八 角 形 に ゅ ー す

1997年6月1日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

堅信の秘跡・・・・・・・・・・主任司祭  ジョン・バーガー

教会委員会報告

ガーデンパーティーについて・・・・・・・・・・教会委員長  高野 修

壮年部の歓迎会に招かれて・・・・・・・・・・藤沢3区  西山裕隆

うれしい初聖体の感想

ケア・セミナーから学んだ多くのことごと、そしてこれから私たちは

ネパールから藤沢教会の皆様へ・・・・・・・・・・信徒宣教者会 米谷和江

ルワンダへ愛をこめてパート2・・・・・・・・・・辻堂2区  元永けいこ

庭係を返上しました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野 勝

新たな信仰によって「神奈川祈りの集い」報告(6)・・・・・寺田正明

天使の涙が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行  下村洋史

1996年度日本カトリック映画賞受賞作品「絵の中のぼくの村」を鑑賞して

6月の主な行事予定

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堅信の秘跡
主任司祭  ジョン・バーガー

 6月22日、藤沢教会に濱尾文郎司教様をお迎えして、堅信式が行われます。堅信の秘跡についてはよく理解されていないように思われますので、ここで簡単に皆様と一緒に考えてみましょう。 堅信の秘跡は洗礼あるいは聖体拝領のようなはっきりしたイメージがありません。

 これらの三つの秘跡(洗礼、堅信、聖体)はいわゆる「入信の秘跡」と呼ばれているものです。これらの秘跡を受けることによって、私達は教会のメンバーとなり、その使命のために責任を与えられ、キリストと一致することになります。 新約聖書には、堅信式が、洗礼式と別に行われたということは書かれてありません。人が聖霊を受ける時、聖霊は洗礼の恵みと一緒に堅信の恵みをも与えると書いてあります。 ローマ帝国の時代から、キリスト教には東方の慣習と、西方の慣習があります。 ご存じのように、日本のカトリック教会は西方式すなわちローマ式典礼に従っています。東方典礼では、洗礼式と聖香油の塗油は実際には分けて行われていませんでした。しかし、西方典礼では長いあいだ堅信式を別の儀式として洗礼式の後に、普通は司教がその司式を執り行いました。 中世紀になると堅信の秘跡を受けることによって「信仰を強める恵み」があたえられるという考えが出てきました。昔の公教要理を勉強した方々は次のような教えを受けたでしょう。「堅信は、強い、完全なキリスト教徒になり、イ エス・キリストの兵士になるために、聖霊を受ける秘跡である。」 第2バチカン公会議(1965年)以来、典礼の仕方が大きく変わり、普通成人が受洗する場合、その同じ式の中で堅信式も行われるようになりました。しかし、幼児洗礼の場合は、信仰教育を受けた後に受堅されます。 キリスト教徒として受洗時に誓った約束を引き続き守り、新たに認め、教会の伝道的性格と聖霊が宿る場としての教会の本質を堅信によって表します。堅信の秘跡を受けることによって、私達は個人としてまた共同体として、「賢明さと理解力のある心、正しい判断と勇気ある心、知恵と敬意のある心、神様の前で畏敬を持ちへり下る心」を明らかにするよう呼ばれています。 濱尾司教様の来藤に当たって、藤沢カトリック教会の共同体がこれらの美徳と賜物を持てる共同体となれますように。私たちの信仰が強められ、全世界の人々に証する事ができますように。神の御国、すなわち愛と平和の国、正義と真理の国の建設に働く力が与えられますように。




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教会委員会報告

 5月17日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。

1.ガーデンパーティについて。

 ガーデンパーティの実施の是非、方法等、4月の信徒総会以降各ブロックで話し合ってきたが、教会委員会としての結論は

 1.宣教・・・友人、家族、近辺の方々に教会に来ていただくチャンスとなる。

 2.親睦

の目的でガーデンパーティを行うことは有意義であるので、実施の方向で計画を進める。料理のメニューは縮小しお手伝いの方の負担が重くなりすぎないようにする。従来のブロック、地区の当番制を止め、壮年部長、婦人部長が中心となり有志に呼びかけ実施する。(次項の教会委員長の挨拶参照)

2.未来を考える会について。

 次回5月25日の未来を考える会では教会のこうありたいという姿のリストをつくり、具体的に話し合っていきたい。

3.修繕予定について。

 エレベーターワイヤーの掛け替え、センター冷房機モーター交換は今年度中に実施の予定。センター周りと同時に司祭館や聖堂周りの塗装をする場合の見積が概算で7百50万円位と出たが、実施した方がよい時期になっているが、今年度中に実施するか否か更に検討をする。

