八 角 形 に ゅ ー す

1998年10月4日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

新たな時代へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 トーマス・テハン

教会委員会報告

湘南台センター5周年記念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 福井敏之

一粒会大会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 石岡信吾

介護保険の研修会に出席して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 浜口信遠

敬老会の祝いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 渡辺ための

「なぜ?教区典礼委員会なのか」その5・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北1 岡村 正

日曜学校だより

2000年大聖年のシンボルマーク

地球を守るために(環境一口メモ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・環境委員会

10月の主な行事

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新たな時代へ
主任司祭 トーマス・テハン

新しい千年紀(ミレニアム)、そして21世紀を迎える大聖年の始まりまで、もう数ヵ月しか残されていません。その数ヵ月を大切に過ごすためにどうしたらよいでしょうか。考えてみたいと思います。

過ぎ去っていく20世紀が、戻ってこないことは当たり前だと思っていても、今までのことを新しい時代にも持っていきたい人が少なくないと思います。今までの、すでに知っていることの中で生きることは、新しい時代に新しい生き方を選択することよりも安心が出来るので、21世紀人としての準備をあまりしたくない気持ちになりがちです。

今まで通りに毎日を過ごすことは一番楽な生活でしょうが、マタイ福音書の次の言葉を思い出してください。

「まず、神の国とそのみ旨を行う生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなた方に与えられるであろう。だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である」

この御言葉からヒントが与えられていると思います。

今までの出来事や思い出、経験などすべて整理し、心を無にすれば、新しい時代を喜んで迎えることが出来るでしょう。すなわち、今までの20世紀にさようならを言い、新しい時代への橋を渡る事です。例えば東京に行くとき、川崎を出て橋を渡って東京に入ります。毎日橋を渡っている人にとって簡単なことでしょうが、しかし生涯に一度だけ橋を渡る人にとっては大変なことでしょう。20世紀から21世紀に渡る橋は一回だけです。20世紀に出会った人々へのお礼の言葉、大自然からいただいた恵みへの感謝、今世紀を終わらせるための仕事など、ゆとりのある計画を立てて、順々に行っていってはいかがでしょうか。

いつもより早めに今世紀への送別会を持ち、その後心を整理し、ゆるしの秘跡を受ければ、静かな心になり、21世紀への夢と希望が心の底から浮かんでくるでしょう。その夢を分かち合いながら、ともに新しい時代を迎えましょう。神の国とそのみ旨を行う生活を求めながら。



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教会委員会報告

1.静思のひととき

イザヤの予言第55章6〜9について黙想と分かち合いをおこなった。

2.報告事項

3.バザー委員会からの報告

売場責任者も決定し、さらに賛助券の配布も済んで、着々と準備が進められている旨の報告がなされた。

4.工事報告

センター及び司祭館の塗装工事は、25日までに完了する予定とのこと。台所の改装は完了している。全員で台所を見学する。女性委員から「よくなったわね、今後の管理が大切だわ」との言葉だった。因みに費用は台所3百50万円、塗装(その他を含む)約6百万円程度とのこと。

5.「大聖年、21世紀へ向けての集い」と準備コミッティー設置について

今年のクリスマスから開始される「大聖年」に向けて、私たち信徒が「夢と希望を語り合える」場を準備しようとするものです。子供も若い人も老人も、すべての人々と「ともに」司牧について語り合い、祈る場をバザーの終了した日曜日(未定です)に予定している。またその準備委員を、主任司祭と委員長・事務局長で検討することになった。

6.その他



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湘南台センター5周年記念
鵠沼1区 福井敏之

さる9月11日(土)午後5時から湘南台センターにおいて同センター開設5周年記念を祝う会があり、百名を超える大勢の方々が集って感謝のうちに喜びを共にしました。

はじめにこの5年間共に歩んでくださった神様、センターを支える人々に知恵と力を与えてくださった神様に対する感謝のミサがバーガー神父様の司式で捧げられました。ミサの中でバーガー神父様は東ティモール問題に再三ふれられ、そこで苦しみ悲しんでいる人々のために祈り、手をさしのべることなしにセンターの働きもあり得ないという話をされました。

