八 角 形 に ゅ ー す

1999年3月7日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

聖書の引用(?)、誤用(?)、濫用(?)、利用(?)・・・・・・・・・・・・・・・・・・李 鐘昇 神父

教会委員会報告

ミサのあずかり方 (その5)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Mハンラティ神父

横浜教区典礼研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中原教会 酒井 久枝

フィリピンでの医療活動のお話を聞いて・・・・・・・・・・・・・・・長後地区 米谷 三郎

日曜学校だより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5・6年リーダー 風間 孝子

感謝状

キジト神父様からのお便り

『五体不満足』を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 村上 康子

出生前診断をめぐって(最終回)・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 唐木 邦子

3月(復活祭まで)の主な行事

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聖書の引用(?)、誤用(?)、濫用(?)、利用(?)
李鐘昇 神父

1.お店などに行くと時々名前を聞かれる場合がある。すると、イーですと答えると店の人はどういう字を書くのか分からなくて困った顔をすることが多い。 だから、カタカナで書いてくださいと前もって言っておくのがこちらの心配りだ。せっかく漢字で書いてくれる時も李となるはずの文字が季節の季になることが多い。この時こそ、日本人ぽい名前があれば良いなと思うこともある。あるいは顔が西洋人のように全く違ったら良かったなあと思うこともある。実際、知り合いの留学生の中に本名は学校だけで使って、学校の外では日本名、つまり通称を使っている人もいるのが現状だ。日本名でなければ、何か世の流れから外されている感じがするのではないか。もしくは差別から身を守る方法の一つではないか。余計な話もう一つ。ある人から李神父は日本で主任司祭になれないでしょうと言われたことがある。どうやら私の国籍のことが気になっているようだ。欧米人ではなくて悪かったなと思ったこともある。現在、人の民族と国籍が異なっていることは考えられないが、これからは国籍の意味が薄くなるだろう。つまり、大和民族だけではなく、異邦人(?) でも気楽に住むようになるだろう。こういうことが実現出来るように、歴史の先頭に立って世界を開くために頑張る人のことをクリスチャンだと呼んでいる。それから、自分の国にいれば楽なのに、なぜここにいるのですかと皮肉ぽっくいわれながらも、頑張っているのは宣教師の役目の一つだろう。つまり両方を見る目を持っている人の責任であろうか。内外人平等になるために。

(ガラテヤの信徒への手紙 3:26-28) 
あなたがたは皆、信仰により、キリスト イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。

2.神父が移動すると親しい信者さんの中では一緒に引っ越しするか親しい神父がいる教会のミサに預かる人もいるようだ。それから、だれだれ神父に育てられたものですと言う信者もいるのではないか。病気になったらあの神父に祈ってもらわなければならないと思う人もいるらしい。葬儀は絶対あの神父ではないとだめだとか。担当の神父が変わると、今まで熱心に参加した信者の顔ぶれも変わるらしい。もしかしたら、だれだれ神父派だと思っているかも。そうすると視野が狭くなって、派閥主義になりやすいだろう。現在、政党のやり方と何か違うか?。

(コリントの使徒への手紙1 1:11-12 )
 皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい、わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」。「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。

3.お店などで注文するのにはまだ自信がつかない。その時、私の注文を聞いてすぐ分かってくれる場合はものすごくうれしくなる。つまり、私の日本語が通じるし、やったという気分になる。だから、教会に来て頂いた方々にちゃんと出来た日本語で福音のことを伝えるように頑張るべきだと思っている。今も、結構言葉でご迷惑をかけていると思うと顔から火が出る。昔の帝国時代の欧米からの宣教師ではないから、支配と征服の価値に巻き込まれているとは思わないけれど、日本のことをちゃんと教えてもらうべきだろう。そうしないと日本人の心が読めない。

(ローマの信徒への手紙 12:1-8)
 兄弟たち、あなたがたに勧めます。何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
 自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、教える人は教えに精を出しなさい。指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。



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教会委員会報告

1.静思のひととき

詩編51章より、「わたしのとがをゆるしてください」と罪を自覚して、その中で神のゆるしを願うみ言葉を黙想した。

2.前月行事の報告

避難訓練
参加者の協力によって、整然と行なうことが出来たが、本番のときには、椅子も乱れているだろうから、今回のように混乱もなく出来るだろうかなどの不安もある。訓練によってある程度は成果をあげる事が出来たのではないか、という報告がなされた。

バザーアンケート
全体で164件の回答がなされた。開催に賛成は85%であった。但し反対意見の主な理由として、バザーに注ぐそのエネルギーを、新しい活動に振り向けることも必要ではないかという主張には聞くべきことが多いのではないだろうか。詳細については、後日発表される。