4.中高生会について。

 別表のように4月から中高生会では新たな試みを開始した。中高生にとって教会が魅力的な存在になるようにしたい。

5.バザー委員会について。

 今年度のバザー委員会は鵠沼ブロック担当。実行委員長に鵠沼2区の石黒氏が決まった。

6.バーガー神父様のスペイン巡礼と休暇について。

 6月2日からのスペイン巡礼に引き続きバーガー神父様は9月中旬まで休暇となる。その間、テハン神父様が主任代理となる。その後テハン神父様も休暇となる。年末までケルソ神父様が助任として司牧して下さる事になり、この程着任なさった。

7.韓国の教会との姉妹教会縁組について。 李鍾昇神父様より、韓国の教会との姉妹教会縁組についての提案がなされた。具体的な方法等さらに検討をすすめたい。

8.企画デスク新設について。

 催し、集会がより良いものとなるよう事務局に企画デスクが新設された。

9.その他。

☆テレホンサービス・・・毎週30件位利用されていたが、吹き込んで下さる方が少なくこのところ止めている。協力して下さる方を求めている。
☆駐車場・・・駐車場の利用の仕方がうまくいかない時があり困っている。駐車場の整理をして下さる方を求めている。日曜9時半のミサ中の駐車は原則として出来ないことも徹底したい。






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ガーデンパーティーについて
教会委員長  高野  修

 4月の教会委員会で、今まで恒例となっておりましたガーデンパーティーについて、昨年O−157によって中止となったことを踏まえ、今後どのように位置付けていくのか、各ブロックで話し合いを持っていただき、5月の委員会にその結果をご報告していただくことになっておりました。5月の委員会が開催された折、つぎのような報告が各ブロックから出されました。 ガーデンパーティーは、教会の信徒にとって親睦を計るためにそれなりの役割を果たしてきたのではないか。例えば家族(配偶者)の中に未信者の方が居られた場合に、このような機会に教会を知っていただくとか。新しく信者になられた方々との分かち合いとか、信徒同志の親睦を計る場として、また教会の門をくぐることに抵抗のある人々(友人や知人など)に、気楽に来ていただく場として、ガーデンパーティーの役割は大きいのではないか。しかし、その反面、特定の人々の犠牲も大きかったということは否定できない。とくに各ブロックが担当するようになって、その負担は大きくなったという意見も出された。 教会委員会としては、各ブロックからの意見を総合的に判断して、全体としては廃止すべきではないという結 論に達しました。ただし、今までのような各ブロック持ち回りではなく、また出来るだけ簡素化された形で実施したいと思います。 そのために、壮年部と婦人部の両部長を中心とする準備会を開き、さらに信徒の皆さんにも協力していただき、実行委員会を設置することといたしました。ガーデンパーティーの内容は新たに設置される実行委員会に一任することになりました。どうぞ一人でも多くの方々の協力をお願いいたします。 開かれた教会というスローガンが、お題目に終わることの無いように、今年は三位一体に向けられた準備の第1年「キリスト」の年であります。私たち一人一人がキリストの弟子となって、福音宣教を行いましょう。





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壮年部の歓迎会に招かれて
藤沢3区  西山 裕隆

 4月27日、壮年部のご厚意で、最近当教会へ転入されたり、受洗された方々と一緒に、私も新しい仲間として歓迎会にお招きいただいた。テハン・李両神父様、教会委員長、部長の阿部さんをはじめ、大勢の方々の暖かい拍手、歓迎の言葉、冷たいビール等々、そして何よりの喜びは、ご出席の皆さんと、「普通の人間の言葉で」、歓談のひとときを過ごせたことであった。 心の傷の癒しを求め、当教会を訪れてからの足掛け10年、それは私にとって、ひたすら神の愛に縋り、キリストに従う者になりたい気持と、一方で入信を逡巡させる何かとの、葛藤の日々でもあった。日曜日毎のミサで、聖書を通して諭されるキリストのみ言葉に心打たれ、信仰の深まりを喜ぶ自分が、翌日から、会社のため(=自分のため)に、日夜、背聖書的行動を平然とやってのけ、夜毎、罪の赦しを請う祈りを繰り返す自分のおぞましさ。そして何よりも、キリストが、ご自分の命に代えて示された「万人への愛」、それすらも、企業の論理のもとで否定を迫られる日々を送る私は、「キリストとキリスト者は違います」、「罪深い、弱い人間だからこそキリストに従うのです」、との知人のご助言をいただき乍ら、キリ ストの近付けば近付く程、重苦しい気持に追い込まれた。 更に、非礼を顧みず申し上げるならば、ミサでお会いする方々の、余りにも立派な献身さに圧倒されるにつけ、また、教会報や八角形にゅーす等を読ませていただく度に、教会は、所謂「私ごとき会社人間」が、到底足を踏み込めない聖域そのものに映ることも、間々あった。自分が勝手に抱いたこうした疎外感が、往時私の、信仰に対する弱さ、迷いを増幅させたことも否めない。 「来週から教会へ行くのは止そう」、「一人で祈ろう」、と何度思ったことか。