センターでの月二回の土曜日のミサは開設後しばらくして始められ今日も続いていますが、藤沢教会でのミサとちがって少人数(50名前後)で家庭的な雰囲気のうちに行われて今ではすっかり定着しているようです。宣教の拠点としてのセンターでの欠かせない行事の一つとして末永く続けられればと思います。

続いて「共に歩む宣教」と題してバーガー神父様の記念講演と聖コロンバン会の活動を紹介するビデオの上映がありました。

話の中で神父様は、このセンターが新しい宣教拠点のテストケースとして当時の横浜教区長濱尾司教様も自らセンターを訪ねられたこともあるなど大変注目されていたこと、そして今ではミサのほかキリスト教入門講座、聖書研究会、ビデオ会あるいは各種趣味の会、さらには足の踏み場もないほどに子供たちが集まるクリスマス会等々センターが完璧なまでにその役割をはたしていることが披露されました。そしてこれまでセンターのために働き努力してこられた方々に感謝を述べられました。とりわけスタッフとして活躍されてこられた当初の志沢さんと落さん、そして志沢さんにかわる増田さん3名の人柄が生む独特の雰囲気がその働きとともに成功の大きな要因であると称賛されました。

次のビデオでは、80年前に誕生した聖コロンバン会が今日いかに多くの国々ですばらしい宣教活動をしているか、そしてそこで働く神父様方の姿を通して司祭職がいかに崇高なものであるかを改めて教えてくれる大変感動させられるものでした。ジャマイカ、パキスタン、韓国、ペルー、チリ、フィリピン、上海で貧しさや飢えの中で、時には身の危険にさらされながら働いておられる神父様方が登場しています。この中で強調されていたことはこれらの働きが多くの人々の支えと協力によるものであること、そしてその働きを通して神父様方自身が多くを学んでいるということでした。日本についてはバーガー神父様が話されております。日本は多くの収穫の時期がまだ来ておらず実りは少ないということでたくさんの神父様が派遣されているという説明でした。海外での宣教の実態を知るには大変良いビデオですので、多くの方々が見る機会があればと思います。

ところで4年前、バーガー神父様が担当されて「聖コロンバン会協力者会」の会員募集が行われました。

これは祈りと犠牲と献金によって聖コロンバン会を支える会員になることを呼びかけたものです。当時、聖コロンバン会の日本での宣教活動のために日本より経済的に恵まれない国の人々の献金から毎年約1億円の支援を受けておりました。日本での協力者会会員は約千名とのことですが、海外からの支援はなお続いていると思われます。すでに会員になられている方々には継続してご援助を、また未だ会員でない方々には是非会員になられることを、僭越とは思いますがお勧めしお願いいたします。

最後に牧野教会委員長が湘南台センター開設に到った歴史を話されたあと、森里さんの音頭で乾杯しお祝いのパーティーが始まりました。北部の方々の心のこもった手料理の数々に舌つづみを打ちながら歓談し、当日はじめてセンターを訪れた方々や来年1月まで藤沢教会で働かれる梅崎神学生の紹介があり、和やかなうちに8時に終了しました。

思えば5年前、教会のセンター建設資金と同時に懸案である北部の宣教拠点建設のために3千万円の寄付を集めながら10年間手がついていないことに対して意見、議論がありました。その結果として生まれたのが現在の湘南台センターでした。宣教拠点としてどういう形が良いのか思案し迷いましたが、最後に決心がついたのは「とにかく始めてみればいい。もしうまくいかなければまた新しいことを考えたらどうですか」というテハン神父様の言葉によってでした。 センター開設後も決して当初から順調なわけではありませんでした。 いかに福音のメッセージを広く伝えるか、どうしたら多くの人々にセンターを利用してもらえるのか悩ましい時期が長く続きました。 その間スタッフからはセンターが北部の人たちだけのものではなく藤沢教会全体のものという認識を広く持ってほしいという声も聞かれました。この状況は今もあまり変っているとは思えません。