債務帳消しのキャンペーン署名
2月中旬で約400名の署名があった。既に中央協議会に署名書類を発送したが、3月15日まで署名は延期されているので、署名の協力をお願いしたいとの報告であった。なお3月20日には、白柳枢機卿による「債務の鎖りをたちきるために」の講演会が横浜双葉学園で開催されるとのこと。

3.会計報告及び司教館建設献金について

財務委員より会計報告がなされた。これについては信徒総会資料として別途作成して報告することになっている。司教館建設資金については265件で604万円の申し込みがあり、一部には完納されている人もいるとのことである。さらに信徒のみなさまのご協力をお願いしたいとのこと。

4.各部、ブロック活動と予算について

教会として今年の重点計画と予算について検討するために、各活動部、ブロックからの計画及び予算について3月10日までに事務局に提出するように依頼された。

5.信徒総会

総会の内容は会計報告、湘南台センター報告、バザーアンケート報告、環境問題報告、大聖年に向けての当教会の取組について。

なお、大聖年に向けての当教会の取組については、それぞれの信徒が具体的な内容を提言し、3月6日にその内容を検討することとなった。

例として、

といった提言が出され、内容を検討することになった。

6.その他

環境問題委員会の設置については、身の回りから話し合う場としての委員会が必要であり、平野和子氏を中心として数名のメンバーでスタートすることになった。

ミサ当番について、先唱者、聖書朗読、献金などをブロックの月当番で担当しては如何か。ブロックの活性化にもなるのではないか。ただしこの当番は毎日曜日9時半のミサのみである。



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ミサのあずかり方 (その5)
Mハンラティ神父

ヨハネ13章1〜15

  “足を洗う”ところを黙想すること・・

 私にとって、よりよくミサにあずかる為の一つのとても大きな助けは、ヨハネの福音書にある“足を洗う”場面を黙想することです。それによって、ミサの中の私の想いや気持ちは、影響を受けるからです。

☆最後の晩餐について語るに当たり、ヨハネは何故この“足を洗う”出来事を選んだのでしょうか?

 マテオ、マルコ、ルカと同様に、ヨハネも御聖体の重要性をよく理解していました。

 イエスが御自分は命のパンであり、新しい命を皆に与える為に父から特別に遣わされた事を、非常に強調して説明なさった事を、ヨハネはしかと覚えています。例えば、お腹のすいた群衆を養う為に、パンをふやされた後に聞いています。これはイエスの教えの中心部分だと、よく知っています。

 それから約70年の年月が流れ、ヨハネは今エフェゾスの近くの彼の共同体に向けて、教えを書いています。70年にわたる沢山の回想と祈りと黙想を通して、イエスのなさった事、おっしゃった事のすべてを、前よりもっと理解するようになっていました。更に、イエスの霊が初代教会で働き続けている事を、目の当たりにしてもきました。その上で今、どんな心をもってミサ、即ち最後の晩餐の継続に参加したらよいのか、一番大切な心は何なのかを、イエスに従う者達に教えたいのです。(聖書学者たちは、イエスの愛された弟子が一番よくイエスの心を理解していたと言っています)彼は最後の於けるイエスの心について、彼らにもっとよく分からせたいのです。どんな心で、今最後の晩餐の継続であるミサに出席すべきなのか?特に彼らの間に何らかの分裂がある場合には?(そして人が集まる所に分裂はつきものなのです)この事を教える為に一番よい方法として、ヨハネは“足を洗う”出来事を選びます。

☆最後の晩餐でのイエスの心聖書を読むと、今イエスは御父からいただいた使命を正に終えようとしています。そしてこれが一緒に食べる最後の食事なのです。

 これから彼は大変な苦痛と、屈辱に満ちた方法で殺されようとしています。それなのに弟子達は、この非常事態を感じていないようです。イエスは、御自分を完全に御父に捧げていらっしゃいます。すべての人に、すべての人の為に、御自分を完全に捧げていらっしゃいます。それなのに弟子達は、イエスの愛する弟子までも、イエスを何と理解していない事かと思います。

 イエスは、弟子達が御自分をよく理解していない事を知っています。私利、私欲、私情しか思えない事が邪魔して、御自分の真の心を聴く事が出来ないと分かっています。ユダが誘惑に負けて、御自分を敵の手に渡すことも知っています。他の弟子達は臆病で、変わりやすい事も知っています。 イエスにとって極めて苦しい心境の時です。

 彼はどうしても、御自分が彼らを完全に愛している事、彼らの弱さは問題ではない事、御自分の愛には限りがない事を、彼らに示したいのです。でもどうしたら彼らの自己中心を打ち破って、この熱い想いを彼らの心に届ける事が出来るでしょうか? 御自分の愛の深みを悟らせる為に、彼らに衝撃を与えてみよう!