 それでも、ミサの与り、神父様からの祝福をいただいた後の、何とも言えぬ清々しさが、眠い目をこすり乍らも、私を教会へと足を運ばせて呉れた。 こんな独り善がりの私でさえ、神は見捨てられることなく黙って見守っていて下さった。時には、知人の方々のアドバイスを通して私を励まして下さり、何よりも「足掛け10年の迷い」と言う試練をお与えの上で、昨年のクリスマス・イブに家内ともども、受洗へとお導きいただいた。 「本当に長い間かかって、やっとここまで来た」。ビールの心地よい酔いが、私に、これまでの長かった道程を柄にもなく、感傷的に振り返らせた。 楽し気に談笑しておられる周囲の皆様方もまた、私同様、いやそれ以上の苦しみ、迷いを乗り越えて来られたことを感じさせられるとともに、当日のミサで、李神父様が言及された「ユダ・コンプレックス」と信仰の狭間で、未だ心揺れる日々を送る会社人間の私にとって「今日は、ゴールでなくてスタートだ」と教えられた救いのひとときであった。




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うれしい初聖体の感想

☆はつせいたいは、どきどきしました。はつせいたいのパーティーはたのしかったです。りょうりはとてもおいしかっです。すてきなはつせいたいでした。

            (こが りかこ)

☆ドキドキしたけどうれしかった、はつせいたい。おんからだをもらってうれしかったことをたのしみだった。いえでもれんしゅうをしたり、ねるまえには、はつせいたいのじゅんび(おいのり)をとなえたりしました。とてもうれしかったことをにっきにしました。ごせいたいもおかしみたい。おかあさんに、はつせいたいのおいわいをしてもらいました。
          (はちくぼ さおり)

☆朝は、ワクワク。はじまったらドキドキ。でも、イエス様の体をもらってうれしかったよ。楽しみにまっていたはつせい体。夕がたになったら、あーつかれた。
          (うめざわ きよみ)

☆わたしはごせいたいをいただいて、すこし自分がかわったようなきがしました。ごせいたいをいただいて、とてもうれしかったです。でも、ごせいたいのあじは、おもっていたのより、ちょっとおいしくなかったです。
          (みずたに まりこ)

☆神様のことをおべんきょうできたから、うれしかったです。ちょっときんちょうしたけれど、はつせいたいがうけられて、うれしいです。ごせいたいをたべる時、アーメンをわすれて、きんちょうした。はつせいたいをうけられて、ぼくは、イエズス様のお体を食べられたのが、とってもしあわせな気もちだった。
          (ひこさか よしひろ)

※4月20日に30人の子供達が初聖体のお恵みをうけました。皆様のあたたかい、お祈りを感謝致します
     (日曜学校スタッフ一同)







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ケア・セミナーから学んだ多くのことごと、そしてこれから私たちは
ビスケットの会

「ビスケットの会」が'96 年3月に発足したものの何をどうしたら良いか考える間もなく、テハン神父様ご指導のケア・セミナーが用意されていたことは全く主のお計らいとしか思えないことだった。 第1シリーズ「わたしが病気になった時」は4回に分けてのセミナーだった。

 1、4/20「そのときわたしは」
 2、5/18「そのとき介護してくれる人は」
 3、6/22「そのとき家族や友人は」
 4、7/13「そのとき生きる力は」

 この4つのテーマでセミナーはロールプレイという余りなじみのない方法で参加者が劇中人物になり、共に考えるものだった。そこで私達はケアする側も、される側も一番大事なことは「日頃のコミュニケーションができているかどうか」ということに気づかされ始めた。そして両者とも神とのコミュニケーションもできているかどうか、神にありのままの自分を見せているかどうかも考える問題となった。 このセミナーが終わったところで、参加者へのアンケートから、8/31に「告知」についての話し合いを持った。お二人の告知された体験から、どのように自分の気持ちが動き克服されていったかを聞きその後分かち合いをした。 9/28 バーガー神父様がご自分のお母様を、その後お父様を天国に送られた話をされた。私達はケアする人にどのように近づくことができるか、又ケアする時神からのケアに気付いているかを問われたように思う。 10/19 乳ガンを体験された方から、自分の体験を無駄にしないでボランティアとして活動するアフタケアの会「あけぼの会」(全国的組織)のお話を伺った。アメリカではこのようなアフタケアを受けてからでないと退院できないとのことだが、日本では まだまだ病院側がいわばしろうとのボランティアとしての会を受け入れず全国にたった3軒の病院だけが受け入れているそうだ。 11/9 第2シリーズ、ケア・セミナーが再びテハン神父様指導のもと4回に亘り行われた。