この度のバーガー神父様の転勤に伴う新しい司祭の補充は当分ないと聞いております。絶対的な司祭不足のなかでいつまでもこれまで通りの数の神父様方が常駐するという状態は早晩難しくなることは必至です。

そうした状況で小教区として福音宣教の務めをいかに果たしたらよいのか、湘南台センターの今後の方向も含めて真剣に議論する時期が来ているのではないでしょうか。



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一粒会大会に参加して
湘南台 石岡信吾

当教会一粒会の八木さんのお薦めにより、一粒会大会に中高生7名、小学生1名と共に参加した。今年の第32回大会は、「青少年の集い」のプランが企画され雪ノ下教会よりレデンプトリスチン修道院までのオリエンテーリングが、磯子教会の青少年との合同で実施され楽しい一時であったと思う。特に他教会との交流は青少年にとって、実の多い有意義なことだと思う。まだオリエンテーリングの中でチラシ1枚が配布され、その中の文字を切り抜きして梅村司教へのメッセージ作りも行われ、午後のミサ中に贈呈された。

一粒会と言えば毎月の司祭の召し出しを求める祈り程度で青少年には馴染みが余りないが、このようなかたちで地域や年齢の枠を超えた親睦をはかり一粒会の活動を体験出来たことは、教会に対する関心を深めて行く上でも大切なことであると思う。一粒会指導司祭の細井神父も言っておられたように、一粒会の主体は小教区にあり、その中で将来を担う青少年が一粒会の目的・活動を理解し、司祭の召し出しの当事者となり得ることを認識してもらうことは私達キリスト者にとって心待ちされることでもある。理屈はともかく参加してくれた中高生の感想は、唯一言「楽しかった!」であった。私もこの一言で十分である。

神に感謝!!

追記今年の一粒会大会は第32回大会で、9月15日(水)に鎌倉雪ノ下教会にて梅村新司教他、多数の司祭、7百人以上の信徒の出席のもと開催されました。



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介護保険の研修会に出席して
長後地区 浜口信遠

介護保険が平成12年4月から全国各市町村長が保険主となって実施されます。

今年の10月から要介護認定の申請を市町村の福祉の窓口で受付け、訪問調査(市町村の職員・ケアマネジャーによって)がはじまります。この調査は85項目にわたって日常生活の諸行動について調査されます。

これをコンピューターに投入し、これにより第一次審査を受けることになります。引続いて申請者の主治医の意見書を添えて第二審査(介護認定審査会)が開催され、要介護認定されます。この結果によって介護サービス(介護プランが作成される)の内容が決まります。この介護プランは申請者(家族を含む)の承認が必要となります。

こんな時に研修会を開催して頂き、主催者の教会福祉部に感謝したいと思います。また講師の方々も藤沢市の介護保険担当課の主査と担当者であったのもよい選択であったと思います。研修会出席者は、出席名簿によれば42名となっていますが、名簿に記入されていない方もいたのではないかと思います。

市役所の介護保険担当課のスタッフが「介護保険を知りましょう」の資料にもとずいてわかりやすく説明がなされました。その中で皆さんが知って頂きたいことを中心に報告させて頂きたいと思います。

その一つは介護保険導入の目的なり、性格ですが、高齢者(65歳以上)の在宅介護サービスが中心の制度であり、施設(特別養護老人ホーム等)サービスを受けられる制度です。そしてどこの施設を利用するかは利用者が選択することができます。(現在は市町村の福祉事務所に決定権があります。変更は許されません)介護が必要になった時に社会全体で支えていく仕組みでもあります。以上のことが介護保険法の目的なり、性格といえます。