 衝撃的にイエスは立ち上がる。弟子達は彼がたらいに水を入れ、タオルを手に取り、一人の弟子の足を洗い始めたのを見て、びっくりしています。(この仕事は、イスラエル人でない奴隷にだけさせる卑しい仕事として、さげすまれていました) イエスは一人から次の人へと進んでいきます。弟子達は驚きうろたえ、言葉を失ってぼう然としています。ペトロが自分の怖れを表現し、強く抵抗します。しかしイエスが“もし足を洗わせないなら、あなたは私と関わりがなくなる”とおっしゃると、ペトロは変わります。

☆この箇所を黙想すると、イエスが私の前にひざまずいて私の顔を見つめながら、次のように説明し下さっていると感じます。どうかよく聞いて分かって下さい。

 私はあなたと共にいたいのです。あなたのすべての所と共に。殊にあなたが私から隠しておきたい所と共にいたいのです。私に近づく為に、そしてあなた方がお互いに近づく為に、その所でも私を喜んで受け容れてくれますか?

その為に私の助けが必要だと認めますか?

 私に洗ってもらう為に、喜んで足をさし出しますか?

 信頼してあなたの弱さを私に見せる事によって、私自身をあなたに完全に与える愛を、あなたは知っていくでしょう。私はすべての人への私の愛の深みを、皆に知ってほしいのです。私はあなた方がお互いに足を洗いあうように導きたい。それは、助けられる必要のある所、ゆるされる必要のある所に、お互いに入り合っていく事を意味します。例えば、地位をめぐる争いの相手、また政治的、知的に等色々な点で非常に違うと感じている相手も含みます。私故にあなたはそれが出来るようになっていくでしょう。そしてその時、あなたを通して私は他の人の足を洗う事が出来るのだ、とあなたは知るでしょう。この方法であなたは私にも、他の人達にも近づけるでしょう。こうしてあなた方皆が、御父に近づけられていき、私達は段々一つになっていくのです。

 今私達は、“愛された弟子”が書いて伝えたかった教えを、よりよく理解できます。彼が最後の晩餐であるミサを繰り返す時に、もってほしいと願った心はこれなのです。

☆私ハンラティは毎日ミサにあずかる時に、次のような事を意識していたいと願っています。

 あなた(父と子と聖霊)は、私達皆へのあなたの愛を私達にもっとよく分からせたい。私達があなたを必要としている事、またお互いをも必要としている事を私達にもっとよく分からせたい。その為に私達をこの集まりに招いていらっしゃる。

 あなたは、私達がもっともっと一つになる為に、またその一致が私達の集まりを越えて広がり、世界が一つになる為に、私達をここに招いていらっしゃる。

 あなたは、私達が自分の弱さを認め受け容れ、あなたによってまたお互いによって足を洗われる為に常に足を差し出すよう、私達を招いていらっしゃる。

 私達はあなたの愛をほんの少ししか理解していないけれど、私達の弱さの中で働くあなたに出会う事によって、あなたの愛を少しづつ理解していく事が出来る。

 あなたに近づけば近づく程、自分の中にあると気付いてもいなかった洗う必要のある所を見つけてしまう!とびっくりしてはいけない。無意識の内に先ず自分を大事にしすぎる所、自分の力と支配に頼り過ぎる所、自分を与える事、変わる事を避けようとする所、あなたを裏切る事さえ出来る所、今まで受け入れる事を断ってきた所等です。(どれも最初の弟子達にとてもよく似ている所です)それらを皆、あなたは受け入れて下さっている事、しかもその中でこそあなたの愛が働く事を、あなたは私に分からせたい。

☆次は、この黙想の成果の例です。

  1. “主よお互いの足を洗いあえるように、私達を変えて下さい。先ずこの私から始めて下さい”という祈りが自発的に流れ出てくる。
  2. 他人への私の態度が、キリストにより似てきていると気付いて、賛美と感謝の強い気持ち溢れてくる。
  3. ミサ後その日に起こる様々な出来事の中で、“主よ、あなたは今ここで私の足を洗って下さっている! 神様にも他の人達にも、もっと近づく事を妨げている私の内の邪魔物を、あなたが取り払って下さっている!と突然に気付いてびっくりする。等々です。

 私達はイエスのこの心をいただいて実行に移すように、出かけてゆき広めるようにと、ヨハネは教えて下さっています。



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横浜教区典礼研修会に参加して
中原教会 酒井 久枝

 毎年の典礼研修会に出席しますと、大変有益で帰るときには何かしら平安とよろこびを感じます。今年の典礼研修会のテーマは、御父への礼拝(ゆるし、回心)ミサ、主の祈りでした。講師は、最近カトリック新聞等で平易に解釈し好評を得ている、福岡のサンスピルス神学院の教授、白浜神父様でして、その話しぶりはユーモアに富んで、話し方はソフトで明解で、むしろ黙想会のお話しを聞いているようで心温まる思いでした。カナダのモントリオール、フランスのパリで学び4年前に日本に帰られ、神学院で教鞭を取っておられるそうです。