 1、11/9 意識 1
 2、'97・1/18 意識 2
 3、2/15 聴く
 4、3/15 信頼

 少し難しい感じがあったが、「意識」では自分に対しての意識はどうか、つまりケアする前にわたしの準備ができているか、疲れていないか、緊張していないか、患者に接する時、その人に対して固定観念や先入観を持っていないかなどなど今の自分を意識することで、邪魔なイメージを捨てること、相手のために何をしようかではなく、現実の今の相手と直面すること、そのようなことが相手と本当に出会えるのではないか。 次の「聴く」のテーマも、自分のエゴを無にすることで、相手のことをよく聴くようになる。相手のニードにきちんと応えられるかどうかが問題ではなく、せいいっぱい心から聴くことで新しい出会いがある。 「信頼」では二人ずつ組になって一人が目隠しをしてもう一人と聖堂の廻りを一緒に歩くというエクササイズをした。つきそう立場だった時、目の不自由な人を一生懸命リードしサポートしようとするので疲れてしまうのだが、実はその逆なのだということを神父様に教えていただいた。つまり相手の足の動き、リズムを良く感じ、知ること、そのリズムにこちらが合わせること、あくまでも相手のニードにそおうとすることが大事だということだった。この1年間の大 きなテーマは、他者のケアの前に自分自身のケアができているかどうかということだった。12月には茶話会をしてちょうど1ヵ月に1回の割りで集まることができた。 毎回10時から12時までの時間を守り、「静思のひととき」と聖書朗読で始まる。この間に自分の心を静かに整え、謙虚に聖書を聴くことで、新しい自分、新しい相手と出会う。そしてその時々のテーマに沿ってエクササイズをして小グループに分かれて分かち合いをする。分かち合いは自分の心の中のものを出すので相手のそれを大変大事に聴き、そこからいろいろの気付きをいただく。 このセミナーは病者に対してだけのケアではなく、私達はどれ程にすぐ近くの隣人に対して隣人とならせていただくか、教会の、地区の、世界の共同体の一員とならせていただくか、という人の生き方としての大切な基礎を学ばせていただいたと思う。 これからもケア・セミナーは続いていくことでしょう。できることから、小さなことから、隣りの人から、をモットーにして。





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ネパールから藤沢教会の皆様へ
信徒宣教者会 米谷 和江

 ハッピーイースター!

 ご復活おめでとうございます。ネパールは、だんだんあたたかくなってきました。私は今(3月29日午後9時)ネパール語のミサから帰ってきました。約3時間にわたるキャンドルサービスをまじえたミサでした。ミサが終わると皆で「ハッピーイースター」と握手をして、ネパールの飲み物の代表チャイ(砂糖とミルクたっぷりの紅茶)を飲み、皆でウキウキした雰囲気でした。 この3ヵ月間「いろいろな事があったなぁ」とあらためて思い出しながら、たくさんの人と握手しながらネパールで出会えた一人一人に感謝しています。 1年前はフィリピンのイサベラの貧しい村で神父様もいない丘の上の教会でイロカノ語で十字架の道行をして、今はネパール語。2年続けて言葉はほとんどわかりませんが、言葉はただのコミュニケーションの道具で、気持ちは伝わるものですね。 フィリピンでも、ここネパールでもおちこみそうになる時は必ず人を通して神様が励ましてくれました。それがとてもおもしろい方法で、大笑いできたり、歌を歌ったり、踊ったり、そしてそこにはいつもたくさんの人々がいました。 日本での研修の時、外国で生活できる人は「寂しさにたえられる人」と何回か聞きま した。でもどこへ行っても現地の人々がいるから自分から飛びこんでいけば、必ず寂しさはたえられない程ではないような気がします。どこでも嬉しい事、悲しい事はどこの国の人も同じだから! 今週はインド人のシスターと看護婦さんについて村へ診療へ行ってきました。真っ黒な顔の子供達の顔「もう少し洗うだけでケガも病気も防ぐ事ができるんじゃないかしら?」と思いながら村の人と触れ合ってる瞬間は私にとって「今一番幸せな時だ!」と感じました。 勉強が嫌いな私はじっと部屋にこもってネパール語を勉強するのは苦手なので、野菜屋で1時間座り込んで野菜の名前を教えてもらったり、レストランでネパール人と友達になったり、針をうちにいっておばあちゃんと話したり周りの人みんなが先生です。 もちろんへんてこりんなネパール語なので、大笑いされる事もありますが、そんな時は「私は笑顔を増やすために来たのよ!笑われてよかったじゃない!」と少々くやしい気持ちをおさえてさらにネパール語を話すようにしてます。 病気の人、抱えきれない悩みを抱えている人、食べる物のない人、死と向かいあっている人、戦争の中にある人、たくさんの人が今世界にいて、生きてい る事を思うと何とも言えない気持ちです。国境も民族も言葉も越えて。  ハッピーイースター!