その2つは藤沢市では約6000名(高齢者の1二、5%)の方々が、介護支援サービスを受けられるのではないかと予測して、市としての計画を立てていることです。

現在は、在宅介護サービスを約2500名の方が受けています。 特別養護老人ホーム等の施設に約600名の方が入所しています。従って約3000名の方が潜在的にサービスが必要ではないかと推測しています。

在宅介護の現状は長いトンネルに入ったようなもので、先が見えない介護、介助となっており、介護している人も倒れ、共倒れの危険にさらされているといえます。また、これは老人が老人を介護する可能性を秘めていることであり、共倒れの可能性をより高めることになっています。

以上のような状況では今までのような税金だけでの介護サービスでは限界があり、介護する人だけが、精神的にも経済的にも負担がかかりすぎることもあり、社会全体で支えていくという制度が介護保険ということでもあります。

この考え方はよい制度ですが、運営する各市町村によって介護サービスにおいても保険料においても大きな格差がでるものと思われます。「保険料あって介護サービスなし」ということが、ささやかれていますが当藤沢市は説明を受けた限りでは、保険料も介護サービスも適切に運営されると期待できると思われます。

但し先に書きましたように第2次審査委員会が公平に、平等に審査されるかにあると思います。それと神奈川県が認可する民間の「居宅介護支援事業者」が適切に配置されるかにあると思います。

この「事業者」が優良ですべての介護サービスを受持つことが出来るかも大きな要素になると思います。

もう一つの要素は「ニューゴールドプラン」(厚生省の指針)にいう在宅介護サービスをになう「ホームヘルパー2級」の資格者(国家資格ではない)が十分に養成されているか、また施設サービス(特別養護老人ホーム等)を受持つ施設が整備されるかにあります。

その三つは要介護認定は、自立(保険金・でない)要支援(6万円)要介護(1=17万円〜5=35万円)までの七段階に認定され、それぞれの段階において保険金(介護サービス)が決められています。

問題は現在いろいろな介護サービスを受けている人が、自立と判定されますと、介護保険での介護サービスは受けられなくなります。これに対して藤沢市の説明では従来の税金によって実施している介護サービスは実施するといっている。一応安心できる解答であると思います。またボランティア活動にも期待しているところも感じられました。

現在判っている認定基準はあいまいで明確になっていない。(誰れにもが理解できるものになっていない)ことが問題であり、信頼できる公平な判定になるか問題があります。その四つは保険料と利用者負担についてですが、保険料は藤沢市の場合は40才から64才までの方は、2千8百円で検討されています。

65才以上の方は年収によって5段階で決められ、年金等から天引きされます。利用者負担は利用保険金の10%負担と食事代は別途徴収されることになります。

ここでの問題は自営業者の保険料の徴収にあります。現在国民年金の保険料を納入している人は約80%といわれています。約20%の人が国民年金に結果として未加入となっています。介護保険の場合は100%納入されるか問題である。納入しない方が介護サービスを受けた場合(このことも問題あり)は利用者負担の10%負担を30%負担にするといわれているが、これでよいのか問題が残ります。

いずれにしても報告させて頂きましたが、平成12年4月から実施されるにもかかわらず、分らないこと、決まっていないことが多くありすぎますが、実施までには、はっきりさせ、国民のため、市民のためになる制度にして行かなければならないと思います。なお外国人でも国民健康保険に加入している方は介護保健の対象となります。一生懸命書きました、参考にして下されば幸いです。これで報告を終わります。福祉部の皆さんに感謝しつつ。



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敬老会の祝いに参加して
藤沢2区 渡辺ための

8月中旬郵便受に教会よりの9月10日敬老の集いを持ちお祝いしたいとの招待状を手にしました時は、びっくり致しました。3月に70才になった自覚のない私はためらいながらも出席の返事を投函しました。

当日11時より神父様4名司式のごミサ、ミサ中に思いがけない塗油を受けるお恵に感激ひとしおでした。参加者90名とか、ミサ後の記念写真も鵠沼と藤沢地区、辻堂とその他の地区の二組に分かれることになりました。