講話の中の一つ主の祈りについて、いつも絶えず忘れてはならない祈りです。主、自らが私たちに教えて下さった祈りです。

 祈りは二つの部分に分かれています。天に在す我らの父よと、アブラハムは地上の父です。マタイは天の父よ、マルコはアッパ父よと唱えました。

聖霊は私たちの中に宿り内側から恵みを与えている。天の御父を囲んで、神の国の実現を願った。

私たちに必要なことを祈っていく、それがキリストの祈りです。また、イエス様はゲッセマネの園で祈られました。自分の使命を完成するために。祈りの中で変わるのは私たちです。

祈りによって変えられる。もう一度、じっくり祈りを唱え、意味をはっきりかみしめましょう。



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フィリピンでの医療活動のお話を聞いて
長後地区 米谷 三郎

 1月31日(日)ミサ後、カトリック医師会会長の竹内正也さんから「フィリピンでの医療活動について」の講演会があり、多数の人達の参加がありました。当日は若々しく情熱を込めて講演された竹内会長の講演には約1時間半の時間も短く感じられ、会場の人達もそのお話を興味深くお伺いできました。

 最初にフィリピンの歴史について述べられ、そのお話しの中では経済的格差が現在も継続して行なわれ、農地解放も未だ行われず、日本の戦後、占領軍より断行された農地解放との違いが述べられ、今後も課題であることが印象的でありました。ちなみに「マルコス政権」また「アキノ政権」にも大きな期待がかけられましたが、未だ根本的解決には至らず、いわゆる「ストリートチルドレン達」が数十万はいると推測され、その現実は厳しいものであるとの事でした。

 竹内会長がはじめてフィリピンとの関わりを持たれたのは今から17年前、イサベラ州のギバンでの事です。そのきっかけになったのは、当時フィリピンマニラに在った「聖母訪問会」のシスター達が、現地ギバンで村の人達と生活を共にするための研修を通して色々と村の人達を援助され、村の人達に与えるのではなく、村の人達から多くを与えられたとの話を聞き、またそこに「神様がおいでになる」との話をお聞きになって関心を持たれたとの事であります。

 「イサベラギバン」そこは大自然に恵まれ、また素朴な人々が多く住む村々であります。そこに診療所建設の要請が現地の司教様からなされ、カトリック医師会では、ベッド数9床レントゲン室 薬局が備えられた診療所が建設され、現在はフィリピン人の看護婦6名が勤務しております。

 イサベラ州ギバンはマニラからプロペラ機で1時間、その中央にあります。その人口は百万人で千の村が集まるところであります。 診療所は「リベラルセンター」と呼ばれ、300村の人々に利用されております。

人々は60キロから80キロある距離の診療所に来て診療を受けるというきびしい状況であり、日本では想像も出来ない現実があるとのお話しには、色々と考えさせられました。しかも、全体で千の村のうち、その診療所の中で利用できるのが300村というのはどういう事なのかとの疑問も湧いてまいりました。

 診療所の目的は三つあります。その1は、「医療センター」、その2は「ヘルスワーカーの育成」、その3は、「村の人達と生活を共にする」ことであります。村々の多くには未だ電気も水道もない所も多く未開地地域が数多くあります。目的のうち、その2の「ヘルスワーカー」については、ヘルスワーカー達は8ヶ月の研修を受けた後、自分たちの村で「予備衛生」「傷の手当」「医薬品の指導等」を行う事を仕事としております。しかし、現在、ヘルスワーカーのいる村は全体の3分の1の300村であり残りの700村にはヘルスワーカーもいないというきびしい状況であります。この話しは信じられないものであり、私達にも何かできる事はないのかという素朴な疑問も持ち、これからも自分のできる事を考えて「一つでもよい」から微力でも協力させていただくつもりです。また「医療センター」への協力として、カトリック医師会では毎年1回医師スタッフを診療所に派遣し治療を行っており、昨年は医師、歯科医師、看護婦27名をもってチームを組み500名の患者を治療いたしました。竹内会長は、私達の仕事は「いわば大河の一滴」という人がいるかも知れないが、多くの人に期待され、やりがいのあるそして心の通い合う「愛の業」であると確信されている印象を強く受け、感動いたしました。