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ルワンダへ愛をこめてパート2
辻堂2区  元永 けいこ

 アフリカの中の1国。ルワンダは内線に傷ヶ朝рき、当時はマスコミによって、連日報道され続けました。

 3年経った今、ルワンダは普通の生活を、とりもどし始めています。でも戦争の傷跡は消えません。そして足を失った人その足はもう二度と伸びてきません。もう二度と、自分の両足でこの大地を踏みしめることは、できないのです。 今私は「義足職人」という、あまり需要があっては困る職業に就いている人を皆さんに紹介したいのです。いくつかのマスコミにとりあげられているので、御存知の方も多いかと思いますが、茅ヶ崎出身の彼女は今、よりよい義足を提供するため、また義足職人を育てるために現地でがんばっています。彼女の留守の間、連絡係となっている方からの原稿を、ここに掲載させていただきます。

ルワンダの義足職人をめざして
西村 涼子

 千の丘の国、ルワンダ。アフリカの小国ですが、低い山々に囲まれたその風景は、むしろ日本のどこかのように感じられます。 茅ヶ崎出身の吉田真美がこの土地で義足を作ろうと思い立ったのは小児マヒで片足が不自由なルワンダ人のガテラとの出会いがきっかけでした。何となく過ぎて行く日本での生活に満たされず、ケニアに飛び出して「どうせ生きていくなら《プロ》になりたい」と漠然とした思いを抱くようになっていた頃、彼女は障害を持ちながらも力強く生きているガテラを知りました。彼が日本を訪れ、自分の装具(弱った足を支える道具)を作ってもらっているのを見て、この技術をルワンダの地で活かしたいと考えたのです。吉田が日本で義足製作の技術を学んでいた頃、ルワンダでは内戦と大虐殺が勃発。3ヵ月の戦争が終わったころには、義足を必要とする人の数は不幸にも激増していました。 今、ルワンダは新しい国作りに懸命です。首都キガリの郊外では、私たちの義足工場が完成間近です。そこで、ルワンダ人の技術者とともに、日本で学んだ技術とルワンダ人の彼らが持つ技術を活かしあいながら、ゆっくりと仕事を進めていこうと思います。何年か先には、日本からの支 援がなくても自立して運営していけるようになっているでしょうか。そしたらこのプロジェクトも成功と言えるでしょう。 このプロジェクトは吉田とガテラの強い思いから始まり、支援の輪も少しずつ広がってきました。それでも、正直なところ、10年、20年、ルワンダでの活動を支えていくにはまだまだ不安が残ります。できるだけたくさんの方々に私たちの活動に関心を持っていただけますよう、心から願っています。ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト

 代表 吉田 真美
 住所 茅ヶ崎市東海岸南6−6−69
 ※但し、吉田のルワンダ滞在中(11月まで)は、
 〒562 箕面市今宮
       4−11−2−201西村方 (TEL&FAX 0727−27−
2126)が連絡先となります。

 どうして今、ルワンダなの?他の国は?日本の中にもいっぱい問題があるでしょう?いろんな声が聞こえてきそうです。

 でも私は、吉田さんとの出会いをとおして、言いかえれば、友だちになった人が義足職人だった、そして、その技術をルワンダに提供していた、そこに、自分のできることがあればと思いました。 まだ出会ったばかりの吉田さんと話しをして生まれたアイデアが、教会でのチャリティコンサートでした。信者でない彼女にとって、「教会でコンサートができる」というのは、突然道端でサルサ踊りをはじめるより、驚きだったようです。こんな二人が出会い、お互いを提供しあえたらという、全く個人レベルからの出発です。ありがたいことに、彼女にも、私にも、何人か友だちがいます。その人達がもしも関心をもってくれたら、そして協力してくれたら、きっと何かができると思います。協力といっても、みんなに歌って下さい、踊って下さい、とは言いません。御近所の方に、職場の方に、声をかけてみる、話しをしてみる、そして今のルワンダの様子を知っていただく、そこから輪が広がり、一人や二人ではできないことも可能になると思うのです。皆さんはどう思われますか? 今回の企画が青年部、壮年部、婦人部などはもちろん、教会とか藤沢市民とか関係なく、一つの出会いの場になること を望んでいます。この企画に対する御意見、そしてコンサートについての提案などを、是非お聞かせ下さい。 尚、6月29日(日)11時より一度、集まる機会を持ちたいと思います。お忙しいとは存じますが、予定に入れていただきたく、何卒よろしくお願い申し上げます。





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庭係を返上しました
鵠沼3区 平野  勝

 教会委員会からのお願いという形で、当時の主任司祭と教会委員長から庭係を仰せつかりました。12年も前のことです。あひるやチャボや鶏五郎親分に混って、教会学校の子供たちが自由闊達に飛びはね、荒らしまわっていた頃です。 仕事の内容は、急速に変わって行く教会の内外の環境に気を配りながら、教会の屋敷まわりと庭内を整備美化することでした。それには、h不要な物は撤去する。i新規計画を立案実行する。jレイアウトの部分修正も已むを得ないとのことでした。 撤去された物は銀杏数本、ヒマラヤ杉の巨木、茂木枇杷、焼却炉、金井ハウスと呼ばれたプレハブの作業小屋などでした。