センターホールでの祝宴は、敬老会にふさわしい心のこもった折詰を頂きながら、女性の中にバーガー神父様お一人のハンドベルの演奏ふるさと、アベマリア等、音色の澄んだ清清しさ余興のトップにふさわしく感じました。川辺さんの独唱、李神父様とシスター我妻のデユエット、テハン神父様と石川さんの、アイルランドの笛を使いこなしての合奏、ハンラティ神父様の手品に関るユーモア溢れる話し、鈴木さんの手品の見事な手捌き、破いた紙を畳み帽子を作り、ハンラティ神父様がいただき大変喜んでいらっしゃいました。西河さんのフラダンス、曲も衣装もしっとりとフラダンスの一面を知ることができました。最後にコーラス部の方々と一緒に懐かしいおぼろ月夜、夏は来ぬ、里の秋等大合唱のうちに終演となりました。久し振りに歌うことができ、来し方が浮かんできました。

楽しませていただいた敬老会も予定通り散会となり、李神父様のお見送りに心境をお察ししながら帰途につきました。

今年、来年、古希となられる方々にご出席をお勧めいたします。

最後になりましたが、準備し、お手伝い下さいました方々、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

花ひらく手品に興ず敬老日



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「なぜ?教区典礼委員会なのか」その5
北1 岡村 正

先に、ミサ聖祭の全体のなかに、夫々の部分がどのように互いに結びつきながら位置付けられて意味を持っているかを見てきました。 そして、今ここに「わたしたちと共にある神」と交わるには回心と赦しが必要であるとわかりました。

私は、目の前に広がる世界の部分に過ぎず、世界を知るにはおよそ足りない欠けている者です。「わたしたちと共にある神」が生きることを与えてくださらなかったら、私は生きて来られなかったでしょう。生きることを神が与えられると感じるのは、それが私の選べなかった必要な事だと生きた後で分かるからです。

当初の思いや考えどおりになったことは一度もなく、あらかじめ知って生きた事もありません。

それなのに、思いや考えで目の前に広がる世界から物事を選んで生きられると、つい思いこむのはどうしてでしょうか。

私は、思いや考えで物事を量り、その物事に引き合わされた神の思いや考えがあるとは思わなかったと心が痛み悔やむことなしに回心はあり得ません。

常に、この欠けている者が生きるようにと望み、生きることを与えてくださる神に対して、私は今ここで何をしたらよいのですかと心を向けると、引き合わされた物事をとおして今までの私に何が欠けており、何が出来ないのかが見えて来ます。それは、私に欠けている足りないところから聖霊が入ったからです。そしてその物事を通して、聖霊は私が今ここでなにをしたらよいかを教えます。

それは、私にとってなんときつい事でしょうか。私は欠けている私、出来ない私を見たくありません。だから今までそれを見ないように避けてきたのです。

しかし、それを今ここで生きるように望まれる神が、私を支えて下さると言うのです。「イエスが〈来なさい〉と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ」マタイ14:29

引き合わされた物事にみことばを聴きとり、それに応えるのは、そういうことではないでしょうか。私にとってそれはまさに、水の上を歩くに等しいのです。

今ここに「わたしたちと共にある神」との交わりは、このように「聖霊の交わり」なのです。いのちの創造の交わりです。ですから、それを望むときわたしたちは、本当に他人も己をもそのあるがまま受け入れるようになるでしょう。

「わたしたちと共にある神」に支えられてわたしたちは、物事をその知っている今までのところで見ないで、今ここではじまっているいのちの創造に関わる事として見るようになります。みことばに応える苦しみを、そのいのちの創造のために引き受けます。「自分の十字架を背負って」とは、そのことです。

わたしたちがもうこの先は無いと思うとからはじまるいのちの創造こそが、神の愛であり、そのいのち即ち、わたしたちにとって唯一永遠のいのちに入ることではないでしょうか。「愛の完成に導いてください」という祈りの「完成」とは、このいのちの永遠のはじまりのことでしょう。 そして、神のいのちを生きはじめることが、神がわたしたちをその死から生への引き出すこと、即ち救いです。