 最後に竹内会長は「信徒宣教者会」への私達の協力を熱望されました。皆様ご承知の通り「信徒宣教者会」は、日本のカトリック教会が公認する宣教者会で、現在「ロシア」「中国」「ベトナム」 「カンボジア」「ネパール」等へ宣教者を派遣しております。

 その目的は、現地の人々と生活を共にし、教育指導面で信徒の大きな期待をになっております。しかし、現在、信徒宣教者会について知らない人達も多く、また財政面でも、大変きびしく、年間予算1500万円の確保も難しい状態です。ちなみに「TOCS」というプロテスタントの海外医療チームの年間予算は2億8千万円もあるとの話しも聞いており、カトリック教会も、皆さんの理解と協力を心からお願いしたいとの事であります。

 海外での宣教活動については、当事者はもちろん、その家族にとっても大変な事が多いと思われます。しかし、キリストが共におられあらゆる地域で、どのような思い、またどのような生活をされているかを思う時、皆さんに「共にいていただき度い」と切にお願いしますとの事で講演を終えられました。

 今回の講演には多数の人達が参加され、それぞれの思いと感動を受けられた事と思います。私もその一員として「できる事をできる時にできる限り」との夢をもって、微力でもよいからバックアップして行きたいと願いながら帰宅いたしました。



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日曜学校だより
5・6年リーダー 風間 孝子

昨年のクリスマスの聖劇には、約百名の子供達が参加し、大変賑やかでした。 イエス様の誕生の喜び、神様の大いなる愛を伝えることが出来たのでしょうか。ここに子供達の感想を紹介いたします。

先唱旧約の人 悠紀◎
 短い役だったけど、楽しくしっかりやれてよかった。先唱は緊張して少しまちがえたけど、がんばってやれたのがうれしかった。

隊長 フォン◎
 練習の成果を全部出しきりました。悔いのない演技でした。

マリア   麻美◎
 練習の時、セリフを忘れてしまい、本番が心配だったけれど、当日、セリフをまちがわずに全部言えてよかったです。私達6年生は最後の聖劇だったけれど、とてもよい思い出になりました。

先唱ヘロデ王 DA◎
 私としてはとても満足です。ヘロデ王ということで少々、下級生にいじめられましたが・・。 (私の心はキズつきやすいのです)だからこそ、私は立派なヘロデくんが出来たのだと思います。先唱も楽しかったし、上手に出来たと思う。

宿屋 1  絵理花◎
 いつもは、友達といる時間が短かったけど、劇の時は練習するために、皆んな残って話しをしたりする時間はあまりなかったけど楽しかった。本番も、少しは友達と話せたけど、あまり話せなかった。それでもやっぱり楽しかったてゆーかー、おもしろかった。

大天使ガブリエル 幸乃◎
 今回の聖劇は日曜学校最後の聖劇でした。私は大天使ガブリエルをやりました。 セリフは短いけれど、そこに動作をつけるのがとても難しかったです。やっぱり一番難しかったのは、セリフと動作の間のタイミングです。どこで入るか、どこでつけるか覚えるのに時間がかかりました。本番の時にはセリフを忘れてしまいましたが、何とか言えたので、よかったです。とてもよい思い出になりました。

博士 1  真富佳◎
 沢山の人が来てくれてうれしかったけど、緊張もその分増えました。本番で初めてセリフを言った時、自分しかいないような感じで、へんな気持だった。セリフを忘れそうになってあわててしまったが終わった後はスッキリして気持ちがよかった。日曜学校最後の聖劇だったけど、楽しかった。

 場所的に、片手にマイクは動作にも制限もあり、セリフのやりとりに間が空いたりという欠点もありますが、祭壇という素晴らしい舞台で信仰を伝えるために、力を出し合った事は子供にも大きなお恵みであり、喜びであったと信じます。陰で働き、またお祈りで支えて下さった沢山の方々に感謝致します。

◇ あなた方は地の塩世の光である。

 もし太陽がなかったら、一日中まっくらです人間や動物が生きていくのにかかせません『こじか』神様の子供達へ「暗い心をてらす光のように」をよみ、この福音について考えました。その中に黒沢 明監督の「生きる」が例え話として興味深く書かれていました。

6年 尭志◎
 渡辺さんは自分が胃がんで残りの命が半年しかないのを知って、深く落ち込んでしまうけれど、そんな彼をすぐに明るくした小田切さんは、まさに地の塩、世の光だなあと思った。そして小田切さんを明るくしている日本の子供達も世の塩世の光だと思った。

6年 聖一◎
 渡辺さんは、残り半年という短い間を皆んなのために役立つ児童公園を作りあげました。そのまま亡くなってしまいましたが、自分の夢を捨てずに希望を持ち続けたことがとてもすばらしいと思いました。渡辺さんは満足のいった「世の光」の生涯を送って良かったと思います。