 新規に企画実行されたのは、祈りの庭造りに続いていこいの庭、学びの庭、裏門の花壇、事務所前花壇、聖堂まわりの舗装、屋敷まわりのベニカナメ垣とセンター裏のバラ垣根。 環境の変化に対応して修正設置された物はボーイスカウトの物置、2階建の教会倉庫の建設と活用、バリカー設置、駐輪駐車の使用区分、リラ駐車場の出現により、日陰に強い樹木花木を再配置、湘南台センターの緑化など。近年のXマスツリー飾りと3ヶ所のクレッシュ造りも加えましょうか。 教会報の復活祭特集号でお知らせした通り素敵な庭が、教会の内外の人たちに喜ばれ、利用されるまでになりましたので、これで当面の課題はすべて終わりました。それで3月末日付を以って、教会委員会に庭係を返上した次第です。 庭造りの課題が終わったと申しましても、基礎構図が出来上がったというだけのことです。庭が四季それぞれの風情をかもし出し、美しさが輝くのはこれからです。「信者全員による継続した手入れ。」これが教会の庭のいのちです。 私も一緒に汗を流したい。声をかけて下さい。

 聖堂の廻廊下が整理され、庭には何時も誰かが祈り、働いています。不祥事も事故も全くなかったこの12年間のお恵みに、心底から、ほっとし歓びをかみしめてます。 ご存知、世の中は、誰かがほっとし、歓びをかみしめ、幸せな想いにひたる時、その陰には必ず、他の誰かが、この幸せのために、柱になり支えになって耐えてくれているものです。 庭係が庭を造ったのではない。1本の大きな柱と2本の丈夫な支えがあったから出来たのです。

 1本の大きな柱は、斉藤豊さんを中心に集まって、喜んで汗を流してくれたお父さんたちのグループです。庭の隅々にいたるまで、このグループの手にならないものは先ず無いでしょう。 2本の支えの1本は、土曜、日曜祭日に、お父さん共に過ごしたいのを我慢して、教会の仕事に送り出して下さったご家族の皆さんです。そしてもう1本の支えは、作業の度毎に、汚れた軍手を洗って届け、時には手作りの弁当やツマミまで差し入れて下さった数名のご婦人有志の方々です。 改めまして、本当に有難うございました。永い間ご苦労様でした。






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新たな信仰によって「神奈川祈りの集い」報告(6)
寺田 正明

 神奈川祈りの集いから「聖霊による生活刷新セミナー」のご案内です。今年も下記の要領で開催する運びとなりましたことを大変に喜んでいます。今年のセミナー開催日は日曜日(午後)ではなく、火曜日(午前)に行うことにしました。日曜日に参加できない方々のご参加を期待したいからです。 第2バチカン公会議直後、カトリック教会内で始まった「聖霊による刷新運動」(カリスマ刷新運動ともいいます。)は今年で30周年になります。日本では、今年25周年を祝います。11月には「聖霊による刷新」全国大会が東京で開かれます。(後日改めて詳しくお知らせしたいと思います) この30年間、多くの実りがありました。何万という多くの人々がこの信仰運動に触れられてきました。そして人々が体験することは、より深いキリストへの献身、聖書への深い親しみ、聖霊の賜物への開き、そして自発的で自由な祈り、ミサ聖祭と教会についてのより大きな理解、兄弟姉妹間の実りある愛の絆が深まり、キリスト教的な共同体建設など、キリスト者の信仰を新たにし、キリスト者の生き方全体の刷新に影響を与えているのです。 聖霊による生活刷新セミナーは「新しい聖霊降臨」を体験す ることを目的に開かれます。それは復活した主との出会いであり、知恵と啓示の霊の注ぎであり、人はこれによって霊的に新しく生まれるのです。その結果、キリストによってもたらされ、聖書に約束されたすべての恵みを、信仰によってわがものとして生きることができるのです。 新約聖書はキリスト者として信仰の必要性と力を次のように告げています。「キリスト者は信仰によって義とされ・信仰によって聖なるものとされ・信仰によって守られ・信仰によってこの世に打ち勝ち・信仰によって救いを得る」のです。真の信仰は生活や理念や価値や関係にたいして変容をもたらしています。また、このセミナーで受ける聖霊の実は人々の心に愛と喜びと平和などの穏やかな感情をもたらし、それは、しばしば心身の健康を回復したり増進させたりすることが現にあるのです。このような現実を通してカリスマ的な賜物についての正しい認識を深めると共に、その賜物の使用によって教会の奉仕者として適した者に整えられ、すでに洗礼や堅信などの秘跡において受けた聖霊の恵みの大切さ、ありがたさを再発見し、再び燃え立たせるのです。この恵みを消さないように細心の注意を払いつつ絶え間ない努力 を続けていく必要があり、信仰において成長し続けなくてはならないのです。そうするならキリストに似たものとなり、キリストの香りを漂わせつつ福音を述べ伝える者に、変えられたいと心から願っています。*聖霊は思し召しのままに各人に自由に臨まれます。セミナーの開催は私達の計画ではなく神のご意向によるものだと思っています。神はあなたをこそ満たしたいと待ち望んでおられます。セミナーにご参加ください。 