一度水に沈められ引き上げられる洗礼のしるしは、わたしたちに向けられた神の愛がどのようなものかを表しています。

まだ出来ない者、欠けている者に生きるように望む、それが創造であり愛なのです。そしてわたしたちの回心に表れる信仰において赦されるのでしょう。

ミサ聖祭のはじめにある回心への招きは、今ここに「わたしたちと共にある神」との交わりに必要な共同体の回心と神の赦しです。 「罪深いわたしのために神に祈ってください」赦しを願っています。 わたしが、そのまだないところを生きるのを赦してほしいのです。 そして、神は祈りを聞き届けられます。

「あなたがたも互いに足を洗い合わなければ成らない」ヨハネ13:14「わたしたちと共にある神」との交わりの中でわたしたちは、互いに自分の十字架を背負うことで赦し赦されなければ生きることができないのです。そのような交わりの他に祈りはないでしょう。



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日曜学校だより

7月11日ミサ中に5・6年生による寸劇が行われました。マタイ13:1〜23によるもので、題は「むぎのたね」です。今月はその劇を観た感想を紹介します。

3年小川さゆみ
自分がもし、たねだったら、カラスに食べられるのは、いやです。たいようが、おどってて、おもしろかったです。

3年西田めぐみ
おもしろかったです。でも自分が、たねだったら、きれいな花をさかせたいな。

3年日野水はるか
自分がもし、たねだったら、色々な所に、いけて、いいし、おいしくなってみんなに食べてもらいたい。おいしいみを100 ばいつけて食べてもらいたい。からすには食べられたくない。

3年法正まりか
自分だったら、よい土地におちたたねが、いいです。たねがかわいかった。からすがかわいかった。おもしろかった。



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2000年 大聖年のシンボルマーク

宇宙を表わす青い丸い部分の上に十字架が画かれ、その十字架は5羽の鳩で表されている5大陸に集められた人類を支え励ましています。

十字架は、キリストの受肉の神秘を示すため鳩と同じ色で表され、それによってキリストが人間と等しくなられたことを我々に示しています。神はこのように人間の歴史に入られ救済されたのです。

この図の中心から出ている光は、キリストが世の光であることを表します。キリストは昨日も今日も永遠に救い主です。

鳩が画かれた丸い形は、大聖年のお祝いを活発にする団結の精神を明らかに示しています。

生き生きした調和のある色は、大聖年のお祝いになくてはならない喜びと平和を私たちに思い出させます。



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地球を守るために(環境一口メモ)
環境委員会

洗剤なしできれいに洗える不思議なたわし〈アクリルたわし〉を作ってみましょう!

せともの、ガラス、プラスチック、タイルなどぬらしてこするだけできれいになります。太めのアクリル毛糸(アクリル100%)をかぎ針でざくざく編みます。上手下手は関係なくいろいろなデザインで編んでみましょう。

合成洗剤より石鹸を

界面活性剤・・・洗剤、洗浄剤の主成分。合成洗剤、シャンプー、リンス等に使われている合成界面活性剤は、肌あれ等の皮膚障害を起こし、自然に分解されることなく生活排水として流されると水質汚濁の一因となります。これに対し、石鹸は自然の中で分解されるので汚染は少ないと思われます。売店「ガリラヤ」では、「ラルシュかなの家」製の石鹸シャンプー、リンス、食器洗い石鹸等を扱っています。



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10月の主な行事

1(金)初金ミサ・例会

3(日)壮年の集い9時30ミサ後

4(月)18(月)エルダーズ午前10時(今月はお食事会はありません。)

10(日)スカウト入団・上進式

16(土)ケア・セミナー午前10時

24(日)教会バザー

28(木)藤沢教会保護聖人聖シモン・ユダの祝日

31(日)子供のためのハローウィンパーティー

30(土)福祉部例会午前10時



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