5年 樹里◎
 人のためにつくすことは、とてもいいことだ。自分が死んでしまうとわかっているのに最後まで自分の出来ることをするのは、すごいことだ。『人にやさしくして、人に喜ばれることをしたい!! 』

5年 佳代子◎
 私は「暗い心をてらす光のように」を読んで渡辺さんはもう少し早く小田切さんに会って心の中の暗い気持ちを光でてらしてもらえばよかったなあと思いました。でも私が渡辺さんと同じ立場であったら、小田切さんのような人に励ましてもらっても、なかなか立ち直れないと思うので、渡辺さんはすごいとも思います。

 神様の恵みと光りをいただいて、お互いを大切にし、周りを明るく平和にしたいものです。さて、クラスでは、堅信の話、ロウソクづくりをし、いよいよ卒業という節目を迎えます。卒業感謝ミサは6年生が中心になって、役割分担し進めたいと思います。今迄いただいた沢山の恵みに感謝しこれからもイエス様を大切に力強く歩んで行くことが出来るよう祈りたいと思います。どうぞ、共にお祈り下さい。



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感謝状

藤沢教会各位 様

 戸部教会ラテンアメリカコミュニティーの、特にホンジュラスおよびニカラグア出身信徒から御挨拶申し上げます。

 ハリケーン「ミッチ」により、中米のほとんどの国々が被災し、特にホンジュラスとニカラグアは大きな被害を受けました。直に被害を受けた私たち兄弟姉妹のために何かをせずにはいられず、小教区司祭の承認を得て、教会を廻って募金にご協力をお願いいたしました。その際には、皆様のご協力をお願いするとともに、ほんの少しではありましたが私たちの祖国の窮状を皆様にお知らせしてまいりました。

 確かに、国際的な支援の手が直ちに差し伸べられましたが、災害規模の甚大さ故に、いまだ十分ではなく、ところによっては援助を最も必要としている人々の手に届いていないのが現実です。

 これまで、各教会から総額79万226円が集まり、うち藤沢教会から18万1347円をご協力頂きました。

 援助を送るためにあたっては、教会のように、明白で確実かつ信頼できる方法で送らなければなりません。集められた募金は、直接被害を受けたところに届いて、できるかぎり公平、効果的に使われなければなりません。

そこでこの場をお借りして、被害者兄弟姉妹の名に於いて、ご理解と貴重なご協力を下さった信徒の皆様に心から感謝の気持ちを表したいと思います。今世紀最大のハリケーン被害の被災者と、キリスト者として連帯して下さったことに対して、感謝に堪えません。

 また同時に、国籍を越えてすべての信徒とともに働く機会を授けて下さった、私たちの主、神に感謝し、いつも祝福をお与え下さいますよう、また良き道をお示し下さいますよう、お願い申し上げます.

 重ねて心から感謝申し上げます。あなたがた私たちを必要とするときには、力を合わせて働くことを誓います。

心を込めて

 平成11年2月19日 戸部教会ラテンアメリカコミュニティー
 吉見ノルマ、 ドゥルセマリアデ菊地



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キジト神父様からのお便り

 藤沢のいとこたちへこのペンを通じて皆様のホイマのいとこたちの親愛の気持ちをお伝えいたします。和歌山のコル神父様に託された35万円のご寄附が到着、心から感謝いたします。先日送って下さった八角形にゅーすの中に、私がお送りした写真が載っているのをみて、とても嬉しく思いました。昨年10月25日のバザーが成功裡に終わり、あの35万円のうちの5万円はその益金からいただいたものであることを知り、神さまに感謝いたします。

 みなさまのお祈りと物質的なご支援を受け私たちは、この新しい1年を希望と勇気、そして幸せのうちに乗り切って参ります!

 クリスマスの時お送りしたこの前の手紙以後、アフリカの情勢に好転の兆しは全く見えません。第三次世界大戦の徴候がアフリカに於いてみられるのです。昨日だけで私たちのキャンプに2万5千人以上の難民がコンゴ共和国からはいってきました。この大群が、もう既にコンゴや南スーダンの難民ですし詰めになっているキャンプに加わるのです。全くもって言語に絶する状況です。

 この手紙を書き終えたら、私は、神のこの罪なき苦しむ人々に幾ばくかの授けと落ち着き場所を供えるチームに加わりにいきます。 お届けいただいたものは早速役立たせていただいています。ウガンダは、かって百年前にイギリスの植民者たちに、“アフリカの真珠”と呼ばれていたのですが、平和が達成されない限り、即ち、兵士による誘惑、レイプ、ほしいままな殺人、そして貧窮が止められない限り、その名に留まることはできません。

みなさんのお祈りと思いやりはとても貴重です。お一人、お一人に神の祝福を!そして皆さんの神父さま方にもよろしく!

