画したいと思います。日本全国に散らばっているベトナム・カトリック信徒たちが集い、聖母をたたえながら、共に福音の精神を学び、信仰生活を深め、教皇ヨハネ・パウロ~世の呼びかけに応えて、大聖年に向けての準備の場になればと思います。

 ご多忙の毎日を過ごされていると存じますが、是非ご都合していただき、聖母の集いにご参加くださるようお願い申し上げます。私たちが信仰生活を支え合い、復活されたキリストの証人となるよう、共に歩みたいと願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

聖母の集いの日時と場所は下記のとおりです。

日時 1998年8月13日〜15日
場所 聖心会黙想の家



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