*場所:藤沢カトリック教会ホール、
 日時:5月20日〜7月8日
     毎火曜日 連続8回、 10時〜12時
*費用:2000円
     (他にテキスト代700円など)
 *セミナー開催はバーガー神父様の賛意と  許可を頂き、実現の運びとなりました。感謝しています。
 *問い合わせは
  片山洋子 0467−31−3304  寺田正明 0463−82−7686  エドワード神父 044−355−1580





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天使の涙が
善行  下村 洋史

 イコンがいま大変流行しているとききます。 懐古志向なのか、異文化志向なのか、それとも、なにか別のものをそこに求めているのかはわかりません。もしかすると、グレゴリアン聖歌やマンダラ図が世界的に流行している事と関連しているのかもしれません。 あまりにもガムシャラに突っ走ってきた現代社会を、もう一度ふりかえった時、ポーッと浮かんでくる心の癒し、ヒーリング現象のひとつなのでしょうか。 「東方の光」という本がドンボスコ社から出版されました。とても美くしいすばらしい本です。(教会の売店にもおいてあります)この本は、藤沢教会にもたくさんのお友達を持っていらっしゃる白子の「十字架のイエス修道女会」のシスター稗田が訳された本です。内容は一言では言い表せない、深い霊的な祈りの本で、シスター稗田の言葉でいうと、イコンは“祈りへの窓”“神の美の受皿”という表現で、そこを通して神の国を観想するための本だといえましょう。 「時間にしばられ、いそがしく働く人に祈りの本を開く時間はないのでしょう。あえいでいる生活リズムにひと息いれる読書は魂のうちに沈黙の場を広げ、自由を得させてくれるでしょう。この本を読む時は短くて いいのです」と。 「イコンそれ自体は聖なるものの受皿にすぎませんが、イコンに導かれて心を神に向ける人はなんと偉大なことでしょう」と序文でいっています。 キリスト教のはじめの1000年は東も西も一つの教会でしたが、典礼礼拝や信仰の証などで東方正教会と西欧のカトリックとはタモトを分けてしまいました。 「非常に豊かな東方正教会の典礼と霊性の遺産を理解し、尊敬し、保存しキリスト教の伝承の全体を忠実に守るためにも、カトリックの信者はもっと近ずく必要がある」とローマ法王庁がいっているように、共通の根底を再発見しようというのが、さかんにいわれているエキュメニズムといわれるものです。 いろんな事情でイコンはたしかに時間と空間の域で大きくとり残されてしまいました。 そう!。そう!。いまおもしろい言葉を思い出しました。 「歴史ってなんだ」と問われたら。 「歴史は天使さ」て答えるんだ。

 天使は過去をふりかえるたびに、悲しくて涙を流すんですってでも、泣きながらはばたく天使の大きな翼からまきおこる風が、あまりにも強すぎて、ボクらは未来に吹きとばされていくんだって」なかなかうまいことをいいますよね。 もう一つ思い出しました。

 グレゴリオ聖歌のことです。歴史にとり残された、あれほどの美しい、崇敬で心の底から魂をゆりうごかす静かな叫び声が、たった歌詞がラテン語だからというだけの理由で教会の典礼から消えてしまいました。いや消されてしまったのか、消そうとしているのか、その辺はいろいろ議論のあるところでしょう。 おいそがしいでしょうが、またまたローマ法王庁さんの言葉に出演していただきます。 「信徒がグレゴリオ聖歌の唱詠に参加することは、神聖な神秘の祭りをより美しくし荘厳にし、参加者が信仰と敬虔心を強めるのに役立つ」といっているのです。歌ってはいけないなんて、どこをさがしても出てきません。 それなのに、日本の教会はどうしてこうゆう動きや見解を信徒に正しく伝えてくれないのでしょうか。

 開かれた教会、合理化された共同体、典礼の刷新。それ事態はとても良いものでしょうが、時として天使たちの羽ばたく風音にかきけされてしまい、大切な霊性の声をききもらしたり、天使の涙をふきとばしてしまっているのではないかと感じるのです。 そう感じるのは、年をとった私の上に、天使の涙がこぼれ落ちてきたからなのでしょうか。それとも、天使の涙は私の上だけなのでしょうか。 そういえば、白子の修道院にかかげられていた、イコンも涙にぬれて光っていたように見えました。