1999年1月29日みなさんのホイマのいとこ達を代表して

 キジト神父



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『五体不満足』を読んで
辻堂1区 村上 康子

 私がこの本を知ったのはテレビを通してだった。何気なくつけたテレビに車椅子の青年が広場で子供たちと楽しげに動き回っている情景が写っていた。ふと、気になるものを感じてよく見直すと青年の半袖シャツの先に腕がない。しかも両方とも。ナレーションで青年には両足もないと聞きびっくりした。   丁度そこへ嫁が来たので「今、テレビで・・」と話すと「それは今、ベストセラーになっている『五体不満足』の著者でしょう」と言う。体に大変な障害を持ちながら健気に生き、しかも自分を題材に本を書くとは、と感動し数日後に書店で買い求めた。

 著者の乙武洋匡さんは早稲田大学に在学中の22歳、その両親にとってはひとり息子である。どの親も子を授かる時に「何はともあれ五体満足な子を」と願うであろうに、先天性四肢切断という原因不明の障害を負って生まれた自分だからと著書にこの題名を付けたそうである。内容は三部に分かれ幼児期小学校時代と中学高校予備校時代に続いて大学で政経学部に学びながら環境問題に取り組みバリアフリーのために活躍中の現在が書かれている。

 乙武さんはご両親の熱意と努力によって小学校から普通学校で学んだ。初めて重度障害児を受け入れた先生方は温かい心で非常に深い配慮のもとにクラス全体を導く。乙武さんは多くの友だちと共に楽しく、時には助けられながら成長しリーダーシップを発揮した。 本の中にその過程を示し「身体の障害は個人の特徴にすぎない」といい「誰にでもその人にしか出来ないことがあるはず」と信条をのべ、「障害は不便である。

しかし不幸ではない」というヘレンケラーのことばを自分の生き方で証ししようとしている。

 友だちと旅行したアメリカで、車椅子利用者への対応があらゆる面でととのっており障害者を珍しげに見る人がないのを体験して帰った乙武さんは物理的バリアと心のバリアをとり除くために働く意志を一層強めた。そして日本が島国で長らく単一民族の社会だったために何でも同じであることが原則になり、そこから「皆と違う」 ことへの差別や偏見が出ていると考え、原因が根深いと感じている。 それ故にこの著書をぜひ子供たちに読んでほしいという願いで漢字に振りがなを付けた。

 読後に私は文面に殆ど出てこないご両親の心情を思い巡らさずにいられなかった。著者はただ一度お母様のことを「のんびりした超人」と書いているが多くを語らない。この子育てを思う時、親はまさに超人だが恐らくのんびりどころではなかっただろう。親なればこその忍耐と努力なしに普通学校に受け入れられる状態になるまでの訓練は不可能だと思われるし、本文の記述のように次々に良い環境に恵まれるはずもない。

著者自身が四肢の「不満足」を補って余りある資質とすなおな気質、明るく強い性格に恵まれた上に他人には察し切れないほどのご両親の苦労と慈愛があってこその現状であろう。

 若い乙武洋匡さんの前途が順調であるように、ご両親がお元気に良い日々を迎えられるように心から祈りつつ本を閉じた。

(『五体不満足』は講談社発行です)



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出生前診断をめぐって(最終回)

むさぼる社会からはぐくむ社会へ

カトリック障害者連絡協議会事務局    渉外担当委員長(藤沢1区) 唐木邦子

〈出生前診断を必要とする社会とは?〉

 連載最終回では、出生前診断を必要とする社会について考察して私なりにできることを考えてゆこうと思いますが、その前に出生前診断の問題点を確認したいと思います。それは、出生前診断は通常の医療的検査と異なり検査や診断が治療につながらない場合が多いということです。母体血清マーカーテストが簡便な出生前診断として普及し始めていて、「障害胎児の中絶の合法化」を促進していますし、体外受精の場合にはすでに遺伝子診断による着床前診断がおこなわれています。

 連載にあたり私は出生前診断とその背景についてできるだけ多くの資料を読みましたが、その結果、「出生前診断は障害者だけの問題でない!」という結論に達しました。つまり、出生前診断は「生産性」を人間の一番大切な価値として位置づける効率至上主義の競争社会から必然的に生まれてきたということです。(注1)そのような社会は、「効率と利益」を最優先するために、人類が有史以来営々と築き上げてきたさまざまな文化や人間同士のつながりを破壊し、効率と利益のためには資源やエネルギーを地球という環境を破壊し尽くすまで使い続ける「むさぼる社会」、つまり「消費社会」 と呼ばれています。(注2)

「消費社会」は「大量に消費することが幸福につながる」ということに大多数が同意する社会ですが、先進工業国を中心にこのライフスタイルが広がった結果、地球環境とそこに住む人間の心の荒廃は危険値を超えようとしています。「母乳にダイオキシン」、「オゾン層破壊」、「異常気象」は地球の環境や資源が現在の消費のペースに耐えられないことを示し、「家族の崩壊」、「地域社会の衰退」、「青少年の凶悪事件の増加」は「消費」「効率」「お金」などの消費社会の価値観が人間の精神を大きくゆがめていることを示しています。(注3)つまり、「消費社会」に対して社会のさまざまな分野で警報の赤ランプが点滅しているということですが、「消費社会」を見直すどころか「命、誕生、人体」までも産業と利潤の対象としようとする流れのひとつが「出生前診断」であるわけです。 (注4)人間が人間の命や体までも消費の対象とすることによって、どれだけ大きな人心の荒廃が起こるかは想像を絶します。

〈神様のみ旨に従いながら〉

 ひとりの人間は、暴走を止めるどころかさらにその勢いを増そうとしている社会に対してほんとうに無力です。いくら「出生前診断は障害者だけの問題でなく、社会全体に取り返しのつかない重大な影響を与える問題なのです!」と声を大にして叫んでも、ほとんどの人は「自分には関係ない」と注意を払いさえしないでしょう。現在大問題になっているダイオキシンや地球温暖化の問題も、取り上げられはじめた約20年前は完全に黙殺されていましたが、現在、当時から地道な研究活動を続けてきた人達による「循環型持続可能な社会の提案」が環境破壊を食い止める方策として注目されています。同様に、「出生前診断」の実体をできるだけ多くの人に伝えながら「キリストの価値観」で生活するために家族で努力し続けることが、一般社会と異なる価値観を世の中に問い続けることであり、同時に私にとって「自分の十字架を背負ってキリストに従う」 ことになると思います。

この厳しい状況の中、日本ダウン症協会の有志の方達は「生まれようとする『いのち』を選別しないで」

というキャンペーンの中で次のようなメッセージをインターネットで流していらっしゃいます。「ダウン症をもったこどもたちお誕生おめでとう!家族のみなさんおめでとう!私たちは心からそう言います。(中略)こどもを生むってことは何がおこるかわからないけれど、そんなことをとりあえず引き受けようと覚悟することかも知れないな。(中略)予期せぬ出来事、降ってわいたような事態にも人は日々を重ねる中で誰でも暮らし合う力をもっている(後略)」

そうです!私たち母親は何の専門知識も力もないけれど、神様から命をはぐくむ経験と力をいただいているのです。そして人を愛する心と穏やかな力強さも!私はそれらを与えてくださった方に従って歩み続けたいと思います。「み旨の天におこなわれるごとく地にもおこなわれんことを」願いながら。

〈連載終了にあたって〉

 連載を終わるにあたって、非常に複雑な問題をどこまで正確にお伝えできたか不安が残ります。この連載で出生前診断とその周辺の問題について関心を持たれた方は、是非参考文献をお読みになっていただきたいと思います。最後に、この連載を快く掲載してくださった編集委員の方々と、ホームページのリンクの件でお手数をお掛けした事務局の方に心からお礼を申し上げたいと思います。

〈参考図書〉



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3月(復活祭まで)の主な行事

8(月)15( 月)エルダーズの会

1(月)ジョンストン神父(イエズス会) 「祈りと黙想の会」午前10時〜

5(金)初金ミサ、例会

14(日)卒業感謝ミサ 午前9時30分

20(土)ケアセミナー午前10時〜
 「心に響く聖書」  ジョンバーガー神父午後2時30分〜

22(月)春分の日彼岸ミサ午前10時

26(金)共同回心式 午前10時

27(土)ゆるしの秘跡個別10-12,3-5,7-9
    福祉部例会午前10時〜

28(日)受難の主日(枝の主日)壮年部総会

29(月)ゆるしの秘跡個別10-12,3-5,7-9

30(火)ゆるしの秘跡個別10-12,3-5,7-9

4月

1(木)聖木曜日ミサ洗足式 夜7時30分

2(金)聖金曜日午前9時30分十字架の道行
  午後7時30分受難の祭儀

3(土)聖土曜日ゆるしの秘跡10-12
      午後8時復活徹夜祭洗礼式

4(日)復活の日のミサ
 午前7時午前9時30分(幼児洗礼)
 午後1時(英語)午後2時(スペイン語)
 午後2時30分(韓国語)
 午後4時(ベトナム語)
 午後7時

▼4月号の八角形にゅーすの原稿〆切は 3月15日(月)です。 八角形にゅーす御復活特集号となります。

☆ 信徒総会は4月11日です。  皆さまのご出席をお願いします。



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