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1996年度日本カトリック映画賞受賞作品「絵の中のぼくの村」を鑑賞して
六会  松尾 池鶴世

 5月4日の「広報の日」、特別企画第26回カトリック映画賞受賞記念映画の鑑賞と対談の集いが、東京・日本教育会館で催されました。 カトリック映画視聴覚協議会(OCIC・JAPAN=千葉茂樹会長)が主催するものです。

 日本カトリック映画賞は、前年の10月からその年の9月までに発表された日本映画の中から、カトリックの信仰に基づき精神的価値、特に普遍的な「愛」を伝える内容をもった作品の監督または製作者に与えられるものです。 今回上映された「絵の中のぼくの村」=東 陽一監督(第46回ベルリン国際映画祭・銀熊賞受賞)は昨年受賞した作品です。 映画鑑賞後

 映画監督
  東 陽一氏(代表作 橋のない川)

 絵本作家
  田島 征三氏 (「絵の中のぼくの村」の原作者)

 東京教区
  森 一弘司教

 コーディネーター
  山根 基世   (NHKチーフ・アナウンサー)

によるビッグ対談が行われました。

 映画は双子で育った原作者が戦後、高知県の山村で自然のなかで暮らした体験をもとに、学校生活や、家庭での日常生活を通して、悪戯も過ぎるし喧嘩も凄い。でも可愛い双子の兄弟の成長振り、二人の愛の絆がみずみずしい感性で描かれており、二人が素手で魚を捕らえたり、川の中に飛び込んだり、素足で走り回る場面では、びくびく動く魚の感触、背筋に突き抜ける冷たい水の感触、足裏に伝わる大地のぬくもりが、私の中によみがえり、とても懐かしく夢中で映画の中に溶け込んでいました。 母親が少年達にさりげなく、さらりと「性」について教える場面も素敵でした。

 今、私達が忘れている大事なものは何かという事を思い出させる映画で、子育てをしている世代の人々に是非見て欲しい作品と思いました。 映画終了後のビッグ対談では次のようなお話がございました。

 東 監督
 カトリック映画賞のことは知っていたが、宗教に関係のない生活をしているのにカトリック映画賞を貰ってびっくりしている。映画を撮っているとき、自分は子供の世界に入り、大人の世界を見ていた。自然の美しさは、その中に人間の営みがあってはじめて美しい。双子を使って仕事をすることは、一言で言えば地獄のようでした。大人の守り役が付いているけど、毎日毎日些細なことから喧嘩して鼻血をだしてもやめない。子供だから何事も本気で、私をその気にさせる。大変でした。 原作の素晴らしさがこの映画を成功させたと思う。ベルリンでは、癒の映画と言われた。

 田島 征三さん(原作者)
 「子供だから」と許される以上の悪をしてきたのに、カトリックだから許されたのかもしれない。50才を過ぎ、子供の頃を懐かしんでみると自然の中でのびのびと育ったあの時代が今の自分の根になっている。 魚を手掴みすると手の中で、ぐりぐりと力強く動き回る生命力、そのぐりぐりの感触が今も掌に残っていて自分の絵の作品に表現されている。 あの景色の村は今はない。絵の中にしかないのだ。

 森 一弘 司教
 この映画が、カトリック映画賞を受賞したのは、天使でない子供、子供から見た母親も天使ではなかった。人間が傷ついたときの辛さが表現できている。原作者が持っている美しく豊かな感性と、自然に触れる宗教性がこの映画にはある。裸の子供達と三人の老婆が出てくるのがよい。 本日の「広報の日」とは、コミュニケーション即ち「愛」を伝える日です。

と、締め括られました。

 ビッグ対談を終え、山根基世さんが監督に「興行成績はいかがですか」と尋ねられましたところ、「まだ元は取れていない」とのお返事でした。 自主上映などもよいかも知れません。東監督も田島さんも時間があれば何時でも来てくださるそうです。




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6月の主な行事予定

1(日)キリストの聖体
2(月)〜14(土)スペイン巡礼
2(月)16(月)子連れで集まろう 午前10時
6(金)]イエスのみ心
    初金ミサ・婦人部例会午前9時30分
7(土)11(水)14(土)18(水)21(土)25(水)28(土)
    結婚準備セミナー 午後7時
15(日)子供と家族のミサ 午前9時30分
    聖堂大掃除
    フィリピン独立記念日の祝い
22(日)堅信式 午前9時30分ミサ中(司式 濱尾司教様)

編集後記

▼庭係の平野 勝様長い間ありがとうございました。         広報部一同

▼八角形にゅーす7月号の原稿〆切は6月23日(月)です。インターネットを使った投稿も受け付けます。ふるってご投稿ください。

▼八角形にゅーすバックナンバーご希望の方はメールください。詳しくご連絡いたします。


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